友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

あいまいさは日本の政治の伝統なのか

2016年09月30日 18時25分37秒 | Weblog

 大和塾の最後の市民講座の時にいただいた花がまだ枯れずに咲いている。今朝は涼しい風が吹いていたし、空は秋模様だったので、私は久しぶりにルーフバルコニーに出て、風で散った落ち葉を片付けたりした。午後になると空は灰色の雲で覆われ、風も冷たくなってきた。明日から旅行だというのにどうも雲行きは怪しい。

 東京都の築地市場の移転先となっている豊洲の新市場の地下水調査で、環境基準を超えるベンゼンとヒ素が検出された。汚染土壌対策で盛り土を行うように専門委員会から提案されたのに、建物の下は盛り土されず、地下空間となっていてそこに水が溜まっていることも明らかとなった。小池知事は「いつだれがどこで盛り土しないことを決めたのか調査を命じた」と言うが、都の調査ではあいまいなまま盛り土せずに建物の建設に着工したという。

 オリンピックについてもかかる費用が、「1兆、2兆、3兆と膨らんでいる」がその根拠はあいまいだという。誘致を担当した人は「ざっくり出した数字なので忘れてくれていい」と言う。小池知事が「検討を要する」と言えば、組織委員会の森会長は「組織委員会は都の下請け機関ではない。私はボランティアでやっている」と憤慨していた。

 そうか、ボランティアなのかと思ってインターネットで組織委員会を見ると、ここでは461人が働いているから当然給与も支払われている。森会長は役員だから無給なのか、それならなぜ役員報酬6747万円が支出されているのだろう。さらに顧問料1憶1313万円は誰に支払われたのだろう。

 私が地方議員の時、行政の職員と話していて驚いたのは、「予算をいかに使い切るかが自分たちの仕事なのだ」と真面目に考えていたことだ。組織委員会の場合は行政ではなく、公益法人だから議会の目も届きにくい。しかもいろんな組織が複合的に交差しているので責任もはっきりしない。典型的な日本の政治の姿で、先の大戦の責任もこんな風に、「みんなで決めたこと」だとあいまいにされてきた。

 明日と明後日は、夏祭りの慰安旅行で伊勢に行くので、ブログは休みます。

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林部智史の『あいたい』の切実さ

2016年09月29日 16時59分30秒 | Weblog

 朝は激しく雨が降っていた。今日は誕生日会のゴルフ。昨日、先輩に「明日のゴルフは大丈夫ですか?」と聞いた。先輩は「大丈夫でしょう」と言い切る。何しろ晴れ男で、どういう訳か必ず雨が止んでしまうから不思議だ。私はゴルフをしないので、雨の中で大変だなあと思っていると、午前中に雨は上がり陽まで差してきた。やっぱり先輩は晴れ男だ。

 以前、「どうして晴れると分かるのですか?」と聞いたことがある。「念ずれば通ず、ですよ」と真面目に言う。「何事もそうあって欲しいと願えばそうなるものです」と誇らしく言う。思いの強い方に神様も加担するのかも知れない。旧約聖書もそんな話が多い。それにしても午後からは風が強くなってきたからゴルフは大変だっただろう。反省会に私も呼ばれているがきっとそんな話になるだろう。

 私は一日中家にいて、溜まった要らないものをせっせと捨てる。絶対にもう不要なものなのに、どうしてこんなに溜め込んだのかと思う。そんな時、悲しい歌が聞こえてきた。林部智史さんの『あいたい』である。若い男の人なのに高い声で、絞るように歌う。テレビ画面で見ると、歌う表情も切なすぎる。別れた人を偲んだ歌なのだが、ぞっとするほど辛くなる。

 「あいたい あいたい 誰よりもそばにいた あいたい あいたい 愛して何処へゆく あいたい あいたい うつろう季節の中 あいたい あいたい 歳月は止まったまま」。歌詞だけ見ればそれほど切実な感じがしないのに、林部さんが歌うのを聞くとやり切れない気持ちになる。まだ、72歳の自分の中にも共鳴できる感性が残っているようだ。

