マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

富雄・三碓の稲刈り後景観に想ふ

2024年03月19日 07時45分58秒 | 民俗あれこれ(干す編)
データ整備処理に執筆。部屋に籠って作業ばかりの一日。

気分転換に車を走らせた。

南、それとも西の矢田山。

いやいや、矢田山の景観は前月の10月23日に立ち寄ったんでしょ。

そう、矢田山麓の里にハザカケを見ていた

ほぼ1カ月も経った田園に、おそらくハザカケ景観は皆無。

気分転換なら、ぷらっと走るだけでもいいんじゃない。

そう思って北にハンドルを向けた。

富雄川沿いに走った。

ふと思い出した富雄川上流の田園地帯。

ないない、どこにも見当たらない。

走ってばかりの走行に、生駒市の高山辺りまで来たが、ここらへんでは見ないなぁと聞き、引き返した。

で、あれば途中で路線替えでもしてみるか。

そう思って走っていたソコにあった。

地区は、奈良市の富雄辺り。

右手に見えた稲架け。

市街地がもうすぐという地に稲架けを立てていた民家。

旧村の雰囲気を整えるここはどこだ。

カーナビの表示でわかったここは奈良市富雄の三碓町。

少し空きがある広地に車を停めて散策する。

ネットマップでみてもわかる旧村集落。

ちょっと歩くだけで土地開発された新興住宅地に寄り近し。

今まで、なぜに気づかなったのだろうか、不思議でしゃーない。

ともかく散策してみよう。

稲架けの量は多くない。

僅かであるが畑地もある民家の土地。

ちょっと移動し、違った方角から撮ってみる。



野菜畑に後方が稲架け。

写真の映像だけでは、ここどこ?になりそうだ。

前に一歩。



ほんの違いでわかる稲架け構造。

逆に稲架けをまっすぐ据えた映像。



過重に耐えようとしている新しい巨大生物のように見えてきた。

その目線でいえば、右側が頭、顔のように見えてくる。

撮り位置を移動し、引いて撮った景観。

向こうに見える車の往来。

シャッターを押したこのときに走行していた車はトラック。

右手に向かえば近鉄奈良線・富雄駅。

左に行けば砂茶屋を経て、第二阪奈道路の中町ランプに出る。

砂茶屋信号から右手に大きな古墳が見える。

その古墳は富雄丸山古墳。

現在、発掘調査を進めており、その手前には道の駅の開発に向けて整地中だ。

数年後にオープンしそうな気配の道の駅。

富雄川の東側はすでにオープン営業しているイオンタウン富雄南。

道の駅は、富雄川の西にあたる。

40云年前、大和郡山市の北の端に転居してきたころは、そんな予定も計画も、まったくなかった時代。

生活、暮らしに利用しやすい距離感。

現在は、まだまだ田園地は多いが、この先は、まったく読めない。

喉かな景観は、いつまでも保てる道理はない。

これから先の何十年。

環境はどう変化していくことだろうか。

それより、今は見ていたい間近にみる農作業。



籾摺りを済ませた山がある。

これら籾殻は、次の作業に燻炭焼きがある。

「籾殻の山」をキーにネットをぐぐったら、なんとPIXTAの有料写真素材に・・・

あるある、籾殻の山画像。

まるでAIが生成した画像素材も、これからは広まる可能性はある、としても実際の暮らしぶりは再現できようか。

AI生成画像は避けて通れないだけに、実像・虚像(※フェイク)を見極める力がいる。

場を離れて、散策を続ける。

南に歩いて同じように稲架けをしている景観を探してみたが見当たらなかった。

が、稔りの柿の木が見つかった。



鈴なり状態の柿の木。

たぶんに渋柿であろう。

(R3.11.18 SB805SH 撮影)

上杣ノ川・小屋根の干し物にズイキ茎干し

2024年02月21日 08時07分20秒 | 民俗あれこれ(干す編)
山城町上狛のハザカケ景観の撮影を終えて、これから向かう目的地は、宇陀市室生の小原。

八幡神社で行われるコロナ禍中の秋の大祭状況を調査である。

そこまでの行先ルートに、奈良公園行を経て山越えするつもりだった。

ところが、この日は祝日。

公園まで行きつくどころか、大渋滞に巻き込まれた。

さて、どの道に迂回するのがいいのか。

奈良公園から南下、そして東部山間地コースを諦めて、北に迂回。

川上町を経た山越えルートに切り替えた。

ふと目に入った須川行きの表示。

ハンドルをきり、走行していけば誓多林町に出た。

山道ロードはくねくね。

速度は出ないが、信号のない道を走るのも気持ちがいい。

そして着いた茗荷町。

なるほど、と思った山道ロードは、山行き峠を通り抜けたそこに民家集落があった。

すーっと通り抜けようとしたときに出合った、というか、目に入った干し物。

先に気づいたのは小豆干しだったが、勢いがついて先の民家。

そのお家の小屋根に見た干し物。

一つはお布団であるが、窓に吊るしていた干し物にも目が動く。

なんと、滅多に遭遇することのないズイキ茎干しをされていた。

存食に活用されるズイキ茎干し。

これを「芋がら」と呼ぶズイキは、血液をキレイにして悪露(おろ)の排出を促すといういい伝えがある。

古くから産後の滋養食として有名な食材
でもある。

普段は、保存食として利用される芋がらズイキ。

昔、そういえば田舎に帰ったら、食卓によく登場していたズイキ料理があったな。

宿泊した山間地の民宿の食事にも度々口にしたズイキ煮が旨かったことを思いだした。

(R3.11. 3 SB805SH 撮影)

