友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人間はスッキリと割り切れない

2011年01月31日 21時06分40秒 | Weblog
 午後4時過ぎだった。電話が鳴ったので受話器を取った。「もしもし」と言うが、返事がない。耳を澄ましてみるとガサゴソと音がする。間違いなく電話はつながってはいる。いたずらな無言電話かと思っていると、「パパちゃん、ママちゃん、パパ、ママ、アイちゃん、アンパンマン」と知っている単語を全て並べる。1歳半の孫娘だ。私が名前を呼ぶと「はーい。パパちゃん、アンパンマン」と答える。しばらく会話にならない会話が続いたが、「バイバイ」と一方的に切られた。

 長女が電話してきたのだろうけれど、「ママに代わって」と言っても、1歳半の孫娘には通じなかった。何のための電話だったのか、必要ならまたかかってくるだろうと思ったが、一向にかかってこない。遊びのつもりでかけてきたのだろう。1歳半の赤子がどれほどの会話力があるのか、私は自分の子どもの時を思い起こそうとするがよく分かない。赤子を見ていて分かるのは、親のあるいは周りの人を真似して言葉を覚えていくことだ。子どもが行なう動作も大人たちの動きを見ながら覚えたものだ。

 生まれたばかりの赤子は目が見えないけれど、まだうまくつかめない小さな手で、乳房をまさぐり乳首に吸い付く。これはどう見ても本能である。けれど、言語は周りを見ながら覚えていくようだ。だから、周りが日本語なら日本語を、英語なら英語を話せるようになっていく。昔、インドでオオカミに育てられた少女が2人いた。1歳くらいの子は人間の手も戻されると比較的早く言葉を覚えたそうだが、8歳くらいの子は何時までも覚えることができなかった。けれども皮肉なことに、早く人間化した子の方が先に死んでしまった。オオカミはきれい好きで、排尿や排便の後は親が舐めてきれいにするそうだが、人間化した少女は尿毒症で亡くなった。

 小倉千加子さんが『セックス神話解体新書』の中で、そんなことを書いていた。小倉さんはこの著書の中で、男女の野生児の例から、セックスは本能ではなく後から学習したものだと説いていた。母性本能などという言葉も実際は本能という言葉をつけているけれど、後天的に学ぶものなのかも知れない。赤子が周りの人々に笑顔を振り撒くのは、弱い自分の立場を知っているが故に防衛の本能が働いていると長女のダンナは分析していたけれど、それはきっと正しいと私も思う。人間はいったいどこまでが本能で、どこからが学習の成果なのだろう。

 大学に入ったばかりの頃、「理性は自分を守るためのものであって、理想を求めるためのものではない」などと、真剣に論議したことがあった。理性は人が生き抜くため功利的なもっと言えば狡賢い智恵なのだという主張である。赤子が笑みを振り撒くのと同じというのである。欲深な自我が露骨であれば、誰もが付き合おうとはしない。けれども状況をわきまえ、理性的な振る舞いが出来る人物なら、それだけで人は受け入れられる。これは生きるための智恵であり、人が持っている本能ではないのかと言い合った。

 愛し合うことも本能であると同時に理性でもあるように私は思っている。男たちはセクシーな女に惹かれるけれど、実際に好きになるとセクシーなだけではない何かが働く。性的な欲望と同時に説明しがたい何かが存在する。どうも人間はすっきりと割り切れない。
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明日は雪降りだろうか

2011年01月30日 18時33分13秒 | Weblog
 サッカーのアジア杯の決勝戦、日本チームはオーストラリアに延長戦まで戦って勝利した。かなり厳しい試合であったようだ。スポーツとなるとカミさんは関心が高く、昨夜も頑張って見ていたようだ。私はやっぱり怠け者で、朝のニュースで分かればいいとばかりに先に寝てしまった。準決勝の韓国戦の時も、前半の試合まではテレビで観戦していたけれど、かなり押し気味の試合であったのに1点を先取され、ダメかと思っていたら同点に追いついた。勝っても負けてもきっといい試合になると思ったので、結果は翌日でよいとばかりに眠ってしまった。