 テレビで見ていたアメリカ映画の中で、妻は夫と分かれて新しい恋人と生活を始める決心をしたのに、夫はそれまでの身勝手で家庭を顧みない生活を詫び、「愛しているのに、分かれることはない」と妻に言う。すると妻は「肝心なのは私がどう感じるかということ。彼には愛を感じるの」と言って出て行く。このセリフに「なるほど」と感心した。さて、もうそろそろみんなが帰って来る頃だ。

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「報道は中立に」は政府を利するだけ

2016年09月28日 17時48分13秒 | Weblog

 蒸し暑い。室内でも湿度は75%ある。梅雨のようにじめじめしている。曇り空が続いていたので水やりを怠けていたら、アジサイの葉が黒くなってしまった。今日は雨が降ったり、そうかと思えば陽が差したりと目まぐるしい。この蒸し暑さは精神的にも悪い気がする。もうすぐ10月だと言うのに、爽やかな秋はまだ先のようだ。

 気分が晴れないのは日本の現状と同じだ。民放テレビは東京都の小池知事の所信表明に注目していたが、国会では民進党の蓮舫党首が代表質問を行っていたが、NHKの国会中継を見る人はどれほどいるのだろう。舛添前知事のおかげで、東京都民だけでなく全国民が、政治とカネに関心を持つようになったから、小池知事の誕生でさらに注目度が上がり、豊洲移転問題でいっそう拍車がかかった。

 それでもアメリカの大統領選挙の討論会のようなやり取りは見られない。日本の議会は事前通告制なので、双方がしゃべる内容があらかじめ原稿で渡っているからまずハプニングは起きない。言い放し聞き放しで、絡み合うこともない。弁論大会はあっても、アメリカのような討論の経験がない。それに日本ではなんとなく、相手を徹底的に論破することは品のない行為と思うところがある。

 友だちがブログでアメリカ大統領選挙に触れ、「ジャーナリストはできる限り、中立の立場でバランスのある報道を行うよう訓練されているはずで、特定の候補者への支持表明はジャーナリズム精神に反する行為」と書いていた。でもそれは「認識不足」である。もともとヨーロッパの新聞は主張するものだった。アメリカでは主張することで新聞の購読者を増やしてきた。

 「報道」が中立でなければならないとか、バランスを考えなければならないというのは日本の独特の考え方ではないだろうか。2つの対立した意見があれば、同じくらいの量で報道することが「公平」と考えている。「公共の器」という言葉さえある。だから、報道は中立で公平なものと国民は思い込んでいる。政府批判をすれば偏向した報道と注意までされてしまうのも、国民の多くが「公共の器」と信じているからだ。

 報道は偏っている。あなたはどちらを支持するか?となれば、自分が好きな新聞やテレビを応援すればいい。そうでなければ、「言論の自由」は守れない。日本の「報道の自由」はかなり低いのに誰も苦にしていない。国がどうなるかは国民がどう考えているかにかかっている。

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安倍首相の所信表明

2016年09月27日 19時53分16秒 | Weblog

 長女の一家4人が昨夜やって来た。食事をしながら、小1の孫娘が運動会で大活躍した話になるはずだったのに、いつの間にか長女が「なぜ看護の道を選んだのか」になってしまい、私もカミさんも思わずその話にのってしまった。話から外れてしまった小1の孫娘は拗ねて食事もそこそこに別室に行き、スマホでアニメを見ていた。「大活躍だったんだね。やったね」と声はかけたが、それになに?と関心も示さなかった。

