マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

つるまる饂飩針テラス店の餅入りあまから巾着肉々うどん

2019年04月30日 08時44分49秒 | 食事が主な周辺をお散歩
山添村大西から月ヶ瀬に抜ける山越え。

峠道でもないが、村から村へ短距離に繋がる道が通行止め。

仕方なく山添村の下津から遅瀬に抜けようとしたが、そこも通行止め。

昨秋の台風の影響があったのだろう。

月ヶ瀬に行くには大回り。

山添村の北野から下るしかない。

月ケ瀬は桃香野。

そこからすぐ地殻にあるのが大字月瀬にである。

山の神の在り方を拝見して宇陀市の榛原に向かうのだが、丁度そのころが昼飯どき。

北野から旧都祁村の小倉に抜けようとしたが、ここも通行止め。

ここも影響があったとは存じていなかった。

これもまた仕方なく、北野から下って布目川沿いに遡る。

旧都祁村の荻を抜けてようやく着いた針テラス。

ひさしぶりに美味しいうどんを食べたくなって立ち寄った。

食事処はもちろんのつるまる饂飩針テラス店。

お店の前にあった立て看板に目がいった。

どでかい写真に盛り盛りの肉うどん。

丼に揚げさんで包んだ巾着がとてつもない大きさ。

これで税抜き価格が480円とくりゃ、入店するしかないでしょ、だ。

手動扉を開けて入店するなりご注文は・・・といえば、お勧めの「餅入りあまから巾着肉々うどん」。

後でわかったことだが、麺は好みで細麺に換えることもできたようだ。

ぶっかけうどんを注文するときと同じようにいつもの天かすをトッピング。

支払はレジで現金払いの税込518円。

カウンター席に着く。

この日はテーブル席が満席。

家族連れが多そうだ。

醤油だしと思われる甘い香りが鼻をくすぐる。



こりゃたまらん。

箸でぐぐっと掬って口に・・。

つるつる入る。

喉越しはもちろんのことのつるつる。

甘い出汁がうどん麺とともに吸い込まれていく。

はじめに刻みネギ。

次はワカメに刻みネギ。

これだけでも美味いと思った出汁は肉味。

これが美味さを引き立てる。

どっぷりつかった肉出汁に絡まる牛肉がうどんにまとわりつく。

それが美味さ。

もう箸が止まらなくなっちまった。

相乗効果があったのは天かす。

これも味覚に重要な立場におる。

この天かすを忘れてはなるまい。

我が家で食べる油かすうどんも天かすがあるのと、ないのとまったく違う。

深みが出るというのか、コクが増すというのか・・。

これでわかった肉うどんの旨さ。

さて、商品名にもある餅入りあまから巾着である。

巾着はきつね揚げ包み。

がっつり口に銜えた。

巾着に穴が開いてジュワー。

解けた包みから飛び出すトロトロの餅。

もっちもちどころかほんまにトロトロ。

餅はあんまり食べない私が、これはいける、と思ったくらいの柔らかさ。

伸びる、伸びーる餅にも満足する。

立て看板の方が大きいように見えるが・・。

肉汁、うどん汁に天かす汁。

出汁は残さず吸い上げた。

ところで餅入りあまから巾着肉々うどん期間限定。

期間は冬季なのか、わからないがいつまでの期間であるのか・・。

こんなに旨いもんは限定でなくとも・・・いや、夏場は抑えて、再び冬場に見られなら、数か月間も待つのも良し、である。

ちなみにつるまる饂飩のメニューに税抜き450円の肉うどんがあるそうだが・・・。

(H30. 1. 7 SB932SH撮影)

トライアル宝来店のミニいなり寿司

2019年04月29日 10時16分36秒 | あれこれテイクアウト
買ってきた弁当を食べて行事の始まりを待っていた。

その弁当は稲荷寿司。

正確な商品名はミニいなり寿司。

いなり寿司はミニサイズ。

お値段はパック詰め10個入りで税込299円。

お安く、しかも仰山あるいなり寿司に手が出た。

買ったお店はスーパートライアルの宝来店。

南山城村に出かける道中に立ち寄って買ってきた。

南山城村の北大河原に着いたのは午前11時半。

ついでにと思っていた地産地消の販売店はまだ正月休みだった。

そこの駐車場に停めて食べても良かったが、取材地最寄りの村の駐車場に停めることにした。

パックの蓋を開けたら味付けいなり揚げの美味しそうな匂いが鼻に・・。

思わず箸で摘まんだ1個。

ミニサイズといってもままある大きさ。

パクリと喰いついてむしゃむしゃ。

ジューシーないなり揚げに包まれた寿司飯は黒ゴマ入り。

旨いことには違いないが、黒ゴマが歯に挟まって残ってしまう。

黒ゴマ量は思った以上に多いから、美味しさ半滅。

それでも美味しいから箸が進む。

一口目、二口目、三口目・・・。

すんなり入っていくのだから旨いんだな。

半分過ぎたころである。

お腹が反発するような感じを受けた。

もう1個、もう1個と思って食べたが、7個目でジ・エンド。

残した三つは家に持ち帰り。

晩飯の足しにした。

残り物をお相伴したおふくろは美味いと云って一口でぱくり。

かーさんも同じくぱくり。

いなり揚げも寿司飯も美味かったようだ。

(H30. 1. 6 SB932SH撮影)

