友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「美人は顔じゃーない」

2014年09月30日 18時25分45秒 | Weblog

 「美人は顔じゃーないよ」と物知りの先輩が言う。ホームセンターで買い物をした時、75歳だが元気いっぱいの先輩が「サイフがない」と言い出した。「とうとうボケがきたんじゃーないの」と冷やかされ、慌ててレジへ飛んで行った。しばらくして戻ってきた先輩に、「ありましたか?」と尋ねると、「レジの女の子がいい子でねえー、親身になって探してくれた」と言う。「若い方は美人だったけれど、つっけんどんで事務的だったんで、ムッとして怒鳴りつけるところだったけれど、隣の中年の女性が親切に聞いてくれた」そうだ。

 買い物が終わり、その女性を見定めようとレジに行った。若い女性はいなかったけれど、中年の愛想のいい女性がいた。「レジの女性が美人だったから、わざとサイフを落としたなんて言ったんじゃーないの」と先輩を冷やかすと、先輩も恐縮したけどレジの女性もはにかんで、そんなんじゃーありませんとばかりの仕草をする。明るくて愛想がよく、私たちのような高齢の男性には絶対に受けがいい女性だと思った。すると、物知りの先輩が「女の美しさは愛嬌にある」と自説を展開する。

 「愛嬌のある女は、立ち振る舞いや言葉使いにも女のよさが自然と身についていく。顔立てではなく内面の雰囲気が“いい女”と感じさせるのだ」。いつもながらどうしてこの人は女性に詳しいのだろうと感心する。日頃は難しいことばかり言うので、ちょっと敬遠されがちだけれど、酔うと女性の手を取り、手相を見て薀蓄を並べる。まあ、女性の手を握りたいだけの助平さがそうさせると思っていたけれど、なかなかもっともらしいことを言うようで女性たちには人気がある。

 物知りの自説のひとつに「見た目の若い人は気持ちだけでなく身体も若い」がある。私は人から「若いね」とか、「お元気そうだね」と言われてきたし、自分でもまだ気分は18歳の時と変わらないと思っていた。ところが先日、手鏡で自分の頭の天辺を見て愕然とした。毎朝、顔を洗って鏡は見るけれど、正面から見ているので、確かに髪は白くなり薄くもなったけれど、禿げているとは思わなかった。男は女のように愛嬌ではすまない。歳には勝てないと思い知らされた。

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高齢者の生き甲斐

2014年09月29日 17時44分13秒 | Weblog

 最近、地震が多いから何かが起きるような気がしていたけれど、27日に御嶽山が爆発し、不安が現実になってしまった。ニュースを見ていると、生き残った人と亡くなった人は運の差としか言いようがない。生き残った人の判断ばかりが正しいように言われるけれど、それこそ全くの結果論で、どう見ても運がよかったか悪かったかに分けられる気がする。井戸掘り仲間の先輩は「山登ってても、道歩いてても、死ぬときゃー死ぬんじゃ。飲める時に飲み、食べれる時に食べなきゃー生きてる意味がない」と言う。

 いかにも捨て鉢な言い方だが、的を射ている。先輩は75歳だが、今も週に2日働いているし、ひ孫の面倒をみて世話し、娘の婿が友だちを連れてくれば料理を作って歓迎し、毎日の晩酌は欠かしたことがない。生きていることが楽しくて仕方がないと思えるから元気でいられるのだ。先日、昼飯を食べに先輩の好きなステーキハウスへ出かけた。ランチでも1300円するが、店は大繁盛で、席の空くのを待っているほどだ。よく見ると女性客が多い。

 男性ばかりで来ているのはサラリーマンだが、女性だけで来ているのは若い人ばかりではない。中年の女子会風もいれば、高齢者で連れ合って来ているグループもある。男性だけの高齢者がいないのはどうしてなのだろう。定年退職した男はカミさんから誘われない限り外へ出ないのだろうか。80歳は越えていると思われる女性のふたりはステーキを食べ、サラダをお代りし、デザートに果物をたべ、ジュースを飲み、「太るかしら」と笑い合っていた。

 テレビで高齢者の貧困を取り上げていたけれど、生活保護を受けずに暮らしている人が大勢いる。「死にたいけれど、死ねない」と嘆いていた。そういう人はたくさんいるはずだ。実際は「死ねない」のではなく、どうしたら死ねるのか、その方法が分からないのだ。「簡単に死ぬ方法を教える講座」を開いたら、それで助かる人は多くいると思うけれど、自殺幇助で捕まることになからそれも出来ない。生きていても希望もない人を救う方法はないのだろうか。長生きしたくない人に光を当てられないものかとよく思う。

