友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中学校ではまるで別の人間になっていた

2023年01月31日 17時59分31秒 | Weblog

 風も無く穏やかな1月最後の日、マンションの中庭から子どもたちの元気な声が聞こえる。私は小学校の5年生になるまで、「声が小さい」と先生に注意されてばかりいた。大声を出すほどの自信が無かったのだろう。

 私を変えたのは5年生の時のストライキ騒動だ。5年生の男子は仲が良かったのか、授業が始まる前に、学校の中の池に集まりメダカを捕まえたりして遊んでいた。誰かが「今日はストライキだ」と言い出して、隣りの公園へ移動した。

 あの頃、トヨタはよくストライキをやっていたから、父親がトヨタで働く子だったのかも知れない。しかしその時になって、教室へ戻る子もいた。公園から更に奥の川へ移動した時も、何人かが学校へ戻っていった。

 結局は教頭が自転車で追いかけてきて、みんな学校へ連れ戻されたが、私は最後までみんなと行動を共にした。けれど、悪いことをしている意識は無かった。みんなで決めた遊びだった。校長室に入った時、担任の女先生が泣いているのを見て、胸が詰まった。

 教室で、私は手が上げられない子だった。ストに参加していた同級生が、「おい、一緒に予習しようぜ」と言う。予習などしたことが無かったが、予習をしてみると授業がよく分かり、進んで手をあげることも出来るようになった。

 6年生の時には児童会長にもなり、全校児童の前で話もした。予科練帰りの姉のダンナに相撲やケンカの仕方を教えられ、砂場で行った相撲では隣りの組の担任を寄り切った。何も出来ない色白のおとなしいだけの子どもが、大きく変わった。

 中学校では、大きな声を上げることも出来、まるで別の人間になっていた。「おとなしい顔しているのに、けっこう野蛮人だな」と言われたことがあった。1年の時に好きな子が出来て、恋に焦がれるようになった。「あなたは、あなたが描いた恋に恋しているのよ」と、初恋の人は高3の冬に去っていった。

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矛盾しているようで矛盾で無いのが現実のようだ

2023年01月30日 18時15分43秒 | Weblog

 お昼ご飯を食べてから、7回もトイレに駆け込んでいる。お昼は市販のスパゲティーで、お腹を下すような生ものは食べていない。十二指腸潰瘍で入院した時のような水便だが、血は混ざってはいない。明日はパソコン屋さんが来てくれる日なので、もう少し様子を見ることにする。

 寒さが厳しいこともあって、家から外へ出ることは無い。本を読むか、テレビを観るか、常に同じ姿勢でいるせいか背中が痛むので、時々身体を動かすが大して効き目は無い。日曜の夜はNHKテレビを9時まで観る。好きな番組の『ダーウィンが来た』を観ているとカミさんが、「この頃、海外ロケのものが無いわね」と呟く。

 8時からの『どうする家康』は全く面白くない。これまでの大河ドラマを観ていた高齢者から、世代交代させるための演出なのかも知れないが、三河人である私としては納得できないことが多い。信長が安土城のような本格的な城を造るまでは、小さな領主の城は農家を大きくした程度の砦であったはずだ。

 桶狭間から岡崎に逃げ帰る道中に、海はないし、信長が水泳をしていた切り立った河岸は、尾張には無い。昨夜は、信長と同盟を結んだ家康に信長の妹、お市の方を嫁にという話があったが、家康は駿府に残してきた妻や子を想い、断ってしまう。けれど後の家康は、妻と子が甲斐の武田と結んでいると疑い殺してしまうが、これをどう描くのだろう。

 9時からのTBSドラマ『GetReady』は、もっと分からない。天才的なオペ技術を持つ執刀医は、報酬の金額ではなく、患者が生き延びる価値があるかで判断し、オペで救うか否かを決める。そして、何億円という報酬は受け取る。「子どもを生まない女は、女ではない」と言った政治家がいたが、生き方や価値を決めるのはその人自身である。