 私の高校はサッカーの名門校で、体育の時間はほとんどサッカーだった。走ることは好きだったから、授業がサッカーに変わることは何も苦にならなかったけれど、サッカーは格闘技のようなところがあるので、ぶつかり合ってメガネを壊して親に苦労をかけた。私が生徒会長をしていた時、サッカー部が県大会で優勝し、西宮球場での全国大会に出場することになった。地元の観光会社に掛け合ってバスの手配をしたり、応援団を作り3年生の親しい先輩に頼んで団長を務めてもらったり、全国大会への準備に追われた。試合は1回戦で敗退だったけれど、次の試合までの段取りは全く出来ていなかったから、負けてよかったと思った。

 昨夜から強い風が吹いていると思ったら、今朝は雪が積もっていた。16日ほどの降り方ではなく、午前10過ぎ頃からは止んでしまった。しかし、明日の朝はもっと雪が多いとの天気予報に、カミさんは「タイヤチェーンを着けておいた方がいいかしら」と言う。明日の朝からは午前7時30分には出勤しなければならないのだ。朝、雪の中でオタオタするよりは、太陽のある今のうちの方がいい。「これから着けるから手伝って」と言う。鎖状のタイヤチェーンではなく、ゴムバンドに鉄の爪の付いたもので、私も始めての体験である。

 太陽は出ていたけれど風は強く、作業をしていても余りの寒さに鼻水が落ちてくる。私はこのゴムバンドのものは初めてだが、鎖状のものだって着けたことのないカミさんが、説明書を見ながらアレコレと指図する。なんとまあー、気の合わないチームかと思うほど、やることがチグハグになってしまい、1時間以上かかってしまった。やっとの思いでしっかり準備出来たのだから、きっと明日の朝は雪などない天気になっているだろうが、出来ることならドカ雪になって欲しいものだ。そうでなければ、寒さの中でぶつかりながらやった価値がない。どうなのだろうか。

 まだ、子どもたちが幼かった頃、雪国を見せてやろうと思って、琵琶湖の北の余呉湖へ車で出かけた。国道8号線はすでにタイヤチェーンなしでは通行できない。私は雪の中で黙々とタイヤチェーンを着ける作業をした。車の中のカミさんとふたりの子どもは「まだ出来ないの」という顔で時々、作業状況を見守る。寒いと言うよりも汗びっしょりだった。こちらでは見られない雪景色に、長女は大喜びだったけれど次女は半べそだった。駐車場に止めた車は翌朝、スッポリと雪に埋もれ、どこにあるのか分からないほどだった。

 再び訪ねてみると、「もうあれほどの雪は降らない」と余呉湖の宿の人は言う。雪はすっかり少なくなったようだけれど、明日はどうなのだろう。
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家族の形は変わっていく

2011年01月29日 19時13分16秒 | Weblog
 1歳半の孫娘は昨日、退院した。水疱瘡は瘡蓋が出来ているので、後は回復に向かうという判断らしい。それに今日は母親である長女の誕生日なので、ダンナの音楽仲間がお祝いの会を開いてくれると言うから、これが最大の退院理由かもしれない。昨日、見た限りでは元気に歩き回っていたので、今日もパーティーの主役を独占していることだろう。ダンナは40歳近くになって結婚し、子どもが出来たから、文字通り目に入れても痛くないほどの可愛がりようだ。ダンナの家族にとっても初めての孫だから、ぜひ頻繁に実家に連れて行ってあげたらよいのにと思う。

 父親と母親がいて、子どもは生まれてくる。たとえ、人工授精であったとしても卵子と精子がドッキングして子どもが出来ることには変わらない。全く自分とつながりのない他人の卵子と好きになった男の精子との受精卵を自分の子宮で育てた野田聖子さんの気持ちは、私には理解できないが、世の中にはそんなことをしてまでも子どもが欲しい人がいる。全く逆に、愛し合って子どもをつくりながら、子どもが生まれて大きくなると子育てできなくなって殺してしまう人もいる。子どもはとても可愛い。どうして殺せるのか、理解できないが、きっと何か手助けがあれば思い止まることも出来たはずだ。

