友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏休みも今日で終わり

2017年08月31日 17時18分33秒 | Weblog

 夏休みも今日で終わり。小学校へ通う子のいるご近所さんに、「8月最後のビアパーティでもやりますか」と声をかける。「わあー、いいわね」と言ってくれたが、午後から北の風が強くて、ルーフバルコニーに出られない。午前中の水やりの時、鉢を移動して宴会ができるように準備をしておいたのにこれでは無理だ。

 昨夜も窓をすべての全開にしておいたら、風が強すぎて寒くて眠ることもできず、北と西の窓を閉めて寝た。台風15号の接近による風だという。今年は梅雨らしい時期がないまま、かなり前から暑かった。毎朝、ルーフバルコニーで花に水をやり育ててきたが、今年も花たちは誰にも褒められもせず散っていくことになりそうだ。

 ジャズトランペット奏者の日野皓正さんが、東京都世田谷区であったコンサートの最中、ドラムを演奏していた男子中学生の髪をつかんで顔を往復ビンタしていている映像が話題になっている。男の子はソロ演奏中で、時間オーバーだったようだ。男の子の父親は「息子が悪い」と言い、男の子も「自分が悪い。自分のせいでこの企画がなくなるのは止めて欲しい」と願っているという。

 健気だねえ。ジャズの演奏はアドリブが多いから、つい夢中になったのだろう。ドラムのバチを取り上げられても手で演奏していたくらいだから本当に好きなのだ。校長の日野さんにすれば、みんなでの演奏だから勝手なことをするなと思ったのだろう。注意しても止めなかったから腹を立ててビンタしてしまったと思うが、世界の日野さんも意外に度量がないと私は思った。

 それにしても主催の教育委員会のコメントには驚く。「教師なら問題ですが、民間人ですから」とはどういう感覚なのだろう。ヘタなことを言って日野さんを怒らせ、長く続いてきたこの企画から「降りると言われたらどうしよう」と自己保身する態度が見え見えだ。世界の日野皓正さんもみんなの前できちんと謝るべきだろう。

 年を取れば分別もあり、包容力も大きくなる。そう思っていたが実際老いてみるとそうならない。それは若さの証拠などと言われると恥ずかしいよりも情けない。まだまだ風は強いようだから、「夏休みお別れ会」は夢と消えてしまうだろう。

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田中慎弥さんと島津佑子さん

2017年08月30日 17時37分18秒 | Weblog

  パソコンが動かない間、やることのないまま2冊の小説を読んだ。1つは田中慎弥さんの『美しい国への旅』で、もう1つは津島佑子さんの『狩りの時代』。私は中学の時から書き続けてきた(と言いながら実際は20代が抜けているが)日記が18冊ある。子どもたちには見せられないものだから、まったく知らない人で何かの役に立ちそうな小説家に送るのが一番と勝手に思い、それで田中慎弥さんと決めた。

 理由は簡単で、芥川賞の受賞の時、酔っ払っていたのか、そういう性格なのか(性格ならいっそう興味深いが)、「もらってやる」と発言していたし、石原慎太郎さんのことも「屁のカッパ」という態度だったので、とても印象深かった。早速、受賞作品は読んだが、父・母そして女の関係が面白く描かれていた。けれど、それ以後なかなか作品が出ていないと思っていた。日記を田中慎弥さんに送りたいと文芸春秋に勤める子を持つ知人に手紙を出したら、「作品は出ている」と指摘され、書店に頼んで購入したのが『美しい国への旅』だった。

 読んでちょっと驚いた。受賞作となった『共食い』にあった人間観察のないFSものだった。「美しい国」とは安倍首相の言葉からの連想だろうが、それは核爆発で汚れた世界で、その司令塔となったのはインポの男で自分の体を改造し、世界を支配するという奇妙な構想であり、ひとりの少年がこの司令塔を爆破するというマンガである。女と接して勃起しないことにこれほどこだわるのも田中慎弥さんが1972年生まれと若いためだろう。70歳を過ぎるともうそんなことも言っておれなくなる。

