マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

おやつカンパニー・オヤツチンミのアンチョビ&ガーリック味はやな臭味

2021年09月30日 10時10分30秒 | あれこれテイクアウト
賞味期限はまだまだあるが、別棚に置いてあったオヤツチンミのアンチョビ&ガーリック味に目がいった。

なんとなくおもろそうに思えたお菓子。

アンチョビ&ガーリック味ってどんな味。

旨けりゃまた買いに走るが、こいつはそうならなかった。

開封したら食べきらなきゃならん袋入り。

チャックくらいは付けとけよ、といいたい。

パッケージに書いてある謳い文句が「手につきにくい」。

つきにくい、というだけで、完全ではない。

手、でなく指、だろう。

つきにくいだけであって、食感、味は付着する。

カラカラに乾いていても付着するものはどこにでもある。

お菓子類は、家で、お外で食べることはあるにして、私の場合は車中が多い。

ベタつかなくとも握るハンドルに匂い移りは少なからずある。

ま、とにかく味に興味があったから、買ったアンチョビ&ガーリック味。

一口、食べて、これって何味。

噛めば噛むほどに口の中が臭くなる。

期待していたガーリック味なんてものは、一切が感じない。

まさかの0%。

そんなことはないと思うが、ガーリックはどこに・・。

袋から取り出したことに後悔する。

皿に落とした少量のアンチョビ&ガーリック味



これ、全部食べるのって・・拷問?。

前日に初めて味わった感は、この日も同じだった。

残念ながら、残りは袋ごとゴミ箱に捨てた。

同じ思いをした人がブログに揚げていたが、それは他のメーカーもんだったが・・。

(R2. 1.11 SB805SH撮影)
(R2. 1.15 SB805SH撮影)

ファミリーマートならやま大通り店の五目あんかけ焼きそば

2021年09月29日 09時54分35秒 | あれこれテイクアウト
押熊町・八幡神社の卦亭取材を終えて車を走らせる。

行事の有無を確かめたい京都・精華町菱田に行くまでの時間帯に昼弁は何をするか。

押熊通りからならやま大通り。

信号角にあったコンビニエンスストアはファミリーマートならやま大通り店。

お店でチンしてもらった498円の五目あんかけ焼きそばはTポイント購入。

残りポイントは492p。

ファミリーマートで購入する場合はいつもTポイント利用。

ワンコイン程度の昼弁買いに利用することが多い。

熱々の五目あんかけ焼きそばを車に持ち込んでいただく車中食。

この日の気温は高い。

天気は晴れ。

車内も暑くなっていた。

食べる前にしなくちゃならん儀式。

ではなくシール外し。



これがなんとも困っちゃうんだな。

引き出したシールの処分に毎度難儀するやっかいもの。

引っ張ると同時に指がべちゃ。

取り出したシールもまたべちゃべちゃ。

ゴミ箱処分にしたが、べちゃっとゴミ箱に付着。

そうならないようにべちゃ面を内側に丸めるのだが、これもまた難儀。

どないしても指に付着。



この作業をする前に必ず用意しなくちゃならんお手拭き。

お手拭きを添えてくれるコンビニエンスストアもあれば、なにもしない店も。

この店は後者。

前回もくれなかったから、この難儀さを店員さんは把握していないようだ。

それはともかく熱々の五目あんかけ焼きそばはめちゃ旨い。



麺の固さも丁度いいと奥歯がそう云っている。

野菜炒めは白菜に玉ねぎ、人参、筍にキクラゲ。

あんかけダレが抜群に旨い。

調理内容を見ていて気がついた「袋入りからし」。

食べ終わってから気づいた。

なくても美味しかった五目あんかけ焼きそば

からしを混ぜて食べたかったな。

(R2. 1.11 SB805SH撮影)

