マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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白石町・国津神社の門松立て・勧請縄

2020年07月31日 09時22分15秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
長谷町のT家の習俗を取材し、午前中の時間に余裕が生まれた。

宛てもなく、さてどこへ行こうか。

時間の許す限りの民俗散策に立ち寄った奈良市白石町・国津神社。

伺ったこの日にされていた門松立て。

朝早くに集まった宮守さんらが立てた門松。

先に拝見した場は祓戸社。

両手を拡げたように見える立派な松の形に圧倒される。

門松飾りは松、竹、梅のほか赤い実を付けた南天に葉物の葉ボタンもある。



拝殿前に設えた門松も出来上がった。

時間帯は午前11時過ぎ。



砂利を敷いている境内に落ちた樹木の葉や作業にこぼれた屑塵などを掃いて奇麗にしていた。

翌年に迎える国津神社の元旦祭。

正月三が日過ぎの日曜日に行なわれる初行事がある。

今年の夏、辻村商店の奥さんから聞いた初祈祷のオコナイ。

お寺さんはすぐ近くにある融通念仏宗派興善寺。

神社・社務所内で行われる神宮寺行事と云われる初祈祷は僧侶とともにあげる般若心経中にランジョー所作をされるようだ。

宮守さんに取材許諾し、どうぞ良い御年を、と挨拶して場を離れた。

次の行先は、宮守さんらが、先に済ませたという勧請縄かけの場。

その場は、雪が積もった平成27年1月3日に来たことがあるからすぐわかる。



集落辻にかけた勧請縄を見上げる。

大木間にかけた一本の綱。

ロープのように見える勧請縄であるが、印しが見つからない。

実は、平成27年1月1日にも立ち寄っていた。

その1月1日にも見つからなかった印しが、再訪した3日はくっきりはっきり鮮明に見えた。

そんなことがある不思議な勧請縄。



本日も、目を凝らして探してみたが見つからなかった

(H30.12.25 SB932SH撮影)
(H30.12.25 EOS7D撮影)

鹿路・民家の施餓鬼旗

2020年07月30日 09時41分13秒 | 民俗あれこれ
訪問先は桜井市の鹿路。

3年前に撮らせてもらった写真渡しに訪れた元区長家。

奥さんと母親が話す鹿路の年中行事に、これって何・・・。

玄関前の植栽に見たことのないような・・・串刺しがある。

これは施餓鬼の旗では、と尋ねたらまさにそうであった。

お寺さんに法要してもらって立てた施餓鬼の旗は虫除けのまじない。

思い出したのは山梨出身の送迎患者さんが話していた施餓鬼の虫除けである。

当時83歳の女性が話していた山梨の虫除け民俗の聞き取りを記録していた。

「甲府では施餓鬼の幡を地蔵盆で参った人がダイコンの葉が虫にくわれんようにと畑に立てる。甲府といっても静岡寄りやから幡を立てるかもと。にゃあにゃあ弁は静岡の漁師町のことば。甲府では赤ん坊を“ボコ”と呼ぶ。幡は施餓鬼と同じ色紙を使う。甲府ではひ孫を“ヒコ”と呼ぶ。甲府では山にあるヒノキを伐採してコイノボリの支柱を立てる。嫁の出里からの祝いの品で葉つきでなく羽根車だった。甲府のコイノボリ支柱はヒノキまたはスギだが葉はつけることなく矢車だった。1月13日、団子をくっつけた葉・枝を大黒柱に縛り付ける。1月15日はトンド。枯れたカシワの枝に団子を刺す。1月18日、馬頭観音・山の神に団子1個を挿して供える。18日は風に当たらないようにそれまでに外す。団子は焼いて食べる。1月11日は田打ちで朝にカヤクゴハンを炊いて料理していた。1月18日は山の神さん。団子を供える」と・・・。

山梨県が出里の写真家Kさんもまた施餓鬼の旗は虫除けに、とか言っていたような気がする。

8月18日の施餓鬼、さっそく取材願いを・・・。

お寺さんが来られるのは午前中の朝の早い時間帯。

是非とも伺いたい施餓鬼の民俗。

ふつふつと興味が湧いてくる施餓鬼旗である。

また、鹿路の年中行事もまた興味を惹かれる。

3月15日は涅槃さん。

彼岸の中日さんは現在建て替え工事中の融通念仏宗派鹿路薬師寺で春の彼岸。

4月9日は大阪・平野大念仏来られる大和ご回在。

同月21日はお大師さんに“おつき八日”。

特別気になる“おつき八日”である。

8月19日は、“十八酒”の名がある元服式。

9月2日は、天一神社の大祭。

“かん祭”の名がある。

(H30.12.25 EOS7D撮影)

