友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子育て

2015年05月29日 18時54分44秒 | Weblog

 次女とカミさんのやり取りを聞いていて、我が家の子育ての頃を思い出した。ニューファミリーと言われた私たち世代が子育てに入る頃、子育ての本や雑誌が発行されるようになった。私たちの両親は明治・大正生まれが多い。子育てといえば、親から子へ見て聞いて覚えるものだった。戦後の混乱から抜け出すと、新しい家族像が描かれるようになり、子育ても西洋流というか科学的に行なう風潮になった。

 私たちは共働きだったし、今のように新生児を預かってくれる公共機関はなかった。カミさんの実家は私の通勤路に近いところだったので、中古の軽自動車を買って子どもを預けていく生活だった。そのうち、「毎日の送り迎えでは大変だろう」とカミさんの両親が言ってくれ、1週間単位になった。土曜日の夜はカミさんの実家で食事をいただくこともあり、それが楽しみでもあった。我が家のふたりの娘を育てたのは、カミさんの両親と言っても過言ではない。

 それほど世話になっているのに、カミさんは母親に注文をつけることがあった。赤子が泣けば母は「おなかすいたかね」と食べるものを与えた。すると「ダラダラあげないで!」と言う。寒そうだからと厚着をさせると、「子どもは薄着の方がいいの」と言い、母が一生懸命で気を使って育てているのに、「今はそんな育て方はしないの」と言い切ってしまう。本に書いてある通りでなくてもよいのに、母の経験をないがしろにしてしまう。

 子育ては愛情があればいいという私のような観念論は次女には通用しないが、いいかげんなところがあってもいいのではないかと、ふたりのやり取りを聞いていて思う。幸い、次女は姉の崇拝者で、幼い時から私が何か言っても、「お姉ちゃんに聞いてみる」と言って受け入れない。家族旅行の時、長女が「子どもは刺激が多い方が脳の回転が速くなる」と言うと、「何でも食べさせていいんだ」と納得していた。長女は新生児専門の看護師だから説得力が違う。

 さて、明日は大和塾の市民講座を開催する。そして夜は誕生日会と忙しい。翌日は我が家で長女一家を招き、次女夫婦と1歳の孫娘の健やかな成長を祝って食事会を行なうので、ブログは土曜・日曜日の2日間休みます。

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成長著しい孫娘

2015年05月28日 18時46分54秒 | Weblog

 7月に6歳になる孫娘は、次女の1歳の娘を世話すると家族旅行を楽しみにしていた。「一緒にお風呂に入り、一緒に寝る」と何度も言っていた。活発な女の子だが、まだ母親離れはできていない。宿では両親の部屋ではなく、次女の部屋で本当に寝ることができるのかと心配したが、20歳の姉も一緒なので全く心配する必要はなかった。6歳と1歳ではこんなに違うのかと思うほど、お姉さんになっていた。

 1歳の孫娘はヨチヨチ歩きができるようになった。歩けるので行動範囲が広がる。どうしてなのだろうと思うけれど、狭いところに入り込む。書棚の本を次々と引っ張り出す。宿では広いからドンドン歩いて行くが、どこにぶつかるか分からない。そんな時、6歳になる孫娘はすばやく動いて止める。彼女は赤子が抱きたくて仕方がない。「ダメですよ」と言っては抱き上げるのだが、赤子の方は自由を奪われるから嫌がる。両親は「危ない」とけん制する。

 6歳になる孫娘がお風呂で、1歳の赤子とどのように入ったのか、詳しく聞かなかったけれど、満足した表情だった。翌日は、6歳になる孫娘の出番が余りなかったからか、あるいは思ったより自分が世話する機会がなかったからか、ずぅーとiPadで「クレヨンしんちゃん」を見ていた。それでもきっと、1歳の赤子の世話ができたことは彼女にとっては誇りだろう。女の子はこんな小さな時から赤子の世話をしたがるというのも面白い。

 次女が友だちの家に娘を連れて遊びに行ったところ、その友だちの小学1年の息子が「オムツを替えるところが見たい」と言ったそうだ。「クレヨンしんちゃんの影響なのか、お尻を見たがるの」と友だちは弁解していたらしいが、そのくらいの男の子は性の違いに関心が向く。先日も知り合いの小学1年の男の子に「カンチョー」された。私も小学校へ上がる前だったが、小学校の女の子に「オシッコするところ見せて」と言って、大変バカにされた。

 次女のダンナが明日から我が家にやってくるので、今度の日曜日に長女の家族も呼んでみんなで食事をする。6歳になる孫娘がどう振る舞うか、そして次女のダンナが娘の成長にどう反応するか、楽しみだ。

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日本の出来ることは、これだ!

