マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

山と渓谷社から全国発売された『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』

2019年07月31日 09時14分23秒 | 民俗の掲載・著作
頁をめくるにつれて、今すぐにでも食べたくなる本が発刊された。

前月の3月12日に全国発売された『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』である。

著者は池田陽子さん。

出版は山と渓谷社。

ひょんなことから寄稿文を書かせていただくことになった。

民俗写真家が、なぜにサバグルメ本に・・。

スペシャルコラムに載ったタイトルは「刺鯖は塩辛い」。

民俗取材テーマに「サシサバ」がある。

今でも気にしているサシサバは、これまたひょんなことから口にすることがあった。

今から6年前。仕事で送迎していた患者さんは当時80歳前後。

旧村に住む婦人たちが70年以上も前の子どものころの体験を思い出してくれた。

サシサバ風習に味も話してくれた話者は大和郡山市内に住む15人。

何人かは「サッサバ」と呼んでいた。

個別に伺っても聞けることのないサシサバ風習。

「田中さんが話してくれたから思い出した」、と云ってくれたことを印象的に覚えている。

まず、聴けることのない高齢者が住んでいた子供のころのお家で行われていたお盆の風習記憶は一様ではなかったが、感動したものだ。

そのときの思いをつらつらと書かせてもらった私の食体験がコラム文になった。

もちろんといえばアレだが、サシサバ写真も載せていただいた。

著者ならびに私が取材したサシサバのことを取りあげてくださった編集者に感謝申し上げます。

ちなみに私が食べた中でのサバ料理。

一番にあげたいのはサバ(※鮭ではありません)のちゃんちゃん焼き。

昨年の11月9日である。

買っておいた「日本食研」開発の「コク旨 フライパンで作るちゃんちゃん焼のたれ」のタレを利用して作ったのが“サバのちゃんちゃん焼き”。

絶品の味に仕上がった逸品料理。

鮭よりも鯖の方が美味かったことに驚いたものだ。

それはともかく、この記事を書いていた5日後の4月7日、土曜日朝。

大阪毎日放送のバラエテイ番組「せやねん!」の1コーナーである。

番組初登場の兄弟万歳コンビ「ミキ」の初仕事は“メルカリでええもん売ろう!”だった。

毎週、見ている番組に・・・なんとメルカリ出品に『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』が出てきた。

発売されて1カ月後、なんとメルカリ出品・・。

番組で選び出された民間の女性が出品していたまさかの映像に・・渾身の力作を発刊したばかりの著者に出版社の嘆きが聞こえてきそうだった。

そんな新刊であることも知らずに、番組で取り上げた番組デイレクターにいつもの出演者の程度のナサがしれる。

(H30. 3.20 SCAN)
(H30. 4. 2、7 記)

久しぶりの米つき

2019年07月30日 08時14分22秒 | 民俗あれこれ
小林町の行事にいつもお会いする住民が居る。

尤も一人だけでなく、何人もの人たちである。

なかでも親しくしてもらっている女性からはときおりメールが送られてくる。

昨年の9月22日のメールは婦人がとても驚いた白いボール

前年も出現したという白いボールはまるでドッジボール。

大きさもそれぎらいだから、見間違っても仕方がない。

それは見た瞬間にわかったキノコの一種であるオニフスベである。

車を停めて外から眺めていた新福寺本堂。

張り出した枝が通行の邪魔になっていると判断されて若干の枝切りを・・。

赤い幟旗が風に吹かれている情景を撮っていたところにやってきた。

出会うなり、オニフスベのときに言っていたお米である。

収穫できたらメールをすると云っていたが、年が明けてもなかった。

もうないだろうと思っていたら、顔を見たので思い出されたのか、持って帰ってと云われた30kg入りの新米。

一輪車に乗せて車まで運んでくれた。

以前ももらってことがあるお米は精米してから食す。



今回はDCMダイキ駐車場内に設置してある精米機で精米。

村の人たちは、これを米ツキと呼んでいた。



かつては臼で挽いた米ツキ。

それ以前は水車を利用した米ツキ。

現在は一般の人でも利用できる機械精米の米ツキ。



村の女性たちは、精米所にでかけるときにいう言葉・・・「米ツキに行ってくるわ」、である。

そんな言葉を思い出しながら米ツキをする。



今回の設定に約9kgのお米は、白クリーン米に精米。

美味しくいただいている。

(H30. 4. 1 SB932SH撮影)

ふり返る3月の介護まとめ

2019年07月29日 10時10分17秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護に関係するさまざまなことがあった。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項を書き記しておく。

3月5日は、おふくろの要請に応えるべく大阪・住之江行き。

炊事した品物を炊事場近くにおけるモノが欲しいというお願い。

電話は黒い電話機。

暗い場に黒い電話機では暗くて見えないと訴える。

一時的に置き換えた電話機の置き場所を戻してほしい、というお願いであるが、よくよく聞いてみれば、炊事場に立っていたときに呼び出しベルが鳴って居間に行こうとしたが切れてしまった、ということだ。

