友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

信頼

2012年02月29日 19時14分52秒 | Weblog

 今日はあまりの日である。4年に1回、366日を設けて時間のズレを調整する。おかげで、日時を表す器具も調整しなくてはならない。余分の日なのだから、それにふさわしい余分なことを書こうと思ったのに見当たらない。同年で集まると、誰それが亡くなったとか、葬儀にいくらかかるとか、98歳の義母を20年も介護していて、自分たちの老後の蓄えを使い果たしてしまったとか、現実の厳しい話ばかりで楽しい話はひとつも聞かない。

 

 私の知り合いで80歳になる先輩は、まだ大学生と時に兄を亡くした。兄嫁に同情するうちに好きになり、肉体関係へと進んだ。そこで兄嫁と結婚したいと両親に申し入れたけれど、反対されて引き裂かれた。また、75歳になる先輩は40代の頃、アメリカで単身赴任の生活を送っていた。仲良くなった白人女性と時々ベッドを共にするようになった。ある日、日本にいるはずのカミさんがふたりの前に現れ、以来カミさんには頭が上がらなくなってしまった。こういう人間臭い話の方が面白いけれど、こんな話が聞けるようになるには信頼が必要である。

 

 東京電力の福島原発事故について、民間レベルで事故調査報告書が話題になっている。民主党政権にとって初めての原発事故だから、「泥縄式対応」と批判されて当然だろう。日本の官僚は優れていると私は思っていたけれど、どうもそうではないらしいことが露呈している。これでは自民党政権下であっても同じ結果だったと思う。原発事故が起きた時に、誰が誰に報告し、誰がどう指示を出すのか、きっとマニュアルはあったはずなのに、官僚の誰もそれを伝えることが出来なかった。

 

 指揮系統が把握されていないから、菅直人首相は焦り、ひとり息巻いて怒鳴り散らしていたのだろう。首相の怒鳴り声に対して誰も的確に対応できなかったのに、ひたすら菅直人さんの個人的な資質の問題にしてしまっていいのかと思う。確かに、上に立つ者が立派であれば問題なくもう少しうまく運んだのかも知れないが、どのような人物であっても最良の結果に持っていくのが官僚の役割である。ところが事故についての会議録が作られていないという。このことからも官僚機構そのものが機能していないことを曝け出している。

 

 この民間レベルの事故調査団が東京電力に聞き取りをしたいと申し入れたところ、東電はこれを拒否している。官僚以上に官僚的な体質である。原発のことは自分たちが一番よく知っていると思っているのだろう。けれども、事故が起きてしまった時点で、原因の発祥元である。誰から何を聞かれようと正直に答える義務があるのに、それが理解できない点も官僚の発想である。官僚も東電も信頼は皆無である。

 

 山口県光市の親子殺人事件で、被害者の夫は当初、「自分の手で殺してやりたい」と言っていたけれど、最高裁の判決が出た日は、「もう一度チャンスを与えることが社会正義なのか、命をもって罪の償いをさせることが正しいのか、その答えはない」と話していた。あれだけ被害者の家族の権利を強く主張していたので、この人はもう結婚しないだろうと思っていたけれど、同僚の女性と結婚していたという。これを知って、だからこんな発言に変わったのだと思った。結婚した女性との信頼が彼を優しい男に変えたのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事実と真実は違う

2012年02月28日 19時51分09秒 | Weblog

 人は誰でも自分を弁護する。初めから間違ったことをやる人はいない。わざと間違ったことをするのは詐欺師で、普通の人は真面目に生きている。それでも時々、朝令暮改のような人に出会う時もある。私が昔仕えた上司は、朝に言っていたことが昼からは正反対になり、困ることが多かった。「朝はこう言われましたけど」と言っても聞く耳を持たず、「言ったことをちゃんとやりなさい」と言われる。仕方がないのでその通りにすれば、当然ながらうまくいかなくて、「やり方が悪い」とか、挙句の果てに「(朝に言ったように)やり直せ」と言う。

 

