友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

クラス会の知らせ

2014年08月31日 17時55分53秒 | Weblog

 昨夜は終ってみれば、日付が変わっていた。今日は夏休みの最後の日、子どもたちは明日が日曜日ならもう1日遊べるのにと思っていることだろう。私の娘ふたりは学校が好きで、1日も早く学校へ行きたがっていたけれど、私は毎年、明日から学校が始ると思うと憂鬱だった。宿題を早めにやっておこうとか、毎日キチンとやろうとか、毎年反省し決意し直すのだが、結果は同じで夏休みの最後は身動きが取れなかった。

 同じ過ちを繰り返す自分がいやになって、中学3年の時、クラス長だったのに宿題はやらないと決めた。2学期が始まった。クラス担任に「宿題は出せません」と言った。血の気の多い担任ですぐにカッとなるから、ぶん殴られるかと思ったら、「そうか」と言っただけで何も叱られなかった。もちろん、恥ずかしいことだったからクラスの友だちにも「宿題が出せない」とは言わず、黙ったままだった。

 今朝、その中学3年の同級生から電話があり、「11月9日にクラス会をやることに決めた」と言い、わざわざ知らせたのは「アンタはウチラの親分だから、絶対に来てもらわなきゃーいかんでね」と言う。担任は亡くなったけれど、いまだにクラスの結束は強く、クラス会は続いている。担任が鉄筆でガリガリ書いて印刷し製本したクラス誌『麦の歌』の第1号の復刻版も作ったから、先に配った第3号と第1号を持っていくと約束した。

 今日の中日新聞の生活蘭に、タレントでエッセイストの小島恵子さんが『家族のこと話そう』で、彼女とお母さんのことを書いていた。その下の投稿蘭には山鳥を食べた話、また隣りの蘭には渥美由喜さんの「女みこしで出世しよう」があり、どれも何か胸を打つようなものだった。ふと、長女の家庭は新聞を購読していないけれど、ニュースなどはどうでもいいが、こういう何か胸を打つような文章に出会わなくていいのだろうかと思ってしまった。

 クラス誌を今更復刻して何になるの?と言う人もいるけれど、見ないよりも見た方が、何か思うことがあるかも知れない。昨夜のバカ話だって、酒の席の意味の無い話に過ぎないけれど、そういうことがあったことは思い出になる。思い出をつまらないと思うか、懐かしいと思うか、それはそれぞれが感じることだ。夕方になって、ちょっと元気が出てきた。また、飲み過ぎだったと反省。写真は「誕生日会」の我が家の会場、この机に載り切らないほどの料理が並ぶ。

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市民講座『揺れるウクライナ』

2014年08月29日 19時11分16秒 | Weblog

 明日は大和塾の第37回市民講座『揺れるウクライナ』が開かれる。持って行く物などの準備は整ったけれど、「明日は1時の開会です」と言うと、「えっ、2時じゃーないの」と言われる方がいる。やはりそうか、毎回2時に開会していたので、そう思い込んでいるのだ。人間というのは慣れに弱い。いくら事前にチラシを見て、内容や講師を確認しても、日時や場所は前回と同じと思ってしまう。どのくらいの方が間違いなく来てくれるだろうかと心配になる。

 それにしても、『揺れるウクライナ』には皆さんの関心が高いことに驚かされる。それだけ世界が身近になっているということだろう。私はヨーロッパにはイタリアとスペインしか行ったことがないし、旧ソ連圏の国々は小説や写真で知るくらいの知識しかない。地図で見ると、ロシアの東の端、ルーマニアやスロバキア、ポーランドと接している。ウクライナとルーマニアの間にはモルドバという小さな国もある。

 王政時代のヨーロッパを世界史の地図で見ると、西からポルトガル、スペイン、フランス、イングランド、スコットランド、神聖ローマ帝国(ここからプロイセンが生まれてくる)を挟んで北にデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、東にポーランド、ハンガリー、バルカン半島にオスマン帝国、イタリアの南にナポリの王国があり、ロシアはポーランドよりも東の田舎と思われていた。

