友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

日本人は恥を知る国民なのか

2012年03月31日 20時16分06秒 | Weblog

 日本人は恥を知る国民だと言われてきた。地位の高い人は、結果が悪ければ、責任を取って自害したりした。そんな風に聴いてきたけれど、実際はどうだったのだろう。戦国時代では、負けた方の大将は部下を助けるために腹を切って死んだ。土壇場になって、逃げ出したりするのは恥ずかしいことだと私は教えられた。忠臣蔵の吉良上野介は地元の西尾では立派な殿様として称えられている。けれども映画などでは、悪役にしなければならないから、女装して逃げ、倉庫に隠れている。逃げることは卑怯者のすることだからだ。そうかと思うと、城には攻め込まれた時に逃げ出す秘密の抜け道があった。いったい、潔く死を選ぶことを重んじたのか、逃げることは恥ではないと思っていたのか、どちらが本当だったのだろう。

 私が子どもの頃に一番不思議に思ったのは、終戦を迎えて誰も自害していないことだった。実際は何人かが自害しているようだけれど、戦争を遂行した人々は、昔の大将のように「責任を取って」自害しようとはしていない。戦地の現場で、自害した将校はいたようだけれど、作戦を立てて何十万人もの人々を死に追いやり、さらに多くの人々の生活を破壊してしまった人々は、自ら責任も取っていない。なぜ、天皇は自害しなかったのだろう。天皇と共に御前会議で戦争を進めてきた人たちは、天皇と共に死を持って責任を取る道を選らばなかったのだろう。

 東京電力の福島原発の事故が起きて一年が過ぎた。避難区域の見直しが行われているが、生活が全く変わってしまったのに、誰も責任を取る人はいない。菅直人前首相だけが、脱原発を政府の方針にしようとして職から追放された。東電の役員たちも、原子力安全・保安院も原子力安全委員会も、誰も責任を取っていない。組織が変わるまでは「責任を持って勤める」と言うけれど、それは自己保身でしかない。「爆発は起こらない」と言い切った原子力安全委員会の斑目委員長は、「疲れたから辞める」と言い、「みんながやめないでくれと言うから辞めない」と発言を撤回する。これは責任ある人の態度ではない。

 テレビニュースを見ていたら、顧客から預かった巨額の年金資産を消失させたAIJ投資顧問の淺川社長が国会に参考人として出席していた。損失が生まれていたのに水増しした運用利回りの数字を見せていたのに、「だますつもりは全くなかった」と言っていた。年収が7千万円であることを問われると「働いたのだから当然である」と答えていた。東電の、あるいはオリンパスの、AIJの、社長らは会社の責任をどう考えているのだろう。社長としての自らの責任はどこに存在するのだろう。

 中日新聞のコラムに面白い記事があった。「消費税を上げ、医療費を引き上げ、定率減税を引き下げ、風邪から治りかけていた日本経済を肺炎にしてしまった。同じことを繰り返そうとしているんでしょうか」という発言を記載し、これは2005年の衆議院本会議で、当時の小泉首相を前に野党時代の野田首相が展開した増税批判だとあった。同じ野田さんが首相になったら、全く違うことを言う。しかも、なぜ消費税増税かの根本にかかわる説明はなく、「繰り返し説明してきた。政治生命をかけている」とばかり言っている。

 日本人は本当に恥を知る国民なのか。自らが責任を取らないことを恥じる心はどこにいったのか。いやそもそも日本人は、恥じる心などは持ち合わせないのだろうか。誠に恥ずかしい気がする。

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小学校の同級生からの電話

2012年03月30日 19時15分08秒 | Weblog

 昨夜、小学校の時の同級生から電話があった。28日のブログを読んでビックリしたこと、そして、ブログの中に「ペースメーカー会社のパンフを読んでいたら、ペースメーカーの寿命は5年から10年とあった。“一生大丈夫ですよ”と人は言うけれど、5年から10年くらいで死ぬということなのだろう」なんて書くのはダメだと言うのだ。「あのさ、あんたは自分では死なないと思っているから書いているんだろうけれど、読んだ方はショックだよ。あんまり驚かせないでくれよ」と言う。そして、「近いところに住んでいるんだからさ、時々はコミュニケーションを取り合おうよ」とも言ってくれた。