病み上がりもあるが、徐々に動きはスローテンポ。

直ちにというわけにいかなくなった高齢者の悔しい思い。

間に合わなくて切れた電話のお相手はウエルケア悠で一緒だった仲のいいYさんだった。

黒い電話は旧タイプ。

デイスプレイ表示機能すらない。

デイスプレイ表示機能付きであれば電話番号を登録しておけば通話求める相手さんがわかる。

見たことも、聞いたことのない電話番号なら不審者と判断してよろし。

その見極めができるのがデイスプレイ表示機能付き電話機。

今まさに切り替えどき。

5千円くらいなら出費していいというおふくろ。

探してみたら子機付きの電話機がすぐに見つかるだろう。

切り替え導入は決まったが、操作など、慣れるのは時間がかかるだろうな。

細かなところにもお願いが多々ある。

トイレの電灯スイッチ下のコンセントが差し込み難いからガス警報器プラグを外していた。

よく見ればプラグに補助差し込み口があったとわかり、炊飯器とオーブントースターコンセントなども繋ぎ替えた。


7日日は、家用の電話機の購入。

探し求めにきたケーズデンキ大和郡山店。展示見本の台数は多くない。

ただ、展示品を見るだけでは、操作方法がまったくわからない。

機能表示がそれぞれにあるのだが、それが何を意味するのかもわからない。

おふくろが出資する金額は5千円。

シンプルタイプばかりである。

機能がいろいろあり、とても利便性が優れものは一挙に高価格帯。

その方が後々いいのだが・・・。

30分ほども売り場で眺めていたが、ここらで手を打った商品はシャープ製の子機付き電話機。

型番はJD-G32CL。得値割引の機種価格に、いつ買っても3%割引してもらえるカード利用で購入した電話機は税込み4801円。

8日の課題は三つ。

重要な件が二つもある。

これからおふくろが通わせてもらう介護施設担当者の顔合わせ紹介である。

紹介者は今後とも、たいへんお世話になる白い鳥西成(玉出)のFケアマネジャーだ。

我が家の希望、おふくろの思いを伝えていたFさん。

リハビリ療法士や作業士が常駐する介護施設が見つかったと連絡を受けていた。

顔合わせ紹介の場はおふくろの居住地。

午後1時の約束にきっちり来られた介護老人保健施設のアロンティアクラブ

担当していただくことになる介護福祉士リハビリステーション主任のHさんが施設利用の概要などを話してくださる。

アロンティアクラブは居住地からすぐ近くになる地区に建つ。

送迎時間は午前9時から10時の時間帯。

朝にお迎えして、午後に送り。午後4時から5時の時間帯である。

送迎ルートは患者さんがお住いする地区によって決まってくる。

平成27年12月まで接骨鍼灸院に通う患者さんを送迎する仕事に就いていたから、コースルートの構築はよくわかる。

ルートの基本は一定であるが、毎日が一定ルートになるとは限らない。

患者さんの都合によってお休みになればルート替え。

新しく受け入れ、或いは事情があって退会する場合もルートは、その都度に構築する。

送迎車による送迎体験日は2日後の3月10日の土曜日にしたい。

そのときの通所介護で気に入ってもらえたら契約したい。

また、その通所介護時に施設で行うリハビリ運動。

介護リハビリ作業士が担うリハビリ運動もすると・・。

要介護認定は4であれば、通所介護は週2回が可能。

曜日はどうしましょうかの相談に決まった曜日は水曜日と土曜日。

適度な期間をあける丁度いい曜日をお願いした。

また、契約にあたっては主治医の所見に感染症有無を診る血液検査、胸の病気の有無を検出するレントゲン撮影の結果が要ると。

主治医は介護認定の主治医もしてもらった循環器内科医院の畠中先生にまたお願い、となるが、契約に提出する書類はアロンティアクラブの指定書類。

予定する3月10日の体験学習に受け取ることにした。

アロンティアクラブとの面談を終えた次はもう一つの施設管理者の顔合わせ・紹介がある。

午後2時40分、居住地に来られた施設管理者。

距離はアロンティアクラブよりももっと遠い。

歩いて15分以上もあるチンチン電車が走る我孫子道駅近くにあるふくふく庵デイサービスセンター

施設長のYさんが提示する諸契約書を交わす。

法律は4年に一度の見直し改正があり、今年は3月末に発令されるようだ。

その改正によってはさまざまな箇所に影響が出そうだといわれる。

ふくふく庵デイサービスセンターとの契約書は、通所介護利用契約書に介護予防通所サービス契約書。

契約書条項をわかりやすく展開、解説した重要事項説明書もあれば、通所介護重要事項説明書、個人情報保護契約書、サービス利用契約書もある。

居住地に伺って患者さんに対応する訪問リハビリについては、法律の関係上、退院後の3カ月までの制限があるようだ。

面談に契約に関してすべてに就いてケアマネジャーが立ち会ってくださった2時間半。

次にやるべきことは、新たに購入したシャープ製の子機付き電話機の設置である。

電話機のデイスプレイ表示機能を発揮するには契約が要る。

居住地の電話回線はNTTであるが、契約している通信会社はauである。

直接電話をしてナンバーデイスプレイ契約をした。auの指示のもと、アダブタの電源オフ/オンをしたら回線が繋がった。

これらの作業は、面談前に終えていた。

作業を再開したのは午後3時半。

件数はままある登録作業である。

シャープJD-G32CLの電話帳登録。

親機に登録できる件数は10件。

少ないからよく連絡し合う電話番号に限定。

子機に登録できる件数は100件。

おふくろがほぼ常に連絡し合う40件の番号を登録してから、受信および発信の操作方法を携帯電話と対比しながら説明並びに使用練習をした。

10日は体験学習ならびに見学会。

住之江にある介護老人保健施設アロンテイクラブでは初の体験学習。

アロンテイクラブの母体は整形外科クリニックの矢木外科医院。

リハビリ運動に十分な器具や介護作業士を整えているだろう。

本日の体験学習に送迎車は付いていない。

家族さんが施設アロンテイクラブに送り、学習が済めば患者さんを迎えて自宅に戻る。

施設で始まった午前中の体験学習に付き添った時間帯は午前10時半から11時半まで。

おふくろの体験中に家族が説明を受ける。

状況、建物などつぶさに見学、応対してくださる介護福祉士リハビリステーション主任のHさん。

今年の4月からは今より多くなって、常駐のリハビリ療法士・作業士は9名体制。

加えて非常勤の先生方が15名にもなるという。

施設の1階、2階とも広い。

狭苦しさのまったくないゆったり感がいい。

1階は介護付き有料老人ホームの入居者専用の食事場になるが、通所介護の人たちと交差し合わないように区分した2階で食事を摂る。

リハビリ運動に棒体操がある。

また、ペダル漕ぎとか、水平棒利用による足腰運動をするサーキットトレーニングがある。

施設内リハビリ運動は短時間の20分。

負荷をかけないようにした時間枠である。

体験学習は昼食もある。

味を確かめるのも体験であるが、見学者の家族は一旦ここで離れる。

午後に備えて昼前に出かけた畠中医院。

アロンテイクラブ指定診断書を持参して主治医記入のお願いにあがった畠中医院。

一つ、あるべき相談は、血液検査にレントゲン撮影。

それも対応してくださる畠中先生。

ただ、検査に撮影日はいきなりできないから3月13日の午前11時に予定してくださった。

ほっとして家族も昼飯にありつく。

食事処は度々利用する魚輝水産の住之江店

ゆっくり落ち着いて食べていた。

午後は2時から3時まで。

施設アロンテイクラブに着いたときのおふくろ。

向かいの席に座っていた通院女性と喋っていた。

早くも施設に慣れていた。

午後の入浴介助に男性職員が就いた。

その現場は当然ながら見学無用である。

今後、対応してくださるリハビリ理学療法士のWさんの説明があった。

訪問リハビリはできないが、自宅環境を拝見し、それに見合う運動をしていきたいと話してくれた。

体験学習を終えて帰路につく車内で話す施設アロンテイクラブ昼食のこと。

昼食は美味しかったと感想を伝える。

ただ、豚肉料理はあいも変わらずおふくろが口にできない料理。

その代わりに特別調理してくださった昼食は豚肉避けた魚料理。

ところがその魚料理の魚がとても柔らかくて気持ち悪かったという。