 長女の話を聞いていると、子どもは子どもなりに自分のことばかりでなく家のことも考えている、それは当たり前のことなのになるほどと思った。人は皆それぞれに自分の置かれた環境を無視できないし、だからこそ、乗り越える人もいれば甘んじてしまう人もいる。そんなことを思い出しながら朝刊に見ていたら、安倍首相の所信表明の全文が出ていた。所信表明など読んだことがなかったが、語りかけるような感動的な文章だった。

 「世界一暮らしやすい国、世界一信頼される国を目指し、新たなスタートを切る時です」「一億総活躍、地方創生、農政新時代、地球儀を俯瞰する外交。安倍内閣は未来への挑戦を続けます」ではじまり、終わりに「未来への懸け橋」として、「私たちに求められていることは、悲観することでも、評論することでも、ましてや批判に明け暮れることでもありません」「憲法はどうあるべきか。日本がこれから、どういう国を目指すのか。それを決めるのは政府ではありません。国民です」という。

 国民が主体となって輝かしい未来を切り開くことができるような錯覚を覚えるが、どれもこれも当然のことを抽象的に述べているに過ぎない。具体的だったのは憲法改定に向けた、「与野党の立場を超え、憲法審査会での議論を深めていこう」と改憲への意欲だった。また、安倍首相は、海上保安庁、自衛隊、警察などが日本を守る強い責任と誇りをもって任務に当たっていることに「敬意を表そう」と、自民党議席に向かって拍手を促し、自民党議員も起立呼応した。

 公明党議員が起立しなかったこと、維新の幹事長が「異常な光景だ。真摯な議論をする状況ではない」と批判したことはよかった。安倍首相は「未来」を18回も口にし、「世界一」も8回述べている。日本の現状を見つめることは「悲観的」と言いたいのであろう。憲法審査会は50人だが自民党は31人を占める。論議の行く末は見えている。

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10年刻みで転換している

2016年09月26日 17時40分51秒 | Weblog

 大和塾の最後の市民講座を終えて、腑抜けになっている。この日のために細かく立案し、当日は現場で指揮をしてくれた私の友だちは、終わった日の夜、「どういう訳かなかなか眠れなかった。こんなこと初めて」と言っていた。そう言えば私もこの夜は寝つきが悪かった。それは暑さのせいだと思っていたが、彼女の言葉を聞いて興奮していたんだと気付いた。別に緊張はなかったのに、10年間50回の重みがどっと押し寄せてきたのだろう。

 私の人生はほぼ10年刻みで転換している。小学校5年生の時、クラスの男子が「ストライキだ」と言って学校を抜け出した。大人になって思えば、担任の女教師への憧れの気持ちが困らせる行動になったものだが、この事件が私を大きくしてくれた。消極的で手が上げられなかった私が生まれ変わった。自分で勉強もするようになり、表に立つように性格を変えていった。

 20歳の時、家が潰れた。両親は既に高校生の時に亡くなり兄の家族と暮らしていたが、兄が事業に失敗し材木屋は他人に渡った。私は大学の先生の家で書生となり、先生の子どもを教え運転手を勤めた。大学を卒業し高校の教員となったが、31歳の時、組合運動の中で知り合ったセクトの仲間と見られ、鉄パイプで滅多打ちにあった。教員を辞め、叔父がやっていた日本料理店を手伝い、店を継ぐつもりだったが叔父が亡くなり、職が決まらない状態が続いた。

 41歳の時、地域新聞を発行する。それからの10年間は充実した日々だった。しかし、自分の甘さから会社を私が育てた後輩の女性に譲って辞めた。首長選挙に突然立候補し、接戦だったが当選出来なかった。国会議員の秘書も務めたが、もう一度首長選挙を戦うため議員になった。そして62歳、市長選挙に立候補して敗れた。これで終わりだったのに、幸いなことに声をかけてくれる人がいて、市民のための勉強会である市民講座を発足させることになった。

