友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

朝日新聞に投書した高校時代

2017年03月31日 17時25分33秒 | Weblog

 押入れを整理していたら昭和37年11月7日付けの朝日新聞(夕刊)が出てきた。2面に『声』の欄があり、そこに私の投書が載っていた。『高校教師にお願い』という題で、「高校の教師とは一体いかなる者なのであろうか。校長は『学校は病院のようなものであって、教師は医者に相当する』と言われ、生徒は患者であると決めつけられた」と始まる。「僕たちは患者じゃない。が、もし患者であるとするならば、その原因は医者の患者を見守る愛情の少なさにある」と述べ、「高校の教師はどうしてもっと一人の人間として、一個の人間である僕たちに愛情を示してくれないのか。もし入学試験という社会の制度が高校教師を愛情のない生産機械にしてしまっているならば、僕はそういう社会を憎んでやみません」と結んでいる。

 朝日新聞の11月30日付け『11月の投書から』というコーナーに、『高校教師の愛情問題で論議』とあった。「高校生の投書が教師、学生、父兄の反響を呼んだが、結局は先生の生徒に対する愛情を疑うべきではないとの結論に落ち着いたようだ」と評してあった。大学入試制度が問題だと指摘したつもりだが力不足だった。この1年前の昭和36年2月の高校新聞に、校長の『卒業生に送る辞』をトップで載せたがその隣に、『論説』として『同校生の萎縮』を掲載した。この記事が校長の逆鱗に触れ、編集長の私は校長室に呼びつけられた。前述の「学校は病院のようなもの」と言われた校長だから、呼びつけた生徒を重症患者と思われたのだろう。

 患者にされてはたまらないし、そもそも病院こそ機能が低下していると指摘しようということになった。新聞の名前を『理想』、発行者を「理想の会」と決め、校内ではマズイというので学校の外で配布することにし、賛同者を募った。6百円1人、3百円7人、2百円1人、1百円6人で計3500円集まった。知り合いの印刷屋に頼み、昭和36年8月に第1号を発刊した。しかし、「先生らに隠して行動しても何の効果もない。生徒の中にもこんなことを考えている者がいると認識させただけで、学校側には何の影響もなかった」と言う仲間もいて、第2号を翌年の2月に発行して終わった。印刷代は3000円と3500円だった。その記録のノートも出てきた。

 明日は雨が降っても降らなくても、「桜の宴」なのでブログは休みます。

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孫娘の引っ越しの手伝い

2017年03月30日 18時27分34秒 | Weblog

 昨日は午前中に二科展を見て、午後は退職した先生たちの絵画や写真や工芸などの作品展を見に行った。教員採用試験の実技で私の前にいた人が、今では二科の油絵の大御所になっている。実技は石膏デッサンだったから、会場を見渡せば一目瞭然、優劣が分かる。私の前の人はかなり大胆でたくましいデッサンだった。私が高校の教員になった時、彼は他の工業高校の教員になっていたので自然に話すようになった。

 二科の油絵には、この街で長くひとり暮らしをしていて、今では娘さんのいる広島へ移られた高齢の女性や、やはりこの街で画家として活躍されていた女性の作家が出品されていたが、このところ作品の展示がない。作品を見て回りながらふと学生時代を思い出した。私は急に美術を専攻したけれど、画家になるために入学してきた者もいて、そういう連中は技術も高かった。彼らや彼女たちはどうなったのだろう。作家として活動しているのだろうか。

 今日は孫娘と一緒に彼女の生活の場となるマンションに、「とりあえず必要な物」を運んだ。新築したばかりのマンションで、流行りの洒落た造りになっている。洗面所も風呂場も私が住んでいるマンションよりも広くて豪華だ。今日は何組かが荷物を運び入れていたが、孫娘と同じ歳の子ばかりだから初々しい。病院の看護師さんばかりが入居すると言うから、孫娘と同じ新任というわけだ。

 ジジババが手伝いに来ていたのは孫娘だけで、手伝いの多くは父親と言うよりもっと若い恋人のようだった。これからどんな人生ドラマが展開されていくのだろう。4月1日が土曜日なので、入社式は3日なるそうだ。そこで初めてこれから一緒に働く人と会うことになる。私の時は、指定された高校へ行くと、校長室に私を加えて7人もいたので、ここで説明を受けて別の学校へ行くものだと思ってしまった。「それで私はどこの学校なのでしょうか」と聞くから校長はビックリしていた。

 この時の新任7人は仲が良かった。5人が年上だったので世話係は私。今年もどこかで「7人会」を行う。孫娘もそんな新任の仲間ができることだろう。幸運を祈りたい。がんばれ!