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久しぶりの井戸掘り

2014年09月28日 18時43分36秒 | Weblog

 昨日、今日と久しぶりの井戸掘りだった。初めは「昔の井戸が使えないか」と言う注文で、行ってみるとコンクリートの土間に錆付いた鉄管があった。塩ビ管を入れて吸い上げてみるけれど、鉄錆の水が出てきたが続かなかった。水道の水を注入して何度か吸い上げてみても水が出る気配はない。するとその家のカミさんは「東側の畑はどうだろう」と言われる。「じゃー掘りましょう」と引き受けた。

 昨日は3.5メートルほど掘れた。周囲の土が崩れてこないようにと100ミリの塩ビ管を3メートル打ち込んだ。今日は朝から順調で、お昼までに1メートルほど進んだ。外側の塩ビ管も継ぎ足して1.5メートルさらに打ち込んだ。黒い砂が多かったけれど4.5メートル辺りから黒い粘土層に変わった。

 「さあー、この粘土層の下に希望の水があるぞ」と力を込めて掘り進めるが、意外に粘土層は厚い。嫌な予感がする。とにかく、掘り進める以外にない。5メートルを越した頃からまた、砂層になる。ここで我慢してもう少し、掘り下げなければならなかったのに、疲れもあり焦りもあって、水を汲み上げてみようということになった。ガソリンエンジンで汲み上げてみるが、水は出てこない。

 水があるのは分かっているのに、汲み上げきれないのはどうしてなのだろうか。吹管のどこかに空気抜けがあるのだろうか。万事休す、とりあえず吹管を抜こうということになり、持ち上げてみると、吹管の吸い上げ口にべったりと黒い粘土が巻き付いている。なるほどこれでは水は上がってこない。もう一度掘りなおすところからやり直さなければならない。水が出ないといっそう疲れる。すっかり饒舌な先輩も口数が減ってしまう。

 「曲がり角を曲がると新しい道が開けるって、『花子とアン』でも言ってたじゃーないか。次の曲がり角を曲がれば、きっといいことがあるさ」。先輩は自らを励ますように言う。仕方がない。どうすればよいのか、よく考えよう。それにしても疲れた。

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50年前に制作した8ミリ映画

2014年09月27日 18時47分18秒 | Weblog

 私が教員となった1年目、大学の時の友だちが「映画を作らないか」と言ってきた。フランス語の教室で映画が好きな先輩がいて、その人を加えて3人で作ろうということになった。先輩は歯科医で、既に開業していて車も持っていた。どんな映画にするのか、歯科医の医院で話し合った。歯科医が監督で、脚本は友だちが書き、私は撮影を担当した。映画作りが終って、歯科医がバーに連れて行ってくれたが、その時初めてピザを食べた。

 かなりぶっつけ本番の撮影だった。港区の貯木場では偶然だけれど虹が出たり、貨物列車が通過したりして、ベタベタのロマンチズムっぽい作品になった。普通の映画なら出演者にライトを当てて撮影するのに、自然光だけで撮ったので画面が暗いのが欠点だ。撮影が終って映写しながら、友だちがギターを演奏し出演してくれた女の子がナレイターを務めて録音した。あれから50年近く経て、8ミリフィルムが歯科医のところにあることが分かった。

 当時の8ミリフィルムには音を入れることが出来なかったので、テープで残してあった。歯科医はCDに転換してくれたが、凝り性の彼は、「映像と音を合わせようとしたけれどうまくいかない。そういうソフトがあれば出来るはずだ」と言う。その辺りの技術に精通している人がなかなか見つからなかった。そんな時、卒業生が、「私の知り合いに頼んでみましょう」と言ってくれた。彼はイラストレーターの実力を買われ大学で講師をしているので、そのつながりで映像の関係者がいると言う。

 8ミリ映画は12・3分の作品だが、当時は1巻が4分だったからフィルムは3本か4本をつないで作ったと思う。当時の撮影機も映写機も我が家の押入れでまだ眠っている。放出していいのにまだ出来ないでいる。DVDに仕上がったら、もう持っている必要はないか。出演してくれた女の子はどうしているだろうか。65・6歳になっているはずだけど、こんな昔の映像など見たくないかな。