百均に並べる節分道具

2019年04月28日 09時06分34秒 | 民俗あれこれ(売り場の民俗歳時記編)
ビジネスマン時代の正月休みは4日間。

普通勤務の場合は1月4日が初出。

一方、13年間も勤めた三交替勤務時代の正月休みはもっと少なかったような気がする。

今年の正月三が日は例年よりもゆっくりと寛がせてもらった。

サラリーマン時代は4日が初出だったが、今じゃ毎日が休日。

日にちも曜日もわからなくなってきた、というわけにもいかず、今年も年中行事の調査取材に奮闘するか。

一年の廻りはあまりにも早く感じる。

正月三日間が終わったとたんに節分の鬼が現われた。

早くも出現した場はスーパーではなく百均ショップ。

用事で出かけたお店が迎えてくれる鬼の面。

行事に出没する鬼の顔より柔和な顔。

子どもが被る鬼の面だ。

中段はお母さんの巻き寿司作りに必要な巻き簾が並ぶ。

もう一つ下の段には豆を盛る枡もある。

年末までは西洋民俗のハロウインにクリスマス・・・。

正月気分が抜けきれんころに、早くもやってきた節分もあっという間に西洋のバレンタインデー商品に移り変わっていくことだろう。

・・・商魂たくましい売り場に翻弄されることなく、今年もできうる限り、記録したい年中行事が待っている。

(H30. 1. 5 SB932SH撮影)

ザ・ビッグ・エクストラ天理店の海老天重&焼きそばセット

2019年04月27日 08時59分43秒 | あれこれテイクアウト
取材地には午後1時に着くよう車を走らせる。

その前に仕込んでおかねばならないのが昼食。

大手スーパーは元日から開店する昨今の風潮。

昨今といっても元日からなんでも売るようになって正月気分もなにも盛り上がらない。

そんな世間の風潮とは気にもせずに今年は珍しく元日に正月二日もほぼ家に籠って正月気分を味わう。

正月3日に昼飯はどうするか、である。

宇陀の榛原は遠い。

腹が持たないと判断してここなら間違いなく開店していると思われたザ・ビッグ・エクストラ天理店。

イオンカードの提示をするだけでポイントが貯まる。

支払いはクリックペイでクレジット支払い。

こちらもポイントが貯まる。

利点があるからそうした。

3日目となればお節料理に飽いたのか、それとも追加の買い出しなのか普段通りの来客数にレジはいつもの通りの行列待ち。

レジ支払いを済ませたらお店設置の電子レンジでチン。

温めた弁当を車に持ち込んで食べる車中食。

ほかほかに温まったこの日の弁当は税抜き価格が297円の「海老天重&焼きそばセット」。

ナトリウム1.2gを塩分含有量換算にすれば3g。

これなら心臓病の私でも安心していただける。

蓋を開けたら美味しそうな香りが立ち上がった。

以前も食べたことがあるような、ないような・・。

振り返ってみれば5年前の平成25年の1月29日に食していた。

当時に味わった以上の味覚だった。

エビ天は小ぶりだがぷりぷり感がたまらない。

揚げた衣の味も良い。

油臭さがないからエビ天を美味しくする。

しかも、だ。

海老天重のタレも美味い。

甘っぽさもあるがくどくもないさっぱり感。

これは食が進む。

一方の焼きそばも炒める油が良い。

そう、思ったギトギト感手前の油感に辛めのソースが絡んで喉を通り抜ける。

前回も感じたモヤシのシャキシャキ感は同じ。

5年前に食したときよりも味が濃くなったような気がする。

毎回、食べてみたくなる天重に焼きそば。

その量の割りに紅生姜が多い。

また、一つ注文をつけるならば焼きそばにかかっている青海苔である。

たぶんにあおさ海苔だと思うが香りも味もなかった。

しかも肝心かなめの豚肉はどこにあったんだ、と思ったことだけは伝えておきたい。

(H30. 1. 3 SB932SH撮影)

