マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

檪原のオハキツキ・御供搗きにイワイコミ

2019年02月28日 09時50分18秒 | 平群町へ
平群町櫟原の氏子圏は向浦(むかいうら)、下庄(しもんじょ)、上垣内、中垣内、美之谷(みのたに)、椿木(つばき)の6垣内。

氏子家67戸のすべてを巡って荒神祓いをされた宮司、禰宜は本当屋家で締める。

一旦は生駒山口神社へ引き上げて再び来られる本当屋のお家。

敬用人にマジリコと呼ばれる当屋中全員が集まって御供搗きを終えたころもう一度再訪される。

本当屋家に積んであったコジュウタは13枚。

古くは昭和32年の吉日。

大数を示す枚数は昭和35年の元旦に新調したコウジブタ(※コジュウタとも)である。

コウジブタを充てる漢字は麹蓋

造り酒屋には麹を寝かせて作る麹つくりに欠かせない道具。

餅屋は搗きたての餅を入れる。

酒造り、餅屋どころか一般家庭にも普及しているコウジブタ。

餅のとり粉を底にばらけて搗きたての餅がくっつかないようにする。

ずいぶん前のことだが、我が家にも何枚かのコウジブタがあったことをふと思いだした。

一斗2升にもなる大量な餅を搗いては、コウジブタに収める。

餅搗きの道具は杵に石臼。

セイロの蒸し器も塀内。

注連縄を張った御供搗きの場に準備した。

一臼目の糯米が蒸しあがった。



立ち昇る湯気ができたと云っているようだ。



餅搗きをする当屋中は本当屋、敬用人が櫟原川で禊ぎをして清めた小石を1個ずつズボンのポケットに忍ばせる。

穢れのない清めの身になって餅を搗く

餅は神さんに供えるものもあれば、餅搗きを終えた当屋中がよばれるアンコロモチもある。

ちなみに餅取りをする量に対して餅米の配分も計算に入れておかねばならない。

今回の糯米は一斗2升。

餅取りの内訳は鏡餅、丸モチ、コモチ、フトコロモチ、アンコロモチなどなど。

分量を決めて研いだ糯米を蒸す。

セイロ用の蒸し布巾は綿のさらし布



網目が粗いのは蒸しあがりにかかる時間を短縮する。

蒸し揚がったら石臼で御供搗き。

先にすべき作業は杵で潰してこねこね。

体重をかけてこねる際は腰に力をこめて。



きちんと潰したらぺったん、ぺったん。

振り下ろす杵の力を借りて餅を搗く。

ぬるま湯に手を浸けた合いの手。

搗くと同時に手を出して餅を反す。

反す際に掴んだ餅を中心に寄せるように。

一気に反す合いの手はさっと除ける。

そのときに杵が・・。

慣れた腰つきの杵遣い。

呼吸を合わせてぺったん、ぺったん。

搗き具合を見計らって搗いた餅をひっくり反す。

裏がえしたところでぺったん、ぺったん。

搗きあがった餅は用意しておいたコウジブタに落として屋内に。

搗いた餅は熱い。

火傷しそうなくらいに熱っちっち。

急いで餅切り機械に投入する。

ハンドル廻して適度なところで刃を下げて餅切り。

コモチの重さは425g。

そうしないとコモチの量がはけない。

多くはならないように計算していた本当屋。

425gずつになるように刃を下げる。



一方、搗き始めに搗いた鏡餅はもっと大きい。

特大の鏡餅に1/4程度の大きさの鏡餅も本当屋が計算された量で作っていく。

その数、本社に供える鏡餅は四つ。

小社に供えるやや大きめの丸餅は22個だった。

搗き手は体力が要る餅搗き。



何人かが交替して搗いていた。

肝心な分の餅を搗き終えたら当屋中が口にするアンコロモチ。



そらぁ、こんなけ餅が伸びるくらいだから美味いぞと笑顔が毀れる。

アンコロモチの餡は市販の餡。

そのままの状態で搗きたての餅に塗してみたが上手くできない。



不揃いになるくらいに難義もしたが、味は抜群に美味かったようだ。

一方、できあがった餅のうち還幸祭の際に本社に供えるフトコロモチは正方形の板で挟んで調える。

一枚の板に4個×4個の16個を並べる。

1個の大きさはコモチでもない。

もっと小さい餅。



指で摘まんだ千切り餅である。

それを正方形の一枚板に並べて、もう一枚で蓋をする。

2枚重ねても薄いものである。



半紙で包んで麻緒で括る。

これをもう一枚作る本当屋の懐に忍ばせるフトコロモチ。

本当屋家で過ごした神さんが生駒山口神社へお戻りになられる際に、その名の通り懐に入れて参拝する。

持ち帰ったフトコロモチはお腹痛が治るというご利益があると伝わる。

一方、敬用人もフトコロモチを忍ばせるが数は本当屋より4っつ少ない12個。

これも同じように板で挟んで半紙包み。

麻緒で括ったフトコロモチは敬用人も2枚。

こうして明日の還幸祭に供える御供搗きを終えた。

次に調えるのは男神さんと女神さんが遷られる御幣の心棒。

御幣作りである。



反物一枚の晒布で幣に巻き付ける。

上部の60cm~70cmを空けて麻緒で括る。

巻き終わったところで挟みで切断して調整する。

宮司と禰宜は作ったキリヌサを均等に分けて半紙にのせる。

それに洗米と塩を落として半紙を捻る。

崩れないように包みこんで、口の部分を麻緒で括る。

これは明日の還幸祭のとき、本殿に御幣を納めるときに破って撒くそうだ。