 自分たちが生んだ子どもでなくても、生んだ子ども以上に愛情を注いで育てる人もいる。血のつながりなど、本当は不確かなものなのだ。むしろ、血がつながっていることから諍いが生まれたり、横柄さが顕著になってしまうことはよくある。親は子を自分のモノのように扱ってしまったり、子は親のありがたさをおせっかいと思ったり、身近な存在だからこそのぶつかり合いはよくある。人が自分以外の人のことまで気配りできるようになれば、みんなが気持ちよく暮らせるけれど、そう出来ないところが人間の弱さなのだろう。

 最近、年齢差の大きなカップルが話題になっている。『週刊朝日』に「70歳からの愛とセックス」という見出しで、アナウンサーの山本文郎さんご夫婦と漫才の内海桂子さんご夫婦の対談が載っていた。内海さんは68歳で24歳年下と、山本さんは73歳で31歳年下と結婚した。「惚れる気持ちに年齢なんて関係ない」と4人は言う。「年を取ると若いころみたいな欲情はなくなるけれど、愛情の表し方が違ってくる」「本当に愛されているだっていう安心感が感じられるし、その中にある営みなんだなと実感することができる」などと話していた。若い人が「恋愛なんか面倒臭い」と言うのに、年齢の高い人の方が熱心というのはどうしてなのだろう。

 NHKの朝の連続テレビ小説『てっぱん』は、父親を知らない若い女性が主人公だ。そこへもう一人、相手の子を身ごもりながら結婚できなくなった女性が登場してきた。いったいこれからどんな展開になるのだろう。愛するということと子どもが出来るということをどのように結びつけていくのか、見ていきたいと思う。家族の形は一夫一婦制ではなくなっていくだろう。そんな予感がする昨今であるが、間違っているだろうか。
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福山雅治のいう「皆が笑って暮らせる国」へは何時向かうのか?

2011年01月28日 23時29分39秒 | Weblog
 高校1年の孫娘は、今晩もスイミングスクールへと出かけている。学校から帰ってきて、6時過ぎに家を出て、スイミングのメニューをこなし、帰宅するのは9時過ぎだ。母親の帰りもそのくらいになるようなので、それから食事の用意をして、食べるのは午後10時、寝るのは午前0時になるらしい。それでも朝は6時か6時半に起きて、ママと自分の弁当を作るそうだ。家族としては当然と言えば当然だけれど、よく頑張っていると感心する。

 「じゃあー、勉強は何時するの?」と聞くと、「やってるよ」とは言うけれど、本当は何時勉強しているのだろう。晩御飯を食べ終わって寝るまで2時間しかないが、この時間帯にお風呂に入り、明日の準備するとなると、うまくいって1時間取れるかどうかである。頑張り屋の孫娘は眠りながらでも予習や復習をこなすと言うのだろうけれど、実際にはそれは無理と言うものだ。彼女が勉強しているというつもりになっている時間帯はほとんど0に等しいのだろう。

 私は進学塾の教室長という役目をおおせつかった時、子どもたちに言い聞かせたのは、毎日2時間勉強する子どもと、毎日1時間勉強する子どもでは1週間で7時間も差がついてしまうと話だった。これが1ヶ月では42時間の差になる。毎日1時間勉強するにつけても子どもの42日間分に値する。じゃあ、10分の差しかないとしても1週間で70分、1ヶ月で280分、1年なら3650分つまり60時間、ということは毎日1時間余分に勉強しても、追いつくためには2ヶ月もかかるということ。要するに、毎日コツコツと勉強している方が絶対に有利なのだと言ってきた。

 これは自己反省からの結論でもある。勉強が積み重ねだとは子どもの頃の私は気が付かなかった。それよりも「どうして、勉強、勉強と言うのだろう」と馬鹿にしていた。勉強しているのに、人間としては全く魅力のない人もいた。高校生の時、確かに必死になって勉強していた人はいた。生徒会には見向きもせず、クラスのことも何もせず、掃除当番だというのにさっさと帰っていく生徒だ。彼らは有名な国公立大学へ進学していったけれど、私は話したこともなく、彼もまた私のような生徒は落ちこぼれと思っていたに違いない。