矢田町・矢田坐久志玉比古神社・初詣の海老・龍の綱

2019年04月26日 12時09分16秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市外川町にある日々安全守護地蔵尊に初成り苺を供えていた様子を信号待ちに見届けて車を走らせる。

行先は矢田町に鎮座する矢田坐久志玉比古神社。

家族揃って参拝する初詣は三十数年ぶりになる。

大阪から大和郡山市に越してきた翌年の初詣に選んだ矢田坐久志玉比古神社。

正月三が日でなくたしか1月15日の小正月だったような気がする。

その後は空白期間もあったが、平成15年の1月8日に行われた正月行事の綱かけ神事の様相を見ていたことがある。

綱は3体。伊勢海老の形だと云っていた雌雄の龍を象った綱である。

詳しくは、当時勤務されていた県立民俗博物館・学芸課主幹鹿谷勲氏が調査報告された『奈良県立民俗博物館研究紀要』第23号に掲載された記事を参照されたい。

神社に到着した時間帯は午前11時。

最近になって一般参詣者も利用できる駐車場を鳥居東側に併設された。

石砂利を敷き詰めた駐車場を歩き辛そうにしていたのはおふくろだ。

降車した場からすぐ近くが境内。

介助のもとなんとか歩けた。

快晴になった正月二日。

参拝者は次から次へと訪れていた。

つい先ほどまでしていた綱作り。

形を整えて楼門に立てていた。



その綱を拝見しながら拝殿に向かう。

平成21年の1月2日に拝見した矢田坐久志玉比古神社の勧請綱作りの様相である。

正月の2日、早くも神社に出向いて綱を作る。

2日に綱を作る地区は横山地区に中村地区。

出来上がった綱は楼門の柱辺りに立てかける。

その姿は海老に龍である。

それから2年後の平成23年も訪れた1月2日

この年もまた同じように横山地区と中村地区の綱作り。

同時進行する綱作りは今年も同じように出来上がった綱を柱辺りに立てた。

上部が楕円を描く中村地区の綱は龍の形。

海老の尻尾を表現する綱は横山地区。

左右にある綱を見比べてみれば明らか。

丁度そのころに正月参拝をする氏子家族。



子ども連れもあれば老夫婦の場合もある。

地元に鎮座する氏神さんへ参る初詣に海老・龍の綱が迎えてくれる。

楼門をくぐって本社殿に参ったらお神酒をよばれる。

四方竹に囲まれた場でよばれる正月のお神酒。

さきほどまで綱組み作業に詰めていた両地区の人たちもお神酒をよばれて直会中だった。



久しぶりにお会いする加藤宮司に北座・横山地区のMさん。

明けましておめでとうございますのご挨拶を交わす初詣。

この日、同時刻に来られていた大和郡山市観光ボランテイアガイドクラブのKさんもお久しぶり。

ご一緒していた食の語り部プロジェクト会長のKさんともども新年のご挨拶。

しかも、である紹介してくださった一人の女性。

なんと直会中にお会いしたMさんの奥さんだった。

そういえばM家の鯉幟を撮らせてもらったことがある。

平成25年の5月6日の鯉幟に話してくださった二人目の孫の誕生を祝った幟の民俗話題である。

(H30. 1. 2 EOS40D撮影)

