友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「春に三日の晴れなし」

2015年03月31日 17時58分14秒 | Weblog

 

 選抜高校野球大会の準決勝を観た。第1試合は大阪桐蔭と敦賀気比、圧倒的に強そうな大阪桐蔭と対戦する敦賀気比を応援してしまうのが判官びいきだが、結果は全く違ってしまった。1回表、敦賀気比は2アウト満塁となった。こんな時は三振とか凡フライで終わることが多いのに、ホームランで4点入った。1回裏は3者凡退、2回再び2アウト満塁となり1回と同じバッターが打席に入った。そして再びホームランが飛び出し、この回で得点は6点となり大阪桐蔭を圧倒した。

 こんなことがあるのも高校野球の面白いところだ。2打席連続満塁ホームランを放った選手は3・4・5番の選手ではない。狙って打てるものでもないだろう。無心というか、一所懸命のプレーから生まれたものだろう。第2試合は一昨年の優勝校である浦和学院と北海道の東海大四。昨年秋の明治神宮大会では浦和学院が10対0で東海大四を下している。冬場にどんなに練習を重ねてきたといっても、浦和学院には勝てないだろうと思って観ていた。

 2回表に浦和学院が1点を先取する。やはり浦和学院の勝ちかと思った。ところがその裏、東海大四は相手の敵失に助けられて2点を取った。本当に高校野球は不思議だが、浦和学院は打撃で勝っているのになかなか点が取れない。ヒットが出ない東海大四が6回にもスクイズで1点加え、3対1で決勝戦へ進んだ。野球が終って、子どもたちの声に誘われるように外へ出てみた。桜がほぼ満開だ。子どもたちは半そで姿で走り回っている。

 3月は今日で終わる。明日からは新しい年度となり、来週には新学期が始まる。テレビ局も担当者が変わったり、新番組が始ったりしている。私の4月は何があるのだろう。4日はマンションの友だちと恒例の「桜の宴」、6日は大和塾の塾生らと犬山へ桜散策、18日は大和塾で上方落語家の桂蝶六さんを講師に招き、第42回市民講座『落語に学ぶ人付き合いの知恵』を開く。まだ、何日になるか分からないが、我が家のルーフバルコニーで「チューリップを愛でる会」も開く。

 「春に三日の晴れなし」。天候は変わりやすい。せっかく楽しみにしていても雨に降られてしまうことだってある。気まぐれなのは仕方ないが、「それはお前の誠意が足りないからだ」と言われると甚だ悔しい。よいことが続きますようにと祈るばかりだ。

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少年少女による猟奇事件

2015年03月30日 18時33分02秒 | Weblog

 心の居場所がない。自尊感情がない。人生の目標がない。必要とされていない。この4つの「ない」状態に置かれると、少年・少女は非行に走りやすいと元裁判官の井垣康弘さんは言う。井垣さんは1997年に神戸市須磨区で連続児童殺傷事件を起こした少年の審判を家庭裁判所で担当した。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、新聞社へ声明文を送りつけてきた事件だ。声明文を読んだ時、こんな難しい文章を書くのは大人と私は思った。それが14歳の少年だったからビックリした。

 どんな家庭で、どのように育てられたのか、世間の関心を集めたが詳しくは報道されなかったように思う。猟奇的な殺人事件を犯した少年の家族というだけで世間から白い目で見られ、とてもそのまま住み続けることは出来ないだろう。少年院に送られた少年は既に出所したというが、どこでどう暮らしているのか、マスコミの人々の関心も高い。井垣さんは「少年はやっと生きることに前向きになった」と言う。

 「少年は逮捕されて直ぐに死刑になると思っていた。青い電気椅子に座るか、赤い電気椅子にするか、自分はどちらが似合うかと考えていた」と言う。少年院に送られても、「死なせてくれ」と言い続けていた。ところが数年経つと、「無人島のようなところでひとり暮らしがしたい」と言うようになった。生きる欲が出てきた。どうしてそうなったのかという点について、井垣さんは次のように説明する。

