マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

小夫・龍吐水に和製消防バケツ

2018年09月30日 11時28分37秒 | 民俗あれこれ(消防編)
龍吐水は木製手押しの消防ポンプ。

両方から天秤を押して溜めている水をホースで吐き出す。

まるで龍が水を吐くような形であるから龍吐水の名がついた。

現代の消防ポンプはため池などに給水用のホースを落として吸い上げる。

龍吐水は構造上、吸い上げる要素がない。

では、どうして水を溜めるのか、である。

水を汲むのは手動的。



バケツで汲み上げ、その水を龍吐水に入れる。

吐く量があれば溜める量もある。

つまりは何個もの人力によるバケツリレーがあったと推定される。

それだけの数が要るということは人数もそれなりに確保しなければならない。

そういえば小学校時代だったと思うが、バケツリレーの訓練があったような記憶がある。

それは町内会の消防訓練であったかもしれない。

ちなみにバケツを充てる漢字を「馬穴」と名付けたのは夏目漱石のようだ。

今ではバケツといえば金属製のブリキ。

時代は不明だが昔はそのような道具ではなく、竹で編んだ籠のようなものに柿渋で作った和紙を重ねていた。

頑丈な和紙は水を通さない。

重宝したと思われるが、ネットをぐぐってみても出現しない。

忘れ去れた貴重な道具は元大庄屋の家に残されていた。

この年の4月に訪れた宇陀市榛原の柳

かつて大庄屋だった柳のある家も同じような道具が玄関軒に吊るされていたことを思い出した。

(H29. 8. 6 EOS40D撮影)

小夫・井戸の神さん

2018年09月29日 09時37分29秒 | 民俗あれこれ
塔参りの日も井戸の神さんを祭ってお供えをした。

正月迎えの注連縄もしている。

大工さんに頼んで井戸に蓋をしてもらったらあまりにも精巧すぎて水が溜まる。

現役に見えそうな釣瓶は今では使っていない。

そう、話してくれた当主はスモモの収穫作業に汗だくになっていた。

(H29. 8. 6 EOS40D撮影)

月瀬・火伏に感謝する願かけ・茶願すましの一万度

2018年09月28日 10時21分41秒 | 奈良市(旧月ヶ瀬村)へ
奈良市月ケ瀬の月瀬に一万度と呼ばれる行事があると記していた『月ヶ瀬村史』。

平成2年11月、月ヶ瀬村史編集室によって纏められ、村が発刊した。

一万度行事を伝える記事はこう書いていた。

「月瀬では、昔二度にわたる製茶場に火災があった。それ以後、茶加工期間中の火難退散の願をたて、茶が終わるころの、八月五日に満願の行事として行われる。神社の境内にサカキを2本立て、その間に注連縄を張り、長さ20cmの竹切子を1万本も用意し、これを参詣人が各人、注連縄の周りを回りながら、タライ(盥)の中に“ケリケリー ワァーイ”といって投げ込む。行事が終わると籠りが行われる」と書いてあった。

村史によれば、旧月ヶ瀬村にもう一カ所。

月瀬の隣村になる桃香野にも一万度行事がある。

現在は5月5日の弁天一万度(※弁天さんの神徳を讃えて、子供も特別に参拝する村行事)だけになったが、かつては6月24日の植付一万度(※植付けの終わりを神前に報告し、豊作を祈願する)と8月24日の盆の一万度(※村中安全・五穀豊穣を祈願する)もしていたとある。

