マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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寿命切れエネループ

2014年01月31日 08時54分35秒 | しゃしん
デジタル一眼と併用しながらフイルム写真も撮っている。

カメラは中古で買ったキャノンEOS-3だ。

平成21年11月から使っている。

ストロボはキャノンのスピードライト540EZ。

これもまた中古品である。

平成24年の11月に購入したからほぼ一年にもなる。

電池はサンヨー社製のエネループである。

充電時間が早いから即応してくれる。

写真を始めたころは乾電池だった。

ストロボを多用することが多くなった時期がきた。

しょっちゅう乾電池を交換するのに耐えられなくなって充電式電池に替えた。

パナソニック社製のHHR-3PPSだ。ニッケル水素電池である。

けっこう使っていたが、充電時間に間があるからシャッターチャンスを逃すことがある。

そんな鬱憤があった。

平成18年6月のころだったと思う。

知り合いのUカメランマンとその件を話していた。

「もっと良い充電式電池がある」と勧められたのがエネループだった。

型番はHR-3UTGで、パナソニック同様のニッケル水素電池である。

試しに買ってみたエネループ。

これが気持ちいいほどに充電が早くてモチも良い。

前置きしたのはストロボが光らないときが発生したことによる。

充電したときには必ずストロボが発光するかどうかテストをする。

数回発光すればOKだ。

ところがだ。

先週辺りからどうもおかしい。

充電テストをしていたにも拘わらず本チャンではまったく動作しないのだ。

中古で買ったスピードライト540EZがおかしいのか。

何回かそんなことがあった。

もしかと思ったエネループは耐用期限切れ。

Ksケーズデンキに品物を求めてやってきた。

見つからないエネループ。

探した結果はパナソニック社製のエネループ。

型番はBK-3MCCだ。

この日は特価で4本セットが1216円だった。

ケーズデンキはいつも3%割引。

「あんしんパスポート」を提示すればそうしてくれるありがたいカードだ。

買ってきたパナソニック社製のエネループは充電済。

5年間も放値していても50%も残存すると云う品物。

早速、ストロボに挿入して発光してみた。

何度も何度も繰り返すテスト発光。

翌日朝もテストしたが問題は発生しない。

平成18年ころに買ったエネループはほんまに寿命が尽きたのだった。

デジタル一眼で使っているストロボ電池のエネループもそろそろ寿命を迎えることになるであろう。

(H25. 9.28 SB932SH撮影)

矢田の秋の景観

2014年01月30日 07時58分39秒 | 大和郡山市へ
稲穂が実るころに出かけてみたいと思っていた素敵なカーブラインを描く矢田の田んぼ。

突然思い出し、慌てて行ってみるが、とうに山影が被っていた。

時すでに遅しである。

この時期は曼珠沙華ことヒガンバナが咲いていた。

木肌がほれぼれする傍らにも咲いていた。


(H25. 9.27 EOS40D撮影)

昨日に訪れた時間帯は午後4時だった。



矢田山からの影は既に落ちていた。

もう1時間も早ければ稲穂が輝くのではと思ったって再び出かけたが時間帯は朝日がとうに昇っていた朝9時。

稲穂の色は黄色ではなく緑っぽい。

お陽さんの光りが斜めにあたれば、金色になるはずなんだが。



2時間も遅かった朝撮りのお気に入り景観。

通称矢田寺と呼ばれている矢田山金剛山寺の南側裏駐車場下である。

カーブラインが大好きで落ち着いた佇まいをみせる。



10月にもなれば刈り取りが始まるであろう。

(H25. 9.28 EOS40D撮影)