 「少年院には女子も収容されていて、夏になれば水着姿でプールに向かう。男子はそれを見て囃し立てる。それまで、何の関心も示さなかった少年が一緒に手をたたいて囃し立てるようになった。脳内の性中枢が通常の発達に追い付き、生きる意欲が出てきた」。「少年・少女の猟奇的な犯罪は脳の未発達に由来する性的サディズムにある。アダルトビデオを友だちと見ても興奮しなかった少年が、児童の首を切断した時は興奮し射精した」。

 脳の障害のように見えるけれど、むしろ無菌化に向かう人間社会の障害のように私は思う。性的なことに関心が無いことを善としている。人とちょっと違う人はいくらでもいる。それを科学で分析し分類化する社会に原因があると思う。動物を虐待したり、粗暴な振る舞いをしたり、そういう子どもは井垣さんが挙げた4つの「ない」の信号だと思って、声をかけ、抱きしめてあげて欲しい。寂しさは自暴自棄へと追い立てるから。

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引き際を間違えると‥

2015年03月29日 18時18分09秒 | Weblog

 大塚家具の経営権をめぐり、父と娘のケンカが毎日のようにテレビで取り上げられていたが、27日の株主総会で現社長である娘さんの続投が承認された。私が地域新聞を作っていた頃、隣りの市でジャスコが商店街から撤退する騒ぎがあった。ジャスコの社長だったか役員が地域の要請で説明に来たが、その時の言葉をよく覚えている。「小売業は10年が限度。生き延びるためには模様替えをするか、新たな場所で規模を大きくするしかない」。

 同じことをやっていたのでは必ず寂れてしまう。リフォームという手もあるが、その場所は狭いから撤退しかないというものだった。商売は非情なものだと痛感した。大塚家具の売り上げが伸びないのは、同じことをしてきたが、限界にきたことの表われである。娘さんは銀行にも勤め、市場調査の会社を興した経験もあるという。どういう商売をしなくてはならないかを考えていたから新しい経営を提案したのだろう。

 創業者である父親はいったん娘に会社を任せたけれど、不安に思っていたことは事実だろう。娘さんの経営方針から外れる社員が出るのは仕方のないことだが、会社の将来よりも自分のことを考える幹部社員はいるもので、そういう幹部が会長である父親にあることないこと言い付け、騒動を大きくしてしまったと私は思う。会長である父親は自分が作り上げてきたものを否定されたと思ったのかも知れない。創業者には苦労して会社を作り上げたという自負が強くある。

 私が地域新聞を作っていた時も、創業者である父親が後継者である息子を褒める人はいなかった。皆、不安に思っていて、父親がいなくても充分やっていけるのに、「自分が傍にいないと何にも出来ん」と口にする。子離れが出来ないというよりむしろ、創業者の自分を大事にして欲しい気持ちの表れである。創業者は自分の引き時が分からなくなってしまうようだ。

 今日、創立30年になる友人の演劇を観て来た。30年前に40代の彼女たちも70代である。脚本家は彼女たちが平等にライトを浴びるようにと配慮していて、いったい誰が主人公なのか、何が訴えたいのか、さっぱり分からない芝居になっていた。芝居好きも引退する時を見極めないといけないと痛感した。そして私自身も引き時を考えなくては‥。

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名演の総会

2015年03月28日 18時55分22秒 | Weblog

 5分咲きの桜の樹からパラパラと花が落ちてくる。スズメが2羽忙しく動き回り、桜の花の蜜を吸っている。くちばしで花の茎を食いちぎっているのか、花弁ではなく花そのものが落ちてくる。まだこれから美しくなる時なのに桜が可哀相だ。どうしても人は、自分の側から物事を見てしまうが、スズメたちにとっては貴重な蜜だろう。

 今日は名演の総会で、グループの代表が演劇出演のために出られないので代わりに出席した。総会の会場は大須観音のすぐ東のビル。地下鉄を出て大須観音の境内を通り抜けてビルへ向かった。大須観音が新しくなって私は初めて訪れた。話には聞いていたが若い人たちでごった返していた。境内にはいろんな屋台もあったが、周りの商店街も若者向きの商品を並べていて、行列が出来ている店もあった。

