マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

琵琶湖博物館・湖国の食事-附民俗行事写真展〜道具・郷土食(下)〜

2024年04月20日 07時46分10秒 | 民俗を観る
さて、個別の展示に戻ろう。

ハッと息をのむ不思議なカタチの檻。

図絵がなくともわかった琵琶湖に住む魚類を捕獲するモンドリ。

それにしても、ちょっと違うような・・・

人間の檻でもないコレは、「タツベ」の呼び名がある鯉やエビ漁にも陥る漁具。



解説を読んでわかった、この「タツベ」もモンドリの一種の形態。

本ものを展示してあった竹組みの「タツベ」。

どのような場所に設置するのか、生態を考えたモンドリ的仕様の「タツベ」。



それにしても、「タツベ」の語源は何だろうか


琵琶湖周辺の各地にみられる食の文化。

日常に食べる食事はさまざま。

画像は綺麗に撮れていない不鮮明な画像。

見苦しい点は、ご容赦願うが何かの折に見たくなる。

食の原材料が捕れなくなれば、代用に切り替え。

それまで食べていたカタチも変化する。

普通に暮らす民家の生活。

背景に写るモノモノも暮らしの民俗。

お家がひとつ違えば、細かい部分に差異が生まれる。

それが暮らしの民俗。



正面に展示している姿はおんぶの赤ちゃん。

現在のおんぶは近年に大変化した。

胸に抱えるのが現代的。

父親も前に抱えるカタチになった。

尤も、大昔の父親は赤ちゃんをおんぶしたことはないだろう。

背中おんぶは、何十年も経ったら、ソレなぁに、と質問がくるだろうな。



だからこそ、残しておきたい博物館展示の映像。



ほんと、図録がほしいものだ。

部屋を移動し、角度を替えて、より分かりやすく解説する食の文化。

はじめの一歩に見た琵琶湖を俯瞰

食の名称をデザインした立てた旗に位置図を拝見してきた。

これより拝見する展示は、地域ごとにある食の解説。



雪深い風土の湖北の地。

壁展示の前に並べた各道具は食の道具。

三重県と接する千メートル級の鈴鹿山脈。



奥永源寺地域に山の暮らし。



そこより南下した安土。

先の湖北も、奥永源寺地域も、興味深い行事がある。



さらに南下したそこは野洲・日野。



琵琶湖から距離をとった東部地域の甲賀(こうか)に気になる江戸時代からはじまったとされるかんぴょうつくり。



水口の地に生まれたかんぴょうつくり


奈良・大和のかんぴょうつくり文化との比較調査をしてみたい地域である。



一方、琵琶湖の西寄りの井香立(いかだち)地域

比良山と比叡の山並みが連なる緑に囲まれる山麓地。



北に移動すれば扇状地の志賀。

さらに北上。

湖岸西の山。



渓谷の地の朽木(くつき)。

若いころ渓流の魚を求めて足を踏み込んだ針畑川〜安曇川が流れる山深い朽木。



記憶にあるのは扇子つくりに杣人文化、木地師発祥の君ケ畑。

懐かしい響きに郷愁さがこみ上げる若狭街道。



その街道沿いに旧くから地域の人たちが伝承してきた朽木古屋の六斉念仏

川島さんが話していた、朽木の民俗信仰が存続の危機に陥っていると・・

若狭の国、福井県の各地に伝わる同系の六斉念仏

大和・奈良も同じように、衰退の域に入っているが、なんとか継承してきた奈良の六斉念仏。

八島安堵・・・



信楽朝宮・三上神社の神饌御供にごんぼまつりやずいき神輿もある。



午後1時20分ころから拝見した数々の展示物。

すべてではないが、入館した午後1時から3時まで、ずっと立ち見つづきに疲れた。

トイレ休憩もとったひと休み。

(R3.10.26 SB805SH 撮影)

琵琶湖博物館・湖国の食事-附民俗行事写真展〜行事・行事食〜

2024年04月18日 07時52分14秒 | 民俗を観る
ただいま、滋賀県草津市にある琵琶湖博物館にて施設内展示されているテーマ企画展の湖国の食事を見学中。

情報量は多い。

前半は、生業に使われた本ものの道具やレプリカ製の郷土食などを拝見してきた。

同じ会場に、まだまだ見せてくれる展示物。



ここからは、行事や、その行事において特別な神饌・御供ならびに氏子たちが食べる行事食の展示に移る。

解説によれば、「湖国の行事を彩る食事」として、川島朱実さんが県内各地域に取材慣行された祭りや念頭に行われる地区の五穀豊穣を願う伝統行事、オコナイのときに食べる行事食の写真も展示している。

