友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

芸術に生き、雑踏に死んだ人

2018年08月31日 17時03分02秒 | Weblog

  碧南市藤井達吉現代美術館で行われている長谷川利行展のチケットをいただいたので、観に行って来た。碧南市の大浜には、子どもの頃よく来た。姉のダンナの母親の家が海の傍にあり、私は子ども用の自転車で来たこともある。黒い壁が連なる一帯はどういう所だったのかと思い、今日も少し車を走らせたが、60余年も経つと全く街の様子は変わっていて、記憶にあるような建物は見当たらなかった。

 当時を偲ばせるものと言えば数多い寺院だが、それも車の中から記憶にあるものを探すのは無理だった。長谷川利行展がどうして企画されたのか分からないが、碧南市・岡崎市・豊田市・刈谷市の美術館はいつも企画が面白い。自分のところに所蔵する作品があれば、交換で展覧会も出来るだろうが、こういう地方の美術館に作品を貸し出してくれるためには、学芸員の見識と企画力がものを言うのではないかと思う。

 長谷川利行氏は明治24年生まれだから、私の祖母と同じ歳だ。正に新しい時代を生きた人で、タイトルにあるように、「芸術に生き、雑踏に死す」生涯だった。当時、流行していたのか同人誌を作り、そこに詩や小説や絵を寄せたり、安宿を転々としたり、友人の下宿に転がり込んで居候を決め込んだり、肖像画を描いた相手から何度も金を無心したり、波乱万丈の人生だった。おそらく、そんな風にしか生きられなかったのだろう。

 私も子どもの頃、「絵描きなんぞになったら、まともな生活はできないぞ」と聞かされた。思えば、「芸術にのめり込むなら普通の生活はあきらめる」、それくらいの決意がなければ志さない方がいいという警告だったのだろう。NHKテレビの朝ドラマ『半分、青い』の主人公の鈴愛のダンナは、「家庭があったのでは芸術作品は作れない」と家を出ていった。本気で芸術に取り組める人は、きっと狂気の人でなければダメなんだと、私は我が身を振り返って合点した。

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自由と平等と博愛

2018年08月30日 17時21分40秒 | Weblog

  アジア大会を見ていても、アメリカのプロ野球・大リーグを見ていても、いろんな国のいろんな人々が活躍している。2年後に東京オリンピックが開かれるが、もう、国別対抗は止めた方がいい。能力のある人がその優れた技を競い合う、個人のあるいはチームの大会であっていいと思う。そんな東京オリンピックに向けて、また協会の不鮮明さが出てきた。

 今度は体操協会で、大相撲、日大アメフト、女子レスリング、ボクシングなどにも共通している問題が起きた。「選手ファースト」などと言いながら、実態は権力の座にいる者が己の地位にしがみついているように見えてくる。「日本独特の風土」と言う人もいるが、師匠や先輩を見習いながら「技」を磨くことのどこに間違いがあったのだろうか。

 きっと、間違いではなく、限界なのだろう。時代が変わり、生活スタイルが変わり、価値観が変わった。先日も銀行マンのOBから、「最近の若い人は銀行員になりたがらない」と聞いた。AIが進めば人手は不要になり、ますます統合化に拍車がかかり、「先に夢が無いと見ている」と言う。「おそらく団塊世代がこの世から居なくなる20年・30年後は新しい時代ですよ」と教えてくれた。

 明治・大正の祖父や父たちと、戦後育ちの私たちは全く違う生活スタイルと価値観を手にした。私たちの孫の時代は、私たちの想像を超えているだろう。私は家父長そのものであった祖父を見て育ち、「自由と平等」こそ私たちが実現するものだと思って生きてきた。「自由と平等」は切り離せないものであったのに、「自由」を強調すれば「平等」ではなくなるし、「平等」を強調すれば「自由」は狭められる。

 そうなると、フランス革命の時に掲げられた「自由・平等・博愛」の、残る「博愛」こそが、人類が生き残るための、最後の目指すべきものなのかも知れない。

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「吉本隆明の『異端と正系』を持参して」

2018年08月29日 17時07分49秒 | Weblog

  中学のクラス会の前日、友だちから「吉本隆明の『異端と正系』を持参して」とメールが来た。私の書棚には吉本氏の著書が11冊、吉本氏に関する評論が3冊並んでいる。このうちの『異端と正系』は彼のものだったのかと気付き、申し訳なかったので『擬制の終焉』を差し上げた。彼に「どうして今、吉本なの?」と聞いてみたが、彼は何も答えてくれなかった。

 私も彼も高校生の時は、キリスト教の教会に通っていた。私たちが大学に入った昭和38年は、60年安保闘争の後で、どのように評価するかで論争になっていた。彼は東京の大学に進んだ。学生運動は新左翼と呼ばれた過激派が主流になっていたから、彼はその渦中にいたのだろう。私は大学の図書室にあった『図書新聞』を時々見ていて、吉本隆明氏の名を知った。私が最初買った吉本氏の本は『芸術的抵抗と挫折』で、表題の言葉は私の関心事だったからだ。

 吉本氏の著書は小難しくて、もう少し大人になってから読もうと書棚に並べたまま今に至っている。ところが偶然、、街の小さな書店に文芸社文庫の『戦争と平和』(540円)が並んでいた。えっ、と思い、買ってしまった。吉本氏が卒業した工業高校での講演で、帯に「戦争と平和について考える!中学生・高校生にもぜひ読んでほしい本」とある。ページ数も少ないので一気に読めたが、「マチウ書試論」の時のような共鳴が湧いて来なかった。

 戦争とは何か、平和とは何かと分析し、平和は個々人によって違うという。それはそうだけど、平和は戦争ではない状態ではいけないのかと思ってしまった。それに戦争を回避するためには、政府を解散できるリコール権を憲法に書けばいいという主張にもビックリする。さらに先進国の国民は過剰消費にあるから、消費の4分の1を一斉に止めたらどんな政府でも潰れる。この経済的なリコール権を先進国の国民は何時でも行使できる状態にあるという主張も納得できない。

 彼はどうして吉本氏を読みたくなったのだろう。私たちの思想の遍歴は、キリスト教に始まりどこに辿り着いたのだろう。高校の新聞部の集まりで、彼はそんな話をしてくれるだろうか。期待したい。

 

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みんなそれぞれに、その持ち場で頑張っている

2018年08月28日 17時03分11秒 | Weblog

  「中学のクラス会」と題したのに、ここが原点と言う気持ちばかりが先に立ち、クラス会の様子に触れることができなかった。今日、友だちが「ヒコちゃんもまだまだ元気、ジャックナイフも錆びてないねー」とメールをくれた。2次会でカラオケに行った時、みんなは歌い慣れているから上手い。それなら中学時代に見た映画『錆びたナイフ』が、いいじゃーないかと思って歌ったので、こんなメールを送ってくれたのだろう。

 中学を卒業してもうすぐ60年にもなるから、変わっていないと言ったら嘘になるが、歳は重ねたが変わらない気がしてならない。大方が老年太りになってきているのに、体形を保つ努力の女性たちがいた。イヤ、60年前よりキレイになっている人もいる。「毎日泳いでいる」と言うだけあってスタイルがいい。クラスの女性たちはみな可愛いかったが、今では堂々たる「女房」である。

 おとなしくて「お嬢様育ち」のように感じていた子が寡婦となり、新しい耕運機を買い込み、ひとりでコメ作りをしているという。「学校で、正月飾りの作り方を教えている」、「農協のカラオケ教室に参加して歌っている時が一番落ち着く」とも言っていた。細かった身体もしっかりと力強くなっていたし、カラオケに行った時、歌った人に「励まし」や「冷やかし」のエールを大声で送っていた。

 地域のボランティアで、交通安全のために通学路に立っている他に、蛍の養殖にも力を入れている人、故郷の伝統の夏祭りをより盛んにする保存会の要職に就いている人、何度も手術を受けたが元気に趣味の絵を描いている人、「ダンナがこれが最後のクラス会かも知れんから行って来い」と送り出してくれたと言う人、みんなそれぞれに、その持ち場で頑張っている。74歳になるジイジとバアバなのだから当然か。でも欠席ハガキに、「家無し、金無し、ホーム暮らし」と書いてきた人もいる。

 幹事が「誰か替わってくれ」と言うが、「3回はやれ」と拒否される。やけくそになった幹事が「分かった。それなら来年やるぞ」と叫ぶ。「やれやれ、どんどんやれ」とヤジが飛ぶ。間が空くほど参加者は少なくなるだろう。ひとりでも多く参加してもらうためにも、1年に1回が良いのかも知れない。メールをくれた友だちに倣って、「3年3組 バンザイ!」。

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中学のクラス会

2018年08月27日 17時04分41秒 | Weblog

  かなり余裕をもって電車に乗ったのに、JRは「踏切の安全確認を行っています。しばらくお待ちください」と繰り返し、クラス会の会場に着いた時はもうみんな席に着いていた。中学のクラス会に出席して、みんなと話していると、ここが自分の原点だと思う。もっと厳密に言うなら、小5の時のストライキから、私は「私の人生」を歩き出した。

 私はズーと「いい子」だった。勉強もでき、運動もでき、素直で問題のない子だった。ただ、通知表には必ず「もう少し積極性が欲しい」と書かれた。それが大きく変わったのは、小5の時のストライキだった。私はみんなと一緒に行動していたが、それが当たり前と思っていたからで、自分で考えた訳ではなかった。

 クラスの男子の全員が参加したと思っていた。初めから参加しなかった子がいたことは後で知ったが、途中から「教室に帰る」と自分の意思を示した子が何人かいた。その時点で、みんなに「もう帰ろう」と言うことも出来たはずなのに、最後まで行動を共にして捕まり、校長室で立たされた。担任の女性の先生が泣いていた。

 この事件の後、私は教室で手を挙げるようになった。6年では児童会長も務めた。自分でもそれから「自分がつくられていった」と思う。中学の3年間はまさに自己形成の時だった。中学時代の私をクラスのみんなはどんな子だと見ていたのか知りたかったが、話は私のことより、それぞれの昔話で盛り上がっていき、聞く機会もなかった。

 唯一、高校で文芸部の部長だった友だちから、「お前は小説は書けない。人の心を打つ情緒のある文章が書けないから」と言われた。なるほど、私がブログに載せているものは、その時々に思いつたままの時評であって、心のひだに届くような文章にはなっていない。事実を誇張したり、オブラートで包んだりはするが、物語にはなっていない。フィクションはここでは無理だ。

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スー・チーさんへの期待

2018年08月25日 16時56分17秒 | Weblog

 「あのボランティアさんは、尾鼻さんではなく尾畠春夫さんですよ」と、友だちから昨夜、メールが届いていた。今朝、ケイタイを見て、ブログを見ると指摘されたとおりだった。自分では「オバタ」と打ったつもりだったのに、見逃していたようだ。最近、目がみえない。眼科に行ってみたが、「白内障が進行していますね」と言うだけで、「手術をしましょう」と言わない。メガネ屋さんい行っても、「昨年と変わりません」と言われてしまう。

 総合して考えると、「まだまだ大丈夫」ということだと勝手に解釈した。今日は地域の夏祭りが行われる。私は午後、市の国際理解講座に参加した。会場に入って、友だちが執拗に参加を促してきた意味が分かった。今日は彼が司会役だった。テーマは「出口が見えぬロヒンギャ問題」で、講師は国家顧問に就いたスー・チーさんの父親から話を始めた。政治とは無縁だったスー・チーさんが「建国の父の娘を必要としているなら」と、民主化運動に身を投じていった。

 そして、ノーベル平和賞を受賞し、総選挙で圧勝し、彼女は国家顧問となった。ラカイン州には100万人のイスラム教徒のロヒンギャが多数派の仏教徒と対立し、大規模な衝突が繰り返されていたから、国内外の多くの人が彼女なら解決してくれると期待した。けれど、現実は一向に変わらない。講師は、「父親のように命を懸けて解決すべきだ」と言い、「できないのであれば、ノーベル賞を返上する意思を示して欲しい」と、かなりきつくスー・チーさんを非難した。

 けれど無理だろう。「後進国だから」という発言も会場からあったけれど、先進国のアメリカは未だに人種差別で対立している。欧州は移民に対して排外的になっている。日本でも朝鮮人に対する差別意識は根強い。人間は人間を攻撃する。肌の色で、宗教で、貧富で、思想で。私は「待つ以外ない」と思う。人々の価値観や考え方が変わっていかない限り、紛争と弾圧は繰り返される。教育が最大の力になるだろう。

 明日は中学校のクラス会のため、ブログは休みます。

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どんな時でも決してブレない人

2018年08月24日 18時06分48秒 | Weblog

  台風20号は四国から中国地方を横断し日本海に抜けたが、昨夜はガラス窓が割れるのではないかと思う程の猛烈な風だった。今朝になっても風は相変わらず強く、べっとりとした湿度を伴っていた。明日は地域の最後の夏祭りだが、果たして実行できるのだろうか。

 どんな時でも決してブレない。単純と言ってしまっては失礼になるが、ある意味では羨ましい。山口県周防大島町で、行方不明になってしまった2歳の男の子を探し出した尾畠春夫さんは、実にスカッとしている。78歳とは思えない茶目なところがあって、人柄が可愛くていい。

 井戸掘り仲間に同じ歳の人がいる。彼は尾畠さんを高く評価し、「私と同じ考えだ」と称賛する。「終わったことにくよくよしない。過去は忘れて、前しか見ない。そこが一番いい」と自画自賛する。「尾畠さんは、東日本大震災の仮設住宅が全て無くなるまで、酒は飲まないんだって」と先輩にとって耳の痛いことを伝えると、「その決意は凄いが、私は飲む」と言う。

 前向きに生きている人は素晴らしいと思う。でも時々、後ろを振り返って過去を検証するクセも必要ではないだろうか。「そんなことをしていたら、いじけてしまって前に進めない」と叱られそうだが、毎日ではなくても、時にはそんな機会がないと、我武者羅に前進するばかりの社会になってしまいそうだ。

 市の国際交流協会の人が、アメリカで暮らす孫がスクスクと育っている様子を書いていた。私の知っているアメリカ人もとても良い人で、全ての人に寛容だ。金足農のナインに熱狂的な応援を送り、被災地の人々に心痛めて、個々人はみんないい人なのに、ある時突然、どうして「ヒトラー・ユーゲント」の少年少女のようになってしまうのだろう。

 賢く生きて来たはずの大人たちも、生き残るために豹変する。豹変していることに気付かないのか、気付かないふりをして。「人助け」が生きがいの尾畠さんなら、決してそんな豹変は無いだろう。

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何になりたいの?

2018年08月23日 14時26分35秒 | Weblog

  台風が近づいているというが、空は秋のように晴れ渡り、真っ青な空に白い雲が南東から北西へと動いていた。家を出たら風が強く吹いていた。午後から空は灰色の雲に覆われて来た。今年の暑さは異常だと誰もが口にする。盆過ぎには暑さも一段落するはずなのに、もう3カ月も熱帯のような暑さが続いている。そういえば、弟がインドネシアで事業をしている友だちが「インドネシアは寒くて、霜が降りたそうだ」と言っていた。アジア大会の会場はどんな天候なのだろう。

 昨日は小3の孫娘と一緒だった。彼女が急に「人を殺して死刑になったんでしょう」と言い出した。オウム真理教の死刑囚のことだ。「ああ、でもね。どんな悪いことをした人でもみんな死刑になるのではないよ。悪いことをして警察に捕まると、裁判にかけられるの」。「裁判って?」。「裁判はねえ、本当に悪いことをしたのか、なぜそんなことをしたのか、明らかにする場所でね、この人はこういう理由でこういうふうに悪いことをしましたと説明する人が検事、悪いことはしていませんとか、悪いことをした理由はこういうことで、本人の意思ではありませんとか、弁護するのが弁護士、それを聞いて判断する人が裁判官。悪い人を懲らしめたいなら検事に、犯人の罪を軽くしたいなら弁護士に、ふたりの話を聞いて判断する人になりたいなら裁判官、あなたは何になりたい?」と聞いてみた。

 小3の孫娘は「私はデザイナー」と答える。「みんなに喜んでもらえるデザイナーになる」と。そうか、死刑の話をするから、裁判に関心があるのかと勝手に思ってしまったが、全く興味はなかったようだ。「パパちゃん、話長すぎ!」とまで注意されてしまった。私が裁判の仕組みを知ったのは何時ごろだったのだろう。私は絶対に弁護士がいいと思ったのだが。

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この変わり身の早さは何なのだろう

2018年08月22日 18時06分05秒 | Weblog

  甲子園大会の決勝戦は、大阪桐蔭の圧倒的な勝利だったが、新聞もテレビも負けた金足農チームの健闘を圧倒的に称えた。日本人に流れる弱い方に肩入れする判官びいきはここに顕著に表れていた。「一生懸命に頑張る」その素直な姿は多くの人々の心を掴んだ。私も思わず涙を流してしまった。

 昨日は小3の孫娘の世話でブログを書く時間が作れなかった。食事の後ですればよかったが、「酒を飲んだ後はブログをしない」と決めていたし、途中からでも見たい映画があった。それはBS6で放映された『ヒトラー暗殺、13分の誤算』。ヒトラー暗殺は軍人が計画した「ヴァルキューレ」作戦や「閃光」作戦とかが有名だが、ひとりの市民が企てた暗殺の史実を映画化したもの。

 軍人による暗殺計画も映画になったが、それはハラハラする娯楽性の高い作品だった。しかし、この『13分の誤算』は、人の生き方というか人間に迫るものが強かった。ごく普通の青年、夫から虐待されている人妻に恋し、音楽を愛する腕のいい家具職人が、街にあふれるナチスの横暴に義憤を抱き、このままではドイツは滅亡してしまう、その前にヒトラーを暗殺しようと計画し実行する。しかし、ヒトラーは演説を繰り上げ早めに帰ってしまい、爆発で会場に居た6人の市民が犠牲になった。

 秘密警察ゲシュタボは、個人で出来る訳がないと背後のグループを自白させようと様々な拷問を行う。けれど自分が考え実行したことなので、自分でしたとしか答えようがない。こんな目に遇ったら、私は相手が望むように供述してしまうだろう。映画の中に、昔からの彼の知り合いが出てくるが、「ナチスに入れば収入が増える」と言う人もいる。街の子どもたちも「ヒトラー・ユーゲント」の制服を着て、ナチスに賛同しない人たちをバカにする。

 ゲシュタボの人たち、ナチスを称賛した人たち、ユダヤ人や反抗した人々を殺戮した軍人たち、戦争に負けて普通の生活に戻った時、何も思わずに日常へ同化していったのだろうか。すべては命令でしたことと、自分を正当化したのだろうか。人間のこの変わり身の早さは何なのだろう。

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今日はここまで

2018年08月21日 19時51分19秒 | Weblog

  高校野球の甲子園の決勝戦は私の予想通りの結果になったが、それだけに悔しい。もう少し、接戦だったらよかったのにと思ってしまう。まことに勝手なものだ。

 小3の孫娘は出校日で、家で待っていて、昼食をしてその後、スイミングスクールに連れて行き、教室が終わったら、家に連れ帰って晩御飯を食べさせて欲しいとのことだった。初めは母親の職場に連れて行く予定だったが、仕事で遅くなるというので、我が家での食事となった。

 そんな訳で、ブログの時間が無くなったから、今日はここまで。

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