床の間に調えた男神さん(左)と女神さん(右)が遷られる依り代の御幣を立てる。

両脇に提灯も立ててお供えをする。

お供えも並べる床の間にコモクサ(菰草)で編んだ御座(ござ)を敷き詰めている。

御供をのせるイタゼンは5枚。

中央にお神酒、洗米、塩。盛ったカマス、牛蒡、高野豆腐、人参、林檎も供える。



ローロクに火を灯して始めるイワイコミの神事。

はじめに宮司は手水に清める。

そして本当屋は屋内外すべての灯りを消した。

これより始まる見てはならない神遷しの神事だけに場から離れる。

音をたてずにそろりと屋外に出た。

耳を澄ませて、庭に設えたオハキの榊から御幣に遷る「イワイコミ」と呼ばれる神事に立ち会わせてもらったが、息を殺して音も立てずに、である。

暗闇の中、一本の榊に宿っていた男神さん、女神さんは、それぞれの御幣に宿られる。

神遷しの神事を終えて一息つく。神職も揃ってアンツケモチをよばれた。

遷し神事の間、床の間のある部屋の扉は開放したのだろうか。

手を合わせてお礼を伝える。

この日も本当屋のご厚意で慰労の場を設けられた。

ありがたくも私にも声をかけていただいたが、ここは遠慮、と伝えたが、食事の用意をしているという。

お気持ちはいただいたが、家の事情もあって場を離れようとすれば・・・。

ありがたくもいただいたご馳走は自宅で会食。



逆にお世話になった本当屋のTご夫妻に、この場を借りて御礼申し上げます。

(H29.10.12 EOS40D撮影)
(H29.10.12 SB932SH撮影)

mandaii坊城店のバッテラ助六セット

2019年02月27日 09時53分14秒 | あれこれテイクアウト
午前中に立ち寄ったmandaii坊城店。

立ち寄ったというよりも明日香村から大阪の吹田市に向かう道すがら、である。

心は橿原市の坊城にあった。

それが念じてカーナビゲーションが示した誘導である。

尤も、昨今はmandaii坊城店で買っておく商品がある。

ないときは諦めるが、この日もあった店内自家製の鶏天狙いである。

この商品だけは不満がまったく出ない。

今月は6日、11日の立て続け。それから2週間も経過したから、なんの木も云われることはない。

そう思って買った美味さ抜群の鶏天である。



尤も鶏天を食べたのは今夜の晩飯のおかずであるが・・。

それはともかく、この日の狙いはもう一つ。

吹田市に着く時間を考慮して買った昼メシ弁当である。

同店舗にはさまざまな作りたて弁当はあるが、本日に選んだ商品は税抜き価格が278円のバッテラ助六セット。

万が一の場合は車中食にも対応できる。

それが選んだ理由だ。

吹田市立博物館のアドレスをプッシュしたカーナビゲーションが誘導する道は平たん一般道から有料の近畿自動車道。

1時間先には着いている到着予想時間に驚いた。

橿原からたったの1時間で到着するらしい。

講演時間にはたっぷり間に合う予想時間である。

予想に反したのは着いた所だ。

なんと、なんとのそこは近畿自動車道経由の名神高速道路の吹田サービスエリアだった。

なんでそうなるの、って思ったが、所在地は間違っていないが、高速道路を選んだら、なぜかそうなった、ということだ。

まぁ、丁度いい。

1時間も経てばもよおす排尿させてもらうトイレに駆け込んだ。

着いた時間は午後12時半ちょっと前。

この日の平たん一般道は祝日というのにスカスカ。

高速道路もスカスカ。

カーナビゲーションの予想時間よりも早く着いたのでサービスエリアにあるフードコーナーを見渡す。

店内はそれほど広くない。

ざっとメニューを拝見して買ってきたバッテラ助六セットにしていた良かったと思った。

メニューに大きな立て看板がある。

一つはドライバーを応援するという「牛丼とうどんセット」。



価格は税込みで850円。

「味の味覚膳」は1280円もする。

とてもじゃないが、注文する気はまったく起こらない。

看板はもう一つあった。

「うま辛チゲラーメン」は単品で880円。



ご飯に2個の唐揚げが付いたら1080円。

ラーメン写真を見たらパクチーがのっている。

これまたダメだ。

堪忍してくれよ、といいたくなる。

そのようなことで、車中食。



蓋を開いたらお寿司のえー香りがふゎーんと。

バッテラ助六セットを買った一番の決め手は瑞々しいというか、照り具合が旨そうに見えたバッテラである。

〆の昆布を嫌がる人もいるらしいが、これがなければバッテラの味は確保できない。

シメサバだけではサバサバ・・洒落ではないが、水分が飛んで乾いてしまうのだ。

味が染みた昆布も美味い。

選んでよかったと思う。

次はいなり寿司。

先だって食べたザ・ビッグ・エクストラ天理店のいなり寿司よりも遙かに美味い。

一口食べてジュワー、である。

たまりません。

次は巻き寿司。

子どもが好む味に仕立てているだろうと思って口に入れたら、なんと、なんと。

何が美味いかっていえば、桃色のオボロ。

童心に帰る、ではなく甘さが渋めで美味い。

尤も、着色いっぱい、であるが・・。

巻きの海苔もえー感じ。

玉子焼き、シイタケ、カンピョウ、キュウリも味好み。

これにしていて良かった、と思う。

(H29.11.23 SB932SH撮影)