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「つれあいにモノ申す」の面白さ

2017年03月29日 19時05分38秒 | Weblog

 年を重ねた夫婦だから互いに理解しい労わり合えてくるかと思うが、案外にそうでもない。子どもが独立し、仕事も終え、ふたりだけの生活になったのだから、夫婦で旅行に出かけたり、音楽会や映画や芝居の鑑賞とか、近くを散歩することだって出来そうなのに、意外にそうでもない。働きバチだったダンナは相変わらず規則正しく図書館やトレーニングジムに通い、カミさんと一緒に何かをすることはない。そういう男性が多い。

 中日新聞の家庭欄に『つれあいにモノ申す』というコーナーがあるが、これが結構面白い。どこの夫婦も同じなので安心し、思わず笑ってしまう。今日の記事を見ても、「私が上映時間を間違え、怒られるかと思ったら『まだ始まったばかりだね』と優しいひと言。前夜、酒に酔った夫に嫌味を言った自分に後悔」とあるのは40代の主婦。それが70代になると「薬と水を用意してあげても飲むのをすぐ忘れてしまう夫。『私が死んだら、すぐ後を追ってきそう』と言うと、夫から『逆に病気が治るかも』と言われ、まだまだ逝きません」とある。

 互いに忘れ物が多くなることも事実で、駐車場に車を止め駐車券をカミさんに渡したのに、「あなたが持っているでしょう」と言い切られ、「いや、確かに渡したから、ちゃんと見てよ」と頼んでも、「あなたこそ調べたらいいよ」と頑固に拒否する。友だちのところへ出かけると言うので、車のキーを渡したのに、「ねえ、カギはどこよ」と言う。「渡したよ」と言っても、「あなたがどこかに仕舞ったんじゃないの」と聞く耳を持たない。

 先輩夫婦も「家にいるとすぐケンカになってしまうので、穏やかな精神でいるために口は利かない」と言う。ダブルベッドで一緒に寝ていることと、口を利かないことが両立できるようになるには、互いに相当な我慢と努力が必要な気がする。「それはちょっと寂しいね」と言うと、「女房、元気で留守がいいって言うでしょう」と笑う。そうか、「亭主」の時代は終わったのか。完璧な夫婦などいない。互いの欠点が分かるなら、許し合うのが賢い生き方なのかも知れない。

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58年前の約束

2017年03月28日 15時07分05秒 | Weblog

 春の甲子園大会で延長15回まで戦いながら、決着がつかなかった試合が2つも続き、今日はその再試合が行われている。福岡大大濠の三浦投手は昨秋の大会からひとりで投げ続けてきた選手だという。先日の試合では初回に1点を先取されたが、味方が8回に1点を取り、15回を投げぬいて1対1で引き分けた。見ている方が胃が痛くなるような試合だった。今日は代わりの投手が登板するのかと思ったら、やはり三浦投手だった。

 大相撲の春場所、稀勢の里もそうだけれど、あれだけ身体を痛めたのだから欠場するのかと思ったら土俵に上がった。ところが鶴竜との対戦で何も出来ずに負けたから、ここまでやれば充分なのに、千秋楽にも登場し2番も対戦して見事に優勝した。稀勢の里は「自分の力以上のものが最後に出た」と言った。「火事場のバカ力」を持ち出しては失礼だが、人は思わぬ力を発揮する時があるようだ。

 今日は看護師の道が決まった孫娘が生活することになるマンションのカギを引き継ぐ日という。両親は仕事で立ち会えないから私に声がかかると思っていたら、どうもボーイフレンドが「仕事休み」と言うので、そちらに声をかけたようだ。娘の時もそうだったが、うるさいことを言いそうな人間よりも自分に優しい人の方がよいのだ。私の知り合いも娘さんが北海道の学校の養護教諭に決まり、両親が荷物の手配に走り回っている。

 春は旅たちの時だ。昨日のBS『日本こころの歌』で、〝ザ ピーナツ″の「可愛い花」「情熱の花」が歌われていた。昭和34年のヒット曲という。私が中学3年の時で、祖父の隣りの部屋で寝起きしていた。前の年に祖母に先立たれ、祖父はひとりで離れの座敷にいたから、監視のためもあって父は私をその隣に行かせたのかも知れない。祖父は毎晩、ラジオを聞いていたから「可愛い花」や「情熱の花」は勉強するよりよく覚えた。

