友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

短波放送とひとり旅

2020年10月31日 17時20分00秒 | Weblog

 今日はハロウィンで満月。それをネタに書こうとしてブログを見たら、どういう訳か、昨日の下書きがそのままになっている。疲れたので、その原稿を上げておく。

 友だちがフェイスブックに、「中高生の時代、海外の情報はもっぱら短波放送からでした」と、聞いていた外国名を上げていた。私より若いということもあると思うが、私の周りでは短波放送が話題になることは無かった。

 私がよく聞いていたのは、落語であり浪曲でありラジオドラマだったが、中身までは覚えていない。一番熱心に聞いていたのは日曜日の「ルーテルアワー」だったと思う。たまたま図書館で見たストウ夫人の『アンクルトムの小屋』と重なって、中学から教会に通うようになった。

 宗教的なことや、社会問題に関心を持つマセタ子どもだったが、短波放送を聞く機会があったら、また人生も変わっていたのか、何も変わらなかったのか、分からない。佐藤優氏の『15の夏』(幻冬舎文庫)を読んで、その早熟さには驚かされた。

 1960年生まれの佐藤氏は中学の時から、その頃はソ連だったわけだが、モスクワ放送を聞いていたし、山川均全集に触れている。社会主義に興味を持った少年はそれだけに留まらない。浦和高校に入学した1年の夏休みに、ひとりで東欧からソ連を回る旅に出る。

 旅行計画のためにひとりでソ連系の旅行会社を訪ねて、料金の支払いや持ち出すお金なども準備する。言葉の通じないところへ、ひとりで出かける勇気に、気の小さな私は完敗した。中学生の時も北海道へひとり旅に出かけているから、怖いもの知らずなのだろう。

 私もひとりで出かけたことはある。小学生の時に、子どもの自転車に乗って碧南まで行った。知多半島の母の実家へは、バス・国鉄・私鉄・バスと乗り換えて行った。高3の夏休みに受験勉強に逆らって、日本海を見に行き敦賀で1泊し、京都で1泊して奈良に向かい、法隆寺の前の宿で1泊、室生寺を見て帰ってきた。青春のひとり旅だったが、大したことは何も起きなかった。

 

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水に流してしまいたい

2020年10月29日 17時52分12秒 | Weblog

 新しい器具が出来て、今日こそ目途が立つようにと、祈る気持ちで出かけた。しかし、守山区での井戸掘りは今日も不発だった。小石と砂利の層に阻まれて、どうにもならなかった。友だちが手作りした器具だけは何とか役に立ったが、私が頼んだ器具は全く機能しなかった。

 依頼した趣旨がうまく伝わらなくて、出来上がった器具を見た時から、これではダメだと感じた。それでも無理に、仕事の合間をぬって、部下に作らせたものだろうから、やり直してと言いずらかった。私の説明が悪かったのだ。なんとか作ってもらった器具を改良する方法を考えよう。

 NHKの朝ドラ『エール』を見ていると、戦争に積極的に協力した人と積極的ではなかった人との違いが鮮明に描かれている。戦後の2・3年までは、きっとこんな状態だったのだろう。主人公のように、勇んで戦地に向かう軍歌を作曲したことの責任を感じて苦しみ、再び作曲はしないと決めた人もいただろう。

 画家も物書きも新聞記者も教師も、そして歌手も、責任から逃れられなくて苦しんだ人はいただろう。中には自分は積極的ではなかったと自己弁護する人もいただろう。けれどもいつか、時が流れ、過去を振り返ることが少なくなると、再び一生懸命に働きだしてしまう。私たち日本人は、何時でも水に流して生きてきた。

 先輩が、「慰労会をやらなきゃ―いかんな」と言う。「まだ、井戸が完成していないのに、そんな気分になれませんよ」と答えると、「こんな時だから気分転換のために、慰労会をした方がいい」と言い切る。誠に楽天的な人だと思うが、確かにその方がよいのかも知れない。苦しいことや嫌なことは水に流してしまいたいから。

 

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人生のターニングポイント

2020年10月28日 17時30分38秒 | Weblog

 昭和46年卒の教え子が、「コロナウイルスによる長い自粛生活に疲弊されてると思います。時間を有効に使おうと思い立ったのが、私が知る限りでの同級生のエピソードを新聞仕立てにして、楽しんで頂けたら幸いと作りました」という、『同級生TIMES』No1が発行されたのは今年の5月16日だった。

 私の教師人生の初担任が1年のこのクラスだった。第2号で「今でこそ語れる担任の言葉」(タイトルは編集者)を書くことになった。次に編集者から、「現役で活躍している記事を読んで」の感想を書くように求められた。私の人生よりも彼らの方が、はるかに立派に生き働いているから、偉そうなことは書けなかった。それで、彼らが知らない私の人生を記すことにした。

