友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

時の経つのは早いもの

2015年11月30日 18時31分16秒 | Weblog

 来年、ピカピカの1年生になる孫娘が土曜日の夜、父親と姉と3人でやって来た。ピアノの発表会からまだ20日ほどしか経ていないのに、何だかとても大人っぽくなっている。ギャーギャー、自己主張ばかりが目立つ子だったのに、私の言うことも聞こうとする。食事が終わってトランプで遊んだ時も、自分勝手な行動は全くしなかった。勝った時は喜ぶが、負けた時は悔しがっても泣いたりしない。時が経てば、周りのことがちゃんと分かる、それでいいのだと思った。

 仙台に居る1歳半になる孫娘も、次女から送られてくる写メを見ていると、その度に大きくなっているように感じる。次女の頼みで手袋と背負いカバンを送った。五本指の手袋の指定だったが、探しても1歳半ではどこの店にも置いてなかった。親指と小指が分かれている可愛い猫のデザインの手袋を送ったが、たいそう気に入ってもらえたようで、手袋をはめリックを背負い、落ち葉の中を歩く写真が送られてきた。堂々と得意そうな歩きだった。

 近所の喫茶店のママが亡くなった。常連客が出かけて行ったのに、店が閉まっていたので裏に回って中に入るとすでに亡くなっていたという。死因は心筋梗塞という。ひとり暮らしで、地域の女性たちが店に集まって手芸品を作ったりする、コミュニティサロンのような喫茶店だった。私は友だちと1度か2度、利用したほどなので、ママが誰なのかさえ知らなかった。常連が多い店は落ち着いてコーヒーが飲めないから、会議で利用する以外は出かけたことがない。

 明日からはもう12月だ。時間の経つのを早いと感じるのは年を取った証拠だと誰かが言っていたが、その通りかも知れない。メールを送っても返信がなかったりすると、何かあったのかも知れないと不安になる。新しい人間関係が出来上がる機会はまずないのに、古い関係は少しずつ失われていく。人の世の定めとは誠に寂しいものだと思う。12月6日に、大和塾の忘年会を行うがもうすでに3人から欠席の連絡がある。ウーン。

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愛はどこへいってしまったのか

2015年11月29日 18時11分34秒 | Weblog

 小学校の時の友だちが「相談したいことがある」と言う。お父さんはトヨタに勤めていて、大家族だった我が家とは違い、核家族でピアノやステレオやトースターがあった。成績優秀な彼は中学から私学へ進学したので、長い間音信不通だった。小学校のクラス会が彼の音頭取りで実現し、以来交流が続いている。「相談したい」ことは何だろう。まさか、「最後の恋」の相談なのだろうか。一杯飲みながら話そうかと思ったが、そんな時間がなかった。

 彼の相談事は、白内障の術前検査で不整脈が見つかり、抗凝固薬を毎月1回飲んでいるけれどいいのだろうかということ、大学病院などで診察を受ける必要はないかということだった。気に病むよりも大学病院のようなところで診察してもらった方が良いのではと答えた。抗凝固薬についても相談すれば医師の見解を伝えてくれるだろう。昔はかかりつけの医院がありながら、他の病院を受診するのは背信行為のような思いだったが、最近ではセカンド・オピニオンは当たり前になって来た。

 医師によっては診断が違うこともあるし、診断は同じでも治療法が違うこともある。要は本人が納得できるかだと思う。私自身はここまで長く生きて来たので、感謝こそするが長生きしたいとは思わない。来年、大和塾が10周年を迎えるので、その最後を「さすが」と思われるものにしたい。それが終われば、1年かけて最期を迎える準備にかかるつもりだ。孫たちはまだ幼く、彼女たちの成長は楽しみだが娘たちやパートナーに「よろしく」と願う他ない。

 今朝の中日新聞の三面記事は、「いじめ加害者名開示」「死亡海保官無理心中か」「夫殺害容疑72歳逮捕」と凄まじい。隣のページにも議員の金銭問題があり、「外国人選手に『死ね』」「学校に放火疑い」などとある。テロと空爆も終わることがない。昨日の市民講座ではないけれど、人間の中から憎しみがなくならない限り、悲惨な事件は後を絶たないのだろうか。憎しみに代わる「愛」はどこへ行ってしまったのか。寂し過ぎる。