 人前で話すことを得意としていた人だったが、「以前はこう言ってみえました」と指摘すると、機嫌がよければ「そうか、そんなことを言っていたか」と認めるけれど、ご機嫌斜めの時なら、「言うわけない。いい加減なことを言うな」とかんしゃく玉が破裂してしまう。普通の人は自分が以前に言ったことを全部覚えていなくても、全く違う考えとか、全く違う価値観とか、大きくずれるということはないように思う。しかし、この人は受けの好いことをしゃべる癖だったので、自分が何を話したのかについては無頓着だった。だから、平気で嘘をついていても、自分では気付いていないし、気付こうともしなかった。

 

 他人のことをいつも悪く言う人は、言う相手によって言葉を変える。Aさんの前ではBさんの悪口を言い、Bさんの前ではAさんの悪口を言う。時にはAさんが、時にはBさんが悪者となり、自分はいつも正しいとなる。長い間付き合えば、そう言う人が一番悪いと気付くけれど、初めて聞く人ならそこまでは分からない。悪意に満ちて、AさんやBさんを蹴落とそうとしているというよりも、自分が正しいことを伝えたいために話すから、こういう人は始末が悪い。

 

 わざわざ間違ったことを言う人は詐欺師だけれど、意図してそう言う人もいる。妻子があり社会的な地位もある彼は、自分の娘と同じくらいの女性に恋をしていた。女性の方は離婚していたから、彼がその気になれば、彼が求めれば、女性は受け入れただろう。しかし、彼は心臓を患っていた。日毎に老いていく自分を鏡で見るたびに、彼女の元を去らなければならないと思うようになっていった。そこで彼は嘘をつく。彼女から連絡が来ても、「その日は都合が悪い」を繰り返し、次第にその間隔が開くようになって、とうとう彼女から何の連絡も来なくなった。

 

 自分の欲のために、いつまでも嘘を重ねる人もいるが、彼のように相手のためにわざと気持ちとは反対の行為をする人もいる。彼の行為は相手を思ってのことだけれど、それが正しいか否かは別のことだ。非常識で不道徳でも幸福ということはある。昔、キリスト教の教会に通っていた頃、聖書に書かれていることは正しいかどうかと悩んだ。正しいけれど、湖の上を歩けるわけは無いし、難病の人がその場で治るのも信じがたい。事実を真実と認めることは出来なかった。しかし今なら、事実と真実は違うと考えられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人には添うてみよ。馬には乗ってみよ

2012年02月27日 19時14分52秒 | Weblog

 大学の先生夫妻は今朝、西安・敦煌の旅に出発した。旅の話が楽しみである。私が高校生の時だと思うが、井上靖氏の『蒼き狼』が話題になっていた。モンゴルの王、ジンギスカンの物語で、父親が雑誌で読んでいたのを覚えている。モンゴルの大草原やゴビ砂漠の雄大さを勝手に想像していた。西安から敦厚へ、そして楼蘭へと行ってみたいと思っていた。

 

 大学を卒業する時、トヨタ自動車などに掛け合って、シルクロードの旅を写真とスケッチで表現する計画を立てたけれど、誰ものってくれずボツに終わった。私が学生の頃は、中国もロシアも自由に行くことは出来なかったから、無謀な思いつきだった。

 

 映画『敦煌』は、敦煌の遺跡がどのようにして守られたのかを描いたものだったが、史実はともかくとして、敦煌を訪ねてみたい気持ちを大きくしてくれた。経典を必死で守ろうとする僧たちが印象的であったし、ウルグイの王女はとても美しかった。西域ではトルコ人やイラン人が活躍していたというが、西洋人の女性を見た時、当時の男たちはどう思ったのだろう。

 

 それにしても、中国は広い。私は重慶と成都しか行ったことはないけれど、地図で見れば随分奥地の山の中だ。けれども重慶も成都も平地で、高い山など見なかったように思う。高いところに平地があるとは思っても見なかったけれど、アメリカのロッキー山脈にある街に行った時も、そこはだだっ広い平地で周りに山はなかった。

 