木津川市加茂町井平尾春日神社・ドウノコウの勧請縄調査

2021年09月28日 10時48分23秒 | もっと遠くへ(京都編)
精華町菱田・春日神社の弓始式調査を終えて車を走らせる帰路の道中。

はた、と気がついた木津川渡しの橋、直前の信号。

日が暮れるまでまだ時間はある。

余裕はないが、場所だけでも知っておけば後々助かる。

そう思って東にハンドルをきる。

これより向かう目的地は加茂町の井平尾。

集落に春日神社がある。

そこへ向かいたいが、愛車のカーナビゲーションに春日神社の所在地明示はない。

行けるところまで行くしかないと、車を走らせる。

旧道に入れば情報が掴めるであろう。

旧街道に人影でも・・と思いつつ走らせる車。

民家宅地に中型バイクのエンジン音が聞こえる。

屋外でキックしていた男性に声をかけた。バイク乗りのIさんに尋ねた春日神社は・・・。

まっすぐ東を行ったところに出荷場がある。

そこに車を停めて南に歩いてすぐ神社が見つかる。

そこまで行けば勧請縄が見えるからすぐにわかると話してくれたIさんにお礼を伝えて東に向かう。

云われた通りに向かったつもりが筋道一つ違っていた。



階段登る先に閉ざされた鉄門。

鹿や猪の侵入を防ぐ鉄門であろう。

そこはどうやら東福寺に共同墓地のようだ。

春日神社を求めて井平尾集落をうろうろする。

東に歩いて北折れの道。



その先の景観は集落民家が途切れた広い空間。

そこが春日神社であった。



さて、勧請縄はどこに、と目を移動したそこにあった。

さて、「ドウノコウ」とは不思議な呼称だ。

平成11年10月30日に発行された京都府立山城郷土資料館編の図録『特別展 花と鬼と仏』がある。

サブタイトルに、“春の民俗行事オコナイ -鬼追い、牛玉のお札、モチ花で災いを祓い、福を招く- ”とある。

その図録に記載されている井平尾に、1月5日はオコナイの祈祷をしているとあった。

氏神神社の春日神社の宮座に二つの講組織がある。

一つはミヤノコウ(宮の講)。

もう一つがドウノコウ(堂の講)の2座。

オコナイは地区のほぼ半数の家で構成される「ドウノコウ」によって行われる。

長老組織とする五人衆を中心に講中とともに勧請縄を作って架けるようだ。

バイク乗りのIさんが紹介してくれた五人衆。

うちお一人が住まいするお家。

Iさんは現役の四老だった。

最長老が一老。

次に二老と続く年齢順の五人衆。

かつては死ぬまで務めていた、という。

亡くなるのは年齢順に関係なく、例えば三老が、先に亡くなられる場合もある。

欠員が出た場合に次に続く若いもんが穴埋めにはいるが、それは常に五老として衆入りする。

現在は、意思によって引退宣言されて五人衆を降りることも許されるようになった。

身体を壊して務めることができない場合もある。

介護の身になる場合もある。

諸事情でやむなく座を抜けざるを得ない。

務めができなくなって退かれたその場合も順に繰り上がる。

講員は40人のドウノコウ(堂の講)である。

今年は、1月13日の成人の日にトンドをする、と話す。



その日に下した勧請縄も火に点けるであろう。

Iさんが話してくださった興味深い村行事がある。

毎年の9月半ばに行われる“子酒(こざけ)”がある、という。

“子酒”とは、新生児を祝う儀式。

若い家族も多いのであろう。

ちなみに知人の菊約さんが、ここ井平尾。



春日神社の勧請縄掛け取材に訪れている。

一年前の平成31年1月5日の訪問

木津川駅からレンタルした自転車に跨って駆けつけたというから、その行動力に脱帽する。

(R2. 1.10 SB805SH撮影)

小倉・観音寺の十七夜観音講会式の造りもの御供

2021年09月27日 09時33分31秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
この年の御供はどのような形になったのだろうか。

その年、その年でないと形がわからない御供は野菜で作る。

元々は、村の住民たちが、お寺に寄進する形式だったと推定される行事。

初めて訪れた奈良市小倉町にもあった。

にも、あったというのは、私の知る範囲のことだ。

野菜作りの御供の2事例目に見つかった小倉の事例である。

小倉町は、かつて旧都祁村にあった。

平成17年4月、市町村合併政策により、添上郡月ヶ瀬村とともに、奈良市に編入された旧山辺郡都祁村大字小倉。

それ以前の小倉が属していた針ケ別所村(※針ヶ別所村、小倉村、上深川村、下深川村、荻村、馬場村)。昭和30年、隣村の都介野村(※藺生村、小山戸村、相河村、南ノ庄村、甲岡村、来迎寺村、友田村、白石村、吐山村、針村)と、ともに合併した都祁村である。

