友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自然に寄り添うようにしています

2014年06月30日 17時44分10秒 | Weblog

 昨日、樹木医に会った。私が住むマンションは、32歳の時に引っ越してきたから、築38年になる。マンションの敷地内には多くの樹木が植えてあるが、長い年月が重なり、枯れ始めた樹木もある。伐採すべき樹木や残しておくための方法などを聞き、自治会に伝えるためである。「時間があるから、見ましょう」と言ってくれたので、ふたりで敷地内を見て回った。

 「素晴しいですね。邪魔されなかったので自然に育ったんです。立派な姿ですよ」と樹木医はマンションの桜を観て感心していた。子どもたちの遊び場になっている広場の横の築山の中に入ると、樹木が茂り地面にはわずかな光しか届いていない。まるで森の中にいるような錯覚に陥る。「ここもいいですね。樹液を出すクヌギやコナラがあればカブトムシなどの昆虫も集まりますが、そういう樹は見当たりませんね。下草が生えないと大雨で土が流れ出してしまいます」と心配する。

 「ええ、出来る限り、この状態を維持したいと私は願っています。マンションの住民の中には鳥が来て喧しいとか、雑草だらけでみっともないと言われる人もいますが、都会の中に小さな森があるっていいと思いませんか」と話す。彼はサラリーマンだったけれど、やりたいことがあるからと子どもが成人したのを機会に樹木医になったと言う。「樹木は面白いですよ。自分から枯れ枝を作って形を整えていくんです」。植物だって生き残る方法を知っていると話してくれた。

 なんだかとても気が合って、いい人に出会えたと思った。日本の寺院の庭園は、常でない、無常を現している。仏教の思想を庭で表現している。季節が変わるように万物は流転する。それを「哀れ」と受け止めるか、「真理」と受け止めるか、庭を見て考えるというのは凄いと思う。学生の頃、映画『昨年マリエンバードで』を観て、初めて西洋庭園が幾何学模様で設計されていることを知った。スケールも大きかったけれど、どこから見ても完成された庭だった。

 日本ではあんなに大きな庭園はないだろうけれど、たとえば三保の松原から見た富士のように「借景」という考え方もある。庭師さんは、時の移ろいを頭において鋏を入れると本にあった。日本の庭には完成はなく、どこまで続くのか分からないという考え方も面白い。「自然のままでもなく、自然に寄り添うようにしています」と樹木医は言う。

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ピノキオ人形

2014年06月29日 17時38分12秒 | Weblog

 5歳になる孫娘はピノキオがお気に入りで、我が家に来た時は必ず手にしている。「お部屋の中では靴を脱ぎましょう」となどと言い、接着してある黒の靴を脱がせてしまう。人形がどういう構造になっているのかも気になるようで、首を曲げたり腰を折ったりしている。そんなに腕を回したら両腕をつなぐゴム糸が切れてしまうと思いながら見ていたら、案の定、ピノキオの左手が取れてしまった。

 一瞬、アレッ、しまったという顔をしたけれど、慌てる様子もなく、取れてしまった左腕をなめていた。長女から「何でも口に入れてはダメでしょう」と注意が飛ぶと、頃合いを見計らって壊れたピノキオを私のところへ持って来た。「ごめんなさい」ではなく、ぶっきら棒に「これ」と口を尖らしてピノキオを突き出す。私は軽くうなずいて受け取り、「分かった。パパちゃんが治してあげる」と無言で伝えた。

 子どもは大人の様子をよく見ている。誰のところにいけばどうしてくれるか、自然と観察しているようだ。それに5歳になる孫娘はかなり頑固で、叱られても決して謝らない。女の子としての可愛さに欠けるように見えるけれど、そこはちゃんと計算できているようなところもある。カミさんが5歳の孫娘用の箸とホークとスプーンを並べた時、「大人と一緒でいい」と言い張る。来年は6歳になるから(翌年なのだが)「学校へ行って勉強する」そうだ。

 ピノキオ人形は22年前、友だち家族と初めてイタリアを旅行した時、ピノキオ村へ出かけた友だちが買って来たものだ。ベネチアで彼女が撮ったゴンドラの写真とこのピノキオはイタリア旅行の思い出として居間に飾っておいた。今朝、大事なピノキオの修復に取り掛かった。切れてしまったゴム糸を取り除き、我が家にあった同じようなゴム糸を捜して結びつけ、ボンドで固定してみた。無茶な動かし方をしなければ、これで以前のように遊ぶことは出来るだろう。