大根田散策に井戸神さんの祭りごとを見る

2019年02月26日 09時08分21秒 | 楽しみにしておこうっと
昭和62年3月に発刊された『飛鳥の民俗 調査研究報告第一輯(集)』がある。

編纂は飛鳥民俗調査会だ。

その中に明日香村大字大根田(おおねだ)にある於八王子神社の行事が書いてあった。

行事の名前は「十一月二十三夜」であるが、その名でされているかどうかはまったくわからない。

『飛鳥の民俗』に書いてあった記事を要約、一部加筆修正して次に記しておく。

「大根田は檜前の分かれの村と伝えられる。村には宮講がある。座は10月8日。前日までに宮講の頭屋は吉野川に出向く。川に入水して水垢離をする。その際に拾ってきた川の小石を3個持ち帰って、本社殿前に置いていたが、昭和17、18年ころに中断した」とある。

マツリ当日の「8日の頭屋は、床の間に掛図をかけて燭台に百目の蝋燭を一対立てて供える。翌日の9日の未明。講中は頭屋家に参集して、オカリヤに礼拝をする。御幣を持った頭屋を先頭に蝋燭、供物等を手分けして行列。その際、区長が白扇を開いて“ゴヘイノ ゴヘイノ ワァ”と云ったら、講中は“ワァ”と応じる。これを繰り返しつつ出発する。到着した講中は神前に般若心経唱えてお神酒をいただく。このときの頭屋は御幣をもって講中一人ずつに廻る。その際の講中は頭屋の御幣の紙を千切って胸紐や頭髪に挿す。もち帰った御幣の紙は神棚に上げて、翌年のトンドで燃やす」とある。

“ゴヘイノ ゴヘイノ ワァ”は他村の行事にも見られるが、御幣千切りの紙片扱いは、私が知る範囲ではここだけだと思う。

9日の宮講行事は、まだ続きがある。

祭典後に行われる頭屋の引き渡しである。

その儀式には詳しく書いていないが、翌日に頭屋の諸道具を次の頭屋家に送るようだ。

特徴的なあり方は、8日の夜から翌日の9日の朝まで、である。

トンドに火を点けて青年団が不審番をすることだ。

その夜は籠り。

頭屋から握り飯や、ゴンザと呼ばれる煮物料理に餅、酒で一晩過ごしたようである。

今どきはしていないと想定される不寝番。

正月を迎える歳旦祭でさえ、しなくなった村は多い。

他村の事例はどうであったのか、聞きたくなる在り方である。

続けて書いてあったのが、本日訪問して聞き取りたかった「十一月二十三夜」である。

記事に、「十一月二十三夜、五月のミユ(御湯)焚く日、その他、八朔に弁当をもって宮に行く。毎月の1日、15日は神社の清掃にお供え。1月14日のトンドはアトサキ頭屋の人も加わった3人で組み立てた。トンドの火点けは頭屋。神前燈籠のオヒカリから移して火を点ける」とあった。

大根田の地は未だ行ったことがない。

神社の場も知らず、カーナビゲーションにセットして車を走らせる。

セットした神社地がここです、と伝えるカーナビゲーション。

車は公民館の敷地内に置かせてもらったが、神社はどこに・・。



見上げた高台に玉垣などが見える。

参道がどこにあるのかわからず、辺りを歩いてみる。

登りの細い里道があった。



誘われるように登っていった所に神社が建っていた。

拝礼させてもらって辺りを見る。



周りにあった神さんは「富士大権現」に「金毘羅大権現」。



「御霊大明神」に「大峰山上」を刻んだものもある。

境内にある大岩は二つ。



何であるのかわからない。

辺りを見渡しておれば、下り石階段があった。



その階段横にあった石塔は「太神宮」。

お伊勢さんの遥拝、或いは伊勢講の存在を想起できる石塔があった。



どれもこれも真新しいサカキを立てている。

『飛鳥の民俗』に書いてあった1日、15日参りの頭屋が供えたのであろうか。

境内は落ち葉もなく綺麗に清掃しているから、たぶんにそうであろう。

石段を下れば公民館。

なるほど、ここが正門であったのだ。

この日の午後は大阪の吹田市立博物館に向かう。

講演時間まではたっぷりあるから大根田を散策してみたくなった。

少し歩けば、路傍の石仏のような構造物があった。

どことなく人物像にも見えるそれに綺麗なお花を飾っていた。



すぐ傍にある祠にも花を立てているから信仰のある方がおられる。

そう思って向かいにある民家を訪ねてみる。

呼び鈴を押したら奥からご婦人が出てこられた。

ここに来た要件を伝えたら、「十一月二十三夜」行事は嫁入りしたとき、すでにしなくなっていたという。

嫁入り時代は50年前に遡るようだから、昭和42年ころの時代になる。

吉野川の水垢離。

つまりは「オナンジ参り」である。

嫁入りする以前の昭和17、18年に途絶えていた、と『飛鳥の民俗』に書いてあった。

『飛鳥の民俗』の記事は行事名の「十一月二十三夜」だけであることから、調査・編纂した飛鳥民俗調査会が聞取りされたのも名前だけだったように思える。

実際の「十一月二十三夜」を知る人は今もおられるのかどうかは非常に難しいが、婦人に話した「十一月二十三夜」をしているのは奈良県内では1カ所。田原本町の神社と言いかけたとき、である。