 私は孫娘のように、努力は必ず報われると信じるような清らかな心を持っていなかった。人は何のために努力をするのか、詰まるところは自分をよく見せたいためでしかないなどと、論じていた。人が理性的であるのは、その方が都合がいいからである。物分りがよくて穏やかでしっかりしている、そんな自分を演じているのは、そうすることで社会に受け入れてもらおうとしているのだ。そんなことを高校時代は論議していたように思う。

 人間の平等な社会とはどんなシステムを言うのだろう。孫娘たちが大きくなる頃は、貧富の差は今日以上に大きくなっているかも知れない。富める者と貧しい者とは、これからますます差が開いていくのかも知れない。福山雅治さんの坂本竜馬が言うように、「みんなが笑って暮らせる国」、それこそが理想郷なのだろう。それが資本主義国家であろうと、国など存在しないような社会であろうと、どうでもいいような気がする。どうなっていくのか、楽しみにしておきたいと思う。
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孫娘が水疱瘡で入院した日

2011年01月27日 19時40分42秒 | Weblog
 昨日、1歳半の孫娘が水疱瘡にかかり、入院することになった。幼児の入院となれば付き添いが必要である。「すぐに病院へ来て欲しい」と長女から電話が入り、私も一緒に病院へ駆けつけた。会って見ると比較的元気そうだったが、首筋から背中にかけて湿疹が出来ている。潜伏期間は2週間というがどこで感染してしまったのだろう。そういえば、風邪を引いて、風邪の菌がお腹に入り、便が出なくなって「イタイ!」と泣いていた時があった。「便の出はいい方ではないから」と長女は言うが、あんな風に1歳半の赤子がお腹を下にして「イタイ、イタイ」と言う姿は見たことがない。

 愛想のいい孫娘で、誰にでも愛嬌を振りまいて可愛がられている。昨日も病気だというのに、お世話になる看護師さんに対し、「ありがとうは?」と孫娘に声をかけると、ベッドの上で布団にこすり付けるように頭を下げる。アタマ、メ、ハナ、クチ、アシなどは言葉を発して指差したりする。歌を歌えば、身体をひねってダンスも見せてくれる。ところが、突然にお腹を下にして「イタイ!イタイ!」と泣き出す。まるで火が着いたように泣き叫ぶので手に負えない。私が気になるのはあの大きなお腹だ。それもパンパンに張っていて硬い。

 便は緑色の下痢状だと言う。長女は看護師でしかも幼児の専門家だから、彼女の判断に任せる以外ないとは思うけれど、単なる風邪や水疱瘡ではなく、他の病気が隠れているのかも知れない。猫を3匹飼っているけれど、猫から病気をもらうことはないのだろうか。猫は自分の毛がお腹に溜まって切開しなければならない症例もある。何事もなければいいが、専門家は意外と細かなところを見落とすものだ。赤子のうちは親の責任が大きいけれど、周りの大人も手助けしてやらなくてはならないだろう。

 そんな1歳半の孫娘の入院騒動で結局、昨日はブログが出来なかった。そのかわりというもの変だけれど、高1の孫娘と久しぶりに一緒の時間があって、間近で見ると随分大人っぽくなっていることに驚かされた。背が低いからいつまでも子どものように思っていたけれど、顔の表情が女になってきていたし、話す内容ももうすっかり大人だ。「同じ高校の中で、何でも話せる友だちは出来た?」と聞くと、「何でも話せるってどういうこと?」と聞き返された。「何でも話せることが親友というわけじゃないんじゃない?」と逆に鋭く突いて来る。なるほど、いつまでも子どものように思っていたけれど、確実に大人の階段を登っている。容姿だけでなく、当たり前のことだけれど、心も育っている。