 人形を直しながら、自分のことなのに「器用貧乏な奴」と笑ってしまった。すると、物入れの奥に、私が設計して80代の長老がクギを打ってくれたパチンコまがいのゲーム台があることを思い出し、この夏祭りで使えないかと思案していた。この発想もどうも貧乏っぽい。金持ちにはなれない性格のようだ。

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かくれんぼ

2014年06月28日 17時11分34秒 | Weblog

 もうすぐ5歳になる孫娘は微熱が続いている。昨夜も、母親である長女が「仕事で保育園に迎えに行けなくなったから、行って来て」と連絡が入り、カミさんとふたりで迎えに行った。久しぶりといっても1ヶ月くらいのものだが、見る間に大きくなっている。身体が大きくなっただけでなく、振る舞いや言うことも変わってきた。知識もついてきて、ジジババとの会話も大人っぽい。けれど、何となく雰囲気が違う気がして、遊びの中で体温を図ると若干高めだった。

 今朝はまだ熱があるようで、ゴロゴロしていると連絡して来た。その写メで送られてきた寝姿を見たら、長女かと思ったくらいよく似ている。長女も小学校の低学年まではどこか悪いのではないかと思うくらいゴロゴロしていた。運動は好きで走りは早く、ジッとしていることのない活発な子なのに、どうしてかだるそうにしていた。孫娘も母親の血を受けて、小さい時からジャングルジムの天辺まで平気で登っていった。怖いもの知らずのおてんばなのに元気がないのは気にかかる。

 「仕事がしたいから連れて行くね」と長女から連絡があったのに、まだ来ないのは連れてこられないほどの状態ということなのだろうか。「共働きの家庭では食事も満足に食べられないから、ちょっと奮発して美味しいものを食べさせてやろうよ」と提案しておいたけれど、食べることも無理なのだろうか。いや、昨夜だって、「お腹いっぱい」と食欲のない素振りだったのに、それでも私たちと同じくらいは食べていた。もう少しの辛抱だ。小学校の2年生になる頃には、元気になっているだろう。

 おやつの時間の頃、長女がマスクをした5歳になる孫娘を連れて来た。「咳が出て、微熱が続いている」と言う。おやつを食べてしばらく大人しかったけれど、だんだん元気になってきて、部屋中を歩き回り、「ねえ、かくれんぼしよう」と私を指名する。女の子は男の子とかくれんぼするのが好きなようだ。この子くらいの時、かくれんぼで女の子とふたり真っ暗な部屋でジッとしていてなぜかドキドキしたことを覚えている。「早く遊ぼうよ」と求めているので、今日はこれでおしまい。

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「人生はまだまだファンキーだ」

2014年06月27日 18時37分35秒 | Weblog

 フジテレビの『続・最後から2番目の恋』は、昨夜が最終回だった。何と言っても、中井貴一と小泉今日子の掛け合いが抜群に面白かった。中井貴一がこんなにもふざけた役が出来たのは小泉今日子のおかげなのか、いやもともと中井貴一はコミカルな演技ができたが、相手役の小泉今日子に触発されて完成したというべきかと思った。ラストシーンはこれほど上手な演出は観たことがないくらい印象的だった。

 NHKの朝のドラマ『花子とアン』で、主人公役の吉高由里子が酔っ払う演技もよかったけれど、こちらは清純な乙女の可愛らしい酔っ払いだったが、中井と小泉の酔っ払いは人生を生きてきた男と女の駆け引きと本音が交差していて感心した。欧米のドラマなら瞬く間にキスからベッドシーンとなるところだろうが、とても爽やかなシーンで終っている。それなのに、なぜか軽くはなかった。

 脚本も演出も女性だったように思う。セリフはオヤッと思うような気の利いたものがいくつもあった。「大人って寂しすぎると笑っちゃうのよね」とか、「大人って寂しがり屋なのよ」とか、「大人の青春って始末に負えないわね」とか、まだまだあった。ドラマを見ているのは中高年だろうから、そんな人たちの琴線に触れる言葉の使い方がうまい。ドラマの設定がテレビ局のドラマ制作ということもあって、言葉選びに神経が行き届いていたと思う。

 久しぶりに軽やかな気持ちのよいドラマを見たように思う。昨夜のタイトルは「人生まだまだファンキーだ」とあった。妻を亡くして優柔不断に生きている中井と、仕事に燃えて生きてきた小泉と、ふたりが人生を共にするがラストになったわけだから、「人生はイカシテル、格好イイ」と謳歌しているのだろう。ふたりが歌っているものがジャズ風のものなのか、私には分からないが、音楽用語の「ファンキー」が良く使われていたけど、アメリカでは悪臭のするという俗語でもあるらしい。これは、考えすぎか。