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兵庫県の出来事

2014年09月26日 17時47分10秒 | Weblog

 兵庫県の神戸市で小学校1年の女の子が惨殺された。長女の下の娘は5歳、殺された女の子のように明るくて人懐こい。誰とでもすぐに話をするし、友だちになる特技の持ち主だ。人を疑うことのない、このくらいの子どもたちは危険が多い。それにどういう訳か、男性には少女趣味のヤツがいる。あどけなくて、肌も艶々していて、可愛いのはわかるけれど、やたらと声をかけ触りたがる大人がいる。その典型がナボコフ著の『ロリータ』の主人公だ。

 長女のダンナの父親が「孫が低学年のうちは、私が送り迎えをする」と豪語していたが、本気でやってもらいたいと思う。殺害し遺体をバラバラにするなど、血を見ただけで血管が縮み上がってしまう私には想像することも出来ない。こうした残虐な事件が続くと本当に恐い社会だと思う。それにしても兵庫県議会が、県議に支給されている政務活動費の使い道がでたらめな議員がいたことから10%の削減を議会で決めたけれど、こちらの方もその発想が恐いし情けない。

 兵庫県議に支払われる政務活動費は年間600万円である。議員には議員報酬が支給されるが、兵庫県の場合は月額84万円だから年に1008万円だ。それに公務員扱いなので年に2回ボーナスが支払われるがその金額は376万4200円にもなる。つまりあの号泣議員も年間1984万4200円を受け取っていたのだ。日本人の平均年収は国税庁の調査では408万円で、男性に限れば502万円、女性は268万円としかないのにである。議員の年収は非常識なほど高額なのだ。

 国会議員が1番で、県会議員が2番、市会議員は3番で、町村会議員は一番下という階級が議員にある。首長も同様だ。ほとんど同じ仕事をしているのに、受け取る報酬は桁違いに大きい。だから上の議員になりたがる。国会議員は国の仕事だから多少高くてもいいとは思う。それでも日本の議員報酬は全体に高い。ところが、町村議員は逆に報酬が低いから他に仕事がないと食べていけない。議員の報酬は所属する自治体の平均賃金の10%増しでいいのではないかと私は思う。政務活動費は2重取りだ。すぐに廃止すべきだ。お騒がせな兵庫県の話でつい脱線してしまった。

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「君の行く道は はてしなく遠い」

2014年09月25日 18時50分14秒 | Weblog

 「君の行く道は はてしなく遠い だのに なぜ 歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで」(若者たちの主題歌)。最近、テレビでよく耳にする。昨日のテレビ番組蘭に、『若者たち(最終回)』とあったので見てみた。このドラマは1966年に放送されたもののリメイクだという。1960年に安保闘争があり、その挫折感が文化人には強く残っていたと思う。私は60年に高校1年となったばかりで、デモのことは新聞で知る程度だった。高校の体育館に全生徒集合し、東京での出来事を聞いたけれど、何も覚えていない。

 テレビドラマ『若者たち』は随分人気だったようだが、なぜ知らないのだろうと思ったら、1961年頃から結婚するまでの7年間、私はテレビを持たなかった。昨夜、ドラマの最終回を見て、こんなに大声で怒鳴り合う兄弟の物語だったのかと思った。主題歌から私が連想していたものは、もっと社会性のあるというか、社会に立ち向かっていくストリーと勝手に思っていた。その頃の映画で、山本学の3兄弟が会社に対してストライキを行なう物語が合ったように思い、それと取り違えているようだが、これも思い違いかも知れない。

 あの頃、『若者たち』はよく歌われていた。「はてしなく遠い」のに、「歯をくいしばり」向かっていく姿に自分を置き換えていたのだと思う。「青年は荒野をめざせ」という言葉も、ピッタリと来るものがあった。どんなにつらいことがあっても、どんなに困難なことがあっても、正義を貫くぞという思いがあった。若者たちは社会を変える意気に燃えていた。テレビドラマ『若者たち』にはそんな戦闘性はなかった。むしろ、相手への思いやりがズレるために生まれてくる葛藤が主題になっていた。

 20代になっていた私はもう少し冷ややかで、主題歌の3番「君の行く道は 希望へとつづく 空にまた 陽が昇るとき 若者はまた 歩きはじめる」をなんと甘いことかと思っていた。必ず革命が起きると信じている若者が信じられなかった。大学を出た私たちは職があったけれど、食べていくことに精一杯な人もいる。今のイラクやシリアのように、あの頃もアメリカは北ベトナムを空爆し、ベトコンの抹殺を行なっていた。「どこに希望があるのか」と思っていた。やはり、遠い昔の思い出である。