 人にはいろんな人がいる。それを外見や印象だけで判断できないし、勝手に括りつけることは間違っている。自分に役立つから親友ではない。親友だから全てを話してもいい訳でもない。自分だっていろんな面を持っている。そんなことが分かってくると自然に親しい友が出来てくるような気がする。中学・高校時代はまさしくそんな時期だ。人は人無しでは生きていけない。まあそのうちに何とか生活していくでしょう。さてさて、私が孫たちに出来ることは何だろう。お年玉を弾むことくらいかなー。
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演歌はやっぱり艶歌だと思う

2011年01月25日 22時02分05秒 | Weblog
 1月生まれには色白の人が多いと言うけれど、それはたまたまそういう人に出会ったということだろう。雪のように白い肌という表現もあるけれど、雪の多い1月に生まれた子はみんな色白というわけでもあるまい。しかし、別に私の長女を指して言うわけではないけれど、私の出会った1月生まれの女性はみんな色白だ。「色のしろきは七難隠す」と言うのも、色白なら他は目をつぶるということだろう。それくらい色白の女性は男たちの目を引く存在なのだ。

 もっと別のテーマを考えていたのに、お酒を飲みながら食事をしたら、いったい何を考えていたのだろうと思うくらい、さっぱり思い出せない。遠くなった昔のことは比較的覚えているのに、1時間前のことを忘れてしまうと私の友だちもよく言う。私に言わせれば、遠い昔のことだって本当に分刻みで覚えているかとならば実はそうではないはずだ。1時間前のことを忘れてしまったという焦りから、昔のことなら覚えているのにと言っているのに過ぎないように思う。人はいつも過ぎ去ったことなど、細かく覚えてはいないものなのだ。

 大事なことは分刻みのことではなくて、大まかな意味だと思う。分刻みのことなど覚えているような人は天才か鬼才だろう。それでも、昭和50年代の演歌を聞くと、実際はどこで聞いたのだろうと思うほどそんな機会はなかったはずなのに、何故か分からないけれど懐かしい気がする。八代亜紀さんの『舟歌』も北原ミレイさんの『石狩挽歌』も奥村チヨさんの『最終駅』も、よく覚えている。我が家にテレビはあったけれど、カミさんは歌謡番組が好きではなかったから、見ていることはない気がするし、そんな時間に家にいたのだろうかとさえ思う。

 この3つの歌はどれも投げやりで寂しさが漂っているし、何よりも挫折感に満ちている。70年安保闘争は学生たちの実力闘争であったけれど、それをテレビで見ていた人々が受けた印象は虚しさではなかっただろうか。角材を振り回していた学生たちは、私たちが子どもの頃にしていたチャンバラと同じように子どもじみた高揚感があったのだろうけれど、60年安保を体験した先輩たちは「戦いの時代の終焉」を感じ取っていたのかも知れない。この3つの歌に流れるやりきれなさはそれを象徴しているのではないだろうか。

 愛する人を心底から徹底的に愛しているのに、それでもなお他の人に心が動いていってしまう。人の弱さというか、強欲さというか、計り知れなさがあるのが人なのだろう。そうして人は悩みながら生きていく。この儚さと自己矛盾こそ演歌の主題になるものだ。今、演歌よりもポップス調のあるいはフォーク調の歌がヒットしているのは、もっと素直に自分の心に向き合おうとする動きなのかも知れない。昭和50年代の演歌の寂しさもいいけれど、最近の歌は私のような者が聞いても、いいなーと思うものが多い。歌の作り方がうまくなっただけでなく、歌詞もとてもいいと思う。何故なのか、長女のダンナにそのわけを聞いてみようと思っている。
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何を信じてもいいけれど、

2011年01月24日 19時21分59秒 | Weblog
 友だちと一緒に出かけた駅のコンコースで、中年の女性が小冊子を配っていた。友だちは手を振って受け取りを拒否したけれど、私は何を配っているのだろうかと思ったので、手を差し出して受け取った。「どんなものかも分からないのに、よく受け取りますね」と彼は言う。分からないから興味が働く。彼は「話しかけられたら、ウットウシイじゃーないですか」と言いたかったのだろう。私は結構無頓着で、話しかけられれば話し込んでしまう。