山城町上狛のハザカケ

2024年02月20日 08時07分24秒 | 民俗あれこれ(干す編)
お昼の食事は車中食で摂っていた。

食べ終わってから向かった目的地は、奈良県の宇陀市。

旧くは室生村と呼んでいた。

そこに行く行程に、京都の南。

山城町を抜けていく。

見ておきたい上狛(かみこま)の田園風景がある。

ここへ来れば、どことなく落ち着く雰囲気がある。

まさか、と思った田園に稲刈りされた束のハザカケ。

と、いうのも何度か乗車した近鉄京都線の車窓から見ていた田園に見当たらなかったのだ。

京都南部にはハザカケはない、そう思っていただけにありがたく拝見しておく。

東の民家集落を背景に撮っていた上狛のハザカケ。

石垣を積んだ民家の姿が、愛おしい。



位置を移動し、引いて撮った景観も、なお美しい。

水路に落ちないように設置された手すりにも干してあった。

籾が見られないから、稲藁用途は畑作に活用するものであろう。

昨今、目にすることもある旬の駅などが販売するようになった稲藁に燻炭。

家庭菜園に要する人たちに買ってもらおうとする営業が増えつつある。

需要があれば、供給。

また、それに今まで捨ててきたものを大切にするSDGsの考え方にも繋がる。

ハザカケを拝見し、そんなことを考えてみる。

見た目は風景写真であるが、根底に暮らしの民俗があり、モノの循環、SDGsに拡大した見方も考えてみよう。

(R3.11. 3 SB805SH 撮影)

2021矢田の里は原風景④矢田の里はハザカケいっぱい

2024年02月04日 07時47分45秒 | 民俗あれこれ(干す編)
昨年の10月23日。

かーさんを送迎した卓球会場。

時間的に余裕があったので、ここ矢田の里をめぐってみたくなった。

まさか、であった。

施設から数百メートル。

広がる田園地は、矢田の里。

そこに相当数のハザカケをしている、とわかった


それから1年後の今日。

同じ日に、合わせたワケではないが、パソコン作業に余裕ができたので、ちょっと出かけてくる、と伝えて車を走らせた午前11時。

「金魚スクエア」の北門の前。

そして南矢田集会所の前も通りすぎた、そこに拡がる田園の地。

青空の下。

里山ぜんたいに据えたように見えたハザカケの列、並び・・・

稲刈り、終わった田もあるが、それらは上の段丘に架けた、と思う。



その段丘に移って眺めてみたハザカケ。

綺麗に、ほんとに綺麗に架けている。

右に矢田寺へ向かう里道がある。

さらに、その上の段丘には建屋が並ぶ民家がある。



雰囲気から、見てきたハザカケを所有する民家のような気がする。

広地に一時停車していた車。

再び移動した、上の集落。



右下に見た稲田。

稲刈りの途中で手を止めたかのように見える。



刈り取りした稲は、右の建屋前と左手に分けて立てていた。

少し下がって引いて撮った花は、たぶんにカタバミ。



植えていたタネが飛んで、ここに着地。

芽が出て根を下ろしたカタバミ。

腰を据えて撮っていた。

さらに上にあがったが、ハザカケをしている場は、ここまでだ。

例の辻の地蔵さんを越えて広地にUターン。



先ほど、拝見した民家からみれば、東南の方角。

施設「金魚スクエア」が建つ敷地全体が、大和郡山総合公園

金魚すくい選手権が行われる多目的体育館もあれば、かつてはプロ野球(※阪神タイガースや南海ホークス、近鉄バッファローなどのオープン戦)も利用していた市営球場。



平成28年4月からは、愛称が「ならっきー球場」になった。

高校の野球部に所属していた長男、次男ら、その友人たちの応援に来たこともある。

現在は、落雷によって電光式スコアボードが損傷。

以降、市の財政難もあり修理に至ってない。

尤も、球場の完成が昭和59年(1984)。

不使用に老朽化が広がり40年も経てば観客席のベンチも経年劣化。

スコアボードだけの問題ではなくなった。

ただ、グランドは練習試合ぐらいなら利用できるらしい。

ここからでは公園全体は見えないが、東側に多目的運動場トテニスコートもある。

私が立つ位置は、矢田南・清水垣内。

ほぼハザカケ全域と思えるくらいにいっぱいあるハザカケの全貌がわかる美しき眺望地。

全景をとらえるには、空中をいかんなく飛ばせる手動式機械・ドローンの手を借りねばならない。

(R3.10.23 SB805SH 撮影)

御所池之内・U家のハデカケ

2024年01月18日 08時12分44秒 | 民俗あれこれ(干す編)
御所市・池之内の畑地に見つけた屋根付き家型の藁積み

奈良県内に、同型の藁積みを探してきた。

どこにでもありそうな雰囲気もあるが、なかなか見つかるもんでもない。

この屋根付きの家形に組んだ藁積みを気にしだしたのは、県立民俗博物館・学芸員から求められた藁干しの「ジンド」をご存じですか、の問い合わせがきっかけ。

平城京跡の発掘調査作業を記録していた一枚の写真。

その古い写真に映っていた稲田の開墾らしき映像について、一般市民から問い合わせがあった。

写真の映像を拝見できていない学芸員が、言葉で説明してくれた稲藁積み。

一般市民は、その藁積みは「ジンド」と呼んでいた。

たぶんに、農家さんであったろうと推測するが、なんせ実物も見ていない学芸員。

民俗のあれこれをとらえてきた私にご存じでしょうか、とクエッション。

もしか、とすれば、大和郡山市内の一部、田園地の地域にあったアレではないだろうか。

学芸課長の話によれば、大阪の河内から生駒。

奈良市から大和郡山市に見られたジンドと呼ぶ藁積み。

名称は「箱ジンド」とも、いうらしい。

ネット検索では、ひっかからない「箱ジンド」キーワード。

ところが、数年後に引いた「藁積み ジンド」をキーにぐぐってみれば、写真家入江泰吉が遺した“薬師寺と藁の風景”の展示写真にあったようだ。

掲載記事は、毎日新聞

撮影地は、奈良市六条町1丁目の集落から薬師寺を望んだ景観。

なんと、住まいする我が家か近距離にある地区。

尤も、とらえた映像は、金堂、西塔が復興される前の1955年(※昭和30年/そのころの私は4歳)の西ノ京の景観。写真に入江泰吉のキャプションがあったからこそ、判明したと考えられる「ジンド」。