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敗北に美学を持ち込む

2014年06月26日 17時22分36秒 | Weblog

 W杯で日本チームは、1勝も出来ず1次リーグ敗退だった。新聞の見出しは「『井の中の蛙』崩れた自負」と手厳しかった(中日新聞)。勝てなかった理由を「この4年間、監督や選手はどんな試合結果にも『ぶれずに理想を追求する』と言い続けてきた。だが、いつしか『ぶれない』ことが目的化」、「理想の下に覆い隠されてきた欠点が本番であぶりだされてしまった」という。

 熱狂的なサッカーファンでも、熱烈なスポーツ大好き人間でもない私は、「負けたものはしょうがない」と思ってしまう。スポーツでも試験でもコンクールでも、何でもそうだけれど、競い合っているのだから負けて嬉しいわけがない。勝ちたいし、合格したいし、トップになりたい。競っている誰でもがそう思っている。

 けれど、そうなれなかった時、どう現実を受け止めるかだ。悔しいという思いが次へのバネになるだろうし、なぜ負けたのかを分析することは次の勝利につながるだろう。当事者はきっとそんな作業に取り掛かっているはずだ。周りは、落ち込まないように気配りするのが日本人の習性で、他の国の人に言わせれば、「敗北に美学を持ち込む」ということなのかも知れない。

 「試合では負けたが、内容では勝っている」とか、「責任の追及はせず、水に流して出直そう」とか、優しいと言えばそれまでだが、どうも曖昧模糊にしてしまう傾向がある。負けた試合の会場のゴミを拾う姿や、勝ったコロンビアの選手が落胆する日本の選手の肩を抱きかかえる姿に「美」を感じてしまうのは私だけではないようだ。

 だからザッケローニ監督が試合後の記者会見で、辞任を表明した潔さに「美」を見た。先日の小椋佳さんのCD『闌』の「顧みれば」という歌がある。その歌詞に「友の支え 女性の救い 出逢いの恵み 数多く 運良く受けて 来たと思う 運命を 満喫したと 思われる今」とある。小椋さん自身の気持ちなのだろうが、同じ年月を生きてきた者の気持ちでもある。やっぱり日本人的な感性だなと思う。

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全国最年少の市長、逮捕される

2014年06月25日 22時55分13秒 | Weblog

 午前中は穏やかな夏日だったから、ルーフバルコニーにテントを張って日差しを遮り、イスを並べてちょっと贅沢な気分を味合うつもりでいた。それなのに、午後になると風が強く吹くので、急いでテントを畳んだ。思い通りにいかないのが人生などと開き直って読みかけの小説を手にする。1ページも進まないうちに睡魔が襲ってくる。今朝は5時前から起きて、W杯の日本対コロンビアの試合を見たから、緊張感を失い眠くなってしまったのだ。

 何が何でも応援すると言うほどのファンではないが、テレビで何度も「明日は早く起きて応援しましょう」と言われてその気になってしまった。そう、私は平均的な日本人だとテレビを見ながら思った。1対1になった時は、ひょっとしたら予選をクリアできるような気になった。しかし、後半は散々だった。これが日本チームの実力なのだろう。他の試合をBS放送でいくつか観たけれど、動きも正確さもかなり違う気がした。

 それでもスポーツだ、やってみなければ分からない。何かがきっかけで、小が大を倒すことになることだってないわけではない。スポーツが好きな人はそんな何かを期待して観ている。新聞を見たら全国最年少の「美濃加茂市長を逮捕」とある。収賄の疑いと報じられていた。応援してくれた業者に便宜を図ったあるいは図ろうとしたのだろう。26歳で市議にトップ当選し、28歳で全国最年少の市長に当選した。どんな選挙だったか分からないが、前市長の後援会の応援をうけたとか、「維新の会」石原派の藤井議員の親戚とか、意外に古い人脈選挙のようだ。

 市議の時から、応援した業者の意向を受けて市に働きかけていたとある。飲食店で業者から現金を受け取ったともある。ことのきっかけは贈賄側の業者が銀行を相手に詐欺を働いたことからのようなので、「謝罪」だけで終わりそうにない。市長は無罪を主張しているが、行政に携わる者として、また議員としても倫理感に欠ける。東京都議会の議員にしても、若い議員に意外と非常識な者がいるのはどうしてなのだろう。私の知り合いは今、どうしているのだろうと思った。