 我が家へも宗教活動のために訪ねて来る人がいるが、私は「玄関先では寒いですから中へどうぞ」と上がってもらう。「この世界は誰が創られたか、ご存知ですか?」と聞かれるから、「どうして出来たのかわからないけれど、もし誰かが創造したのであればそれは神以外には考えられない」と真面目に答える。相手の方は「ぜひ、一緒に勉強会をしましょう」と言われるので、「ええ、いいですよ」と答えて、何度か我が家に来てもらった。しかし、その人は転勤になってしまい以来ご無沙汰になっている。

 「この世を支配しているのは誰でしょう?」と言う人もいた。「支配しているものがいるなら、それは神でしょう。神は悪魔までもお造りになったのだから」と私が答えると、「どうしてサタンをお造りになったとお考えですか?」と来る。「人の弱さを知り、神の偉大さを知るためでしょう」と答える。私はこういう話に興味があるので、時間にゆとりがあれば相手の方の話を聞くようにしている。理屈で相手と戦うなどという気持ちはない。この人はどうしてこんなに熱心なのか知りたいのだ。信じている人に向かって、「それは間違っている」と言ってみたところで、相手は私が間違っていると思って説得しているのだからかみ合うはずがない。

 小冊子は若い女性向けのコミックになっていた。家庭の不和、職場でのイライラ、不運の連続を社会や相手のせいにしていませんかと指摘する。とにかく騙されたと思って、3つのことをやってみなさいと教える。そして苦しみから解放されるというストーリーだ。宗教とは謳っていないけれど、どう見ても宗教である。私が中学2年の時に、キリスト教の教会に通っていることを知った友人が「素晴らしい集まりがあるから来ないか」と誘ってくれたので、出かけたことがある。8畳の部屋に10人くらいの若者が集まって、昔の自分はこうだったけれど信心をしてからこんな風に変わったということを一人ひとり話していった。

 私には合わない人たちの集まりだった。何かを信じて、それで自分は救われると思えるならそうすればいい。他人の信仰をとやかく言う気はないし、信じることができる人はある意味で幸せだと思う。宗教ではなくても、毎朝太陽に向かって拝むとか、1日に10キロ歩くとか、自分に決まった課題を与え実行している人もいる。音楽を聴くとか、愛する人にメールするとか、どんなことであろうと、そうすることが自分の気持ちを落ち着かせ気持ちよくしてくるのであれば、そうすればいい。人の満たされたかは千差万別、いろんな方法があっていいと思うが、それを強要されると途端に拒否反応が働いてしまう。
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NHK大河ドラマ「お江」

2011年01月23日 22時02分07秒 | Weblog
 「あの人は特別なお方、人には見えないものが見える、人には聞こえないものが聞こえる」と利休は信長についてお江にこう話す。利休は柴田勝家と同じくらいの歳だから、この時は何歳だったのだろう。「本能寺の変」で信長が命を断ったのは48歳と言われている。勝家は信長よりも12歳年上である。お江はまだほんの子ども、おそらく10歳になっていないのではないか。物語だから、そんな細かいことを言わなくてもいい、誰がどのような人物で、何をしたのか、その全体のストーリーの中で作者の言いたいことを考えればいい。確かにそう思うけれど、歴史劇を見るとどうしても私は、それは何歳の時だったのかと考えてしまう。人の年齢には大きな意味があるように思うからだ。

 昨年のNHK大河ドラマ『坂本竜馬伝』は面白かった。岩崎弥太郎が本当にあんな人物だったのか、坂本竜馬はあんなにも格好よかったのか、そういう点では異論はあってもそれは作者の解釈だからいいと言い切れる。けれども、坂本竜馬が「みんなが笑って暮らせる国を作る」と言った時は、これは民主党のためのドラマだと思った。坂本竜馬にしても西郷吉之助にしても、外様大名の下級武士でしかない。武士社会では最も底辺に位置していた者たちだ。幕府を倒す、うまくいけば自分たちが主導権を取れるかもしれない。それは思っていたであろうけれど、主君までも超える存在になることまでは考えていなかったであろう。