口にできないから他の料理を食べていた、という。

12日は、ケアマネジャーと電話で情報連携。

夕刻に白い鳥西成(玉出)のFケアマネジャーへ電話を架けて情報連携する。

明日の3月13日の午前中にレントゲン撮影をしてもらえることになった、と伝える診断書関連のこと。

その日に診察のこと。

その結果については、一週間後になりそう、だと伝える。

おふくろはリハビリ療法士が就いてくれる施設アロンテイクラブが気にいった。

水曜日、土曜日とも通所したいと申し出たので、電話でよろしくお願いします、とFさんに伝えた。

明日の3月13日に初めて訪問してくれる買い物ヘルパーさん。

買い物はありますので、これもよろしくお願いしたい。

また、その日の午後2時は、介護用具の引き取り並びにベランダ゙出入り口の手すりの取付。

当日は、下見に来てもらうばらの木介護事業部取締役部長のHさんと約束を取り付けた、ことも伝える。

もう一つの連携事項は通所の件。

明後日の14日の水曜日はふくふく庵デイサービスに通所。

一時的な通所であることも確認した。

13日は、おふくろを連れて、畠中医院の診察に血液検査と胸部レントゲン検査。

結果は3月16日の午前中にわかるが、当日は尿を入れた容器を忘れないように・・。

診察結果に基づいて処方箋。

処方薬をもらうのは地元の北島薬局。

薬の飲み忘れがないように、30日分の分包をお願いした。

介護用具関係の契約はばらの木。

主に介護事業部が担当してくださる。

契約関係はレンタルの介護用具か買取りか、の二通り。

諸条件の関係で結ぶ契約書は、福祉用具レンタルサービス契約書に福祉用具サービス計画書(利用計画)と福祉用具貸与重要事項説明書。

郵便局預金口座振替依頼書も含め、すべての書類に記名捺印して契約を交わした。

契約は捺印で済むが、いろいろ動かなくてはならない諸手続き。

尤も動いていただけるのは取締役部長のHさん。

話しやすく誠意をもって対応してくださろうとするHさん。

この人にお願いしたら間違いない行動をしてくれるだろう。

まず一つ。

介護用具を取り付ける居住地は大和川団地。

大阪市営住宅であるから市役所の許可が要る。

団地の管理事務所は市役所でなく阿倍野住宅管理事務所。

同時に市役所へ介護用改修工事申請書をお願いするわけだが、依頼者の代わりにしていただくために委任状も交付した。

それぞれについてHさんが書類をもって申請しに行ってくださる。

これら申請許可の通知所が郵便で送られるそうだ。

届いたらばらの木まで一報してくださいと。

その際にあわせて、トイレ扉近くの柱に短めのポール型手すり取付に関わる居住地改造に関する改修工事申請もしていただく。

このポールは4月半ばに設置の見込。

・・許可がでれば撤去する方針だ。

レンタル期間は1日から15日に16日から月末までを区切る使用期間。

15日までであれば半額になるそうだ。

口座振替日は前月末日締の翌月27日に自動振替される。

また、仮に置いてもらっていた起床支援フレーム。

狭い4畳半の部屋にあるのが鬱陶しい、と云いだすおふくろ。

大きくて、重たいことも嫌悪感。

そんなわけで仮置きしていた起床支援フレームは撤去、持ち帰りとなった。

ばらの木の契約等が終わった直後に初訪問してくださった白い鳥西成所属のEさんはヘルパーさん。

買い物に室内掃除もしてくださるベテランさん。

契約書控えなど持参されて、買い物に走った。

おふくろの注文はいろいろある。

見合うだけの現金と買物メモを手渡して買ってきてもらう。

買い物ヘルパーの時間枠は午後3時から4時までの1時間枠。

オーバーはできないから遠出はできない。

買い物先は自転車で行ってすぐ近くのスーパーサンデイ。

戻ってきたヘルパーさんは冷蔵庫収納。

買い物レシートとお釣りを受け取って確認するのはおふくろである。

なお、Eさんは、毎週の金曜日も支援いただくヘルパーさん。

午後4時から5時までは室内清掃も支援していただく。

住之江を離れて奈良に戻ってきた。

帰宅後に電話を架けた白い鳥西成(玉出)のFケアマネジャー。

伝えた件は、指定診断書の出来上がりが3月16日。

昼には入手できるので、午後の1時半から4時までの時間帯に施設アロンテイクラブ介護福祉士リハビリステーション主任のHさんとリハビリ理学療法士のWさんに居住地訪問をお願いした。

施設でのリハビリ運動は、居住地でどのような動きをしているのか、その状態を診てもらったうえでリハビリ運動をしていただく。

普段の暮らし場である居住地の設備や環境を観ることで、リハビリ方法が構築しやすくなるということである。

その日が可能であればアロンテイクラブとの契約も交わしたいと伝えた。

この月は介護関係の面談や契約などに追われる毎日である。

14日、施設アロンティアクラブ・介護福祉士リハビリステーション主任のHさんから電話があった。

今週の3月15日、16日とも木曜日に金曜日はリハビリ理学療法士のWさんに都合がとれない。

17日の土曜日にリハビリ理学療法士のWさんと相談し、居住地訪問が可能な日を決めたいという。

決まれば、また連絡させていただくので結論は来週になるという連絡だった。

すぐさま、その件を伝えた白い鳥西成(玉出)のFケアマネジャー。

今週は2回目の入浴ができないから、おふくろの希望した土曜日の3月17日は受け入れができるかどうかふくふく庵デイサービスのY施設長に確認してもらった。

その結果は、たまたま1人分に空きが生じたので受け入れられるという答えに思わず「ありがとうございます」と伝えた。

また、16日の訪問時である。

通所介護は施設アロンティアクラブに本決まりになると。

設定していたケアプランを替えるから印鑑をもらいたいということで午後の1時半に伺うことにした。

それから電話して伝えたおふくろに、17日土曜日も、ふくふく庵デイサービスがお迎えに来てくれはるからな、と伝えた、

また、16日の金曜日は畠中医院で尿検査をするから尿溜めする紙コップをもっていくと伝える。

尿検査はそのカップに排尿して、別途容器に自分で入れ替えてほしいんや、も。

その尿検査容器を私が畠中医院に持っていって診断書を完成してもらうことも伝えた。

その日はDCMダイキで買ったベランダに敷く人工芝マット(90cm×90cmサイズ)をもっていくことも伝えた。

16日はいろいろある。

尿検査に紙コップに排出し容器に移す。

その容器を畠中医院にもっていって尿検査した結果は特に問題なし。

先日に外注検査した血液検査(※検査機関のフアルコバイオシステムズ)も、心電図検査も、胸部レントゲンも問題なし。

先生に書いてもらったアロンテイクラブ提出用指定文書は2通。

通所リハビリステーション指示書に診療情報提供書を受け取った。

40年以上も前の当時出始めの大型で重い旧製電子レンジとブラウン管テレビを始末したいとおふくろの申し出に前回に利用した廃棄処分便利屋タクトへ見積もり依頼。

2品まとめて5千円で手を打つ。

廃棄処分したベランダが広くなった。

奇麗に清掃して買ってきたベランダ敷用カーペットBK909を敷設する。

裸足でも歩けるカーペットBK909。

足の裏がとても気持ちいい。

おふくろも体験してもらったら喜んでいた。

こんなえーもんもっと、というので、さらに空いたベランダ空間に同じカーペット2枚を追加することにした。

白い鳥西成(玉出)のFケアマネジャーから電話があった。

なんでも予定していた再ケアプランは他所でケアをしている患者さんが突然の入院となった関係で、来週まわしの連絡があった。

17日。

施設アロンティアクラブ・介護福祉士リハビリステーション主任のHさんより電話があった。

来週の月曜日。

3月19日の午後1時半より居住地でリハビリ療法士の面談をしたい。

その上で契約したいと連絡があった。

その件は、白い鳥西成(玉出)のFケアマネジャーにも伝えておいた。

本日休暇の身のFさん。

来週の月曜日、事務所に出勤して当日スケジュ-ルを確認。

午後の時間帯に都合つけられたら、再ケアプランを持参します、と。

19日は、午後一番にリハビリ療法士の面談に合わせて通所施設の契約。

施設アロンティアクラブ・介護福祉士リハビリステーション主任のHさんとリハビリ理学療法士のWさんが居住地に来られて早速面談の実施。おふくろが室内で行動する範囲を現認。