外川町・日々安全守護地蔵の初成り苺

2019年04月25日 09時21分14秒 | 民俗あれこれ(初成編)
おふくろが退院してからはずっと介護の身。

外出するのも困難な身になったが初詣は出かけたいと希望を伝える。

これまでなら我が家より徒歩500歩ほどで到着する奈良市石木町に鎮座する登弥神社が初詣の神社だった。

介護の身となれば階段の昇り降りが難しい。

平たんな神社であればというから行先は西の方角に鎮座する大和郡山市矢田町に鎮座する矢田坐久志玉比古神社を目指すことにした初詣である。

車に乗降するには踏み台が要る。

脚を上げるのも、踏み込にも高さを支援する台は必須である。

介護施設の通所は年前に2回。

外出したのはそれだけだから体力も落ちている。

訪問リハビリはまだ始まっていないから体力はほんまに落ちてきたようだ。

そういう状態のおふくろを車に乗せて走り出した。

富雄川に沿って走る県道枚方・大和郡山線。

外川橋に設置する信号に停車したそのときである。

右手前方に人の姿が見えた。

その場は日々安全守護地蔵尊を祭っている外川町の地。

青い帽子を被った男性が頭を下げていた。

地蔵さんのお参りであるが、その下に置いてあった木箱に赤い色が見える。

距離はそれほど遠くないが、細かい部分は見えない。

その男性は木箱を持って歩き出した。



思わずシャッターを切らせてもらった木箱はオカモチ風。

中にはいっぱい詰めた赤い苺が見える。

木箱を持つ部分は細い木。

節があるから竹製。

上手い具合に作られた取手である。

信号は青になったから車は動かざるを得ない。

抜けたところに一時停車する場もないから離れる一方。

諦めざるを得ない状況に車は矢田町へ。

初詣を済ませて戻ってきた。

通り過ぎようとした日々安全守護地蔵尊にひと粒の赤い苺が見えた。

帰りに見た場近くに空いたところがある。



緊急停車をして地蔵尊に供えていた苺を拝見する。

看板のある日々安全守護地蔵尊に隣接する石作りの祠に祭った双体道祖神にもひと粒。



大きめの苺の品種はわからないが、たぶんに初成りとして供えたのだろう。

お近くに住まいする人なのか。

訪ねてみたいが1軒、1軒ずつ呼び鈴を押すのもなんだかなぁ。

それよりもここら辺りに電照苺栽培をしている農家さんを訪ねた方が早いかもしれない。

(H30. 1. 2 EOS40D撮影)

寛ぐ正月二日に食す昼、晩飯

2019年04月24日 09時27分32秒 | だんらん(正月編)
初詣から戻ってきたら丁度いい時間帯の昼飯。

大晦日に買った美味しいものものがある。

今年は都水産の大将に三枚下ろしをしてもらったブリがある。

もう一品はマグロ。

ブリは半身で昨夜のすき焼き料理にも食べていた。

残りはまだまだある。

背はブリの照り焼きにする。

それは今夜のおかずになって登場したが、その残りもまたお造りになって皿に盛られた。

でっかいブリの身は特上の味。

前夜のブリは驚くぐらいの脂のノリが凄かった。

背も脂がたっぷり。

一夜明けても美味さは若干落ちるとしても美味すぎる。

色も若干黒っぽさもでているが、トロトロ感が堪らない。

こりゃもう昼からはどこへも行きたくない。

半分残っていた日本酒はまたもやコップ酒。

旨い造りに美味い酒。極上の昼間酒に酔いしれると云いたいが、酔いの酔いにはならない。

美味すぎる日本酒に酔いがまわってこない。



造りの皿はもう一つ。

茹で蛸である。

これも美味いから酒がぐいぐいいく。

蛸は太めのキュウリ揉みに蛸酢。

酢はその名も「おいしい酢」である。

酢っぽさがないから美味しくいただける。

おふくろもかーさんも蛸にぐいぐい。

私はまんべんなくいただいてお酒をぐいぐい。

あれ、なくなっちまった。

眠気のない酔いに酔いしれる午後の時間帯はずっと席についてパソコン処理。

それから7時間後の午後8時前。

続きではないが晩飯に移る。

昼飯の際に造りにしても蛸酢にしてもまだ半分ぐらい蛸があるねんで、どうするのと云われて出した答えは煮蛸である。

魚の棚に出かけたときは必ず買って食べるこてこて煮の蛸である。

旨みがぎゅっと詰まっている煮蛸。

そこまでいかなくともおでんで炊くような柔らか煮と、いえば、そうしてという。

どうするのに対する答えを言ったまでだ。

その煮蛸が晩飯に登場した。

長さもたっぷりとったぶつ切りの蛸に煮ふくみ。

旨いでんがな。

炊けば炊くほど堅くなると思っていたが、払拭した。

美味いのである。

もう一品も大晦日の買い出しで買ったアサリ。

酒蒸しで登場した。

もっと大きいアサリを勧められたが、これくらいで十分味わえる。

身の大きさよりもアサリ味を楽しみたい。

そして三日目の登場になった美味しいだし巻き。

分厚いだし巻きは1本で300円。

冷えても美味しいが、今夜はマヨネーズをたっぷりかけていただいた。

今夜は発泡酒に安物の酒でお腹いっぱい、胸いっぱいになった。

(H30. 1. 2 SB932SH撮影)