一度、その映像を確かめたくなった。

「入江泰吉記念奈良市写真美術館」に開催される知人たちの各グループ写真展に出かける機会がある。

その際に、探したい入江泰吉がとらえた「昭和の思い出」を遺した写真集を求めてみよう。

話題は、県立民俗博物館・学芸課に戻そう。

それは、このような形ではないでしょうか、と略図絵を書いてお見せしたら、これです、という。

藁積みの形は屋根に藁を葺いたような家型の藁積み様式。

その後、何度か訪れてわかった地区は大和郡山市の池之内町、小南町、豊浦町、小泉町(東)、万願寺町、小林町(北)に田中町。

大和中央道沿い。

道路を挟む東・西に広がる地域。

奈良県の主な無花果生産地
であり、無花果を栽培している畑地に敷く藁土の乾燥を防ぐ用途であった。

生産地は、他に明日香村とか下市町もあるが、藁積みタイプはみない。

平成30年(2018)12月8日に聞いた一般市民の問い合わせから、「ジンド」名称を調べてきたが、未だ奈良市内にあったとされる同名のカタチは見つかっていない。

さて、今日の本題は、屋根付き家型藁積みを設置していた田主のUさん家族が稲刈りをする作業を拝見することにある。

U家の稲刈り作業は、朝の9時ころから正午時間になるようだ、と聞いていた。

そちらに着くのは、早くても午前10時半ころ。

そのころであれば、稲刈りから稲架け作業。

干す行為を主に見せていただきます、と伝えていた。

ここ池之内の集落はおよそ100戸。

北・南・中垣内他、垣内集落であるが、ハザカケをしているのは、U家含めて3軒。

かつては、もっと多くの農家さんがしてそうだが・・

稲の育成状態に例年とは異なる状況になるかもしれない。

そう思って作業される予定日の1週間前に電話を入れた。

「今年は、土曜日の9日に日曜の10日。前日の9日は、別にしている田の稲刈りやから10日に来てもらったらえー。ただ、露が降りたときは、稲は少しでも乾かさんとあかんから、そのときは午前10時からはじめる。子どもたちも手伝う稲刈りに、“ハデクミ”は、お昼前後になるから、午前11時に来てくれたらえーやろ」と伝えてくれた。