「守屋さんとこの村屋神社」と婦人が云った言葉にびっくりした。

守屋宮司が一人でしている「十一月二十三夜」は村屋神社境内社の恵比寿社行事の「三夜待ち」。

二股のダイコン、2本のニンジンに2尾の生鯛を笹に吊るす。

恵比寿社行事は12月23日であるが、「十一月二十三夜」の可能性があると判断してやってきた八王子神社にはそれがなかった。

それにしても宮司の守屋さんを何故に・・存じているのか、である。

高取町が出里の婦人が云うには遠い親戚筋になるそうだ。

近い親戚筋にあるのが五條市霊安寺町・御霊神社の藤井宮司。

現在70歳になられる宮司とは平成26年の4月28日に表敬訪問した際にお会いしたことがある。

こうしたご縁はどこかで繋がる不思議なもの。

婦人もそうですね、と云っていた。

ちなみに嫁入りした大根田は門徒衆の浄土宗派。

他派のような営みがないことから、藤井宮司に来てもらって家の行事をしているようだ。

ところで大根田の宮講は「座」行事があった。

過疎化の村は18戸であるが、実際に動ける戸数は15軒になるらしい。

行事の負担は極力落として、ついこの前までしていたパック詰め料理の御膳もしなくなった。

膳を辞めた大改正は7、8年前になるらしい。

神饌を抱えて神社へのお渡りはあるが、料理関係の一切を中断したという。

宮講座中のトーヤ(頭屋)にアト・サキのトーヤとともに小規模ながらも祭典をしている。

『飛鳥の民俗』に書いてあったように毎度入替するサカキ立てはしている、ということだ。

家の前にある庚申さんに地蔵さんの花立ては、家の真ん前にあるから私が飾っているという。

話してくれた門屋の前にあるのは御井戸である。



そこにも鳥居があるからサカキを立てているというから、井戸の神さんも祭っている。

地元民が来られたので民俗探訪の聞取りはここまでであるが、花を立てていた庚申さんの行事はしているようだ。

庚申講の組は2組。

新暦の閏年にトーヤがお供えをするなどの閏庚申行事があった。

元々は旧暦であったような気はするが、言葉の端々にどことなく塔婆を立てているような感じを受けた。

『飛鳥の民俗』の記事はもう一つある。

藤原鎌足公の掛図を掲げる八講さん、である。

八講さんの場は観音寺。

区長預かりの鎌足親子三像の掛図に立御膳もあるらしいが、婦人の話しの様相から、この行事も廃れている可能性も拭えない。

いつか、もう一度訪問して伺ってみたい、と思うのである。



そうそう、婦人がここ大根田にはお不動さんもあると云っていた。

そこはすぐにわかった。

川沿いの一角にあった石標のような構造物がそれであろう。

(H29.11.23 SB932SH撮影)
(H29.11.23 EOS40D撮影)

遅い昼飯にザ・ビッグ・エクストラ天理店のいなり寿司を喰う

2019年02月25日 09時33分45秒 | あれこれテイクアウト
遅い、というよりもあまりにも遅くてほぼ夕飯時間帯に食べたいなり寿司。

4個入りで税抜き価格が99円。

百円にも届かない価格に驚いて、それまで買い物かごに入れていた68円のおにぎり2個は返す羽目になった。

病院の待ち時間は驚くことに総合受付した時間より始まってから6時間。

会計を済ませた時間帯は午後4時15分。

先に用を済ませてから立ち寄ったザ・ビッグ・エクストラ天理店。

少量の弁当、焼きそば・・なんでも良い。

パンは欲しくはない。

ザ・ビッグ・エクストラ天理店にあるキャベツ焼きは一枚が140円。

以前も食べたことがあるから、この日はパス。

イートインコーナー角地にあるたこ焼き屋さんの銀たこ。

旨そうなたこ焼きでえあるが、私にとってはなんせお高いので購入対象には入らない。

今からラーメンっていう感じにもならない。

隣にあった奈良交通社が提供するうどん屋さんの「おいしいうどん丼の店のたまごの極み」は撤収されたままだった。

で、スーパーのザ・ビッグ・エクストラ天理店内に今夜の酒の肴も合わせて探してみたら見つかった。

この機会に最適・裁量のいなり寿司が4個。

甘酢生姜ももらっていただく食事場は店内のイートインコーナー。

堅く閉められたパックの蓋をなんとか開けていただきます、だ。

一口食べてわかる美味しさはきつねの揚さんだ。

ジューシーというか味が濃い寿司飯はほどよい甘さ。酢の味は弱い方だが美味しさは保たれている。

歯にプチプチ当たる胡麻入りいなり寿司。

敢えて難点を云わせてもらえば、飯の固さだろうね。

(H29.11.21 SB932SH撮影)