 中学の同じクラスの男の子が「誰にも言っちゃーダメだよ」と言って、〝ザ ピーナツ″と親戚であると教えてくれた。〝ザ ピーナツ″は常滑生まれで名古屋育ちだから、そういう関係であってもおかしくない。誰にも言わないでとの約束を58年間守っている。

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合格して本当によかった

2017年03月27日 19時13分00秒 | Weblog

 大学を卒業した孫娘は母親と同じ看護の道を選んだ。国家試験の結果が発表され、孫娘から「合格したよ」と連絡があった。大丈夫だろうとは思っていてが、実際に「合格」の声を聞くまでは不安だった。長女の時はそれほど心配しなかったが、孫娘はここ番という時に「エツ?」ということが度々あった。あんなに努力しているのにどうしてなのと思うほど不運な子だったから、結果を聞くまでは心配だった。

 既に希望していた病院に内定しているのに、国家試験に合格しなければ採用とはならない。下宿先まで決めてきたから、何としてでも合格していますようにと祈るばかりだった。彼女がいくら給与をもらうのか知らないが、看護師になれたからこれからはひとりでも生きていける。先輩である長女は「看護師は勤務の日も時間も普通の人と違う。遊ぶ時間はないから貯まるよ」と娘に言い聞かせていた。

 これからの社会は確実に厳しくなる。私たち年金生活者の受け取る金額は物価の下落に合わせて下がる。社会保障費は上がるが、具体的にどこに回るのだろう。世界は「自国第一主義」へと向かっているから、この考え方では景気はますます後退するだろう。困っている人がいても「自己責任」と切り捨て、格差はいっそう拡大していく。富裕層はより富を増やすが、中間層は低所得層へ転落していく。それでもその下が拡大しているので怒りは爆発しないだろう。

 カミさんは友だちと、少しでも支出を減らしたいと保険料の支払いを検討している。私は転職を何度かし、年金を支払えなかった時期もあり、年金支給はわずかしかない。それでも生活出来ているのは、定年まで勤め上げたカミさんの支給金額が多いからだ。だから我が家の財政には一切タッチしていない。カミさんは怒るけれど、金に縛られて生活するのは耐えられない。「なるようにしかならない」を逃げ口上にしている。

 孫娘から下宿先となるマンションを見に来て欲しいと電話が入った。新生活に必要な物を買い揃えたいようだが、一度に用意することはない。無くては困るものから少しずつ揃えていけばいい。そう言ってもババはきっとあれもこれもと思うだろう。どうかよろしくお願いします。

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安倍首相と昭恵夫人

2017年03月26日 18時16分41秒 | Weblog

 テレビでコメンテーターを務める東大の教授が、「とってもいい人ですよ」と安倍昭恵さんを語っていた。昭恵夫人を知る人がそのように人柄を評するのだからおそらくその通りなのだろう。私が知っているのは、原発について反対と言い、「家庭内野党」と自らを語ったことくらいだ。安倍首相の妻でありながら、「よく言うなあ」と感心する一方で、これはウケ狙いなのではと思った。

 夫婦だから何もかも一致していなければならないとは私は思わない。残念ながら一致している夫婦の方が少ないと思う。考え方だけでなく、食べものの好き嫌いとか、趣味とか、映画や音楽でも、波長が合うことは少ないだろう。仲の良い夫婦でも支持する政党が違うとか、喫茶店に入っても言葉を交わすことなく別々の週刊誌を読んでいることもある。子どもの育て方や子どもへの期待も一致しない夫婦だっている。

 昭恵夫人が「家庭内野党」と言うので面白い人だと思ったが、靖国神社への参拝を欠かさないから、どういう感覚なのだろうと理解できなかった。そして今度の森友学園問題が連日テレビで取り上げられるのを見て、「家庭内野党」であっても夫である安倍晋三氏を尊敬していることはよく分かった。森友学園の幼稚園で園児たちが教育勅語を暗唱するのを見て「素晴らしい教育」と絶賛するのは夫と思想を共有している証だ。

 昭恵夫人は「おっちょこちょい」とか「人がいい」とか言われているようだが、森友学園のために自分が役に立ちたいと思ったことは事実だ。安倍首相は「私や家内の名前があれば、黄門様の印籠のような効果があるとは言いがかりだ。あるはずがない」と激怒していたが、首相の意向を拒否できるほど日本の役人は自立していない。上の人の顔を潰さないように知恵を絞る。