到着した時間は午前10時半。



稲刈りに稲架け作業は、あの小屋の近くしているから、と聞いていた。

たぶんこの小屋の向こう側。

車を停めて歩いていったそこに家族さんが作業中。



稲架けはかなりの数量である。

数列に並んだ稲架けは、終盤に近いのでは、と思った。

のこのこ近づきながら撮影していたら、そこはお隣さんです、と声が聞こえた。

そうなんだ。

手前の稲架けは、お隣さん。

その向こう側がU家です、と教えてもらって、一歩、二歩、足を進めた。

稲刈りは一条刈りの自動藁括り付きの小型バインダー。



この田のすべてを刈り取り、稲架けも終えた田だった。



その向こうにおられたのが、Uさんとその家族。

手前に見た一条刈りの自動藁括り付きの小型バインダーが刈り取った稲束を田にいっぱい広げていた。

逆方角の西にあたる山々は葛城山系。



右手が葛城山で左手が金剛山。

冬場に登った耐寒訓練。

大阪府立の東住吉工業高校に在学中は、必ずや登る積雪山の金剛山。

我が家は貧しく、アイゼンさえ買えなかった家の事情。

アイゼンなき生徒は、その代わりに草鞋、ではなく、運動靴に滑り止め。

荒縄をくくって大阪・千早口から登った。

衣服は工業高校そのものがわかる上下の作業服。

今と違って、寒い、冷たい耐寒訓練。

衣服は冬用でもない、普段は学校で旋盤や鋳物加工などの学習に着ていたオールシーズン用途の作業服。

防水、防寒なんてまったくない時代の作業服。

雪が解けて運動靴がぐちゅぐちゅ。

次の年度は、ゴム長靴に替えたが、衣服も荒縄も同じ。

昭和40年半ばの高校生の時代を思い出す。

そのことは、ともかく池之内の稲刈り作業にできる限り、写真を撮らせてもらう。

そうこうしているうちにはじまった稲架けの組み立て。

77歳だ、という田主のUさん。

三本の木材で組んだ「ウマ」。

長い竿の長さに合わせて組んでいく。



斜めに打ち込む脚は3本。

組んだ「ウマ」に、水平に一本の竿を据えていく。

打ち込む道具は、農の営みに欠かせない槌。



重さがあるから、振り上げては脚支柱を打ち込み。

こうして出来上がった稲架けの構造物を「カコ」と呼ぶ。

「カコ」の端っこは、3本脚。

そう、いわゆる三脚構造である。

長く伸ばして、竿を継ぎ足す脚は2本。

U家の稲作地は、300坪の一反の広さ。

作付けは、奈良では必ず言われる「ヒノヒカリ」。

圧倒的に多いヒノヒカリ
である。

休みの日に手伝ってくれる息子に娘家族。

孫も一緒に、みなが手伝うU家の稲刈り作業。



柿も色づく時季の稲刈りに家族総出で取り組んでいた。

東の端まで架けたハデカケ作業。



まだまだ架けなきゃならない束がいっぱい並べている。

ハデカケに、母親がしていた稲束は2;8割り。



割ってはかけ、次の束は8;2に割って交互に架けていく。

こうして架けていく、と荷重が安定し、隙間なく詰められるのだ。

地域や、人によってその割合は、それぞれ。

これまで、私がみてきた架ける割合は、3;7分けもあるし、4;6分けも。

とにかく、5;5分けの等分はない。

あれば、その行為は農家さんでなく、にわか農家であろう。



母親とともに作業する息子さん。



孫とともに作業する娘家族。



呼吸もぴったり合わせて架けていく。



その姿も撮っておきたい家族のカタチ。



ハデカケは10日間から2週間ほどの天日干し。

そうすれば、お米が甘くなると、どこも同じ。

農家さんが話してくれた天日干し効果を思いだす。

天日干しが終わればウスヒキ(※臼挽き籾摺臼・木摺臼・土摺臼)。

籾取りから玄米に。

かつては池之内も牛耕だった。

牛から移り替わった耕運機。

大きな家が、耕運機を所有し、みなが集合するか、あふれた家は家にもっていって耕していた。

ハデカケに干した稲藁を欲しい人は、スイカとか、つる性の成りもの畑地栽培に敷いたり、藁が腐ったりしたら肥料にするし、籾は焼いて燻蒸し、土壌を改良する燻炭になる。

余すことなく再利用している農のSDGs。

隣の田もハデカケをしていたが、高齢化にともない土地は放置せざるを得なくなり、畑地に転化し。

桃とか蜜柑を植えていたが・・・

現在はシルバー人材に来てもらって雑草を刈り取り。

池之内の西にもハデカケしているから見ておくといい、と云われて車に乗り込んだ。

ちなみにこちら池之内では「カコ」と呼んでいる稲架けの木製構造物。

大淀町・大岩に住む知人のKさんは、池之内と同じように「カコ」と呼んでいた



また、Kさんもご存じの高取町・丹生谷に住むNさんも同じように「カコ」と呼んでいた。

かつて取材した明日香村の上(かむら)在住のFさんが話していた「カコ」



また、和歌山ではこれを「ナル」と呼んでいる、と娘さんが話してくれた。



和歌山在住の知人も、稲架掛け材の丸太を「ナル」と呼んでいた

ところ代われば、名称も替わる事例である。



取材から、二日後の12日。

近畿農政局が発表した今年のコメ作柄は平年並みの見通しがたったという。

ただ、主食用の米は、新型コロナの影響などで在庫が膨らんでいるようだ。

また、昨年は、害虫のトビイロウンカによって大打撃を受けた地域も多かったが、収穫量は前年よりも27キロ増加であるが、現状は平年並みのようだ。

なお、本編のトップ画像は、稲刈り終えたU家の田に咲いていた花はサクラタデ。

タデ科の仲間のうち、私が思う最も可憐で美しい。

参加していた自然観察会に見た大和郡山・矢田山の山麓以来。

滅多に遭遇しない花だけに撮っておいた。

(R3.10.10 EOS7D 撮影)