 総会はどこも同じで、議長団が選ばれ、昨年度の活動報告・決算報告が行なわれ、続いて本年度の活動方針・予算案が提案され、一括質疑のあと拍手によって承認され、最後に新役員が提案され、これも拍手で承認し閉会となった。何度も話題になったのは、「会員が増えていない。明るい状況ではない」と言う危機感だった。「会員が増えれば、劇団を選ぶ条件もよくなり、健全な演劇文化を育てることができる」と真面目に誠実に願っている人が多いことは確かだった。

 その点で私は異端者で、「健全な演劇って何?」と思ってしまうし、「日本演劇の民主的発展って何?」と考えてしまう。名演の規約を見れば、「よい演劇をより多く、定期的に継続して鑑賞する」としかないが、ここでも「よい演劇」と分からない言い方をしていて、勝手な解釈が出来る。そもそも名演などの演劇鑑賞組織が生まれたのは極めて政治的な意図だったから、その名残がいまだに続いていることの方が奇跡ともいえるが、もう限界に来ている。

 私は集団的自衛権には反対で、名演と同じ立場だが、だから会員を増やすという発想にはならない。数は大切だが目的は数ではない。発言することは大切だがどういう提案をするかであるし、ひとり一人の個人が悩み考えて結論を出すことが最も重要と思っている。説得して同意させるのは私の好みではない。何となくみんなでまとまろうというのも好きではない。「組織」が嫌いなのだ。

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不可解なことが連続するのはなぜ?

2015年03月27日 18時49分00秒 | Weblog

 朝はまだ冷たかったが、気温はぐんぐん上がり、車の中は夏のような暑さだった。田んぼでトラクターが田おこしをしている。いつもなら、トラクターの後に鳥たちが来て、地中の虫をついばむのに、今日は1羽の鳥も見なかった。貸し農園で野菜を育てている友だちが、「最近、虫が来ない」と嘆いていた。エンドウなどを育てても花が咲くのに虫が来ないから実が出来ないという。

 我が家の小さな花園にも蝶やミツバチが飛んで来ていたのに、最近は数が少なくなった。どの家にも虫除けの薬がつるされているが、あれは虫を殺すのだろうか。ミツバチの大量死が話題になっていたけれど、問題は解決したのだろうか。議員の時の仲間がミツバチの巣箱を作って蜜を採取していたけれど、ブログで見ていて順調のように思ったが違っていたのだろうか。

 バルセロナからドイツへ向かった航空機がフランスのアルプス山脈に墜落した。フランスの調査では副操縦士が故意に機体を山に激突させたという。調査の責任者は「自殺は一人でするものだから、自殺とは言えない」と言う。乗客150人を巻き込んだ自爆行為だが、どうしても「なぜ」と思ってしまう。9・11以後、ハイジャックに備えて外部から操縦室に入れない装置になっている。扉は銃で撃ってもビクともしないそうだ。

 ベテラン操縦士が操縦室を出た後、副操縦士は扉をロックし、一切の応答に応じなかった。何が27歳の若いパイロットを追い詰めたのだろう。裕福な家庭に育ち、子どもの頃から飛行機に乗るのが夢で、地元の航空クラブにも所属し、念願のパイロットになった。成績優秀で表彰された将来性の高い青年である。「物静かで責任感が強い」「控えめな性格」と彼を知る人々は評価している。

 関連はないと思うけど、お年寄りを殺害した名大の女子学生や佐世保市で同級生を殺害した女子高生などの事件、「相手は誰でもよかった」に似てないだろうか。他者から見ると、「頭がよくって誠実で、何でもできそう」な人でも、どこかに自分では制御できない「闇」を持っているのかも知れない。それが社会の進歩・発展の中で芽を噴出しているのか、それとも以前は社会の中で抑制されていたのに出来なくなっているのだろうか。虫たちが減っている原因とは違うだろうけれど。

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テレビの面白さは何?