上・F家の庚申さんのさなぶり参り

2020年07月29日 09時17分47秒 | 明日香村へ
ナワシロジマイ(※苗代終い)の“家さなぶり”をされたF子さん。

これから庚申さんに行きましょう、と声がかかったが、高齢のF子さんは杖を要する身体。

昨年も拝見した庚申さんのさなぶり参り。

そのときも杖をついて歩いていたF子さんであるが、この年は、昨年同様の動きは難しい。

歩くのも難儀するお身体に、御供運びのお手伝い。

息子さんのFさんは、田植え作業を終えた後片付けが忙しい。

作業中の息子さんに手伝いの承諾を得て協力する。

お手伝いは、庚申さんに供えるお盆載せの三把の苗さん。

先ほど、三宝荒神さんに供えた一式である。

洗米にお神酒を持っていく。

距離はそれほど遠くないが、登坂の勾配がキツい。

息切れどころか、心拍数が一気に沸騰するくらいの急坂の向こうに石塔の庚申さんがある。

かつて上(かむら)のいちばん上になる上出垣内の4軒の講中でしていた庚申講の営み。

それぞれが家の田植えを終えたら、F家と同じように三宝荒神さんに供えた苗さんを持って庚申さんに供えていたそうだ。

F家よりまだ上に建つお家は3軒。

うち2軒が庚申石塔の前に建つ。

広い場の崖近くにある庚申さんは、階段の登ったところである。

とてもじゃないが、F子さんには登れない参拝地。

昨年と同じように頼まれて三把の苗さんを供える。

洗米を並べて中央にお神酒を供える。

花立ては四カ所。

家に咲いていた紫陽花に、カスミソウと黄色い花を立てて、灯明と線香の火付け。

弱い風に吹かれた蝋燭の火が消えそうになる。

そっと手を合してお念仏を唱えるF子さん。



静かに唱える念仏は、三巻の般若心経。

声は聞こえない、心で念じる心経である。

できる限りこうしてお参りをしてきたが、お参りできない場合もある。



そのときは若い人が庚申さんに奉ってくれるので、私は下でこうして参っているという。

本来なら、ナワシロジマイ(※苗代終い)の“家さなぶり”を終えた翌朝に参拝されるのだが、この年もご協力をいただいて参拝する姿を撮らせてもらった。

この場を借りて感謝申し上げる。

(H30. 6. 3 EOS7D撮影)

上・F家の苗代終いのアゼマツリ

2020年07月28日 08時47分03秒 | 明日香村へ
田植えの最後の田にアゼマツリ。

“”畦調え“をして苗代納めとするF家のナワシロジマイ。

充てる漢字は苗代仕舞いであろうか。

息子も応援するF家の田植え作業も、残す田はあと一枚。

いつもそうしているというお家の真ん前にある田は、田植えをするまでは苗代田だった。

今日はナワシロジマイに苗床にあった苗箱すべてを引き上げて苗代田を解放する。

今年の育苗は、4月後半の暑さのせいであろうか、苗代に被せた幌。

蓋を開けてみれば、苗がいもち病にかかっていた。

こんなことになるなんて・・・。

長年してきた育苗がいもち病になったのは初めてや、という。

農業は、毎年が勉強だ、と総代も云っていたのがようわかる今年の育苗。

夏日に猛暑があたったことが原因のようだ。

さて、田植えのほとんどを終えたら最後にする家の前の田に田植え。

先にしなくちゃならない畦の草刈り。

鍬を使って畦の草を刈り取る。

奇麗になった畦は削って整える。



この作業を苗代納め(※苗代終い)のアゼマツリと呼んでいる。

大型の田植え機の役目が済んだら水洗い。

どこの農家さんもみな同じ。

田植えのすべてを終えたら農機を奇麗に清掃する。

洗う場所は、例年と同じ門屋の前。

上流から流れる山の水を利用する水洗い。

ポンプ仕様の水洗いに勢いが要る。

かつてはその門屋の右に牛小屋があった。

牛を柱に繋ぐ器具があったそうだ。

今では農耕牛を見ることはないが、牛の鼻に通す鼻木(※鼻環/はなかん、地方では鼻子とか鼻づら、鼻ぐりの名も)を装着していた。繋ぐ柱に据え付けた鉄環があった、という。