大和高田市奥田・N家の独り作業の稲架けにイノコのデンゴロモチ詞章を知る

2024年01月17日 08時53分25秒 | 民俗あれこれ(干す編)
御所・池之内のハデカケを撮影してきた

ときには、時間的に余裕ができたこの日。

休憩を兼ねて入店した道の駅御所の郷

とっておきの買い物を済ませても、夕刻までの時間は、まだまだ余裕がある。

こういうときこそ、ぶらぶら探してみたい暮らしの民俗。

御所市内を外れたこの地は初めてだ。

奈良県の平坦部から東の山々を眺め、御所の葛城山とも離れてきた。

東の山、西の山の稜線さえわかれば、だいたいの位置はわかるが・・

カーナビゲーションが示す、ここは大和高田市の西の端。

葛城市からみれば、東の端。

走行していた国道24号線・忍海辺りの信号を東に向けて曲がったのであろう。

どの道を走行してきたのか、途中経過がさっぱり記憶にない。

集落は見えるが、近場ではない。

今は、時期が時期だけに、稲刈り作業中の田園を探していた。

ここ奥田の田園地付近に停車した時間帯は午後2時40分だった。

ハゼカケもあるから稲刈りは、もう済んでいたのだろう。

そのハザカケに一人の男性の動き。

二条刈りの小型バインダーで刈り取った稲を、するするっと藁束にしてくれるバインダー。



ぽん、ぽん、ハザの近場に置いていく。

ここも同じように、掴んだ藁束を分割。

3割、7割分け、或いは4割、6割分けに順次架けていく様子がよくわかる、その動きは交互に。

3割、7割分けなら、次は7割、3割分けの藁束を架ける。

こうしておけば、隙間なく、しかも崩れにくい架け方。

男性がしていた作業をしばらく見ていた。

見ていた場に近づいてこられたので、そのときにお声かけ。



撮影、聞き取りなどの承諾を得て緊急取材。

昭和27年生まれのNさんの実家は、そこ、だという。

稲作、畑作仕事ができなくなった老親。

年老いた親の代わりにNさんが作業する稲田の耕作地。

所有する土地は、そんなに広くはないが、田んぼはそのままにしたくない。

自動走行する稲刈りに、自動藁束止めのこの農機は、重労働を支援してくれる。

なんせ、お一人でされている一連の農作業だけに助かる二条刈りの小型バインダー農機。

「カコ」の呼び名をもつ構造物。

木材を組んで、縦一列の稲架け。

朝7時からはじめた農作業。

午後3時のこの時間帯。

中央を残して周囲すべてに稲架けを済ませたい。

刈り取った稲束は天日干し。

甘くて、ふっくらなご飯が炊ける天日干し

「カコ」は、2段に稲架け。

田んぼに広げた農機が刈り取った束を集めて、「カコ」に架ける。

その繰り返しに、2段目も被せるように架ける。

残りは後日。

設備の準備や、片付けもいれた通しの4日間。

すべてが一人作業なだけに4日間もかかる。

ちなみに稲架けする構造物を「カコ」と、呼ぶ地域は多い。

平成29年の1月15日の民俗取材

小正月に小豆粥を枇杷の葉にのせて巡拝していた明日香村・上(かむら)のFさんが話していた「カコ」。

3本脚を組み、水平に据えた稲架け道具を、そう呼んでいた。

また、本日の午前中に取材していた御所市・池之内のU家も同じく、呼称は「カコ」。

大淀町・大岩に住む知人のKさんに、高取町丹生谷のNさんも、そろって「カコ」と呼んでいた、と伝えてくれた。

広範囲に亘る「カコ」の名称。

奈良県北部や東山間地の地域では聞いたことがない。

十津川村や五條市・旧大塔村だった永谷などでは「ハダ」・「ハデ」、「ハゼ」。

地域によって呼称はそれぞれ。

なぜにそのようになったのかわからないが、地域的な生活文化面が寄与している、としか思えない。

話題は、大和高田市奥田のNさんの語りに戻そう。

昨年は中国大陸南部の国、ベトナムデルタ域から風にのって飛来したウンカにやられたが、微々たる領域に収穫はほぼ確保できた。

それでもウンカ被害に見舞われた、と申請したら補助金が出た。

収穫したお米は、野球部活動する2人の孫がほとんど食べてしまう。

そういえば、こんなことをしていたな、と回顧してくれた貴重な詞章。

子供のころにしていた、と突然に思い出した詞章は、「ここのよめさんいつもろた3月3日に・・・」。

いわゆる、亥の子行事に囃していた「デンゴロモチ」の詞章である。

おじいさんがつくった「デンゴロモチ」と呼ぶ藁束。

子どもたちはその藁束を手にして、地面を叩いていた時代。

60年も前のようだ。

集落をめぐり、各家から菓子などをもらっていた、と話してくれた。

Nさんが10歳くらいのころ。

集落の子たちとともに行動していた亥の子行事。

一部ではあるが、今でも記憶に遺っているのもすごい。

当時の体験は、おそらく対象年齢を卒業するまでであったろう。

「ここのよめさんいつもろた3月3日に・・・」の詞章。

現在は、実施されていないが、かつて行動していた明日香村・下畑の事例にあてはまる。

「いのこのばんに おもちつかんいえに はしでいえたて かやでやねふき うしのくそでかべぬって ここのよめさんいつもらう 三月三日のあさもらう」であった。

村史によれば、檜前(ひのくま)は「亥の子の晩に 餅つかん家は 箸でいえ建てて 馬のフンで壁塗って ボボの毛で屋根葺いて ここの嫁さんいつもろた 三月三日の朝もろた イワシ三匹 酒五合 しんまい藁で祝うたろう もうひとつおまけに祝うたろか」と、囃す。

近隣の上平田の詞章は、「いのこのばんに もちつくいえは はしのいえたてて うまのけで やねふいて ここのよめさん いつもろた 三月三日のあさもろた いわし三匹 さけ五合 しんまいわらで いおてやる」

越は「いのこのばんに もちのつかんいえは はしのいえをたてて うまのくそで やねふいて しんまいわらでいおてやろ ここのよめさんいつもろた 三月三日のあさもろた いわし三匹 さけ五合 しんまいわらで いおてやろ」

しかも、である。

Nさんが体験した「デンゴロモチ」と呼ぶ藁束の名称が明日香村の上平田、越にもみられるし、高取町の森も同じ。

同町の佐田とか、大淀町の上比曽もほぼ同じ
だが、3月3日であったり、正月の3日とか、5月3日の事例もある。

日付けの違いとか、前後の囃し詞の違いは、地域性な訛りに多少の変化がついた、ということだろう。

亥の子行事は、大和高田市だけでなく明日香村や大淀町。

高取町にもあった、ということだ。

・・・あと少しの作業に、飲み干す一杯が潤す喉の渇き。

すぐ近くに設置している自動販売機にあった飲み物を購入し、のどを潤してから、またひと仕事。

雨が降るとの予報にもう少しの作業。

自宅に戻って、ひと風呂浴びて、一杯飲んだらぐっすり寝てしまう。

疲れは就寝でとれる。

朝になったらスッキリする、この4日間の農作業。

定年退職後も勤めている業務用エアコンの会社。

大阪府警に常駐する維持管理の仕事にも携わっている、と・・・

難しい仕事でもないが、維持管理に目が離せない。

そうはいっても事業所に連絡するだけやから、と笑っていた。

(R3.10.10 EOS7D/SB805SH 撮影)

御所池之内・西のハデカケ

2024年01月16日 07時16分22秒 | 民俗あれこれ(干す編)
御所市池之内のハデカケ作業を拝見していた時間帯は午前10時半ころから正午時間を過ぎたころ。

ぐうぐういいだしたお腹を満たすために探した食事処。

南の戸毛にあった台湾料理店


ほっこり食べて、再びやってきた池之内。

ハデカケ作業中に教えてくださったUさん。

池之内集落は広い。ここは集落から東の地にもハデカケがある。

こっちにしている戸数は少ないが、西は戸数が多い。

見ておいた方がいい、と紹介してくれた西のハデカケ。

距離は、すぐ近くにしている西のハデカケ。

到着した時間は、午後1時半。

えらく遅くなったのは、距離ではなくUさんの娘婿との会話が、盛りに盛り上がったからだ。

民俗話題が広がる体験談などの話しに気がついたら・・・

たしかにここ、西の地は景色も拡がる。

向こうに見える山々は、右に葛城山系。

左に金剛山が並ぶ景観地。

その麓を走る京奈和道。

平行線上に稔りの稲穂も並行する。



さらに、線上にあるのが太陽光発電の無機質な構造物。

その下に横並びのハデカケ。

線上に並んだそれぞれが美しく輝く。

欲をいえば、午前中の時間帯が望ましい。

それも昇る朝日がさす頃の時間帯。



少し、右寄りに移動したそこに柿の実成り。

色の変化はまだまだ先の柿の色具合。

熟すには、数週間は待たないと・・・

そこから見ていたハデカケ。

その奥に見た農機。

稲刈りするとともに袋詰めしてくれるコンバイン・バインダー


農機近くに人の動きが見えた午後1時40分。



お昼の時間を済ませて、再び作業をはじめた農家さん。

手前のハザカケにはまだ人の動きがみられない。

それぞれのお家の事情による時間帯なのだろう。

(R3.10.10 EOS7D 撮影)