 人は最後は、自分自身で決めなくてはならないことばかりだ。けれど、私の水便を止めるのは、私自身ではない。矛盾しているようで矛盾で無いのが現実のようだ。

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そろそろ読み終わるのに、さっぱり分からない

2023年01月29日 18時44分40秒 | Weblog

 岡井隆さんは21歳の時に洗礼を受けたクリスチャンだったが、その後はキリスト教を思考の対象としていた。中日新聞の朝刊に、50文字ほどの岡井さんのコラム『けさのことば』が、1984年から2014年まで連載され、私は興味を持って読んでいた。

 日本共産党のシンパだった時期もあり、皇居での歌会始の選者になる時は、左右から批判があったようだ。実生活では、3度も結婚しているし、この他にも何人かの女性と関係を持っているらしいから、惚れっぽいのかと思ったら、本人は「逃げ遅れる性質」があると『わが告白』に書いている。

 本書では、なぜ離婚を繰り返したのかは明確では無いが、「何によれ予想通りにはいかないと、いったんは諦めて順応しようとする。が、しばらくするとそこから脱出しようとした」「わたしは、男女の関係性という場面では、深いところでは生きて来ず、浅処をつねに渉っていたという外ない」とある。

 また、別のところでは、「最初の結婚でつまづくとすぐに転んで、浅い沼から立ち上がり、次の不可能性の婚へとうつる。それもうまく行かないと、第3の婚を目ざして、遠くへ逃げた。そして、それもまた離婚すると、今の状況へころげこみ」と書いている。

 子どもの頃から「臆病」だったいうが、生活するにはお金が要るから、金銭的な不自由の経験は無かったのだろう。最初に結婚した相手は、同じ「アララギ」の年上の歌人で、この頃は年上の女性に接触している。ところが中年になると、今度は年下の女性と生活するようになる。

 「独断専行」の「身勝手な」男であるのに、どうして女はいったんは受け入れ、そして離別を迎えるのだろう。私には理解できないが、興味深い。岡井隆さんの『わが告白』はそろそろ読み終わるのに、まださっぱり分からない。暗中模索で、読んでは戻り、また読んでいる。

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孫娘よ、父親をそんなにイジメないでくれ

2023年01月28日 18時12分35秒 | Weblog

 長女の誕生日祝いと、ダンナのためのバレンタインチョコ、それに中1の孫娘のための学業成就御守を届けるために出かけた。カミさんが孫娘に、「国府宮の御守よ」と手渡すと、チラッと見て、「おせっかいやなあー」と笑って受け取った。

 小学校と違って中学校は、成績が常に問われる。孫娘は小6の時、「中学生になったら、本格的に勉強する」と宣言していたが、まだそのスイッチは入らないようで、友だちとスマホで遊ぶことに夢中になっている。

 周りのみんながスマホ世界だから、自分ひとりだけが勉強するのは難しいのかも知れない。スマホの技術はどんどん高度化していて、親もどう扱ってよいのか苦慮している。愛知県の公立高校が2群に分かれて受験できた時代は終わった。

 子どもの数が減り、私学は推薦枠を広げて受け入れている。何のために高校へ行くのか、大学に進学する意味はどこにあるのか、若い人たちは無気力になっていると聞く。認められる存在になりたいが、給料がもらえるなら頑張らなくてもいい仕事がいい、そんな若者が増えているそうだ。

 長女のダンナはとても物知りで、車がガソリンからEVへと転換するのは、新幹線のような列車が電気で動いているように、電気の方が回転には適しているからだと教えてくれた。コンピューターのプログラムもコンピューターが作成する時代、コンピューターに強い頭脳の持ち主が引っ張りだこになっていると話す。

 マンガの好きな孫娘が、IT産業に進むとはとても考えられないが、あの娘の突拍子もない発想は新時代にふさわしいのかも知れない。孫娘が注文したラーメンを父親が、「ちょっとちょうだい」と言って、3分2も食べてしまったことを根に持って、「絶対親孝行はしない」と父親に向かって宣言していた。

 娘に甘く、いつも娘の世話をしているのに、なんという悲劇だろうか。まあ、そういう会話が出来る親子であることは、円満な証拠なのかも知れない。孫娘よ、父親をそんなにイジメないでくれ、御守を身につけしっかり勉強に励んでくれ。