2015年03月26日 17時59分47秒 | Weblog

 ドラマと現実は全く違う、違うからこそ受け入れるのだろう。3月になって、いくつかのテレビドラマが最終回になった。そう言いながら、私はつまみ食い程度にしかドラマを見ていない。テレビは無いよりもあった方が楽しい。最近、一番よく観るのは歌番組だ。きっとこれは肩が凝らないからだろう。テレビは小学校の時に母屋の居間にあったけれど、チャンネル権は祖父が握っていたから、祖父の観るものしか観られなかった。

 中学時代から結婚するまではテレビの無い時代で、結婚して公団住宅に住むようになり始めてテレビを買った。私が萩本欽一さんと坂上二郎さんの『コント55号』を見て笑い転げていると、カミさんが「よく笑うわね」と呆れていた。テレビがこんなに面白いと知らなかったのだ。一昨年、流行った『半沢直樹』はいろんなところで話題になっていたから私も観たけれど、悪い奴に「倍返し」する勧善懲悪のドラマだから人気があったのだと思う。

 私たちが子どもの頃に見た映画『鞍馬天狗』やテレビドラマ『水戸黄門』と同じで、悪い奴をやっつけるのでスッキリした気分にさせてくれる。悪い奴はどこまでも腹黒くなければならない。だから顔見ただけで、絶対に悪人という俳優が出てきた。私が初めて勧善懲悪でない映画を観たのはアメリカの西部劇だった。悪い奴をバンバン殺してしまうのが西部劇だったのに、その映画には悪い奴の設定がなかった。

 私が大学生の頃に流行った白土三平さんの漫画『サスケ』も善悪がハッキリしていなかった。終ったドラマでは『ウロボロス』は孤児2人が自分たちの大好きな先生を殺した犯人グループに復讐する物語で、悪い奴は出てくるけれど、2人も死んでしまう。警察組織の犯罪を暴く壮大なドラマだったのに、犯罪そのものが「悪」と言いきれないような現実味があって、スッキリ感はなかった。

 『美しき罠 残花繚乱』は逆に、男と女のドロドロした「愛」を描いていて面白かった。「愛」って何なのかと考えさせられるし、男の野望や女の嫉妬がよく描かれていたが、最終回はこういう終わり方が一番よいのかも知れないと思うような普通の男と女の結末になっていた。テレビを観る側は何を求めているのかがポイントのように思うけれど、人はそれぞれに価値観も違い求めるものも違うだろうから、作り手は逆に何を狙っているのかにあると思う。

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罪とその償い

2015年03月25日 18時57分26秒 | Weblog

 昨年9月、東京のラーメン店で、席に座った男性が隣の男から暴行を受けて死亡する事件があった。男性は大きな男の隣りだったので椅子を自分の方に引いて座った。これがなぜか男を怒らせた。120キロある男は男性を引きずり倒すと、顔や腹を何度も蹴り踏みつけた。通報で警察が到着するまでの間、男は「どうせ刑務所へ行くのだから最期の晩餐だ」と言ってラーメンセットを注文し、たいらげたという。男性は病院に運ばれたが死亡した。裁判所は男に対して懲役7年を言い渡した。

 その前の年、三重県朝日町で中学3年の女子が襲われ殺害された。遺体は下着姿だったが暴行されてはいなかった。昨年3月、高校の卒業式の翌日に18歳の少年が逮捕された。昨日、津地方裁判所は少年に強制わいせつ致死と窃盗の罪で、懲役5年以上9年以下の不定期刑を言い渡した。裁判員裁判で行なわれ、裁判長は少年に「残念ながら事件ときちんと向き合っているように思えない。他人の痛みが分かる人間になって欲しい」と語った。

 日本では殺人に対する刑が軽すぎると指摘する声は少なくない。「何の落ち度もない人の命」を奪うことは絶対に許されないし、大切な命を奪われた家族の悲しみは計り知れない。大黒柱を失って、生活そのものが壊れてしまう場合だってある。「命を奪った者は命で償え」という気持ちはよく分かるけれど、私は死刑には賛成しない。しかし、人の命を奪いながら、懲役7年とか、少年だから5年から9年の不定期刑というのはおかしいと思う。しかも日本では仮釈放という制度があり、刑期を待たずに出所出来る。