 彼とは小学校の5年と6年、一緒だった。学校のすぐ傍に家があり、遊びに行ったことがあるが、それは大きな、今で言えばカルチャーショックだった。私たちが遊びにいくと、彼のお母さんが迎えてくれたが、アメリカ人の家のようだった。食堂だったかに通してもらったけれど、テーブルと腰掛だった。お母さんはトースターでパンを焼いて、バターを塗って食べさせてくれた。飲み物は紅茶で、初めて飲んだ。家にはピアノがあり、確か蓄音機も置かれていた。2つくらい下の妹がいたが、とても可愛い子だった。着ている服も、根っからの地元の子どもとは違っていた。

 トヨタ系の会社が増えて、彼の家のような新しい家庭が多くなっていた。学校で上位にいるのは、そういう家庭の子どもだったように思う。彼は、中学から私学の進学校へ行ってしまったが、彼の学校では、成績順に席が並ぶので頑張らなくてはいけないという手紙をもらった記憶がある。しかし、いつしか手紙のやり取りも途絶えてしまった。それが、50代だったか、それまでは全く音信がなかったのに、小学校のクラス会の案内が来て、再び彼に会うことができた。トヨタ系の会社の役員をしているということで、桁違いに貫禄があった。相変わらず話し方はソフトでうまかった。彼が働きかけてくれて、2年おきにクラス会が開かれるようになり、私も彼の後を受けて先回は幹事を務めた。

 彼は「あんたのブログ、毎日読んでるぞ」と言う。彼自身は水彩画の教室に通っているというので、その作品をブログに掲載していた。小学校の時、絵はうまかったのかなと思ったが、水彩画の作品はなかなかのものだったのに、いつの間にか中断してしまった。体育は得意ではないようだったけれど、成績は抜群だったと思う秀才で何でもよく知っていた。「あんたのブログは丁度A4判1枚に入るんだな。毎日よく書けるね」とクラス会の時に話しかけられたから、いつも気にして読んでくれているとは思ったけれど、電話までくれるとは有り難い。

 彼には申し訳ないけれど、私たちは人生の終末を迎えている。そんなことはいちいち気にすることではなく、むしろ毎日を楽しく充実させることに全力を注入したい。彼は会社の役員まで務めながら、県の臨時職員に応募し、研究と研鑽に励んでいる。彼のブログで拝見すると、ガーデニングにも力を入れているようだ。私も負けないように、一日を大切にしたい。「あのさ、井戸掘りは止めておいた方がいいのではないか」と彼は心配してくれたのに、今日も出かけてしまった。結果は、まだ水は出ない。

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「約束が違う」

2012年03月29日 19時37分07秒 | Weblog

 3日連続の空振りで、心身ともに疲れた。16メートルも掘って、水が出てこないのはどうしてなのだろう。水と共に流れ出てくる砂は含水層に見られるものだ。それに打ち込んだ水が一気に引いていくから、水脈があるはずなのに、なぜ水は出ないのだろう。明日また、作業を行うことにして、今日は終了した。朝、神社のソメイヨシノはまだ咲いていなかったが、3時頃見ると、一輪だけ花が開いていた。境内には雪洞が張り巡らされ、午後には幟旗も神官や巫女の手で上げられ、桜祭の準備が整った。なんとしても、明日には水を出さないといけない。土曜日から1週間は桜祭で賑わうから、きっと作業はできないだろう。

 人生は皮肉なものだ。この神社のように固い層も大きな石もない、いくらでも掘り進められるような地質のところは水脈になかなか到達しない。だからと言って、上総掘りを行うには技術も不確かであり、また人数も足りない。この困難な局面をどうやって乗り越えていったらよいのだろうと、寝ている時にも考えてしまう。「社会保障と税の一体改革」と民主党は言い、マスコミや評論家は「極めて困難な問題」とか「論議を尽くすべきだとか」言っている。そもそも民主党は増税には反対していたのに、政権与党になって方針を変えるのはおかしい。民主党が先の選挙で掲げていた方針を変えるならば、まず解散すべきであろう。