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何時の時代でも声をあげる人はいた

2023年01月27日 17時51分00秒 | Weblog

 朝から雪が降っている。寒い。けれども積もる雪ではないようだ。道を歩く人は疎らだが、行き交う車はそんなに少ない感じはしない。カミさんはゴルフの練習に行く日だが、「怖いから今日は止めておこう」と、テレビを見ている。

 闇バイトによる強盗事件が報じられている。百万円のバイトなどあるはずがないのに、どうしてノッてしまうのだろう。近頃、みんなお金に困っているのか、「儲かる」ことに敏感で、テレビでもよく「半額もお得」とか「ポイント還元」とかやっている。

 私はカードは持たないので、何を聞いても馬耳東風でしかない。友だちの家では、彼が電灯を点けたまま部屋を出ると、カミさんがすぐに消しにくるという。彼も「しまった」とは思うけれど、「もったいないでしょう。年金生活なんだから、節約する以外にお金は出てこないのよ」と頭から叱られ、ムカッとくると言う。

 おいおい、ここは我慢のしどころである。クソッ!と思って、闇バイトなどに走らないで欲しい。どうせ私たちのような年寄りは、オタオタしていて役に立たないと思うが、逆に年寄りだから使い道があると思われたら、それこそ闇に葬られるのがオチだ。

 何か世知辛い世の中になってきた。国会での野党の質問、岸田総理の答弁がニュースで流れるが、全く的を射ていない。昔からこんなものだったのだろうか。それくらい、私は真剣に見たり聞いたりしたことが無い。こんな国民ばかりなら、政治家は迫力も真剣さも無くしていくだろう。

 国民が主役で無かった昔から、形の上では主権者となった今日まで、国民はあまり変わっていない気がする。今はどれだけでも勉強できるのに、何でも発信できるのに、どうして私たちは勉強もせず、無力感に浸ってしまっているのだろう。

 でも、何時の時代でも声をあげる人はいた。明日の天候予想よりも、私はその歴史を信じている。

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恋多き歌人の『わが告白』

2023年01月26日 17時31分32秒 | Weblog

 歌人・岡井隆さんの『わが告白』を読んでいたら、81ページにこんな文章があった。

 「父が言ったことがある。『隆、人生をあのたったの数秒で終わる快楽のために捨ててしまうのは愚だぜ』」。(略)「射精後に来るあの暗冥は、アナキスティクである。世の秩序を、身体的行為が、嘲笑っているのである。わが父もしばしばそれを経験しているからこそ『隆よ、なあ、あの数瞬のために、人生をあやまつなよ』とさとしたのだろう」。

 「数秒で終わる快楽」が射精のことだとは分かった。アナキスティクとは何だろう、無政府主義に関連するのだろうか。性行為を射精にだけ求めるのも理解しがたい。抱きしめ合う前から胸は高まり、キスをし、服を脱ぎ、身体を重ねる一連の行為が快楽へと導く。射精だけすれば満足というなら、テレビのコマーシャルではないが、「そこに愛はあるのか」と問いたくなる。

 先輩が昔、「カミさんと愛人は違うぞ」と話してくれた。「カミさんの裸をしげしげと眺めようものなら、嫌らしいと言われてしまう。愛人なら、身体の隅々まで見せてくれるし、性器や尻の穴にキスもさせてくれるが、カミさんにそれを求めようものなら変態と軽蔑されてしまう。愛人とのセックスはドキドキして楽しいが、カミさんとは義理の付き合いみたいなもんだ」。

 結婚して60年以上経っているから、口で言うほどではないと思う。男と女はセックスだけで結ばれている訳では無いし、離れがたい何かがある気がする。年老いた夫婦は互いに我儘が前面に出てしまい、なかなか相手を受け入れようとしなくなる。これも老いが抱える宿命なのだろう。

 岡井隆さんの『わが告白』の帯に、「男女の愛とは何だろうかー。」とあるように、この本の深層でのテーマなのかも知れない。恋多き歌人であり、長寿の人の「告白」だから、何かが見えて来る気がして読んでいる。