平成20年9月17日の観音寺の観音講会式。



初めて見る小倉の会式に、野菜で作った御供を供えていると教えてもらったのは、小倉が出里の婦人だった。

平成20年6月4日、旧都祁村小山戸の行事取材でお世話になったI区長の奥さんとの出会いが、ご縁を繋げてくださった。

話は遡るが、そもそもの縁繋ぎになった行事がある。

旧都祁村より西方の地にある天理市福住。

上入田(※かみにゅうだ)の不動寺で行われた「御膳」行事である。

そのことを知ったのは、奈良新聞に載っていた小さな囲み記事。

後日判明したその記事は読者投稿によって採用された新聞記事。

上入田に住むOさんが、村の行事を紹介したく奈良新聞社に投稿されたのである。

モノクロ写真に写っていた野菜御供。

それは「御膳」行事に供え、法要を営む行事であった。

是非とも拝見したく、区長に取材許可をいただき撮影に入った。

平成19年9月15日、村の人たちが仕切る「御膳」つくりを、小倉でなく天理市福住の上入田に初めて拝見した。

大きな野菜もあれば、小さいものも。

丸こい形に細長いもの。形も多様なら、色合い、風合いもみな異なるさまざまな野菜。

高齢の人たちが作る野菜御供は、村の人が寄進した自家野菜。

そのまんまの形、色を考えて組み立てる。

包丁で切るとか、曲げることもない。

手を入れずに、作り上げた御供は、まるで人を模したようにも見えるものもあれば、はてな・・というような形も。

作り手の思いつきもまたはさまざま。

表情豊かな、御供の形は、みな違う。

どれを見ても、感動する野菜御供。

笑えるものもあれば、これって、というのもある。

設計図もなく、あれこれ思考を凝らして作った御供は、福住・上入田不動寺の不動寺の本尊に供える。

無住の不動寺に僧侶は不在。

導師に合わせて、一同が揃って唱える般若心経で終える。

「こんなの見たことないやろ」と、村人たちは口々にいう自慢の作品群。

「他所にでもあるなら、一報してほしいな」と、願われた。

その願いは、小山戸を経て小倉に繫がった

それからの8カ月後である。

平成20年の4月20日に取材した旧都祁村小山戸都祁山口神社行事の御田祭

お世話になったお礼に写真を持って、小山戸区長のI家を訪ねた。

応対してくださったのは、区長婦人である。

民俗行事に興味をもつ婦人。

御田祭の写真から、話題が拡がる他地区の民俗行事に、福住上入田で拝見した野菜つくりの御供のことを伝えたら、なんと・・・。

出里の小倉のお寺でも同じようことをしていた、という。

まさかの展開に胸が躍った。

嫁入りしてから数十年。

今も、小倉に福住のような行事があるのだろうか。

行ってみなきゃわからない旧都祁村・小倉の地。

下見を兼ねた聞き取り調査に走った平成20年の7月13日

観音寺の所在地がわかったところで、村人探し。

畑作業をしていた村の人に教えてもらった寺総代家を訪問する。

お会いできた寺総代のKさんに小倉の年中行事を教えてもらった。



大きなカボチャなどの野菜でつくる御供の形は人面型。

9月17日に行われる十七夜観音講の行事に作って供える。

午前中に持ち寄った野菜で御供つくり。

昼食後に観音講会式を営む。

作り手は、丸山、西区、東区、中区、南出、北出の6垣内代表の檀家総代ら6人。

寺総代を筆頭に責任役員の2人が役に就く、という。

6月16日に行われる虫送りは、陽が沈むころにはじめる虫祈祷。

そして地区2カ所に祈祷札を立てる田の虫送り

2組に分かれて出発する。

1月6日は村の安寧を願う初祈祷。

漆の木と藤の枝先をはたき(※払塵)のような、房状にしたものを持ち寄って、お寺の縁側を大人や子供が激しく叩いていたというランジョウ作法をしていたが、今は、肝心かなめの藤の樹は自生地から消えた。