DCMダイキ天理店内産直市で買うSD食品のお好み焼き

2019年02月24日 09時39分58秒 | あれこれテイクアウト
院内診察の会計を済ませた午後4時半。

もうすぐ日暮れの時間帯。

当初はラ・ムー店に寄って帰ろうと思っていたが行先を替えた。

北ではなく南にハンドルをきって走る国道169号線。

天理の勾田町の信号のまだ先。

パチンコ屋さんの向こう側に建つ施設がDCMダイキ天理店。

DIY関係の商品が大多数であるが、ここまで来なくとも我が家のすぐ近くに2店舗もある。

一つは山陽マルナカの北側にある富雄南店。

二つ目はユーホーム跡地にできた大和郡山店がある。

両店舗とも産直市を併設していない。

わざわざ足を伸ばして迄とは思わない産直市。

1年間以上も行くことがなかった天理店内は通院している病院から5分ほどで着く。

ここに行く目的はSD食品の冷凍お好み焼きが売っているか、いないか、である。

病院を出て10分後に着いたDCMダイキ天理店

店内にある産直市へまっしぐら。

冷凍ショーケースにあった。

前回の平成29年1月18日に見たときと同じ価格帯。

豚玉、イカ玉、ミックス焼は税抜き290円。

この日も買わなかったスペシャル焼、モダン焼、ねぎ焼、もちチーズは税抜き340円。

JAならけんまほろばキッチンで売っていた豚肉・タコ・イカ・ネギ入りのスペシャル焼きとかねぎ焼も同じ金額とわかって安心した。

ただし、である。豚玉、イカ玉、ミックス焼はDCMダイキ天理店内の産直市で売っているが、JAならけんまほろばキッチンにはない。

我が家が求めるお好み焼きは豚玉、イカ玉、ミックス焼で十分。

この日はお好み焼きだけでなく季節もんの果物も買った。

柿はここ天理市辺りで生産されている富有柿。

五つも入って150円。

大淀町で生産している温州みかんは230円。

他にも買いたいものがどっさりあったが持ち合わせの現金が足らないのでこれぐらいにしとこ。

買って翌日に昼食に出てくるから、国道169号を通る機会があれば、必ず立ち寄ることにした。

なお、DCMダイキ店内併設の産直市は南生駒店や広陵店もあるらしいが、まだ行ったことがない。

行く機会があれば、覗いてみたいものだ。

(H29.11.21 SB932SH撮影)