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戦争はなくならないだろうが‥

2015年11月28日 18時13分37秒 | Weblog

 昨日の朝から急に寒くなった。空気が冷たくて、真冬になったように感じる。新聞の週刊誌の広告を見ると、読まなくても書いてある内容がなんとなく分かる。『週刊新潮』が「内心無理とわかっていて『イスラム国と話し合え』という綺麗事文化人」と見出しをつけ、「報道ステーションの古舘キャスターは、テロと空爆を同一次元で批判する。その上で、『(ISとの)対話を避けている場合ではない』と語る。聞こえのよい正論だが、本気かどうかはわからない。ならばなぜ、報ステはテレ朝記者をIS支配地域に送り込み、現地から中継をやってみせないのか。問答無用に処刑されると知っているのだ」とあった。

 またしても報道ステーションの古舘さんが攻撃の的になっている。『週刊新潮』は古舘さんの主張を正論と認めながら、ISの支配地域に記者を送らないのは本気でないと批判するが、問答無用と処刑されるところへ『週刊新潮』も記者を送らないだろう。テロと空爆は無差別殺戮で、同じ行為である。「イスラム国」が何を目指しているのか分からないので、「話し合い」が出来るものなのかもわからない。もし、中東にイスラム国家を樹立したいと言うのであれば、私はそうさせればいいと思う。

 中東はいろんな民族がいるけれど、旧約聖書の時代から同じ生活圏で暮らしてきた。第2次大戦後、欧米が勝手に線引きして国を作ってしまったため紛争地域になった。中東をどうするかは中東の人々に任せるべきだ。そもそも欧米はなぜ空爆できるのか、それでいて難民を無条件に受け入れないのはどういうことだ。民主主義国家の先駆けとなったアメリカ・フランスは「自由・平等・博愛」を民主主義の基盤としてきたのに、すべての人間の人権を全く認めていない。世界中のあらゆる人々が「自由・平等・博愛」の下に暮らせるようにするのが政治の努めだろう。

 今日、大和塾の市民講座の講師は元外交官。講師は「戦争はなくならないだろうが、無くす努力を続けることが大事」と言う。「知り合うための努力なくては前進はない。自分が出来るところで、出来る範囲で、続けることだ」と結んだ。

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名演11月は『王女メディア』

2015年11月27日 17時08分24秒 | Weblog

 名演11月例会は平幹二朗さんが演じる『王女メディア』だった。2時間10分ほどの芝居だが、途中休憩はなく、舞台転換もなく、平幹二朗さんが演じ続け、圧巻だった。舞台に立つのは男性ばかりで、はじめは少し戸惑ったが見ているうちに見事に女性になっていた。平幹二朗さんだから演じられるメディアだ。そう思った。

 紀元前430年も前に書かれたギリシア悲劇なのに、全く違和感がなかったのは、メディアの悲劇が今も変わらないからだろう。女性は強い、いや弱い、いいや恐ろしい。ギリシア悲劇は人間観察が見事だ。舞台は、愛を誓った夫がこの国の領主の娘と結婚することを伝え聞いてメディアが嘆き悲しむところから始まった。

 夫の裏切りを罵るメディアに対し、夫は子どもたちの将来のためだと言う。メディアは夫に対して尽くしてきた数々を挙げ、それなのに捨てるのかと夫を責める。夫はそういうお前の冷酷さが嫌だと本音を漏らす。メディアは夫を奪った領主とその娘を殺す。そしてふたりの息子も殺してしまう。

 フランス革命時代の画家ドラクロアは幼い我が子を殺害しようとしている豊満なメディアを描いている(上の絵)が、平幹二朗さんは殺害をためらう母親の苦しみをのたうち回って演じた。隣国の王子を色仕掛けで手なずけ、自分の安全を確保した悪女とは思えないが、人は決して悪と善とに分かれるのではなく二面性を有しているということだろう。

 裏切ったのは夫なのに、なぜ領主と娘を殺さなければならないのか。領主は娘のためにメディアに国を出て行けと命じるけれど、娘はメディアの悪口を言ったわけでもない。ただ、夫が「優しい女性」と言ったことが気に入らなかったようだ。それにしてもなぜ、我が子までも殺してしまうのだろう。夫との間に生まれた可愛い息子を殺すことは、殺害する以上に夫への復讐と考える女性の悲劇である。