 ロシアの文豪たちの作品を読んでも、憧れはフランスで、自分たちのロシアは遅れた国と捉えている。ロシアの王や女王はフランスのものを手に入れることで田舎者から抜け出そうとした。ウクライナは大草原なのか、強力な豪族が生まれなかったからか、支配者が絶えず変わっている。ヨーロッパは白人社会だが、いろんな民族が入り乱れ、小競り合いを繰り返し、これに宗教が加わりさらに複雑になっている。

 今もスコットランドがイギリスから独立する動きがあるし、スペインのカタロニアなども分離独立を訴えている。ヨーロッパの統一が叫ばれる中、小さくなっても構わないから独立したいという地域が各地にあるというのも面白い。どんどん小さな地域社会が国となれば、国そのものがないのに等しい。そうなっていくのだろうなと思う。明日の講座が楽しみだ。それに明日の夜は誕生日会なので、ブログは休みます。

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親の思い、子に届かず

2014年08月28日 18時12分26秒 | Weblog

 ルーフバルコニーにいたら、「チッョン、チッョン」と虫の音が聞こえてきた。雨ばかり続いてスッキリしない夏だと思っていたけれど、昨夜から急に涼しくなった。このまま秋になるのだろうか。カミさんが倉庫で長い間眠っていた、カミさんのお母さんが作った「シソワイン?」を取り出してきて、「こうやって親の思いを子どもは気付かないのね」といやに神妙なことを言う。お母さんがせっかく作って持たせてくれたのに、「そうそうアレがあったわ」と気付いて蓋を開けた時は、表面にびっしりとカビが生えていた。

 「お母さん、ごめんね」と言いながら、「シソワイン」を捨てていた。部屋中にシソとワインの爽やかな甘い匂いが広がった。カミさんのお母さんはマメな人で、梅酒やカリン酒を作って、共働きだった我が家に差し入れてくれた。「シソワイン」は初めての作品で、倉庫の奥に鎮座していたことは私も知っていたが、「何時開けるのか」と気にしていなかった。確かに、カミさんが言うように、親の思いを子どもは汲み取れないものかも知れない。そういうカミさんも退職してから、出来なかった梅酒つくりやジャムつくりに挑んでいる。

 振り返って、私は子どもたちや孫たちに何したのだろうと思う。カミさんのお父さんは、自分がどんな風に生きてきたかをよく話してくれたけれど、私は自分の父からそんな話は聞いたことが無い。父から何か聞いた話はないか、思い出そうとしても何も浮かんでこない。字や絵がうまかったこと、本が好きだったこと、怒ったことが無かったこと、そんなことくらいしか思い出せない。もう少し長生きして一緒にお酒が飲めるようになっていたら、孫の顔を見るまで長生きしていたら、話も出来たのかも知れない。

 昭和一桁生まれの先輩が、「こんなにも世の中が変わるとは思わなかった。私たちのオヤジや祖父の時代、明治維新があり、急速な近代化や大正ロマンを経てきたけれど、私たちとは速度が違う。むしろ、孫たちの方が変化を感じてないのかも知れない。テレビはあり、食べ物は豊富で、何よりも平和だ」と言う。私もまた、戦後のこの時代、この場所、ここで生きてきてよかったと思う。子どもや孫には生きているだけで、それでいいような気がする。

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中立の新聞はあるはずがない

2014年08月27日 18時56分40秒 | Weblog

 「朝日新聞は慰安婦問題を誤報した。絶対に許せない」「新聞は正確、中立でなければいけない」「間違った報道をしていいのか!」と友人は息巻く。間違った報道はダメで、訂正しなければならないし、社説蘭あるいは囲み記事で謝罪するのが一般的だ。私も小さな地域新聞を月2回発行してきたが、間違いが一番恐かった。記事の内容は自信があっても、人の名前を間違えたり、数字を間違えたりしたことがある。