2015年05月27日 18時11分20秒 | Weblog

 集団的自衛権の行使を目的とする「安全保障関連法案」の国会審議が始まった。祖父やカミさんのお父さんは、テレビの国会中継をよく見ていた。私はテレビニュースか新聞で知る程度だが、若い頃はいつか自分も年老いたら国会中継にクギ付けになっているだろうと予想していた。なのに、国会中継を見る時間の余裕があるのに、見ようという気持ちにならない。いや、むしろ見ていると腹が立ってくるので、黙って行なう庭仕事の方が私には健康によい。

 武力行使の基準は、1)日本にたいする武力攻撃、または日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃、が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の生命や自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある 2)日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない 3)必要最小限度の実力行使にとどまる の3点である。これだけ見ても、これはもう戦争であろう。

 中国は南沙諸島に空港を建設し、海軍力を増強している。北朝鮮はミサイル開発に余念がない。日本を取り巻く情勢は大きく変わってきた。そんなことがしばしば言われ、日本はアメリカと組んで中国・北朝鮮に対峙すべきだと主張されている。明治政府の時も、アメリカと組むべきかイギリスと組むべきかで日本は迷った。ロシアと戦ってみたら、思いがけない成果を得た。欧米は日本を使って、ロシアの南下を押さえられると考えたが、欧米と肩を並べられては困ると牽制した。

 先日、国連本部で開かれていた「核拡散防止条約再検討会議」が最終文書を採択できずに決裂、閉会した。「核」を持つことは世界を支配する。「核」を持っている国が放棄しない限り「核のない世界」を実現することは困難だ。だから、オバマ大統領が就任してすぐ、プラハで行なった「核のない世界」の演説は世界に希望を与えた。ノーベル平和賞が贈られたのも当然だった。けれどもオバマ大統領は「核の廃絶」も「世界からの米軍の撤退」も実現出来ていない。

 唯一の被爆国である日本だからこそ、「戦争放棄」を憲法に掲げる日本だからこそ、世界に働きかけることが出来る。「1,日本は攻撃を受けても反撃はしません。2,国民を守るため、政府の要人を人質に差し出します。3,したがって一切の実力行使を排除します」と、世界にあらゆる機会を通して宣言すべきだ。それが日本が進む道だと思う。

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日本三大山城

2015年05月26日 19時02分55秒 | Weblog

 次女が仙台から帰って来る時、「久しぶりにみんなで旅行に行きたい」と姉に言ったようで、長女が日曜日の宿泊地を予約してくれた。岐阜県の岩村にある宿で、この辺りでは唯一の旅館という。前の日に明知の大正村を散策したが、30年くらい前に行った時とは大きく変わっていた。大正村が出来て間もない頃だったと思う。観光バスが何台も来ていて、随分と人が多かった。ところが日曜日だったのに、観光客の姿は疎らだった。

 「子どもさんも食べられる」からと、紹介してもらった店は既に先客が何組か座っていた。けれども店の人の姿が見えない。「お願いします」と声をかけると、品のよさそうな高齢の女性が出てきたが、とても忙しそうだ。どうやら店はこの女性がひとりで切り盛りしているようだ。「6人ですがいいですか?」と聞くと、「時間かかりますけど」と言う。これは断られたのだと理解して、次の店を探した。食べさせてもらえた店も高齢の女性がひとりで料理し配膳し集金していた。

 日曜日なのにこの有様だから平日はもっと寂しいだろう。客が来ないから材料は少し置いておくだけになる。人を雇うこともできないから店主がひとりで切り盛りする。悪循環の典型的なまちになっていた。メイン駐車場の目の前の観光施設が閉鎖されていたことが事態を物語っていた。対照的に岩村は月曜日だったのに観光客の姿が目立った。明知のように施設や店が点在していなくて、古い町並みが短いけれど続いている。岐阜県にはこうした古い街道沿いの町並みが各所に残っているから、やはり観光客を呼び込む何かが必要だろう。

 岩村には天空の城、日本三大山城がある。宿泊した宿の直ぐ傍が山城の登り口だったので、長女のダンナと7月に6歳になる孫娘と3人で登ることにした。途中で「息が切れる」と孫娘が言うくらいしんどい挑戦だった。私も心臓が止まるかと思った。そんな辛い道を登っていくと、頂上付近が開けて見えた。「もう少しだ」と元気が出る。どうやってこんな山城を築いたのだろうと思うほど、複雑な石垣だ。これが見えただけでも登ってきた価値があると思った。