正月夜のご馳走はすき焼き

2019年04月23日 08時35分04秒 | だんらん(正月編)
雑煮に特製お節をいただいてから数時間経った午後7時。

もうちょっと遅らせてほしいといったが、却下された。

家人はお腹が減ったと訴える正月夜のご馳走は牛肉のすき焼きだ。

前日の大晦日に買っておいた特別上等な牛肉。

奈良県中央卸売市場のジュルネフーズ㈱で買ったすき焼き肉は800gで4750円。

普段では買えない我が家にとっては上等もん。

霜降り肉の味わいは、こりゃ美味いわ、である。

太い白ネギに少しの白菜とシメジ。

忘れてならないすき焼き具材は麩に糸コン。

満足以上の肉の味。

それも美味いがブリの造りも。

これもまた中央卸売市場の㈱都水産の特上ブリ。

これを食べなきゃ正月が来たことにならない。

脂がのってとろとろ。

腹身がとても美味いから造りで食べる。

背身は照り焼き。

数年前から、そう切り分けて食べるようにした。

よく見た食卓テーブルにおふくろの名前があった。

箸袋である。

我が家はどこの家とも同じだと思うが、一人一人の箸袋に名前を書いている。

正月三日間は、正月の祝い箸で毎日の食事を食べる。

もちろん毎食後は洗っているからご心配なされないように・・。

テーブルには特徴的な形の蓋付き容器がある。

入院中に使っていた倒れても毀れないお茶入り容器である。

ストローで飲む容器は今も離せない身体になったおふくろの必需品。

かつては私が入院中に使用していた容器である。

おふくろの背中にはまだまだ外すことのできないコルセットを装着している。

医師の許可を得て装着を外せるようになったのは、1月18日。

退院後の1カ月診断のときであるが、まだ、先のことだ。

(H30. 1. 1 SB932SH撮影)

正月初めは料理人林裕人監修の節料理

2019年04月22日 08時14分01秒 | だんらん(正月編)
我が家の正月はいつも私が家に帰ってからになる。

行事取材は大晦日から正月にかけて。

集中する行事は家の行事の記録取材。

お家の行事を特別に撮らせてもらう。

貴重なものの記録だけに、世代が替わっても続けて欲しいと願うが人、家それぞれにおられる。

欠かせない晦日、正月習俗取材はもう何年もしてきたが、今年はそういうわけにはいかなくなった。

私のからだではなくおふくろである。

年末に長く入院していた治療を終えて退院。

そして初めて体験する通所介護サービス。

退院はしたものの、まだまだ我が家で療養中の身であるおふくろ。

例年であれば昼前になってしまう我が家の正月初め。

それを避けたくて、今年の元日は、どこへも出かけず、我が家で過ごすことにした。

ただ、ゆっくりしたいだけだったのかもしれない。

元日の朝はぐっすり寝た。

おふくろもそうだった。

結局のところ起床時間はとても遅かった。

焦ることもない元日の朝。

長男もぐっすり寝ていた。

かーさんもそうだった静かな朝。

朝食も昼食でもない元日の食事が始まったのは午前11時前。

今年もまた注文していた林裕人シェフ監修の超特大宝船を正月初めに蓋を開ける。

超特大宝船の宣伝掲載があったのは平成29年の9月9日発行の産経新聞夕刊。

実は数日前にも掲載されていた。

頼んだのは9月9日の宣伝を見てからになる。

サイズ容量は標準的サイズの6.5寸と比較して約3.2倍もあるという超特大おせちの早割価格は送料無料の15600円。

通常価格が22000円のところを広告限定で申し込みされた場合は6400円の割引。

祝い膳が5膳も付いているが、もとより美味しいふぐめしまぜご飯の素もプレゼント。

年末の大晦日前の27日に届いた品物は我が家の冷暗所に納めていた。

冷暗所は蔵でもない我が家の廊下である。

冬場はビールが飲み頃になる冷たさを保つ廊下に置いておけば猫も鳥獣の餌食にもならないから、冷蔵状態で届いた商品も安心して保管できる場所である。

びっくりするほどに品数多い、今回のお節料理のお品書きは・・・。

50gの帆立たらこ雲丹和え(※1)、30gの松前漬け、75gのリンゴ金団レーズンのせ、35gの黒豆コーヒー風味(※2)、45gのムール貝トマトソース煮(※3)、40gのチェダーシュリンサラダ、3切れの海老袱紗(ふくさ)焼き、2個の海老錦手まり、3個のパートドフリュイグレープフルーツ、3個のパートドフリュイフランポアーズ、3切れの鶏もも肉のピカタ、3切れのアボカドと海老のテリーヌ(※4)、1個の豚角煮のコンソメゼリー寄せ(※5)、3切れのスモークサーモントラウト、3gのサーモンディップ、2切れのライブオリーブ、35gの紅白なます、3切れの鰆昆布〆、8gのいくら醤油漬け、3個の一口昆布巻き、15gのわかさぎ胡麻和え、3切れのサーモン彩りテリーヌ、2切れの雲丹チーズ寄せ、24.20gのくるみ甘露、25.5本のたたき牛蒡柚子風味(※6)、26.2個の磯貝雲丹焼き(※7)、27.1尾のロブスター、4切れの鶏とオレンジコンフィのテリーヌ(※8)、3切れのにしんおかか和え、3切れの紅芋栗きんとん寄せ、2個の若桃甘煮煮、20gの湯葉生海苔和え、2本の烏賊白焼き鉄扇串、3切れの椎茸高野含め煮、2個のひねりこんにゃく、2枚の梅麩、3本の数の子醤油漬け、2切れのサーモントラウト香草焼き、2切れのスタフドオリーブ、2切れの鰆西京焼き、1個の鮑ふっくら煮、4尾の海老鮑煮、2切れの網笠柚子、2個の金柑蜜煮、2個の手まり餅。

