マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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地域ぐるみのクリーンキャンペーンに守備範囲の変貌

2022年09月14日 08時00分48秒 | 移設道路工事
目の前にある丘は、県の所有地。

いずれは、空いているそこも建築されるだろう、と思っていた。

住まいする希望者もなく、ずっとそのままになった丘にぼうぼうと蔓延る雑草。

それもあるが、雨量が多いときには、丘の砂が流れていく。

水路に落ちた砂は、泥に変化。

放っておけば、水路は役目を果たさない。

6月と11月の年2回。

市内一斉に行われるクリーンキャンペーン。

作業を終えて、集まった吞兵衛たち。

自宅にあるおかずに、余りものの酒類も持ち寄ってくる。

炎天下の下にはじまる地域コミュニケーション

大阪から、当地に転居してからずっと続いてきた地域コミュニケーション。

自治会のどの組もしているわけでなく、住まいする地区だけなのが面白い。

平成25年6月の地元説明会のころは、草ぼうぼうの丘だった。

県立奈良病院移設建築に伴う石木-城線都市計画道路付け替え工事に合わせて、丘も工事に入った。

地域開発の際、手違いかなんかで、残されていた下水用の大きな土管は撤去。

丘に自生していた植物は根こそぎ伐採。

その上に、グリ-ン色のシートを全面に被せた。

雑草の成長防止策を施してくれた。

ありがたいことであるが、地域コミュニケーションの場がなくなった。

いっときは、地域下のあるお家のガレージに移ったようだが、自然の成り浮き消えた。

以降のクリーンキャンペーンは、実にラクラク。

豪雨になっても丘土は流れてこない。

泥水が消えた水路は綺麗な状態が続く。

平成30年1月、付け替え道路工事を終えた新道の石木-城線が開通した。

奈良交通の木嶋(このしま)バス亭も旧道から新道に移された。

数年経った頃から、雑草の動きがみられた。

丘全体を覆ってくれた防草シート。

シート、シートの境目に空洞が生まれる。

重ねておればまだマシだったかもしれない。

その境目から芽が出て、育った雑草も根が深い。

とてもじゃないが引っこ抜くのも難しくなった。

成長の若い時期の草は、力は無用。

ちょいと指で摘まむだけで抜けるのだが、どこでもそうっだと思うが、若芽のころは誰も手をださない。

庭に生える雑草もそうだ。

成長期はみるみるのうちに、ぐーんと伸びる成長期。

その時期を逃した雑草の根は硬い。

雨天が続いた土地に生える雑草も土が柔らかくなれば、引っこ抜きやすくなるのだが・・

この年のクリーンキャンペーンも終わった。

綺麗になった丘は、気持ちいい。

伐採した雑草どもは、大きいゴミ袋に収納。



いっぱい詰めた収納服は、大型ごみ収集場に置いておく。

シート覆いのなかった時代のゴミは、乾いた土に泥土が多かった。

これらも袋に詰めたが、重さが違う。

体力を必要とする”土”がなくなっただけでもありがたい。



時間ともなれは、回収ダンプがやってくる。

朝8時半からはじまったクリーンキャンペーンも10時までに終える。

すべてが終ったら解散。

かつてのような地域コミュニケーションに集まることなく・・・

(R2.11.14 SB805SH撮影)

祝・石木-城線開通

2019年05月18日 08時55分08秒 | 移設道路工事
撮影したのは1月25日であるが、本日28日の午後2時に開通した。

当地へ越して来て早やくもないが、30年以上も経って、ようやく開通した石木-城線。

奈良市の石木町から南の大和郡山市城町を結ぶ幹線道路である。

幹線道路の用途はもともと奈良市の押熊町にまで延ばす計画であった。

土地買収の課題もあったが、周辺道路の拡張や新路線の開通によって、これまで難儀していた渋滞があっさりと消えてしまった。

路線は必要としなかったが、新しく建てられる奈良県立病院の移転先が決まったことで、方針は大転換された。

奈良県立病院は4月に移転、5月1日に開院する段階で名称は奈良県総合医療センターに生まれ変わる。

幹線道は新設する病院導入路でもあるし、富雄川沿いに走る道路にも繋げる幹線道路は大和中央道のバイパスのようなものだと思う地元住民である。

これまで見たことのないような景観になった。

過去の映像は記憶が霞んでしまうほどのぶっとび変容であるが、慣れるのは数日であろう。

ちなみにここは十字交差点の城町北。

幹線道路を渡るには押し釦式信号器がある。



徒歩、自転車の人は押しボタンを押して青になるのを確認するが、バイクや車は停車して左右に顔を大きく振って往来する車の動きを見なくてはならない。

停車する車を自動感知する信号器を望んでいたが、実行されないと伝わった風の便り。

事故が発生してからでは、もう遅い。

通行量を計測する予定はあるのか、ないのか・・・。

その結論は翌年の平成31年3月まで待たねばならない。

(H30. 1.25 SB932SH撮影)