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寒さは明日も続くのだろうか

2023年01月25日 17時15分25秒 | Weblog

 「10年に1度の大寒波の襲来」と、テレビは何度も繰り返して警告していた。昨日は暗い空からゴーゴーと強風が吹き付け、雪が窓ガラスに叩きつけられ、凄まじい勢いだった。今朝は真っ白な雪景色かとカーテンを開けると、風は止んでいて雪もわずかに積もっているだけだった。

 子どもの頃は、滅多に降らない雪が楽しみだった。昨日も雪交じりの中で、子どもたちは元気に遊んでいた。寒い、寒いと閉じ籠っているのは年寄りばかりのようだ。私は井戸掘り仲間で、2月にカニを食べに行くことになり、その資料の配布のため、午前10時にマンションを出た。

 行き交う車は少なかったが、日陰の道路は凍っているし、歩道を走れない自転車が車道を走るので、危なっかしくて怖かった。車を降りて歩くと、凍り付いているところもあって滑りそうになる。ハイヒールの女性は見なかったが、普通の婦人靴の人はおっかなびっくりで、歩く姿が気の毒だった。

 こんな寒さの中で、戦争しているロシアとウクライナの人たちは更に気の毒だ。何のために戦っているのか、一人ひとりに考える余裕があればいいのだが‥。ロシアは奪還だと言い、ウクライナは取り戻すと主張する。領土の奪い合いに命を捧げるとは、何と愚かなことか。しかし、人類は古代から、この愚かな行為を繰り返してきた。

 ウクライナのあるアドレア海と黒海に囲まれたこの地域は、民族が土地を奪い合ってきた。北欧系のゲルマン人や南のアラブ人、東からはスラブ人やモンゴル人がやって来たようで、ウクライナ人にはいろんな民族の血が混ざっているという。現代はもっと世界の距離が短くなっている。もっと混血が進めば、国境は意味をなさなくなるだろう。

 寒さの中でも子どもたちの元気な声が聞こえる。あの子たちのためにも、戦争の無い世界になって欲しいと思う。寒さは明日も続くのだろうか。

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クラス会は役に立つかも知れない

2023年01月24日 17時25分12秒 | Weblog

 小学校6年の時の同級生から、「相談したいことがある」とメールをもらったのに、グズグズしていて返事が出せなかった。私ひとりで会うよりも、誰かを誘ってと思っていたからだ。そこで思い切って今朝、誘うつもりの友に電話をしてみると咳き込んでいる。

 「どうしたの?」と聞くと、「コロナにかかっちゃって」と言う。「大事にしてね」としか言いようがない。友と一緒に行くのを諦めて、ひとりで行くぞと決意して、同級生に電話した。何のことはない、会って欲しいのではなく、電話して欲しいということだった。

 同級生は友だちの名をあげて、「年賀状を出したところ、奥さんからお礼のハガキが来て、昨年7月に亡くなったとある。君は知っていたか?」と訊く。私は故郷を離れてから、小学校の同級生とはほとんど交流が無い。同級生は「もっと、みんなに会えるようにして欲しい」と言う。

 小学校のクラス会が開かれてから、もう何年になるのだろう。幹事を引き受けてくれる、世話焼きは誰が残っているだろう。小学校よりも中学校のクラス会は、よく開かれたけれど、それもこのところのコロナ禍で途絶えている。

 お金にならないし、手間はかかるし、世話好きがいなければクラス会は出来ない。今年の4月がくれば、私は79歳になる。私は充分に生きてきたので、そろそろお迎えが欲しいと思っているが、「クラス会をやれよ」と言う同級生は生きることに執着している。何とか応えたいと思いつつ、誰に頼むかと考える。

 岸田総理は「異次元の子育て支援」と言うけれど、何をどうするのか全く見えてこない。防衛費の増額だけは、自民党は一丸となって取り組む決意だ。何と愚かなことか、老人は増えるが若者は少なく、しかも生産は落ち込む一方である。

 「世界は終末に向かっている」と唱える人もいるが、孫や曾孫の時代が平和で穏やかに暮らせるようにするのは老いたる者の責務である。そんな話し合いをするために、老人たちのクラス会は役に立つかも知れない。