十津川山天・ハデ調査から山天のむこだましに出合えた②

2023年12月31日 07時51分28秒 | 民俗あれこれ(干す編)
旦那さんが設営してくれた自家製手つくりの介護用手すり。

今の暮らしにとても役立っているのよ、と話していたIさん。

そのとき、粟刈りするから、とやってきた隣の奥さん。

名前を聞いて思い出した昼めし旅の映像に出演していたMさん。

たしか、NHKのえぇトコにも出演されたときは84歳。

現在は88歳になられたMさん。

テレビで見ていた姿、声、しゃべり方に特徴がある。

その声質にしゃべりは、大和八木西口に住んでいた叔母を思い起こしたほど、よく似ている。

山天にもう一人。

85歳になるという女性とは会えなかったが、その3人。

顔がそろったら、さんばば(※三婆)やと、自ら答えて笑っていた。

季節、時季に応じて、さんばばがつくる郷土料理が、むこだまし餅。

自家栽培の高菜で包むめはり寿司。

3人が顔を揃えたら賑やかに女子会。

おしゃべりに炊いたおかずを分け合って
・・

さぁ、これから粟狩りに行くで、と誘ってくれたMさん。

ひょいひょい登っていくお家までの階段。



その下に干していたハデを見ながら・・。

門下にあった農小屋に軽トラ。

どこから入れたのだろうか。

それより気になる粟干し。

束くくりの形はI家と同じ。

ふわふわ、もふもふのかわいい人形の材料になりそうな白粟の穂。

グラム、なんぼで、ネットに売っている白粟の穂。

ペット飼いのインコなど鳥のエサ用に販売しているようだ。

ふわふわ、もふもふのように見えた白粟の穂を、ずっと見ている時間はない。

先に、自宅に戻られたMさんは、どこに・・・



塀から向こうに垂れる実りの色の柿。

たわわに実るその景観に見惚れている場合じゃない。

表から声を揚げて呼んだMさん。

ふと、見た玄関の左にある道具。



まさに、それは牛繋ぎの鉄輪であろう。

遅かったな。

身支度できたから、さぁ行こか。

裏口から抜けたそこは稲刈りの跡。

右手に見た瞬間に身震いした景観。



まさに昼めし旅で見た景観そのもの。

故郷に帰ってきたかのような情景に心が震える。

先を行くMさん。

粟刈りに一荷の籠を背負ってひょいひょい、ひょい。

とても88歳とは思えない身軽さ。

坂になっている畑の栽培は大根、大豆にキャベツ、紫蘇など多品種。

独りでしているというMさん。



ハデの稲架け作業は家族さんがされたそうだ。

粟栽培の場は、いちだんと高い。

午後3時から山影に隠れる山天の地。

ハデを構築する理由は、いち早く陰になるから・・・。

ここから眺める山天の空。

星が落ちてきそうな夜空が想像できよう。

数本掴んだむこだまし(粟)の穂。



ばさっとまとめて鎌で刈る。

刈ってすぐに籠収め。

ちゃちゃっと刈って移動する。

また、刈って奥へ。

奥へ、奥へと移動しながら粟刈り。

5分ほどで一荷籠が満杯になった。



粟刈り一荷背負い籠。

刈ったむこだまし(粟)。

一荷背負って戻ってきたMさん。

このときの時間は、午後3時10分。

ハデ場に架けた稲架け。

陰があっという間に広がっていく。

昔の映像に見た、まるで原風景を思い起こす情景にMさんの恰好が馴染んでいる。

現役の唐箕などを保管する小屋に収穫したむこだまし(粟)を広げる。

5~6穂くらいを掴んで束にする。



ばらけないように括る道具は、履き捨ての靴下。

全部でなく、足首を締める口ゴム部だけを利用する。

くるくる、くるっと巻いて、きゅっと締めた1束。

軸はバチっと鋏で切断して一丁上がり。

もう一束つくって、2束括り。

その状態で干しているようだ。

なんせ、早業。

目にも止まらない早さでちゃちゃっと仕上げるMさん。

小屋は暗がりだったと気づいたときはもう遅い。

携帯画像では、もやもやぶれぶれになった。

気がついたら時間は、午後3時20分。

午後4時には帰る、と伝えて自宅を出発しただけに焦る、焦る。

そこに腰かけてゆっくりしてや、と云われても家には介護の母親が・・。

無理をいって、場を離れたが、ほんとお二人とも温かいもてなしに、また来たくなる山天。

尋ねたい民俗、まだまだありそうで・・。

初めて山天のハデを拝見したきっかけにまた、お伺いするつもりだ。

Iさんが、持って帰りといわれて受け取ったふかしサツマイモにりんご100%缶。



カボチャが1玉にキュウリは2本。

帰りの道中にりんごだけでは喉が渇くやろ、と追加に三ツ矢サイダー。

せっかくやからポケットに入れて帰りと、Mさんからは、疲れときに甘いドーナツも・・。



ほんとにありがとう。

集落を下った地にもあったハデ場。

神納川に近い場にもあったが、干した形跡はないようだ。

帰り道立ち寄りたかった、隣村の内野も予定していが、山天に長居してしまった関係で時間不足。

別途、機会を設けて再訪するつもりだが、さていつになるやら・・。

ここ山天の他、十津川村にある多段型稲架けのあり方を取材してきた地域は、滝川、内原、谷瀬、宇宮原がある。

ネット調べではあるが、まだまだあるとわかってきた多段型稲架け地域。

取材したい候補地は、桑畑、上湯川(出谷殿井・七色)、沼田原などであるが、隣接する和歌山県寄りに近い地域に切畑の土河原にもあるらしい。

年に一度は調査に訪れたいが、稲架けの時季に一致するかどうかは、わからない。



桑畑ハサガケ・・朝日新聞 

上湯川(出谷殿井ハデ、七色・(和歌山の切畑土河原)・・ 

限界集落 十津川ハゼ・・

沼田原 十津川信ちゃん農家民宿・・

なお、後日に食べたカボチャ。



めちゃ旨い。

家族も喜ぶもらいもの、ありがとう。

(R3.10. 2、 8 SB805SH 撮影)