数えてみれば、前年と同じ45品だった。

超特大のおせち宝船は厳選特産品専門店の大阪市西区北堀江にある「匠本舗」の商品である。

盛り付けのおせちパックは壱ノ重のみ。

注釈した(※1)~(※8)の8品は林先生の新作メニューである。

前年の新作数は17品目もあった。

今回は半数に落ちたが、毎年の楽しみ方がある。

特大お節だけが正月料理ではない。

主役はなんといってもお雑煮。

我が家の雑煮は昔も今も変わりない若干の甘さのある白味噌仕立て。



大きな白餅が1個。

底に沈んでいるから見えないが、焼き、つまり焦げ目がある白餅である。

具材は丸く切った正月大根に人参、牛蒡。

大根は白色。

人参は赤い色。

二つ揃って紅白祝い。

では牛蒡は何、である。

コイモに豆腐も入れてぱらぱら振りかけるかつお節。

これらが揃って雑煮と云える。

あけましておめでとうございます、と家族一同揃ったところで新年のご挨拶。

尤も一人は遠い外国に行っているから、ちょと寂しい。

ピンボケ映像になったが、雑煮は雑煮。

正月初めに食する日本の文化。

どこへも行かずに酒を飲む。

今年迎えた元日を祝って日本酒を飲む。



酒の銘柄は灘五郷の櫻正宗酒造の「正宗」。

年末におふくろ見舞いに来てくれた実弟の手土産。

酒造会社のすぐ近くに住んでいるから入手しやすいお酒。

ありがたくいただいておふくろの退院祝いも兼ねて酒祝い。

飲みやすいお酒がどんどん進む。

それ以上に口が動く林裕人シェフ監修の超特大宝船。

一品、一品が丁寧な作り。

味わいは格別であるが、かーさんはそろそろ飽いてきた。

3年間も食べてきたから、もう味覚に飽いてきたという。

それというのも、林先生のお節はどちらかといえば洋風。

和風感があまりないから飽いてきたというのも理由の一つ。

それに対して長男は、決して飽きの来ない料理がとても美味しいという。

新作が常にあるから期待感もある。

たしかにそうだが、前年に食べた料理は、当ブログで振り返らない限り思い出せない。

データ的に新作数をみて飽き感は薄らぐが、どうしても同じような料理ばかり感がある。

かーさんの思いも同じであるが、若い息子の思いを尊重して次回も注文しようということになった。

つらつら食べて飲み続ける延長戦。

少しは目が塞いでくる。

これほどゆったり感のある元日は何十年ぶりになるだろうか。

初詣は二日目の明日にしようと誰しもそう思うゆったり感に微睡(まどろ)む。

(H30. 1. 1 SB932SH撮影)

代々が継承してきた神さんが通らはる道

2019年04月21日 08時05分40秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市内のさまざまな地区に見られた砂の道。