桃香野の一万度は、参詣人一人一人が椿の枝を手にして、手水に浸けて清めた葉を、拝殿に居るオトナ(老名)に渡す。

何枚も何枚も手渡した椿の葉のなかから良品の葉を選び出す。

その椿の葉は一万枚の葉から選ばれた最良の葉。

これを氏神さんに捧げる作法である。

その数は一万という数量であるが、形態が異なる。

桃香野では椿の葉であるが、月瀬では竹を割って作った切子である。

村史に書いてあった“ケリケリー ワァーイ”と囃しながら、その切子をタライ(盥)に投げ入れる。

今でもそうしていると聞いたのは、一週間前の8月1日だった。

下見に立ち寄ったその日にお会いした高齢の女性と男性である。

かつてはオトナ(老名)と若いもんが投げ合っていたが、今では若いもんが来やんようになったので、一万度はオトナだけでしていると話していた。

オトナ(老名)は十二人衆。

月瀬に鎮座する大神(おおが)神社の年中行事を務める座中であるが、宮さんの座に上れるのは十人衆までという。

つまり、長老の一老から順に下った十老までが宮座衆であり、十一老、十二老は見習いにあたる。

注連縄の周りを廻って括った藁を紐解いて竹を盥めがけて投げつける。

会所(かつては参籠所)に待ち構えるオトナが投げた竹の掃き掃除。

休憩を挟んだ2回戦の最後は、筵まで投げ込むという荒っぽい一万度の作法である。

2回戦は先の願掛けが1回戦。

休憩後は願すましの2回戦である。

午前中は竹切子作り。

昼に一旦は家に戻ったオトナたちは浴衣姿で再び集まる。

暑い盛りの午後1時半のころ。

早めに来たオトナはエアコンがある会所で汗をぬぐっていた。

おもむろに立ち上がった一人のオトナ。

会所に据えた太鼓を打つ。



午後2時に打つ一万度の呼び出し太鼓である。

紅白の布があるバチで太鼓の縁を打つ。



カッ、カッの音合わせに、力いっぱい振り翳してドーン、ドーン、ドーン・・・ドン、ドン、ドン、ド、ド、ド・・・。リズミカルな早打ち音が心地いい。

これを何度か繰り返していたらオトナが集まってきた。



会所の縁に座って一同が揃うのを待っていた。

動き出したのは午後2時20分ころ。

縛りのない集合時間だったのか知らないが、各自は午前中に作った竹切子を手にする。

そしてオトナの三人は会所側に就く。

二人は箒をもつ。

もう一人は呼び出し太鼓を打っていたオトナ。

中央に木製の大きなタライ(盥)を置いた。

カッ、カッ、ドーン、ドーン、ドーン・・・ドン、ドン、ドン・・ド、ド、ド・・・を繰り返す一万度始めの音が村中に響いていることだろう。



一人がよっしゃぁーと声をかけて始まった。



竹切子の束を手にしたオトナは一列。

時計回りに注連縄を一周する。



その際、である。



会所に居る三人、ではなくタライ(盥)に向けて竹を放り投げる。

みなは「いやー」とか、「うぉーい」、「そりゃー」とか、「ほぉーい」などを叫びながら竹を放り投げる。

投げては会所の縁においてある竹切子の束を掴んで注連縄を廻る。



投げられた竹はタライ(盥)中に入るものもあるが、大半はその外に、である。

それを一生懸命に箒で掃いて集める。



なんとも可笑しな所作であるが、村史に書いてあった「ケリケリー ワァーイ」でもない。

「いゃー」、「よぉー」、「うぉー」など混ざった掛け声が境内に広がる。



投げるときのオトナの顔。

みんな笑って放り投げている。

一万度はまるで子ども時代に戻ったかのように愉しんでいる。



向こう側に見える建物は新築工事中の社務所。

内部に炊事場もトイレも設備される。

外観はほぼできあがった社務所は伊勢式の建物だと話していた。

投げ入れ役のオトナは7人。

一周する度に投げ入れる。

掃除するもんにとっては忙しい。

掃いても、掃いても投げ入れるから掃除が追っつかない。

投げ入れるときである。

掃除をしていた三人は投げ入れる度に、床をドンと足で蹴っていた。

一万度作法に対して脅しているような作法である。



10分くらいを延々とし続ける一万度。

今では会所になったが、かつては奥に囲炉裏設備のある参籠所だった。

筵を敷いていたそうだ。

外には30~40人もの村人が切子を投げていた。

子供も多かった時代はとても賑やかにしていた。

タライ(盥)にめがけて投げるわけでもなく、オトナに向けてだったそうだ。



10分ほどの休憩を経て2回戦に突入した。

これより始まるのは願すましの一万度である。



作法は1回戦と同様に竹切子を手にして注連縄を廻る。

一周して戻ってきたら会所に据えたタライ(盥)にめがけて投げ込むのだが、拝見していると、どうやら会所の床一面にばらまいているように見える。