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「女性が活躍できる社会」

2014年09月24日 18時34分04秒 | Weblog

 安倍首相の「女性が活躍できる社会」とはどんなイメージなのだろう。安倍首相の本音は、労働人口が減少傾向にあるから働き手として社会参加なのだろうけれど、やはりどういう社会にするのかが不可欠な気がする。それは、管理職の30%を女性にするとか、保育園を増やすとか、労働時間を短くするとか、それ自体は必要なことだが、それでいいのだろうか。若い女性たちに「働くよりも専業主婦がいい」という声が根強いのはどうしてだろう。

 専業主婦を長く続けて来た女性に「望みは何ですか?」と聞いてみた。彼女の答えは「お金があったらいい」と超現実的だったので驚いた。けれどこれが現実なのだろう。彼女は趣味の教室にも通い、スポーツクラブにも属し、女子会と称する飲み食いの会や旅行など、何不自由なく暮らしている。けれどもどこかで、「主人に養ってもらっている」と思っているのだ。家計は握っているけれど、主人の下の会計係でしかなく、誠実に業務をこなしているが、自由に使えるお金があればともう少し楽しいはずと想像しているのだ。

 結婚して「家事はお互いに分担しよう」と決めていても、現実にはうまくいかない。社会が男を主にしているから、夫は「食事当番なので」と早退は出来ないし、妻も「子どもの具合が悪いので」と当然のことでも周りに気遣いながら帰ることになる。家庭を大事にすれば、「仕事に打ち込めないヤツ」と見なされてしまう。妊娠すれば、「子育てに専念した方がいい」と暗に退職をちらつかされる。「猛烈社員でなければ働くな」という風潮がなくならないと、何も変わらない。

 イタリアへ旅行した時、昼間にワインを飲み、カンツォーネを朗々と謳ってくれた農夫の老人に「あなたの生き甲斐は何ですか?」と尋ねた。老人は得意な笑顔で、「人生を楽しむことさ」「働くのは楽しむためだよ」と教えてもらった。楽しむのは男だけであってはならない。男も女も同じように人生を楽しめる、そういう社会全体の意識とそのための仕組みが生まれてくることが必要だと思う。

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優しい長野の人

2014年09月23日 18時00分57秒 | Weblog

 「神様が降りて来る」。アーチストが突然のひらめきで作品が出来た時に使われる。霊感のある人が神様の意思を受け止めたりする時にも使われたりする。私はまだ、そんな経験がないが、偉大な芸術家がそんな言葉を発するからきっとそうなのだろう。なかなか神様が降りてきてくれなくて作品が出来ないと、薬物中毒になったASUKAさんのように自分の方から神様を呼びたくなるようだ。

 女子大生の話を聞いていたら、「神様が落ちてきたんだって!」と言う。とうとう現代は神様も地に落ちてしまった。彼女は「降りて来る」も「落ちてくる」も変わらないと思っている。イラクに続いてシリアの「イスラム国」支配地域に、アメリカは空爆を行なった。アメリカは他の国を空爆する権利があるとでも言うのだろうか。テロ集団には断固として戦うと言うけれど、空爆は無差別テロと同じで一般市民が殺されることになる。

 キリストも預言者マホメットも、神様から命じられて誕生した。その使命は人類を救うことだった。それなのに果てしない殺し合いが続いている。アメリカが空爆で何百、何千の命を奪えば、イスラム国も人質を殺す。武力では圧倒的なアメリカも捨て身のテロを阻止できない。いずれも死ぬのは市民である。女子大生が言うように、「神様が落ちてきた」ので、果てしない殺戮の連鎖は止められないのか。

 女子大生の母が、実家の長野から届いたリンゴを持って訪ねてきた。長野の人はのんびりしているけれど、名古屋の人は忙しいのか運転も粗いと言う。「まだ信号が青になっていないのに走り出すことは長野の人はしない」そうだ。雪国でもある長野では、雪道で往生している車があればすぐに見知らぬ人が押してくれると言う。誰もが困った体験があるので放っておけないのだ。助け合いは相手の気持ちが分かるから出来る。

 逆に殺し合いは相手のことなど考えないから出来る。いったい神様は天上で何を見ているのだろう。やっぱり神様は落ちてきて天上にはいないのか、それなら地上でこの殺し合いを止めさせてくれてもいいのに。人間が相手の気持ちを考えるようになるまで、神様は試練を与えて続けるといるのだろうか。