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ミステリー・バスツアーその2

2015年11月26日 18時32分25秒 | Weblog

 「ヨーロッパは行ったし、アメリカも行った。マチュピチュも昨年、行ってきた。もうあと、行ってないところはモロッコ。モロッコに行ってみたい」と声がする。聞き耳を立てていたわけではないが、大きな声なので聞こえてくる。「ダンナさんとは行きゃへんの?」と相方が聞くと、「行きゃへん。嫌だもん。旅行はたいていひとり。マチュピチュもひとりで行った」。「ひとりでよー行きなさるな」。「ひとりの方が気が楽だでー。それになー、ひとりで参加の募集もあるでよ」。

 「あんたが旅行している間、ダンナさんはどうしているの?」。「うちの人は何にもせん。洗濯物干してと言ってもやらせんし、掃除機も使い方知らんと言ってやらん。私が死んだらどうするのと言ったら、その時はその時だと言う。旅行中は息子が来て、お父さんの面倒をみてくれる。あの子は本当に優しいでー。孫が大学に入ったで、海外旅行へ一緒に行こうと誘っとるの」。「旅行の何がいいのと言えば、そりゃー家のことを何もせんでもいいからだぎゃー。あんただって、そうでしょう」。

 2日目の昼食で同席した夫婦はダンナが酒飲みだがカミさんは受け付けないと言っていた。「若い頃は1升は飲んだな」と言う。「取引先の人とか、部下の人とか、こっちがすっぴんでいる時に連れて来て、自分はグウグウ高いびきなんだから」とちょっと細身で色白な艶っぽいカミさんが言う。取引先の人も部下もカミさんに会いに来たかったのかも知れない。3日目の昼食は、かなり派手目で太っちょなカップルと同席だった。名古屋駅で解散し、私が旅行の帰りはここと決めているイタリア料理の店に向かっていると、ちょうどそのカップルに出会った。ところが男と女は別々の方へと歩いて行く。

 添乗員さんは40代半ばと思われる愉快な女性だった。バスの中で誰かが「飲み物の蓋がどこかへ行ってしまった」と騒いでいると、その添乗員さんは巨体を構わず這いつくばって、キャップを探した。見事なまでに大きなお尻をみんなに晒したその仕事ぶりに感心した。添乗員と運転手はいつも別室で食事をする。ふたりが食事をしているところをたまたま見かけたが、仲良く談笑していた。夕食の席で、「添乗員さんも一緒に飲みませんか」と誘うと、「いえ、ご遠慮します」と言うので、「わかった。運転手さんとじっくり頂くんですね」と冷やかし、「ふたりは怪しい関係だったと小説のネタにさせてもらおうかな」と冗談を言って笑ったが、どうだったのだろう。

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ミステリー・バスツアー

2015年11月25日 16時26分40秒 | Weblog

 Anniversaryを理由に、ミステリー・バスツアーに参加した。ミステリーだから行き先は分からない。バスに乗り込んでも、添乗員は「どこへ行きましょう」と言うだけだ。2泊3日のバス旅行だから、長野・山梨・静岡か、三重・奈良・和歌山か、岐阜・富山・福井か、考えられる3コースを思い浮かべてバスの行方を見守る。中央道を選択したから三重コースはなくなった。諏訪で長野道に入ったので、山梨・静岡でもない。

 1泊目は長野県大町温泉、2泊目は富山県湯神子温泉だった。ところが見学地は1日目も2日目も春のツアーと重なってしまいがっかり。ミステリーだから仕方ないが、もうミステリー旅行は卒業してもいいと思った。バスはほぼ満席で、60代・70代の夫婦が多い。女性だけのグループも何組かあったけれど、やはり60代・70代だ。男性2人は単独参加で、バスの席も離れていた。

 団体旅行の面白さは、参加者の個性が見られることだ。4人で参加した夫婦はカミさんが姉妹で、ダンナたちは昼間から酒を飲み、男同士なのにとても仲良しだった。海外旅行も何度も一緒に行ったと話してくれた。昼間から酒を飲む男の人は他にも何人かいたが、カミさんも一緒に飲む夫婦は1組だけだったように思う。ダンナは食道ガンの手術で痩せていた。カミさんは小柄で無口な人、「この人が飲め飲めと言うので、一緒に飲むようになって」と、日本酒の冷を口にしていた。

 一緒のテーブルに着くとすぐ、お茶を注いだりご飯を手配する女性もいれば、全く動かない女性もいる。男性も気遣って声をかける人もいれば、何もしない人もいる。酒飲みはやはり酒を好む人が隣の席の方が気楽だが、2日目の夜は全く酒は飲めないというご夫婦だった。それなのに、いろいろと話しかけてくれ、席も立たずに最後の3組になるまで残ってくれた。別れ際に「お世話になりました。また、お会いできるといいですね」と言ってくれたけれど、お世話になったのは私たちだった。