トライアルのニコマルとりめし弁当

2014年01月29日 07時38分18秒 | あれこれテイクアウト
この日の仕事終え時間は13時を過ぎていた。

これまでは愛妻弁当を持ちこんで事務所で食べていたが、送迎の便が替ったことで昼食することもなくなった。

自宅に戻って昼食はどうするか。

確保していたインスタントラーメンでもと思ったが、帰宅途中の寄り道買い物もあるのでいつもの弁当だ。

買い物は大和小泉店のトライアル。

便利な地にあるスーパーだ。

売り場にたくさん並んだ弁当はほとんどが250円。

これをニコマル弁当と呼ばせてもらっている。

さぁて、何を選ぼうか、である。

迷った末に選んだ弁当はとりめし弁当。

美味そうに見えたのでこれにした。

買い物の途中に鳴った携帯電話。

先日もお世話になった西里のご婦人からだ。

なんでもさし上げた写真は講中に気にいったので、お寺本堂に掲示しようということになったから、その承諾である。

喜んでもらった上に、村の大切な行事写真を後世に伝えたいということである。

西里の廻り地蔵は四百年もの歴史があるが、これまで写真を撮ったことがないという。

集まった人たちの数珠繰りの様相に感動したという写真に講中の人たちが喜んだ。

記念の写真を若い人たちにも伝えたいということだ。

喜んで下さる人たちがいる。

これほど嬉しいことはない。

西里の縁、嬉しい長話に花が咲いた時間は何時までも忘れることはないだろう。

帰宅してみれば14時。

この日の11時に店内で作られたとりめし弁当はレンジでチンする。

ほどよい温かさになった弁当の蓋を開ける。

鶏飯の香りがぷぅんと立ちあがる。

国産米と表記してあった鶏飯が美味いのである。

出汁で炊きあげた鶏飯の味に感動する。

おかずは7品。数は多いが量は少ない。

それで良いのである。

まずは香物のコウコでパクつく。

喰い初めはだいたいが香物である。

おかずよりもご飯しのものの味を感じるのが香物なのだ。

次はキンピラゴボウ。

いずれも少々。

鶏飯の量も多くはない。

薄っぺらいのである。

若者ならいざ知らず、少量で満腹する年齢となった。

ポテトサラダの味には美味さは感じない。

まぁ、こんなものであろう。

醤油袋が付いていたコロッケ、カラアゲ、チクワ天に魚の素揚げ。

それぞれに下味がついているので醤油は要らない。

お味はむちゃ美味いのである。

(H25. 9.26 SB932SH撮影)

鏡作若宮神社若宮さんの昔宵宮

2014年01月28日 08時29分32秒 | 田原本町へ
田原本町の鏡作の郷中は鎮座地の八尾を中心に黒田、今里、屏風、中八尾、八尾池の内、新町、富本、伴堂、三河、南八尾、西新町、宮古、西代、石見、西八尾、新八尾第一の17大字だ。

八尾の氏神さんは天八百日命(あめのやおひのみこと)、鏡作神社本殿右奥に鎮座する若宮神社である。

八尾はかつて八百村と呼ばれていたのである。

八尾の鏡作神社で行われるオンダ祭にはカメラマンが溢れるぐらいだから賑わいの祭りだが、この日に行われる若宮神社の昔宵宮で賑わいもなく、厳かに神事が行われたと話す宮司。

今年数え年百一歳で亡くなられた先代宮司の跡を継いだ娘さんが勤めるようになったと云う。

昔宵宮は「むかしよみや」と呼んでいる八尾の行事である。



神事を終えて社務所で直会をされていた自治会長らが帰るころ、女児巫女が出番に登場する。

本社拝殿に母親とともに上がった女児巫女は3人。



参拝される大字の人に神楽舞を奉じる。

女児巫女は大学生を筆頭に小学生まで。

総勢16人もいると云う。

秋祭りにはずらりと並んで神楽を舞うそうだ。

「むかしよみや」は一夜限りの八尾の祭り。

一人は平太鼓を打って、二人が舞う神楽は平神楽。ドン、ド、ド ドン、ド、ドと2回繰り返す太鼓の音に合わせて舞う神楽。

ドン、ド、ド ドン、ド、ド ドン、ドン、ドンで終える。

参拝者に拝して、手にした鈴神楽の舞い。

舞いを終えればその鈴で祓ってくださる。

一礼をして下がる。



9月ころから毎週のように練習をしてきた3人の女児が笑顔をふりまいてくれる。

参拝者が来られる度に舞う神楽は3人が交替して勤める。

この夜は中学二年生、小学四年、二年生の姉妹が勤めた。



お茶目で可愛い巫女さんは、突然のカメラマン登場に驚くこともなく、歓迎されてカメラ目線を贈ってくれる。



ときおり途絶える参拝者の合間に太鼓打ちの練習をする巫女さん。

付き添いしていた母親は練習の成果に目を細める。

そんな姿が愛おしい。



つかの間の練習を終えたころに訪れた参拝者は巫女さんのおじいちゃん、おばあちゃん、お父さんだ。



家族揃ってのお祓い、母親にもそうしてくれたお神楽は時間が経つのも忘れて拝見していたのである。

(H25. 9.24 EOS40D撮影)