当時あったF家の鉄環はもう見られないが、平成20年11月23日に訪れた大和郡山市井戸野のある民家にそれがあった



参考に、撮った映像を紹介しておく。



畔はつりを終えたら、農具のエブリを使って泥田均し。

撫でるように均した最後の一枚は泥田にしたら、手押し型の二条植え田植え機の出番。

操作する田植えは息子さん。

昨年に拝見したとき、そうしていたことを思い出した。

(H20.11.23 Kiss Digtal N撮影)
(H30. 6. 3 EOS7D撮影)

上・F家のナワシロジマイの家さなぶり

2020年07月27日 08時54分42秒 | 明日香村へ
かっぱ寿司の食事を済ませて急ぎ足でやってきた明日香村の大字上(かむら)。

車を停めて見上げたらFさんがおられた。

F家が苗代作りをされていたのはほぼ1カ月前。

5月12日にふらりと立ち寄り、白い幌被せをしていた苗代田の様相を拝見していた。

4日後の16日に電話をかけた。

昨年も撮らせてもらったF家のナワシロジマイ(※苗代終い)の“家さなぶり”であるが、今回はFさんも存じている写真家Kさんも同行したい旨もあり、その承諾もお願いしたい電話である。

現況を伝えてくださるFさん。

今のところの予定日は、6月3日の日曜を考えている、という。

4月30日につくった苗代田。

稲苗の伸長具合によっては、一週間前にする可能性もある。

村では、育苗機で温めて成長を促すが、F家は自然体に任しているそうだ。

育苗機の調製具合によっては苗が焼けて黄色くなってしまう場合がある。

逆に伸びすぎて徒長

ひょろひょろの細い苗では丈夫な稲に育たない。

下の方の村では、失敗例を度々耳にするときもあるが、F家は水苗代で育てるから、1カ月くらい。

他家と違って長期間かかる育苗をしてきた。

16日段階ではなんとも云えないが、5月27日のころになれば、ほぼ確定するだろう。

日程が決まったら、また電話してあげるから、と云ってくれるFさん。

ちなみにF家のナワシロジマイ(※苗代終い)は雨天決行の待ったなし。

遅霜でやられることもないと思うが、決めた日が6月3日の午後にお伺いします、とお願いした。



さて、本日取材させていただくF家のナワシロジマイの“家さなぶり”である。

田植えを無事に終えて祝う各戸それぞれがお家で祝うあり方であるが、F家は苗代終いに、苗代田で育った苗を取り上げ、その苗を炊事場に供えて神さんに奉る。

“家さなぶり”に対して“村さなぶり”がある。

村の全戸、すべてが田植えを終えたら、氏神社に集まって無事に田植えが終わりました、と神さんに奉告する村行事

秋の収穫時には稔り多くなるよう願い、参拝する。

大字上(かむら)の村さなぶりは、6月半ば辺りの日を決めて気都和既神社(けつわき)神社で行われている。

F家の“家さなぶり”は、いつも昭和5年生まれの母親がされている。

Fさん夫妻、子どもたちの手によって行われる田植え終わりを見計らって始める。



昨年同様に玄関先で始めたナエトリ。

一つの苗箱から手際よく取り出す苗。

一握りの苗束を取り出す。

苗はもちろん根付きの苗。

苗代田で育った稲苗はすくすく育って根張りもいい。



一束掴んで、もう一束。

一束に苗は何本あるのか、数えたことはないようだ。

ひとつかみの苗はバラけないように、収穫後に藁すぐり(※削ぐり)しておいた藁で括る。



実は、数年前にしていた括りの紐はPP紐であったが、記録取材のご協力に、すぐり藁に戻してくれた。

手際よくさっさとされるナエトリ。

長年に亘ってやってきただけに身体が自然体で動く。

母親のF子さんのお歳は88歳。

仮に成人年齢の二十歳から数えても68年間に亘るナエトリ作業に感服する。

ナエトリした苗束は、上流の山から流れる奇麗な水で根洗い。



苗代田の泥を落として水洗い。

白い根がさらに美しくなるよう丁寧に洗った三把の苗さん。

昔は、直播きだったという母親。

撒いたモミダネが生育した直播き田に入って同じように何本かを集めて束にしていた。

今のような密集するようなものではなさそうだから、根がらみはそれほどでもなかったろう。

お盆に載せた三把の苗さん。