特に段差のある床、敷居の高さを計測され、足のあげ具合を比較される。

居間から炊事場。

炊事場から玄関。

玄関から奥の間の敷居。

トイレにも敷居がそれぞれにある。

介護補助用具に手すり活用が行動原則。

場合にとれば、水屋、壁なども手すり代わりに・・。

高さが一番高いところは炊事場からベランダに出る敷居である。

逆にベランダから炊事場に戻る際はもっと高低差がある。

膝のあげ具合を重点的にリハビリするとして、段差のある個所のすべてを計測してデジタルカメラに収めてもらった。

主任のHさんとは契約書の手交。

施設アロンティアクラブ・通所サービス契約書に個人情報保護契約書、払い振替口座登録書記入に捺印。

すべて代理人の私が記入、捺印する。

こうして正式に通所サービス契約が決まった。

先だって、一時的に仮通所させてもらったふくふく庵デイサービス契約の件は破棄。

Fケアマネジャーには申しわけないが、通所しない旨、施設長のYさんに連絡してもらった。

たった1回きりだったが、私用品および通所記録手帳袋の返品確認もお願いした。

また、それに伴いケアプランを変更する。

当初計画より変更発生したことによる価格変更他、修正版に捺印し手交した。

ばらの木介護事業部取締役部長のHさんから電話があった。

ベランダ行き来に要する手すりにトイレ柱に取り付ける手すりの見積額である。

製品はTOTO製丸棒に矢崎コーナーブラケットの加工取付費もある。

2本合計した見積額は18900円であるが、認定介護保険負担割合証決定通知である利用者負担割合が1割規定に沿って実際の負担金額は1890円になる。

また、阿倍野住宅管理事務所からの申請受理はバラの木に届くように設定したので、結果がわかればすぐさま大阪市・住之江区に申請する、と。

その結果については4月中に奈良に送付されるということである。

20日。

午後4時。

おふくろから電話があった。

毎週に2日間も支援してくださっている白い鳥西成所属のEヘルパーさん。

来月4月の計画書ができたから私に伝えたいから替わってと。用件はその計画書に記名、捺印である。

後日に居住地へ出かけるので、それまではおうふくろに預かってもらっといて、とお願いした。

22日。

居宅介護支援事業所ウエルケア悠から平成29年12月分(平成29年12月27日~31日)の利用料領収書が自宅に届いた。

領収額は5974円。

但し、医療費控除対象額は4892円だった。

それと同時に送付された平成30年1月分(平成30年1月1日~31日)の領収額は22372円。

但し、医療費控除対象額は18708円が届いた。

週に2回。休むことなく通っていたからそれなりの領収額である。

27日。

おうくろを誘って護国神社の花見桜に、と思って車を走らせたら、意外な場所が視界に入った。

護国神社ならびに住之江公園を北周り。

ぐるっと周回したら、西加賀屋の東西を流れる住吉川堤防沿いに桜の花が咲いていた。

その数多く、しかも7分咲きの桜花にうっとりする車窓。

近くに停められる処を探した。

丁度いい処にあったタイムパーキング。

少しばかり歩くだけで花見ができた。

桜の木の下で食べたかーさん手作り弁当。

こんなえーとこあるなんて、云十年も近くに住んでいながら、ちっとも気がつかなんだ。

居住地に戻って追加で買ってきたベランダ敷用カーペットBK909を敷設する。

いわゆる人口芝である。

2m巻きのベランダ敷用カーペットの巻きを戻して敷設。

もう一つの作業は、電話機の壁掛け設置。



木ねじを壁面に埋め込んでぴったし入った。

希望する高さに設定したから特に支障なし、である。

(H30. 3.10 SB932SH撮影)
(H30. 3.22 SB932SH撮影)

マイフレンドのビック大盛り担々麺

2019年07月28日 09時09分46秒 | あれこれインスタント
さてと、本日の昼飯は何をしましょうかっ、だ。

冷凍きしめんもそろそろ飽いてきたかな。

じゃぁ買い置きのインスタントカップ麺。

それぐらいしかレパートリーがない。

手に取ったのはマイフレンドのビック大盛り担々麺

マイフレンドは大黒食品工業㈱。

これまでいくつかのカップ麺を食べたことはあるが、これだっ、といえるものがなかったような気がする。

最近は辛い麺に嵌っている。

担々麺系で辛いものもあるが、マイフレンドのお味はどうなのか。

蓋を開けて具材を入れる。

真っ赤な色はトンガラシだ。

こりゃ、いけそうな感じがする。

お湯を落として3分間。

添えつけの液体ソースも落とす。

真っ赤とはいえない微妙な色はどちらかといえば朱の色。

それが特製のラー油。

箸で挟んで袋から絞り出す。

こういう場合はときおり失敗する箸挟み。

最後の方でぷっと、箸が端から外れて液体汁が飛んでしまうのだ。



衣服に着いたらとれそうにもない朱色のラー油はこってり。

浮いていた具材もラー油も箸で混ぜて麺に絡める。

箸で掬って一口目。



美味いんやん。

二口目も三口目もどっぷり辛目の旨さにしびれる。

これはもう箸が止まらない。

辛さたっぷりの担々麺。

麺は細麺で絡んだスープがずるずる入る。

口いっぱいに広がる辛さに、おぇっとなりそうな気配もあったが、旨さが勝つ。

何口も食べていると気がついた。

麺に絡んだスープにとろみがある。

このとろみ感に記憶が蘇る。

どこで、どういう食べ物だったのか・・。

そうだ、ラーメンだ。

それもカレーラーメン。

あのとろっと感は小麦粉ではないだろうか。

どろどろカレーと同じ食感である。

このとろっと感は不味いのではなく、好きな方だ。

旨みに魚介出汁も入っているのだろうか。

マイフレンドの担々麺が嬉しいのは胡麻がごまごましていないから良い。

よくあるのがとにかく胡麻だらけ。

粉っぽいのはもっとたまらんけど、マイフレンドは優しい風味をもつ胡麻だった。

ちなみにビック大盛り担々麺の塩分含有量は5.1g。

晩食は塩分控えめにしたい。

(H30. 3.30 SB932SH撮影)