 罪を犯したとき、どうすることが償うことになるのか、本当のところ人間には分からないと思う。戦争がいい例だけれど、正義のためとか国のためという大義があれば、人は人を殺しても罪の意識を持たない。むしろ周りの人も賞賛する。罪を犯しても、犯した人はそれぞれ自分を正当化する思考があるのだ。裁くことも償うことも難しいのであれば、情状酌量など考えずに、殺人なら無期懲役と機械的に定めた方がスッキリするが、人は永遠に難問を抱え込んで生きるしかないのかも知れない。

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高校野球を見て兄のことを思い出す

2015年03月24日 19時07分58秒 | Weblog

 昼に、ハガキを投函するために10分ほど外へ出た。身を切るような冷たい風が強く吹いていた。寒さがイヤと言うことでもないが、それ以外はずーと家にいた。高校野球を見ながら、封筒にラベルを貼り、大和塾のチラシを詰め込む単純な作業を黙々とやる。20歳の孫娘が小・中学生の頃は、「こういう作業は好き」など言って手伝ってくれた。議員になる前から、封筒にラベルを貼り、手紙を入れて糊付けをする作業をしてきたからもう20年間もこんなことを続けている。

 ブログを初めて何年になるのだろう。中学からの友だちとの約束で始めたけど、こちらも結構長く続けている。大和塾の先輩が「1日に10人に会い、100ページ本を読み、1000字書く」と言われたことから、ブログは千字を目安にしているが、今日のように外に出ないと見聞きするものがないからネタが見つからない。ひとつの言葉、一つの事件があれば、そこから千字が引き出せるのに、高校野球だけでは何も思いつかない。

 私の兄は背が高く、スポーツも得意だったのか、昭和20年代だったのにスキーの道具を持っていたし、野球も好きで、よくキャッチボールをさせられた。兄にしてみれば女の子のような弟を鍛えるつもりだったのかも知れないが、13歳年下の私が恐がっているのに平気で強い玉を投げてきた。ストレートはグローブで受けても手がはれ上がるほど痛かったし、カーブやドロップは受けることも出来なかった。

 兄が高校生の時、私を連れて進駐軍の将校の家を訪ねたことがあった。白塗りの大きな家を見たのも始めてで、上げてもらった洋式の室内を見てその豪華さに驚いた。白人の女性と英語で話す兄に驚くことはなかったのに、芝生の家には憧れた。英語の教師になりたいと言っていた兄が、どんな会話をしていたのか分からないが、いつもの楽天的な表情で女性を笑わせていた。傍にいる私が緊張で固まっていることには気付いてくれなかった。

 高校野球を見ると兄のことを思い出すが、野球部に在籍していたのだろうか。野球部などまだなかったのではないか。兄はどうしてグローブとバットを持っていたのだろう。

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勉強も子育ても運不運はない、「あとで」もない

2015年03月23日 17時59分13秒 | Weblog

 今日の選抜高校野球大会の第3試合は、息詰まる熱戦で観ている私の胃が痛くなるほどだった。昨年の優勝校と一昨年の優勝校との激突と前評判の高い試合だったが、全くその通りの展開で、両チームとも得点圏に走者を送りながらなかなか点が入らなかった。そんなドキドキする重い試合だったけれど、ヒットの数で上回っていた浦和学園が延長11回、龍谷平安を抑えて勝った。投手は両チームとも継投することなく最後まで投げ切ったが、見事なピッチングだった。

 試合だからいずれは勝敗がつくけれど、延長戦まで来ると、勝敗をつけることが可哀相な気がしてくる。春の大会だから、夏にもう頑張れと負けたチームに声をかけたくなる。スポーツも運不運があると思うけれど、どちらか言えば、やはり練習と練習から得られる自信、自信が与えてくれる気迫が運不運を分けるように思う。