洗米に塩、お神酒を並べてローソクに火を灯す。



台所の神さん、火の神さんがあるヘッツイさんと呼んでいた竃(かまど)の神棚に供えていたらしい。

家を建て替えた後は、三宝荒神さんに供えていた、という。

現代の竃はガスコンロ。

コンロの上に荒神さんはないから祭られない。

そんなわけでガスコンロの傍に置いた。

昨今は、現代的文明のIHコンロもあるが、火の神さんを祭る現代の“竃“に供える御供である。

昭和62年4月に発刊の『明日香風22号』に、ここ上(かむら)の“家さなぶり”のあり方を掲載していた「明日香の民俗点描」文中に興味深いことが書いてあった。

「明日香村の上(かむら)では田植えが終わると、苗三把を一つに結び、赤飯のおにぎりを三つ重ね、燈明、お神酒などと一緒に、竃の上に供えてお祭りをする。竃がなくなった現在も供える場所は替わったが、カミをまつる人々の心は今も変わらず、丁寧に神饌を調製し、供えてカミにまつる」のキャプションである。

この日にF子さんが供えたところに赤飯のおにぎりは見られない。

三つ重ねのおにぎりは小皿盛り。

三段重ねの赤飯は3皿。

そこに三把の苗さんをとらえていた写真も掲載していた同家の昭和62年4月以前のあり方は、今となっては貴重な映像であるが、たぶんにF子さんの母親がしていたのだろう。

(H30. 5.12 SB932SH撮影)
(H30. 6. 3 EOS7D撮影)

上・門屋の巣立ち前燕に玄関の厄除け護符

2020年07月26日 09時31分32秒 | 明日香村へ
昨年も訪れたことがある明日香村の上(かむら)の民家。

度々の民俗取材にいつもご協力をいただいているF家。

初めて訪問したのは平成28年の6月12日

息子さんのFさんと出会いに話してくださったF家の民俗譚にすごく興味を惹かれた。

取材願いも承諾してくださって今日に至る。

挨拶もそこそこに見上げた門屋。

春に渡ってきた野鳥が親子ともども暮らしていた。

親鳥は雄、雌とも出かけては子どもが食べる餌を給餌する。

絶えず往復する。

ちょっと前の時季の行先は田んぼ。

泥田を銜えて巣づくりしていた親ツバメ。

今は、子ツバメの給餌運びが忙しい。

これまで何度も訪問してきたF家にツバメの来訪を拝見するのは初めてだけに思わずシャッター押し。

親を待つ子ツバメは4羽。やがては巣立ち。

落下の糞痕を遺して、みな揃って旅立っていくんだろうな。

頭に糞を落とされはしないだろうと潜った門屋。

庭の飛び石を渡ったそこに玄関がある。

入らせてもらったときにいつもしてしまう見返り。

玄関に貼ってある護符はこれまでも拝見してきた。

見る度に撮らせてもらう護符の一枚が”氷柱”。



何を意味するのか・・。

昭和5年生まれのご高齢婦人につい聞いてしまう”氷柱”。

小さな文字の”氷柱”は、手書きでなく機械打ち。

厄除けにご利益とかで貼っているそうだが、どこで授かったのかは、記憶にないようだ。

”氷柱”の漢字文字はツララ読み。考えられる厄除けは暑気祓いかも・・。

特徴的なお札はまだある。

一枚は縦列が「北守閉止南」。

左右に「東西」。

もう一枚は、何枚も貼り重ねているようにも見える四方型護符の「守」。



“守”文字は四方型のロ枠で囲んでいる。

もう一枚はどなたさまもご存知の馴染みある「立春大吉」。

これもまた重ねて貼っているように見える。

貼ってあった場所は、玄関扉の真上。

扉を閉じて施錠。

やっかいな疫病が、屋外、四方から侵入して来ないようにお家を守る護符。

そう考えてみた戸締り、施錠厳守のお守りでは・・。

今回も高齢婦人に聞いてみた護符の件。

香芝市穴虫の人に拝んでもらった、という。

もう一枚の「守」。

“守”字から思い起こす神社は加守神社。

正式社名の葛木倭文坐天羽雷命神社は葛城市加守が所在地。

穴虫から南側の隣接地である。

葛城市の二上山登り口に行く近鉄電車の二上神社口駅から歩いたところにある神社にあった、と云っていた昨年の思い出話。

どちらかの一枚が神社でたぶんに加守神社。

もう一枚は拝み屋さんでは、と思った次第だが、さてさて真相は・・。

(H30. 6. 3 EOS7D撮影)