道路工事の進展

2017年07月03日 09時48分17秒 | 移設道路工事
県立病院の新築工事に伴って進入道路の工事がますます進展していく。

日々では気がつかないが、一週間、二週間の間が空くにつれて状況は一変する。

進展によっては一年前の状態がもう思い出せない。

若干の撮り位置は移動しているが、現況はこのような状態になった。

(H28.10.26 SB932SH撮影)

数年後に様変わりする石木-城線

2016年06月22日 09時18分53秒 | 移設道路工事
心臓リハビリに自宅周辺を歩いている。

心臓手術は無事に済んだが、脈拍異常の状態が続く。

薬剤の増量処置をしているが、よくなる傾向は見られない。

上半身は動くものの下半身は本調子に戻る気配もない。

自宅周辺は字主水山(あざもんどやま)。

竹藪だった山を切り開いて造成した新興住宅地。

わずかであるが、主水山は旧村。

北に数百メートルも歩けば奈良市石木町に鎮座する登弥(とみ)神社がある。

神社氏子圏は奈良市の石木町、大和田町に大和郡山市内の城町。

地区は主水山である。

我が家は30云年前に当地へ引っ越してきた。

籍は字主水山であるが、行政番地が付与されたら字名は消えた。

石木-城線は大和中央道より北にできる新設道。

越してきたときに拝見した法務地図に中央道が我が家の目の前に通る道筋が描かれていた。

30云年も経てば時代状況は変化する。

予定していたコースは奈良市押熊町までを直進するはずだった。



富雄川に沿って走る道路は狭かった。

毎朝、毎夕はいつも渋滞を起こしていた。

十年ぐらい前に道路は4車線に拡張されてからは渋滞がなくなった。

通行しやすくなったし、昨年には富雄南イオンタウンもできた。

何年か前に決まった新県立奈良病院の移転である。

病院は平成30年に開業される予定だ。

工事は着々と進捗している。

工事車両は富雄川からの出入り口。

いずれは病院への進入路になるであろう。

病院の進入路は他に2カ所が予定されている。

一つは六条西にある五条山病院辺り。

もう一つが我が家の目と鼻の先になる。

6月初旬、石木-城線にあった主水山地蔵尊は道路の付け替え工事に伴って祠ともども退けられた。

廻り道の一部が広げられた付け替え工事。

路線になった家は移転する。

道路の東際に住民が住むと思われる住居建築が始まった10月初旬。

看板は残してあったが、数日後には10月末に書き換えられていた。

ここよりまっすぐ通る道の工事が始まるのは来年になるであろう。

電柱がある先、数百メートルの地に我が家があるが、現時点では主水山の丘があるので見えない。

それから二日後の8日である。

地蔵尊があった地の南方だ。

付け替え工事する処にある急カーブ道付近に立てられていたマツリの御神燈提灯。

高く掲げられた中央には御幣がある。

向こうに見える家人に尋ねたら10月7日の朝6時に立てたというのだ。

登弥神社のマツリを示す提灯である。

ここより神社に向けて歩く道は狭い車道。

路線バスも走る道路である。

車の往来が激しい石木-城線。

カーブミラーを見ずに突っ込む車で絶えず渋滞を起こす道だ。

地元民は状況を判っているから突っ込まない。

渋滞を引き起こさないように手前で待つ。

私もそうして待っているが、後ろに着いた車が追い越していく。

それによって狭い処ですれ違うこともできずに渋滞を起こす。

場合によっては避けようとして水路にタイヤを落とす車も多い。

路線バスが遅れることもしばしばある。

石木-城線は病院開業に伴って現路線から新路線に移される。

我が家辺りから地下構造アクセス。

通り抜けて病院に入るアクセス道と富雄川に抜ける道になる。

当然ながら路線バスの行路も替わる。

停留所は我が家の目と鼻の先だが、階段もしくは迂回道で道路に上がる。

そのような工事説明会が20日に行われる。

それはともかく提灯立ては翌日の8日の宵宮祭、9日の秋の大祭が済むまで立てている。

石木-城線に住む旧村住民は門屋に家の提灯を立てる。

ちなみに8日は神事に浦安の舞や御湯立が行われる。

9日は子供太鼓が巡行されると聞いているが、未だ拝見できていない。



7日の朝6時に提灯を立てたという家は農納屋がある。