十津川山天・ハデ調査から山天のむこだましに出合えた①

2023年12月30日 08時12分35秒 | 民俗あれこれ(干す編)
何枚か撮った十津川村山天(やまてん)の多段型稲架け。

目的は、一応終わった。

停めた車に乗って帰宅・・・のつもりだったが・・。

まさか、まさかの干し物がある。

車を停めさせてもらった場所にあった干し物。

風物詩のように、木製の竿に吊っている、これってなんぞえ?。

たぶんに初めて実物を見た・・粟?。

後ほどお会いした高齢女性が教えてくれた「むこだまし」の名で呼ぶ粟だった。

駐車場の外。



竿の隙間から見える向こう側に、栽培地がある。

先っぽに見えるふわっとしたモノ。

重さで首を垂れているそれが「むこだまし」と呼んでいる粟の実だ。

近くに栽培している農家さんがいるようだ。

すぐ横に建ててある作業小屋。



日差しに光る黄色い干し物に眩しくて、目が点に・・

天井近くにも吊ってあったそれも粟?。



黒いけど粟?下にあった黄色いのはトモウロコシ?。

訪ねたお家は83歳のIさん。

むこだましに使う原材料などを干している、という。



正体はむこだましとも呼ばれる白粟

一般的に粟といえば黄色であるが、むこだましは白粟。

食べ物用語辞典によれば、ここ十津川村・山天や富山県などの地域で栽培されているそうだ。

粘り気があるむこだましは、搗くと餅のようになり、お婿さんが騙されるほど・・ということから名が付いたようだ。

黒いのんは、タカキビとも呼ぶトウキビ。

隅っこの暗がりにあったから携帯画像ではもやっとしてしまった。

光る黄色いのはトウモロコシと思ったが、それはナンバキビ。

十津川村・在来種の「十津川なんば」
だそうだ。

昔、私の祖母は、トウモロコシをナンバキビ、或はトウキビと云ってたことを思い出したが、粟は初めてだ。

写真映像ではわかりにくい。

粟が、こんなにふわふわした触感の植物だったとは・・・。

Iさんの出里は、十津川村の西川。

県指定文化財の大踊り
が、コロナで衰退せんように保存会を立ち上げたとか・‥。

つい2週間前の9月21日は芋名月だった。

かつては芋洗いもしていた。

自家栽培のコイモ洗い。

木の桶に水を汲んでXの字にした長い木。

左右、両手掴みにコイモごろごろ。

ごろごろ芋洗いしていた。

芋名月に芋たばりがあった。

山天はとうにしなくなったが、川津では今もしているようだ。

また、豆名月もしていた。

栽培した大豆だけをとって名月に供えていた。

大豆は作らへんようになったから、今はもうしていない、と話す。



オチエン(※腰掛ける場)にススキを立てて、膳をだす。

お月さんに家の畑で栽培したサツマイモをふかして供えていた、という。

おおみや(※大宮)と呼ぶ山天の氏神さんの祭りに一斗の甘酒を奉った。

甘酒まつりと呼ぶ山天の行事は、2軒がトーヤ務めをしていた。

そういえば名月のときに供えたふかしたサツマイモがある、という。



冷凍しているから、チンして食べて、といきなりのもてなしお接待。



初めて訪問したIさんの心遣いが嬉しい。

テレビが放映していた「家ついていっていいですか」の番組に栃木のカンピョウ祭り。

その映像に民俗の一コマが・・。

映像は、ポリバケツで洗う芋洗い。

その映像を観ていた95歳のおふくろが若いときに体験した遠い記憶が蘇った。

大阪富田林(とんだばやし)・滝谷不動駅近くにあった生家。

茅葺家民家が母屋だった。

正月前の父親は、いつも木桶に栽培したドロイモ(※里芋)を入れて芋洗いをしていた、と・・。

皮ごと入れたドロイモ。

水浸しのバケツに突っ込んだ板一枚を持って、左右に振りながらコネコネ。

それが芋洗いだった。

正月の雑煮に入れるドロイモもそうだがお皿いっぱいに芋を盛って食べていた。

また、お月見のときも同じように芋洗いをしていた。

奇麗になった芋を供えていた。

記憶が鮮明に蘇ったのだろう。

思わずメモったおふくろの芋洗い記憶。

今はもう見ることのない芋洗い民俗が、まさか母親も体験していたとは・・・

山天にやってくる移動販売は昨年に始まった。

一週間おきに来る販売は同村の平谷から。

通所している介護施設は、ここから1時間以上もかかる。

施設のデイサービスに行けば、お友達もいっぱい。



お外の畑地に栽培しているタカキビも見せてくれた。

(R3.10. 2 SB805SH 撮影)

