マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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国栖奏の毛瀰

2008年03月31日 09時10分35秒 | 吉野町へ
浄見原神社に供えられた毛瀰(モミ)と呼ぶアカガエルの正体を掴みたく5年ぶりに吉野の国栖奏へ。

氏子さんらに聞けばヤマアカガエルだということでした。

昨年の秋、川(谷かも)で見つけて、祭事まで生きたままにしとかなあかんでたいへんですわとおっしゃってた。

捕ったあと空間のある土中にアカガエルを埋める。

徐々に冬眠状態にしていくため土中の上にストローをさしこむ。

捕った数日間はそのストローからエサのコオロギを入れて食べさすそうです。

祭礼直近に土中から取り出したアカガエルはまだ冬眠の状態らしく動きは芳しくない。

ただ、飛び出してしまったらエラいこっちゃになるので、上下を針金で括った金網籠の中に入れてます。

なので、現認するのはちと難しい。

国栖ではヤマアカガエルをモミガエルと呼んでいる。

ryu先生のお話によると、「もみ」というのは赤いカエルをさし、もともと食用にしてきたものからお供え物になったようです。

「もみ」は「紅絹」と書いて和服の襦袢の色のことを云うそうです。

(H20. 2.20 Kiss Digtal N撮影)

国栖奏四歌の舞

2008年03月30日 08時42分41秒 | 吉野町へ
千三百年以上も前の往古より連綿と受け嗣がれてきた国栖奏は、古来、国栖の舞とか翁の舞と呼ばれていた。

練習所を出幸してきた狩衣烏帽子姿の12人の翁の一行は、埋め尽くされている参拝者をかき分け舞殿に登壇すると笛や鼓などの楽器を供えて着座。

神官により祝詞奏上を詠みあげられたあと、国栖びとを称える一歌、二歌を奏する。

次は、神饌台から楽器を下げて、笛にあわせ三歌を唱和する。

そして、榊を左手に、しゃんしゃんと鳴らす鈴を右手に持って舞翁が舞う。

歌翁のひとりがエンエイと囃し正月から十二月までの舞納め。

国栖奏のメイン曲でもある三歌のあとは、国栖びとが応神天皇に捧げた四歌。

安泰を祈るゆったりとした舞が続く。

四歌の最後を飾る翁、口元に手を添えて上体を反らす所作。

笑いの作法と呼ばれる所作は見逃せない。

次いで、氏子と奉賛者の名前を読み上げる御巡楽で舞楽の式を終える。

(H20. 2.20 Kiss Digtal N撮影)

浄見原神社国栖宮守

2008年03月29日 08時34分35秒 | 吉野町へ
今年の冬は寒い。数日前も雪が降っていたが、今日は3月中旬の気温まで上昇。

たおやかな風が吹き、吉野川の清流が光り輝く。

吉野町南国栖の浄見原神社で毎年、旧暦の1月14日に国栖奏が奉納される。

俳句の季語にもなっていることから、俳句会が団体でやってきて、狭い境内が人、人であふれんばかり。

浄見原神社の年中祭礼は四人の宮守さんらで守られている。

62軒となった国栖の地には二社が鎮座し、大蔵神社の宮守も担うことから12、3年に2回は廻ってくるというお役目。

宮守さんや自治会役員らは前日に御供モチを搗く。

オシアゲと呼ぶ大きく平らなモチは桶に二枚ずつ入れて御幣とともに供えられる。

国栖の翁に守られ過ごしたとするお仮屋(社務所)とその前に植樹された大アベマキの木には注連縄を張っている。

神前には右から山菓(クリ)、醴酒(コザケ:一夜酒)、腹赤魚(ウグイ)、土毛(クニツモノ:根芹)、毛瀰(モミ:ヤマアカガエル)の五品の贄神饌が奉される。

(H20. 2.20 Kiss Digtal N撮影)

民博で民俗映画上映会

2008年03月28日 08時48分43秒 | 民俗を観る
17日午後、民俗博物館で行われる「槌の音」上映会に行ってきた。

奈良県でたった3軒となったうちのおひとりである野鍛冶師。

現役で活躍されている室生染田の福井さんの鍛冶屋仕事の様子をとらえたビデオ上映会。

タン、タン、タン、と槌の音だけの映像に酔いしれる。

一昨年の11月、フイゴの祭りを取材したおり、福井さんのご好意で野鍛冶の様子を撮らせていただいた。

あのときの感動が再び蘇ってくる。

今日は福井さんご家族もご一緒。

映像のオヤジさんの仕事ぶりを見られて喜んでおられる。

司会者から主人公が来られてますと伝えられ、すくっと立つ福井さん

16歳から始められたいきさつなどなど交えてご挨拶。

横におったものだから、福井さんは私を染田の祭りを撮りに来られるカメラマンやと紹介。

司会者は5月(民博企画展示 大和郡山の祭り”手造り”写真展:予定)に写真を準備している人だと突然の紹介。

あれやこれや準備しなくちゃならんのでたいへんです。

(H20. 2.17 SB912SH撮影)

天高市神社御田植祭

2008年03月27日 07時50分08秒 | 橿原市へ
橿原市曽我町には二社の神社が鎮座する。

近鉄真菅駅南に宗我坐宗我都比古神社、ここから南東約1km余りの地に天高市(あめのたかち)神社。

神殿、拝殿、祓戸社に鳥居の位置や向きまでそっくりに建てられている兄弟社のような造り。

両神社を一度に拝見すると、また戻ったのかと時空間を跨いでいるような感覚に陥る。

宗我坐宗我都比古神社での祈年祭を終えた曽我町自治会役員は、天高市神社に着くやいなや祈年祭が始まる。

祓戸社の前に並び、祓えの儀が行われたあと拝殿に登る。

修祓、祝詞奏上が行われると御田植祭が始まる。

神殿と拝殿の間の境内には四方に竹を立て、1㎡ぐらい、石枠で囲った小さな場は田んぼに見立てられたもの。

宮司は供えられた松苗を手に持ち、ひと束ずつ植えていく。

拝殿からガラス越しに見ておられる役員ら。

厳かに御田植え所作された20本の松苗は五穀豊穣を祈るもの。

実際の田植えが終わる6月には、無事に田植えが終わったと神さんに奉告する「さなぶり祭」が行われる。

ちなみに、石枠囲いの田は宗我坐宗我都比古神社でも同じ位置にある。

おそらく同神社でも御田植え所作が行われていたものと考えられる。

(H20. 2.17 Kiss Digtal N撮影)