氏神さんに参る導きの道として、或いは神さんが我が家にやってくるという砂の道。

聞き取りした村の人たちの記憶。

一様に話された砂の道は一直線だった。

隣近所の家もしていた砂の道。

隣の家がしておれば我が家も。

集落道にずっと繋げた砂の道。

その道は神社まで繋がっていた。

それだけでは家の前を神さんが通り過ぎるだけである。

我が家にきてもらうにはその砂の道から門屋、玄関へと砂を敷いて繋げた。

あちこちの家で見られた砂の道はいずこも大晦日にしていた、という数珠繋ぎの砂の道である。

僅かだが、その面影が残っている白土町の砂の道

氏神さんを祭る白坂神社がある。

本社殿から真っすぐに敷いた砂の道。

境内を通って鳥居まで。

まだまだ繋げて鳥居前の集落道まで繋げる砂の道。

かつては集落の1軒、1軒もしていたから壮観だったろう。

集落道はやがてアスファルト舗装になった。

風雨にさらされた砂の道は崩れて路面に広がる。

その結果は・・。

足元が滑る、自転車で走っていたカーブ道でずずっと滑る。

砂の道の体験ではないが、秋篠川に沿って舗装されている自転車道がある。

あるときカーブ道を通ったときだ。

カーブに車体を斜めにしたとたんにタイヤが滑った。

カーブに早い速度は禁物。

ブレーキをかけつつカーブを曲がったときに横滑りした。

一緒に走っていた息子の自転車も同じように滑った。

大きな事故にはならなんだのは速度を緩めていたからだ。

尤も、現在の自転車道は滑りにくい構造(※インターブロッキング舗装など)になっているからそうした事故は発生しないのだろう。

集落道はかつて土の道だったが、よほどのことがない限り滑ることのない柔らかめの土だった。

パンパンに硬い地面であれば滑ることもあるが、こんなところに砂があったら危険だというようになった。

それがすべての地区に当てはまる原因ではないが、集落道にしていた砂の道はほどなく消えた。

この日に取材した地区のMさんの記憶である。

土の道だった集落道がアスファルト舗装になったのはおよそ40年も前。

昭和50年ころの時代である。

土の道に雨が降って水溜まりができた。

そこを通り抜ける車のタイヤが撥ねる泥の水。

家の壁にバシャッと飛んだ泥水が点々・・。

泥水で汚れた壁をブラシでゴシゴシ。

乾拭きでなく水を流してゴシゴシ。

汚れをゴシゴシ洗っていた記憶。

蘇る記憶の中の映像はMさんが小学校高学年のころ。

昭和47年のころはまだ土の道だったようだ。

土の道だったころの砂の道は雨が降れば砂は流れて土に同化して土と化すから、正月が明けてもそのままにしていたが、アスファルト舗装では跡形が残る。

今では、正月2日、3日は箒で砂を掃いて奇麗にするが、それでも若干の跡形が残るが、滑ることはない。

その状態を見たのは、この年の1月2日だった。

ほぼ1年前に見た光景に感動して取材をお願いした。

お家を伺った日は年末の12月25日。

そのころであれば、砂の道をするか、しないかはっきりしているだろうと思って訪れた。

呼び鈴を押して出てこられた婦人に、貴重な砂の道造りの取材主旨を伝えた。

砂の道造りは息子さんがしているという。

門屋前の道から門屋を潜って屋内の敷地まで砂を敷いていく。

玄関近くまで撒く砂の道を祖母が呼んでいた「神さんがとおらはる道」。

以前は佐保川の砂を利用していたが、現在は店屋で買った砂を撒く。

そう話してくれたが、息子さんに聞いてみないと・・ということで承諾待ち。

数日経った30日に電話があった。

息子さんの奥さんが伝えてくれた許可電話である。

隣家のご主人もしていたが、お亡くなりになられたこともあって同家もしていた砂の道は途絶えたが、我が家は・・。

実は止めてしまうのが怖かったそうだ。

止めることによって何かが起きてしまうことにならないか。

不安を覚えることになっても・・と、いうことで今も継続してきた、という。

村の行事を中断する。

その後になんらかの事象が生じたから元の状態に戻したという事例を度々聞くことがある。

あのときに中断してしまったから、そうなった。

災いは避けたい、と村の総意で元に戻した事例もあれば、中断しても何も起こらなかったという事例もある。

そのときの決断は腹をくくって決めたのだろう、と思う。

その件は、ともかく代々がずっと継承してきた神さんが通らはる道作りである。

かつては造り酒屋、その後においては酒販売店。

そのような経緯もあったが、やがて廃業された旧家が今もなお継承されている「神さんが通らはる道」作りを拝見させていただく。



いつの時代から行われてきたのか。

始まり経緯の記録もなく、ただただ伝承してきた砂の道。

大和郡山市内にかつてあった地域は広範囲に亘っている。

聞き取りの範囲内であるが、地域は、高田町、天井町、伊豆七条町、横田町(※横田町では墓にも砂の道をしていた)の本村、横田町柳生垣内、番条町、井戸野町、新庄町、発志院町、小南町、※豊浦町、池之内町、椎木町、額田部町、馬司町、長安寺町、八条町、柏木町、筒井町に、であった。