 知らない街へ行くのは緊張すると言う人もいるけれど、私はどちらか言えば好きだ。知らない人の知らない歴史や知らない生活に触れることは心が躍る。テレビでアフリカの原住民の生活を紹介していたけれど、彼らの財産といえばナベくらいだった。家も、草木で作ったもので、移動する時は持って行かなかった。その日に食べるものを猟してくるか、採ってくる。男の最大の賛美は猟がうまいことだ。女たちは日長、男たちが持って帰る獲物を待っている。獲物が手に入らなければ、木の根や果物でお腹を満たす。そんな彼らの生活の傍まで文明は押し寄せているが、文明の機器で欲しい物は無いのかという問いに、「何もいらない。移動するのに邪魔になる」と言う。

 

 世界各地に人はいて、それぞれに生活している。若い時はそんな知らない世界を見て来たいと思っていたが、やはり歳を重ねると「知ったところでどうにもならない」と思うようになった。人はもっと知り合えば、戦争もしないですむだろう。だから若い人はどんどん海外に出かけて欲しいし、海外から友人を招いて欲しい。三国志のふるさと、成都はきれいな街であった。公園はキレイに整備され、人々が太極拳を行っていたり、若い男女が手をつないで歩いていた。古い寺院や廟も残されていて、訪れる人も多かった。

 

 訪れて初めて知ることもある。人もまた話してみて初めてよさを知ることもある。「人には添うててみよ。馬には乗ってみよ」と昔から言うではないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2・26事件から76年

2012年02月26日 19時28分42秒 | Weblog

 暖かな日が続いていたのに、今日は北風が強く吹いて冷たい。昨日に続いて、2歳7ヶ月の孫のお守りをする。近くに屋外公園と航空機の展示館のある施設がある。そこで遊べば、体力を使うことになり、夜は早めに眠るだろう。そんなことを思って孫娘を連れて、ジジ・ババで出かけた。出かける時に、警戒して嫌がるかなと思ったけれど、意外にすんなりと承知し、「飛行機を見に行く」と母親とのしばしの離別も苦にしない様子だ。

 

 公園に着くと早速、建物の南に造られた小高い丘に向かって歩き出す。風は強くとても冷たいが、そんなことよりも遊べることの方が楽しいらしく、小さな身体をいっぱいに動かして登っていく。公園の一角にあるコンビネーション遊具の周りには、若いお父さん・お母さんが寒さに震えながら子どもたちを見ている。子どもたちの方は寒さなど感じないのか、遊具を上ったり降りたり滑ったり、あれをやる、これをやる、と動き回っている。

 

 長女の時もそうだったけれど、初めて行う遊具でも全く恐がらない。何でも出来るつもりで向かっていくので、しばし、反対側から滑ってくる子や上ってくる子の邪魔をすることになる。でも、子どもはそれなりのルールがあるようで、年上と思われる子は年下の子を優先させてくれる。見守っている大人の方が寒さに耐え切れなくなり、展示館に行こうと誘うけれど、どの子もなかなか遊具から離れようとしない。

 

 広場ではお父さんが子どもを相手にボール遊びをしていたり、家族でドッヂボール遊びをしている。砂場では裸足で砂遊びをしている子がいた。お父さんとふたりで来たのか、バケツに砂を詰めて山を築いていた。お父さんはトイレに行きたくなったのか、「ここに居るんだよ」と言っていってしまった。「寒いね」と声をかけると、「うん、でも平気だよ」と言う。お父さんが帰ってくると、「おじさんとお話してた」と報告する。よく見ると、お父さんも素足のサンダル履きだ。寒さ知らずの親子である。

 

 散々遊んだ後、展示館に行った。孫娘は保育園で、靴も靴下も脱ぐ癖なのか、建物の中に入るとすぐに脱いでしまう。その方が滑らなくてすむからだろう。素足で館内を走り回っていると、展示館の職員がやってきて、「靴を履かせてください」と言う。私が、えっという顔をすると、「怪我でもしたら困りますから」と言う。さらに「床で滑ったりしますし」と言う。「大丈夫です。私が見ていますので、放っておいてください」と私は職員の注意を押しのけた。