 うまくいかないことや思いもよらぬ事態の発生は当然ある。生きていれば、日常的にもよくあることだ。けれど政治は、だからと言ってこれまで自分が主張してきたことをいとも簡単に変えてもらっては困る。昔、「万博反対」と言って国会議員に当選したのに、議員になって自民党から働きを受けるとコロッと方針を変えてしまった。次回は自民党の比例区から出てはどうかと誘われたのだ。投票した人たちは怒って、裁判まで行ったけれど、政治家の変節を弾劾できる法はない。今日の民主党は、選挙の時の主張とは全く違うことをしているのだから、全国各地で裁判を起こされてもいい状況だ。

 寺田農さんという男優が「約束が違う」と訴えられている。寺田さんはアクの強い役を昔は演じていたが、最近は渋い善人の役もすると見ていた。10年近くも事実婚のような状態にあったのに、自分以外の女性と結婚してしまったのは許せないと彼女は言っていた。親戚や友人たちに、「僕のカミさん」と紹介されたというし、結婚式にもふたりで参加した。彼女の言うとおりなら、寺田さんは誠に自分勝手という他ない。けれど、寺田さんは何も言っていないから分からないが、同じことでも違っているかも知れない。

 オセロの中島さんが占い師にマインドコントロールされ、食い物にされているようだと、テレビの番組で何度も取り上げられていた。その占い師という女性がテレビでインタビューを受けていたけれど、彼女の言い分を聞いているとまるで占い師の方が中島さんにコントロールされているように思われてくる。「ケンカは一方だけの言い分を聞いてはダメ。必ず双方の言い分を聞いて判断」が鉄則である。人と人との間で起きることは、両方から聴かずに結論を出すべきではない。男と女のことや、巷の些細なイザコザはそれですむけれど、政治の世界での「約束が違う」は、再び選挙で判断する以外にはないように思う。

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楽しみな春、待ち遠しい

2012年03月28日 19時17分50秒 | Weblog

 昨日の様子から、今日の井戸掘りで水は出るだろうと、みんなその気になっていた。昨日の作業で地中に残してしまった、掘るための塩ビ管を引き上げることから始めたが、意外に簡単に抜くことができた。その隣に穴を空けて、もう一度挑戦である。順調に作業は進み、午前中に昨日の深さまで到達した。さらに2メートルを加えて、10メートルまで掘り進んだ。午後はこれに2メートル掘り進んだ。途中、雨に降られたこともあって一時作業を中断したけれど、この後はさらに2メートル加え、結局14メートルまで掘り進めた。しかし、水がある兆候はない。10メートル過ぎた辺りから、余りにも簡単に掘り進んでいくから不思議だった。

 水が出ない井戸掘りはどっと疲れる。おまけに今日は、途中で入れた吹管が外れてしまう最悪の事態になった。今日で終わるつもりだったから、がっかりした表情が目に見える。不機嫌になってしまう人さえいる。「よし、もう一度明日、挑戦だ」と長老が声を上げる。私はできる限り、重労働はしないようにしていたけれど、少ないメンバーでやっているからそんなに後ろ向きではいられなくて、つい手が出てしまう。すると、仲間のひとりが「やらなくてもいいから」と言ってくれる。皆さんのモチベーションが下がらないようにとだけに気を使う。

 丁度、2週間前の3月14日、ペースメーカーの植え込み手術を受けた。月曜日に診断だけ受けるつもりで出かけたところ、「今日から入院していただきます。明日、カテーテルを行い、結果が良ければ明後日、ペースメーカーを植え込みます」と医者は淡々と言う。私は「別に、めまいがすることも、気分が悪いこともありません。それでも手術ですか?」と聞いてみた。「脈拍が31しかありません。このままにしておけば、確実に心臓は止まります」と言う。そこまで言われたのでは受けるしかない。それで水曜日に手術を受け、その日から5日目の月曜日に退院となった。

 「何をしてもいいですよ。ただし、ペースメーカーがしっかり固定されるまで、1ヶ月くらいは左手を急激に上げたり、無理な力仕事はしないようにしてください。ペースメーカーのリード線が外れることがありますから」と医者はまた淡々と言う。シャワーは入院中からできたけれど、家でお風呂に入った時は、生きているのだと実感した。いつも自分では若いつもりでいたけれど、こうしてペースメーカーを植え込まなければならないのは、明らかに年老いた証拠である。ペースメーカー会社のパンフを読んでいたら、ペースメーカーの寿命は5年から10年とあった。「一生大丈夫ですよ」と人は言うけれど、5年から10年くらいで死ぬということなのだろう。