 20歳の孫娘は母親と同じ看護の道を目指して大学で勉強している。先日、病院での実習が終わりカミさんのところへメールを送ってきた。「患者さんからありがとうって言われ、嬉しかったけど何もできていない申し訳なさで、泣けてきた。だけど、泣いたら伝えたいことが伝えられないって思って、頑張って泣かずに伝えた。(略)もっと基礎から学び患者さんのための看護が出来たらと思います。明日から遊びまくります(笑)」。

 えっ、なにそれ!そこで私は「バカモン!と思ったけど、まあー単位が取れるならそれもいいかと、甘いことを思ってしまった。残念無念!!」と送ったが、カミさんは「よく頑張ったね。遊びも必要、(もっともっとたくさんのことを学んで成長していきます)を忘れないでね」とエールを送っていた。子どもたちに、ひたすら頑張れと言うのは無理があるだろう。彼らだって努力をしている、それを評価しなければ頑張る気になれないだろう。

 次女はもうすぐ11ヶ月になる赤子の世話に追われる毎日を送っている。どんなに一生懸命で赤子の世話をしても、赤子自身は分からない。毎日のように送られてくる赤子の写真は私たちには楽しみで、送られてこない日があるとむしろ心配になる。赤子の世話に一生懸命になると、ダンナはかまってもらえないから夫婦仲が悪くなるケースがある。我が子に嫉妬するダンナだっている。男は甘えん坊だ。頑張りすぎると疲れてしまい、赤子にもダンナにも優しく出来なくなる。

 勉強も子育ても運不運はない。「あとで」もない。上手にやっていくしかない。

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『花燃ゆ』と『マッサン』

2015年03月22日 18時05分51秒 | Weblog

 NHKの大河ドラマ『花燃ゆ』は、20歳の孫娘が大好きな井上真央さんが主人公役を務めているけれど、「余り視聴率がよくない」と嘆いている。井戸掘り仲間の先輩は、「イケメン俳優を揃え過ぎだ。高杉などもっと不細工な男だった」と指摘する。吉田松陰の妹がドラマの主人公なのに、周りの人々の話が多くて、なかなかストーリーが読めないことが視聴者をイライラさせていると私は思う。

 先輩が指摘するように、確かにイケメン俳優がギャーギャー騒ぎすぎる。うるさいばかりで、松蔭がどのように弟子たちを導いたのか、松蔭の教えがなぜ明治の原動力になったのか、少しも見えてこない。松蔭はひとり一人を大切にしたというし、褒めて能力を引き出し伸ばしたともいう。明治政府の中枢を松蔭の教え子たちが占めるようになったのはなぜなのか、松蔭の妹がどのような働きをしたのか、まだドラマからは何も分からない。

 NHKの朝の連続ドラマ『マッサン』は人気があるようで、今、ウイスキーが売れている。『マッサン』はニッカウイスキーの生みの親である竹鶴政孝と妻のリタの物語で、国際結婚が珍しい時代、しかもリタの祖国スコットランドとは敵国となる悲劇の中での夫婦愛を描いている。3月で放送は終了するというが、何やら最後にいろんな人たちが登場してきた。NHK大阪らしいドタバタ風が笑いを生み人気なのかも知れない。

 私は、マッサンが「任せておけ」と言う度に、どうしてアテもないのに言えるのかと思ってしまう。マッサンはいつも優柔不断で、なかなか決断が出来ない男なのに、「大丈夫だ」とか「絶対に守る」とか当たりのいいことを口にする。それでいつの間にか、マッサン役の俳優の玉山鉄二さんが軟弱なのだと思うようになっていた。ところが先日、映画『はげたか』を観て、中国人の株の買占め屋はいい演技をすると思ったから、これが玉山さんだった。

 俳優は与えられた役によって、あるいは監督によって、随分と変わるものだ。どんな役をやっても変わらない演技であれば、俳優としては下手ということだろう。『花燃ゆ』がどんな展開になっていくのか、ここに出ている俳優たちがどんな役者になっていくのか、我慢してもう少しだけ観ていよう。

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