 

 ジジイが孫と一緒に来ているのだから、何かあれば監督者であるジジイの責任である。他人に迷惑な行為をしているならば、あるいは危険な行為をしているならば、それは職員から注意を受けて当然だけど、裸足で走り回っていることの危険性が私には理解できない。私があまり強い口調で言い放ったので、その職員は呆れ顔で管理室に引き返していった。この会館で遊ぶ子どもを見ていると、幼児が圧倒的に多く、小学1年か2年までの子どもばかりだ。外の遊具での時もそうだったけれど、子ども同士でもなんとなくルールがあるようだ。

 

 今日は、2・26事件の日。写真で見ると寒い日のようだが、決起した将校や兵士は寒くなかっただろうか。わずか、76年前のことでしかない。公園でタンポポを見つけた。もうすぐ春なのかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛し合い方は学習するもの

2012年02月25日 19時20分26秒 | Weblog

 久し振りに2歳7ヶ月になる孫娘が、高校2年の孫娘と一緒にやってきた。高校2年の孫娘は学年最後の試験期間中で、母親は夜勤明けなのでぐっすり寝させてあげたいし、自分も試験勉強をしたいから面倒をみて欲しいと言う。高校生の孫娘は大人っぽくなってきた。下の孫娘はますます大きくなり、顔付きもパパにそっくりで、さすがに音楽好きの血を受けて、歌うことが好きなようだ。私がひな祭りの歌を歌ってやると、自分で歌うからと自己主張もしっかりしている。

 

 好きな色や好きな遊びなど、小さな子にしてはびっくりするほどはっきりしている。ジジ・ババといる時は、高校2年の姉と同じようなつもりでいるけれど、いったん母親に会ってしまうと突端に甘えん坊に早変わりしてしまう。2歳7ヶ月になるのに、まだオッパイを欲しがる。我が家の子どもたちも小さな時、カミさんの実家で面倒を見てもらっていた。「1週間のうちの6日間も預かっているのに土曜の午後に母親が迎えに来ると、すぐにママのところに飛んで行ってしまう」とカミさんの母が嘆いていた。

 

 子どもは母親が一番好きなのだ。誰が安心して甘えられるかをよく知っている。母性愛は本能ではなく、後天的に学ぶものだと言う学者がいるけれど、そんなことを証明するような事件が続いているのは悲しい。わが子であっても、育児放棄をしてしまうケースのほとんどは、子どもの時に可愛がられた経験がないという説もある。子どもを甘やかして育ててはいい子にならないと言うけれど、4歳になるまでは甘やかしてもいいのではないかと思う。大きくなれば、オッパイを欲しがったり指しゃぶりをすることが自然に恥ずかしくなって止めていく。

 

 男が女性に甘えるのも、女が男性を可愛く思うのも、幼児体験の復活なのかも知れない。高校2年の孫娘も夜勤で出かける母親の姿が見えなくなるまで「ママ、ママ」と泣き叫んでいた。でも、姿が見えなくなれば諦めて、ジジ・ババと遊ぶ。人が甘えるのはまだ動物の域にあるように見えるけれど、最も深い信頼関係にある証拠だと思う。人類は協同することで繁栄してきたけれど、甘えられる相手がいなければ協同も生まれなかったのではないかと思う。か細くて折れやすい心を人は持っているのだから。

 

 試験勉強をしていた高校2年の孫娘が、社会や国語の問題を聞いてくる。彼女は決して数学や理科の問題を尋ねることは無い。もうすっかり、私が何なら答えられるかを知り尽くしている。芥川賞の『共喰い』の主人公は、17歳で1つ学年の上の女生徒とセックスしている。私たちの時代では考えられなかったことだと書こうとして、いや、私が知らないだけでそういう奴はいたかも知れないと思った。高校時代の自分を振り返ってみても、そうした欲望が無いわけではなかった。ただ、恐かった。

 

 高校生の孫娘も、まだ幼児の孫娘も、いつかは好きな人が出来て、愛し合うようになるだろう。そう思うと不思議な気がする。そんな風に、誰が教えたわけではないのに人を好きになるのに、愛し合い方は本能ではなく、学習するものだとは知らなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肝心なことは多くの人が納得できること