仕方ないが、水戸まつりに立てる漆の木だけになった。

1月7日は山の神。

カギヒキもしていそうな山の神の話だった。

同月15日は、6垣内それぞれが行うとんど焼き。

簡略化した亥の子行事もあるやように話してくれた。



代表の寺総代のKさんに了解を得て、小倉の行事の初取材に訪れたのは、それから2カ月後の9月17日だった。

朝早くに集まった人たち。

作りはじめて数時間後。

午前11時ころに作り終えた。

会式の行事に、ご本尊の十一面観音菩薩立像前は大きなズイキを一対、供えていた

その様式を見ていて思い出した他村の行事。

小倉町同様の旧都祁村にあった南之庄町。

平成19年9月14日に行われた金剛地蔵会式

ご本尊の前に供えた野菜は大きなズイキだった。

小倉のような一対ではなく、太く大きな1本のズイキに、小さなズイキがたくさん。

いずれもご住職が一本、一本に小刀を入れて細工していた。

日程は、異なるが、いずれもご本尊に捧げ、供える野菜は子芋をたくさんつけて増やす親芋ズイキ。

子孫繁栄を願い、収穫に感謝する親芋ズイキである。

また、福住・不動寺の「御膳」行事に見られなかった大根の茎と葉を束ねたものと半月切りのカボチャを並べた折敷の板御供が小倉・観音寺の「観音講会式」にある。



その数多く、70枚。

整然と並べた板御供(※7枚の折敷は一枚板に固定している)は、村の戸数だといっていた。

その昔は、赤飯もあったそうだが、いつのころか、供えなくなったらしい。

昼前、村の人らも参集されて会式の法会をはじめる。

小倉もまた無住寺。

田の虫送りには、山添村・真言宗豊山派、一心院神野山・神野寺の住職を迎えて祈祷されるが、十七夜観音講会式にお勤めするのは、寺総代以下責任総代ら。

導師に寺総代が就き、木魚を叩いて三巻の般若心経を唱える。

それから、寺務所に移って、みなはパック御膳を並べた席に座り、直会をはじめる。

夕刻、解散されるまでは、御供などはそのままにされているので、学校の授業を終えた子どもらも参拝していたことを思い出す。

その後の、平成28年9月17日も取材した十七夜観音講会式

寺総代、責任役員に檀家総代ら、顔ぶれは一新されていた。

また、平成20年には大きなズイキを供えていたが、この年は見られなかった。



導師が叩いていた木魚もなかった。

8年間の年月を重ねていくうちに、徐々に変化がみられた年だった。

一年空けて、立ち寄ったこの日の十七夜観音講会式の造りもの御供。



三度目の拝見に、この年もまたユニークな、それもちょっと刺激的な御供も、数多く並べていた。



到着した時間帯は正午前。

作りものの作業は早くに終わっていた。



板御供も並べ、一段落した午前11時ころには三巻の般若心経を唱えていた。

正午の直会がはじまるまでの時間帯をこうして寛いでいたそうだ。

この日に訪れた目的は、作りものの製作工程でなく、参拝者が途絶える時間帯。

そのころは夕刻の時間帯。

待機していた役の人たちが解散されてからの御供の行方である。

前年にNHK奈良放送局が伝えていた福住・上入田の「御膳」行事である。

製作工程から営み、そして会式を終えた御供である。

夕刻のころにやってきた野菜を寄進した女性は、受け取りに来られていた情景を放映していた。

寄進した野菜は、形を整えて本尊に供えた。

ありがたい御供は、寄進者に戻される。

そういう状況を伝えていた。

ふと、小倉では、どうされているのだろうか、と思った。

はじまりがあれば、終わりがある。



上入田と同じように寄進者が受け取られるのか、それとも役の人たちが持ち帰るのか、そのことを知りたくて訪れた。

そのことは、北垣内に住む73歳のIさんが話してくれた。

実は、小倉においても同じように村の人が貰いに来ていた。

ずいぶん前まではそうしていた。

時代は遡ること50年前までのあり方であったが、その後において処置がくだった。

その対応は現在も続けている、一晩おいた翌朝の廃棄処分。

村によって判断は分かれたようだ。

ずいぶん昔のことを話してくださったIさん。

続いて話すかつてしていた村の行事に腰を抜かすほど驚いた。

一つは「おつきようか」だ。

毎年の5月8日に行われていた「おつきようか」。

村全体で行われている組織的な行事でなく、おうちの習俗である。

県内事例に体験、記憶を話してくださった奈良市別所の事例もあれば、近年において復活された天理市福住・西念寺の事例もあるが・・・。

昭和59年3月、田原本町教育委員会が発刊した『田原本町の年中行事』には、当時されていたというおつきようかの写真が掲載されている。

春まつりの項に書かれた「おつき8日」。

「春の季節のまつりの古い姿に“おつき8日“がある。4月8日の”てんとばな(※天道花)“である。仏教の灌仏会」は、“おつき8日“の日に重なって行われている」とあった。