 島津佑子さんは太宰治の娘だ。幼い時から父親がいなかったから、父親のことを聞かれるのが一番嫌だったとどこかで話していた。母親に「どうして死んだの?」と問うと、一時おいて「心臓が止まったから」と言われ、それ以上は聞けなかったそうだ。異母妹がいると知った時は、父親をなじる気持ちより、「もっといろいろ出てくるのかしら」と思ったともいう。この寛容さは『狩りの時代』に出てくる女性たちにも共通している。主人公の女性は父を早くに亡くし、障害のある兄も亡くす。子どものころ、いとこたちと遊んでいた時、「フテキテカクシャ」と囁かれたことが脳裏から離れず、だれが何のためにと追い求めていく物語だ。島津佑子さんの最後の作品である。

 差別が人の原罪なのかも知れない。そして紛れもなく現在は、差別が横行している『狩りの時代』である。

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テレビはどの局も北朝鮮のミサイルを報じていた

2017年08月29日 17時03分05秒 | Weblog

  早朝からどこのテレビも、北朝鮮が発射したミサイルの話題だった。全国瞬時警報システム(Jアラート)が作動し、「目が覚めた」「どうしていいのか分からなかった」「怖い」と報じていた。ミサイルが通過した北海道から東北にかけて、Jアラートが発信されたというから、仙台に住む次女夫婦もさぞかしビックリしたことだろう。

 「戦争になるの?」と思った人もいたようだから、その恐怖は計り知れないものがある。「ミサイルを発射したら北朝鮮は3日でつぶれるよ」と友だちは言う。軍事力の差はそうだろうが、それで殺されるたくさんの人々がいることを、発射を命令する人はどう思うのだろう。北朝鮮から韓国や日本に打ち込まれるだろうミサイルで犠牲になる人々のことは何も考えないのだろうか。

 北朝鮮と韓国・アメリカは休戦状態にある。戦争は続いているわけだから、北朝鮮は攻め込まれないためにミサイル開発に躍起になってきた。核開発をやめなさいと言われても、終戦協定が結ばれない限りできないことだ。それでも自然災害は止められないが、戦争は人の知恵で回避できる。

 アメリカが「自由と民主主義の国」と自負するなら、日本が「憲法の精神に基づき、世界の平和に貢献する」なら、戦争にならないように努力すべきだ。北朝鮮を独立した核保有国家と認めても現状と何も変わらないだろう。国のことはその国民が決めればいい。殺し合いがないこと、餓死がないこと、人々が生きていけることが一番大事なことだと思う。

 誰かを好きになるのは仕方がないが、政務調査費をごまかすことは許されない。もっと大きな世界の平和を考えて欲しいが、市議なら市のあるべき姿を提案することだ。たとえ俗物でも政治家の端くれなら。

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いつまでも青春を夢見て、老人になり切れない

2017年08月28日 17時33分16秒 | Weblog

 

 山登りの好きな人の言葉にこんな名言がある。「人は自然のなかで清々しく生きるものです。邪念を突き抜けたとき、本当の愛が見えます」。73歳にもなっているのに、私はそんな心境に到達できていない。清廉潔白な心はどのようにして獲得するのだろうと思う反面、そんな聖人にならなくても、卑しい心に振り回されて生きるのも捨てがたいと思う。

 夏祭りの売り上げで、みんなで下呂温泉に出かけた。露天風呂から河原を見ていたら、小学生か中学生でも1年生くらいの男の子と女の子が手をつないで歩いていた。突然男の子が何か叫んで女の子をハグした。女の子も男の子の顔を叩くようなしぐさをして同じようにハグしていた。ふたりは何度も繰り返し、笑い合い、そして手をつないで消えていった。

 翌日は大滝鍾乳洞と「モネの池」を見て回った。大滝鍾乳洞へは以前来たことがあったが、ずいぶん観光地として整備されていた。鍾乳洞は人気なのでかなり込み合っていた。私の前は大学生風のカップルだった。女性はミニスカートだったので、目のやり場に困るかと思ったが、中は暗いし足場が悪いので、スカートの中を覗く余裕などない。

 「ねえ、やめて」と女の子の声がした。女の子の後ろから行く男の子が、女の子の足に鍾乳洞の水に触れた手でタッチしていた。水はとても冷たい。男の子女の子のきれいな足にタッチしてふざけている。「やめて」と女の子は言うものの嫌っている様子はなく、鍾乳洞の冒険を楽しんでいるようだった。

 「モネの池」では急に雷が鳴り、大粒の雨が降ってきた。フランス映画なら、若いふたりは雨宿りの場所を探して森をさまよい、見つけた小さな小屋で互いの体を温め合うところだろうが、あいにくそんなシチュエーションにはならなかった。河原の男の子と女の子、鍾乳洞の男女、見ていて清々しい気がしたのに、私は妄想の世界へ入り込んでいた。