佐紀東町の火鎮祭

2019年07月27日 08時59分11秒 | 奈良市へ
かつて都跡村は奈良県北西部に位置する生駒郡に属していた。

添下郡のうち平城宮の一角だったことから都跡村(※みあとむら)と名付けられた。

明治22年の町村施行によって佐紀村や尼ヶ辻村、北新村、 横領村、南新村、五条村、六条村、砂村、七条村が編成されたとウキペディアにある。

この日に行われる佐紀東町の火鎮祭(かちんさい)。

奈良市の北寄り。

行政町名は佐紀町であるが、旧家の人たちに言わせれば佐紀東町である。



佐紀東町の氏神さんは葛木神社

年中行事を務める宮関係者は八人衆。

いわゆる座中における祭祀を執行する八人衆であるが、数年前より人の数が減ったことによって、4人組の八人衆にされた。

八人衆で構成するだけの人数不足。

八人だった構成人数を四人組にしたが、“八人衆”の名前だけは残した、ということである。

それまでの八人衆だったころ。

春の麦寄せ(※二毛作をしていた時代の名残の名称)に秋の収穫したとき、米をもって米寄せをしていた。

春の麦寄せに秋の米寄せ時期に合わせて順繰りに入れ替わっていく八人衆。

例えば、8番目の人は半年後に7番目。

2番手の人は半年後に1番手に繰り上がる。

1番手になった人は村神主を務め、祝詞を奏上する役に就く。

当地に生まれた男子は宮入りをする。

その宮入りの順に決まった氏子が、やがて八人衆を務めることになる。

村神主を務めた人は八人衆を退けば総代の役に就く村の制度。

半年ごとに繰り上がる八人衆が村行事を務める期間は、実質のところ4年間である。

現在は四人組の八人衆。

12月の米寄せの日に繰り上がり交替。

1年ごとに繰り上がる務めは同じく4年間である。

一年に3度の大祭がある葛木神社。

そのときの祭主は漢国(かんごう)神社宮司の梅津さん。

かれこれ何年も前になるが、漢国神社の神社行事にずいぶんお世話になったことがある。

平成18年の4月19日は漢国神社末社にある林神社の饅頭祭。

同年の6月5日は鎮華菖蒲祭。

翌年の平成17年の6月17日は鎮華三枝祭に行われた包丁奉納式を拝見していた。

春の4月は大阪・千早赤阪村と奈良・御所市の境目にある金剛山山頂に鎮座する葛木神社に登って参拝する。

参拝時季は山頂に駆け上るマラソン大会と同じ日。

なぜか、重なる日になってしまうそうだ。



なお、佐紀東町に鎮座する葛木神社境内に大日堂が建つ。

その大日堂行事も支えている八人衆。

1番手の村神主は神社祭祀、2番手が大日堂の役を務める仏行事もある。

実はこの日の早朝に佐紀東町のとんど行事が行われたようだ。

先に集まった八人衆のお勤めは大日堂行事。

朝時半から始めた般若心経。

三巻を唱和してからとんど焼きに移る。

知人のFさんの話によれば、かつて佐紀東町のとんど焼きは2月1日だった。

2月1日のとんどであれば2度目の正月。

いわゆる二ノ正月のとんどであったろう。

その昔し、氏子入りする子どもが生まれた家がとんど組みをしたという。

それ以前の、そのまた昔しのとんどは各家が立てて作る形は三角錐型の小とんどだった。

「奈良の昔話」を綴る増尾正子さんが筆をとったHPにとんどの件を次のような文で紹介していた。

「二月一日に葛木神社の境内に、町内中のシメ縄を持ち寄って大がかりなトンドをするそうだ。その時、前年に長男が産まれた家では、正月に、青竹に種々の色紙で作った短冊を吊るして家に祀り、このトンドの日にトンド場でそれを焼き、子どもの健やかな成長と、家の繁栄を祈る風習があるという」とある。

また、ある人のブログに不思議な祭りごとの形態を見た、とアップしていた。

「神社の石に半割の青竹とウラジロを・・」である。

増尾正子さんの文中にある「青竹に種々の色紙で作った短冊・・・云々」が、その印しではないだろうか。

さて、とんど場である。

今では葛木神社境内に設えるとんど場に移っているが、かつては神社前の道の西にある農小屋の辺りであった。

当時はまだ舗装のしていない里道。

やがて境内に移されたが、当時のとんどは今よりもっと大きく設える大型ののとんど組み。

境内となれば鎮守の森などの延焼が心配で小さくしたそうだ。

また、鎮守の樹木も伐採作業をしてきた八人衆。

分担作業でいつも奇麗な境内。

今も同じように奇麗さを保っている。

とんどの火点けは、とんどから見てアキとも呼ぶ恵方の方角。

この年は南南東が恵方になる。

これより始まる火鎮祭の弓打ちもまた恵方に向けて矢を放つ。

竹を割って曲げて作っていた弓。



矢は北の地にある竹林に生える細い竹。

おそらくはススンボとも呼ばれる女竹を採取して作っていたが、やがて竹林は消え、見つけるのも困難になったことから使い回しの弓矢になった。

弓打ちの前にしておく神社神事がある。

大宮、小宮に献饌。

2本の弓と8本の矢を奉って祓の儀に祝詞奏上。

それから弓打ちの祭場に移動する。



先頭に矢を抱える1番手の八人衆。

白衣着用姿に烏帽子被りの村神主を務めるIさんが行く。

手に笏をもつ。続いて2番手の八人衆。

大日役を務めるTさんは的に矢を持つ。

3番手は3本の幣持ち。

4番手はダンボール箱に替わった御膳桶(※本物はかじや保管らしい)。

前日までに設えた弓場の砂盛り。



三つの砂盛りにもってきた御幣を立て、中央の砂盛りに的も立てる。

御膳桶もまた中央の砂盛り付近に置いて蓋を開けるが、現用はダンボール箱になった関係でそれらしき行為は見られなかった。

村神主は弓をもって構える。

初めの1本は天に向けて矢を射る。



次に射る向きは地である。

そして、四方を祓う東、西、南、北。



そこで登場する2番手が手持ちする的である。

まともに持っておれば身体に当ててしまうことになる。



腕を伸ばして身を除ける。

四方祓いの次は恵方打ち。



この年は南南東に向けて矢を放つ。

そして、最後は村の安寧を願い、的をめがけて矢を放った。

(H30. 1.27 SB932SH撮影)
(H30. 1.28 EOS40D撮影)

暑さにぶっかけきしめん

2019年07月26日 09時43分07秒 | カンタンオリジナル
暑くなってきたら冷たい麺類が食べたくなる。

喉越しが良い麺はぶっかけうどん。

我が家の最近はきしめんで食べることが多くなった。

きしめんは平打ち麺。つるつる入っていくし具の絡み方も良い。

生生姜に天かす、刻みねぎ、ふりかけ海苔はいつものことだが、今回は生卵も入れちゃえ、だ。

追い出し麺つゆの出汁をぶっかけていただく。

つるつる、つるつる、つるつる・・・。

あっという間に食べ終わった。

(H30. 3.29 SB932SH撮影)