 72歳までよく生きてきた。「また、次に何かするんでしょう」と言ってくださるが、次はないと思っている。ただ、今は虚しい。それは事実だけれど仕方ない。

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姜尚中さんの市民講座は大盛況だった

2016年09月25日 18時37分43秒 | Weblog

 姜尚中さんを講師に迎えての市民講座は大盛況だった。大ホールは完璧に埋まり、立ち見の人までいた。定員オーバーに備えて玄関ホールでテレビで見るようにセットし、見る人たちが10人ほどいたけれど、苦情が出るほど混雑することはなかった。全体がスムーズにいったのは友だちが綿密な計画を立てて、事前の打ち合わせを充分してくれたおかげだ。

 市外から車で来た人が多く、駐車場は全て埋まってしまい、路上駐車もあったけれど、そんなに混乱することもなく幸いだった。こちらも塾生以外の人が駐車場の案内係りを引き受けてくれたおかげである。姜尚中さんの書籍の販売とサイン会も好評で、サインの後で握手を求める人や一緒に写真を撮る人もいたが、姜尚中さんは気安く応じてくれた。

 講演もそうだったが、その辺に姜尚中さんの人柄が出ていた。講演の内容そのものは、内田樹氏との対談『世界「最終」戦争論』(集英社新書)に出ていた域を超えるものではなかったので、私自身はちょっと物足りない気がした。上野千鶴子さんにしても姜尚中さんにしても、学者として生き残っていくためのテクニックを心得ているのは仕方がないことで、それが分かるようになったのは「老い」の賜物だろう。

 会う人たちが「本当にもう止めてしまうのですか、惜しいですね」と言ってくれる。「さすがですね。ここまでやって本望でしょう」とか「あなたがやりたかったことを本当にやってしまいましたね」とか、声をかけてくれた。「市長にはなれなくても、市長が出来ないことをやりましたね」とまで言われ、それほどではないとしても、自分の人生としてはありがたいことだと思う。

 「10年間、よくがんばりました」と花をプレゼントされ、花の香りが部屋に満ちている。そのおかげなのか、今朝からずーと鼻水が止まらない。秋の花粉アレルギーが急に襲ってきたみたいだ。昨日の市民講座には次女夫婦とダンナの両親、そして長女のダンナのお母さんも聞きに来てくれた。私に繋がる多くの人たちが来てくださったことで胸が熱くなった。

 また、長女からは小1の孫娘が運動会で大活躍している様子がメールで送られてきた。明日の夜は4人で食事に来るという。運動会の活躍がきっと話題になるだろう。よく頑張ったねと褒めてやろう。

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姜尚中先生の講座に期待して

2016年09月22日 17時45分10秒 | Weblog

 戦後71年。私たちより上の年齢の人たちから年金制度が始まり、給料から年金が差し引かれて積み立てられた。国が行う厚生年金と企業が行った企業年金があり、天引きされて苦虫を潰していたが、年金を受け取る身になってそのありがたさを満喫している。ところが年金を受け取る年齢がだんだん引き上げられ、受け取る金額も減少するようになった。それでもまだ、恵まれている方で、これからは年金の支払いができなくなるとさえ言われている。

 年金制度を発足させた時は、人口の増加と経済の見通しを右肩上がりで計算していたが、どうやら計算違いが生まれて来たのだ。そこで、投資で挽回しようと考え、さらに失敗が重なった。71年間、何とか「平和」が保たれ、他国での戦争や紛争のおかげで経済は伸びてきたが、今、世界的に行き詰まってきている。打開策は戦争しかないと政治家や経営者は考えている。戦争は完全消費で必ず儲かる。だからか、日本も武器輸出を大幅に緩和した。

 武器の性能をアピールするため実践して見せる必要がある。それが安保関連法案の成立だった。安倍首相は「経済最優先で取り組む」と発言している。少子高齢化で労働人口が減少するのは必至だがこれを逆手に取り、「ロボットや人口知能の活用を進める」のも、防衛省が各大学と連携に研究予算を増額しているも、武器輸出のためだろう。今、世界的に、自国だけよければというトランプさんのような考えと、互いを認め合っていこうとする考え方が拮抗してきた。