 聖人の心は年齢で獲得できるものではないようだ。いつまでも青春に身を置いて夢見ていて、なかなか老人になり切れないのも困ったものだ。コメントがまだ1つしか来ないのも寂しい。

 

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ブログ再開、ご心配かけました。

2017年08月27日 15時52分05秒 | Weblog

 8月の頭からパソコンの具合がよくなくて、11日からは動かなくなった。スイッチを入れ、しばらく作業をしていると転換が遅くなり、閉じようとシャットダウンさせても電源が切れない。長女のダンナが来て直していってくれたが、一時は良くてもすぐにまた動かなくなった。

 私のブログが「1週間以上も更新されていない」と中学からの友だちが心配して電話をかけてきた。その時のことを彼はブログにこう載せていた。「電話をかけた時、高校野球をテレビで観ていたぐらいだから、要はパソコンの修理代を小遣いから捻出できなかったか、それとも、気持ちの上で毎日ブログを更新するのが億劫になったのかも知れない」と。

 なるほど私の深層心理まで分析している。さすがに高校時代、文学クラブの部長を務めただけある。私はこのところ、どういう訳か捨て鉢になっていた。生きていることに意味がない気がしていた。第2次世界大戦から70年経て科学はさらに進んだのに、人は全く変わらない。憎しみ合い、殺し合い、差別し合い、愛ではなく金に支配されている。民主主義は一向に深まっていかない。

 希望が見当たらないことを理由に、何もしたくなくなっていた。パソコンが動かなくなった。直せば金がかかる。直して何がしたいのかと自問する。ブログを更新できなかった2週間余り、何もすることが無くてただボーとしていた。ブログを書き続けるという強迫から抜けられてホッとするのかと思ったら、逆に腑抜けになっていた。

 娘たちが「毎日取り組むものがない」父親は「ボケる」と心配し、「パソコン新しくすれば」と言ってくる。「そうしよう」とやっと決心できた。新品を買うつもりで馴染みのパソコン屋さんに行くと、「ちょっと預からせて」と言う。先ほど、「直った」と電話があった。金額を聞くと「19,800円」と言う。今日から再び、ブログを続けることができるが、「よかったですネ」とコメントが来るだろうか?

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パソコンが動かなくなった

2017年08月10日 18時12分26秒 | Weblog

 パソコンの調子が悪い。諦めてノートパソコンで文章を打ち、本体のパソコンに送り込んでみようと思う。先ほどまで打っていた文章が思い出せないから、どうしたものかと思いながら、何もこだわる必要はないのに気になってしまう。このブログを私が続けているのは、中学からの友だちと続けることを約束したからだ。

 彼は一日も休まずアップしているが、私は理由を付けて時々休む。ネタが見つかればアッという間に書けるが、思いつくまでに時間がかかる。井戸掘り仲間と一緒の時なら、会話に中からネタを見つけることが出来るが、今日のように一日中家にいると新聞かテレビかそんなものから探すことになる。

 カミさんは仙台にいる次女とラインで話している。3歳の孫娘がメッセージを送ってきたからご機嫌がいい。3歳になって言うことがかなりオシャマになった。次女は娘の成長が楽しみではあるが、だんだん手に負えなくなってきて、「ダメでしょう」とか「何やっているの」とか叱ることが多くなっている。口うるさい母親になると子どもは「素直ではなくなるぞ」と言いたくなる。

 子育ては自分で経験する以外にない。親だって完璧に出来ないし、ましてや子どもが完璧に出来るはずはない。他人を非難したり傷つけたりしない子であればそれで充分だ。もう少し欲を言えば、他人に優しい子であってくれたら申し分ない。我が家の娘ふたりは願ったような女性になっていると思う。まあ、それぞれのダンナに聞いてみないと家庭での評価までは分からないが。

 求めすぎれば負担になるし、求めなければ疎遠になる。親子でも夫婦でも友だちでもきっと同じだろう。恋人同士で「求め合わない」と言う人たちはいないだろう。愛すること恋することは相手への要求であるが、強くなりすぎると耐えられなくなるし、何も求めなければ冷え込んでいき、破綻するのは必至だ。

 さて、ここまで書いた文章を本体に移そうと思ったら、本体のパソコンは動こうとしない。修理してもらい、1日遅れてやっと立ち上げることが出来た。私はパソコンに求め過ぎたのだろうか?