「ほぉーい」とか「うぉーい」とか囃して投げる村人役を務めるオトナたち。

投げられる度に床に広がる竹切子。



箒で掃いても、掃いてもばらまかれる。

そのときだ。

突然のごとく反撃が始まった。

ばらまかれた竹切子を手で掻き集めたら、と思えば、それを持って逆にばらまく。

まさに反撃である。

大人げないといえば、大人げないように見えるがこれもまた作法のうちに入るが、映像はとらえ難い。

投げ込もうとする村人は会所にいるオトナが体制を整えて待っている。

お互いの睨み合い。村人が投げた瞬間に、両手で抱えたオトナは切子を村人めがけて投げ返す。

童心に帰ったオトナたち。

子供じみた作法が可笑しくて、ついシャッター押しを忘れてしまう。

笑顔に笑いが絶えない一万度の作法は実にユニークだ。

ただ、よく見ていると投げ返す村人は決まっている。

オトナは年長順に一老から十老。

一万度をしている村人役のオトナは長老たち。

一人だけが小使いさんだった。

投げ返すのもオトナ。

年少のオトナが年長のオトナに投げ返せないから、座中でない小使いさんに反撃せざるを得ないのだった。

そのうち同年代と思われるオトナにも投げ返していたようだが・・。

先にも述べたが、昔は若い村人が投げ役。

子どもたちも投げ役だったから、投げ返していたのでは、と思った。

一万度をしているオトナも、見ている私も笑いぱっなし。

同時に撮っていた動画を見返しているときもつい微笑んでしまう作法である。

勝ち負けは・・・。

そんなことはお構いなく、会所から境内に向けて飛んできた大きな物体。

なんと、筵そのものを投げつけた。

戦いの様相は激しさを増して竹切子から敷いていた筵に転じた。

村人役のオトナ。

投げつけられた筵を畳みかけた。



その瞬間に会所に向けて投げ返した。

投げやすいように折りたたんでいたのだ。

返された会所側のオトナはまたもや投げつける。



拾った村人役はまたもや投げ返す。

竹切子は飛ぶわ、筵も飛ぶわ、で大にぎわい。

いつのまにか2枚の筵が飛んでいた。

いつまでこの作法を続けるのだろうか、と思ったころに片づけ始めた。

垢離をしていた竹切子すべてを作法したと判断して一万度を終えた。

竹切子の束は100本。

それを100束で垢離をするから100掛ける100の一万度という。

一老の母親が生前のころはその本数でしていたそうだ。

時代は徐々に少子高齢化に移った。

正味、そこまで(一万本)しなくともという意見が出て切子の本数を減らした。

本数は少なくなったが、「一万度」という。

つまりは現実の本数でなく、それほど多いということだと話される。

筵は仕舞って、散らばった切子は回収する。

一万度の垢離をした切子は家の守り神にする。

1軒あたり2本の切子を配るという。

月瀬は40戸の集落。

80本の切子は、どこでもいいから供えるもの。

一老のNさんは、昔ながらの形のオクドサン(竃)に供えるという。

黒塗りの竃は長年使ってきた年代物。

機会があれば拝見したいと申し出たのはいうまでもない。

切子は家の守り神であるが、小正月のとんどで燃やすそうだ。

さて、注連縄である。

サカキ、竹の棒を外した注連縄はどうするのか。

会所の端に立てていた長さ4mほどの旧い竹に、である。

それには旧い注連縄を括っている。



旧い注連縄を外して、本日、一万度垢離をした注連縄に入れ替える。

旧い竹は使い廻しをしているようだが、綺麗な状態だ。

長い2本の竹に括った注連縄は会所と境内の境目のところに立てて張る。



立てた注連縄の向こうは神さんがいる神社。

境内の境界地は注連縄を張ることによって結界とする。

ただ、立てるときは、村に不幸ごとがあった場合である。

不幸ごとがなければ立てることはない。

つまりは村に不幸ごとがあるという印し。

穢れのある喪主さんが誤って潜らないように張るという。

こうした作業を終えてオトナたちは会所でよばれる直会に移った。

(H29. 8. 6 EOS40D撮影)

山中に咲くユリ草本花のノカンゾウ

2018年09月27日 09時19分21秒 | 自然観察会(番外編)
山添村の大塩から奈良市月ヶ瀬の月瀬に向かう最短距離を選ぶ。

カーナビゲーションが示した最適なガイドは山の中。

対抗する場合に除ける場もない山の中の道。

結局は一台も遭遇することはなかったが・・・。

山の道沿いに生えていた自然色に吸い寄せられる。

キツネノカミソリ、ではなくユリ科のノカンゾウのような気がする。

往来する車はなかったが、いつ来るやもしれない状況に、じっくり観察している余裕はない。

(H29. 8. 6 EOS40D撮影)