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市民協働推進事業

2015年05月23日 18時37分31秒 | Weblog

 わが市は平成の大合併で誕生した。4万と4万の2つ町が合併した市で、人口8万余と比較的こぢんまりとしている。自治体の単位としては、市民の顔が見えて丁度よいのではないかと思う。何もかも行政がやっては市民の融和も活力も生まれない。本当に行政でなければ出来ないことだけを行政は行ない、市民が主体的に市政にかかわっていけるように仕組みを変えるべきだと思う。

 そうなれば、市の職員は少なくていい。議会も議員定数を市民1千人にひとり、つまり80人くらいにするか、1万人にひとりの8人にするか、これは自治法を改定しないといけないが、そういうこともいいと思う。ただ、議員定数が問題なのではなく、あくまでも市民が市政に参加する仕組みをどのようにするかにある。本来なら、もっと労働時間が短くなって、市民が自分の生活している地域を快適にするために、かかわる時間を増やすべきだろう。

 わが市では市民活動を推進するために、市は事業を評価して補助金を出している。昨年度、補助金を受けた団体の報告会が行なわれ、誘われて出かけた。知っている顔が多かったけれど、全く新しい顔の人もいる。全部で13団体が補助金を受けたが、会に出席しているのは受けた団体以外の人たちもいるから、相当な数の市民が参加している。これも市となった成果だろうし、時代は確実に市民を育ててきた。

 補助金を受けた事業は、コンサートの開催、子育て講座や子育て情報誌の発行、大学の学生による地域とのかかわり、外国の人たちをもてなす町の魅力発見、演劇など、随分と幅広かった。それだけこの市にも有能で一生懸命な市民が増えているということだ。中でもある地域で、まちづくりのための地域カフェの開催は面白い活動だった。区が中心となっている点では地域委員会のようだけれど、間違うと行政の下請けになってしまう。

 市民が自らの手で、自らの市のあり方を考え、そしてそのために活動していく。行政は場所や資金や情報を提供し、協力するけれど口は出さない。そうなれば市政の主人は市民であり、行政はその手助けをする役割となるだろう。市民の意識が変われば行政の役割が変わるのは当然である。なかなか頼もしい市民を見ることが出来た。

 明日と明後日は家族旅行のためブログは休みます。

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地上絵は6年生の作品だった

2015年05月22日 19時25分11秒 | Weblog

 昨日のブログを見てくれた知り合いが、「大仏のことは学校のホームページに載っています」と教えてくれた。早速、ホームページを見てみた。6年生の3クラスがそれぞれ手分けして描いたものだった。白線が均一なのはライン引きを使っているためだが、それにしてもあんなに大きな絵をどうやって描いたのだろう。ホームページを見ると、19日は野外学習の日で、1年生から4年生まで出かけている。5年生はキャンプのための予行演習をしている。そうか、6年生は運動場を1日中使えたから地上絵に取り組むことができたのだ。

 ホームページには「本日、6年生は各クラスで運動場に実物大の大仏をかきました。それぞれの担当の場所に線を引き、クラス全員で協力し完成させました。どの大仏もクラスの個性が出ており、完成したときには子どもたちは達成感で溢れていました」と先生のコメントが書き込まれていた。この日は次女たちを迎えにセントレア空港へ出かけていたので、子どもたちがどんな風に作業をしていたのか見られなかったことが惜しい気がする。20日の朝、登校する子どもたちが静かだったのも、6年生の傑作に敬意を払ってのことだろう。

 ホームページを見ていてもう1つ気付いたことがある。記事がアップされた時間を見ると、20:09とあるから午後8時9分のことだ。先生たちが忙しいのはこういう授業以外の作業が多くなったからだろう。私が高校の教師になった頃は、たまたま伝統校であったかも知れないが、授業がなければ学校から出て行く先生もいた。夏休みは一度も学校へ来ない先生もいた。高校だったから許されたのか、まるで大学のような自由な雰囲気だった。

 半世紀も前の学校と今の学校では大違いだろう。初めてワープロが販売された時、字の下手な先生は飛びついた。ワープロで試験問題を作ったりしていたが、報告書はまだ手書きだった。手書きが尊重された時代だったが、今ではパソコンを駆使できなければ先生は務まらない。報告書は全部パソコン仕上げである。通知表もパソコンで作っている。黒板から白版になり、液晶画面の学校もある。先生がどんな字を書くのか、知らない子どもも出てくるだろう。