 今晩は長女のダンナの両親がやって来る。マンションの友だちも呼んで宴会だ。

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葬儀

2015年11月21日 18時03分40秒 | Weblog

 葬儀に参列した。式が始まる前と出棺の時、ひとりの女性がヴァイオリンを演奏していた。聞き覚えのある曲なのに題名が思い出せない。お坊さんは知っている人だった。彼がまだ若い時、「仏教の経典は何を言っているのか分からない。口語訳は出来ないの?」と私は尋ねたことがある。「そういう動きはあります」と言っていたけれど、相変わらず分からない読経だった。

 亡くなられた女性は68歳。両親を早く亡くし、弟や妹のために、九州の宮崎県から集団就職で名古屋へ来た。おそらく給料の多くを故郷へ仕送りしていただろう。やがて、同じ職場の人と結婚し、ふたりの子どもを授かり、次第に生活に余裕が生まれてきた。たくさんの友だちに恵まれ、趣味が広がりやボランティアにも精を出していく。私たち世代の典型的な生涯である。

 若い頃の話に、もらい泣きをしてしまった。私も両親を早く亡くしたが、自分では苦労してきた実感はない。豊かな人もいたけれど、貧しく苦労している人も大勢いた。学生の私は奨学金や家庭教師でお金を得ていたのに、家に入れることもせず、兄や姉に甘えていた。そうして自分の生活を築き上げてきた。そんな時代のことを思い出すと、やはり涙がこぼれてくる。

 11月末が近くなり、喪中ハガキが届くようになった。最高年齢は101歳、よく頑張られた。中学の同級生からも99歳で父親が亡くなったとある。彼女は長女で、両親は羨ましいくらい若い夫婦だった。お母さんはとてもきれいな女性だったし、お父さんはダンディな感じだった。まだまだ大家族で暮らしている家が多い中、私の街も核家族が増えていく走りだった。私の父も土地を買い、家を建てるはずだったが、結局、傾きかけた家業の材木屋に注ぎ込んでしまった。

 明日から24日まで旅行のため、ブログは休みます。

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こんなこともあるのか

2015年11月20日 17時59分59秒 | Weblog

 こんなこともあるのか。昨夜、テレビで野球の世界大会の準決勝、韓国との試合を見てそう思った。7回まで、日本ハムの大谷投手が韓国打線を完全に抑えていた。5回に相手のミスもあって3点が入った。大谷投手はノーヒットにはならなかったが、剛速球でバッタバッタと三振を取り、誰もがこれで日本の決勝進出は間違いないと思ったはずだ。

 8回は楽天の則本投手に代わった。完璧ではなかったが、0点に抑えた。最後の9回も則本投手の登板だった。なぜ、目先を変えないのかと思っていたら、案の定打たれた。代わったのも楽天の松井投手だった。同じようなタイプの投手が続き、韓国打線は一気に火が付いた。土壇場で逆転され、万事休すとなった。

 小久保監督は「全て私の責任」と言う。その通りだろう。けれど、ここまで勝ち進み、「みんなで決勝戦へ行こう」と盛り上がっていた選手たちの落胆は大きいだろう。絶対はないし、これで大丈夫と思っていても、どこに落とし穴があるかは分からない。順調に来た人生もどこで狂うか誰も分からないが、現実は受け止める他ない。

 イギリスのサッカー球場で、イギリスとフランスの試合の前、イギリス人が一緒にフランス国歌を歌った。フランスとイギリスは百年間も戦争した国なのに、テロの犠牲者を追悼してフランス国歌を歌ったことは大きな一歩かも知れない。パリのテロの現場でも犠牲者を偲び、花が飾られ蝋燭が灯された時、自然とフランス国歌が歌われた。

 なんとなく心が一つになる、そんな時がある。野球の選手たちも勝った時は、そんな一体感を味合ったことだろう。負けた時、誰かを非難する気持ちになる。「お前のせいだ」と言いたくなる。けれど、もしそれを口にしたなら、一体感はたちまち崩れてしまう。テロで妻を亡くした夫は、「テロリストを憎まない。憎しみはテロリストの思う壺」と言うのである。