 「我が教え子の成長に驚く私は何をしてきたか」と、編集者が付けてくれたタイトルで、私の歩みは2回に分けて掲載された。どうして愛教大に進学したのか、天職だと思っていた教師をなぜ辞したのか、地域新聞を始めた経緯と辞めた理由、その後、地域で行ってきたことなどを振り返った。ターニングポイントは何回もあるが、私の人生を大きく変えたのはこの2点に尽きる。

 教師を辞め、社会から抜けてみると、誰からも評価されない地獄の日々だった。こんなものではないはずだと苦悶の末に辿り着いたのが、高校時代からやって来た新聞づくりだった。地域の有力者を訪ねて趣旨を説明し、創刊することが出来た。自分が地固めをして発行してきた新聞だったが、「一緒にやろう」と言ってくれた人がいた。順調に売り上げを伸ばしてきたのに、経理は見せてもらえなかった。

 私のターニングポイントは、「意地」と「体裁」に支配されている。もっと上手に生きる手立てはあっただろうに、自分勝手に決めてしまった。家族が「身勝手な人」と思うのも無理はないが、どうやらそれが私の人生のようだ。

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孫娘たちのテレビトーク

2020年10月27日 18時13分30秒 | Weblog

 男の子を出産したばかりの孫娘と、カミさん、次女とその娘、長女のところの小5の孫娘が、ラインで会話している。出産の時の様子とか赤子の様子とか、話題は尽きない。次女の5歳の娘は乳歯が生え代わる時のようで、グラグラの前歯を恥ずかしそうに見せていた。

 画面を4つに分けて、それぞれの様子を同時に見ることが出来る。凄い時代になった。私は会話が出来て、メールが出来るならそれで充分なので、「スマホにしたならこんなことも出来る」と誘われても、頑強に「これでいい」と断っている。いろいろ覚えるのが面倒なのだ。

 検索はもっぱらパソコンに頼っているが、パソコンも私の知らないうちに、何がどうなったのか更新している。メールはやりにくくなったし、写真は編集出来ないし、フェイスブックを見ていたら知らない人がお友だちになっている。有料動画の広告も入ってくる。

 テレビでユーチューバーを取り上げていたけれど、いったい何が面白いのか私には理解できない。動画を掲載することでお金になるという仕組みも分からない。でも、小5の孫娘も、5歳の孫娘も、「何しているの?」と聞くと、「ユーチューブを見ている」と答えることが多い。

 スマホの操作は彼女たちの方がよく知っているようで、カミさんは孫娘に教えられて会話に参加しているが、終わると「ああ、疲れた」と言う。孫たちの話についていけないからだ。「そうね、そうねと相槌だけ打っていれば」と言うのだが、「知らないことが多すぎる」と零す。

 私たちの時代は終わったと自覚しなくてはいけない。いつまでも自分の時代と思うのは間違いだ。悲しくても、情けなくても、仕方のないことだ。時代はいつもそうして受け継がれていく。曾孫はまだ昼夜逆転しているらしい。そのうち慣れるよと伝えておこう。

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子どもの悪戯に怒る正義感の強い女性

2020年10月26日 17時46分30秒 | Weblog

 マンションの女性から声をかけられた。「これを見て下さい。こんなことを放っておいたら、せっかくのマンションが台無しになってしまうわよ」と、現場に連れて行かれた。通路に子どもが描いた絵があった。ゲームで使ったものなのか、所々消えそうなところもある。それに植えられたミカンの木から実をもぎ取って、通路に散らばっている。

 「管理事務所に一緒に行って下さい」と言う。「私は行きません」と答えると、「どうして、正義の味方では無いのですか」と怒る。「これは子どもの遊びでしょう。子どもは悪戯が好きなのです」と話す。自治会長が歩いていたので、「自治会長に話してみたら」と言って別れた。その後、管理事務所の職員が通路を掃除し、落書きを消していた。

 彼女は正義感が強いが時々空回りする。小泉純一郎さんが「自民党をぶっ潰す」と言っていた時、彼女は「小泉さんを応援する」と言っていた。今日、彼女にあった時、「自治会長さんはどうだった?」と聞くと、「あなたと同じだった。どうして?」と言う。「子どもの悪戯を非難してはダメ。子どもと一緒に遊んで、『ミカン盗るのは止めておこう』とか、通路に絵を描いたら、『後で消しておこうね』と言って、子どもたちに気付かせることだね」と話す。

 権力を嫌うのに、権力に頼ってしまう。そうした考えが自分の中にあるうちは本物の正義ではない。世界一貧しい大統領と言われたウルグアイの大統領の言葉が印象に残る。「憎しみは愛のような炎だ。愛は創造的だが、憎しみは我々を滅ぼす」「裕福な国々の発展と消費を手に入れることが幸せではない。人は発展するために生まれてきたのではない、幸せになるために生まれてきた」。夢は「貧乏人の数を減らすこと、生まれた時からみんなが同じ権利を有する社会をつくること」と語った。