栗東市大橋の三輪神社の「ドジョウのなれずし」や東近江市の日枝神社の「ちん」と呼ばれる動植物を模したもち菓子などの模型も展示している。



新しくつくったカンジョウナワに旧いカンジョウナワは燃やし・・・は、とんどであろう。

背景に展示した数々の民俗行事写真。

行事写真は、写真家の川島朱実さんがとらえた映像作品。



これはなんだろうか。はじめて見る膳の盛り。

長浜市湖北町延勝寺で行われるオコナイ行事にもてなす料理。



長方形に切り揃えた大根を重箱に詰める大根の”重引き”。

他に、鮒の荒汁や鮒の子まぶしに、イサザと大根の煮物などたくさんの調理を「本膳」と呼ぶ年頭の会食にふるまわれる。



リアルに見える栗東の三輪神社の大祭にどじょうのなれずし。



東近江市黄和田・日枝神社の敬宮神事に栗東・三輪神社のどじょうのなれずし。

リアルにつくられた大祭に奉納されるどじょうのなれずし。

黄和田の日枝神社の敬宮神事に男性たちがカタチつくる14種類の神饌「ちん」。



木を削ってつくった14種類の「ちん」は、氏子の男性が初老記念に奉納したもの。

うるち米粉で捏ねて茹で。

その生地を成型し、いわゆる餅菓子をつくるが、目は小豆。

そのカタチ、大きさは原寸大の「ちん」はひな形を基につくるようだ。

おこぜ(※別途山の神に供える)、さる、子犬、うす、うさぎ、志な(※支那か?)の犬、びわの葉、ひよどり、はしづな、かめ、いのしし、むすび、きくざ、ぶとの14種。



堂々たる、大屏風。

湖国に春を告げる豪華絢爛図。

大津市の無形民俗文化財に指定されている日吉山山王祭をとらえた祭礼図屏風(当館撮影?)。

多数の舟がある。どれもこれも神輿を乗せた廻船。

岸辺の舟にも神輿。

琵琶湖を渡る舟神輿図は江戸時代中期に描かれたもの



併せて展示していた粟津の御供。

この図絵の左上に「ぶとまがり」なる食べ物がある。



米粉でつくった「ぶとまがり」。



奈良の漢國神社(かんごうじんじゃ)・林神社(りんじんじゃ)行事に饅頭祭がある。

祭礼を終えて後日に訪問し、あらためてご挨拶した宮司より、こちらには挙げた「ぶと」菓子がある、と教えてくださった。

その「ぶと」菓子」の形はねじりん棒のように見えた。

味はない、という「ぶと」菓子」。

実は、春日大社にもる、という。

油で揚げた「ぶと」菓子。

甘くもない「ぶと」菓子


一ついただき口にした感想は、宮司の云われたとおりだったことを思いだす。

粟津の御供にある「ぶとまがり」とも、よく似ている。

奈良の和菓子屋さんのお店に餡子を包んでいるぶと饅頭が売られているが、私が口にした「ぶと」菓子に餡はない。

(R3.10.26 SB805SH 撮影)

琵琶湖博物館・湖国の食事-附民俗行事写真展〜道具・郷土食(上)〜

2024年04月17日 07時57分38秒 | 民俗を観る
まだ、工事中だと思った琵琶湖博物館の出入り口。

入館したら、すでに子供たちが・・。

学童が学ぶ琵琶湖博物館の展示を覗き込んで、何かを発見したようだ。



現代的な炊事場に「火の用心」の護符を貼っている展示が嬉しい。

これこそ、ほんまの暮らしがわかる。

コンロは、IHヒーターの時代になっても、必要な「火の用心」。

つまり、これこそ民俗の一篇。

学芸員に敬意を表したい。

展示の挨拶文に『つくる、たべる、つなぐ、滋賀の食事と知恵』。



「・・・自然環境や歴史的背景と深く結びつき・・・土地の恵みを美味しく、無駄なくいただく食事文化が育まれていた。しかし、現代では、例えば鮒ずしや味噌などを家庭ではつくらなくなっている。受け継がれた知恵や技のなかに失われつつあるものが、少なくない・・・」

「”滋賀の食事文化研究会”は、滋賀の食事に関する幅広いことがらについて、地域から学び、その技を身につけるとともに、記録し食文化を伝える活動をしてきた・・・・研究会の活動のすべてをごすることはできないし、実際の味を賞味することもできませんが、観覧後、実際につくったり、食べたりする機会をもっていただければうれしく思います(一部略、補正しました)」とあった。