氏神さんとの関係性は話題に登らなかったので不明だが、とにかく家の前に砂の道を敷いていたというのである。

なお、豊浦町については後年に地元住民のNさんから50年前に行われていた砂撒き情報を寄せられた。

外川町と同様に川砂は富雄川より。

氏神さんを祭る八幡神社に砂の道を撒いていたと伝えてくださった。

神社に繋がるようにしていた白土町の事例以外に新庄町鉾立の鉾立神社観音寺町の八幡宮野垣内町の若宮社がある。

前述した“滑る”から危険と判断されて集落道から砂の道が消えた。

野垣内町の事例では鳥居前の僅かな集落道にも撒いていた。

また、新庄町鉾立も僅かであるが鳥居前から集落道まで撒いていたが、近年はそれもやめたようだ。

この日に取材させていただく元酒商家のMさんの話によれば、隣近所のほとんどがしていたという。

向こう三軒両隣ではないが、集落道に沿った隣家、それぞれがしていた砂の道。

10軒の家がしていた砂の道が繋がった一本道。

F家、K家の他、おしめさんもしていたT家にT家、S家、Y家などなど。

北側に旧家もあるが、その道を通る道幅が狭くて、見る機会もないから、実際にしていたかどうかは定かでないという。

毎年、継承してきた砂の道作りは、一度中断したことがあるという。

父親が亡くなったその年は服忌。

やむを得ず中断した。

服忌明けの翌年の決断である。

隣家の当主は身体具合にほぼできなくなった。

亡くなる直前までしていた砂の道は、跡を継ぐ者もいなくて途絶えた。

Mさんに伝えた奥さんの思い。

「やめてしまうのは気持ちがよくない、続けたほうが・・」と進言。

やめる理由も見つからない。

最後に残ったM家は続けていく意思を固めた。

それからの毎年。



息子さんに娘さんも、気ぃ良く手伝ってくれているという。

先代、先々代のときは、数kmも離れた佐保川に出かけて綺麗な砂を掬って、それを撒いていたそうだ。

護岸工事の影響で川砂が消えた。

それ以来、市販の川砂を買ってしているという。

外川町の在り方も同じ。

富雄川の護岸工事で川砂が消えたということだ。

川砂が消えたことも砂の道をしなくなった理由。

先に挙げた観音寺町や柏木町の住民から聞いたことがある。

地区によって異なるが、西は富雄川。

東が秋篠川に佐保川。

いずれも護岸工事によって奇麗だった川砂が汚れた。

汚れた川砂で神さんが通る道を作るわけにはいかなくなった事例であるが、先に挙げた旧村各町の位置である。

距離に若干の差があるが、近くに川があったところに砂の道を作る旧村があったわけである。



出かけていた娘さん。

傘をさして帰宅したと同時にはじめた父親の手伝い。

父親が砂の道作りに用いた道具は塵取り。

農具の箕でなく掃き掃除道具の塵取りである。

先に拝見していた外川町の砂の道作り道具は箕だった。

砂を入れる量に差はあるが、用途は同じ。

道具は使いようであると思ったが、先代の奥さん、つまりMさんの母親の記憶は箕。

先代は箕を利用して砂を撒いていたという。

外川町の人たちと同じようにさっさ、さっさと道具を揺すって砂を少しずつ落とす。

落ちる面の線に沿って砂が落ちる。

少しずつ移動していくことで砂の道になる。

昔、先代がしていた光景を思い出されているように息子さんや孫の作業を見つめていた母親。



「神さんが通らはる道」ができていく姿を見ていた。

塵取りは一つしかないから、手伝う娘さんはスコップ。

砂置場と砂撒きの場を何度も往復して砂の道作り。

小雨の雨天決行に傘をもささずに作業していた。

砂を撒いていく箇所は前の道に横一本通し。

隣家の境界まで撒いていく。

その手前に同家所有の建物。

かつては酒蔵だったが、今は倉庫。

その扉がある出入り口の前まで砂を撒く。

集落道の砂の道ができたら場を移して屋内に。

門屋から玄関まで撒く一本の砂の道。

門屋から続く砂の道は庭まで。



そこへ行くまでの左右にある倉庫の出入り口も同じように短い砂の道。

5カ所も撒いていた。

さらには建屋の勝手口まで・・・。

父親と娘さんの共同作業はおよそ20分間。

大雨にならなかったのが幸い。

強い降りなら砂の道が流れてしまう。

除夜の鐘が鳴って年越し。

7時間半はなんとか小雨であってほしいと願うばかりだ。

どうぞ、お茶してくださいと暖房の効いたお部屋に座らせもらった。

座った前にテーブル。

これは何でしょうか、と思わず尋ねる物品。

3枚の折敷の右は燭台に立てた九つの蝋燭。



中央は二段重ねの小餅が七つ。

左はなにもないが、時間ともなればお神酒を、という。

造り酒屋の時代から蔵など、いろんな処にお燈明を灯す。

小餅にお神酒を供えて正月を迎える。

小餅は小型であるが鏡餅である。

屋内にもさまざまな神さんがおられるので同様のことをしているが、屋外にある蔵は蝋燭に火を点けたままにしておけば、いつ倒れるやわからない。

倒れて延焼、火事に見舞われるようでは危険。

そういう判断もあって、玄関脇の室内に纏めて1か所に。

こうしておけば安全、ということにしたそうだ。

元日の雑煮は青豆のキナコでよばれると話してくださった奥さん。

生まれ故郷は県南部。

そこではキナコ雑煮はなかったという。

ただ、地域に生息するイノシシ汁が雑煮だったと。

また、母親の出里は大阪の東部。

その地もキナコ雑煮はしていなかったと正月の話題を話してくださったのが嬉しい。

この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

(H29.12.31 EOS40D撮影)