 それでもきっと、よく分からないままに森友学園の問題は終焉してしまうだろう。目配り、気配りが日本人の技なのだから。

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元女子大生に無期懲役

2017年03月25日 18時13分14秒 | Weblog

 冷たい風が強く吹いていた昨日とは違い、今日は穏やかで暖かい。ルーフバルコニーの鉢を見て回ったら、水仙の手前にあるツツジが華を咲かせていた。我が家の水仙はいつもかなり遅く花が咲く。ツツジはサクラの後のような気がするが、日記を見ても分からないので、ブログに載せておく。来週の土曜日は五条川沿いで「桜の宴」を行う。桜はどれくらい咲いているだろう。

 いよいよ春本番というのに、浮かれていられない世の中だ。昨日は、高齢の女性を殺害した名古屋大学の元女子大生に無期懲役の判決があった。裁判は裁判員制度の下に行われ、22回という長期の裁判となった。高齢者の女性を殺害した理由は、「死んでいく様子が見たかった」という異常なもので、彼女が高校生の時に劇物の硫酸タリウムを友人ふたりに飲ませたのも、「中毒死するかも知れない」が「どうなるのか見たかった」という理由だった。

 焼死体が見たいと放火しているし、元女子大生の行動は異常を超えている。裁判員を務めた人たち全員が、「頭の回転が速い」「利発」と彼女の印象を語っている。だからこそ、精神障害や双極性障害と認めながらも無期懲役を選択した。彼女の口から反省の言葉は出なかったばかりか、「殺したいと思う時がある」と言っているのだから、彼女のためを思った判決だと思う。

 以前にも書いたけれど、神戸の事件でも長崎の事件でも、必ずもっと幼い時に「エッ」と思うような兆候がある。核家族になり子どもを叱ることがなくなったから、善悪の判断が出来ないままの子がいる。おかしいと思ったら、トコトン教えてあげるのが親の務めだ。恵まれた環境で、素晴らしい才能に喜んで、その裏に潜む負の部分を親は見抜けなくなっている。いや、親なら誰しも自分の子どもの負の部分など信じたくないが、気付くのは親の責任だ。

 「あなたには、足に不自由がある人の義足代わりとなるような、知的能力の高さがある。希望を持って知恵を絞って努力すれば、きっと障害を克服することができます。あなたの更生が、償いになります」と裁判長は述べた。そうあって欲しいと思う。

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子どもは見ている

2017年03月24日 17時33分59秒 | Weblog

 大学の卒業式の後、卒業生の孫娘は謝恩会に出かけ、長女夫婦は用事があるというので、小1の孫娘を預かることになった。上の孫娘は素直でおとなしい努力家で、決して我を張ることはない。下の孫娘は天才肌で、何事にも積極果敢に挑戦する。「百人一首がやりたい」というので我が家にある子ども向けのカルタを出してやると、「あっ、学校のと同じだ」と喜ぶ。

 小学校で百人一首クラブを指導したことのあるカミさんが詠み手を務めたが、もう辞めて何年にもなるのでスムーズに歌が詠めない。もぞもぞやっているうちに孫娘は「ハイ」と取っていく。結局、私たち夫婦は26枚しか取れず、孫娘は74枚を手にして得意満面だ。悔しがっていると「じゃー、神経衰弱(トランプの遊び)しよう」と言う。「今度こそ負けないぞ」と頑張ったがやっぱり負けてしまった。

 さらに驚かされたのは仙台に住む次女の5月に3歳になる娘とのスマホを使ってのテレビ電話だ。小1の孫娘が「何していたの?」と聞くと、「ユーチュブ見てた」と仙台の孫娘が答える。「何見てたの?」と聞くと、「ウンコ」と答える。すかさず次女が「もう、怒ってやって」と口を挟む。すると小1の孫娘は「女の子っぽくないねえ。私もそうだったけどね」と言い、「やっぱりいとこ同士だね」と笑う。つられて仙台の孫娘も笑う。

 仙台の孫娘が自分の名を呼び捨てにするので、小1の孫娘は「あのねえ、お姉ちゃんとか姉さんとか呼びなさい」と言う。小1の孫娘は大学生の姉を呼び捨てにしているが、周りにそういう子がいないことに気付いているようだ。子どもはよく観察していると思ったことがもうひとつある。小1の孫娘がカメラに向かってヘン顔をした時、仙台の孫娘が「キモ!」って叫んだ。そのことを後で、次女がダンナに「キモ!」と「言うからなんだよ」と解説してくれた。

 子どもは周りを見て育つ。教えたことばかりでなく、教えないこともちゃんと見ていて覚えていく。長女も時にダンナに向かって「オマエ」呼ばわりするし、時にはバカにしたような言い方をする。私は夫婦の考え方が違ってもいいと思うが、いくらふざけているとしても、相手の尊厳を傷つけるような言い方はしないで欲しいと思う。面白がって言っているだけのつもりでも周りの人はそう思えないことがある。