以下、滋賀の食文化はあまりにも多く、情報量に枚数制限はするものの、落とすワケにはいかない。大切な資料になり得るさまざまな暮らしの食文化。

貴重な映像は多数になるが、できる限り後世に伝え、繋ぐためにもここに公開しておきたい。

「くいじという言葉」がある。



滋賀県の方言である”くいじ”は、食事のこと。

豊郷町、甲良町、沖島、中主町、安土町、高島郡、高月町で使われていた、という記録もあるそうだ。

「くいじは済んだか」といえば、それはお昼の食事を終えたか、と心配する言葉であった。

現在では、ほとんど使われなくなった、食の方言だけに、仕様はさまざまらしい。



会場展示に炊事場の次はお家のウラ。

樽に漬け物の亀もあれば石臼もある。



農作業に必ず見る道具も・・どこやらのお家のあり方。

今にもお家の人が現れそうな、自然体に置いたお家のウラが再現されている。

物干しにピンチ。

玉ねぎも干している自然な風景。

思わずシャッターを押したくなる農家のさりげない景観が素晴らしい。

一歩、足をすすめたそこは畑作地。



ひいた野菜を綺麗に洗い場もある。

まるで、昭和の時代や、レトロ感に懐かしさを感じる見学者もおられることだろう。

「野山からは、木の実や山菜・・・一度は、途絶えた焼き畑を復活される取り組みをしている地域(※長浜市余呉町)がある」。

「米どころの近江。水田魚道を設けた“魚のゆりかご水田”に、鮒や鯰の稚魚が孵化する」。



そして、琵琶湖を中心に周囲に食の名称をデザインした立てた旗がいっぱい。

奥琵琶湖東岸の旗にナニがある。



名称が判断できる順に、焼きサバそうめん、打ち豆汁、白菜のたたみ漬け、はぐき漬け。

西岸にサバのなれすし、栃餅、とんがらし漬け、納豆餅が見える。

位置を移動し、南下した地域に立った幟旗。



いばら団子に吊りかぶら汁、オイカワのめずし、丁字麩の辛子和え、赤こんにゃく、泥亀汁、丁稚ようかん、めずし(たですし)、くるみごぼう。



対岸の西側に栃餅、こねこね、とんがらし漬、納豆餅、坂本菊、しじみ汁、菜の花漬けだど。



撮り位置替えて、わかった日野菜漬、ブリのぬた。



さらに南下した地域から見る幟旗に、やっとわかった茶粥とハスのめずし。

目線を揚げたら、学童児童が大勢。



思い思いの学びにひとつずつ関心を寄せているようだ。

方角を替えてみた奥琵琶湖から。

こちらの幟旗に見た郷土食。



サバのなれずしに、ビワマスのこけらず。

さまざまな郷土食になぜか見られない水口のかんぴょう。

尤も、水口はかんぴょうの生産地。

栽培し、つくっては市場に出荷。

生産地の人たちが食べるかんぴょう料理は、なぜにないのか。

地域の景観や調理した郷土料理を写真で紹介する展示もある。



湖北の行事とともに紹介する展示に、焼畑と山かぶ、オコナイと餅。祭りのごちそう、多彩な漬け物になれずし、報恩講のお講汁・打ち豆汁。



湖東は、オイカワやハスのめずし、ブリ(※伊勢湾から届く)のぬた、日野菜漬、ナスの泥亀汁、吊りかぶら汁、いばら団子。



湖南からは、坂本菊に菜の花漬け、ずいき祭のめずし、茶粥、どじょうすし、ごんぼ祭のくるみごぼう。



湖西からは、納豆餅、栃餅、こねこね、とんがらし漬、いもねり、サバのなれずし。



琵琶湖の郷土料理といえば、ダントツにあげられるふなずし。

食べる人、食べない・食べられない人。

極端に分かれる好みの問題。

私は、口にした途端に吐いた方の人だ。

ふなずしは、特別なコーナー展示。



作り方に、それを漬ける道具も展示している。

会場は、レプリカ展示のため、美味しさの匂いはしないが、どのような形態でされているのか、よくわかる展示。



そこには、調理をとらえたビデオ映像も同時進行。

目線は、どっちを向けばいいのやら、集中したいものだ。



熱心に見入る学童。

もしかしたら、うちと同なじちゃうかっ、なんて会話しているかも・・



琵琶湖の郷土料理は、お土産にも見る琵琶湖産小魚の佃煮がある。



そうそう、滋賀米どころ。近江米が有名だ。

打ち豆をつくる道具は、石臼?。



どうやら石臼は、臼挽きでなく、そこにあるように木鎚で叩いて大豆をひとつ、ひとつ潰すんだろうな。

次の展示はかんぴょう。

動画もあるから、かんぴょうつくりも紹介していたのだろうか。

かんぴょうを充てる漢字が「干瓢」。

実は、種、苗から育てたユウガオ。

受粉してから実をつける。

やがて育ったユウガオの実が巨大化する。

畑で育てたユウガオの実を収穫し、早速はじめる皮むき。

青々とした皮の下から現れる純白の実。

それをカンナと呼ばれる道具で切り取っていくひも状のユウガオの実。

長くなった実を竿などに干して乾かす。

夏の風物詩にかんぴょう干し。

だから、充てる漢字が「干瓢(かんぴょう)」。

名称は実までの状態をユウガオと、呼び、干して乾いた状態がかんぴょうである。

映像映すテレビの前に置いている展示物は、まさに「干瓢」。



封をしているからほんもの生もの。

さて、個々に拝見していた食文化の展示は、まだまだある。

後半の展示は、写真展を見てからだ。

(R3.10.26 SB805SH 撮影)

みんぱく秋まつり2021in奈良県立大和民俗公園内古民家に愁ふ

2024年03月11日 07時38分41秒 | 民俗を観る
11月13日(土)に14日(日)の両日は、年に一度は開催される県立民俗博物館のみんぱく秋まつり。

今年も開催した2021年のみんぱく秋まつり


テーマは「つくって、たべて、たのしむ秋」。

その内容は「江戸時代の古民家が建ち並ぶ民俗公園、3月に常設展示を一新した民俗博物館を舞台に、秋にぴったりなワークショップや物産販売、演奏会、紙芝居、芸能の上演、飲食のテイクアウトなど、個性豊かなプログラムが集合!」。

関西文化の日は入場無料のイベントが満載。

なかでも拝見したいイベントは、古民家修理工事中の状態。

こんな機会は滅多にない


内容は「・・・今年度の修復古民家は、奈良県十津川村。山深い峡谷の地。風雨の厳しい場所に立地していた“旧木村家”。杉皮に覆われ、大きな石をのせた屋根。雨除けに板をはり詰めた家屋。厳しい自然のなかに暮らしぶりが伺える。工事中の現場公開を見てもらう見学会。屋根の葺き替えに合わせて、普段では見られない角度から・・。古民家を、まじかに見ていただく」(※要約し文は補正)」趣向。