迫られて買ったキャノンEOS7Dに期待する

2019年07月25日 08時56分12秒 | しゃしん
私が取材撮影に活用してきたデジタル一眼の2代目。

カメラはキャノンのKISS DIGTAL Nの後継機に選ばれたEOS40D。

平成22年の1月からずっと活躍してきたが、実は買ったものではなく貰い物。

当時、自然観察会でお世話になっていたRYU先生がくださったカメラ

一度も壊れたことがないといいたいが、そうでもない。

エラーが発生したのは平成25年の9月

それからほぼ5年間は無事故無違反、じゃなかった、無故障である。

それが突然におかしくなった。

症状が出たのは前日である。

急にピントが合わなくなった。

何度かあれこれしていたら、一回だけ。

赤いセンサーが一つ点いて電子音が鳴った。

たった一度だ。

それからは何をどうしようが電子音は出ないし、もちろんセンサーマークも出ない。

無音のままだ。とうとう寿命がきてしまった。

カメラを持って、いきつけのカメラのキタムラ奈良南店に急行する。

H店員さんにカメラの状態を診てもらったら、動作するではないか。

なんでもいいから、まずは四角い緑色マークの全自動に設定する。

そうすれば不思議。

電子音は鳴るし、センサーもフツー通りに点灯する。

あれやこれやと設定したらちゃんとなるが、これはいつ故障してもおかしくない前兆。

取材中に突然壊れることが考えられる。

その状況になったと想像したら、おっとろしい。

こうなれば中古品の品定め。

2年ほど前から狙いとつけていたカメラがある。

同一メーカーのキャノンEOS7Dか、それとも70Dか。

店に入る度に憧れは増すが、金銭的にだいぶと足らない。

時期、年代から考えれば誰でもわかるように、もちろん新品ではない。

7DMarkⅡなんてものは買えるわけがない。

狙っているのは中古品。

値段が我が家にとって妥当な額になるまで、と思って待っていた。

EOS40Dはキャノン初の1千万画素(1010画素)を達成した製品。

大ヒットした商品らしく量産機型。

楽天とかにある良中古品はだいたいが1万5、6千円。

行事取材にどっぷり活躍してくれた40D。

それくらいの価格帯にあるなら、いつでも買おうと思っていたが、目の前にあるのはEOS7D。

画素数は1800万画素。

ISOは6400まで設定できる。

EOS40DのISOは1600。

暗がりに難義しながら撮っていた。

昨今、発売される機種であれば万単位画素。

時代は古くてもEOS7Dなら少しは助かる。

貯めていたUCギフトカードがある。

枚数は25枚あるから2万5千円も助かる。



もう一枚は1万円も使えるQUO(クオ)カードがある。

これで35000円。

ショーケースに並んでいたEOS7Dは税込み価格の38080円。

3千円のオーバー賃で済む。

前日にリザーブしていた引換券を手渡したら商品がレジカウンターに上ってきた。

バッテリーは昨日の予約後に充電してもらっている。

さぁ、支払いに2種類のカードを店員さんに渡したら、QUO(クオ)カードでは支払いができない、という。

えっ、である。

帰宅してから調べたら利用できる加盟店コンビニエンスストアとかファミリーレストラン、ドラッグストア、書店、ガソリンスタンドなどなど。

カメラのキタムラが入ってないじゃん。

全国展開しているいきつけの麺屋もないし、大手スーパーマーケットもない。

ましてやファミリーレストランといってもすかいらーく系列だけやんか。

こりゃもうあきまへん。

やけど、公共交通機関に利用出来たら利便性が高くなり、消費増大につながるのでは、と思うのだが・・・。

それはともかく喜び勇んで自宅に戻ったら、早速の開封。



特に儀式はない。

EOS7Dの重さは820g。

EOS40Dは740gだから60gの増量。

ずっしりとした重さを感じる。

シャッター感触が気持ちいい。



EOS40Dのカメラストラップを移し替える。

設定はEOS40Dと同じようにする。

EOS7Dの各部操作ボタンはほぼ同じような位置にある。

多少の操作ミスはあったとしても、操作ボタンの機能は同じだから悩むところがない。

設定し終えて、再び感触を試すシャッター。

あれぇ、先ほどは電子音も鳴ったのに・・・。

鳴らないのだ。

センサーは働いているのかどうかわからない、黒色マークには困ったものだ。

赤色であれば目につくが、黒色はなんとも・・・。

どうして電子音が鳴らないのだ。

そうか、前の所持者は静音を選んだのだろう。

静かな場面にピン、ピンと鳴る電子音は人さまにご迷惑をかける。

そう、判断されて消していたのだろう。

じゃ、どのボタンをどうすれば、そうなるのか。

あれやこれやと調べてみる。

結局わかったのはネットの情報。

電子音はAI-SERVOの設定をしたら、出ないとわかった。

そうなんだ。

私はこれまでずっとAI-SERVOAFをセットしたと思い込んでいたのだ。

電子音が鳴るのはONESHOTAF、若しくはAI-FOCUSAFの場合である。

ここでふと思った。

取材場面において、その状態、状況に合わせて、度々に切り替えるISO設定がある。

暗がりでも設定しなおすこともある。

原因はここにあった。

ISO設定ボタンを押したつもりが、その隣にあるAF-DRIVEボタンを押していたようだ。

ただ、押すだけでは替わることはない、さらに、ダイアルを廻さなければならないのである。

老眼のせいもあって気がつかずにAI-SERVOの設定をしていた、ということだ。

しかも、普段はAI-SERVOであると思い込みが問題を作っていたとわかって、あぁーぁ、である。

原因がわかったところで返品はしない。

平成21年10月に発売された憧れのEOS7Dが手元にある。

7DMarkⅡが平成26年10月に発売されて一挙に中古品市場に溢れた。

EOS7Dの発売当初は18万8千円。

それが3万8千円で手に入るならこんなありがたいことはない。

H店員さん曰く、故障の少ないCFカードが使える最後のデジイチ。

ちっちゃなメモリーカードよりも、その方が良い。

安心して使えるのが良いのである。

40Dよりも行事取材に活躍の場が広がる。

40Dを予備機と考えて使っていくことにしたが、レンズが不足する。

専用に考えたレンズはEF-S 15-85mm/F3.5-5.6 IS USM。

中古品であっても3万5千円もする。

クレジットカードポイントを貯めるには3年も要するのが辛い。

資金不足にシグマ製品17-50mm F2.8 EX DC OS HSM キヤノン用)でもいいや、と思うのだが・・。

(H30. 3.28 SB932SH撮影)
(H30. 3.29 SB932SH撮影)