6時間待って審判が下された頻脈処置

2019年02月23日 09時09分44秒 | むびょうそくさい
頻脈症状が止まってもう2週間にもなる。

24日に予定している血栓検査の経食道エコー検査。

5日後の29日は入院して処置する電気的除細動治療がある。

電気的除細動治療というのはいわゆる電気ショック療法のカウンターショック。

その処置でも治らなければ心房粗動アブレーション処置をする。

予定はそうであるが、この2週間は元の木阿弥に戻った心拍数が40拍前後の徐脈状態に、また戻った。

このままであれば、徐脈状態にカウンターショックをするはめになってしまう。

尤も、先にしなければならない経食道エコー検査もあるが、これらは頻脈症状に対する処置である。

2週間も徐脈状態であれば、する必要性はない、と自己判断する。

尤も判断して勝手にキャンセルをするわけにもいかない。

きちんと現在状況を診断してもらって判断を下してもらうのである。

21日は火曜日。

担当主治医の担当曜日である。

その日に直接行って診てもらう前に現況を伝えておくほうが望ましいと思って、前日の20日に循環器内科受付へ電話した。

受けた職員はいう。

勝手にキャンセルはできませんので、明日は当日診療で来てくださいという。

診察受付は11時まで。

その時間までに来て受付してくださいと伝えられて、この日にやってきた。

午前10時に窓口の循環器内科受付に伝える昨日電話の件。

もう一度、繰り返してくださいと云うので、11月6日、7日、8日から以降の今日にいたるまでの経緯を詳しく伝えた。

主治医に情報を伝達するから詳しく説明する。

受付後はいつもの通りに待合室で待っていた。

30分後にあったマイク放送。

あぁ、これは心電図検査の通達だなってことがわかる。

実際はその通りの心電図検査。

検査室はフロアーが2階上。

これもまた、いつもの通りに受付を済ませて待っていた。

検査待ちの患者さんが6、7人。

これは時間がかかる。

心電図検査そのものは5分程度。

場合によっては10分という場合もある。

100回まではまだいってないが、かれこれ云十回もしてきた心電図検査。

先に呼び出された3人。

本日は人数が多いから1階の検査室に移ってもらいますと誘導された。

へっ、1階にもあったんだと初めて知る検査室。

検査が終わった時間帯は午前11時。

再び循環器内科の診察室前に座って待っていた。

この日はいつもよりも空いていて、いつのまにか夢の世界へ。

居眠りから目を覚ました時間は丁度の12時だった。

目を開けたら待合室はいっぱいになっていた。

それから、朦朧としながら待った。

再び目を覚ました時間帯は午後1時。

待合室は一転して閑散状態になっていた。

呼ばれる気配もなく、この状態では11月6日同様の午後2時になりそうと思っていた。

予想に反して午後1時20分にあったマイク放送。

次々と呼び出された患者は診察室とは真逆の裏側に移動してくださいというわけだ。

この対応は以前にもあった。

平成28年5月17日である。

別室への移動を促して案内された。

移動先は循環器内科診察室の裏側。

血液検査診察室の待合室である。

慣れたものだからというのもおかしなことだが、これは緊急処置。

診察室は午前、午後の部ごとに主治医が入れ替わる。

午後の部は午後2時からである。

午後に予約してある人とガッチャンコする。

場所を移動することになった患者さんは午後の受付である。

予約の患者さんもおれば突発的診察もある。

予約の患者数は予め把握しているが、緊急の患者さんは把握のしようがない。

患者さんの容態が違うから検査も異なる。

長引くこともあるということだ。

で、私の順番は何番目と聞いたら5番目。

これでは診察が午後2時ごろどころではないような気がした。

午後2時も過ぎたらさすがにお腹がグウグウいいだした。

座ったままで待つのは実に苦しい。

同じ状態で長時間もおればエコノミークラス症候群に陥ってしまいそうだ。

席を外してクマ歩き。

とにかく身体が動きたくなる。

尤も、病院に来てから早や4時間。

一時間に一回は用足しにトイレ行きだ。

いつ呼ばれるかもわからないが、コツはある。

待っている患者さんの動きである。

ずっと同じように待っていた患者さんが呼ばれたら、今の間と思ってトイレに駆け込む。

診察時間は早くて5分。

普通で10分程度。

それ以上もある場合は、診察室で特別な診断をしている場合だけであろう。

間隙を縫ってトイレに駆け込むコツはこうして覚えていったのだ。

午後3時半になっても呼び出されない。

どうやら5番目どころか最後尾になっていたことがわかったのは午後4時。

見覚えのある患者さんはすべてが消えた。

私一人しかいない。

やっとのことの呼び出しになったが、イライラ感はとうに沸点に達していた。

こうして始まったⅠ循環器内科医師の診察。

突発的に頻脈状態におちいった11月6日の状態。

翌日7日にⅠ主治医の診察があって、処方箋のワソラン錠を服用した日数といえば、たったの二日間。

ワソラン錠は毎朝、昼、夜食後の服用であるが、6日の夜から開始、7日は朝昼晩であった。

服用した二日目からすでに脈拍数は変調していた。

状態は120以上の頻脈であったが、7日の昼、夜は80拍台に下がりつつあった。

翌朝の8日の起床時も朝も、なんと、なんとと40拍台になっていた。

このまま服用するわけにはいかないから、8日の昼に電話をした循環器内科の受付。

主治医に状況を伝えてもらって指示があった。

ワソラン錠は服用しない・・である。

それから2週間は前述したように頻脈症状がまったく出ることなく暮らしてきた。

薬が短期間で効能を発揮したのか、わからないが症状は止まった。

本日の心電図検査の結果は実に良好なカーブを示す。

きちんとしたp波が出現していていることから問題はない、ということだ。

よっしゃという声は出なかったが、予定していた血栓検査の経食道エコー検査に入院処置の電気的除細動治療はキャンセルとなった。

確かな状態を診断した主治医の審判が下された。

「検査だけでもしておきましょうと言いはったら、私は爆発してましたで」と話したら、笑顔で返された。

ちなみに主治医がいうには、突発的な頻脈症状はままあるらしい。

再発した場合はワソラン錠を服用する。

今回同様に短期間の服用で症状が見られない場合はそうしてください、だ。

万が一、それ以上の日数が継続する場合は、また電話をすること。

次回は元々予定していた来年の1月23日の定期検査をするということである。

ちなみに原因である。

一般的な場合であれば酒の飲み過ぎである。

それは、ない。

毎日に飲んでいるアルコール量はたいしたことはない。

500mlの発泡酒が1本。

あとはサイダーで割ったチューハイが2杯若しくは1杯。

1杯の場合はカップ酒になる。

そんな毎日であるが、γ―GTPは57。

休肝日を設けなくなって、もう10年以上にもなるが、肝臓の状態は実に良い。

ストレスもないが、医師が云うには強烈なストレスによって頻脈が発症するらしい。

発症した日は11月6日の朝食後である。

朝6時、起床した際の脈拍は45拍。

いつもと同じような心拍数だった。

微妙におかしいと感じたのは朝8時に食べた朝食後のことである。

突然のごとく発症した頻脈は身体全体が震えるほどに心臓がドキドキした。

計った血圧は130-91であるが、脈拍数は目ん玉が飛び出しそうになった122拍だった。

ストレスなんてものはまったくなかった。

敢えていうなら室内温度が高めになっていたことだった。

こうして検査も処置もしなくなってほっとする。

午後3時を想定していた会計処理は、予想が大外れの午後4時半。

今日一日がストレス有り過ぎ、と思った。

(H29.11.21 SB932SH撮影)