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小心者と厚顔な者

2014年06月24日 18時28分45秒 | Weblog

 気の小さい人は真面目なタイプが多い。他人には任せず、何でも自分で抱え込んでしまう。他人から批判や非難を受けることを極端に嫌う。自分の弱さを見せたくないという意識が強いから、腹を割って話せる友が少ない。こういう人がリーダーになるとちょっと恐い。反抗しない人を見つけて滅茶苦茶に怒る。答えられないと思われる問いを発して、答えられないと、あるいは間違うと、「バカか!」と罵る。

 それを見ている周りの人は震え上がる。次は自分がターゲットにされるかも知れないと恐怖を抱く。そうされないようにと先回りして、生け贄づくりに動く人もいる。こうしてますます、リーダーは支配力を強化していく。兵庫県の尼崎事件の主役と思われる女性やオウム真理教の麻原、古くは連合赤軍事件の永田もこの類だと思う。学校や職場での「いじめ」の構造にも共通するところがあるように思う。

 都議会で女性議員が質問していた時、「早く結婚した方がいいんじゃないか」とヤジった自民党の男性議員が、「自分が発言した」と5日後に名乗り出て、女性議員に謝罪した。この事件は海外メディアでも流され、自民党の石破幹事長も「名乗り出て謝罪すべき」と事件の収束に動いたから、その犠牲になったのだろう。本人は「謝罪の機会を逸した」と言うが、何度もマスコミから取材を受け、その度に「私は発言していない」と否定していた。

 そればかりか、「品位のないヤジは議会として対応すべき」とか、「女性を辱めるヤジだ」とか、平気な顔で発言していた。「議員辞職に値する行為ではないか」という質問にも、「そう思う。辞職すべきだろう」とさえ言っている。まさか、自民党内から「名乗り出て謝罪を」と言われると思ってもみなかったことだろう。いつものように、ウヤムヤで終ると踏んでいたはずだ。

 この男性議員は尖閣諸島に上陸を強行した10人の議員のひとりという筋金入りだ。「早く結婚した方がよい」という思想の持ち主なら、堂々と論を張ればよい。小心者とは真反対の厚顔な、極めて悪質な確信犯だ。本人が辞職しないなら、有権者がその責任を果たさなくてはならない。

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自嘲

2014年06月23日 19時05分46秒 | Weblog

 「親も無し 妻無し子無し 版木無し 金も無けれど 死にたくも無し」という林子平の歌に出会った。6月21日、「今日は何の日?」というところに林子平が亡くなった日とあった。これは歌なのかと思って数えてみると、5・7・5・7・7になっている。「太平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯で 夜も眠れず」を思い出す。林子平は黒船が来ることを予見し、『海国兵談』という本を出版して「海防に力を入れなくてはならない」と主張した。寛政3年というから、幕府崩壊の76年も前のことだ。

 林といえば徳川家に仕えた朱子学派の儒学者である林羅山につながる人かと思ったら、どうもそうではないらしい。武士として仕えることが無かったのか、諸国を漫遊している。その結果、「海防に力を入れよ」という考えに辿り着いた。ところが幕府は「名も無き者が何を言うか」と出版を禁じ版木を押収、禁固処分とした。子平は兄の家で幽閉生活を強いられることになり、その時に作った歌である。号を六無斎と称したというから自嘲に徹している。

 長男でなければ家督を継ぐことも出来ず、55歳で亡くなるまで結婚も出来なかったのだろう。何もないけれど、「死にたくも無し」とは誠に悲しい。小椋佳さんの新しいCD『闌(たけなわ)』を聴いていたら、「老いらくの相聞歌」という歌があった。万葉集の元歌は知らないが、歌詞はなんとも侘しい。「黒髪に白髪交じり 老ゆるまで かかる恋には いまだ逢はなくに」「ありつつも君をば待たむ うち靡く 我が黒髪に 霜の置くまで」「事もなく生き来しものを 老いなみにかかる恋にも我は逢えるかも」「ぬばたまの黒髪変わり 白けても 痛き恋には 逢う時ありけり」。

 「闌」は、まっさかりのこと。まだ半ばというように取れるが、終りとか尽きるという意味もあるようだ。1944年生まれの小椋佳さんはきっと、まだまだという気持ちと尽きたという気持ちとが揺れ動いているのだろう。まだ道半ばとも思えるし、そうかといってまだ活躍できるとは思えない。若い人のような情熱的な恋は出来なくても、人生の末に辿り着いた恋なら出来るだろう。小椋佳さんの声が掠れているのがどうにも気になる。