はらぺこ食堂のミンチカツ弁当

2014年01月27日 07時56分51秒 | あれこれテイクアウト
我が家のお彼岸参りもできずに県内の彼岸行事の取材に現を抜かす。

お盆のときも集中する伝統行事の取材はどうしてもそうなる。

家人には申しわけない気持ちはある。

あるには、あるが、行かざるを得ない現状である。

この日も午前中の取材を終えた時間帯は昼飯どき。

帰宅途中にあった看板に誘われて入った店は「はらぺこ食堂」。

今月に入って3度目だ。

今回、注文した弁当はミンチカツ弁当。

いずれも350円の格安で販売している。

この日は家に持ち帰って食べた。

ミンチカツの姿は予想していなかった。



たっぷりかけられたソースで真っ赤。

赤のように見えたソースはデミグラソースなのか、ケチャップソースなのか、ごっちゃになった味である。

期待していたのはサクサク感のミンチカツ。

ソースがあまりにも多いので、サクサク感は味わえない。

ミンチカツには下味がついている。

ソースは要らない。

正味を舌で味わってみたいが、それはできない。

残念である。

前回頼んだやきにく弁当のポテトサラダにはドレシングがなかった。

前々回のからあげ弁当には、それがあった。

一定でないのか、それとも弁当の種類によって切り分けているのか・・。

香物でもパクパク食べる美味しいご飯に満足する。

写真では判り難いナスビのおひたし。

トロトロ感も優れないゆるい味。薄味なのである。

ナスビは油で揚げて作る煮びたしが好み。

はらぺこ感は満たしたものの、不満足な弁当は工夫の余地があると思った。

(H25. 9.23 SB932SH撮影)

北野極楽院帝釈寺戦没者慰霊祭

2014年01月26日 09時30分34秒 | 山添村へ
山添村の大字北野は行事取材に度々訪れていた。

北野の天神社のホーデンガクをはじめとして、奥小派、杉原、津越、腰越の四垣内でそれぞれの行事があるが、お寺行事は未だ拝見していなかった。

お寺は真言宗極楽院帝釈寺。

天神社の神宮寺として創建されたそうだ。

同寺では正月初めの初祈祷・オコナイや虫および風祈祷の行事があると聞いていたが、日程が定まらず訪れたときは不在だったこともあり、今回は予め檀家総代のⅠさんにお願いして許諾を得ていた。

この日に集まってきた檀家たちは黒装スーツに黒ネクタイ姿である。

この日の行事は村の戦没者を弔う慰霊祭につき、法要を撮ることは許されないが、ご本尊の木造帝釈天立像は撮影および公開の許可をいただいた。

帝釈寺は真言宗豊山派。

同寺の法要を勤めるのはご縁があった奈良市柳生・立野寺の住職。

それまでは無住寺であったが、ご縁があって30年ほど前からお勤めをされている。

これまで勤めていた親父さんの跡を継いだ若住職は高野山で修業を積んだ。

北野帝釈寺と柳生立野寺を結びつける版木を知ったのは平成22年2月7日のことである。



立野寺で行われる立春のオコナイの取材のおりに拝見した「牛玉 帝釋寺 寶印」版木の裏面にあった墨書に「元禄五年(1692)五月十三日・・極楽寺・・教職 是をは・・・」などの文字が判読できたのである。

北野の帝釈寺の現在名は極楽院帝釈寺であるが、元禄時代が極楽寺で、宝暦以降に極楽院と名を替えたと伝わる。

所縁のある版木は立野寺で大切に保管されている。



「戦死者之英霊」位牌を本尊前に立ててローソクに火を灯す。

檀家総代の挨拶から始まった慰霊祭。

同寺にお参りされる方々はご遺族。

秋期慰霊祭に多くの人たちが参拝されたことにお礼を述べる。

戦没者を敬って真言を唱える住職。

これまで父親とともに参列していたが、この日は一人立ち。

国家安寧を祈って散った戦没者の冥福を祈り、一人、一人の名を詠みあげる。

読経の間に回される焼香。般若心経なども唱える「ノウマクサマンダ ボダ ナムダイシヘンジョウコンゴウ・・・」。

およそ30分間の法要を住職の話を聞いた檀家たちはセンターに移った。

(H25. 9.23 EOS40D撮影)