 取材を受けた側はどんな記事が載るのかと期待しているから、間違いがあれば烈火のごとく怒りの電話を受けることになる。「新聞は公器だから、絶対中立」で無ければならないと思っている人は多いが、それはありえない。記事は正確であることはもちろんだが、どの言葉を選ぶかは記者の主観になる。私の場合は地域新聞だから対立するような問題は極稀だったけれど、中立とは右と左の真ん中を意味するが、主観は真ん中にはならないと思っていた。

 囲み記事で『街で一番』を設けていたが、文字通り一番の人もいたが、一番の話題にふさわしいと私の主観で選んだ人もいた。私の場合は月2回の発行だから、2週間の中でトップ記事にふさわしいものを1ページの頭に持ってきれたけれど、毎日発行している新聞では「どうしてこれがトップ記事なの?」というものもある。新聞を過大に評価している読者は、「新聞はおかしいことをする!」と苦言を放つが実はそういうものである。

 大手の新聞は似たり寄ったりの記事が多い。それでも各社はつくり方を工夫しているし、同じ問題を提起していても主張はかなり違う。だから、好きな主張の新聞を購読すればいい。そうすればその新聞は伸びるし、気に入らない新聞は潰れていく。それが本来の新聞の姿だと思う。私は朝日新聞より中日新聞の主張に共感するので、中日新聞を購読している。新聞は偏っているものだと思った方がよく、購読するのはそれを支持・応援することである。

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天候不順が続いている

2014年08月26日 17時54分32秒 | Weblog

 天候不順が続いている。曇っていたかと思うと、太陽が顔を出し、晴れたと思うと、急に暗くなって雨が降り出して来る。私の部屋から伊吹山が見えるけれど、その伊吹山に黒い雲がかかり、冷たい風が吹いて来ると、一気に辺りが暗くなる。ゴロゴロと雷が鳴り、振り出した雨は瞬く間に大粒なものへと変わっていく。天候不順のせいではないだろうが、なぜだか落ち込んでいる。

 広島市の土砂災害ではまだ遺体の捜索が続いている。亡くなった人や行方不明の人に高齢者が多いのは、逃げ遅れたというより1戸建ての住宅が多いためだろう。住宅から南を見れば、眼下に家々が建ち並び、はるか向こうには瀬戸内海も見えたのかも知れない。運、不運は人にはつきもの、諦めるしかないというものの、自分がその立場なら悔しくてならないだろう。そんな悲惨な現場に、空き巣が横行しているという。しかも警察を名乗って非難させ、その隙に家の中に入り込むようだ。

 土壇場の苦しい時、日本人は痛みを分け合い、助け合う心の美しい人たちと、東北大震災の時に世界中が絶賛してくれたのに、やっぱり悪い奴はいるようだ。今朝のフジテレビ『特ダネ』で、中国の電車の中の出来事を取り上げていた。外国人らしい男性が突然、隣りの女性に寄りかかった。女性はビックリして席を立つが、男性はそのまま床にひっくり返り動かない。すると周りはパニックになり、電車が駅に着くといっせいに車内からホームへ駆け出して行った。

 ツイッターで、中国人は思いやりがないとか、なぜ倒れた人を助けないかと、非難が集中したと報じていた。実際、その後どうなったのか分からないが、エボラ出血熱が報じられていたりすれば日本人でも近づかないだろう。たとえ、どんな状況にあっても救いの手を差し出すべきだと私は思うけれど、そうしたリスクが存在する以上、へっぴり腰になるのも仕方ない。こういう時こそ高齢者の出番なのにと私は思う。

 他人を非難するなら助ける側に立つべきだ。助けないなら自分を恥じるべきだろう。そんなことを叫んでも仕方ないが、そう生きていきたいと思う。

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若者たちの夏

2014年08月25日 18時39分22秒 | Weblog

 夏の甲子園大会の決勝戦はやはり逆転劇だった。見る方はハラハラしたけれど、プレーしている選手たちは本当に野球を楽しんでいるようだった。勝っても負けても涙が溢れてくるのは、その満足感からだろう。仙台に住む次女から、「甲子園終ったね。これからどうするの?」とメールが来た。生まれてまだ3ヶ月半の孫娘は、予防接種を右腕に2本、左腕に2本、そしてワクチンを1本飲んだところ翌日は38度の高熱を出したともある。