住吉川の桜堤は都会のオアシス

2019年07月24日 08時33分15秒 | むびょうそくさい(おかん編)
昨年の8月だった。

それはまだ第一関門。

痛い、痛いの連呼に歩けなくなったおふくろ。

原因は圧骨折であるが、入院、通所リハビリ介護を経て大阪・住之江に戻ったのはつい先月。

帰還日は2月26日だった。

その後も面談の状態観察にケアマネジャーや通所サービス施設にヘルパーさんとの打合せに契約も。

もう一つは自宅の改修工事。

自宅と云っても市営住宅。

改修工事をするには管理事務所の申請があり、それが受理されて、なおかつ市にお伺い。

まだまだある手続きであるが、あらかた9割は落ち着いたように思える。

現在は通所サービス施設に出かけるのは週2回。

水曜日と土曜日。

リハビリ療法士さんにしてもらう作業療法がとても気持ちいいという。

もう一つは自宅に来てもらうヘルパー支援。

火曜日は買い物で金曜日が清掃にやってくるヘルパーさんだ。

第一次の骨折から早や6カ月。

それまではおふくろ本人の自由さ。

バスに乗って地下鉄に乗って大阪・難波や梅田に出かけていた。

今はそうすることは不可能な身になった。

住居は4階にある。

通所サービス施設に行くには上り下りがある。

一歩、一歩、階段を踏みしめるように安全な姿勢を保って上り下り。

階段には手すりがあるからそれも掴んで身体を支える。

もちろん杖もついているが、安全なのは手すりである。

自宅の改修工事も手すりの仕掛けをした。

遠出どころか最寄りの郵便局にさえ行けなくなった。

なんせ買物はヘルパー頼り。

お医者さんはもっと遠いから私の出番。

ヘルパーは長距離でなくても中距離、近距離でも支えられない。

危険なことは避ける。

月に一度の医者通いなら私が運転する車で送り迎えする。

そのようなことがあった半年間。

もうどこへも一人では行けなくなった。

今年の桜は一斉に咲き出した。

3月3周目まではまだ寒かったが、一挙という感じで温かくなった。

ぷっくら膨らんでいた花芽がぶあぁという感じで、あちらこちらで咲き出した。

そこでかーさんが提案した。

近場であるが、おふくろを連れて桜の花見。

住まいするところからはより近い処はどこにある。

探し当てたのは護国神社である。

桜の樹がどれほどあるのかわからないが、隣接地に住之江公園がある。

奈良から住之江まで車を走らせる長居公園通り。

ここは大勢の人たちがやってくる。

今、桜の花は真っ盛り。

ここで良いんじゃないの、と思ってはみるが、住居からは遠い。

しかも駐車場から歩くのも距離がある。

その点、護国神社は駐車場が近い。

ずいぶん前のことだが、同神社で挙式をあげたのは弟の三男だった。

それから何年か経ったころ。

息子たちがまだ幼かったころに泊まったおふくろが住まいする部屋。

正月はお決まりの泊まりだった。

よくまぁ狭い部屋に並んで寝たことを覚えている。

正月二日目の初詣は近くの護国神社にした記憶もある懐かしい地。

今でもかわってないだろう、と思って出かけたが、駐車場へ行く道は反対側。

ぐるり回りこまなければ、そこへは行けない。

北へ、北へと進めざるを得ない道路事情。

信号待ちしている右手に川堤がある。

その堤に桜の木が植わっている。

というよりも桜の花盛りが見えたのだ。

行先はここだ。

急展開する花見の場近くに駐車場もあった。

その駐車場はコンビニエンスストアのローソン。

後でわかったが、そのローソンは西加賀屋店。

駐車場の利用料金は30分で100円。

入庫から20分間が無料なのはローソン利用者の利便性を考えたうえでのことだと思う。

この駐車場は2時間停めても400円。

とても安い。

最大利用時間でも700円。

そこまでの時間を花見に費やさないだろう。

しかもここの駐車場は指定番号が1番から6番までは最大料金がなし。

えーとこだが、空いている番号は8番だった。

車から下りるおふくろの足元を支えるのは次男が作ってくれた花かごボックス。

木製品は学校時代に学習した産物。

本来ならそれがお役目の花かごボックスであるが、ひっくり返せば車から乗り降りする台になる。

高さが丁度良い台はおふくろが利用するありがたい道具に変身した。

そろりと下りて歩き出すおふくろは杖をつく。



一人で歩けるが、万が一を考えて腕組み支え。

援助はもしやのつまずきにとっさに対応したいと思って、これからもずっとそうしていくだろう。

さっき通って来た橋がある。

橋の名は「すみのえおおはし」。

充てる漢字は住之江大橋。

大橋というだけにすごい橋と思ってしまうが、それほどでもない。

大阪・住之江から堺市鉄砲町。

旧国道26線を南北に架かる橋がある。

大和川である。

その橋の名は「大和川大橋」。

川幅は300mにもなる。

一方、住之江大橋が架かる川幅は60m程度。

“大橋”の名がつく基準は何mになるのだろうか。

それはともかく橋を渡らずに東へ通り抜ける堤防道がある。

川は住吉大社・住吉公園付近から平林・南港を経て大阪湾に流れる住吉川だ。

上流は十三間掘川に細江川になるそうだ。

川の名前は実に懐かしい。

川堤は1kmもある散歩道

単車、車は進入禁止だが自転車は可能なようで、近くに住んでいると思われる住民らが自由に走っている。

川堤の散歩道は対岸にもある。

綺麗に整備されている道に、なんと見事な桜の花が咲いていた。

新なにわ筋を走っていたときに、それが目について停車したのだった。

入口に迎えてくれた花は桜色ではなく黄色だった。

品種はわからないが、なんとなくカタバミのような気がするのだが、やや大きいからオオキバナカタバミ



名前そのものやんか、といいたい。

住吉川堤道にはところどころにベンチシートがある。



歩きに疲れたときに一息つける設備が嬉しい。

一段と高い場に座ってお弁当を広げようとしていたお友達連れがいる。

ペダルを漕いできた男性も段丘にあがって広げた。



またまた、一人の男性がやってきた。

日傘をさして歩く婦人も穏やかな気持ちになっているだろう。

大阪市内に桜が植わっているのは大きな公園しかないと思っていた。

奈良県内なら小さな公園どころか農村風景にマッチした川堤の桜並木がとても多い。

風景そのものに落ち着く場に桜が咲く。

堰堤は整備されたコンクリート造りもあるが、土手そのものも多い。

そんなところは土手に映える草花にも癒される。

あー、奈良の癒される風景を見せてあげたかった。

そう思ってやってきた大阪・住之江にもえーとこあるやん、と見直した。

段丘に登るには石製の階段を登るしかない。

前述したように、おふくろが住まいする部屋は4階にある。

上り下りは介助人いなくても一人でできるが、設備している手すりに助けられている。

ところがここは手すりがない。

杖で支えながら一歩、一歩登っていった。

登れば平たんなので難なく歩ける。

ただ、ときおり桜樹だと思える木の根っこが突出しているところもある。