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人は耐えられなくなる時がある

2017年08月08日 18時15分26秒 | Weblog

 台風は通り過ぎたが、北から強い風が吹いている。昨夜の風で、南側のバルコニーに日除けのために植えたゴーヤの支柱が折れていた。昨日は東からの風が強かったが、まさか支柱が折れるとは思わなかった。豊橋では突風のためにトラックが横倒しになったし、屋根が吹き飛んだ家もあったから、支柱が折れたくらいの被害で済んでよかったのかも知れない。

 風向きが北からに変わり、西側のルーフバルコニーに置かれたサルビアの花が強い風に煽られ悲鳴を上げているように見える。バラもアジサイも大きく揺れ、折れそうになるのを堪えている。生きるものはその場に踏ん張って耐え、災いが通り過ぎるのをジッと待っている。しかし、人は耐えられなくなる時がある。子どもたちが建物から飛び降りて自殺した記事があったが、胸が詰まる。

 こんな時、教育委員会は「第3者機関で調査する」ことが多い。そして「いじめはあったかも知れないが、自殺の原因とは断定できなかった」と言う。どんな調査をどのように行ったのか分からないが、子どもが自殺したことは確かなのになぜ一歩踏み込もうとしないのだろう。学校も担任も「自殺するような子ではない」とか「そんな気配は感じられなかった」とか、弁明する。

 子どもは親には話せない。話せる友だちがいれば自殺もしいないだろう。話せる相手がいないから、思い詰めて死を選ぶことになる。だからこそ教師は教科を教えるだけでなく、子どもたちが相談しやすい教師でなければならない。子どもたちの様子を注意深く見守っていれば、防ぐことは出来ただろう。教師が忙し過ぎるとは思うが、一番大事なことは子どもたちの命を守ること。それが教師の務めだと思う。

 先日、卒業生が開いてくれたクラス会に出て、「やっぱり3年間一緒のクラスというのがよかったわ」と言うのを聞いて、なるほどと思った。互いを知ることで今も深い絆が存在するようだ。私の高校時代を振り返っても、3年間一緒だった新聞部の仲間や中学からの友だちのことを一番思い出す。今、卒業生のひとりから「クラス会では話せなかったから」と電話があった。

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台風が近づいているのに

2017年08月07日 16時21分03秒 | Weblog

 客室を兼ねた私の部屋は、西側にルーフバルコニーへ出られる大きな窓があり、北側にも2箇所に窓がある。部屋は東西に約6メートル南北に4メートルほどある。部屋からは、雨は時々降っているが、風は吹いている様子はない。しかし、南のバルコニーには東からの風が強く吹いている様子がうかがえる。

 空はどんよりとしていて、台風の時のような激しい雲の動きは見られない。それでも遠くは曇っていて何も見えないから、地域そのものが雲の中に入っているのかも知れない。急に雨足が強くなってきた。午後5時30分、台風はどこにいるのだろう。若い人ならスマホで台風の位置から雨や雷が何時ごろから強くなると知るだろ。

 Eメールでやり取りしていた友だちもみんなスマホになってしまい、連絡はほとんどCメールになってしまった。パソコンの調子はますます悪い。ブログが立ち上げられなくなることを心配してブログの編集に直接書き込んでみたら、3行も書かないうちに全く動かなくなってしまった。仕方ないのでいつも通り、ワードで下書きをしてアップすることにした。

 昨日、カミさんは氷嚢で頭を冷やしていた。「どうしたの?」と訊ねると、「熱中症はどういう症状なの?」と聞くので、「なったことないから知らない。気分でも悪いの?」と答えると、「熱中症みたい。晩御飯はあなた作って」と言う。食事を用意し、ワインを飲み、それで落ち着いたのか、いつものようにうたた寝を始めた。

 カミさんは身体を動かすことが好きで、スポーツを観るのも好きだ。それもゴルフやテニスのような個人戦を好む。私は運動はしないし、観るなら野球やサッカーのような団体戦がいい。長く一緒にいてもなかなか趣味や好みは一致しない。感覚も価値観も別々のままだ。それを無理に一致させようとしたら、どちらかが犠牲になる。