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今晩はステーキ

2014年06月22日 19時00分17秒 | Weblog

 カミさんが1泊の研修旅行に出かけた。車はあるからどこかへ出かけることも出来たのに、ひとりで一日中家にいる。本を読んだり、テレビでW杯のサッカーを見たり、眠くなって昼寝したり、結局グズグズと過ごしてしまった。夜はステーキを焼いて、ワインでも飲もうと思ったけれど、ワイン1本をひとりで空ける元気もなく、下ごしらえだけしてパソコンに向かう。

 ステーキとはなんと贅沢なと思うけれど、181グラムで482円というお値打ち品である。味や柔らかさは食べてみないと分からないが、楽しみである。子どもたちはすき焼きを日常的な献立と思っているが、私の子どもの頃は牛肉は食べられなかった。すき焼きはもっぱら鶏肉だった。それも自分の家で飼っている鶏を、祖母は鶏肉屋へ持って行き、調理してもらっていた。

 祖母は町屋の出身で、百姓仕事はしなかった。納屋に機織り機があり、木綿の反物を織っていた。色白の美人で華奢な身体をしていた。映画が好きで、長谷川一夫や市川雷蔵のファンだったから、よく連れて行ってもらった。私の母は百姓の生まれだが、教師をしていたので台所は祖母が担っていた。母は豪快に笑う人で、南洋っぽい顔立ちをして、毛深い身体だった。

 私が小学校の高学年になる頃、祖母が亡くなった。ある日、父が電気釜を買って来た。それで、私たちは母屋ではなく奥の私たちが暮らしていた倉庫を改良した住みかで、私たちだけで食事をするようになった。母の料理は煮込みのような手の込んだものではなく、フライパンで焼く肉料理が多かった。鶏のササミの刺身や分厚いハムも味わった。私の肉好きはこの時の体験からかも知れない。

 母が亡くなると再び母屋で食事をするようになった。兄嫁が料理を作ってくれたが、マヨネーズを使ったサラダとかスクランブルエッグとか、ケチャップの炒め物とかを初めて食べた。教師になった年、3人の仲間で8ミリ映画を作った。年上の歯科医がスナックに連れて行ってくれ、初めてピザを食べた。さあ、もうそろそろ食事の準備をしよう。

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都議会でのヤジと百田氏の発言

2014年06月21日 19時07分25秒 | Weblog

 東京都議会で、妊娠や出産について都の支援政策を質問した女性議員に対し、自民党席から「早く結婚しろ」「産めないのか」といったヤジが飛んだ。都議会ですらこんなレベルなのだ。女性議員は昨日、処分を要求する文書を議長に提出したが、受理されなかった。理由は簡単で、誰がどのようなセクハラ発言をしたのか特定していないからだ。これが議会というもののルールだ。さらに、懲罰事犯があった日から3日以内に提出しなければならないという決まりもある。

 ヤジられている場面をテレビで見た限りでは、この女性議員は笑っていた。ヤジった議員と同じ程度の問題意識の持ち主だと感じた。国会議員となった山本太郎議員が天皇に手紙を渡して処分を受けた。何ができて、何が処罰に当たるのか、議員になったのだから勉強しておかなくてはならない。議員は常に孤独な戦いを強いられる。誰かが引き摺り下ろそうと狙っていると意識していなければ潰される。

 可愛くてきれいな女性議員ほど狙われる。カラカイを許すような土壌があるのだ。NHK経営委員で作家の百田尚樹さんが「日教組は本当に日本のガン」「南京大虐殺はなく、従軍慰安婦はうそ」と発言している。「日本人であることが恥ずかしいと教え込まれた子どもたちは立派な大人になれない」と言うけれど、まず、そんな自虐思想を学校で教えられた覚えはないし、仮に教えられたとしても、その子どもたちが戦後の日本を復興させ今日の社会を築いてきた。

 セクハラヤジを放っても平気でいるような、「立派な大人になれない」人たちもいる。日教組はもっと人間の尊厳についてしっかり教えるべきだったと思う。しかし実態は、文部省の指導の下にあり逸脱すれば処分を受けた。「南京大虐殺はなく、従軍慰安婦はうそ」と言うことで、何が生まれるかと言えば、中国や韓国は信用できない、許せない隣国だということでしかない。仲良くするためにはどうするべきか、百田さんからその提案が生まれないのは残念だ。

 百田さんは都議会でのヤジをどのように受け止めているのだろう。謝る勇気を持つことは百田さんの美学にはないのだろうか。

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