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運動場に大仏の地上絵が描かれていた

2015年05月21日 17時34分07秒 | Weblog

 昨日の朝のことだった。学校の運動場を見ると、3体の大仏が白線で描いてあった。まるでナスカの地上絵のように、上から見ないと分からないくらいが、日本画でいう鉄線描の手法で、実に精密にしかも美しい。3体の大仏はバランスもしっかりしているし、細かなところまでキチンと描き込んである。相当絵の達者な人が描いたものだと思われるが、誰が何のために、運動場に地上絵を描いたのだろう。映像が悪いが記念に掲載しておく。

 これはテレビニュースで流されると思ったり、新聞に載るのだろうか、などと期待していたが何も無かった。子どもたちもしばらくは運動場に出ることもなかったけれど、そのうちに体操の時間にはもう、地上絵のことなど忘れて飛び回っていた。そんなわけだったから、お昼時間になる前に見た時は、3体の大仏の像はどんなに目を凝らしても分からなくなっていた。あんなに立派な地上絵を描ける人はそんなにいないだろうし、時間もかなりかけないと出来上がらないはずだ。

 お昼から、9月に大和塾の市民講座で講演していただく講師のお願いで名古屋まで出かけた。話していたら、同じ昭和19年生まれだが、学年は1つ上であることがわかった。結婚式の時、さだまさしがギターを弾いて歌ってくれたという写真まで見せてもらった。さだまさしもそうだが、本人も長い髪を肩まで伸ばしている。私も同じように長髪スタイルだった。講師を引き受けてくれた人は黒々とした長い髪を今も保っているが、私はもう見る影もない。

 今晩はこれから、友だちの喜寿のゴルフ会の反省会に参加する。ゴルフをしないのに、反省会だけは参加して申し訳ないが、大勢でワイワイガヤガヤやるのは楽しい。さて、1品何か作らなくてはと思いつつ、時間を気にしている。

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子どもと老人

2015年05月20日 19時18分57秒 | Weblog

 交通事故を起こしたことのショックは大きくて、落ち込みがちなのに、逢う人ごとに「車、どうしたの?新車?」などと聞かれる。恥ずかしいけれど、隠すことも出来ないので、正直に話しているが、ドンドンと知り合いに広がってしまい、ますます小さくなっている。私をよく知る人は「黄信号で止まってしまう人が追突事故とはねえー」と驚いてくれる。無茶な運転はしなかったのに、本当にどうして事故を起こしたのだろう。

 視力検査は合格したけれど、目が見えにくくなっていることは確かだ。標識の文字が見えないので判断が遅くなる、だから運転が不安定になるのだろう。咄嗟の時の運動神経も鈍っているのかも知れない。自分では若い時と何も変わらないと思っていても、肉体の老化は必ずどこかに現れる。1歳になった孫娘を見ていると、純真さばかりが目立つけれど、意外に動きが素早いことに気付く。

 初めて家を出てヨソの家で暮らすことになり、周りは新しいものばかりで興味津々である。次から次へと手当たり次第引っ張り出していく。もちろん後片付けはできないから、始末は大人の仕事である。私の部屋には書棚があり本が並べてあるから、これは孫娘にとっては絶好の材料のようだ。家では次女から「ダメ!」と叱られるけれど、私は孫娘がどんな風に本を引っ張り出すのかまず見てみようと思い、やりたいようにやらせている。

 見ていると、まず引っ張り出す前にチラッと私の方を見る。叱るかと様子を探っているのだ。私が叱らないと見ると、途端に次々と引っ張り出していく。どこの家の1歳くらいの子どもはみんな、引き出しを開けて中身を出してしまうようだ。カバンやサイフも同様で、全部中身を出してしまう。赤子の時は、腹が減ったり、オムツが濡れたり、眠かったりした時に泣いたが、近頃では駆け引きで泣くような時もある。

 こんな風にして、子どもは学習を重ねていく。70歳を過ぎた大人は学習をすることはないのだろうか。学習して何か身に付けることがあるのだろうか。時間を遡ることはできないのだから、せめて今日、今この時を充実したものにしたいと願うことは無理なのだろうか。