 フランスもドイツも民主的な選挙の結果、排他的な政策の政党が急速に伸びている。日本はどうなのだろう。国民はずーと平和憲法を甘受し続けてきたけれど、政府は戦後すぐに警察予備隊を創設しそれを自衛隊と改め、軍事力の強化に努めてきた。民主的な選挙の結果が、相反する方向を共に支持してきたのはどういうことなのだろう。

 いよいよ24日(土)、政治学者の姜尚中先生を講師に市民講座を開く。姜先生にはぜひこれからの社会がどうなっていくのか、私たちはどう生きていけばいいのか、話してほしいと思う。明日は仙台から次女夫婦が、姫路からダンナの両親が、市民講座に参加するために来てくれるので、山海温泉で語り合う。明後日は2家族を見送るので、ブログは2日間休みます。

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時を惜しんで行われる運動会の練習

2016年09月21日 18時09分37秒 | Weblog

 昨日の台風はどこに行ったのかと思うような、秋晴れとはならなかった。台風が通り過ぎ、穏やかにはなったものの、空はどんよりと曇っていて時々雨も降って来る。それでも小学校の運動場では少しでも時間を惜しむように、雨が止んでいる間、運動会に備えて猛特訓が繰り返されている。運動場は水はけがよいとはいえ、「腰を下ろして、こちらを向く」と先生の命令が下ると、聞いている私の方が「冷たい」と思ってしまう。

 やはり一番繰り返し練習するのは行進のようだ。それぞれの競技は始まってしまえばうまく出来たかどうかは分からないが、行進だけは目に付くから徹底的にやることになる。行進練習の体育的価値は何だろうと子どもの頃から疑問だった。一糸乱れずに行進しても、見ている側は「良く出来た」と評価するとしても、行進している側の教育上の意味は何だろう。全体の中のひとりと自覚することで団結を覚えることなのだろうか。

 「右向け右」とか「前に進め」とか「ぜんたい止まれ」と、命令する人は気分いいだろう。自分の一声でこんなにたくさんの人が動くことはまずない。学校という機関だから出来る。同じ大人にこんな命令が出来るのは軍隊や警察のような「命令に従う組織」しかない。学校でのこうしたぜんたい行動は、知育と体育で「富国強兵」の国家を目指した明治政府が残したものなのに、今もまだ続けられているのはどうしてなのだろう。

 中学の時、行進練習中に笑った女の子がいた。体育の先生は真顔になって「笑ったのは誰だ。何がおかしい」と怒鳴った。するとその女の子は何の屈託もなく、「でって、おかしいもん」と平気で言った。その後どうなったのか知らないが、私はその子に惹かれた。ちょっと変わったトンチンカンなところのあるその女の子が初恋の人となった。

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台風が近づいている

2016年09月20日 18時24分37秒 | Weblog

 午後4時過ぎて風雨が強くなってきた。9月は台風の季節だが、直撃型の来襲は最近では珍しい。東海豪雨の時も夕方はこんな風に雨が降り続いていた。翌朝ベランダから見ると周り一面が大きな湖になっていた。今回の台風も雨に注意という、果たしてどんなことになるのか。

 この街は平らな土地で大きな川もない。東海豪雨の被害は都市型浸水によるもの、要は降水に対して排水が間に合わなかったのだ。そこで行政は学校などの運動場の一角に地下貯水槽を造って雨水を貯めると提案した。私は街の中心部にある農業用水路の堤防を左右に20メートル広げ、河川敷を子どもたちが走り回れる公園にし、堤防をこの街のシンボルとなる桜並木とし、豪雨の時は巨大な貯水池とするように提案した。今でも私の案の方が夢があったと思っている。