山天に出会った干しもの民俗

2023年12月29日 08時27分24秒 | 民俗あれこれ(干す編)
10月2日、台風一過の晴れの日を狙って十津川村の山天(やまてん)に出かけた。

関東で放送されている「昼めし旅~あなたのご飯見せてください~」番組がある。

製作・放送はテレビ東京。

関東の放送から約3カ月遅れの映像を奈良テレビで見ている。

平成30年10月22日に放映された映像は十津川村だった。

紹介される地域は圧倒的に関東が多い中、稀に近畿圏を旅する昼めし旅。

一般市民が食する昼めしに、学ぶこと度々ある。

愉しみは何度も見たいし、見逃さないように録画している。

このときの旅人は俳優の山下真司。

スタッフが運転する車に乗って移動した地が山天(やまてん)だった。

その放送のサブタイトルは『日本一SP!84歳パワフルおばぁの元気めし』。

その旅のドキュメントがネットにある。

放送映像に見た山天の景観に、なんと多段型のハザカケがあった。

ちらっと映ったそれは稲架けの状態でなく、木製の構造物だけがぽつんとあった。

山下真司が山天に出会った高齢な女性は風雨で倒れた稲を起こしていた。

苦労されている女性を見かねて支援に立ちあがった山下真司も稲起こし。

そのお礼に、女性は昼めしをつくって撮影スタッフ一堂にご馳走をふるまっていた。

直に拝見したい山天の多段型稲架けの構造物。

標高500mとされる高地性地域の山天

構造物がどのような位置に建てているのか、一度は見たいと思っていた。

それから数年経った今年。

知人のMさんが、山天の地に訪れていた。

お友達がお住いの山天に多段型の稲架け作業。

「深い山村の暮らしを垣間見た稲刈りに稲架け」の映像は、テレビで見た場所ではなさそうに見えたが、今でも干した状態があるなら・・・・。

高まる気持ちに、Mさんにメールで伝えた「稲刈りは上三段、下四段は一週間前かな?ここは何処ですか?」。

教えてもらったのが山天。

3年前に観たテレビ映像と場所が一致した。

時を逃しては、干した稲も下ろされる。

下ろす前に、是非とも現状を拝見したく、家を出た。

実は、山天には行ったことがない。

所在地はどこであるのやらまったく存じていない。

地図で調べた山天は、谷瀬の吊り橋から、まだ先の南方面。

風屋ダムのもっと手前。



川津から分かれの十津川支流の神納川(かんのがわ)に・・。

三叉路から8km先は、世界遺産・熊野街道の小辺路。

案内標識によれば、三浦口登山口に着くようだ。

十津川情報によれば、登山口がある三浦集落は、石畳に美しい棚田があるらしい
が、私の目的地はもっと手前にある山天集落。

川津・三叉路に手入れが行き届いている公衆トイレがある。



登山客、ハイカーらは用足しに助かっているだろう。

見知らぬ道。

くねくねする和歌山まで届く旧街道。

ハイカーらしき人が歩いていた。

左に山駆け道がある三叉路。



目的地に向かう道は、さてどっち?

停車して確認した熊野参詣道・小辺路に向かう右行き選択。

そのとき、突然現れた大きな車体のダンプ。

伐った木材運搬なのか、土砂運搬なのか・・・。

何台か、交わした狭いカーブ道。

飛ばす運転は危険行為だと思った。

県道川津高野線をしばらく走ると、右手に視界が広がる地に出た。

〇にHマークはヘリポートの離発着地。



ここ内野地区のヘリポート用途は、第一に避難場所。

洪水、土砂災害、火災などの場合、近隣住民の避難行動に稼動する
ようだ。

向こう側に建つ数軒の民家は内野の集落。

ここもまた、山下真司が山天に続いて訪れた昼めし旅。

山天の映像に見た多段型稲架け構造物もあった。

今日は、余裕時間もなく、民俗調査は次回訪問の機会を待つことにした。

山天はすぐそこだ。

神納川に架かる橋を渡った地は山天口。

右手に見える登り口。

急な坂道を行けばそこが山天集落。

左手の道を行けば三浦口・五百瀬に着く。



ところで神納川は、渓流釣りの場として有名だ。

かつて渓流釣りにはまった時代があった。

奈良、兵庫、岐阜。ドライブがてらに走ったこともあるが、神納川は初めての地。

本流よりも渓谷の支流が狙い
、といいたとこだが、今じゃすっかり釣る気も抜けている。

山天口からは急坂。

フロントガラスから見えるのは青空ばかり。

右手に崖。ヒヤヒヤしながら登っていく。

狭い道に、狭い曲がり角であっても、乗用する軽バン車からは道が見える。

安心は禁物。

そろそろ登ったそこに・・・。

思わず車を停めてサイドブレーキを足踏みロック。



右手に向こうに見えた集落民家。

あそこが山天だろう。

昼めし旅に出演していた山下真司は、その景観をみて「(※南米の)マチュピチュみたい」とコメントした。

テレビでよく紹介される「マチュピチュみたい」なところは、各地に・・・。

なんといっても兵庫県朝来市にある竹田城跡。

後続に、うちも、うちもと名乗りをあげる始末に・・。

元会社の後輩が、旅行に行くと云った行先は、マチュピチュ・・・。

そりゃぁ、竹田城跡だろが


そのことはともかく、日当たりの良い民家の壁前に、木材を格子状に組んだ構造物が見える。

まさにここが山天である。

山天集落の入り口はこっちだろうと思って登ってきた。

急に広がったところに建つ民家。

1軒、2軒・・・奥の方にも見える民家がある山天集落。

車が入れる範囲まで突き進んだそこにあった屋根付きの多段型稲架け。

念願の多段型稲架けがここにあった。



稲刈りも稲架けもしていた人はMさんのお友達。

7段に架ける稲架け作業は2人がかり。

一人は、架けた梯子に登ったまま稲干し。

いちいち降りて稲束を架けるのではなく、下におられるもう一人が下から稲束を放り投げて、梯子に登った人が、空中でがっちり掴む。

掴んだ稲束を太い木の竿に架ける。

その作業を繰り返す情景を、Mさんが伝えていた。

9月20日に架けた稲の色は葉も茎も緑色。

それ以前に架けた稲の色は茶色。

2種類でわかる日程差。

私が訪れた10月2日は、すべてが茶色。

そろそろ下ろす時期にきていると思われた。

(R3.10. 2 SB805SH 撮影)