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曾孫が生まれた日

2020年10月25日 17時04分55秒 | Weblog

 

 今朝早く、長女からメールが届いた。「2020年10月25日午前6時7分、体重2820gの元気な男の子です。土曜日からダンナも家に泊まっていたので出産に立ち会えました。本当に母子ともにお利口さんです」。11月5日が出産予定と聞いていたので、少し早いが母子ともに健康ならそれでいい。

 長女も予定日より2週間近くも早かった。お猿さんのように真っ赤な顔をしていたが、曾孫はそうでもないように見えるから、あの時は生まれたばかりだったからかも知れない。長女も次女も今では色白の美人系の人妻っぽくなっている。生きてきた年月が人を作り上げるようだ。

 76歳で曾孫に会えるとはビックリだ。父も母も早く亡くなったが、祖父は長生きだったので、ふたりの曾孫を見ている。新しい命の誕生はどういう訳か心が湧きたつ。今朝の中日新聞に「今年の出生84万人台」とあったから、曾孫の学年は人数が少ないだろう。いや、コロナ禍で、来年はもっと減るだろう。

 人口の減少を危機と捉える人もいるが、何にとって危機なのかと思う。人口が減れば消費は減るし、税収も減る。高齢者を支えられなくなる。だからもっと産めというのは、人を何だと思っているのだろう。コロナのことも自然災害も、なるようになったのだから、その中で人間としてどう生きるかである。

 新しい命が健やかに育っていけるように、周りの大人は配慮と行動が必要だ。新しい命を大事にする社会や国家の仕組みが大切だ。ジジババはもう充分に生きた。新しい命と入れ替わりの時が来ている。

 今週の土曜日、31日には退院と孫娘は言う。まだ、名前が決まっていないようだが、ダンナの両親とよく相談して素敵な名前を曾孫に付けて欲しい。私たちも11月になれば曾孫に会えるのかな、ちょっとドキドキする。

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ドキュメンタリー映画『はりぼて』が観たい

2020年10月24日 17時53分07秒 | Weblog

 アメリカの大統領選挙に向けたテレビ討論会をニュースで垣間見た。1回目の時は、討論会になっていなくて、悪口の言いたい放題だったが、今回は曲がりなりにも討論会らしくなっていた。司会役の女性がしっかりしていたからだと思うが、討論そのものはかみ合っていない気がした。

 非難や揚げ足取り、あるいは弱みを突く、そんな場面が多かった。どういう国にするのかを巡って、政策で論議して欲しいと願うのは無い物ねだりなのか。日本の国会でのやり取りを見ても、そんな場面は見たことが無い。非難するなら根拠を説明すべきだと思うのは、理想主義なのだろうか。

 今朝の朝日新聞の『ひと』欄に、政務活動費の不正で辞職が相次いだ「富山市議会」を、映画化した地元テレビ局の記者が載っていた。政務活動費は議員報酬とは別に、調査・報告などの活動のために支払われる費用だが、富山市議は架空の市政報告会をでっち上げて請求していた。不正取得が発覚し、7カ月で14人も辞職している。

 ドキュメンタリー映画『はりぼて』は富山市議会が材料だが、残念ながら多くの議員が同様の手口で政務調査費を使っていると思う。今日も友だちが言っていた。「コロナ禍で、みんな困っているのに、議員は報酬も減らない。真面目に政治に取り組んでいる議員は何人いるのだろう」。みんな仕事が無くなり、給料が減り、苦しんでいるのに、確かに議員は恵まれている。

 トランプさんが、「石油採掘を止めたら、税収は落ち込み、労働者は失業する」と、環境を重視する民主党を批判していた。環境をよくするために、みんなが我慢するなら平等ではないかと思う。豊かになることを否定しないが、自分だけではなく、みんなが救われる道を見出すことが政治の仕事である。

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小川洋子さんの『密やかな結晶』

2020年10月23日 17時23分35秒 | Weblog

 友だちから「読んでみて」と渡された、小川洋子さんの『密やかな結晶』を読み終えた。何とも奇妙な作品である。小説の中に、もうひとつ小説が組み込まれている。それは主人公が小説家だからだが、「閉じ込められる」ことと「消滅していく」こととが、重なり合っていて、現実にはあり得ないと思いながらもどんどん引き込まれてしまった。

 『密やかな結晶』は、バラが消滅したり、フェリーが消滅したり、何かがひとつずつ突然に消えていく。もし、消えたものを持っていると、秘密警察がやって来て捕らえられ、どこかに連行されてしまう。次に何が消滅するのかは分からないから、人々は気が気ではない。生活のための野菜や肉なども品薄になっていく。