その“旧木村家”は、県立大和民俗公園内にあるが、入口のゲートからいえば、最奥端。

途中に見ていく各種のイベント。

詳しく拝見するワケにはいかない午後2時半の時間帯。



食事を済ませたこの時間帯ににぎやかさはなく、一部は帰り支度の広場。

コロナ禍による影響であろうか。

秋のワークショップに物産の販売。

和楽器や雅楽の演奏もあれば、昔を懐かしむ紙芝居や芸能の上演。

ネットに見つかった風流舞・奏楽

食事はランチにおやつ。

テイクアウトで提供する食事もあるそうだ。

さて、古民家を拝見しながら歩いてみる。



旧吉川家の戸口から見た旧萩原家住宅。

近年において茅葺屋根を修復したから美しく輝いていた。

最初に見た演舞は親子が演じる民芸寺子屋の獅子の舞い。



場は旧赤土家の離れ。

三方から拝見できる貴重な古民家である。

旧萩原家住宅の前で売っていた民具・工芸。



縁起物の下駄の細工は、夫婦下駄。

ミニサイズだけど実にいいね。

もうひとつは竹細工。



生駒・高山の茶筅つくりには負けるが、これもまたいいね。

ここよりは坂道になる。

ゆっくり、ぽちぽち歩く。

峠、私にとっては峠に見える頂点

小さな峠であるが、越えたときにやっとここまで来たか、と思う。



そして現れた古民家は、旧岩本家住居。

ここは、イベントのある都度、団・グループが催しをされている。

裏へ廻っていくと、古民家を舞台にお披露目。



演奏関係が多いように思える。

そこからさらに、西を向けば旧松井家住居。



近年になり著しく茅葺屋根の崩れが心配だ。

そして、やってきた吉野集落。

工事現場に入る前に見ておきたい十津川村の各所の他、旧西吉野村の一部にも見られる多段型のハザカケ。

ここ旧木村家の事例では、大和民俗公園の地形を考え、5段型に設えたのであろう。



稲干しの状態が見えないから、わかり難いが、まさにこれこそが多段に稲架けができる構造をもつ「ハザ(ハデと呼ぶ地区もあるが・・)」である。

私が、各地に出向き調査してきた多段型の「ハザ」。

最大は10段仕様。

地区、というか個人お家の関係や物理的条件から低くした8段型や、もっと低い多段型ハゼを見てきた。

工事を担当していた職員さんが話してくださる現場の話から、考えてみなきゃならない後継者つくり。

建築工事の体験によって何人もの人たちが志望する仕事に繋がるのだろうか。

非体験者よりも、この現場に来るだけでも、なんらかのキカッケが生まれたらいいのだが・・・

体験者に、なんらかの記録をとってもらってはどうか。

道具を測るなり、幅、長さに厚み。

重さの記録から、構造つくりのヒントにならんかなぁ。

定規を充てて、記録するペン文字。

それだけでも思いだす記憶の残照。



例えば、ここ旧木村家には、当時使っていたカラウス(※唐臼)がある。

それを使うのは無理だとするなら、つくってみてはどうか。

民俗を研究している大学生のインターシップによる体験学習。

梁から吊った紐に掴まって、カラウスをしていたという先駆者の動作はどこにも書いていない。

梁にその紐を通す窪みがあって、それでわかった、と話してくれた工務店の担当者になるほど・・

杉の葉も触って体感する。

十津川村に今でもみられるハダに、手が伸びる高さはどこまで・・

届く、届かない高さに梯子の有無。

或いは登って足をかけ、固定して稲束を受け取ることも書かずに、単にこれはハダ・ハザです、と云っても聴衆には頭に描けない・・なんてことをつぶやいてしまった。

何故にそのことを呟いたのか。

それは、これからの人材育成。

暮らしの体験をしたいない時代に生まれ育った人たち。

都会の生活しか知らない人たち。

ここ民俗博物館に必要な要件は、体験の有無。

あっても、その体験数がモノをいう。

生活文化が、さらに近代化。

農や漁業の営みもあるが、それは生産体験。

暮らしの体験は、物理的、地域的、また家族構成によっても違いがある。

それぞれの県や市町村ごとに民俗資料館や博物館をつくってきたが、今後はどのようになっていくんだろうか。

云十年、或いは数百年間を経た時代に、継承されることなく、どれほど残っているのか。

国も、県も予算がないと、いう。

国の文化を、どう将来に繋げていくのか、真剣に取り組まなきゃ、いずれは文化の消滅を招くことになるだろう、と危惧している。

そんなことをいろいろ考えてしまった県立大和民俗公園。

戻りの道に見つけた花。



種子を生んで、子孫を残し後世に委ねる。

時間帯は午後3時半。



そろそろ夕陽が沈む時間帯に、紅葉が染まった。

(R3.11.14 SB805SH 撮影)

高校生が描いた原爆の絵展in三の丸会館

2023年11月26日 08時26分51秒 | 民俗を観る
高校生が描く原爆の絵展。

会場、三の丸会館の1階ロビー。

30分間のトレーニングを終えてから拝見した絵画の描写。

おどろ、おどろしさばかりが強調される絵画。

当時、体験した生?の生き証人である男女それぞれの人たちが語る被爆した現実の体験話から想定して描いたと説明にある。

高校生のほとんどは女子。

たまたま展示した作品がそうなったかもしれないが、およそ200枚の作品から選んだ40点をパネル展示。

主催者は、国連NGO認証団体・新日本婦人の会奈良県本部。

日本政府に核兵器禁止条約に署名・批准を求める団体。

特にその行為を反対する理由はもってないから署名したが、別途あった感想文に描くにあたって指導があったと思える黒い画像。



絵そのものの描き方、構図、被災者の配置に差異は認められるが、色彩絵の具に、ほぼすべてが同一性を感じる。

被ばくに映画の「黒い雨」とか、見本にする写真?絵もあったのではと思わざるを得ない。

実際は、青空だった証言も多く、米軍が記録した白黒写真から最新のデジタル技法を用いて再現された青い空の映像もあることも、知らなかったのか。

もしかとするが、大人の知恵が働いているのではないかと疑問をもった。

(R3. 9. 9 SB805SH 撮影)