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大学の卒業式

2017年03月23日 18時22分01秒 | Weblog

 孫娘の卒業式に行ってきた。大学の卒業式は学位記授与式と呼ぶことを初めて知った。マンモス大学なので午前と午後の2回に分けて行われるそうだ。私が議員だった時の成人式もそうだったが、なかなか式場に入らずに玄関前に集まってワイワイガヤガヤとしまりがない。女性たちのほとんどが袴姿で洋装の人はわずかしかいない。男性は逆にほとんどが背広だが、中には着物姿もいる。騒がしいかと言えばそうでもなく、厳粛かと言えばそうでもない。

 今の大学生は、「国歌斉唱」と言われれば抵抗なく歌うように、めんどうなことが嫌いなのだ。式典の後は学科毎に分かれて、個人個人に学位記が手渡される。そのため保護者が一斉にシャッターを切る。他の大学では見られない保護者へのサービスらしい。ここでも学科主任から卒業生にはなむけの言葉が語られる。学長の告辞もそうだったが、まるで高校の卒業式のように思われた。

 しかし考えてみれば、私が学長や主任であっても同じことを話すだろうと思う。挨拶をしなさいとか、報告・連絡・相談は社会人として大事とか、仕事だけでなく幅広く興味を持つようにとか、大学生はこんなことを最後の言葉として贈られるのかと考えさせられた。50年前に私が大学を卒業する時も学長は同じようなことを言ったのだろうか。

 私は大学の卒業式に参加しなかった。出席しなければという意識が無かった。大学4年はほとんど東京の出版社にいたので、すっかり大学と疎遠になっていた。12月末に会社を辞め、1月から卒業制作と卒業論文にとりかかり、学生であることを忘れていたのかも知れない。多分、卒業式に着ていく服が無かったことも原因かも知れない。高校の教員に採用が決まってもまだ背広は持っていなかった。

 卒業生の男女があちらこちらで記念写真を取り合っている。華やかな色とりどりのグループがいくつも出来ては離れ、また出来ていた。幸せでいいなーとつくづく思う。

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WBCと甲子園大会と

2017年03月22日 17時45分11秒 | Weblog

 ロサンゼルスで行われたWBCの準決勝戦で、日本はアメリカに負けた。投手も打者もそれほど大きな差はなかったように見えたが、やっぱり打撃力の違いが出てしまった。「パワーでは対抗しても勝てないから、日本らしい守備からのリズムで勝機をつまむ」としていたが、これまで超人的なプレーで堅い守りを誇ってきた菊池選手にミスが生まれ、松田選手にも伝染し、これが命取りになってしまった。

 春の甲子園大会も熱戦が続き、観戦する側は辛いものがある。大会開始直後の至学館の試合は延長戦までもつれたが、この大会は既に延長戦となった試合がいくつかある。今日の中日新聞の『中日春秋』は21世紀枠で出場した多治見高校の奮闘に触れていた。21点という超大差で敗れたが、取られた8つの三振は全て空振りであって、見逃しの三振は1つもないと称えた。「バットは振らなきゃ当たらない」、そこに「選手の信じる心と明日を見る」とあった。

 筆者の視点に思わず嬉しくなってしまった。「スポーツは全力を尽くして戦う。だから見る方も感動するし、楽しい」とスポーツ好きは言う。試合をしているのは自分ではないし、自分と何も関係がないのに、見ていてハラハラドキドキしてしまうばかりか、時には涙さえ流れてしまう。それでもスポーツは勝者と敗者を生むので、私は熱中出来ないというか、熱中しないようにしている。あんなに頑張ったのにと思うと悔しくて可愛そうでたまらなくなる。

 木村拓哉さんが主演したテレビドラマ『A LIFE』で、ライバル(?)の浅野忠信さんが「俺がどんな気持ちか、分かるか!」と怒鳴った時は何も答えられなかった木村さんが、「分からない。人の気持ちまでは分からない」と言う場面があった。人はよく自分の気持ちを理解して欲しいと願うが、自分ですら自分の本当の気持ちなど分からないのだから、推察は出来ても本当のところは分からないだろう。

 人は、他人は分からない。だからこそ理解しようとする。全く自分と関係が無ければ理解しようとは思わない。人は他人に近づくために努力する。侍ジャパンの小久保監督が辞任する。ご苦労様でした。ホンの少し、何かがそうさせただけ。例えば、野外球場だったこと、雨が降っていたこと、いろんなことがあるが、それが試合。明日は孫娘の大学の卒業式だ。

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