この年も刺しさばを売っている店

2018年09月26日 09時17分34秒 | 民俗あれこれ(売る編)
月瀬の行事が再開するまで多少の時間がある。

その間に訪ねてみたい商店がある。

ショッピングプラザたけよしがある所在地は奈良市都祁白石町。

針テラスSAを出た次の信号を曲がったところにある。

食事を済ませて今年も寄ってみたいお店がある。

所在地はこれまた白石町。

たけよしから南下した次の信号地。

その角地にあるお店は辻村商店

今年も自家製のサシサバを作って売っている。

その証に店前に掲げたPOP看板の表示は「刺しさば」だ。

自家製の刺しさばを作る大切な工程がある。

数日間もかけて青空の日に干す天日干しである。

この年は売る枚数のすべてを作り終えたのか、天日干しの場には何もなかった。

あればその情景を撮らせてもらうつもりで足を伸ばしたが、ご挨拶はいずれまたの機会を思って次の訪問先を目指した。

(H29. 8. 6 SB932SH撮影)

都祁白石ショッピングプラザたけよしのカツ丼

2018年09月25日 10時11分03秒 | あれこれテイクアウト
この日は午前午後とも奈良市月ヶ瀬月瀬の行事取材。

午前中は垢離に使う竹棒作り

予想していたよりも早く終わったが、ケンズイの西瓜よばれを経ても継続作業はない。

ひたすら昼食時間を待つだけである。

待っている間は何の動きもない。

暑い盛りに滞在場所は日差しを避けているが、うとうとする状況。

午後の垢離まではまだまだ待たなければならない。

あんまり待っておればこちらもヒンネ(昼寝)しそうになってしまうので、一旦は場を離れた。

私の昼食時間もあるが、お腹はまったく空いていない。

時間潰しではないが、撮らせてもらった写真配りに隣村の嵩に寄る。

宮総代の家を訪ねてうろうろする。

ようやく見つかった宮総代家。

娘さんの話しによれば本日は墓掃除に村のデアイ。

雑草などを刈りこむ村内の草刈り作業に出ているという。

そういえば下の方から声がする。

ここへ来るまでは声などなかったから先ほど始まったのか。

その場に10人ばかりが雑草取り作業。

なかにマツリで世話になったトーヤのⅠさんがいた。

宮総代とは出合えなかったが丁度いい。

用事を済ませてどこへ行くか。

ここら辺りで落ち着いて昼食を摂れるのは針テラスが一番。

そう思っている。

昼食の目標はいつも通りのぶっかけうどん、と思っていたが針テラスに着いたとたんに向きを換えた。

そこより少し南下する都祁白石町。

信号があるところのお店の看板を見届けてUターン。

針テラスに戻るはずだったが、・・・急遽思いついたショッピングプラザたけよし。

以前、食べたかき揚げ丼が美味かったことを思い出した。

ならば、一年以上の期間も開いたので久しぶりに寄ってみるか、である。

店内を見渡してもかき揚げ丼は見当たらない。

あれこれ散々悩んで選んだ丼。

寿司類も安くて美味そうなものもあるが、かき揚げ丼の味付けをもう一度とうことで決定したカツ丼である。

たっぷり盛っているカツにとじ玉子もどっさり。

蓋から見える大盛感覚にこれは買い、である。

と、いうのもだし汁がたっぷり。

見えないご飯にもたっぷり浸みこんでいるだろうと思った。



蓋を開けたら美味そうな香りがする。

これ、これ、かき揚げ丼とは違う香りであるが、だし汁の味覚が蘇る。

箸で摘まんで食べたカツ。思った以上にだし汁が浸みこんでいた。

甘味のあるだし汁は好みの味。

食が進むのである。

一切れ食べたカツの下にあるご飯。

シャキシャキ感のあるタマネギだけでもご飯が美味い。

もっともなくても十分に旨いだし汁の味。

買って納得の味に箸が止まらない。

香物は桜漬け。

写真ではあのピンク色が表現できない。

桜漬けの味はどちらかと云えばショッパイ。

梅干しほどではないが、甘口ご飯にぴったり合う。

またまた食が進むカツ丼。

三つ葉も盛っているが一枚だけ。

三つ葉特有の香りがないものだから、飾り葉のようなもんである。

そんなことはどうでもいい。

とにかく美味いカツ丼が税込価格で300円。

柔らかいカツにとじ玉子で味付け抜群。

見た目よりも量は多かったが、大満足の一品である。

(H29. 8. 6 SB932SH撮影)