 仙台市は一度にそんなにやるの?虐待じゃーないの!とカミさんは怒っていたが、平熱に戻った孫娘が画面の向こうで「バブ、バブ」と声を上げているのを見て、盛んに孫娘の名前を呼んであやすような素振りを見せている。何事も無ければそれでよいのかも知れないが、田舎者の私たちにはビックリである。子どもの医療費を無償にしている自治体は多いけれど、だからと言って余りにもぞんざいな扱いではないかと思う。

 粗雑と言えば、最近の駅のプラットホームには駅員さんの姿が無い。この前も中学生くらいの男の子と女の子のカップルが、扉が閉まる寸前に乗り込んで来た。手にしていたチケットを見ると、大和郡山とあるから近鉄でやって来たのだ。電車がどこへ行くのか、盛んに周りを眺めて気にしていた。おせっかいだなと思いながらも、「どこまで行くの?」と聞いてみた。男の子が「犬山です」と言うので、「それなら大丈夫。これで行けるよ」と話すと、「ありがとうございます」と答える。

 「次の駅で、特急か急行に乗り換えた方が早く着けるけど、このまま乗って行ってもそんなに時間は変わらないし、多分すぐに席が空くから座って行けると思うよ」と私が話すと、男の子は少しリラックスして、「ええ、前にも来ましたから」と言う。女の子は終始黙ったまま男の子の腕にきつくしがみついていた。中学生の「恋の逃避行か」などと思いながら、「じゃー気をつけて」と分かれたけれど、何となく羨ましい気持ちだった。

 甲子園の子どもたちも、一生懸命で生きている。プレーする子も応援する子も、試合を口実にデートで来ている子も、みんな輝いている。若いって、それだけで素晴しい。そんな時代があったのだとテレビを見ながら思ってしまった。

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感動を与えてくれるもの

2014年08月24日 17時44分30秒 | Weblog

 昨日、大和塾の仲間と書展を見に行った。日展の書の部は文字が読めなくて足早に回ってしまう。書は白い紙に黒い墨で文字を書くだけの作品だが、その黒と白との絶妙なコントラスト、白の空間と黒の位置、そして文字の持つ魅力など、見ていて感心させられるから、「芸術」と言い切れる。感動を与えてくれるものを芸術と規定していい。風景や花や動植物にも人は感動する。そうした時は「芸術的」と呼び、人の作り出したものと区別している。

 私たちが見に行った書展は、日展の書と異なり、言ってみれば「遊び」の作品だ。文字の意味を形や配置や色合いで表現しているから、見る側に分かりやすいし、「なるほどねー」と感心し、興味深く鑑賞できる。墨でも真っ黒なものと灰色のものとある。灰色のものは墨の原料が違うということも教えてもらった。漢字はものの形をデザインしたものやそれを組み合わせた作ったものが多いから、自由な書の表現がしやすいのかも知れない。

 美術館を出ると外は雨だった。地域の最後の夏祭り日、子どもたちはさぞガッカリしていることだろう。ところが午後からは晴れ間があり、にぎやかな盆踊りの曲がボリュームいっぱいに流される。マンションの子どもたちも浴衣姿で出かけて行った。それなのに無情にも雨が降り出して、それでも小雨のうちは円を作って踊っていた。プロの歌手も来て歌ってもいた。雨は相変わらず降ったり止んだりしていて、いつの間にか大音響も消えていた。

 今日、甲子園大会は準決勝戦。午前中の試合は曇り空で時々日が差していたのに、午後からの試合は雨が降って気の毒だった。試合は、1回の表でいきなり5点を先取したから、もう決まったようなものだと思った。ところがその裏、先頭打者がホームランを打ち、打撃戦になってしまった。終ってみれば15点対9点、12安打対15安打、ホームラン5本という壮絶な試合だった。何が勝敗を分けたのだろう。負けた方の投手は2年生で、先輩に申し訳ないとばかりに泣いていた。