 それもまあ大目に見ていい。私がこういう歴史ドラマを見ていて一番気になるのは、この人とこの人はどれくらい歳が違うのだろうということだ。信長と秀吉は3つ違いで秀吉が年下である。秀吉は18歳の時に信長に仕える決心をした。信長にとっては幼い頃からの仲間ではないけれど、なかなか気の利くよい家来であったはずだ。信長が足利義昭を奉じて上洛するのは34歳の時である。秀吉は31歳、徳川家康にいたっては23歳である。大河ドラマ『お江』はこの辺りから始まっているが、信長や秀吉よりもはるかに年下の徳川家康が一番年上の人なのは納得いかない。ドラマを作った演出家が人物関係を把握していないということなのだろうか。

 ドラマの初めのころに信長が秀吉を家来の面前でぶん殴るシーンがあった。確かに信長は気が短くて怒りっぽかったようだけれど、人の扱いがうまかったからこそ天下人になったはずだ。こんな風に自らが相手を傷つけるような行為はなかったのではないかと思う。このように描くことで信長がどのような人物であったのか、作者の思いを伝えたかったのであろう。それは取りも直さず、主人公「お江」が、これから何を考え、どうのように生きていくのかにかかわることなのだから。お江があまりにも現代っぽいとしても、そうすることで人の生き方あるいはものの考え方を今日の私たちの問題意識から捉えることが出来るからだろう。

 今のところは違和感が先走るけれど、これからドラマは佳境へと入っていく。主人公のお江と茶々と初の3人姉妹がどんな運命を辿るのか、後世の私たちはわかっているのだが、その上で彼女たちがどのように考えて生きていったのか、それこそが脚本家や演出家の言いたいことなのだと思う。
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映画『4月の雪』と『ひまわり』

2011年01月22日 22時55分14秒 | Weblog
 韓国映画のスターで、おば様たちが憧れるペ・ヨンジュンが出演している映画『4月の雪』を観た。『冬のソナタ』のように、雪景色の小都市が舞台だった。1台の車が事故を起こし、人を撥ねて殺してしまうが、車に乗っていた男女も意識不明のままである。男の妻と女の夫が病院へ駆けつける。しかし、どうしてふたりは一緒だったのか?そこから物語りは展開していく。同じビジネスホテルに宿泊する男の妻と女の夫は、初めは敵対するような間柄だったのに、男と女がただならぬ間柄であることを知るうちに、ふたりは相手を意識するようになる。お互いに惹かれ合う何かを感じるのだ。

 女の夫役がペ・ヨンジュンだが、相手の男の妻との恋に落ちていく儚さというか、悲しさというか、なかなか見事なラブストーリーである。『冬のソナタ』の時とは全く違っていて、冬ソナが初恋ならば、こちらは大人の恋で、ベッドシーンもあった。相手の女優さんの裸の背中がビックリするほどきれいで、それだけで充分事態が理解できた。男と女は寝たっきり状態であったけれど、男は息を引き取り、女は息を吹き返した。ヨンさんの妻は生き返ったのだが、彼はなぜともどうしてとも問わなかった。

 ラストシーンは車で走っているところで、これは映画の中では2度目の場面だ。最初の場面はヨンさんと男の妻がすでに仲良くなっていた時のドライブで、「どこへいこうか」とヨンさんが言う。女が「あなたの好きなところでいいわ」と答える。そしてふたりはホテルで抱き合うことになる前の場面だ。ラストシーンでも同じようにヨンさんは「どこへいこうか」と聞く。すると相手は同じように「あなたの好きなところでいいわ」と答えるのだが、果たして隣の女性は妻なのか、あるいは女なのか、顔が写されていないので分からない。

 私は妻の方が普通だろうと思うけれど、女の方かもしれない。すると、ヨンさんは妻を昔のままに受け入れているけれど、女の方に心惹かれているのだと映画は語っているのか。その描き方はかつてのフランス映画のように微妙で美しいから癪だ。どうして日本にはこういう美しい映画の撮り方が出来ないのだろうかと思ってしまった。もし、隣にいるのが女であれば、現実はなんと大胆かと言える。小説でしか本当のことは書けないというけれど、確かに現実の生活はいやらしく複雑なものだが、これを映画も小説もひとつに切って見せてくれる。