ちなみに掲載された「おつきようか」の”てんとばな(※天道花)“を撮影した地域は伊与戸。

民家の角地に建てた長い竿に、十字結びに括りつけたお花はモチツツジ。

掲載写真はモノクロであるが、かろうじて判断できる。

竿にもうひとつの祭具がある。

奈良市別所で聞き取った、まさに三本足のカエルが入ると信じられていた編み籠である。

今は見ることもない”てんとばな(※天道花)“。

町教委が、当時に聞き取った伊与戸の人。

他にも竿を揚げていた経験者は、多くあったようだ。

隣接する旧二階堂村でも”てんとばな”にカエルが入るといいことがある、と話していたらしい。

掲載写真にある民家の屋根にテレビアンテナが、また焚きあげ風呂の煙だし煙突も映っている。

当時の生活文化を知るお家の形がわかる民俗写真に感動を覚える。

Iさんが、小倉の地で体験したオツキヨウカは、高さ3mくらいの竹の先端に、括り縛っていた花は3種。

赤い躑躅、黄色の山吹に青紫の藤の花。

カドサキに建てていたそうだ。

小倉のオツキヨウカのその日は、花まつり。

御釈迦さんを納めた御堂を建てて、甘茶の木の葉を煎じ、炊いて作った甘茶を、御釈迦さんにかけていた。

山添村のある村の一角にも建てている事例がある。

県内事例では、まず拝見するのも難しいオツキヨウカのあり方。

今は、体験談でしか得られない小倉のオツキヨウカもまた、貴重な民俗事例であった。

また、1月7日は、山の神をしている、という。

朝5時のころ。暗いうちに3人がウツギの木で作ったカギをひいて山の神参り。

唱える詞章は「にしのくにのいとわた(西の国の糸綿) ひがしのくにのぜにこめ(東の国の銭米) うーちのくーらへどっさりこ(※家の蔵へどっさりこ)」。

声を出してカギを引く。

カギヒキをしたら、藁で作って持ってきたホウデンの内部に、男の数だけ正月のふところ餅を詰める。

家で作った七草粥も持ってきて、笹の葉を皿代わりに七草粥を盛って山の神に供える。

まだまだありそうな小倉の民俗行事。

みなが揃ったからと、奥の部屋で直会をはじめられるから、聞き取りはここまで。

山の神も、一度は取材したいが朝の5時では、無理がある。

せめて一時間後の朝6時なら拝見できるかも、と伝えたら、どうぞ、と承諾してくださったが・・・。

本堂を下りて帰路に就こうとしたそのとき。

目線に入った「庚申」に「馬頭観音」石仏。

「庚申」の営みはたぶんに庚申講であるが、今でも講中が勤めているのだろうか。



また、県内事例ではあまり見ることのない「馬頭観音」石仏も合わせて、次回、訪問の際に尋ねてみよう。

ちなみに馬頭観音をキーに検索したら、まま見つかった

一つは、香芝市穴虫の穴虫峠に建つ馬頭観音石仏

二つ目に、南都七大寺の一つにあげられる大安寺・嘶堂安置の馬頭観音菩薩立像がある。

三つ目に生駒市北新町・大佛寺に建つ馬頭観音菩薩立像もあるが、名号があるのは小倉だけかもしれない。

この「馬頭観音」、「庚申」石の背景に映りこんだ稲作風景。

実り真っ盛りの銀穂の波。

その情景をFBに揚げた際、知人のFさんがコメントしてくださった「バックの稲穂の黄色がいい感じですね!」の言葉が嬉しい。

今日の野菜御供も、稲作も村の豊作祈願が秋の稔りに通じたのであろう。

(H30. 9.17 EOS7D撮影)

精華町菱田・春日神社の弓始式調査

2021年09月26日 10時06分54秒 | もっと遠くへ(京都編)
京都・木津川市吐師・大宮神社を訪れて意外な成果が見つかった。

時間がある限り、本日調査に手を広げたい。

気になるネット情報に民俗行事が見つかった。

行事は弓始式。

場は京都・相楽郡精華町菱田に鎮座する春日神社である。

木津川市から精華町までは近距離。

カーナビゲーションにセットした鎮座地を目指して車を走らせる。

精華町に名高い神社行事がある。

隣村の棚倉・涌出宮は2月に行われるが、祝園神社は1月。

いずれも「いごもり祭(居籠祭)」の名で呼ばれている行事である。

これらを調べているときにヒットした菱田・春日神社の弓始式

ネットにあった1月10日であるが、実施される時間帯はわかっていない。

下見だけでもしておきたいと思ってやってきた。

春日神社に到着した時間帯は、午後1時過ぎ。

終わっていてもあわよくば出会える可能性もある。

金属製の鳥居を潜ったそこは車止め。

降りて見た春日神社であるが、奥の境内に人影無し。

ふと向こうから歩いてきたもんぺ姿の高齢女性。



旧家のひとであればたぶんにわかるであろう年中行事。

尋ねてわかった弓始式は1月10日。

で、本日であるが、朝に通ったときは誰もおらなんだ、という。

ならば今日ではないのか。

婦人の旦那さんは元総代のTさん。

詳しいことを教えてくだされば、いいのだが、婦人が云った言葉はとんど。

最近は、そのとんどが終わった週の日曜日になった、という。

へぇー、そうなんだと、指で示してくれたとんど場に伐って運んだ竹があった。



すぐ傍にはお家で飾ったと思われる注連縄もあるから翌週、それとも翌日なのか。

婦人が話してくれた弓始式。

朝の10時に始まる。

三重◎を書いた「ハリマト」に弓を引くのは総代、一年神主に役員たち。

的は拝殿左に植生する樹木向こう側に設えていた。

祭事に供えた鯖一尾は焼いて切り身にして手で掴んで食べる。

古式ゆかしい宮座の様相をもつ行事と思われる。

ちなみに神社前の川は、西の丘陵地が上流の煤谷(すすたに)川だという。

実態を掴めなかった春日神社の弓始式



今後の調査に期待して初参拝。

拝殿前に門松を設えていたと思われる痕跡がある。



門松立ての盛り砂跡である。

振り返った右手に消火栓の印。

目立つ葉牡丹に松。

南天らしき赤い実もあれば梅のような枝木もあるだけに歳神さんを迎えた門松を崩して、この場に置いたのだろう。

もっと寄ってみたら藁束もある。

七五三の藁があるから注連縄であるが、傍にあった見慣れぬ祭具に目がいく。



白いヒラヒラ。

コヨリでなく、引いたおみくじであろうか。

おみくじにしては、1本の竿竹に、こんだけ巻き付けるのも珍しい形態。

もっと近づいてみたら竹ひごのようなものもある。



竹は割った残りもんであろう。

さて、これらは何を意味しているのだろうか。

後日に判明したそれは弓始式に用いられた祭具の残欠のようだ。

(R2. 1.10 SB805SH撮影)