 感動を与えてくれるスポーツの試合は、人が意図して作り出したものではないから「芸術」とは呼ばないが、気持ちを昇華させてくれる。明日は、三重高校と大阪桐蔭との決勝戦だが、どんな展開になるのだろう。

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シェイクスピア時代の流行歌

2014年08月23日 18時20分08秒 | Weblog

 長女のダンナの姉がリサイタルを開いた。彼女がリサイタルを開くのは2度目で、前回のような硬さが取れて、伸び伸びと歌っていた。会場が100人収容という小さなところだったことと、何よりも伴奏がリェートだったのが良かったと思った。彼女は教育大の音楽科を卒業し、小学校で教師をした後、特別支援学校に勤めている。昨日も彼女を慕う子どもたちが大勢来ていた。オペラ歌手のような声量には欠けるけれど、バロック風の歌唱には向いているようだ。

 シェイクスピアの時代に人気の高かったリュート奏者ジョン・ダウランドの作品が歌われたのだが、私自身は初めて聞くものばかりだった。一緒に行った友だちはリュートの音色が大好きで、昨年ワシントンへ行った時もわざわざ演奏会に足を運んだと言う。けれどもその時は余りいい席ではなかったので、「今日は楽しみにしている」と話す。彼がどんな風にこのリサイタルを感じたのか、また機会があれば聞いてみたい。

 リュートを奏でながら歌う姿は中世の風景画にも出てくる。彼女は全ての曲を英語で歌ったので、英語力の無い私は、初めはスライドで映される日本語の歌詞を読むより、耳で聞き取ろうと努力した。けれども曲の感じはどれもよく似ていて、何を歌っているのだろうかと歌詞の方が気になった。解説を聞いて分かったことだが、歌の主題は「恋」で、「太陽は輝くのに、あなたは振り向いてもくれない。まるで漆黒の闇にいるようだ」など、想いが届かずに嘆き悲しむものが多いそうだ。

 シェイクスピアの時代は、スペインが力を失いイギリスが勢力を強めていく。貴族たちが権勢を極めていく時代でもある。その貴族たちの間で流行ったのがリュート演奏で歌う恋の歌のようだ。日本でも平安時代から貴族だけでなく庶民の間に言葉に抑揚をつけた「今様」が歌われている。おそらくこれは私の勝手な推測だが、歌は世界中どこでも歌われ、流行があったであろう。人はそんな風に、想いを伝えたり、社会を批判したり、人生とは何かまでも言葉にして考えたのだろう。

 時代とその社会が抱えていたものを歌は常に表していくのだろう。日本の民謡も調べてみれば面白いと思うが、ストレートな恋の歌はないような気がする。こんなところにも民族性というか、人々が経てきた歴史が土壌となっているように思う。今日は土曜日、最後の夏祭りなのか、民謡が聞こえてくる。そうか、もう8月も残り1週間しかない。

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期待どおりにいかない

2014年08月22日 13時50分50秒 | Weblog

 期待していたことが、何かの都合で実現できなくなれば、誰もがかなり落ち込む。夏の甲子園大会も今日は準々決勝戦、勝たしてあげたいチーム、きっと勝つだろうチーム、どこのチームが勝ってもおかしくないが、一方が勝てばもう片方は負ける。スポーツの試合だから勝敗がつくのは仕方ないのに、期待していたことがそうならないと、「やっぱりダメか」と思ってしまう。

 広島の土砂崩れで、「死者・行方不明者90人」と報じられていた。そんなに高い山ではないが、裾野から山際まで宅地開発された土地に家々が建ち並んでいる。この地は過去にも何度か土砂崩れが起きていて、宅地開発には適していないとも言われてきたそうだ。市街地に比べれば土地の値段が安かったのだろう。家を求める人には程よい物件だったらしい。