戦時中の暮らしの民俗展に学ぶ奈良県立民俗博物館

2023年10月09日 07時29分58秒 | 民俗を観る
「私がとらえた大和の民俗」写真展に、10年間もご一緒してくださった写真家のMさん。

なんと、3年も続けて拝観しているという。

前日の7日から開催される戦時中の暮らし民俗展示を見たく出かけると伝えてくださり、同行することにした。

先に拝見した、臼井家住宅。



扉のすべてを開けて風通し。

おかげさんで、開かずの扉の向こうに仏壇も拝見できてよかったが、空気が流れない日は、堪える。

屋外の熱気が古民家まで入り込みに、打ち合わせは不向きと思った古民家。

涼しくなるのは、8月末、いや9月に入った中ごろにならんと、耐えられないのでは、と思った。

戦争展は、そのほとんどが悲惨さを訴え、戦争撲滅、二度と・・という類が多く、足を運ぶことはなかった。

戦争体験はないが、おふくろが若かったころの体験談に、その恐ろしさは、映画やテレビなどで映し出される映像と重なり、わが身も体験したかのようになっていた。

米軍艦載機が、田畑にいたおふくろに機銃掃射。

パンパンパン・・乾いた銃声音に、田畑を走って逃げていたおふくろの両サイドに・・・タタタタタ・・・。

生きた心地はなかった、と話していたが、いつしか口を閉ざすようになった。

91歳で亡くなった大おばあさんは、大阪市内のど真ん中の東区瓦町で呉服屋を営んでいたお嬢さん。

結婚して親父を生んだその地で暮らしていたが、戦争末期の大阪大空襲に焼け出された罹災民。

その地は大阪・住之江。

罹災者住宅の大阪市営住宅

大阪南部の富田林で米軍艦載機の銃器に追い廻されたおふくろと暮らし、私が生まれた。

それからずっとが、貧困生活だった。

ご近所のほとんどの人が罹災者。

悲惨さを体験した人々に思いだしたくない事実もある。

先に拝見したのは、臼井家民家の奥の間が扉解放され仏壇が見えるようになっていたから思わず携帯写真で撮っていた。

それから移動、拝見した本館内のミニ展示コーナー「戦時下のくらし」

令和3年8月7日から同月29日まで展示していた会場は、耐震工事を終えてリニューアルした本館内である。

子ども・大人分けの展示もあるが、比較するものがあればより一層記憶に残る展示になる。

できるなら一枚一枚の展示に、例えば戦争がはじまった年、終わった年とか、また世界的な動きに日本はどう対応し戦争に向かったのか。

戦争をまったく知らない子どもたちに、画一的に教える学校教育の枠内に収める緒ではなく、なぜ、戦時中の暮らしにこの道具が必要になったのか・・・

創意工夫された判断などを伝えることで、そうか、そういう時代だったからこそ生まれた道具を学ぶ展示。

悲惨さばかりを植え付けるような展示でなく、当時の人たちはどう考えどう暮らしたのか、それはなぜにその考えに至ったのか、あらためて認識を広げる展示
に、学芸員のTさんと話し合っていた。



防火バケツは耐火布製。

説明に「“時局防空”必携では、焼夷弾の消火のほかに、空襲がはじまったら、まず周りの燃えやすいものに水をかけて、延焼を抑える」と、あった。



現在のアウトドア商品と同じような形の防火バケツである。

実は、暮らしの民俗に布製のバケツを遺していた民家を訪れたことがある。

今でも、使えそうな布製バケツ。

遺していた民家は、いずれもかつては大庄屋のお家だった。

1カ所は、県内桜井市・小夫

もう1カ所が、県内宇陀市・榛原柳



灯火管制の灯りは、布で覆っていたわけじゃなかったんだ。



戦時下の備え説明に「第一次世界大戦において航空機による都市襲撃が行われたことから、都市空襲に備えるため、昭和12年に”防空法”が公布された。灯火管制も防空法の中で定められた」と、ある。



その前下に展示していた長い棒をもつ道具。

近づいてわかってきた。



形からして箒である。

網目に編んだ掃き道具の箒?。

一見して、それがどのような場合に防火道具になるんだろうか。



名称は”火はたき”。

掃く方じゃなくて、はたく道具だった。



「空襲で焼夷弾が落ちてきたら、水や砂をかけて消火にあたりますが、周辺に飛び散る火の粉を水で濡らした”火はたき”で、たたき消した」。

その”火はたき”は家にあったというMさん。

それが、消火道具だったとは・・・、と思いだされた。

この丸い道具はなんだ。



一瞬、戸惑った円形の道具は、”文化パンヤキ“。

そう、この中にパン生地を入れて焼く道具。



パン焼き器の説明に「直火で熱して焼き上げるパン焼き器。戦後も食糧難が続いていたので、パン食が普及しました。パン焼き器の材料は、航空機に使われていたジュラルミンを転用して造られた」、とあった。

初見のパン焼き器、面白いことに” 特製”の文字だけが右読みになっていた。

一升瓶でつくる“どぶろく”つくり?も展示していた。



「昭和16年、コメは配給制になり、政府は7分搗き白米の販売を禁止しました。配給されたコメは、家庭精米するために、唐臼(※からうす)がない家は、一升瓶を使って精米しました」と、ある。

そうなんだ。

この展示で思いだした“どぶろく”つくりではなかったんだ。

白黒映画に見た、棒で搗く一升瓶のシーンは、ずっと“どぶろく”つくりと、思っていたんだわ。

誤っていた記憶認識は払しょくしやんとあかんな。

右側に立てていた展示物。

そういえば、出征軍人之家札って見たことあるような気がする。

また、左側の展示は手押しポンプの”空気入れ“。



展示物は、昭和19年に購入されたもの。

ポンプ部分が竹でできている。

つまりは、材料の鉄が入手できない戦時中。

鉄の代用に竹がある。

解説に「代用品は、”輸入材料に頼らず、身近な材料でも作れる”という、技術力を示す意味合いもありました」と、あった。

次の展示は下駄だ。



それにしてもちょっと変わった下駄。

その名も”八割” 草履。

見た目の形は下駄であるが、草履。

「戦時中、物資が不足していた時につくられたときにつくられた草履です。小材を継ぎ合わせ、表は竹皮を編んでつくられています」と、あったが、よく見れば履く足の部分が竹の皮で、地面を蹴る部分は木材。