 そうと知ったら、できるだけ気になることは早めにやっておこうという気になった。「そんな井戸掘りなんかダメ」ではなく、普段と変わらないようにやっていきたい。「お酒も飲んでもかまいませんが、何でもそうですが、飲みすぎは身体によくありませんよ」と医者は言ってくれたのに、まだ口にしていない。4月1日のエイプリルフールに飲もうと思っているからだ。4月は「桜の宴」があり、我が家のチューリップが咲き揃えばワインパーティーがあるし、みんなで飲む機会も結構続く。楽しみな春、待ち遠しい。

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素人集団の悲しさ

2012年03月27日 20時11分55秒 | Weblog

 暖かくなって、久し振りに井戸掘りに行くことになった。場所は名古屋の真ん中に近い神社の境内である。古い地図を見ると、名古屋城を西の端にして、東に台地が広がっている。また、名古屋城から北側は一段低くなっていて、これも東に多少入り組んでいる。名古屋城はそんな台地の北西の外れに位置しているようだ。この台地になっているような場所で、果たして水が出るのだろうかと不安である。しかし、名古屋城には井戸があったし、その東側に当たる東区は戦災の被害を免れた地域で、古い家がまだ多く残っていて井戸がある。そう思うと、水が出ないと決め付けることもないようだ。

 人は1年毎に当然だが歳を取る。いつも一緒にいたから気が付かなかったけれど、久し振りの井戸掘りで会ってみると、膝の悪い人や腰の悪い人やらで、なぜか顔付きまで老けたような人もいる。私が一番年下で、ほとんどが70歳を超えているのだから当然かも知れない。病み上がりの私をかばって、「何もせんでもいいから」と言ってくれるけれど、見ているとやはり気の毒になる。あれだけ何度もやって来た作業なのに、その手順を忘れている人もいる。とにかく、玉砂利を取り除き、表面の土が出てきたところでまずツルハシとバールで掘り始めた。

 80センチくらいのところでコンクリートの蓋のようなものに当たる。10センチほどずらして再度掘ってみるがやはりまだ固いものに当たる。さらに1メートルほど場所を変えてみると、今度はスムーズに掘り進めることができた。水槽も満タンになった。塩ビ管を立てて、水圧で掘り進める。すぐに2・8メートル掘れた。1・8メートルの塩ビ管をつなぎ掘り進める。さらに1.8メートルつなぐ。まだ掘れるというので、さらに1・5メートルつなぐ。約8メートルまで掘ったところで、水脈らしきところに当たる。そこで塩ビ管を少し上げようとしたが、動かない。焦ってさらに引き上げようとした時、古い接着部分から抜けてしまった。

 いつだったかテレビで、アフリカの田舎で井戸掘りをしている日本人の活躍を放映していた。鋼鉄管を上から落として穴を空けていくやり方だったから、上総掘りという江戸時代に千葉県で考えられた方法のようだった。私たちのやり方では固い層に当たるとそれ以上進めないが、上総掘りは多少の固い層なら刃先を替えて突き進むことができる。テレビでは30メートルも掘っていたから、上総掘りは井戸掘りとしては優秀な方法のようだ。私たちも上総掘りを勉強しようと千葉まで出かけていったけれど、未だに習得できていない。どうしても今までやって来た自分のやり方がいいように思ってしまうのだろう。

 歳を取れば、それだけいろいろなことを知るわけだから、広い心の持ち主になってもいいはずなのに、なぜ他のやり方もある、他の考え方もあると柔軟に受け止められないのだろう。自分が知っている範囲では、自分が経験したことでは、限界があるとわかっても、なかなか素直に自分を変えることができない。それが年寄りの特質であるなら、まあ仕方がないかと思う。今日は8メートルまで掘ったという実績を示して終わった。明日はもう一度、初めからやり直すか、それとも今日、残してきた塩ビ管を使ってさらに掘り進めるか、思案のしどころだが、きっと明日、現場に立つとまた方針が変わってしまうかも知れない。素人集団の悲しさである。