 主人公の女性が原稿を届け見てもらっていた編集長は、記憶が無くならない人だった。消滅と逆の存在の人は秘密警察に連行されてしまうので、彼女は自分の家に秘密の部屋を造り、彼をかくまう。春が消滅したのか、寒い冬が続く。彼女が書いてきた小説は、タイプライターの先生と先生を慕う生徒の物語だが、先生は彼女を教会の時計台の天辺の部屋に閉じ込めてしまう。

 閉じ込めらてた彼女はますます声が出なくなる。生きていくためには先生に頼るしかない。先生に全てを支配されるが、抵抗するよりも受け止めることに幸せを感じていく。小説家の主人公も密室の編集長に心惹かれていく。小説が消滅し、彼女は書けなくなってしまう。左足が次に右手が消滅するが、石膏像のように存在している。編集長は彼女の足にキスする。

 何とも不思議な物語だ。本の帯には「2020年英国ブッカー国際賞最終候補作」とある。タイトルの『密やかな結晶』は何を指しているのだろう。友だちはどうして私に読ませたかったのだろう。

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85歳の男性からデートに誘われた

2020年10月22日 17時28分36秒 | Weblog

 マンションの男性から電話があった。「何でしょうか?」と聞くと、「ちょっとお茶飲みに行かないか」と言う。彼のカミさんは母親の介護のため、東京に出かけている。もう何年もそんな生活が続いている。マンションでは夫婦2人の生活となっているが、実質はひとり暮らしだ。

 マンションの1階で落ち合い、彼の運転する車で出かけた。「どこへ行くの?」と聞くと、「私の行きつけのところ」と言う。何だか遠回りして、喫茶店に入った。見回すと老人ばかりだ。私の知り合いもいた。夫婦かあるいはひとりで来ている人たちだ。

 「あのさ、声を出そうとしたら出なくて。長いこと人と喋っていないことに気が付いた。話し相手を考えた時、あんたが出てきた」と言う。体育館のジムに通っていたが閉鎖になり、「以来、誰とも話していない」と説明する。そう言えば、先日も我が家に来たひとり暮らしの女性は、「テレビとの会話しかない」と嘆いていた。

 人と話さないと言葉を忘れるし、考えることもしなくなるようだ。明らかに彼女は認知症の傾向が進んでいた。その点は、女性よりも年齢は上でも溌溂としている。「テレビは家に無い。新聞も取っていない。テレビも新聞も見る暇が無い」と言う。「何しているの?」と尋ねると、「会計士の資格を取ろうと思って勉強している」と言う。

 それでは暇は無いし、ボケることもないだろう。ソニーと国税との裁判で国税が負けた。そのため、会計法が大きくグローバル化した。「基準が変わったから、今までの知識では合格しない。これはチャンスだと思い勉強している」と話す。昔からちょっと変わった人だと思ったが、85歳で会計士にチャレンジするとは驚いた。

 「誰かと話したくなったら、また呼んでください」と言って別れた。マンションもひとり暮らしの人が多くなった。彼は子どもがふたりいるが、「ふたりとも結婚していない」と言う。これから、どうなっていくことだろう。

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小学校の音楽で初めて聴いた歌が思い出せない

2020年10月21日 17時25分30秒 | Weblog

 鉢で育ててきた水仙が、葉は生い茂るのに花が少なくなった。「球根を掘り出してみたら」と言われ、鉢の土をひっくり返してみたら球根の数が3倍以上になっていた。取り出した球根は、マンションで花を育てているグループにもらって頂いた。

 チューリップの球根も引き受けてくれるなら、「差し上げます」と伝えた。今年は新しく球根を買わずに、昨年の球根だったがまあまあの出来栄えだった。来年はチューリップは止めよう。少しずつ鉢を少なくしていこう。

 朝晩は寒くなったが、昼間はけっこう暖かい。ルーフバルコニーで来年の春に合わせて、土作りを始めなくてはならないのに、どういう訳かその気になれない。井戸掘りのことが気になって仕方ないこともあるが、やっぱり歳のせいだろう。

 キンモクセイの香りがすると、小学校の頃を思い出す。学校の隣りに市の図書館があって、その角にキンモクセイが植えられていた。キンモクセイの甘い香りは秋の訪れだった。小学校の音楽の時間に、何という曲だったのか思い出せないが、それまでとは違った感じの曲を聞いたのは何年生だったのだろう。

 秋の曲で、寂しいというか冷え冷えと美しいかった。「星影さやかに 静かにふけぬ 星影やさしくまたたくみそら」だったか、「凍れる月影 空にさえて」だったか、思い出せない。日本の歌というより西洋風の気がした。

 「ふけゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む」だったかも知れない。昨夜の『セブンルール』は秋の寂しさとは無縁だった。小さな頃から知っているだけに、成長ぶりに戸惑い微笑んでしまった。若い人はいいなあ。

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