2012年02月24日 19時52分34秒 | Weblog

 作家の塩野七生さんが、古代ローマの共和政時代に存在した独裁官のことを書いていた。そんな記事を載せているのは朝日新聞だろうと思って、この何日間を調べてみたが無い。中日新聞の間違いだったのかと思って、同じように古新聞を眺めてみたけれど、やはり見当たらない。無いものは仕方がない、そう諦めて、もう一度『共喰い』を読んでみようかと思い、文芸春秋3月号を寝転んで見ていた。ところがそこに、私が気になっていた塩野七生さんの記事はあった。

 

 新聞に載っていたとばかり思い込んでいたのだ。このところ、そういうことが多くなった。「ホントに勝手に思い込むんだから」とカミさんに注意される。マンションの改修工事について、組長さんが集まる会議で「工事が承認された」という議事録が回覧された。それを見た人たちは、1千万円かけた大工事が行われると抗議の集会を持った。組長のひとりである私は、「プランも金額も決まっていない。どういう工事にするかはこれからみんなで決めていくことで、会議では工事を行うことを了承しただけ」と説明しても、カミさんらは「あなたの思い込みだ」と言う。

 

 執行する側の説明がキチンとされないので、誤解を生むことが多いし、逆に執行する側が説明をあいまいにして強行してしまうことも多い。マンションの住民も、政治の流れを敏感に感じ取っていて、政府が国民をだまして強行するように、自分たちにいい加減なことを言って、役員は業者の言いなりに工事をしてしまうのではないか、そんな空気が読める。政治不信はこんなところにもあるのだ。

 

 塩野七生さんが取り上げていた独裁官は強大な権限を持ち、その決定には誰も反対できない。目前の課題というか危機からの脱出するだけが任務で、任期は6ヶ月だという。任期の終了後はただの人となり、政治は選挙で選ばれた執行官に戻る。古代ローマ時代から、人間はいろいろと悩み、その解決策を考えてきたようだ。そして今、民主主義という「思想と制度」を手に入れた。ところが、世界の主な国はなかなか何も決められないと事態にぶち当たっている。多様な意見は、強力な政策を押し進めることを阻害している。

 

 政治がもたもたしていると、国民はイライラして、早く強力なリーダーが決めてくれないかと願ってしまう。それが大阪市の橋下市長へのラブコールだろう。個人の思想信条さえも調査しようとする治安維持法的発想の人なのに、何もしない政治よりはマシと思われている。たとえ6ヶ月の期限付きであっても、実際には橋下市長は4年間は居座るつもりだが、ひとりの人間に権力を集中させる政治はごめんだ。もたもたしていてもいいじゃーないか、みんなでボチボチ進めれればそれでいい。そういう思想を持たないといけないだろう。

 

 マンションでも早く決着をつけてしまいたいと思う人は大勢いる。私は気が長いから、そんなに慌てて決めなくてもいいと思っている。肝心なことは、ひとりでも多くの人が納得できることだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川賞作品『共喰い』

2012年02月23日 21時24分47秒 | Weblog

 なじみの書店に立ち寄ってみたけれど、店主は不在だった。女店員に今年の芥川賞作品の話をしていて、「単行本が出たら買おうと思う」と話すと、「皆さん、文芸春秋を買って行かれますよ。値段も安いし、選考委員の言葉も載っていますし」と言う。単行本を買えば作者に印税が入るからと思っていたけれど、文芸春秋を買う人が多ければ出版会社の依頼が増えることは間違いない。「そうか、その方が作者にとってはよいのかも知れないね」。それで、雑誌の文芸春秋3月号を買うことにした。

 

 すると、女店員の隣の、これまでに見たことのないもうひとりの女店員が、私が買ったもう1冊の単行本を指して、「カバーはどう致しますか?」と聞く。「ええ、お願いします」と答える。まだ働き始めて間がないのか、とてもぎこちなかった。50歳前後のキレイな女性だが、カバーを折る指は真っ赤でいかにも水仕事で傷めている様だった。彼女も指先を見つめる私の視線を気にしたせいか、慣れないためか、モタモタして時間がかかり、折り目がピッタリしない、だらしないカバーになった。