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生きるなら楽しく生きている方がいい

2012年03月26日 18時42分26秒 | Weblog

 交尾できなかったハエは、アルコール入りの餌を好んだという記事があった。交尾できたオスに比べて、満足した時に脳内で増す神経伝達物質が少なく、その欲求不満をアルコールで埋め合わせているというものだ。いかにも本当らしいけれど、そうなのかなあーと思ってしまった。動物は子孫を残すために生きているが、人間はそうでもない。自分で自分の命を絶つ人もいるように、自分の命は自分のためにある。もちろんもっと厳密に言えば、人は自分ひとりでは生きていけないから、誰かを愛して生きている。自分を必要とする人がいるので生きている。

 朝日新聞の土曜日のbe版「職場の理不尽Q&A」に面白い記事があった。Qの方は、デキる先輩が幅を利かせていることの悩みである。デキる先輩はよく仕事をする。連日深夜まで会社にいるし、休日出勤もする。それだけならいいが、同じように頑張らない社員を批判する。批判ばかりか、「あいつはウチの部には要りません」とか、「あの働きぶりは、会社をなめている」と上司に言う。彼の作り出した社内世論のために、閑職に追いやられた人もいれば退職せざるを得なくなった人もいる。デキるけれど嫌な彼、どうしたらよいのでしょうとあった。

 こういう会社員っている。決して悪い人ではないけれど、自分と同じように頑張らない人間は会社のクズだと本気で思っている。人にはいろいろな事情があることが、この人には見えないのだろう。良い点を見出せないような人が上司になると、部下はたまったものではない。度量が小さいのか、見る目がもともとないのか、困った人である。会社じゃなくても、サークルやグループでも、やたらと他人を批判したがる人もいる。こういう人はきっと自分を褒めて欲しい、自分を高く評価して欲しいのだろう。

 こうした困った上司にどう接すればよいのかと、Aの方が気になった。すると、「人はなぜ悩むのでしょう」から始まり、「職場は理不尽の宝庫です。困った先輩や上司、面倒な同僚や部下がウヨウヨしているし、組織の論理に泣かされることもしばしば。しかし、悩んだおかげで問題が解決したという話は聞きません」と言う。「悩むという甘い誘惑に溺れるのではなく、具体的に自分に何ができるかを考えましょう。何もできそうにないなら、無力さをかみしめつつ腹をくくるのもひとつの選択」と結んでいる。

 その後、いろんな手立てがあることを述べておいて、「仕事というのはロールプレーイングゲームみたいなもの。(略)強引に楽しんでしまうのが大人の意地であり、仕事なんかのために人生を丸ごと押しつぶされないための対抗策です。失敗したらまた別のやり方を考えればいいだけ」と結論を下している。仕事をゲームと思ったことはなかったけれど、私もそんな風に生きてきた気がする。友だちの息子に生真面目な人がいて、ウツ病になってしまったけれど、彼がこんな風に生きられるようになればいいのになと思った。

 まあーそれでも、生真面目な人に生真面目になるなと言っても始まらない。その人はその人の人生を生きるしかない。いい時があれば悪い時もある。どうせ生きているなら楽しく生きていた方がいい。これは井戸掘り仲間の先輩の口癖であるが、的を射ていると思う。

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音楽を聴くと癒される

2012年03月25日 21時28分48秒 | Weblog

 友だちが主宰しているピアノ教室の発表会があった。朗読の仲間が応援で出演しているというので、見に行ってきた。このピアノ教室は高校生の孫娘が3歳から通っていた教室で、凄く評判はいいが教え方が厳しいと言われている。今日の発表会を見ると、小さな子どもたちが得意そうにピアノを弾いて楽しそうだ。生徒さんは増えているから、先生も少し優しくなられたのだろう。生徒さんが増えるということは経営的には恵まれるだろうけれど、今日のような発表会はきっと苦労が多かったことだろう。

 客席は出演者の家族ばかりだったけれど、私たちのように孫可愛さで両方のジジババが来ていたりして、結構の人数だった。ただ、情けないことはわが子(あるいは孫)の演奏が終わると席を立ってしまう人も多く、仕方がないこととはいえ残念だった。それにしても、曲目を選ぶことや発表会が中だるみしないような演出など、随分工夫していると思った。子どもたちの発表だけでなく、途中にピアノを習い始めたばかりの小さな子たちによる「絵本うた」を入れたり、高学年の子どもたちには音楽物語『窓ぎわのトットちゃん』を朗読と演奏を組み合わせたりと、楽しませてくれた。