足を引っかけないように、注意して歩く。

横についたかーさんが手を添えて支えて歩く。

上を見上げれば、今にも降ってきそうなほぼ満開の桜樹もある。

その下は真っ白い花に囲まれる柴垣がある。



今も見ごろのユキヤナギだ。

狭い通路のようなユキヤナギの柴垣もいいね!である。

根っこに注意をはらって歩いていたら、気がついた落とし物。



花軸がついたまま、しかも花びらもそのまま地面に落下していた桜の花は野鳥が行為する花散らしである。

地面に落下していた桜のすべてが同じ状態であった。

踏まれて間もないものもあるが、多くはついさっきに落ちてきたような形である。

道行く人は関心を寄せない野鳥の花散らし。

見上げても野鳥はいない。

時間が経っているから、野鳥の種類は不明だ。

私がこれまで見た体験からほとんどがニュウナイスズメだと認識している。

昨年、シジュウカラが落としていたのを目撃している。

花散らしは、その落ちた花びらを見て「ラッパ落し」の表現もある。

野鳥は何をしているのか。

その秘密は花の蜜である。

甘い蜜の汁を吸う野鳥は、軸を嘴で摘まんで、上手いことひっくり返して軸にある蜜を吸う。

その行為を済ませば無用の花。

落下傘パラシュートの形になってひらひらと地面に落ちる。

花びらだけである場合は、散り始め。

このように丸々落ちていくのは野鳥の仕業である。

ニュウナイスズメは見られなかったが、あちらこちら雀軍団が飛び回っている。

ハトに餌を与えている人がいる。

食べ残したパンの屑のようなものに見える。

ハトはいっぱい群がってエサのパンを食べていた。

そこに混ざった雀もご相伴に与る。

長閑な昼の時間は、自然も織りなすさまざまな情景を映し出してくれる。

ところでラッパ落しは風に吹かれてひらひらと飛んでいくわけではない。

桜樹の下にしかない。

そこは地面、或いはコンクリート道。

すべても桜樹を拝見したので正確さはないが、この付近、数百mの距離の範囲内すべてにおいてラッパ落しが見られた。

それほど野鳥が多いということであろうか。

この場に見られた野鳥は鳩や雀以外に中型のヒヨドリもいたし、シジュウカラも。

ただ対岸から聞こえてきたのでラッパ落しの主ではないようだ。

それはともかく綺麗な姿の野鳥が飛び交っていた。

それは文様でわかったジョウビタキの♂。

愛らしい顔がわかるくらいまで近づいてくれたのが嬉しい。

姿は撮れそうにもないガラケー携帯。

仕方がないといえば、アレだがコンクリートで造った散歩道を撮っていた。



桜の散歩道はとても雰囲気が良い。

都会でもない市街地。

かつてはすぐ傍を市営のチンチン電車が走っていた新なにわ筋は通称であって本来は府道29号線。

チンチン電車は大阪市の芦原橋駅から大和川を越えた南部の堺市・大浜駅から終点の出島駅(軌道構想は浜寺までだった)までを結ぶ路線。

南北を往来する大阪市電阪堺線は小学生、中学生時代に乗ったことがある。

南加賀屋駅から乗って北へ。

次の駅は住之江公園駅前駅、住吉川駅、そして北加賀屋駅だった。

堺市・三宝町に三宝車庫があったことから三宝線の名で呼んでいた。

昭和43年の9月30日をもって旅客営業を終えた。

その後に敷設された代替線が大阪市営地下鉄の四ツ橋線。

住之江公園駅から北の西梅田駅を結ぶ。

全線開通し、運転開業したのは昭和47年11月。

4年間の空白時代があった。

思い出に老けることなく昼飯どきを迎えた。

手造りの弁当は久方ぶり。

接骨鍼灸院の送迎ドライバーを勤めていたときは昼間に食べる弁当を作ってもらって食べていた。

それ以来だから4年ぶり。

昨日にもらったばかりの新鮮筍に豆を添えて煮込んだ筍煮もあれば、玉子焼きにしぐれ煮の焼肉、鶏の唐揚げ。



キュウリを詰めたチクワにプチトマトをあしらったレタスサラダ。

おにぎりは筍飯にノリの佃煮、ヒジキに辛子明太子を混ぜたふりかけ。

三種のおにぎりは3人前。

朝早くに起きて作ったと伝えたおふくろはとても喜んでくれて食べてくれる。

快晴ではないし、真っ青でもない晴れの日。

PM2.5なのか、黄砂模様なのかわからないが、すっきりとしない晴れの日であるが、こころはうきうき晴れ晴れ。

我が家に生える南天の葉を添えた手造り弁当を美味しくいただく。

どれこれも満足するのだが、唯一、これだけはと思ったのが、ガラスの瓶詰めドレッシング・・ではなく、マヨネーズだった。

これってどないやって出すねん。

箸を突っ込んでも箸の周りにくっつく極少の量。

振ったら出ると云われて振ったらまともに出ない。

振る度にあっちへぴょい。

こっちへぴょい。

弁当を包んでいた敷物にぺちゃ。

ぺちゃ。

これは、あかんな。

おふくろとかーさんは食後もこの場で話し込む。

さまざまな話しをしているようだが、トイレにいきたくなる。

川堤の散歩道にベンチシートはあっても公衆トイレはない。

仕方がないといえば申しわけないが、駐車した所のコンビニエンスストア・ローソンに感謝しようと思って歩く。



用を足して戻ってきた桜並木の散歩道



愉しむ人たちはさらに増えて9組、10組に膨れ上がっていた。



どこも買ってきたパック詰め弁当を食べている。



お酒を飲んでいるグループは一つもなかったことも書いておく。

(H30. 3.27 SB932SH撮影)

丸大食品のイージーデイッシュ鶏チリは酒の肴

2019年07月22日 08時44分12秒 | あれこれインスタント
今夜の酒の肴に探し出した丸大食品のイージーデイッシュ鶏チリが旨い。

晩酌はすべてのおかずが食べ終わった段階で一旦は終了。

ところが、たんまに物足りなさを感じることがある。

そのときの選択肢はさまざま。

いずれにしても保存期間の長い缶詰やレトルトもん。

どこでいつ買ってきたか記憶にないものもよくある始末。

冷蔵庫の片隅に立ててあった袋もんが見つかった。

賞味期限は何時とも、どこにも書いていない不思議な商品。

見落としているのかもしれないが、かーさんはとっくに過ぎているという・・。

値引きシールが見られないから、正規販売であろう。

だが、私の記憶は飛んでいる。

「鶏ムネ肉をカラッロと揚げ、ピリ辛ソースと合わせました」と商品パッケージに書いてある。

ムネ肉かぁ、と思いながら封を切る。

温めることはないだろうと思って器に絞り出す。

袋を絞った箸に絡みつくチリソースが旨いんだなぁ。



これはいいぞ、と思ってたっぷりソースを付けていただくムネ肉。

脂身が乏しいが、しっかりした身。

なんせ旨いのはソースそのもの。

カルピスソーダで割ったチューハイがごくごく。

旨い肴に旨いアルコール。

真っ赤なソースがたまんないね。

パッケージのような色とはやや違うような盛り付けになったが、味は抜群だ。

ムネ肉は5切れぐらいあったかな。

それより、とにかく美味しいソース。

たっぷり残ったソースはそのまま食べても良し。

辛さが口中に広がって充実した満足感を味わえる。

(H30. 3.25 SB932SH撮影)