 

 色白で、私の好きなタイプの女性だったのに、なぜか惹かれなかった。指がアカギレで痛々しいこともあるが、心にときめくものを感じなかった。全体から受ける印象は痛々しく貧相だった。貧相で痛々しいのも、一種のエロっぽさだけれど、彼女は何か足りなかった。女性は70歳や80歳になっても、どこか色っぽいところのある人がいるが、彼女は自分の魅力を自ら放棄してしまっている。周りの男が彼女の魅力に蓋をしてしまったのだろうか。

 

 そんなことを思い返しながら、文芸春秋3月号の芥川賞作品を読んだ。円城さんの『道化師の蝶』は最初の1ページを読んで、ダメだ、分からないと手を上げた。受賞の知らせを受けた時や、授賞式の時の奇怪さで話題の人になっていた田中さんの『共喰い』は、小説らしい作品で読みやすかった。作家の高橋源一郎さんが原発をどんな風に書いているのかと思い、『恋する原発』を買って来たけれど、アダルトビデオの監督がしゃべっているのだけれど、何だかよく分からない。脈絡が読めないのだ。そうした実験的な小説と比べると『共喰い』は分かりやすい。

 

 川が海に注ぎこむ小さな町に住む、ちょっと変わった家庭の高校生が主人公である。母は右手が義手で、魚屋を営んでいる。父はどんな仕事をしている人は分からない。父は右手のない母を差別することなく嫁に迎えたが、まぐあいの時に相手を殴ったり締めたりする性癖の持ち主で、そのため母は家を出た。父は後妻を家に入れたけれど、他にも女がいた。そして悲しいことに性癖は度し難いものだった。主人公もまた欲望を抑えきれず、嫌がるガールフレンドとの最中に首を絞めてしまい、父と同じ血が流れていることを知る。

 

 結末は母が父を殺してしまう。そこが私には合点がいかない。なぜ母は父を殺したのか、確かにそれで父による被害者は出ないだろうけれど、じゃあ、息子は加害者になることはないのだろうか。血は争えないというけれど、時代や環境や教育で変わっていくものだ。作者は何を描きたかったのだろう。宿命は変えられないけれど、運命は変えられると誰かが言っていた。父と母と、その子どもはどのように親を乗り越えることが出来るのか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊かなのに貧しい

2012年02月22日 17時56分39秒 | Weblog

 ラオスへ20日間旅してきた友人が帰国した。ゆったりと流れるメコン川の岸辺のレストランで、それはエアコンの効いた素敵な店ではなく、虫が飛び交うような田舎の食堂で、ビールを飲みながら雄大な川の流れを見ていた時の話である。ふと、目をやると、対岸にも集落があり行き交う人々の姿があった。しかし、対岸は別の国である。わずかな距離しかないのに、川を挟んで別の国が存在することを始めて意識したと言う。

 

 都会は日本と変わらないような生活に見える。けれども都会を離れたなら、そこはもう日本の田舎とは全く違う、大昔に近い生活だそうだ。「やっぱり日本はいいね」と感慨深く言う。すると別の友人が「ラオスの方がいいじゃーないの。日本は四季があるから、寒い時にはコートも要るし、暖房だって必要だが、ラオスじゃー、そういう心配は必要ないでしょう」と言う。「ああ、家は高床式で、トイレもないけれど、だから困るというわけではみたい」と答える。

 

 埼玉のアパートで、60代の男女と30代の男性の死体が発見された。死亡は約2ヶ月前で、死因は餓死だという。3人は親子ではないかと言われているが、未だに身元の確認も出来ていない。おそらくラオスでは、餓死する人はいないのではないか。手を伸ばせば、森には果物があり、川には魚がいる。けれども友人は「ラオスも都市に人が集まって来ているし、生活様式も変化している」と教えてくれた。

 