木津川市吐師・大宮神社の御田祭調査

2021年09月25日 09時38分07秒 | もっと遠くへ(京都編)
奈良の山陵町から歌姫町

そして歌姫街道をさらに北へ車を走らせると神功町・朱雀町など新興住宅地を抜けたら京都・木津川市に入る。

目指す目的地は吐師(はぜ)の地。

宮ノ前に鎮座する大宮神社に辿り着いた。

神社、境内にはどなたもおられない。

参拝がてら、ほんの少しの時間にうろついてみる。



鳥居を潜って境内に入れば左・右に座小屋がある。

確かめなければならないが、たぶんに左座。

右座に座中が座る建物であろう。

正面の拝殿・本殿に向かって拝礼。



その奥に見える大きな御幣が二つ。

両座のトーヤが奉った御幣であろうか。

本殿右に社務所がある。

焼納に年神さんを迎えた注連縄を持ってきた地区の人に聞いた座。

一日、十五日はいつも清掃している人たちが居るから行事のことを尋ねるならその日が狙い目だという。

ちなみにその社務所。

ガラス越しに拝見した白いもの。



「シトギ(粢)」ではないだろうか。

ひと通り拝見して立ち去ろうと、したときである。

座小屋の下にあった簾型注連縄。



とんどの日はもう少しあるが、なぜここに放置されているのか。

不思議でならない。

御田祭の情報は掴めなかったが、思わぬものを拝見していた。

数日経ってからわかった『氏子が苗松を作り、神主による苗代掻きや巫女による田植えの所作をする』という大宮神社の御田祭日程。

毎年の1月11日と書いてあったブログ京都のitベンチャーで働く女の写真日記もあったが、今年は日曜日の12日の午後1時らしい。

そのことを知っても今年は行けない。

既に取材を入れているから来年廻し。

出かけるときの参考に大宮神社の位置をメモっておこう。

なお、大宮神社の御田祭の他、木津川市内の年中行事はたくさんある。

うち、いくつかの行事は取材させてもらったのもある。

例えば、相楽神社の御田餅花祭涌出宮のいごもり祭女座の祭りアーエー(奉納相撲)、鹿背山の虫送り、山城椿井の虫送り白山神社のおかげ踊りがある。

取材をお願いしたその年から中断に至った山城上狛のおしょうらい踊りだけはとても残念なことだが・・。

学んでおきたい気になる年中行事もある。

(R2. 1.10 SB805SH撮影)

元気う・ⅮON木津駅前店のミニ牛すじ丼+ミニうどん

2021年09月24日 10時28分24秒 | 食事が主な周辺をお散歩
山陵町・八幡神社山ふさぎを拝見して再出発する。

行先は京都・木津川市吐師であったが、その途中に参拝がてらに拝見した歌姫町に鎮座する添御縣坐(そうのみあがたにます)神社の簾型注連縄に感動していた。

さて、この日の昼飯はどこへ。

木津川市となれば、ここしか頭に浮かばない元気う・ⅮON木津駅前店

何度食べてもまた食べたくなる美味しい丼にうどん麺を提供してくれる。

味に飽きないからまた食べたくなるやみつき味に魅了されて、他店舗に行けなくなっちゃった。

さて、今日は何をたべようか、といってもたいがいが同じ。

この日もまた注文してしまった360円のミニ牛すじ丼に210円のミニうどん。

いずれも税込み価格である。

見た目はどうってことのない盛りであるが、私のお腹には堪えるごはんの量。

店員さんに伝えた、ご飯は少なめ。

ガツガツ食べる牛すじ丼の前に口にしたいミニうどん。



天かすに刻みネギだけのハイカラうどんが実に旨い。

昆布だしが利いているハイカラうどんのミニ版。

シコソコうどん麺にいつも出汁味。

ほっとする味であるが、ぐぐっ、ジュワっと味わえる牛すじ丼。

七味をたっぷり。

うどん以上に振りかけて食べる牛すじは、ほんま、美味い。

ときおり、その牛すじだけを買いにくることもある。

単品牛すじは持ち帰り可能。

以前より少しだけ高くなってが、それでもコスパ力がすごい460円。

家で食べてもうまい牛すじ。

丼飯に沁み込んだ牛すじタレがむちゃ旨いもんだから、もう箸が止まんねぇ。

トロトロ肉の牛すじはいつ食べても美味しい。

少なめのご飯にしたが、お腹がパンパン。

ミニサイズで十分に堪能される絶品味。

しばらく経ったら、また口が卑しくなるのがこわい。

(R2. 1.10 SB805SH撮影)