カーブ付近にある建物から大きく膨らむ袋が見られる。

今年は天候不順で稲刈りが例年より遅くなったという婦人。

ウスヒキの真っ最中だった。



当家の畑は富雄川の西側。

田園が広がる地は黄金色に染まっていた。

稲刈りが忙しい時期にマツリが重なった。

すべてのウスヒキを終えたら刈った田んぼでもみ殻を焼く燻炭作り。

燃えないように水をかけて調整するという。

通りがかった10日もウスヒキをしていたが、マツリの提灯は見られない。

提灯倒しは10日の朝6時。

マツリは終わってもウスヒキは続く。

(H27.10. 6 SB932SH撮影)
(H27.10. 8 SB932SH撮影)
(H27.10.10 SB932SH撮影)

地蔵さんはどこへ行く

2016年05月25日 08時48分37秒 | 移設道路工事
退院してからは自主的なリハビリ運動が欠かせない。

一日二回。午前中の涼しい時間帯に1回目の歩行リハビリ。

だいたいが20数分。距離にして1.3kmぐらいだ。

2回目の歩行リハビリは夕方近い時間帯。

お日さんがやや落ちて日陰ができる時間帯に歩く。

これもまた、20数分間で1.3kmの距離。合計して2.6km。

実際は若干のコース変更があるのでだいたいが2.5mぐらいになる。

リハビリは日課。

どれぐらい筋肉が戻ってくるか、である。

24日はコースを替えてみた。

団地道路を抜けてバス通りに出たら景観が変わっていた。

左手角には小屋があった。

入院中だったか判らないがある時点で壊されたのであろう。

ここは道路拡張にかかる部分。

右手はすいぶん前に整備されており侵入されないよう金網で囲われている。

道路向こう側の家屋は一部が壊されて工事関係者の宿舎になっている。

その左手には樹木がある。

樹木下にあるのは主水山地蔵尊。

地蔵尊の祠もある。

その右手が拡張された区域。

工事中につきブルーシートが敷かれていた。

それから2日後の26日。

朝の歩行リハビリをしていた。

この日もずっと下って24日と同じ場所に出た。

なんとなく雰囲気が違う。

何が違うかと云えば、樹木だ。

伐採されて影もない。

当然ながら主水山地蔵尊は祠ごと消えていた。

どこへ行ったのか地蔵さん、である。



6月初旬に始まった県立奈良病院移設建築に伴う石木-城線都市計画道路付け替え工事は9月30日まで続く。

変容の記録も要るだろう。

(H27. 8.24、26 SB932SH撮影)

道路拡張工事が始まった

2016年04月17日 09時53分56秒 | 移設道路工事
県立奈良病院移設建築に伴って石木-城線都市計画道路の拡張ならびに付け替え道路工事が始まっている。



それに伴って拡張道路にあたる家屋は壊される。

ここは団地より西のどんつき。



東南辻に建っていた家屋はクレーン車などで地面などを整備していた。

一方は富雄川に抜ける細い道路。

西の西側は何年か前に新築された住居がある。

その手前は小屋のようだった。

そこも潰している。

道路拡張とは直接の影響がないように思えたが・・・。

(H27. 6.12 SB932SH撮影)
(H27. 6.28 SB932SH撮影)

移転候補の主水山地蔵尊

2016年04月17日 09時43分09秒 | 移設道路工事
毎年の8月23日にご詠歌を唱える地蔵盆が行われている主水山(もんどやま)地蔵尊。

住まいする大和郡山市城町にある。

県立奈良病院移設建築に伴って石木-城線都市計画道路が計画されている。

主水山地蔵尊横の周りは道路の付け替え工事。



右の道をこのまままっすぐ。

移設建築を予定している県立奈良病院の導入路になる。

30云年前の計画では奈良市押熊に抜ける大和中央道だった。

ここより南にある城大橋からは大きく折れて富雄へ向かう県道が本筋になった。

元々計画していた道は住まいする住宅地を北進し病院への導入路になる。

我が家のすぐ傍である。

工事が始まった付け替え道が敷設されたら地蔵尊は移動されるのか・・・。

されたらどこへ移るのか。

もしも移すということになれば、こういう場にあったという記録になると思って撮っておいた。

(H27. 6. 4 EOS40D撮影)