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座りっぱなしの生活が健康を害した

2023年01月23日 17時25分08秒 | Weblog

 高校1年の時に母が亡くなって、病身の母のために借りていた一軒家を引き払い、材木屋の倉庫を仕切った元の部屋に戻った。父と妹が仕切りの大きい方の部屋で寝起きし、私は狭いが独立した部屋を使っていた。

 ある日、父が優しそうな、母と変わらないくらいの女性を部屋に連れて来た。こんな惨めな生活を見せるなんて恥ずかしいと思ったが、父はきっと、だからこそその人に見せたかったのだろう。

 女性は後家で、南山大学に通う息子さんがいるという。「勉強を教えてもらえるから、よかったな」と父は言う。どうやら父はその女性と結婚し、この部屋を出るつもりのようだった。けれど、結婚する前に父は亡くなってしまった。

 校長だった頃の父の日記を読むと、校長室の机に新しい花が飾ってあるのを、「あなたですね。とてもよい香りがします。運動場からあなたの声が聞こえてきます。幸せな気持ちでいっぱいです」などと書いてあった。

 姉が昔、父に好きな女性がいると怒っていたが、きっとこの女の先生のことだろう。父は恋に憧れる文学青年のまま生きていた。父は静かな人で滅多に怒ることも無く、いつも小さなスケッチブックに絵を描いたり、そうでない時は本を読んでいた。

 母は正反対で、明るく陽気で、大きな声でよく笑った。物乞いが家に来た時、洋裁を習いに来ていた生徒さんが、「先生、あげても無駄ですよ」と注意したのに、「いいのよ。ほんの少しでごめんあさいね」と、お金を包んで渡していた。

 気前がよかったのに、私や妹の前では、「お金がない」とばかり言っていた。母は働き者で、女学校の先生を辞めてからは、近所の女の子に洋裁や編み物を教え、頼まれた和服や洋服を徹夜して縫っていた。座りっぱなしの生活が、健康を害していったのだろう。

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マンションの臨時総会が開かれた

2023年01月22日 17時24分42秒 | Weblog

 午前10時から、隣りの小学校の体育館で、マンションの臨時総会が開かれた。3回目の大規模修繕計画について、審議し採決するためである。コロナ禍で毎年行ってきた総会が開けず、総会で提案される議案の認否を提案箱に入れ、承認を得てきた。

 けれど、5億円もの大規模な修繕計画となると、住民の意見を聞く機会を設けて採決する必要があると自治会は判断し、今朝の臨時総会となった。4棟660世帯もあるマンションの工事なので、自治会役員会と修繕委員会は慎重にならざるを得ない。

 修繕委員会のメンバーは知り合いも多く、安心できる人たちである。築45年以上経ているので、地震に対する備えは良いかがいつも議題になるが、役員会は東北大震災後の統計から、心配することはないと結論付けたが、私もそう思っていたので賛成した。

 外壁塗装工事について、各戸の窓枠は共有部分だが、窓については各戸で行うとした説明が議論を呼んだ。窓枠工事は修繕計画に含まないと説明し、個々の不具合については別の機会に相談会を設けるとすれば、もう少し審議時間は短縮されただろう。

 それでも、久しぶりにみんなで議論する伝統がよみがえった気がした。マンションに最初に入居してきた人々は60年安保の世代で、住民自らが治めるユートピアを描いていて、管理を業者に任せず、自治会が行う稀なマンションとなった。

 今朝、臨時総会に出席してみると、以前よく発言していた人たちの姿は無かった。それでも見渡すと高齢者ばかりだった。総会が終わり、会場に並べられたパイプ椅子を片づけるのを手伝う人たちが多く残ったから、まだ良き伝統が生きていた。

 けれど、その姿は痛ましい。以前なら両手で4つも5つもパイプ椅子が持てたのに、片手で1つ持つのがやっとで、中にはヨタヨタと倒れそうな人もいる。わがマンションの高齢化は避けられないが、いつまでも住民自治が続くようにと願う。

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