大塩の九月塩瀬講

2014年01月25日 09時42分33秒 | 山添村へ
鎌倉時代作と伝わる塩瀬(しおせ)の地蔵さんは大きな岩に彫った磨崖仏。

「ずっと昔からお地蔵さんを守っている講やねん」と講中に教えていただいたのは去年の6月だった。

山添村大塩の八柱神社年中行事のドウゲを勤めていた二人は塩瀬講の講中だった。

元来は4月24日、9月24日に参っていた塩瀬講の人たち。

今では集まりやすい直近の日曜日にされている。

塩瀬の地蔵さんは山添村の指定文化財。

鎌倉時代の作とされる地蔵石仏は座高が160cmもある。

かつて安置してあった地蔵堂が火災にあって焼けただれているが、立体感がある彫りで姿をとどめている。

塩瀬の地蔵さんは「目の神さんや云うて願掛けに来る人も見られる」と講中が話す。

北野から箕輪に通ずる街道があった。

お伊勢参りの人々が往来する道だったようだ。

伊勢参りに向かう道中の安全を祈願したと伝わる。



昔、眼病に苦しんだ人が手洗水で眼を洗ったところ、快方したと伝わるありがたい地蔵さん。

今でも「眼の神さま」としてお参りする人がいるのも頷ける伝承である。



年に2回のお参りに地蔵さん周りを清掃される塩瀬講の二人。

4月、9月があって、8年に一度が回りの当番だと云う。

地蔵さんの前の舗装路は昭和40年ころに自衛隊が造った道だ。

その後の昭和46年、大字伏拝(ふしょがみ)に健民グランドが完成した。

当時の街道の面影は見られないが、塩瀬地蔵さんは静寂の大杉の下に佇んでいる。

大塩では秋の実りが色づいていた。



アケビの実はふっくらして、数日も経てば鮮やかな色合いになるであろう。



クサギの蕾花が美しい。

赤い花には黒い実が入っているだろう。

その姿を見るのはガク片が弾けたときだ。

ソヨゴの葉とちょっと違う。

これはウメモドキなのかと思ったが実の大きさが違う。



なんとなくガマズミと思ったが、断定できなかった。

9月半ば、山間の秋の色は足早にやってくる。



当番の婦人は付近に植生しているビシャコや山の恵みの赤い実をつけたガマズミなどを採取する。

家から持ってきたアセビとともに野の花を地蔵さんに飾る。

ひっきりなしに車、単車、自転車、犬連れの散歩者が通り抜けていく。



サイクラーや車中から眺める観光客は願掛け地蔵のことなど気にもせずに通り過ぎる。



そんな様子にお構いなしに雑草を刈り取って溝も奇麗にしている当番さん。

「山添が好きでいつも歩いています。歩くのがとても素敵な地ですよ」と、大阪からやってきたご夫婦は、謂れやご利益を聞いた地蔵さんに手を合わせた。



大塩村内でマイク放送を聞きつけた講員たちがやってくればセキハンを供えた当番さん。



お神酒も供えて手を合わせるが、念仏を申すわけでもなく心のなかで祈りを込める。



当番さんを交えて講中たちは東屋横にシートを広げて直会を始める。

頼んでいたオードブルも到着してみんなでよばれる直会の場は和やか。

10月のマツリの話題などで盛り上がる。

大塩のマツリは寺座と宮座の二つがあるが、なんど聞いてもややこしい。

大橋にある大矢商店の仕出しオードブルはいつも美味しくいただく。

通り過ぎる観光客にも声を掛けるが、このような場の直会ではただの酔っぱらいのように見えるのであろう、見向きもされない。



「眼病にご利益があるとか、塩瀬講の幟をあげようか」の意見も出てくる直会の場。

始まってから1時間半も経過したころである。

二人の子供連れのご家族が歩いていく。

家族の手にはお花も見られた。

もしやと思って声を掛ける講中。

返ってきた言葉は「あらたかな地蔵さんにお参りしたい」である。

大阪阿倍野からわざわざやってきたご家族は塩瀬地蔵のご利益を知って春、夏、秋に訪れていると云う。

ご利益を知ったのも神野山のスターウォッチングのときだったというから何かの縁が働いていたのであろう。

奥さんは眼病の願掛け、旦那さんはトラック運転手なので目を大切にしたいということでお参りにきたと云う。



掬った清水で眼を洗う手水の扱い方といい、心を込めて参拝の作法をされたことに感動する。



下げたセキハンを貰って喜んで帰っていったご家族。



この日の出合いは良き日になってほっこりしたのである。

(H25. 9.22 EOS40D撮影)