 ピアノの演奏を聴いていると、音楽はいいなと思う。私は、小学校に入学した時に描いた絵が面白いというので、絵の教室に通うことになったけれど、両親が音楽に関心があってピアノを習わせてくれていたならよかったと、どうにもならない昔のことを思い出す。私の子どもの頃には男の子がピアノを弾くことは稀だったから、きっと得意になっていただろうと勝手なことを考えた。それなのに、娘が「ピアノが習いたい」と言って来た時は、だからある意味では喜んだけれど、ピアノを置く場所も買う余裕もなかった。「ピアノは誰もが習うけれど、ヴァイオリンを習う人はいないから、ヴァイオリンをやったらどうか」と娘を説得した。けれども、ヴァイオリンは難しすぎて、演奏家にすることは出来なかった。

 「音楽を聴いていると、癒される」と言う。確かに、そうだ。ひとりで家にいる時などは、好きなCDを聴くこともある。歌詞があれば、その言葉の力が強いと思うけれど、音だけでなぜ人は癒されるのだろう。人は空を見ても美しいと思う。雑草の小さな花にも心惹かれる。小説や映画は別の世界と分かっていても、のめりこんでしまう。絵や書は1枚の限られた平面なのに、見入ってしまう。生活に直接結びつかない、有っても無くても困らないものなのに、心が揺さぶられる、あるいは癒される、そういうものを人間は持っている。これは凄いことではないだろうか。

 美しいものを見ても、小説や映画を見ても、音楽を聴いても、何も心揺さぶられることのない人がいる。きっと恋したこともないのではないかと思ってしまう。工業高校の教員だった時、体育館の完成を記念して、「能」が上演された。悪ガキどもに「能」など見せても分からない、騒がないように監督せよと学校の上層部は指示していた。ところが、いざ演技が始まると生徒たちは舞台にクギ付けになった。どこにそんな力があるのかと思うほど、動作の一つひとつを食い入るように見つめていた。本物のよさに触れるとはこういうことかと思った。

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ベン・シャーンの絵本『ここが家だ』

2012年03月24日 19時35分04秒 | Weblog

 朝から降っていた雨は午後には止んだ。明るい日差しが降り注いできたけれど、風は冷たい。春はまだ遠いのだろうか。鉢植えのチューリップはすっかり芽を出したけれど、彼岸を過ぎてもまだ大きくなってこない。春になればと期待していたが、今年はどうやら遅いようだ。仲間たちと例年行っている「桜の宴」は4月14日に決まった。桜吹雪の中での酒盛りになるのだろうか。桜よりも仲間と宴会が出来ることが大好きな人たちではあるが、それでも桜が散ってしまった後では寂しい気がする。自然は思うようにならない。だからこそ、変化があって面白い。

 友だちが、第12回日本絵本賞に輝いたベン・シャーンの『ここが家だ』をプレゼントしてくれた。ベン・シャーンはアメリカの画家で、抽象やポップ・アートの多い中にあって東洋人のような線描きを得意とする画風の人だ。その線は石に鉄棒で引っかいたように力強い。華やかな絵よりもどこか寂しい気配がある。彼の父親は腕のよいユダヤ系リトアニア人の大工で、ロシア皇帝の独裁政治に反対して革命運動に加わり、逮捕されてシベリア流刑となった。幸い脱走に成功し、やがて一家はアメリカへ渡った。ベンは小学校・中学校をブルックリンで過ごしている。貧しい移民の子はいじめの対象にされたけれど、彼は歩道や路面に人気のスポーツ選手の絵を描くことで助けられたそうだ。

 ベンは中学を卒業するとマンハッタンのリトグラフ工房で石版工の見習いとなった。それは彼がイラストレーターとして名を成していく礎となったのだろう。彼の絵が力強い線なのにどこか寂しさが漂うのはこうした生い立ちと無関係ではないと思う。そんなベン・シャーンが描いた絵本はどんなものなのかと思った。『ここが家だ』は第5福竜丸事件を題材にしている。第5福竜丸と聞いても知らない人が多くなったかも知れない。この絵本が賞を取ったのは2007年のことだけれど、悲しいことに昨年の福島原発事故が絵本の価値を高めてくれた。原子力の脅威を私たちは再び知ることになったから。