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次女とその娘がやって来た

2015年05月19日 21時59分17秒 | Weblog

 仙台から次女が、1歳の誕生日を迎えた孫娘を連れて帰って来た。毎日のようにメールで写真が送られて来るので、その成長ぶりは分かっているつもりでいたが、こうして実際に会ってみると本当に大きくなった。5月の連休の時に、ダンナの両親が兵庫県から仙台へ1歳の誕生祝いに出かけたけれど、孫の成長は本当に楽しみだ。私には3人目の孫だけれど、ダンナの両親にとっては初孫で、何をやっても可愛いと見えただろう。

 月末には次女と孫と、長女の一家の8人で、1泊旅行に行く計画もある。長女のところの一番上は20歳だから、6歳の孫娘には母親のような姉である。その6歳の孫娘は次女のところの娘が自分とは従姉妹であると認識していることには驚く。きっと、長女が妹の子どもは「あなたの従姉妹なの」と教えたのだろう。だからなのか、6歳の孫娘はママの妹の1歳の孫娘と、「一緒にお風呂に入り、一緒に寝る」と、自分が世話をするのだと張り切っている。

 兄弟姉妹の子どもたちは親たちが集まる度に顔を合わせるので、いとこ同士の絆のようなものが生まれてくる。私も父の家である本家に集まる従姉妹たちの面倒をみた記憶があるし、母の実家に帰ると母の弟妹の子どもたちと遊んでもらった記憶がある。自分と年齢の近い子どもが一番仲良しだったし、影響も大きかった。母が亡くなり、父が亡くなって、従姉妹たちとの交流も途絶えてしまった。

 従姉妹会を作って交流を続けているという話も聞くが、誰かが音頭を取らないとなかなかできないし、年長者がその役目を引き受けないとそれも無理のようだ。私が私の兄弟の集まり、と言っても兄や姉の子どもたちと私たち夫婦と妹夫婦の集まりを続けているのも、亡くなった兄に代わって、兄や姉の子どもにつながりを意識して欲しい、君たちは決して孤立した存在ではなく、血のつながった人がいることを知ってもらいと思うからだ。

 だから、どうっていうことは何もないけれど、自分に血のつながった者がいることは確かな事実だ。それで何か助かるとか、いいことがあるとか、そんなことは無いだろうが、自分が父と母との間に生まれたように、父と母には兄弟姉妹がいて、そこには子どももいる。生きているのは自分だけれど、父と母の兄弟姉妹の子どもたちも生きていて、どこかで似たところがあるものだ。そんな風に考えるとちょっと楽しくなる。

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大阪都構想の敗北

2015年05月18日 18時48分55秒 | Weblog

 大阪市の橋下徹市長は大阪都構想に市民の賛成が得られず、12月までの市長任期を終えたら引退すると言う。その表情はこれまでに見たことのないくらい爽やかだった。惜しいと言う人もいるが、私は引退は当然と思う。次々に維新議員を当選させ、国会にまで送り込んでいたあの維新ブームの時なら大阪都構想も賛成が上回ったかも知れない。大阪府と大阪市を一体化させる構想だったけれど、構想が損得の問題に矮小化された時点で負けだった。

 維新が「2重行政の解消」を訴えたのに対し、反対の側は「都構想ではメリットはない。住民サービスは低下する」と訴えた。両方とも「損か得か」の主張だったから、投票結果は僅差となった。橋下さんは「独裁」を賞賛し、強硬な姿勢こそが政治を変えると言い、その姿勢を評価する人もいるが、だからこそこういう人をトップに置くのは危険だと思う。本人もそのことは分かっているようで、「私のような人間が長くやるべきではない」とも言っていた。

 「君が代」を歌っているかを調べたり、労働組合を敵視してイチャモンをつけたり、報道機関を恫喝したり、「ヤクザと一緒で何が悪い」と開き直ったり、ケンカを売ることで自分を見せる手法を駆使する人を、私は全く支持できない。近年では稀な個性の強い政治家と賞賛する人もいることにガッカリする。強力なリーダーシップとは何が何でも自分の主張を押し切ることなのかと呆れてしまう。

 「維新の会」の江田憲司代表は、橋下さんをバックアップできなかったので責任を取って代表を辞任すると言う。これで「維新の会」は解党に進むだろう。議員定数の削減や道州制など、「維新の会」が主張してきたものは「形」であり、大阪都構想はそれらの課題の1つに過ぎない。国会議員なら「国のありかた」を論議して欲しい。「どういう国にするのか。憲法、平和の実現、人々の生活の保障」などいっぱいあるのに、政党の中で何をしているのかと思ってしまう。

 橋下さんは2度と政治家になってはならない。それくらいの思慮はあると私は思う。

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