針テラスでぶっかけうどん

2014年01月24日 08時51分28秒 | 食事が主な周辺をお散歩
ぶっかけうどんの麺が隠れてしまうほどに盛ったトッピング。

青ネギにカツオ削りブシは店員さんがぶっかけた。

それ以上に盛りたい天カス。

三品で隠れてしまったのである。

この日は暑い。

暑いが、頼んだのは「温」うどん。

出汁は少なめである。

うどん出汁を吸ってしまう天カス。

それが好みなのである針テラスのつるまる饂飩店での食べ方。

つるつる食べて塩瀬講の取材に向かった。

(H25. 9.22 SB932SH撮影)

満車の針テラス駐車場

2014年01月23日 07時54分31秒 | いどう
針テラスで昼食をとろうとした。

いつになく駐車場が満杯で停める場所もない。

止むなくであろう、端っこのほうにも停めている車のなんと多いことかである。

今年の成人の日には30cm以上の雪で埋まったが、車で埋まる日に遭遇したのである。

たまたま空いた一台のスペース。

なんとか駐車してトイレに向かった。

そこには群がるように待ちかまえるカメラマンも多数。

もちろんスマホを構える人も多い。

何事か、である。尋ねた結果は、日本クラシックカーラリーイベントだった。






次から次へと入場するクラシックカーと云っても現代的な車。

どちらかと云えば、うん十年前に流行った往年のスポーツカーが多く出場している。

もちろん外車もある。

スマホを持たない私はガラケーで撮影させてもらった。

昨今の針テラスは端っこの方であるが、多くのバイクツーリングが長時間占有している日が多々ある。

何台が出動しているのか知らないが、フルコースのクラシックカーを見ている余裕時間はない。

(H25. 9.22 SB932SH撮影)

法貴寺斎宮神社ヨミヤの御湯

2014年01月22日 07時23分11秒 | 田原本町へ
5年ぐらい前までは「ヤマモリ」と云って家で作った弁当を持ちこんでいた田原本町法貴寺の斎宮神社(さいぐうじんじゃ)。

境内にゴザを敷いて周りに提灯を掲げていた。

以前は家の提灯を掲げていたが、いつしか電灯の提灯になった。

もっと昔は提灯もなく真っ暗な中で食べていたと話す。

「ヤマモリ」は「雨が降らんかったら、雨乞いや」と云って、雨乞いの願掛けの夜食であったようだ。

「ヤマモリ」をすれば不思議と雨が降ってきたと話す。

この日の夕刻、斎宮神社を崇める法貴寺の西口・西南・前田垣内の人たちが集まってくる。

斎宮四社明神を祭る斎宮神社は法貴寺西にあるのゴウシンサンから南方へ数百メートルの地に鎮座する。

その地は「サイクサン」と呼ばれる小字の畑地。

別名に「畑斎宮」の名があると云う。

「畑斎宮」は北の方にも広がる地。

これより南側は馬場と呼ばれる小字。

かつては馬を飼っていたと云う地である。

ここら辺りの畑地には地下水を汲みだす井戸のポンプが多く見られる。

日照りのときは助かる井戸水は、たまに茶色の水も出るようだ。

宮さんは村の神社三役、当番も3軒で、西口・西南・前田垣内のもち回り役が勤める斎宮神社のヨミヤに御湯の神事が行われる。

夕陽が挿しこむ時間帯になれば池坐朝霧黄幡比賣神社の宮司がやって来た。



祓え、祝詞奏上、玉串奉奠を終える頃には法貴寺在住の女児巫女が到着する。

これより始めるのが御湯の儀式である。

羽根釜に雑木をくべて湯を沸かしていた。

湯釜は7月に行われた川西講大神宮のゴウシンさんの湯釜である。

在地のO家が管理されている湯釜は古い物ではあるが、年代、製作者を示すような刻印はなかった。

始めに幣を振る。

その次に幣を湯に浸けてかき混ぜるような感じで湯釜の縁回りを回す。

笹束を受け取った巫女は鈴を持ってシャンシャンと鳴らしながら左に一周、次に右へ、そして左に一周するように回る。

次に洗い米を湯釜に投入して、塩、酒を注いで湯釜を清める。

御湯釜の禊祓いである。



本殿に向かって正面、左方、後方、右方への左回りに三度の一礼をする四方の神寄せのあとに笹を釜湯に浸けて前方に五回、側方に五回、後方に五回の湯飛ばしをする。

鈴・笹を持って左、右、左に舞って神楽舞をする。



参拝者に向かって鈴を大きく左右に振って祓いで終えたヨミヤの御湯。

ヨミヤと呼ばれる行事は一夜限りの祭りである。

おそらく「むかしよみや」であったかも知れない。

(H25. 9.21 EOS40D撮影)