関西文化の日の初日は雨天

2019年02月22日 09時54分08秒 | しゃしん(県立民俗博物館展示編)
天気予報がどんぴしゃの大当たり。

この日は関西文化の日。

関西一円の博物館など文化的施設はどことも無料で拝観できる。

奈良県民俗博物館では今年4回目になる「なら民博ふるさとフェスタ」が開催された。

だが、この日は昨夜から降り続ける雨はやまずに、午前中いっぱいは降り続けた。

博物館内では常設展示に企画展、写真展がある。

館内においても手造り体験コーナーもあったが、客待ち状態。

外のイベントは残酷なくらいに客数が少ない。

昨年は駐車場も満杯で臨時駐車場も設けて応対したぐらいだった。

昨年は快晴。

日中の照りに汗もでるくらいだった。

そんな状況であってもお客さんがやってくる。

昨年と比較するのは申しわけないが、ざっと見渡して客数は昨年の1/10以下かもしれない。

昨年なんかは写真展でさえごったがえしになるぐらいの盛況ぶり。

今年もそうあって欲しいと願って担当する解説日は展示室で待機する。

雨は止んだが、外は曇天。

展示室も暗いであろうと思ったが、今年はかねてより懸案事項だったスポットライト装備ができあがった。



写真展を担当している学芸員のご尽力の賜物で、ようやく実現することになった。

効果は見事に発揮されて写真家たちの作品がよくわかるようになった。

駐車場も、外イベントもガラスキ。

冷たい雨にもめげずにお客さん対応されてきたが、身体を温めるには芯から。

温かいトン汁でもあったら飛ぶように売れたことだと思う。

外イベントで楽しんでもらった来館者は博物館内にも来ていただくのが狙い。

私が知る範囲内でも数組の親子連れがそうされていた。

うち1組は幼子も入れて子供さんが4人の家族連れ。

森川光章さんが出展していた「手水場」に浮かんだスイカに目がいく。

一緒に浮かべているのは黄色いマッカ。

ご両親に尋ねてみればマッカウリ。

よくご存じであるが、私ら子供のころはスイカよりも黄色いマッカ(キィマッカと呼んでいた)が主力だった。

もう一人の子どもは漢字が読めるらしく、覚えている漢字でタイトルを読みあげてくれた。

嬉しいことであるが、写真には興味がなかったようだ。

そういえば、一部の文字には子どもさんでも読めるようにふりがなをふってくれていた。

さて、“読み”は合っているのだろうか。

午後1時ころともなれば冷たさも一段落。

来館客もすこしは増えたようだが・・。

男性2人組が2組も見てくれはるが、視線の動きは早い。

どれか気になったものはありますか、とお声をかけたら、森川壽美三さんの「番水(ばんみず)の時計」。

田んぼにとって必要な山の水を地域の村に供給、その水は時間を分けて地域に流す、時間割で決まる水量、昔は分配する時間割などで水争いがあったと話した。

ずいぶん前に亡くなられた会社上司の出身生活地が御所市の櫛羅(くじら)だった。

先祖の時代に隣村などに水争いがあったという歴史的な事件は血なまぐさかった。

上司が話してくれたことは今でも印象的に覚えている「番水」である。

「水」は農家にとっても、以外の人たちにとっても生活するうえで絶対的に必要とするもの。

「水」がなければ生きていけなかった当時に現実があったが、今ではそんなことすら気にならない時代。

捻るとジャーではないが、蛇口を廻せば簡単に水を得ることができる利便な時代に昔の人がタイムマシンに乗って現在にやってきたら驚くだろうな。

そんな水道水蛇口に直接口を当てて飲んでいた中学生時代。

これを鉄管ビールと称していたのは、住んでいた住之江地区だけだったのか・・。

夫婦が1組に親子連れが2組。

そのころにわざわざ見にきてくれはった風景写真家の吉崎喜寿さんに図録を、受領しにきた写真家の森川光章さんも一緒になって、一挙に賑やかさ。

その間に訪れた若夫婦にお声をかけたら、田植え直後の水田が美しいと。

天から降った水は水田を潤す。

この時期は梅雨入りもあるからほどほどの雨量が田んぼを潤す恵みの水も、天地がひっくり返るような大雨になれば水害を起こすタネにもなる。

今年の10月は長雨に台風が運んできた雷雲によって奈良盆地は大雨に田んぼが水に浸かった。

昭和57年の大雨に大和川が溢れて王寺駅が水ツキを思い出される吉崎喜寿さん。

私が思いだすのが当時住んでいた大和川が流れる大阪市内の住之江。

幼少期の台風は水かさを増して堤防スレスレになったことは鮮明に覚えている。

上流は奈良県。

王寺を流れる大和側はそれぞれの支流から集まって大河となる。

未だに地滑り対策をしている亀の瀬を通ってからは大阪南河内郡を流れてきた石川と合流する。

集まった水量はどっと流れて大阪湾に。

大河を流れる合流にビビったことがある幼少期。

たぶんに昭和36年の第二室戸台風だったと思う。

地域の大人はその状況を見てこのままでは堤を越えて氾濫する。

そうであれば通天閣がある天王寺さえも水浸しになってしまう。

大昔はそんなことになったこともあると必死の形相で子どもたちに伝えていた。

それがあってかどうかわからないが、堤防は嵩上げ工事が施行された。

嵩上げは何メートルになったのか計測していないが、昔の面影は、写真でしか思い出せない。

昭和28年ころの白黒写真
に写っている右の女性はおふくろだ。

赤ちゃんは実弟の次男。

隣の男の子は近所の子ども。

大和川堤防が昔のまんまの姿。

コンクリート護岸もしていない時代の河川敷は草がぼうぼう。

私が子どものころはこの河川敷で遊びほたえていた。

長めの草と草を縛って罠を仕掛けたこともある。

また、大きな穴を掘って落とし穴作り。

河川敷は砂地だったので穴は掘れば掘るほど砂が崩れる。

途中で危険を察知して埋め戻した記憶もある。

話しは脱線したが、大水害がもっと奥の上流になれば山崩れにもなる。

10月の台風21号によってがけくずれが発生した吉野町楢井を通る国道169号は全面通行止めが今でも続いている。

崖崩れが再発でもなれば工事していた人たちが二次災害を受けることになる。

再発しないと判断されるのはちょっとやそっとの期間ではない。

その道を利用していた生活者は不便をかけるが、前面開通するまでは大迂回ルートに頼らざるを得ない。

台風の影響で紀伊半島に豪雨をもたらせた平成23年10月。

十津川村の景勝地である笹の滝に行く道が崖崩れになった。

いつ崩れるともわからない状態が長期間に亘った。

安全が見込まれてようやく工事に入ったときは平成24年度。

全面開通に至ったのは平成26年の9月であった。

復旧するまで丸3年もかかった。

そんな水害の話題をしていた3人。

写真家は記録だけでいいいのか、それとも復帰、復活できるような希望をもった映像にすべきか・・・。

それは掲載、掲示する媒体によって選ばなければ・・と思っている。

他にも閲覧者が通り過ぎる。

男性一人組が2組も。

洞川のごろごろ水は知っているけど豆腐屋さんがあったとか、大滝ダムは動いているのですかとか、私は鳥屋のネイチャーフォトカメラマンも見てくれるが・・。

ある親子が子どもに話しかけた言葉にはっとする。

親が指をさした映像は志岐利恵子さんがとらえた「誕生」に「おまえもこうやって生まれてきたんやど」である。

親子のように、私はどの写真であって閲覧者が会話をするような写真を展示したいと思っている。

できればそうしたいが、閲覧者が育ってきた環境も違えば育ちも違う。

当然ながら生まれて育ってきた時代も違う。

育ちは、そのとき、その年の生活文化によってくるまれている。

生活文化は暮らし。

家の暮らしもあれば地域や職業柄というのもある。

民俗はその人の暮らした環境、時代によって体験が違うから、共通の話題を求めるのはちと苦しい。

ですが、一つでもなにかを感じてもらえば嬉しいのである。

7回目の民俗写真展のお題は「水」だけに雨の日。

足元が濡れる日にご来館いただき、ありがとうございました。

辛口評も、次年度のお題もいただければ幸い。

次回も民俗写真に挑戦したいと思っている。

(H29.11.18 SB932SH撮影)

