昨夜は終ってみれば、日付が変わっていた。今日は夏休みの最後の日、子どもたちは明日が日曜日ならもう1日遊べるのにと思っていることだろう。私の娘ふたりは学校が好きで、1日も早く学校へ行きたがっていたけれど、私は毎年、明日から学校が始ると思うと憂鬱だった。宿題を早めにやっておこうとか、毎日キチンとやろうとか、毎年反省し決意し直すのだが、結果は同じで夏休みの最後は身動きが取れなかった。
同じ過ちを繰り返す自分がいやになって、中学3年の時、クラス長だったのに宿題はやらないと決めた。2学期が始まった。クラス担任に「宿題は出せません」と言った。血の気の多い担任ですぐにカッとなるから、ぶん殴られるかと思ったら、「そうか」と言っただけで何も叱られなかった。もちろん、恥ずかしいことだったからクラスの友だちにも「宿題が出せない」とは言わず、黙ったままだった。
今朝、その中学3年の同級生から電話があり、「11月9日にクラス会をやることに決めた」と言い、わざわざ知らせたのは「アンタはウチラの親分だから、絶対に来てもらわなきゃーいかんでね」と言う。担任は亡くなったけれど、いまだにクラスの結束は強く、クラス会は続いている。担任が鉄筆でガリガリ書いて印刷し製本したクラス誌『麦の歌』の第1号の復刻版も作ったから、先に配った第3号と第1号を持っていくと約束した。
今日の中日新聞の生活蘭に、タレントでエッセイストの小島恵子さんが『家族のこと話そう』で、彼女とお母さんのことを書いていた。その下の投稿蘭には山鳥を食べた話、また隣りの蘭には渥美由喜さんの「女みこしで出世しよう」があり、どれも何か胸を打つようなものだった。ふと、長女の家庭は新聞を購読していないけれど、ニュースなどはどうでもいいが、こういう何か胸を打つような文章に出会わなくていいのだろうかと思ってしまった。
クラス誌を今更復刻して何になるの?と言う人もいるけれど、見ないよりも見た方が、何か思うことがあるかも知れない。昨夜のバカ話だって、酒の席の意味の無い話に過ぎないけれど、そういうことがあったことは思い出になる。思い出をつまらないと思うか、懐かしいと思うか、それはそれぞれが感じることだ。夕方になって、ちょっと元気が出てきた。また、飲み過ぎだったと反省。写真は「誕生日会」の我が家の会場、この机に載り切らないほどの料理が並ぶ。