二層構造の下駄でいいんじゃないかな。

なるほどと思ったのは、陶器製のキャップのネジ穴。



陶器は焼成に縮むが、こんなに上手くできるコツは、どのような技術があったのだろうか。

そのほかに、米搗き、豆柄落としなどの展示もあった盛りだくさんの「戦時下のくらし」の展示コーナー。

体験者であろうが、非体験者であっても、当時の暮らしの民俗を学ぶことができた。

次のワークショップは9月26日と10月24日。・・・ 終了しました

いずれも日曜日。

ショップ思考する作業場もできたから、と見学した。

ところで、Mさんの奥さんは桜井市柏森。

近隣村落の白木も和田もみなサシサバがあった、という。

仏壇か、なにかに供えたサシサバは、まず親が食べるので酒びたし。

子供も食べたが酔っぱらったとか。

サシサバを売っていた処は和田へ行く道のカーブ道にあったタバコ屋さん(※まほろば湖の口ノ倉橋手前の・・)。

かつてなんでも売っている店だった。

また、箸中はサシサバでなく、かつてはトビウオだった、と話してくれた。

(R3. 8. 8 SB805SH撮影)

県立民俗博物館企画展・「雨降る季節のくらしと言葉」に、再びブトクスベを観る

2023年07月12日 08時07分40秒 | 民俗を観る
企画展に「雨降る季節のくらしと言葉」をテーマに特別展示をしている、と聞き、急遽出かけた県立民俗博物館。

梅雨どきであるが、この日は、真っ白な雲に、透き通った青さの空。

気持ちいいぃ梅雨の晴れ間に、雨の民俗を見ることにし。

雨にまつわる暮らしの民俗。



企画展の入口に並べたカラフルな和傘が美しい。

五つの和傘から、思い浮かべた番傘。

そう、白波五人男が番傘を手にして格好に見えを切る伊達男の姿。

置いてあるだけで、人の姿を感じる。

そういえば、この和傘を観るのは、今日が初めてではない。

3カ月前の3月7日。

杉皮屋根の葺き替え工事を終えた旧前坊家・古民家のお披露目に拝観した屋内。

三畳間の「みせ」にあったカラフル唐傘。

バックライト効果が利いたデイスプレイに、シャッターを押した見学者も多かったろうょ。

今日の展示も梅雨の晴れ間の新緑色が利いている。

展示内容は、テーマ別に「夏のはじまり」。



田植え道具に野神のまつりのツクリモノなどの展示。

「暮らしの中の雨」は、和傘、泥よけ付きの下に防水の知恵など。

「動きがわかる動画収録期の民俗行事」に、虫送りや雨乞い、夏越しの祓いなどに関する映像記録。

ほとんど視聴していたので、お昼時間に間に合うよう、失礼はしたが・・・今も変わらぬ暮らしの民俗に関心をもってくださればありがたい。

さて、私が見たい今回の目玉は、雨天にも使用していたと想定する「ブトクスベ」である。

地方によれば呼び名が違う「ブトクスベ」。



山口県・萩博物館企画展「百年の布」にツイートしていた「ブトフスベ」

”燻蒸“、”燻製”からわかるように、“・・クスベ”の語源は”燻べる”にある。

つまりは、煙をもって燻すことにある。

その”燻す”をキーに見つかったと、教えてくれた写真家Kさん。

メールで伝えてくれたそのキーワードは”ブトイブシ”。

愛媛県生涯学習センターが伝えていたデータベース「えひめの記憶 虫よけ」にあった”ブトイブシ”。

ちなみに、ウエブリボにあがっていた季語・季題辞典にも「ブトイブシ」が見つかった

夏の季語の「ブトイブシ」なら、「ブトクスベ」も同じ季語になりそうなものだが、該当するのは”ブト”だけのようだ。

また、 “くすべる”ワードは、鹿児島弁や土佐弁にもみられる

ブトクスベは地方語なん?と、思って念のためにぐぐったネット。

武蔵野美術大学美術館・図書館に「ブトクスベ」が見つかった。

使用されていた地域は、山口県阿武郡。

神奈川県歴史博物館・特別展示出品目録にあった。

実物がどんなのかわからないが、事例の一つに揚げられるような気がする。

農作業の邪魔をする、煩い、刺す虫たちを燻し、作業の邪魔をせんよう、避けるための農道具。



燻して虫を追いやる農道具。

材は、燃えにくい木綿の生地。

主に端切れを用いてつくったブトクスベ。

火を点けても燃えることなく、じわじわ燻る道具。

虫よけの香取線香が世に出て追いやられたブトクスベ。

“ブト”は刺しよる。

痛いからたまらん、という“ブト”であるが、聞き取りした農家の方々のほとんどが“ブヨ”か“ブユ”と、呼んでいた。

ブトクスベの名称は、そのまんまだが、虫だけを呼ぶ場合は、”ブト”でなく、“ブヨ”か“ブユ”である。

ドラッグストアに売っている虫よけスプレーに“ブト”の表記は見られない、という特徴もある。

そこらへんが、暮らしの民俗である。

展示解説は、「私がとらえた大和の民俗」写真展に、たいへんお世話になっているMさんにTさん。

実は、関東が出身のMさんは、ブトクスベの名称が難しかったそうだ。

と、いうのも、関東では“ブヨ”と呼ぶのが一般的。

なるほど、である。



展示の現物がここしかなくて、と云われるほど、今では希少価値のある農具である。

写真は、上手く撮れなかったが、野神(ノガミ)の板絵馬は、地黄町野神神社に供える絵馬

で、あるが、展示出品の絵馬に年月日表記が見られない。

おそらく、寄贈目的のため、日付けは書かれなかったのでは、と思った。

ちなみに、現物、現役のブトクスベを拝見したことがある。



用途は、田畑を荒らすイシ(猪)除けになったが、なかなかの利用価値があったようだ。。

(R3. 6.15 SB805SH撮影)

子どもの魔よけを知る奈良県立民俗博物館・スポット展「背守り」の習わし

2023年05月24日 07時54分29秒 | 民俗を観る
出かけたくても出かけられないこのコロナ禍、緊急対策措置対応中に展示された奈良県立民俗博物館・スポット展。