 街に750人収容できる会館が出来た時も、市民オーケストラを結成し会館の利用度を高める提案をした。大きな図書館が出来た時は、午後8時までと祝日を開館し住民のサロンとするように提案した。前者は首長が賛成したので実現したが、後者は担当者が大反対だったので潰された。創刊した地域新聞が5周年を迎えた時は、大学に頼んで「大学公開講座」を開いてもらったが、この時も「公民館の講座の参加者が減る」と教育長に反対され、首長から説得してもらって実現した。

 地域新聞はスタッフに恵まれたので、美術館巡りや古刹巡りのツアーも行った。今ではどこでもあるフリーペーパーも手がけた。この街からボクシングの世界チャンピオンが誕生した時、街で祝勝会をする段取りをつけ、行政や商工会を巻き込んでパーティを開いてもらった。「マメだねえ」と人から言われるが、私自身は企画することが楽しく、絶対喜んでもらえる自信があった。だからこそ必死になれたのだと思う。

 でも、それは私の勝手な思い込み、独りよがりだったのかも知れない。自分がよいと思ったことでも、強い反発と批判を受けたこともある。私が地域新聞を始める時、発起人となってくれた前首長が、「どんなに正しいことでも100%の支持はない。そう覚悟してやりなさい」と諭してくれた。あんなに皆さんから崇められていた人でもそうなのかと、その時は気が付かなかったことが後になって思い出され、「決めたからにはやるしかない」と自分に言い聞かせた。

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愛し愛される老人たちの集い

2016年09月19日 17時55分31秒 | Weblog

 誘われて日野原重明先生の講演を聞きに行ってきた。104歳の日野原先生はさすがにお元気とは思えなかったが、先生の原点がどこにあるのかはよく分かった。日野原先生はたまたま「よど号」乗っ取り事件の飛行機に乗り合わせていた。だからあの時、命は無くなっていたかも知れないという思いが、「人のために命をつかう」運動へと駆り立てたのだ。

 日野原さんが提唱している「新老人の会」は、3つのモットー1)愛し愛されること、2)創めること、3)耐えること、そして1つの使命「子どもたちに平和と愛の大切さを伝えること」を掲げ、①自立、②世界平和、③健康、④会員の交流、⑤自然への感謝の5つを行動目標としている。この日は東海地区の集まりだったが、800人ほどのお年寄りが3時間も講演に聴き、音楽療法の先生の指導で歌ったりした。

 「もうすぐお迎えの来る人も、ハイ、大きく気を吸って、ハイ、吐いて。いいですか、ながーく息すれば長生きできますよ。息ができなくなったら長生きできません」と音楽療法の先生は笑わせながら、どんどん歌わせていく。人間は「60兆の素晴らしいバランスでいきている」という名大病院院長だった祖父江逸郎先生の講演も示唆に富んでいた。「バランスが崩れると病気になるが、病気への対処の前、健康の時こそ大事」と言い、最良の方法は睡眠をとることと説く。

 皆さん、「ウン、ウン」とうなずいていたから、ここに集まった老人たちはよく眠っているのだろう。確かに長生きするなら元気でありたい。そうすれば人に迷惑をかけることもない。でも、多くの税金を使っていることは事実だから、年金生活者が長生きすれば働き盛りの人や子どもたちには気の毒だ。余りに健康志向が強いと老人ばかりになってしまいそうだ。きっとその時は、元気な老人は再び汗を流して働くことになるだろうが‥。

 中日新聞の日曜版のコラム『おじさん図鑑』を愛読しているが、18日の題は「選良」とあった。「選挙で選ばれた議員のことをいう。しかし地方議会の議員から国会議員まで、『選良』の名にふさわしい人がいったい何人いるのだろう」と嘆く。議員になると「人としての誇りも謙虚さも失い、権力的で卑しい人間になり果ててしまう」、その例として、年下の議員から「おまえ」と呼ばれたとあった。

 年老いても人に謙虚でありたいし、「まだ生きてるのか」と言われない老人でありたい。

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