 農業や漁業や牧畜で暮らしていた頃は、自然に大きな変化がなければ何とか食べていくことが出来ただろう。食糧を蓄える技術を開発してきたけれど、それでも限界はあった。食糧を奪うために戦争を繰り返した。川や山を国境にして、他国からの侵入を防いできた。産業革命以後、人々は多くの富を手に入れることが出来た。自然の変化に屈しない社会を築いてきた。私が子どもの頃に言われていたのは、「生産力が高まれば、人は少ない労働で暮らしていけるようになる。人間は初めて時間を自分のものにする」というユートピアだった。

 

 こんなにも豊かな社会になったのに、都会の真ん中で餓死する人がいる。自殺する人は年間3万人もいて、少しも減っていかない。秋葉原の無差別殺人のような、理由なき殺戮が起きている。物価が下がって生活は楽なのに、これでは経済活動が下火になるからと、インフレ政策に躍起になっている。物は充分足りているのだから、購買力は上がらない気がするが、どうしてそんなに右肩上がりでなくてはいけないのだろう。

 

 南太平洋の小さな島の人々は、文明が島にやってきて、全く生活が変わった。生活が変われば、価値観も変わり、生き方も変わる。みんなで漁に出るよりも、手っ取り早くお金が手に入ることに重きが置かれ、若者は島を去って行った。ラオスでもベトナムでもカンボジアでも、都会にはビルが建ち、娯楽が溢れ、贅沢を競うようになった。人間はどこでもやはり同じことを繰り返す。

 

 いつしかラオスの都会でも、職を失い餓死する人が出るのだろう。手を伸ばせば食べることには困らなかった地域も、目の前の果樹園の果物は輸出用で、食べれば犯罪者になってしまう。豊かなのに貧しい。なぜなのだろう。どこで間違ってしまったのだろう。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公園からトイレがなくなる

2012年02月21日 21時32分14秒 | Weblog

 公園からトイレが撤去される。理由は維持管理にお金がかかるからだという。公園の管理は市が行っている。樹木の剪定や庭・トイレの清掃は市のシルバー人材センターに委嘱している。市は財政が厳しいというので、保育園の統廃合を計画しているが、そうした動きの一環として公園のトイレを撤去しようというものらしい。外回りの仕事をしていた時、急に用便がしたくなって困ったことがあったが、公園を目指せば必ずトイレがあるから助かった。それが撤去となると、子どもたちはもちろん外回りの人も困ることなる。

 

 昔のように、雑木林や鎮守の森がそこかしこにあれば、男の子は平気で用を足すことが出来た。しかし今、電信柱に向かって小便をする姿など見たことがない。遊び場は公園に限られてきたし、何よりも公園にはトイレもあって安心できる。キレイな公園はトイレもキレイだ。昔に比べれば、トイレの使い方は随分よくなったと思う。公園を造って欲しいという要求は多いが、いざ造るとなると、不良が集まるとか花火をするとかアベックが来るとか、どうしてこんなことが心配なのかと思うくらいいろんな不安材料を並べる人がいる。

 

 緑の多い都市を唱えながら、街路樹の落ち葉が家の中に落ちてくるとか、落ち葉で足を滑らせたら危険だとか、苦情が来ると市はまだ紅葉もしていないうちに枝を切り落としてしまう。冬にもならないうちから街路樹は丸裸でなんとも情けない。公園に井戸を掘って、災害の時に使えるようにしようと提案しても、手押しポンプを見たことのない若いお母さんから、「子どもが怪我をしたら保証してくれるのですか」と詰問されて、市は困惑している。公園に不良たちがたむろするようにならないかと心配する人もいる。公園を緑の森にしたなら、樹木の陰に隠れて淫行をするかもしれないとまで言う。

 

 いったい何が大事なのだろうかと耳を疑ってしまう。自分以外の人間はそんなにも信用出来ないないのかと思ってしまう。いや、あなた自身がそうしてしまう恐れのある人なのではないのかと思う。公園を造って欲しい、緑いっぱいの街にしてほしい。人はそう言いながら、どうしてそんなに否定的なことばかり考えるのだろう。公園がない方が安全で安心なら、公園など望むのはやめた方がいい。でも、公園の多い緑豊かな市を望むなら、それをどうやって実現していくか、積極的に考えていくべきだろう。