 イタリア映画の『ひまわり』は、第2次世界大戦で、ソ連との戦場に送られた男を愛して待ち続けた女の物語だ。女をソフィア・ローレン、男をマルチェロ・マストロヤンニが演じていた。昔はソフィアの豊満な肉体ばかりに目がいっていたけれど、この前、テレビで上映されていたのをふと見て、こんな愛憎の物語だったのかと知った。愛し合った男と女であったのに、戦争のためにふたりは引き裂かれた。再び、やっとの思いで巡り会えた時、男は結婚し子どもがいる。男が再び女のもとに会いに来るが、女は結婚しやはり子どもがいる。その最後のシーンは、別々の道を歩む選択をするというものだった。

 男と女の物語の描き方も、1970年の『ひまわり』と2010年の『4月の雪』では40年の差があるが、なるほどなと思った。
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資本主義社会の次にくるものは

2011年01月21日 19時36分44秒 | Weblog
 宮崎県の東国原英夫知事が退任の挨拶をしていた。1期4年で辞めるのは無責任な気がするが、もともと彼には長く知事を勤める気持ちはなかったようだ。国政へ出ていきたい、(本当かなと思うけれど)首相になりたい、そんな気持ちが強いようだ。名古屋市の河村さんや大阪府の橋下知事ら、「オレがやってやる」という厚顔な人たちがウヨウヨしだしたことは良いことなのか、それとも悪い予兆なのか。東国原さんは県債を減らすと言いながら、結果としては増やしてしまった。誰がなっても赤字財政を改めるのは難しいように見えるけれど、東国原さんにとって本気で考える課題でなかったのだろう。

 名古屋市の河村さんも「市債は借金ではない」と発言している。なぜ、借金ではないのか、そこがわからない。行政の中にいる人は「借金が増えていることばかりを問題視するけれど、そのおかげで住民は福祉を享受できており、自治体の資産も増えている。いずれ近いうちに経済がよくなれば、税収が増えるから借金は解消される」と言う。私にはなぜ経済がよくなると見込んでいるのかわからない。「職員の給与や議員の報酬を下げることは、長い目で見ればマイナス思考を助長すればかりで、活性化にはならない」とも聞くけれど、なぜ経済は活性化しなければならないのか、この点も理解できない。

 世界は1つになりつつある。このことはよくわかる。中国の国家主席がアメリカで大統領と会談しただけでなく、政界や財界の人たちとも会っている。「調和の取れた社会」を目指す中国は、中国製品の売り込みを行なうと共に、アメリカの航空機などを買い付けている。自由主義経済の国・アメリカと社会主義政権の国・中国が互いを必要としている。政権を握っている政党の違いはあっても、世界の経済活動は同じ基盤の上にある。政権を社会主義政党が掌握しているけれど、政策は「開放」しているのだから、この地球に社会主義体制の国家は存在しない。

 社会主義国家の建設は国家独占資本主義だった。社会主義国家が崩壊し、願っても願わなくても、世界は1つになってきた。安い材料、安い賃金、安い商品、を求めて動き出している。工場の移転や労働者の移動も世界的な規模になりつつある。日本の労働者の時給が800円で、中国の労働者が80円なら、会社は中国へ移るだろう。工場の建設費も日本の100分の1ですむのであれば当然そうする。世界中でそんなことが起き、混ざりあえば、いつしかどこも平均化されてしまう。平均化されてしまうと、資本の注ぎ込む先がなくなってしまうように思うけれど、経済学者はグローバル社会の到着点をどのように考えているのだろう。

 アメリカの次に世界の覇者となるのは中国だと言う人もいるけれど、中国が共産党政権のまま維持できるとは思えない。経済活動は必ず自分の身体にあわせて服を着る。服が身体を作れるわけではない。それは長い人間の歴史が物語っている。世界が1つの経済活動になった時、それは資本主義経済ではない新たな社会なのだろうか。でも、これくらいなことを研究している学者は大勢いるだろう。いずれ誰かが説明してくれるだろう。
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