奈良県立民俗博物館駐車場入り口に立てた「県民のみなさん」に通知する看板は「新型コロナウイルス感染症 奈良県緊急措置」。



実行期間は、令和3年4月27日から翌月のGW明けの5月11日まで。

県立大和民俗公園入り口にも立て看板がある。



予定されていた人が集まる5月1日から5日までの催し「子供の日イベントウィーク」は、みな中止の判断。

担当の人たちが工夫し、材料も調えて子どもたちを待っていたが・・・

ガラスケース越しに拝見する「背守り」の習わし。



あれこれ、さまざまな民俗取材を重ねてきたが、私にとっては、初ものの民俗。



「背守り」とは、なんぞえ、である。



ネット探しに見つかったLIXIL出版発行の佐治ゆかり・夫馬佳代子著『背守り 子どもの魔よけ』



子どもの着物の背中に、魔除けとして刺繍をほどこす「背守り」の習わしに着目し、実際に刺繍された着物3点と見本帖を紹介していた。



また、武者人形や虎の人形など、端午の節句にちなんだ玩具もあわせて、魔除けとして親しまれたデザインは、鍾馗さんに張り子の虎。



フリーライター・マキタミクさんが、執筆された「魔除けの刺繍「背守り」とは?意味やデザインの種類、歴史を解説!」になるほど、である。

私の取材に拝見したのは、我が家の子たちに飾った張り子の虎くらい。

尤も、子供の日だから、前庭に鯉のぼりを揚げていたが、子どものころだけである。

そのころに咲くサツキ群。

美しき花の群生。



これだけ見事に咲いている県立大和民俗公園入口。

向こう側に建つ古民家を添えて何枚か、撮っていた。



真っ青な空は、まさに五月晴れ。

穏やかな風に、コロナ禍に悶絶していた気持ちも落ち着き。

古民家イベントは、中止になったが、屋内に「背守り」。



屋外に、美しきサツキに心の癒し。

(R3. 5. 1 SB805SH撮影)

奈良市埋蔵文化財調査センター常設展示見学

2022年10月02日 07時35分46秒 | 民俗を観る
買い物に立ち寄った業務スーパー大安寺店。

道路向こうに奈良市埋蔵文化財調査センターが見える。

思い出したナニこれ企画展示。

尋ねた職員さんが答えた・・・・10日前の20日が最終日に、えっ。

どうぞもらってくださいと示された図録が嬉しい。



ナニこれ企画展示物は日程終了後に常設展示に一部移している。

また、寄贈品以外は当センターの所有ですから、なんなりと記録しても構いませんから、どうぞ観てください、と・・・

こんなチャンスは滅多にない。

埋蔵センターに入室、展示品を拝見するのも久しぶり。

しばらくの滞在時間に、拝見した発掘展示品。

数々の収蔵品からピックアップした展示品は、鬼瓦、土馬(どば)、人面墨書土器、木製品の陽物(ヨウモツ)・刀形・馬形・斎串(さいぐし)・人形(ヒトガタ)・下駄・木沓・横櫛・ものさし・大型木製品の階段に陶棺、家形埴輪もあれば復元した建物住居に井戸枠。


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いただいた図録とともに鑑賞した。

(R2.12. 1 SB805SH撮影)

大勢の人たちで盛り上がるみんぱく秋まつり2020

2022年09月21日 07時48分30秒 | 民俗を観る
今月の11月21日から23日は3連休。

コロナ禍もやや落ち着いてきた日々に、籠っていたお家を出る。

広々とした郊外の新鮮な空気を吸い、気持ちいい空の下に寝そべりたい。

癒しを求めて、あっちこちに出かける会場に催しがいっぱい。

今月の16日と21日。

両日にわたって貴重な民俗行事を取材してきた三重県名張。

奈良・大阪・京都・滋賀には見られない珍しい形態、所作をいち早く伝えたい、と思ってやってきた奈良県立民俗博物館・大和民俗公園

園内はとても広く、毎日を散歩される人たちは多い。

芝生が拡がり、雑木林に群れる野鳥をとらえたいカメラマンの姿も多い。

そして茅葺家など移築した古民家群が建っている。

見学、散策はマップを参照し、移動されたらいいだろう。

ほとんどの人たちは、”町家集落”に”国中集落”に建つ「旧鹿沼家住宅」、「旧臼井家住宅(※)」、「旧吉川家住宅」・「旧西川家土蔵」、「旧萩原家住宅」、「旧赤土家離座敷」だけを見られて、お帰りになる。

せっかく、来られたのに実に勿体ない、と思う。

さらに、一歩、二歩・・・足を運んだ先にも古民家が建っている。

”宇陀東山集落”、”吉野集落”に佇む「旧八重川家」、「旧岩本家」、「旧松井家」、「旧木村家」、「旧前坊家」である。

尤も、現在は”吉野集落”建物の修復工事中期間なので、危険防止のため立ち入り禁止地域にしているが・・・

さて、11月21日から23日は、みんぱく秋まつり2020だ。

入口、ゲートからすぐ近くに建つ「旧鹿沼家住宅」付近のイベント。

午後2時の様相である。



鹿沼家の玄関前に並べていた松ぼっくり。

でっかいぼっくりもあるが、これら加工品に値段付けしてあった。

向かいに建つ「旧臼井家住宅(※)」。



威風堂々の建物姿であるが、年々に姿が変容する茅葺屋根。

17年~20年サイクルに、各古民家単位に修復作業が入る。

予算確保の関係もあるが、茅の調達、茅葺替え職人の手配、スケジュール調整も絡んでいるから、一挙に修復されることはない。

建物の維持管理していく難しい課題は、全国各地、どこの施設でも悩ませる課題である。



このパネル写真は、移築前当時に撮られた古民家の状態である。

屋根の構造から「旧臼井家住宅(※)」であろうか。現在の佇まいとは、大きく違っているのは、こうして毎日が見学できるようにしてのことだろう。

ちょっと距離をあけている「旧吉川家住宅」。



建屋に入室した子供たちは何を見ているんだろうか。

旧吉川家の隣棟に建つ「旧萩原家住宅」、「旧赤土家離座敷」。



正午時間と午後2時半からは和太鼓体験&獅子舞イベントが催される。

はじまりの時間までに見ておきたい実物展示の農具。



土間にセッテイングしていた千歯扱き(せんばこき)