豪華三種盛り牛バラ肉+ワカメ+肉匠たけ田の油かすうどん

2019年02月21日 09時35分03秒 | カンタンオリジナル
一週間前はきつねのあげさん一枚をプラスした肉匠たけ田の油かすうどんを食べた。

こいつはほんまに美味いうどん。

油かすの香りも味も後を引く美味しさ。

数日経っても喉の奥で味覚が残照のように蘇ってくる。

それほど美味しい肉匠たけ田の油かすうどんはむちゃくちゃ旨いのである。

本日はきつねのアゲサンではなく、牛バラ肉を炒めたものをトッピング。

ついでといっちゃなんだが、ワカメも追加のトッピング。

刻みネギを落とすのはカレーうどんでも同じだ。

いっぺんぐらいは白髪ねぎで食べてみたいもんだが・・・面倒くさいといわれる可能性があるので、それはさておいて、今回のトッピング油かすうどんでは油かすの魅力を半滅してしまったようだ。

匂いもうどん出汁にも油かすが拡がらないのである。

味は不味くないのだが、香りがしないのが難点である。

何故に、である。

牛肉は味付けもしていない。

ワカメもそうである。

で、あれば味も香りも油かすが鼻につくはずなんだが・・・、それがない。

出汁を飲めばまさしく油かすうどん。

本日も冷凍うどん麺で食べた。

出汁に絡んだ細かい油かすとともにくちの中に吸い込まれていく。

前回同様にくちの中は油かすがぱぁーっと拡がる。

こりゃ、たまりません。

ということはワカメも牛バラ肉も油かすが浮いた出汁で食べるのが良いとわかった。

じゃぁ、三つ纏めたスペシャルを口に入れたら、そりゃもう油かすの一本勝ち。

価値のある勝ちに満足する。

ところで、いろんなスーパーの店内肉屋に立ち寄って油かすを探しているのだが、肉匠たけ田のような油かすはどこも売っていない。

どこでも良いから、肉屋さん勝負してくれないかな。

(H29.11.18 SB932SH撮影)

前立腺癌検査の結果は

2019年02月20日 09時00分36秒 | むびょうそくさい
前回は診察を終えて帰る前の血液検査があった。

結果はこの日に通達される。

診察してくださった病院はおふくろが骨折治療で入院している病院だ。

総合受付で申し出る受付。

月初めだから保険証の確認もある。

検尿カップを受け取ってトイレに駆け込む。

微妙な量が溜まっていた尿をカップに落とす。

出過ぎてもかなわん外しどころに注意しないと毀れ尿で汚すことにも成りかねない離れ業。

そんな大層なことではないが・・。

それから待ち続けてすっかり眠ってしまった。

呼ばれたときは夢かなにかわからないが朦朧状態。

診察室に入って診てもらう医師は泌尿器科のM医師。

どうですか、と具合を尋ねられるが、えーとも、あかんとも、どちらでもない。

排尿に困るまでとはいかないが、たんまに「出」が悪い時もある。

たんまだから、困ったことでもない。

普段はジョンジョロリンと出る方が多い。

そうだと思っている。

尿意に痛みを初めて感じたのは7月22日だった。

そのときの診断結果は感染症による膀胱炎だった。

診てもらったクリニックの先生が処方箋した薬は炎症を抑える薬。

炎症は止まったが、8月5日は再び強い痛みが発症した。

地元大手の整形外科病院の門をくぐった。

そこで判ったのが高齢男子病の前立腺肥大症だった。

処方箋は「レボフロキサシン錠500mg(DSEP)」に「タムスロシン塩酸塩OD錠0.2mg(サワイ)」の適用。

その後の10月20日に切り替えた「ナフトピジルOD錠75mg(サワイ)」の服用。

それほどの違いが体感できなかったから、次の通院日まで継続治療に決まった。

さて、前立腺癌検査の結果である。

それが判断できる検査項目はPSA(タンデム)。

基準値が<4.00ng/mlのところ、1.33だった。

範囲内の結果に手を叩く。

ちなみにγ―GTPは57。

前月の定期的循環器内科の血液検査では85もあったが、下がっていた。

これもパチパチと手を叩く。

もう一つ気にかかる数値はヘモグロビン値だ。

今回の検査結果は14.0。

これもまた、循環器内科結果が14.3だったから、適用範囲内。

基準値は13.6-18.3であるから、なんもいうことはなかった。

医師も太鼓判を押してくれたのが嬉しい。

ちなみに知人のSさんがFBにアップされたショットバー感覚の飲み屋の天井写真をみて、これはと思った。

飲み屋ではなく、処方箋調剤薬局の天井がそれだ。

飲み屋と同じように冷暖房機は天井設置。

その天井は鉄骨打ちっぱなしの構造である。

調剤薬局は毎月の通院に処方してもらっているjibun薬局。

先月に新築オープンした薬局だ。

室内装飾はまるでカフェのような造りに驚いた。

ジャズも流れるし、リラックスモードにしてくれるマッサージ機もある。

時代の変化についていけるやろかと思った次第だ。

(H29.11.17 SB932SH撮影)