 こういうこともある。赦すことの大切さを自分のものにしたいと思う。

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抱き合うしかない

2015年11月19日 18時09分35秒 | Weblog

 再びパリ郊外で銃撃戦となり、1人が自爆し、1人が射殺され、7人が拘束された。フランスの治安当局は「イスラム国の拠点を制圧した」と言う。それでもまだテロは続くだろうと予測している。テロを撲滅することは出来ないのだろうか。「イスラム国」を殲滅するために、アメリカ軍やフランス軍は1万回におよぶ空爆を行っているのに。

 私は空襲を知らないが、体験した先輩は「地獄」とも「恐怖」とも言う。「イスラム国」は地上から応戦することが出来ないから、なされるがままであろう。どれだけの人が死んだのかも分からない。分かるのは、「イスラムを憎む人々が空から爆弾を降らせている」と確信していることだ。「イスラムは他の人々と共存できない」とますます思い込むだろう。

 テロを行う連中も、「イスラムをたたけ」と市民が騒げば、「殺さない限り、殺される」と確信するだろう。テロはイスラム教過激派のイメージだが、オウム真理教の事件も秋葉原の事件も無差別な殺戮だからテロと言ってもいい。どこの誰がテロに走るのか分からない。だからいっそう不安が大きい。

 無差別な殺戮を阻止することは出来ないのか。イヤ、出来る。全ての人を国家の監視下におけば未然に抑え込める。国家総動員法を発令し、怪しい人間を密告する制度になれば、たとえ親子でも密告者になる。ヒットラーもスターリンもこの手を使った。完全に封じることは出来なかったが、コンピューター時代の今なら出来るだろう。

 「イスラム国」の兵士は、空爆を受け西側への憎悪を掻き立てているが、ただ困るのは西側の人の中に、イスラムを受け入れ仲良くしてくれる人々がいることだ。「西側の人々はイスラムを殺す」と信じているのに、「イスラムは他と共存できない」と教え込まれたのに、そうではない現実が一番困る。

 人間に憎悪がなくならない限り、テロはなくならないのかも知れない。それでも抱き合うことだけが唯一の救いの道だろう。国に安全対策を求めれば、監視を強化し、自由を無くす。国が出来るテロ撲滅の方法は強い暴力で立ち向かうことなのだから。 

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『図書館戦争』

2015年11月18日 18時19分51秒 | Weblog

 愛知県小牧市で市長が提案した新図書館計画に反対の声が上がり、それならと市長は住民投票を敢行したが、結果は反対票が賛成票を上回った。普通に考えれば、白紙撤回か市長への不信任と受け止め、市長は辞任するだろう。ところが市長は、「どういう理由で反対なのか、丁寧に検証する必要がある」と言う。こういう居直り方もあるのかとビックリする。

 市長の提案は老朽化した図書館を取り壊し、駅前再開発に合わせ、コンビニも同居した新図書館を建設し、民間会社であるツタヤに運営させるというものだった。建設費が膨大なものであることも市民感情を逆なでしたが、図書館を民営にすることの反発が大きかった。これは推測だが、市長は図書館を利用したことがないのではないだろうか。

 図書館はただ本を読ませたり、貸し出したりしている施設ではない。私が図書館司書の資格を得るために勉強した40年ほど前でも、図書館は情報の収集と保存そして公開が重要な役目だった。司書は全てのことに精通しているように求められた。図書館の憲法といわれた「図書館の自由に関する憲章」を誇りに思った。

 公立図書館だから「図書館憲章」を遵守出来る。民間の経営となれば、大切な本でも人気が無ければ購入しないだろう。来場者を増やすために、コンサートを開いたり夜間も開館したり、そういう工夫なら公立でも出来るが、民間経営で「図書館憲章」を守ることが出来るのか、不安は大きい。

 先日、『図書館戦争』なるドラマが放映されていたが、「悪徳図書の撲滅」を掲げる検閲隊と称する軍隊と、これを阻止するための図書館隊が自動小銃を構えて戦うというものだった。殺し合いそのものを否定している図書館がまさか武装して戦うなどあってはならないことだ。馬鹿馬鹿しいけれど、本気でそんなことを考えている人もいるのだろう。

 小牧市の市長が、住民アンケートとか、住民説明会とか、第3者委員会での検討とかを口にする。いかにも民主主義的な手法なのに、なぜ権力者に都合のよいものになってしまうのだろう。公開と参加を徹底するにはどうしたらよいのだろう。

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