懐かしい、と口に出る人は主に農業従事者。

体験していた人たちの年齢を考えたら、おそらく70歳以上だろうな。

上がり口に展示していた農具は、木製の菰編み機



筵とか、米俵などを編んでいた。

しばらくしてはじまった旧赤土家離れ座敷で演じる和太鼓体験&獅子舞イベント。



演者は、奈良市内に親子が活動している民芸寺子屋。

映像のほとんどを、携帯電話の動画撮り。

所作などの特徴を知りたくて録画していた。

その合間に出会った学芸員のMさん。

旧萩原家に設備されている竃に火をくべていた。

動態保存のため、竈に火を入れていたMさんと立ち話。

その内容は、石搗き所作をしていた三重県名張市内の安部田地区。

収録していた携帯電話の動画撮り。

安部田のイノコモチ動画を見てもらったMさん。

初めて見る石搗きに驚いていた。

コロナ・第3波の動向から考えても、今は写真展の打ち合わせも実施しにくい状況。

現在、吉野建て住居の旧木村家住宅と旧前坊家住宅の「杉皮葺き屋根」の葺き替え工事中であるが、令和3年5月ころには完成するそうだ。

可能ならば、完成後の吉野建て住居で「私がとらえた大和の民俗写真展」をするつもりにしているそうだ。

時期を鑑み、テーマ打ち合わせをしてみたい、という。

また、博物館本館の耐震工事後のリニューアル展示である。

博物館保存しているかつて収録した画像の判断が難しく、一部に私の写真提供をお願いされた。

期待に添える映像は別途に検証する、として承諾した。

イベント会場から場を移動し、奥に建つ古民家集落に足を運ぶが、坂道になかなか動きが悪い。

現況の身体では、ほんまに登れない坂道。

緩やかな傾斜道なんだが、どうも足があがらない。

呼吸が乱れ、心拍数があがる。

とことこ、ゆっくり登った先にあった茅葺民家は、「旧八重川家」向こうにある「旧岩本家」。



南から眺めた「旧岩本家」。



茅葺屋根に傷みは見られないが、裏に廻った北から見た状態は、経年劣化がはじまっている。

そこを越えると、急下りの坂道。

向こう岸が、現在工事中の吉野建て集落。

ここで足が停まった。



実は、今日の訪問に見たかった「旧前坊家」の修復工事。

内部見学ができる、と聞いていたが、それは21日と22日の両日。

私の勘違いにがっくり、肩を落としてとぼとぼ来た道を戻ったが、工事を終えた翌年の令和3年3月7日に、あらためて全貌を拝見した。

戻ってきた時間帯は午後3時半。

和太鼓体験&獅子舞イベントは、とうに終わっていた。

戻り道に見た「旧鹿沼家住宅」。



玄関前の展示は、㈱川上材木店×キリン主宰の木工品の販売&木のワークショップに移っていた。

木の香りがしたワークショップ立ち寄る。

薄く曳いた木材。

ヒノキ、ケヤキ、クスノキの中から一つ選ぶ。

ヒノキ木肌(木肌削り屑)で作る入浴剤ワークショップ。

お世話に代金200円を支払いますから、と座敷に上がらせてもらった。



よろしくお願いします、と挨拶したそこに学芸員のTさんが担当に座っておられた。

受取もTさん。

支払いに硬貨がなく、千円札を差し出したが、お釣りもなく。

今度、お会いしたときにでも、ということで入浴剤つくりに没頭した。

また、Tさんにも名張・安部田のイノコモチ動画を見せたら、驚かれた。

こんな所作、今でもしている地域があるんですね・・・と。

帰宅してもすごく香ってくるヒノキ木肌。

㈱川上材木店の説明書によれば、ざらめ砂糖は、しっとり感。



ヒマラヤ岩塩であれば、さっぱり感を、入浴に肌が味わえるひのきの皮材。

詰めた袋は密閉でないから、ほのかに香るひのきの香り。

しばらく居間に置いて愉しんでいた。

お湯に浮かべた29日。



鼻を近くに寄せると、心が落ち着く香りにうっとり。

湯に浮かべたヒマラヤ岩塩のひのき。

さっぱり感よりも香りにぞっこん。

袋を揉んだら、ジャワーと感じる強い香り。

15年前の平成18年7月8日に訪れた黒滝村に住まいされた林業入植者のO夫妻を思い出す。

出会いは写真展。

そこで話が弾んだご主人は木こりさん。

林業作業に発生する間伐材を、なんとか再利用できないか、と考えた。

考案した派生品が、ヒノキ間伐材からこしらえた檜製の箸だった。

手つくりした箸は、「金色箸」と、命名、売り出しネット通販(※本職が忙しくなった現在は閉店中)。

その箸つくりにもひのき材の屑が発生する。

捨てるには、もったいないから、と網目袋(※例えば旅行地に見るミカン袋)に詰めてお風呂に浮かべる。

「金色箸」購入者におまけに同封して送ったら、歓ばれた屑。

たくさんあるから、持って帰ってと言われて持ち帰り。

早速、浴槽に浮かべて入浴したら、それは、それは、えー香りだったことを思い出した。

(R2.11.23、25、29 SB805SH撮影)