 1954年、第5福竜丸はマグロを追って焼津港を出た。6千キロ南のマーシャル諸島の海でマグロの群れを発見、寝る間を惜しんでハエナワを伸ばす。3月1日、夜明け前、西の空が真っ赤になる。火の玉が雲よりも高くあがっていく。8分ほどすると、ドドドーンと爆発の音が響いた。しばらくすると、空から白いものが降ってきた。珊瑚か何かが燃えた後の灰だ。灰は何時間も降り注いだ。アメリカが原爆よりも1千倍も威力のある水爆の実験を行ったのだ。第5福竜丸はアメリカが指定した危険区域の外にいた。けれども灰は容赦なく降り注ぐ。第5福竜丸はまっすぐ焼津を目指した。無線を使えば、アメリカ軍に撃沈されるかも知れない。めまいが起き、下痢が続いた。顔が黒くなった。髪の毛が抜けた。灰には放射能がたっぷり入っていたのだ。

 「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」と言って、無線長の久保山さんが亡くなった。人々は「久保山さんを忘れない」と言った。「けれど、忘れるのをじっと待っている人たちもいる。人々は原水爆をなくそうと動き出した。けれど、新しい原水爆を造っていつか使おうと考える人たちがいる」。「忘れたころに、またドドドーン!みんなの家に放射能の雨が降る」。絵本はそう警告していたが、「安全」といわれた原子力発電所からたくさんの放射能が飛び出してきた。

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大人の恋愛ドラマ

2012年03月23日 18時56分34秒 | Weblog

 火曜日の夜、テレビで中山美穂と佐藤浩市の『最終駅』を、昨夜は小泉今日子と中井貴一の『最後から二番目の恋』を観た。日本人も上手に恋愛映画を作るようになった。映像もきれいで、カメラアングルや背景の使い方もいい。『最終駅』の方は、大阪を出発して札幌へ向かう日本一の長距離を走る寝台特急が舞台。列車から日本海に沈んでいく夕日が人気のようだ。そんな寝台特急の最後尾がふたりの部屋だ。ふたりは別れるつもりで、最後の思い出にこの列車を選んだ。

 大阪駅を出る列車には佐藤しかいない。「やはり、来なかった」と佐藤は思う。中山は立派な妻であり母である。これ以上、不倫を続けていくことは出来ないだろう。分かっていても、何ともやりきれない気持ちでいる。そこへ京都から中山が乗り込んできた。彼女は追いつくために必死になって走り、やっとの思いで京都駅で乗り込むことが出来たのだ。すれ違いは感情のすれ違いにも表れる。重なってはまた離れ、離れては重なっていく。恋の宿命である。

 佐藤浩市よりも少し端正な顔付きの男性の方が、あるいはもっと普通のサラリーマンっぽい男性の方がよかった気がした。佐藤は幼い時から中山を見てきたから、彼女が強い人間であることは知っているし、だから自分の家庭が壊れた時に彼女に会いたかったのだろう。彼女はまた、完璧な女を努めているうちにそのウサを彼にぶつけていた。それがふたりを男女の関係にしてしまったようだ。何がどのようなきっかけであっても、出会うことで埋められるものがあるなら、それはやはり愛なのだと思う。

 佐藤は途中の駅で降りてしまう。中山も彼を追って降りてしまう。雪の中を探し求める中山、この映像はもう少しダイナミックでしかもロマンチックであってもよかった。とにかくふたりは再び出会い、ホテルで一夜を過ごし、中山は大阪へ帰る切符を、佐藤はこのまま北へ行く切符を買う。時間をずらして出発した二人なのに、雪のために列車は遅れる。大阪行きの列車がやってくるが、中山は乗らなかった。そこへ北行きの列車が来る。列車は出発する。呆然と見送る中山。その時、階段から佐藤が降りてくる。やはり結末はこうなるのか、こうなる以外に描きようはないなと思う。