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お土産の栗きんとん

2014年09月22日 18時06分12秒 | Weblog

 名古屋から帰ると、マンションの入り口で女の子がふたり座り込んでいた。友だちの小学校3年生の孫娘とその友だちで、「あっ、知らないおじさんだ」と声をかけてきた。私も「知らない女の子だ」と言い返す。目敏く私の手荷物を見つけて、「それなーに?」と聞く。「お土産の栗きんとん」と答えると、「食べたい」と言う。いやだとは言えないから、「オバサンに見せてからだよ。後でおいで」と言ってしまった。

 家に帰ると、オバサンはいない。子どもたちが来てもいいように、お茶を沸かしておく。しばらくすると二人がやって来た。友だちの孫娘は何度も我が家に来たことはあるけれど、もうひとりの女の子は先ほど話したばかりだ。玄関の入り口で、「私はここでいいです」と言う。なかなかわきまえている。「ああ、いいよ。オバサンはいなかったけど、おじさんが用意してあげるから入っておいで」と招くと、「本当にいいですか?」と心配そうだ。

 いくら友だちの知り合いの家でも、自分は始めてであり、女の子を持った父親としてはやはり警戒心を持って欲しい。二人は玄関で履いて来た靴をキチンとそろえて、「お邪魔します」と言う。客間にしている私の部屋に通すと、書棚を見てビックリするが、それよりもルーフバルコニーの鉢の数にビックリする。「広いね」と女の子が言うと、友だちの孫娘は「学校も見えるよ」と教える。「靴を持って来て、出てもいいよ」と指示すると、二人は「キャー、キャー」言いながら、ルーフバルコニーを走り回り、鼓笛隊の練習を眺めていた。

 「はーい、お茶が入りましたよ」。栗きんとんを七宝焼きの小皿に載せて出す。「これ、お客さん用ですか?」と聞くので、「そうだよ。だってお客さんでしょう」と答えると、二人は目を合わせて笑った。女の子は小学校の1年の時に大阪から引っ越してきたようで、「しんどいことをエライいうて、わからへん」と、名古屋の方言に戸惑ったと話す。友だちの孫娘は活発な子だけど、少しボーとしたところもありすぐに仲良しになったようだ。

 二人の話を聞いていたら、何やらすぐに叩く子がいるようだ。「何歳って言うから、8歳って答えたら、80回叩かれた」。それはもう遊びではなく、暴力だ。お母さんは知っているのだろうか?と心配になる。小学校3年生、そういう年頃なのかな。栗きんとんを美味しいと言ってくれたけど、チョコレートクッキーの方があの子たちにはよかったのかな。

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恩師の次男

2014年09月21日 18時21分34秒 | Weblog

 恩師の息子さんも大学の美術を教える先生で、その彼から「12年に1度の展覧会を開きます」という案内状をもらった。地図付きの案内状ではあるが、「周囲は畑のため、住所がありません。途中、未舗装・農道になっております」とある。これでは初めて行く者には無理というのを見越して、「電車でお越しの方へ、スタジオシャトルのお知らせ」があり、駅の西ロータリーから12時、14時、16時の3回出発するとあったので、電車で行くことにした。

 初めて降りる駅西ロータリー。「愛知健康の森」へのシャトルバスはあるけれど、スタジコ往きの車の停留場所が見当たらない。公共施設ではないし、勝手にシャトルを動かしているのだから、停留場所の看板も置けないわけで、私の方がそれらしい車を探さなくてはと思っていると、正にそれらしい車が定刻前にローターにやって来て止まった。窓ガラスにいただいた案内状が貼り付けてある。その車でスタジオへ到着したが、自分の運転では分からなかったと思う。

 恩師は絵画教室を開いていて、私は小学生の何年間か通った。絵を教えるというよりもストーヴの上で芋や餅を焼いて食べさせてくれたことを覚えている。私が高校生の時は大学の美術の先生になっていて、私は急に先生の大学の美術を受験することになって、再び先生にお願いすると、「受験までに100枚デッサンしなさい」と言われた。先生のおかげで入学でき、先生のおかげで4年の時は東京で働かせてもらったのに、さらに先生のおかげで高校の教師になれたのに、いつも先生の期待に応えられずに別の道に進んでしまった。

 不義理への罪滅ぼしの気持ちもあり、案内状が届いた時は見させていただいている。私が先生の家でやっかいになり、先生の長男の家庭教師をしていた時、彼はまだ幼くてかなりの甘えん坊だった。今日、改めて見ると背は恩師よりも高く、さすがに彫刻家らしくガッチリとしている。顔立ちはお母さんに似ているが、目は恩師である先生にそっくりだった。短い時間だったけれど、昔話に花が咲き、おそらく恩師もこの光景を喜んでいると思った。先生、本当にありがとうございました。

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