 私が住む街にも、都市型洪水の度に水に浸かる区域がある。農業に適さない土地だったので、農家は宅地業者に売った。この辺りなら1区画40坪平均のところ、この土地は100坪平均で売られた。従って高収入の人たちが終の棲家として家を建てた。ところが想定外の大雨の度に水没し、今では1メートル以上かさ上げして家が建てられている。

 土地を売った農家の人は、「あんな土地によく住む気になる」と言うが、宅地業者のパンフレットはまるで夢のようなニュータウンとある。大雨は自然のことだから止めようがないが、土砂崩れや都市型洪水のよる被害は、出来る限り小さくすることならできる。長い目でと言いながら、目先の欲に流されるのが人の常のようだ。期待して移り住んだのに、どうしたらよいかと考え込んでいることだろう。

 よく、分からないのはタイの代理出産で20人近い子どもを産ませた男だ。「大丈夫、自分には子どもたちを育てる財産がある」と言っているそうだ。20人の代理出産の費用だけでも2千万から3千万円要るというのに、週刊誌の広告見出しには1千人の子どもを作る計画だったとある。子どもは男と女の愛の結晶でなければならない。男は財産家かも知れないが、人としての愛を持ち合わせていない。

 男は期待した通りに進まなくて、ガッカリしているだろうか。イヤきっとそうではあるまい。金の使い道を間違えたかとくらいにしか思っていないだろう。期待通りにならなくて、ガッカリしている高校球児たちの方がはるかに爽やかだ。甲子園よ、もっと爽やかな風を呼べ。

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孫娘の愚痴

2014年08月21日 18時12分42秒 | Weblog

 久しぶりに大学生の孫娘がやってきた。「聞いて欲しい話がある」といきなり切り出すから一瞬、家庭のことかと胸騒ぎが走る。「どうしてこうなっちゃうのだろう」と話し出したのは、友だちとの関係のことだった。仲良しの6人で北陸の海に遊びに行こうということになった。そうなっても計画を立てたり、宿を確保したり、連絡をしたり、そうした役割を引き受ける人はいないので、いつも孫娘が担うことになるそうだ。

 それで、日取りや宿、行き方などを決めて、5人にラインで連絡をする。すると3人からはOKの返事があったけれど、2人から来ない。いつものことだと思いつつもキャンセルの期限があるのにと気にしていた。1人から「カネ無いから行かない」とメールが来る。残る1人に連絡するが返事がない。やっと連絡がついたけれど、体調が良くないと言うだけで行くとも行かないともハッキリしない。

 キャンセル期限が1日過ぎて、「やっぱり行かない」と連絡が入る。申し込んだ旅行会社にキャンセルしたいと言うと、「1人分のキャンセルは出来ないので5人分キャンセルして、後は直接ホテルに申し込んで」と言われた。1人分のキャンセル料は仕方ないと思っていたが、5人分となると1万500円の金額になる。そのことを再びメールでみんなに伝えた。すると、「行かない」と最後に言ってきた友だちがキレた。「私のせいでみんなに迷惑をかけるなら、体調が悪くても行くしかない」と。

 孫娘は「みんなに迷惑をかけてはいない。私も旅行会社としっかり詰めておかなかった責任がある。あなたはキャンセル料のうちの当初の料金7500円を払い、残りの3千円は私が負担する」とメールを送るが見てももらえない。そして昨夜、もう1人の行かない友だちから、キレた友だちが「明日会って、愚痴を聞いて」とメールが来たと連絡が入る。「えっ、どうして、何でこうなるの。私はみんなのために一生懸命にやってるのに、どうして悪口を言われなくちゃーならんの」。孫娘は悲しい顔をして話し続ける。

 それからしばらくして、孫娘のケイタイにキレた友だちから「電話できる?」とメールが来た。どうしょう‥と言いながら、早速電話をしていた。30分の長電話だ。「旅行のことは一切無かった。でも、話が出来てスッキリした」と笑う。それでいい。これから、そういうことがいっぱい起きる。でも、他人を傷つけないことが一番大事。人に優しく、自分に厳しく。

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