 『最後から二番目の恋』はラブコメディーで、小泉今日子と中井貴一のやり取りが可笑しくて最後まで笑わせてもらった。『最終駅』よりも、こんなコメディーが出来ることの方に感心してしまう。二つの物語の主人公は40代から50代で、いわば大人なのだが、若い人たちの恋愛よりも味合い深いものがある。大人だって寂しい時はあるし、人恋しい時もある。何もかも分かったような振る舞いをしなくてはならないけれど、そんな自分がたまらなくなる時もある。「老いていくことは、今まで出来たことが出来なくなること」とNHKの『カーネーション』の主人公は言っていた。

 確か、『最終駅』という映画が昔あった。ストーリーも俳優も覚えていないけれど、ロマンチックで悲しい映画だった気がする。イタリア人のデ・シーカ監督の作品だったと思う。最近、同じ題名で、トルストイの晩年を描いた映画が作られた。見に行こうと思っているうちに終わってしまった。タイミングが合わなければ、チャンスを逸する。ドラマが描く教訓である。

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不思議なことが多い

2012年03月22日 19時31分57秒 | Weblog

 平成26年から35年までの10年間、個人市民税の均等割りを年額500円引き上げる法律が12月の国会で成立し、そのため各自治体では3月議会において、これを条例化するための審議が行われている。東日本大震災の復興のために莫大な資金が要ると政府は言っていた。その資金は国債でまかなうと言っていたけれど、結局は国民に負担してもらうということだった。しかも一律に年間500円を10年間徴収する。何だか、民主党政権になって、自民党政権では出来にくかったことがどんどん押し切られていく。

 野田佳彦首相は「消費税の引き上げは不退転の決意で臨む」と繰り返すけれど、いったいあなた方民主党は何をしようと思って国会議員になったのですか?と問いたい。政権交代はなぜ必要だったのですか?と聞きたい。自民党が社会党と一緒に内閣を組んで、社会党の党首の村山さんを首相とする内閣が成立した。村山内閣がやったことは消費税の引き上げと自衛隊を合憲としたことだった。それでどうなったのか、社会党は一気に凋落した。跡形もないほどに、というといやまだ社民党として残っているという人もいるが、社会党と社民党では雲泥の差だと思う。これも時の流れなのかも知れない。

 社会党が大事にしてきた「馬鹿のような絶対平和主義である自衛隊は違憲」という柱がなくなったのだから、社会党の存在も当然なくなった。消費税の引き上げも、貧しい人の負担が大きいから反対だったのに、国民に広く負担してもらうことで安定的に税が確保できると増税に踏み切った。国の将来のためと村山さんらは本当に考えていたようだけど、いったい自民党政権とはどう違うと思っていたのだろう。社会の底辺で暮らす人々に光を当てた政治を目指していた社会党は政権の担い手になって変身した。あの時は自民党との連立だったから仕方がないという考えもある。しかし、民主党政権は選挙の公約そのものを反故にし、自民党政権ではやりにくかった消費税増税を推し進めようとしている。

 税金はみんなのために使われるのだから、収めることに異議はないと誰もが思っている。ましてや今回のような大惨事に遭った人々を救うためには増税も仕方がないと支持している。税を納めるのは当然だとしても、本当にその金額が必要なのか、どこにどのように使われることがベストなのか、審議が尽くされているのだろうか。政治の成り立ちを考えてみると、生産力が高まってきたから生産に加わらない人をみんなで養うことが出来た。みんなでやればいいけれど、みんなの代わりに専門にまとめる人を置いた。もっと生産が上がってきて、武装集団も置けるようになった。

 生産が上がらなければ、生産に加わらない人は養えなかったはずだ。しかし、生産に加わらない専門家が集団を成すと、生産を上げるように指示するようになり、そのうちに「足りない」と言い出して、雇い主であった人々は奴隷のように働くことになった。人々の代表が集まって政治が動いている社会になったけれど、政治を動かしている専門家たちは税金を納めている人々とは大きな乖離がある。これはどうしようもなく埋められないのだろうか。新聞各社は個人市民税が年額500円10年間引き上げられることになったと報じていたのだろうか。マスコミは何のために何をしようとしているのだろう。不思議なことと疑問に思うことが多い世の中だ。

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