歌姫町・添御縣坐神社の注連縄

2021年09月23日 10時22分00秒 | 奈良市へ
山陵町取材を終えてからも民俗取材。

目的地は京都南部の神社。

行先をカーナビゲーションにセットして車を走らせる道は歌姫街道。

その昔は、奈良と京都を結ぶ重要な街道。

平城京を建設する資材の搬入に利用された街道。

この場では多くを語れないが、その地に添御縣坐(そうのみあがたにます)神社が鎮座する。

これまで気にもかけていなかった神社にふと立ち止まり停車した。

佐紀町・山上八幡神社の六人衆から聞いていた、歌姫の氏子たち。

長老らの負担も大きく、簾型の注連縄作りも難しくなっている、と。

やがては中断の憂き目。

やむを得ない判断だったと思料する。

その添御縣坐神社に参拝したくなって車を停めた神社。

大正13年に再建された鳥居は老朽化によって傾いた。

土壌も崩壊し、やむなく解体したものの再建にあてがう費用捻出は預貯金では間に合わず。

心ある人たちからの浄財寄附を募っている。

参拝してから気づいた拝殿の真上。

大きな鈴が二つ。

そこにあった注連縄・・。



よくよく見れば、そこに簾型の注連縄があった。

少量の藁で結った七五三注連縄であるが、左側に笹の葉が見られる。

心棒は竹であった。



ちなみに井戸にも注連縄をしていた添御縣坐神社が愛おしい。

(R2. 1.10 SB805SH撮影)

大阪ガス適用仕様ガスファンヒータ・リンナイ製140-9943型/RC-U40001Eがキュキュキュ・・

2021年09月22日 09時36分36秒 | ぽつりと
昨年の12月1日に買ったリンナイ社製・140-9432型/RC-U4001Eがおかしい。

キュキュキュ・・というか、キキキとも聞こえる異音が鳴る。

午後6時、突然に鳴りだした異音。

いや、鳴きだした、という方がいいだろう。

どこから音がでているのだろうか。

取りあえずすべきことは電源オフ。

当然ながら異音は消える。

電源オフから再びオンしても異音は同じキュキュキュ・・・。

それは虫が鳴くような低い音のようにも聞こえる。

おそらくは回転系の機械まわりになんらかの状態が発生したもよう。

特に考えられる箇所はファン系。

羽根が何枚あるのかわからないが、どこかに擦れるような感じだ。

ただ、モーター内部の問題であるかもしれない。

な、ななんと、である。

布団を入れている押し入れの奥からガスファンヒータが見つかった。

以前に使っていたガスファンヒーターは、同じくリンナイ社製のN140-9403RC-K4001E-1。

夏から冬、冬から夏の季節換えの道具に入れ替え作業。

すっかり忘れていたというかーさん。

ま、補完するヒーターが見つかったのは、良しとしても買ってから1カ月。

買ったお店は近くにあるKsデンキ大和郡山店。

その店に機器ごと持ち込んで調査をしてもらおう。

受付したくださった担当店員のIさん。

メーカー送りにしましょう、と手続きしてくれた。

Iさんから電話連絡があったのは2月17日の正午前。

出張修理の依頼をしたら戻ってきた、という。

当該製品は、自宅環境下で検証するので、大阪ガスの訪問日を決めてから担当の者を手配します、と伝えてきた。

そうか、なるほど、と思った同一環境下でのテスティングだ。

それからしばらく・・・。

ほんの十数分後。

再びIさんから電話連絡があった。

先ほどの件は却下する、と。

実は、誤った連絡でした、という。

しかも、である。

その異音が発生する製品は、Ksデンキ大和郡山店で預かっており、メーカーが、直接店舗に来られて検証し、修理する、という訂正連絡だった。

それからしばらく・・・。

20分後に鳴った携帯電話。

と、同時に自宅電話にも鳴った同番号。

表示された電話番号は012009481。

いわゆるコールセンター番号であるが、なんらか商品の勧誘電話に違いない、と判断し、携帯は着信拒否。

自宅電話はかかった、つまり鳴ったまま何もせずに放置していた。

数時間後の午後2時56分。

自宅電話に留守電が入る。

その後の午後5時11分にも留守電。

同番号で留守電が2回も。

勧誘にしてもおかしい。

よほど伝えたいことがあるしつこい勧誘なのか。

なにかがおかしい。

こうなりゃ留守電を再生するしかない。

・・・・・・ なんと、留守電の声は、我が家に寄せてもらいたい、という連絡だった。

ところが、返答に、返信電話をかけたが、営業時間外で受け付けられず、アウト!。

翌朝の2月18日の朝。

開店直後の午前10時10分に、Ksデンキ大和郡山店から電話が鳴った。

担当のIさんからの電話連絡。

結果的にいえば、昨日の連絡は誤っていた。

ガス接続をしない単独型の、例えば石油ファンヒーターのような形式であれば、Ksデンキが商品を預かり、店舗においてメーカーが検証する。

修理であるが、ガス管接続供給型タイプの場合は、ご自宅にお伺いし検証する。

その結果、修理を要するとなれば、その手配となるのが、正しい手順だった、とお詫びの連絡。

申しわけないですが、修理依頼に預かっているファンヒーターは、引き取ってもらい、別途大阪ガスと検証・訪問日を決めて対応することになった、と平謝りのお詫び電話だった。