地域を通る都市計画線

2013年10月10日 16時42分06秒 | 移設道路工事
新県立奈良病院の移転開業にあわせて新たに都市計画路線が開通する。

新たにと云っても一部は大和中央道の路線変更である。

大和中央道は住まいする旭ケ丘自治会住宅を縦断する。

尤もその計画は当地に住まいする前からあった昭和39年の計画路線だ。

住まいを決めた段階で法務局にでかけて縦覧していた路線。

自宅間際を通過する。

いつ建設されるのか。30年も前には「今でしょ」という流行りの言葉はない。

計画路線は奈良市の押熊までの一直線だった。

当時においても既にあった住宅地を縦断する。

たぶん無理だろうと思っていた。

富雄川に沿った県道枚方大和郡山線がある。

引っ越してきた当時は一車線道路。

朝夕は特に込んでいた。

富雄駅から山田町へと向かう奈良学園のバスはなかなか動かなかった。

川を挟んで片道二車線道路になったのは何時だったっけ。

10年も経っただろうか。

渋滞もなくなった生活道路はいつしか忘れてしまうものだ。

旭ケ丘から城大橋交差点間も開通した道路で移動しやすくなった。が、狭い旧道は相変わらず。

抜け道になっているのか知らないがまぁまぁの通行量。

旧道は一車線。生活圏の足になっているバスも通る。

対抗するにはとても無理な道。

幅広い場所で停まっておればいいものの突っ込む車両で挟み合わせ。

バスの運転手も難儀する道だ。

一方通行にでもしてほしい道だが、今回の対象にはなっていない。

計画路線は昨年辺りから地域周辺において地元説明会が行われてきた。

縦覧もされたそうだ。

今回の説明会は住まいする地域住民のため。

自治会集会所で行われた。

新県立奈良病院のアクセス道路ともなる石木城路線は今後の生活にどのような影響が発生するのか、である。

工事が始まるまでに地域を貫く路線、特に平面交差する地点の現状を記録しておこうと思った。

搭載した写真は6月2日に行われたクリーンキャンペーンの模様である。

地区の傍点すぐ近くが病院へ乗り入れる道路になる。

工事が始まれば景観は一変するであろう。

(H25. 6. 2 SB932SH撮影)
(H25. 6.23 説明会聴講)

クリーンな日に真っ黒

2010年12月20日 08時24分13秒 | 移設道路工事
市内では毎年6月と11月に一斉に地域を清掃するクリーンキャンペーンがある。

共用する場所を綺麗にする掃除の日。

始まる時間は決まっているが終わりは「キレイ」になるまでだ。

いつもなら雑草も生える道路際。

山から流れた泥は溜まっているものの、下水道工事がされたあとなのでそれはない。

あっという間に終わってしまった。

清掃道具を手にした人たちは暇をもてあます。

「ここにあるじゃない」と目を付けたのは家前に生えているカヤのススキ。

カヤの茎は固い。

それゆえ箸に使っている行事もある。

そんなことはお構いなしにノコギリが入った。

根っこの固まりだけは残ったが、それもスコップで根こそぎ除去。

月見の日には観賞用で使っていたカヤススキはまた生えてくるであろうか。

思いを残して行事取材に向かった。

それから数時間。

自宅に戻ってみれば、恒例の宴は炎天下の下で続いていた。

帰るなり手を引っ張られて缶ビール。

ここ数年間は取材や仕事で離れていた。

「あんたが来んかったら盛り上がらん」というが男たちはすでに酔いの様相。

おらんでも盛り上がっているじゃない。と、思うが手が勝手に缶ビールへいく。

そういや出かけて行ったときのことだけど・・・。

オイル漏れと思われる黒い点々がついていたという。

そういえば先日辺りからアクセルの様子がおかしい。

バックしてもスリップするような感じで駆動輪に伝わらない。

前進もそうだ。

アクセルをふかしてもなんだかぎこちない。

それから3日後。Sオートサービスに点検してもらった。

その結果は金が要る話しとなった。

洩れていたオイルはオートマのもんだった。

道理でスリップするはずだ。

オイルを補充すれば収まるちゅうけど本体部分はいずれ大修理をしなくてはならんだろう。

次々と訪れる突発的な支払いがまたもやかぶさってきた・・・。

数日経過した。

補充したオイルの状況はどうなっていたのか。

残念ながらエンジンを始動したらポタポタと落ちていく。

まるでポタポタ焼きのようや。といっても煎餅ではない。

ポタポタというフレーズのことだ。

それほど早い間隔で落ちていく。

みるみる間に黒い点が広がっていくガレージ。

これはあきません。

用事があるので仕方なく車を運転した。

戻ってその痕跡を追いかけると数百メートルも点々としていた。

当然ながらSオートサービスに持ち込んだ。

シールどころかミッションも交換せねばならない状況だった。

またもや中古パーツを探さねばならない。

(H22.11.21 SB932SH撮影)