一年の締めくくりに年越しえび天そば

2020年07月25日 09時55分09秒 | だんらん(大晦日買い出し編)
一年を振り返る時間の余裕もなくばたばたしていた年末。

行事取材の毎日にへとへとではないが、有意義な取材をさせていただいた。

年初からずっと合間を縫って村行事の調査に、えっ、これはと思うもの多数。

整理する間もなく次の取材地へ向かう。

昨日は村行事の大祓。

宮司に氏子たちのご加護もあってともに一年の穢れを祓ってもらった。

大晦日の今日は朝から注連縄調査。

主に大和郡山市内にみられる簾型注連縄の調査に新たな認識を得る。

それもこれも村の人たちの教えに学び。

そして大晦日の締めくくりに「フク」を呼び込む村行事を拝見。

これまで見たことのない在り方を知って、2、3の事例をもって簡単に答えを出すものではないと・・。

年が明ける直前に、もう一度、身も心も引き締めて年越しそばをいただく。

大きなえび天は家人。

遅く戻った時間に遅い晩飯。



もうこれ以上は無理だと、小さなお椀にそばも天ぷらも半分にした。

(H30.12.31 SB932SH撮影)

シンプルに3品ひる飯

2020年07月24日 08時47分35秒 | だんらん
正午いっぱいまでかけて大和郡山市内の注連縄調査。

7件の調査ができた。

午後に出かける数時間は心の余裕がある。

自宅を出発する時間帯は午後3時。

夜の取材であるが、夕方どころかまだ道が明るいうちに着いていたい山添村。

我が家からはたっぷり1時間以上もかかるからそれを見越しての昼飯は珍しくご飯が一杯。

買い出しで買ってきた出し巻きに冷奴豆腐。

和歌山の醤油屋さんが作っている金山寺味噌。

和歌山の味噌といえばこれであるがメーカーによっては口に合わないのが多い。

このメーカーの金山寺味噌は我が家で大評判。

味にコクがあるからたいがいの料理に合う。

サラダも出てきたシンプル料理。

お酒がまだ飲めないのが残念であるが・・。

(H30.12.31 SB932SH撮影)

夜食は鯖のちゃんちゃん焼きとブリアラ煮

2020年07月23日 09時24分37秒 | だんらん
朝一番は買い出し

えーもんは正月三が日にいただく。

片身の鰤を買ったお店は㈱丸昌。

おまけに持って帰ってといわれたブリアラは2袋。

冷凍庫から溢れたブリアラは早速の昼飯に登場する。

残り物の大根と一緒に煮たブリダイコン。



味がしみてとても美味しい。

アラであっても鰤の身はほくほく。

お酒が飲みたくなる一品にメインのおかずは鮭のちゃんちゃん焼きでなく、我が家では定番になった鯖のちゃんちゃん焼き。

それも骨なしの鯖である。

冷凍食品であるが、骨なしの鯖を売っているお店はならコープ七条店。

ならコープオリジナル開発商品である「骨とり鯖」。

幼児向きの開発商品らしいが、大人も満足する商品。

特に介護を要する家庭では助かる商品。

介護を要する高齢者も食べる時代になったが、我が家も・・・。

ただ、利用する場合はちゃんちゃん焼きに限ってのことだが・・。

ぐちゃぐちゃになった野菜もどっぷり味噌漬けのちゃんちゃん味。



日本食研が発売するちゃんちゃん焼きが美味すぎる。

食がむちゃ進むちゃんちゃん焼き。

まだ他のメーカーは追従していないような気がする。

ぐちゃぐちゃなった野菜と一緒に口にほうばりたい。

ガツガツと口の中で食べきりたい。

骨があればそういうわけにはいかない。

それがなんと、12月に入ったころには骨とり鯖が店頭に並ばないのだ。

クリスマスからお正月期間は営業面から外される商品。

店員さんがそう申していたとおりに、小正月辺りになって復活していた。

(H30.10.10 SB932SH撮影)
(H30.12.30 SB932SH撮影)

輪じめに赤い実センリョウ添え正月飾り

2020年07月22日 09時30分54秒 | もらいもの・おくりもの
本日、もらいものの輪じめを玄関に飾った。

輪じめを作ったご主人のTさんが「ハカザリ」と呼ぶウラジロを添えてくれた。

写真ではわかりにくいが、裏側に一枚のユズリハもある。

そのままでも形になっているのだが、我が家にある稲藁作りの亀(※これももらい物)さんを括り付けた。

亀さんの尻尾は長い尻尾。

長寿を表現する長い尻尾に籾もある。

なんとなく物足りなさを感じて我が家の庭にあるセンリョウの赤い実も・・・。



長い尻尾に、大きくとても長いウラジロもわかるように縦位置も撮って全景を・・。

(H30.12.30 SB932SH撮影)