要項手順がわかればよろしいんです、と伝えて、手すきになった午前11時に引き取ってきた。

大阪ガスから電話がかかった。

昨日の留守電放置は、勧誘と判断、放置したことにお詫び申し上げた。

そんなあれこれがあったが、ようやく決まった自宅訪問日。

対応は、いち早く、ということで、本日18日の午後3時から5時の間に決まった。

その日の午後は、おふくろが入院している田北病院の見舞い。

その時間帯に携帯電話が鳴った。

相手先は、いつもお世話になっている三浦産業・郡山ガスセンターの出張担当のYさん。

自宅に戻り、担当のYさんにあがってもらう。

すぐにでも異音が発生すればいいのだが、そんなうまい具合になる通りもなく、テスティング検証は1時間。

午後3時10分からはじめて午後4時ころまでのファンヒーターは無音。

異音検証してみたが再現されなかった。

状況判断から、モーターの異常若しくは、マイコン異常も考えられる、との判断。

郡山ガスセンターに持ち帰り、部品のモーターを手配、交換することになった。

部品取り寄せなどに日数がかかるので、お日いただきます、と伝えて事業所に戻られた。

それから経つこと10日間。

2月28日、Yさんからの電話。

結論は、結局のところ再現はできなかった。

また、電源を切っても異音が認められたのは、ファンモーターの異常と、判断し、パーツだけでなくユニットごとの交換である。

午後4時半に訪問されたYさん。

持ち込まれて設営する際に話してくれた異常事象。

仮に、電源が入らない場合は、コンセント異常が考えられる。

また、突然に電源が切れる状態は、望ましくなく、そのときの場合は、内部パーツを傷め、故障する可能性が高くなる、と・・。

それがあったかどうかはわからないが、そういう留意点がある、ということだ。

今回は、無料サービス期間中。



ユニット交換作業書に、サインして完了とした。

(R2. 1. 9 SB805SH撮影)
(R2. 2.28 SB805SH撮影)

大阪ふくちぁんラーメン長原店の日替わり

2021年09月21日 09時12分05秒 | 食事が主な周辺をお散歩
おふくろが急遽、入院したものだから急ぎ駆けつける大阪・住之江。

用事はすぐ済む用件。

ならば、お昼時間に合わせて出かけることにした。

昼どきの時間に合わせる食事処は、大阪ふくちぁんラーメン長原店

西名阪高速道の松原IC降りたすぐ近くにある。

ETCゲートを通過した直後に出くわす信号を右折れ。

青信号になった次の信号をまた右折れしたすぐそこにある大阪ふくちぁんラーメン長原店

何度か食事をしている大阪ふくちぁんラーメン長原店である。

入店時間は丁度の正午。

案内された席に座って品定め。

ランチメニューは数種類。



860円の半チャンセットから780円のミニ日替わりセット、1010円の焼きめしセット、690円のライスセット、1010円の揚げ森セット。

コスパとお腹具合で選んだのがミニ日替わりセット。

さて、今日の日替わりは何?って聞けば、豚丼ときた。

それならなおさらいいんじゃない。

かーさんはいつもと同じ。

醤油味のふくちぁんラーメン。

単品価格の650円。

他にも一品、なんて注文は無理、無理。

お腹がパンクしてしまうからここまで。

料理ができあがるまでは無料トッピングをいただく。

本日は、キムチ一本、いや一皿。

箸休めでなく箸はじめのお口汚しにぴったりのキムチ。

ぺろっといきたいと思っていたところに配膳された本日のミニ丼。

しまったことに注文忘れ。

失念していたご飯盛り。

半分にしといて、というのを忘れていた。

申しわけないから丼には米一つたりとも残せない。

ところがどっこい。



豚丼が美味いのだ。

味付けが実にいい。

ご飯に沁み込んだ豚丼タレ。

もちろくお肉も美味い。

ガツガツ食べて空っぽ。

恐るべしミニ丼である。

丼だけが美味いんじゃない。

ラーメンはセットもん。

にんにくのせのせふくちぁんラーメンがたまらん。

やや硬めに頼んだ麺が絡んで旨、旨・・。



とろとろチャーシューも大好きな味。

メンマも美味しいし煮たまごも。

ここにもやしがあればシャキシャキ感が味わえるのだが・・。

かーさんが食べたふくちぁんラーメン醤油味。



比較すればよくわかるスープ加減。

チャーシューのとろっとさもまた違う。

あっさり系かどっぷり系か。

私はやはりの豚骨醤油系。

コクが違う。

テーブルにアンケート記入用紙があったので素直に感想を記した。

レジ支払いの際に用紙を店員さんに提出したら100円割引券をもらった。

その上に、である。



1月、2月間にラーメン食をすれば1杯につき200円もサービスしてくれるお財布の味方券。

久しぶりにいただいた味方券は是非とも利用させてもらいます。

(R2. 1. 9 SB805SH撮影)