 どうやら今日はここまで書けた。それならアップしてみよう。

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自己満足ではあるけれど

2017年08月06日 17時24分35秒 | Weblog

 朝、ルーフバルコニーで毎日1時間ほど作業をする。咲き終えたサルビアの花を切り取り、枯れた葉を取り除き、ホウキではいて掃除する。バラの鉢も見て回り、同じように咲き終えた花を切り取り、枯れた葉を取り除き、周りを掃除する。アジサイも同様に見て回り、それが終わると最後に水やりをする。この時期は出来るだけたっぷり水をやるが、それでも夕方にもう一度水をやるようにしている。

 朝のうちは日陰なので作業はしやすいが、それでも1時間も身体を動かしていると汗が噴き出してくる。今朝、ふと思った。以前はルーフバルコニーでビアパーティーをしていたからサルビアをきれいに咲かせる必要があった。真っ赤な花と青い葉は夜の光の中では清々しく見えると私は思っている。ちょっと涼しい風があれば、夜景を楽しみながらビールもおしゃべりも進む。

 しかし、もう何年もビアパーティは開いていない。早朝に私が眺めるだけのサルビアになっている。来た人に喜んでもらうためのサルビアも、私が眺めるためのサルビアも、どちらも私の自己満足に過ぎない。何をやっても結局は自己満足なのだろうけれど、何か寂しさを感じた。こんなに汗を流してやることではないような気さえした。どうも最近、後ろ向きになっている。

 今年も広島の平和記念式典をテレビで見た。広島市長の平和宣言と子どもたちの平和の誓いに比べ、安倍首相のあいさつは空虚に思われてならない。内閣改造後の新たな決意も「深く反省し、真摯に受け止め、丁寧に分かりやすく、経済を立て直し、雇用と賃金の上昇を確保し、必ず結果を出し、国民の皆さんの信頼を取り戻すために、一丸となって全力で取り組む」と言葉が並んでいたが、なぜ、どのように、が欠けている。聞こえの良い言葉を並べれば、国民は納得すると思っている。

 「核」の抑止力は幻想でしかない。むしろ、狂気の政治家がボタンを押すかも知れない。「核」は「悪」、ならば本気で無くさなければ人類の滅亡を招きかねない。子どもたちのために、孫たちのために。そう願うのは私の自己満足だが、どうか、普遍化して欲しい。

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還暦から5年目のクラス会

2017年08月05日 22時22分00秒 | Weblog

 パソコンの具合は相変わらず悪い。せめて今日の分だけでも出来上がりますようにと祈る。今晩は昭和44年に入学してきた生徒たちが開いてくれるクラス会がある。卒業生とメールのやり取りをしていた時、「君らに見せたい大事な物がある」と私が伝えたので、「それならすぐクラス会を開かせますから」と返信が来た。そして何日も経たないうちに今日の案内が郵送され、「出欠はメールで知らせてください」とあった。

 私が古い持ち物を整理していた時、高校時代の新聞部の物とは別に2冊の文集が出てきた。それはクラス誌で、ひとつは試作品でもうひとつは完成品だった。試作品の方は全くの手描きのもので、完成品の方は印刷したものだった。あの頃は手書きのガリ刷りから、原稿をそのまま製版できるファクス刷りに代わっていく時だったのに、クラス誌はガリ版刷りである。デザインの編集にもなるし、よいではないかと思って作らせたのだろうが大変だったと思う。

 昨日、栄で開かれている「LOVE&PIACE展」を観てきた。今は大学の先生になっている卒業生が中心となってイラストで反核を訴える展覧会だ。「明日の夜(今晩のことだが)、クラス会が名城公園のレストハウスである。貸し切りではないとあるから適当に来いということかな」と話すと、「私が1年の時の3年ですよね。グチャグチャな学年らしい企画ですね」と言う。「やっぱり担任が悪かったのかな」と笑うしかない。

 まとまりのあって活発なクラスだった。文化祭に1年生で出場したのはこのクラスだけ。「最初に申し込んだにもかかわらず待遇わるし。いささか不満」とクラス誌にある。「先生の企画でクラスだけの学芸会が開かれた。ユニークでフレッシュな劇の数々。堂々3時間たっぷり皆をたのしませてくれた」ともある。「遅刻者1日最高18人!連日7~8人とあまりうれしくないニュース。中には意識的遅刻者もチラホラ」とも書いている。

 今晩、これを彼らが見て何と言うのだろう。印刷の仕事に関わっている者もいるのだから、写真で撮り直して復刻版を作って欲しいと思う。今、帰って来ました。復刻版は出来そうです。

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