 

 行政の基本的な姿勢は、昔から何事もなくである。行政が批判を受けるような事態を招かないことが行政の仕事の目的と錯覚している。面倒なことになりそうなことには積極的な関与はしない。けれど、市民が一生懸命になって動き出せば、行政は逆な意味で批判を受けることになるから、我が身に火の粉が降りかからないように、務めを果たしてくれる。行政を動かすのは市民である。文句だけ言っていても、行政は変わらない。行政も市民との協同という言葉を使うようになったが、必ずしもその中身は協同とは言いがたい。市民が主役というよりも行政の下請けになっているからだ。

 

 公園のトイレの撤去は、市民と市の協同の意味を問うひとつのチャンスではないだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲しい現実

2012年02月20日 21時53分51秒 | Weblog

 公務員や議員の数は多過ぎる、給与・報酬は高過ぎる。そんな批判が渦巻いている。首長や議員の選挙でこう主張しない者は当選できないくらいだ。だから、大阪市の橋下市長率いる「大阪維新の会」などの政策が拍手で歓迎されているのだろう。既成の政治への不満が大きいことは間違いない。私も、公務員と議員の数は多すぎると思うし、受け取る金額も多過ぎると思う。けれども、名古屋市の河村市長率いる「減税日本」の議員は、「議員の報酬を少なくしてはやっていけない」と言っている。

 

 アホかいな!と言いたい。当選するためには議員報酬の減額を主張し、当選したらやっぱり減額は無理と言うのは詐欺だ。民主党も減税日本も次の選挙では大幅に議席を減らすだろう。有権者を馬鹿にしていたら、ひどい目にあうのが当然でなくてはならない。しかし、そうなるのは新参の議員であることが多い。もっと困ったことは地域の利益のために働く議員は生き残るということだ。主張する議員よりも地域に利益をもたらす議員が歓迎されているのが現実だ。これは有権者が悪いのだが、地域エゴが政治を食い物にしている現実を明らかにして、有権者を地域エゴから決別させようとしない議員や首長も悪い。

 

 民主主義が根を張るためには、地域における政治や議員のあり方から変えていくことが必要だろう。名古屋市の減税日本の議員たちは、これまでの保守系の議員と同じことをしている。立派な事務所を構え、秘書を雇い、地域周りをしている。そうなれば当然、年収8百万では厳しいだろう。しかし、それをやり遂げなければ、市民は誰も、この人に投票してよかったとは思わない。政治を変えようと主張したから賛同したのに、議員になったら主張が変わるようなら、議員に対する不信だけでなく、政治そのものが信頼できなくなる。

 

 日本は議員の数も公務員の数も多いことは確かだ。けれど、議員を減らしたところで何も変わらないだろう。むしろ特権的な議員を作ることにならないかと懸念さえ生まれる。私たちはどういうわけか、議員を腹では馬鹿にしながらも、エライ人だと思っているところがある。数が少なければ、議員は自らエライ人になったように思ってしまうだろう。公務員も、江戸そして明治からの役人たちが頑張ってきたこともあって、役人自らが「行政を進めている」意識は強いものがある。

 

 公務員や議員の賃金はいくらが妥当かと言われても金額に絶対的な根拠はない。現在の賃金体系もおおむねこんなものでどうでしょうというものでしかない。商品の価格が下がれば、商品をつくる側の受け取り分は下がる。しかし、公務員も議員も税金で食っているので変わらない。税収が落ち込めば賃金も下がるかと言えば、下がるのは世間から多すぎると批判されるからだ。私が「公務員も議員も、自治体住民の平均賃金でいい」と言うと、行政から「それでは立派な人材が集まらない」と批判された。「公務員も議員も市民のために奉仕するという志のある人なのだから、受け取るお金に左右されるような人ではないはずだ」と言っても分かってはもらえなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする