マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

都祁白石・厚みのある自家製刺しさばを売る店

2023年09月21日 07時48分19秒 | 民俗あれこれ(売る編)
目的地は三重県名張市

盆にトビウオを売る魚屋さんの調査に向かう。

その途中にある自家製刺しさばを売る店は避けては通れない。

これまで何度も、なにかとお世話になっている旧都祁村の白石で商売をしてきた辻村商店。

一週間前の7月22日も伺ったが、なぜかシャッターが下りていた。

これまで一度も遭遇しなかった閉店のシャッター閉め。

突然なのかわからないが、不吉な予感がする。

念のためと、見ておきたい店裏の駐車場。

あるはずの自家製刺しさば干し。

干した痕跡もなく・・・

シャッターの前には、空っぽになった塩さばの箱と、商用の軽バンを残して・・・

22日に目撃したシャッターを閉めた自家製刺しさばを売る店。

一週間後に訪れた30日。

お店は開けていた。



毎年の今頃。

店前に立てる「遠い昔より続く 都祁の都の里のさしさば」は、この日も健在だった。

店内に居た女将さんに大将。

一週間前にも来たんだけど・・といえば、なんでも女将さんの近い親戚に不幸があり、お通夜、葬式に出かけていた、と・・。

これまで休むことなく年中開業だったが、稀にこういうときもあるとわかって胸をなでおろした。

早速、拝見した今夏初売りの自家製刺しさば。



作りたての刺しさばは、これまでと同じ真っ黒に日焼けした。

昨年は、長梅雨でデキが悪かったが、今年は梅雨が明けたとたんに猛暑の嵐。

おかげでこんなえー色に出来上がったと、いう。

今年の刺しさばは、いつもより肉厚の塩さばだから、美味いでえ、という大将。

実は、刺しさばは食べたことがない・・・という。

ま、まさかの展開に・・女将さん。

そう、食べるのは私だけですねん・・・の言葉に驚きモモノキ。

店の奥にたくさんの刺しさばを積んでいるから、見て、見てという女将さん。

年季のいったトロ箱に、これまた真っ黒けの刺しさばがいっぱいある。

聞けば、今年は160枚も作った、という。

3年前に取材したときは、120枚。

盆前に急遽追加した刺しさばは20枚。

今年は、さらに受注に応えられるよう枚数増し。



益々の商売繁盛に悦びもあるが、塩っ辛い刺しさばの需要がさらに増えていることは、ことさら喜ばしいことだ、と思った。

ところで、と尋ねた、ご近所ショッピングプラザの「たけよし」の刺しさば

商品シールに「和歌山県産」。

加工者は「㈱武吉 ショッピングプラザたけよし」の表記から、お店の裏で作ってはるんやろか?・・に、店主が答えてくれた。

それはあり得ない。

仕入れ先は奈良県の中央卸売市場だろう、と。

卸売市場は、私が住まいする大和郡山市。

立地は、馬司町。

地元民は、「まっさっか」と呼ぶ地である。

なんと、なんとである。



おひざ元の中央卸売市場から仕入れていたとは・・・これもまた驚きモモノキだ。

私も食べたことがあるショッピングプラザたけよしの刺しさばの仕入れ先が奈良県中央卸売市場だったとは・・。



実は、これから三重県に売っているトビウオ調査に行くのです・・と話したら、ちょい待ち。

ここにある、と見せてくれたトビウオの干し物。



ご近所さんから注文を受けたトビウオは、件の奈良県中央卸売市場で仕入れたと、いう。

もうすぐ注文したお客さんが、受け取りにくるので、まぁ見とき、といわれて写真に収めるトビウオ。

初めて見るトビウオ。

刺しさばと違って真白だが、味は同じように塩辛い、と店主はいう。



裏も表も、真っ白なトビウオ。

見た目だけでは、想像もつかないしょっぱい味らしい。

大きさは、と聞けば、小さい方だ、という。

横にあるヒダラと比べたら、ほんに小さい。

加工業者はわからないが、これもまた中央卸売市場仕入れ。

たけよしが売っていた刺しさばも、同じ会社から仕入れたのだろうか。

別途に連絡があった。

奈良市長谷町に暮らすA子さんが伝えてくれた刺しさばを売る店。

過去形でなく現在も売っているという同じ田原の里にある一村。

「横田のお店も、奈良中央卸売り市場でお魚仕入れてはる、と聞いた」そうだ。

(R3. 7.22、30 SB805SH撮影)

都祁白石・ショッピングプラザたけよしの刺しさば

2023年09月12日 07時10分38秒 | 民俗あれこれ(売る編)
宇陀市室生の小原の行事調査を経て、西隣の染田

そこで見た願かけの道具。

穴薬師に詣でた願かけなのか、それとも願満のお礼に奉納した穴あけ道具の錐(キリ)を記録していた。

さらに、西へ走った行先は奈良市の旧都祁村の大字白石。

7月末近くの今日なら干しているお盆の魚。

真っ黒けの干す刺しさばを見たくなって走ってきた商店。

なんと、シャッターを下ろしていた。

緊急の用事に出かけた、と判断し白石のショッピングセンターに向かった。

ハンドルを握りながら、つい口に出る奈良県民ならたいがいの人たちが口ずさむ奈良テレビ放送が流すCMソング。

頭の中でも、繰り返すショッピングセンターたけよしのコマーシャルソング

「♪・・見つけっちゃたねェ~ ゆめ~いっぱい なんでもそろぅ うっ! たけよし~・・♪♪」メロデイに、引き込まれるように入店した。

これまで、お盆のころしか入店しなかったショッピングプラザたけよし。

トイレの借用に降りていった階段向こうに見えるアレは何?

商売の神さんこと、えべっさんだ。

中階段の棚に置いていたのか、それとも従業員の方たちが、上り下りされる都度に頭を下げる祭りの踊り場なのか・・・



よくよく見たえべっさん。

商売繁盛を叶える笑顔のえびすさんはともかく、固定している箕が黒ずんでいるように見える。

色合い、風合いからみた年代はわからないが、新しいえびすさんでもない。

どちらのえびすさん行事で受けた縁起物なんだろうか。

これも民俗のあり方と、とらえて携帯カメラに収めた。

店内に入って商品売り場に目当てのものを探したらあった。



まさか、の出会いは、今年も販売していた和歌山県産の刺しさば。

刺しさば加工は、たぶんにショッピングプラザたけよしではないだろう。

賞味期限が来月の8月17日の刺しさばも買いたいが、我が家の冷蔵庫では保存する場所がなく、泣く泣く諦めた。

(R3. 7.22 SB805SH撮影)

天理本通り・食料品店の刺しさば調査

2023年08月28日 08時14分08秒 | 民俗あれこれ(売る編)
今年の2月。

雪の降る日に立ち寄った奈良の天理本通り

なにげに入店した食料品店に、棚売りしていた干物のヒダラがあった。

ヒダラを売っているなら、もしかとしてお盆に食べる刺しさばも売っているのでは、と思って声をかけたら、売っている、という。

千載一遇の出会いにご縁をいただいた刺し鯖売り。

半年後の夏。

売られる時季になれば、教えてください、とお願いしていた。

そろそろ入荷される時季になった、と思って電話をかけたら、6月末に製造販売元に発注し、7月初めに入荷した、という。

売り場の写真を撮らせてもらっていいですか、とお願いしたら、値札は外しときます、という。



SNSに投稿されるのは構わないが、商売上、競合他社に、商品値付けを知らせるのは、御免やで、と・・。

枚数にして十数枚の刺し鯖。



売りきり注文した刺し鯖は、7月末で販売を〆る。

1カ月に売りきる刺し鯖であるが、昨年は早めに売れたようで、追加発注をした、という。

刺し鯖を買う客層は、どんな人なのかわからないが、数年前の行事取材に出会った旧五ケ谷村に住む平成27年当時82歳のIさんは、ここ本通りで刺し鯖を買っていたと、想定される食料品店。

奥に在庫もあるのでは、と思って尋ねた、今年の仕入れ枚数は・・・。

これもまた企業秘密・・と、いうことだ。

おまけに、店名も伏せてほしい、と願われた。

これまで、県内3カ所、3店舗で売っている刺し鯖は、すべて味見した。

いずれも、一口食べて、しょっぱぁーい、と、思わず口に出るくらいに塩辛い刺し鯖。

ここ本通りで売っていた刺し鯖一枚を購入し持ち帰り。



ノルウエー産の鯖を、刺し鯖に加工販売する水産加工事業者は、福井県丹生郡越前町のヤマヒラ商店㈱

若狭名物の一本丸ごと串焼きする焼き鯖の作り方は、テレビやSNSなどで多くの事例を紹介されているから、その加工手段はわかるのだが、刺し鯖は・・・

機会があれば、刺し鯖民俗調査の一環に刺し鯖加工はどのようにされているのか、工場見学してみたいものだが・・。

買ってきた刺し鯖は、今も冷蔵庫保存。

焼きを入れて、我が家で食べることになれば、また公開しようと思っている。

ちなみに、製品は真空パック売り。

店主の話によれば・・・。

かつて売っていた刺しサバは、日焼けのように真っ黒けだった。

昭和40年代の刺しサバは真っ黒けだったが、いつしか健康志向に清潔さを求められ、塩分は10%~15%どまり。

真空パック技術もあってパッケージ化。

汚れもつかない刺しサバ売り。

独特の匂いも拡散しない真空パック保存。



その昔は、パッケージもなく、真っ黒けの刺しサバをそのまま棚売りしていた時代を忘れそうになる。

ここら辺りの人は農家が多い。

暑い夏にバテないよう塩分を摂ったようだ、と話してくれた。

「刺しサバの流通は、福井・小浜から送りだされるサバ街道によって、奈良にも流通したと思う。7月末で売りきるのは、お盆のお家の刺しサバ習俗とは関係なく、8月10日ころまでに食べていた。お盆に食べる、というようなあり方ではなかった。だから7月末で売りきる」と、断言された店主であった。

(R3. 7.15 SB805SH撮影)

都祁白石・ショッピングセンターたけよしの刺し鯖

2021年04月24日 08時58分08秒 | 民俗あれこれ(売る編)
やや腰痛ぎみだった身体。

気分転換に出かけた行先は、奈良市都祁白石町。

どうしても食べたくなった塩っ辛いサシサバ買い。

お盆の真っ盛りの15日の午後では売り切れも仕方ない。

気になれば、なるほどにうずうずしてくる気持ちを抑えきれなくて・・。

以前も買ったことがある食品売り場は、奈良テレビ放送で繰り返すショッピングセンターたけよしのコマーシャルソング

「♪・・みつけっちゃたねェ~ ゆめ~いっぱい なんでもそろぅ うっ! たけよし~・・♪♪」。

午前9時から夜の8時までが営業時間。

運よく、見つかった「たけよし」の刺しさば。

1パックに1尾売りの480円。

6枚も残っていた和歌山産の刺しさばに歓喜する。

賞味期限は9月13日。

そもそも刺しさばは、保存食なんですわ。

入手した時間帯は、午後5時45分だった。

売り場の棚にあった紛らわしいPOP。



「脂がのった昆布だし塩鯖。北海道産の昆布だしにじっくり漬け込み、まろやかな味に仕上げました」。

その横にあった手書きPOPが「サンマヒラキ」。

益々紛らわしくなるPOP文字。

鯖なの、それとも秋刀魚なの・・。

魚肌の文様でわかる鯖そのもの。

魚形から見ても秋刀魚の開きではない。

これこそ刺しさばである。

自宅に戻ったその夜。

すぐには食べない貴重な逸品。

食べたいと思うときに食卓に・・。

そうは思っていても思い通りにならない家庭の食卓。

口にするのは、私一人だけだ。

袋から取り出した刺しさばを皿に盛る。

我が家ではでかい方になる皿に、丸々一尾の刺しさばを置いた。



記録撮影のために、まずは開いた背中を撮る。

カラカラに乾いた背の部分の文様は、真鯖。

身は厚かったと思える面構えである。

わざわざ買ってきた刺しさば。その理由は、内面の干し具合を観たかったからだ。

15日に取材させていただいた山添村勝原の民家のあり方。

撮らせてもらった刺しさばの映像は、背であった。

背を裏返して身の部分を・・の思いはあっても、そこは遠慮。

なぜなら、同家では供えたその晩にいただく馳走であるから、遠慮した。

私が買って、私が食べる。

実写に、味見をしたい和歌山県産の刺しさば。

まずは、焼きを入れる。

我が家の炊事場コンロは、ガスコンロ。

魚を焼くコンロに入ればいいのだが・・・。

なんとか入れて、火を点ける。

焼きはどれくらいの時間をかけていいのやら。

えいや、っと思う時間で終えた焼き具合。



ぷくぷく焦げの状態。

火を止めた時間が丁度いい。

そして、遠慮なく、裏返した刺しさば。

コンロ焼きに裏返しはどうなのだろうか。

その焼きを見ることなく、箸が勝手に動き出した。

カチコチだと思っていた刺しさば。



柔らかくもないが、ほどほどに箸が入る。

ちょっと掻い出しては口に入れた一口目の味は、想定通り。

思わず口に出る「しょっからーーい!」。



日本酒がすすむ塩辛い味。

塩鯖のレベルではない。

とにかく、しょっーーかっ、らーーい。

塩辛いから、また日本酒を喉に押し込む。

一気に食べるには、勿体ない。

骨と皮は無用。

箸で食べられる身を剥がす。

この作業は、嫌いでもない。

むしろ大好きな作業。

どのような魚であっても、箸を用いて、身を削ぐ。

吉野の杉箸は使いやすい。

竹製の箸も使いやすい。

そのなかでも一番使いやすかったのは、生駒・高山に住まいする職人が作る竹製の割りばしである。

中でも廃材のススダケが一番だった。

二度と手に入らないススダケの箸・・・。

売っていても高いだろうな。

話しを刺しさばに戻そう。

大皿一枚の大きさだった刺しさばも、皮と骨を取り除いたら、身はちょっとに・・。

大半は私の口にちょびちょびいただいたが、ほんの少しだけを残した。

食べさせてあげたい友人たちと出会う日は、9月に入ってからだ。

毎年に訪れる十津川村の滝川。

その上流に広地がある。

そこでいただく昼めしにちょい喰いしてもらい、刺しさば味わってもらおうと魂胆したわけだ。

9月8日、メイン食の準備中に出した一皿。

見たとおり、ほんのちょっとだけの刺しさば。



箸で摘まんで口に入れる。

その味、しょっぱぁーーイ!。

強烈なしょっぱさに、参加者全員が、一様に口走った。

塩っけが強いから夏場に相応しい味。

皿にもったほんのちょびっとが、すっかり消えた。

ちなみに全日本さば連合会会員のSさんが、FBにコメントしてくださった「刺し鯖って、はじめて知りました😂ググッたら、食べたくなりました!」に、今さらであるが、”刺し鯖“をキーに、ネットをぐぐってみたら、あるある・・。

一つは、江戸の地にも「刺鯖」があったそうだ。

江戸文化歴史検定試験にも出題される「刺鯖」と「鯖代献上」。

天保九年(1838)刊の『東都歳時記』に、7月15日の盆に「中元御祝儀。荷飯(はすめし)・刺鯖(さしさば)を時食とす(刺鯖は、その色、青紫のものを上とす。能登産を上品とし、越中これに亜(つ)ぐ)、良賤生身魂(いきみたま)の祝ひ(七月の盆に、亡者の霊魂来るよしを言ひてまつるより移りて、現存の父母兄弟などの生御たまをいわう意なりとぞ)」。

まさに探し求めていた生身魂(いきみたま)・刺し鯖の歴史譚である。

ブロガーの「気ままに江戸♪」さんが、アップしていた記事に救われる江戸文化歴史検定図書の『江戸の祭礼と歳事』の「刺鯖」と「鯖代献上」。

「7月15日、祖霊を敬う行事であるとともに、生きている両親の長寿を祝う“生身魂(いきみたま)”行事もしていた」というのは、奈良県内東部山間地に、今なお継承しているお盆に生きている両親の長寿を祝う「刺し鯖」御供である。

ちなみに、「気ままに江戸♪」さんが続いて書いていた産地情報。

「東都歳事記によれば、能登産が最上に、次いで越中産だった」そうだ。

私の知る範囲では、当記事でもわかるように和歌山県産。

以前、山添村・桐山の大矢商店店主から聞いた話では、サシサバの仕入れ先は奈良県中央卸売市場であるが、作っている人は和歌山・新宮だったと・・。

また、後年になって天理商店街に商売するお店で知った仕入れ先は、北陸の福井県。

また、宝暦調書からわかった石川県羽咋郡・西海産もある。

江戸期とは違って、現代は産地文化に用をたす県民に、多様な流通経路も絡んでいるだけに、時代を遡り、調査するには限界を感じる。

また、「奈良の食文化研究会」によれば、同じく奈良県中央卸売市場の塩乾物卸売業者の奈良塩乾物㈱の仕込み。福井県丹生郡越前町の江戸時代の文書に「・・二尾一組の刺し鯖を供物・・」とあるから、『江戸の祭礼と歳事』の記載と同じだ。

民俗行事に登場する刺しさばもある。

事例は、お盆行事でなく、形態も違う島根県『津和野町史』にある鶴舞神事に頭屋儀式に添える刺鯖だが、これまで揚げていた生身魂(いきみたま)とはまったく異なる事例もある

また、刺鯖(さしさば) 初秋 – 季語と歳時記 - きごさい歳時記によれば、刺し鯖は、季語にもなるようだ。

※やっと登場した私が取材した刺し鯖ブログ記事に忘れていた「刺し鯖」は、冷たい茶粥で食べると云ったのは辻村商店の店主だった。

(H30. 8.15、19 SB932SH撮影)
(H30. 9. 8 SB932SH撮影)

白石町・出だし好調正月予約販売

2020年08月01日 09時59分57秒 | 民俗あれこれ(売る編)
度々伺っては白石町の年中行事を教えてくださる辻村商店に立ち寄る。

特に、重要な食文化として取り上げたい刺しサバ作りがある。

自家製の刺しサバは売り物。

購入者も多いからそれなり以上の枚数を作って売っている。

正式に取材願いした平成30年の6月17日

それから1カ月後の7月14日に初取材。

とはいっても大量の塩を振りまいて漬ける作業はすでに終わっていた。

干す日も逃した刺しサバ干し。

天候の関係もあって仕舞うところを撮らせてもらった。

7月20日は白石の民俗行事の教えを乞う。

その日にもらったヒダラはとても美味しく正味させてもらった。

連続するが、7月22日も訪れて教わる白石の民俗。

神社や寺行事だけでなく今ではまず見ることはできない貴重な習俗も・・。

また、8月13日にはお家の先祖迎えを取材させてもらった。

いろいろ世話になった年末の挨拶に伺った。

店舗前に立てた大きな看板。

往来する車に気づいてもらう旬のもん。

6月に訪れた際に話していた正月料理に欠かせないエイの煮つけである。

買い物に出かけたご近所にある地産地消を売るよってって小泉店にあった生エイ。

買ったエイは煮凝りにかーさんが作ってくれた、いわば我が家の自家製

辻村商店はプロ仕様。

お家で作って食べるエイの煮凝りとは違うだろう。

そのプロが販売する屋外POPの文言は「冬の味覚赤えい 丁寧においしく味付けしました」がエイの煮つけ。「おいしい手つくりの脂がのったあじ・かます」に「脂がのった手づくり干物 うまいです」などの達筆な書。

実は予約販売用のPOP看板で、実際に手がける調理販売は28日よりだった。

今日は25日。

すでに予約も入ったエイの煮つけ。

予約受付が好調な出だしに嬉しい顔を見せる。

(H30.12.25 EOS7D撮影)

刺しサバを売るお店に取材願い

2019年11月30日 09時55分09秒 | 民俗あれこれ(売る編)
2年前の平成28年8月1日

えっ、ここのお店に刺しサバがある。

緊急取材をさせてもらったお店は辻村商店。

東山中の旧都祁村の一村にある大字白石であるが、奈良市の統合合併された関係で現在表記は奈良市都祁白石町になる。

白石町に山高帽を被った座中が国津神社まで渡御する行事がある。

羽織袴姿の12人の座中がスコと呼ばれる飾り物を先頭に練り歩く。

お渡りを撮った年は平成18年11月3日

ふる祭と呼ぶ白石の村行事である。

珍しい光景のお渡りを聞いたのは、それより前のことである。

お渡りを拝見した年の一年前の11月3日は仕事があった。

仕方なくお話だけでも伺いたく立ち寄った国津神社。

平成17年11月1日であった。

ふる祭りに登場するスコ作りを拝見したのはその翌日の11月2日だったが、花を飾るのは祭りの当日。

残念なことであるが、その年に行われたふる祭りの様相は知人の写真家野本輝房氏が先にとらえていた。

先を越された白石のスコにふる祭りがあると教えてくださった人がいる。

その人との出会いは前月になる平成17年10月26日である。

出会いの場は隣村になる友田町に鎮座する都祁山口神社の大祭である。

その大祭に近隣郷の村々の人たちがやってくる。

旧都祁村から友田、来迎寺、小山戸、相河(そうご)、白石、藺生(いう)、甲岡、南之庄、吐山、針、小倉、針ケ別所、馬場、萩、下深川、上深川、高塚。

室生村からは無山、多田、染田、小原、上笠間、下笠間、深野。

山添村からは毛原の26カ大字が支える大祭であった。

祭りに出仕する人たちは昼間にそれぞれの持ち場の処で飲食をともにする。

ぶらりとそこを歩いていたときに声をかけてくれたのが白石町のNさんだった。

翌月の11月3日にふる祭りと呼ぶ行事が白石にあると教えてくださった。

その情報はたまたま電話を架けてきた写真家野本輝房さんに話したら、先に行かれたということだ。

私がふる祭りを拝見したのは翌年の平成18年になる。

当屋から出発した一行は国津神社鳥居を潜って参進する。

その光景をとらえた一枚は、後年に発刊した『奈良大和路の年中行事』に掲載させてもらった。

見開き頁に先頭の太鼓打ち。

後続に3基のスコが行く。

渾身の一枚は今でも忘れられない映像になった著書は教えてくださった白石のNさんにありがたく献じた。

前置きはともかく、実は昨年の8月のある日にお店を訪れてみたものの刺しサバ干しはなかった。

たぶんに駐車場に干していると思われたがなかった。

その日は月ケ瀬・月瀬の取材があったから尋ねる時間もなかった。

旬期を逃したように思えただけに、今年はもっと早い時季に訪ねておきたいと思って白石に来た。

お店に入って声をかけたら女将さんが出てこられた。

2年前に訪れた際に拝見したことがある者であると伝えたら覚えておられた。

辻村家に嫁いだのは50年も前。

そのころは旦那さんの父親がしていたという刺しサバ作り。

始まりはわからないが70年、80年も前からしている製造販売であろう。

2年前に教えてくださったように樽いっぱいに塩漬けする開きのサバ魚。

何層にも重ねてその都度の塩撒き。

その都度において大量の塩をもって塩漬けする。

その状態は2年前に拝見した。

できれば塩を振って漬けている作業を見たい。

もう一つの工程は塩漬けした刺しサバを干すことである。

干す場は駐車場。

それは合っていたが、竿干しでなく水平干し。

例えばテレビ等で紹介される海辺でシラス干しをしている光景をみたことがあるだろう。

カマスでもアジであっても同じ方法である。

辻村商店ではビール瓶ケースを台代わりに使う。

何個も置いてその間に干し網を載せる。

どれぐらいの面積になるのか実際に見ないとわからないが、相当な刺しサバの枚数になるから、相当な広さになるであろう。

水平に置いた網に載せた刺しサバは塩漬け水がたらたら落ちる。

商店の駐車場であるからそれができるようだ。

こうした天日干しは日の出からするのではなく、お日さんが燦々と照りだす午前10時くらいになるらしい。

夕方ともなれば日が暮れる。

それまでに一旦は回収しておく。

翌日もその続きの天日干し

何日間もかけてあの真っ黒け、いやまっ茶色になる刺しサバができあがる。

6月は梅雨時。

連続的な天気のえー日にならないから作業は7月になってからするという。

天日干しは7月中旬辺り。

塩漬けは7月に入ってからになるというから、取材させていただくには、毎日に電話を架けるのも迷惑になる。

そう伝えると連絡してあげますょ、という。

ありがたいお言葉に感謝して、3月末に山と渓谷社から発刊された池田陽子氏著の『サバが大好き!』を献本することにした。

この本には「刺し鯖は辛い」というタイトルでコラムを執筆した。

実体験、実食感を伝えるコラムである。

編集者から求められて執筆したコラムには真っ黒けの刺し鯖を写真で紹介している。

その写真も私がとらえた映像である。

もう一枚はサトイモの葉に載せたお供えの形の刺し鯖。

いずれも山添村ととあるお店で取材させてもらった映像。

山添といえばO商店でしょと云われたから驚き。

商売敵ではなくよく存じているというから、これもまた縁が繋がった刺しサバである。

女将さんが云うには、ここ白石では8月13日に両親が揃っているお家は供えてから食べるが、揃っていないお家は食べられなかったとか・・。

若干の習俗違いはあるようだが、現在の購入者は習俗とは関係なく、昔に味わっていた刺しサバは今でも口が求めるらしい。

欲しい人は予めに注文して作ってもらう。

ほとんどがそのようだが、お店の前に「刺しサバあります」と表示したときには次から次へと待っていたかのように来店するそうだ。

その様相を直に拝見したのが2年前に訪れた8月1日だったのである。

ただ食べたいだけで買ってくださるお客さんは実に多いようで、ある年は完売したそうだ。

それでもなお求める人が後を絶たない。

仕方なく奈良県中央卸売市場まで出かけて仕入れたそうだ。

その刺しサバを食べた女将さん。

味はまったく違うと云っていた。

卸売市場が売る刺しサバの味は辻村商店とまったく違っていたことがわかったから、注文量よりも多めに作るそうだが・・・。

女将さんは年末も忙しいという。

昨年のことである。お正月のお節料理にエイの煮付けや棒鱈がある。

味覚的に女将さんの好みは棒鱈よりもエイの煮付けである。

そりゃ私も一緒の口である。

この年の1月1日

山添村・松尾に住むH家の正月のいただきを取材した。

その際にお節の膳をよばれることになった。

そのお節料理の一つにエイの煮付けがあった。

美味しくいただいたエイの味わい。

その味をもう一度。

そう思ってたまたまスーパーに売っていたエイを買った。

我が家の料理人はかーさん。

美味しく煮付けてくれたエイがサイコーのご馳走になった。

辻村商店のエイの煮付けは切り身にして店前に並べて売る。

晦日ともなれば狙っていたかのようにお客さんが買い求める。

うちにエイは厚みがあって美味しいという。

ある日、ある人が買ってくれてその美味しさを伝えていた。

そのことを知ったのは近隣住民の娘さん。

なんと海外のオーストラリアに住む娘さんからの便りで知ったそうだ。

そのエイのことをSNSで伝えて人は男性。

なんでも曽爾村に住む太神楽を演じる人。

自称は芸人で着物姿のその人の名はたぶんにKさんであろう。

間違いなくその人が発信したSNS記事が嬉しくて、と笑顔で話してくれる女将さんだった。

エイの煮込みも棒鱈も、で思い出す商店がある。

宇陀市室生の下笠間のM商店である。

お正月に供えるカケダイ作りの取材であった。

店主が話してくれた棒鱈作りである。

こうして三つの村の商店を並べてみれば、昔からの馴染みさんでもっている店。

お家の年中行事のお供えもあれば食する文化にずっと貢献してきたお店のすべてに“民俗”が支えにあるわけだ。

季節ごとに味わえるのも商店主のおかげである。

ちなみに私が口にしたエイの煮付けは、この年の1月22日に思いをはせて実感する味わいに酔っていた。

特に煮こごりである。

つい舐めたくなる煮こごりに浸っていた。

(H30. 6.17 SB932SH撮影)

山の辺の道路地売り有人販売所で買った二十日大根

2019年10月08日 09時17分10秒 | 民俗あれこれ(売る編)
旧室生、榛原から明日香村。

帰路に走る国道169号線。

ふと思い立って天理の中山町の懐に入った。

稲作田園に水口まつり。

この先はたしか山の辺の道。

歩いているハイカーさんは遭遇しなかったが・・。

無人販売所だと思って車から下りたその場に高齢の婦人が居た。

気がついたのは、その婦人が座っていた椅子から離れて、「買うてや」と声をかけられたときだ。

1袋100円の商品もあれば200円も。

ササゲ豆は昨年のもの。

1袋が100円の二十日大根。

一挙にさばきたく3袋200円で買うてんかと云われる。

瑞々しい二十日大根はスライスして作る漬物が最適という。

そうであれば久しぶりに食べたい甘酢漬けがある。

シャキシャキ感を味わいたいと思って、買うてんかの声に釣られてしまった。

山の辺の道路地売り有人販売所にいた高齢の売り子がいうには二十日大根は漬けものにするのが一番美味しいという。

丸ごと漬けるのではなくスライス切り。

美味しいよ、といわれた二十日大根は、買いである。

私は単純な漬物で食べたくもない。

二十日大根の色合いは真っ赤っかに白い肌がある。

それが眩しくて思い出すのが赤かぶの甘酢漬け。

シャキシャキ感を味わいたくて即席漬けを希望する。

翌日は母の日に大阪・住之江。

おふくろに一袋の二十日大根をあげた。

食べ方はスライスして甘酢で漬ける。

スライスの厚さ、薄さはお好みで・・と云って手渡した。

我が家といえば、数日後に味わうことになった。

夜の食事に愛想で並んだ二十日大根の色がとても素敵だ。



味は思った以上に酢を利かせ過ぎた。

キリっと感が欲しいとかーさんに伝えたら、それ以上に感じるキリっと感。

シャキシャキ感もあって酒の肴に合う。

(H30. 5.12 SB932SH撮影)

矢走・路上黒豆売り夫妻の笑顔が素敵だから

2019年01月01日 12時01分06秒 | 民俗あれこれ(売る編)
行事取材地を目指して国道169号線走っていた。

向かう先は岩壺。

そこに行くまでに、えっ、ここでと思った景観があった。

Uターンする時間もない。

岩壺の行事はもうすぐ始まる。

終って、まだここで居られたら買おうと思っていた。

取材を終えた心は高鳴るばかり。

美味しそうに見えたかどうかはわからないが、拝見したいのは路上売りだ。

戻ってきた時間帯は午後の3時半過ぎ。

路上の端っこにブルーシートを拡げて作業していた老夫妻。

向こう側に見える畑で栽培しているサツマイモや黒豆を売っていた。

奥にある小屋にも貼ってあったのは「新米あります」だ。

収穫が始まってから1週間はこうして売っていると云う。

この日は平日であるが、需要は多かったそうだ。

工事に運搬するトラックは何台もの車体がひっきりなしに往来する。

通行の安全を考えて配置されたガードマンも買いにくる黒豆。

毎日が勤務のついでにガードマンが買っていく売れっ子黒豆。

採れたて黒豆は大袋に詰め込んで1000円。

そないにいらないから、と200円分を持って帰った。

プリプリの黒豆は塩茹で。

我が家の食卓に出る前からちょいとつまみ食い。

あっという間に半分。

もっぺん買いに行きたいが遠隔地。

諦めた。



ご夫婦は大淀町矢走(やばせ)の住民。

一度は行ってみたい神社行事がある。

どこで知ったか記憶にないが、私のメモに旧暦の9月9日に行われていた天髪王(てんばつおう)神社(※神社庁登録名は天八王神社のようだが)のマツリ

その日は当屋渡しがあるらしい。

かつてはゴクツキに8臼も搗いていたが、ゴクマキに来る人が少なくなりやがて中断となったと話す。

(H29.10. 9 EOS40D撮影)

この年も刺しさばを売っている店

2018年09月26日 09時17分34秒 | 民俗あれこれ(売る編)
月瀬の行事が再開するまで多少の時間がある。

その間に訪ねてみたい商店がある。

ショッピングプラザたけよしがある所在地は奈良市都祁白石町。

針テラスSAを出た次の信号を曲がったところにある。

食事を済ませて今年も寄ってみたいお店がある。

所在地はこれまた白石町。

たけよしから南下した次の信号地。

その角地にあるお店は辻村商店

今年も自家製のサシサバを作って売っている。

その証に店前に掲げたPOP看板の表示は「刺しさば」だ。

自家製の刺しさばを作る大切な工程がある。

数日間もかけて青空の日に干す天日干しである。

この年は売る枚数のすべてを作り終えたのか、天日干しの場には何もなかった。

あればその情景を撮らせてもらうつもりで足を伸ばしたが、ご挨拶はいずれまたの機会を思って次の訪問先を目指した。

(H29. 8. 6 SB932SH撮影)

旧都祁村荻の村産直販売所

2018年05月19日 09時24分58秒 | 民俗あれこれ(売る編)
全廃の可能性が高まった県内のフキダワラ習俗に愕然とした天理市山田町を離れて次に向かう地は旧都祁村の一つ。

荻に向かう。

気になっていた村の産直販売所である。

施設は末広屋大野橋直売所の名が正式。

ここに行けば美味しいものがある。



自家栽培の採れたて野菜に高齢のばあちゃんたちが真心こめて作っているイロゴハンやちらし寿司。

行けば何かがある。

もう一つの目的は民俗行事について教えを乞うことである。

その前に確認しておきたいことが一つある。

それはここで売っていた猪の焼肉の件である。

美味しそうな香りに釣られて買った焼肉。

冷めてしまったらとんでもない臭い。

えー匂いではなく腐った臭い。

戻しそうになる強烈な臭いがたまらんかった。

もし、この日も売っているなら、ご注進したくて立ち寄った。

店番していた二人の売り子さん。

あの猪肉を焼いて売っていたのは村の人ですか、と聞けば、そうではないという。

肉を焼いて売っていた男性は荻ではなく、隣村の下深川に住む男性だという。

ときおりであるが、店の横で売っているが、場所借りして売っているから、売り物についてはお店に責任はないという。

注進はできなかったが、原因を教えてもらった。

冷めたら臭いのは猪の下処理が上手くできていなかった証拠。

それも血抜き処理をしていなかったからや、という。

私らもいっぺん買って食べたら、とんでもない臭い、味だったという。

なんてこったい、である。

話題は民俗行事に切り替える。

一つは2月15日に行っているという子供のネハンコ。

もう一つは4月28日に村神主が山に登って、荒神さん参拝をしているという。

詳しく知らないから区長に聞いてみたら、と云われるが、次回廻しに尋ねるとして次の地へ向かった。

その道沿いである。

荻に珍しい、てっぺんに杉の葉をつけたコイノボリの支柱がある。



今年もしていたのが嬉しい。

初めて見たのは平成26年の5月6日だった。

なぜにここにあるのか尋ねた結果は、道行く人たちに愉しんでいただこうということだった。

(H29. 5. 5 SB932SH撮影)