月瀬・一万度祭具の切子作り

2018年09月24日 09時24分51秒 | 奈良市(旧月ヶ瀬村)へ
奈良市月ヶ瀬の行事を調べていた。

立ち寄った日は一週間前の8月1日。

京都府笠置町切山の土用垢離取材の折に時間調整をしてやってきた月ケ瀬である。

嵩は隣村。

行事日程の掲示はなかったが、月瀬にあった。

月瀬の年中行事は十二人衆が務めている。

毎月の朔日は月次祭がある。

8月の行事は多い。

6日が一万度で、28日は午前に風の祈祷があり、午後が稲荷会式である。

風の祈祷行事を拝見したのは5年前の平成24年8月28日だった。

神事を終えてから直会がある。

稲荷会式も終えてから祈祷された札を村の各所に立てる。

その年は神事ならびに札立ての在り方を撮らせてもらった。

さて、その8月にもう一つの行事がある。

掲示されていた行事名は一万度である。

一万度といえば、隣村の桃香野にもあるが、時季は異なる。

桃香野の一万度はお百度参りのような形式だったが、月瀬の一万度はどのような形式でされているのか。

月瀬の一万度の時間帯は午前と午後にあるが、午前は掲示によれば準備作業のようだ。

準備は何を準備されるのか。

敢えて時間帯を掲示しているのは十二人衆のためのものなのだろうか。

とにかく、当日に来なくてはと思って帰ろうとしたときである。

下からセニアカーに乗ってやってくる婦人がいた。

もしかとすればご存じではと思って声をかけたらオトナの人たちが作業をするという。

私は畑に行くけど、どうぞ見に来てくださいと云われた。

興味がわく一万度を想像してみたときである。

下から歩いてこられた男性に尋ねた。

なんでも長さは15cm程度の竹串。

これを2万本も作るというのだから、その数量に驚きだ。

百本くらいに束ねた竹をもった人たちが注連縄周りを廻る。

その際である。

昔から使っている木製のタライに竹を投げ込むという。

初めて聞く作法にこれまた驚き。

しかも、である。

かつては「オトナと若いもんが投げ合っていたが、若いのが来やんようになったのでオトナだけで一万度をしている」という。

そう話してくれたのはオトナの最長老である一老のNさんだった。

昭和3年生まれのNさんは宮守でもある。

オトナは十二人衆。

月瀬に鎮座する大神(おおが)神社の年中行事を務める座中であるが、宮さんの座に上れるのは十人衆までという。

つまり、長老の一老から順に下った十老までが宮座衆であり、十一老、十二老は見習いにあたるのであろう。

一万度に注連縄周りを廻って竹を投げ込むのは2回ある。

大量の竹を投げ込むから、休憩を挟んだ2回戦になるという。

その2回戦の最後に筵まで投げ込むというから荒っぽい一万度の作法である。

6日の取材は是非ともとお願いしたら、待っていると云ってくれた。

ありがたいことである。

午前8時に集まったオトナ(老名)たちは早速作業を始めていた。

境内の一角、「月瀬村生活改善センター」の看板を掲げる会所のすぐ傍にブルーシートを広げていた。

これより2万本の竹切子を作る作業場である。

切り屑が散らばらないようにシートの内側で作業をする。

かつて一万度は8月5日であったが、現在は近い日曜日に移している。

今年は日曜日の前日の5日に自治会役員たちが青竹を伐りとった。

オトナは長老。

力仕事は自治会の若い人たちの担当。

共同作業で行う一万度は自治会行事であるという。

伐採した真竹を境内に運ぶ。



切子にする竹割りはノコギリやナタであるが、15cm程度の長さに切断する電動鋸もある。

これらを用意するのは月当番の“小使い”と呼ばれる二人組がするようだが・・・。

2万本もの竹切子を作る作業は午前中いっぱいかかる。



2万本の内訳がある。

月瀬の一万度は火伏に祈願する願掛けに起こらなかったことに感謝する願すましである。

昔のことである。

製茶場が火事になったことがある。

火事は恐ろしい。

製茶業で暮らす月瀬にとっては製茶場が焼けてはもともこうもない。

火事はいつ起こったのか聞いていないが、それが月瀬の一万度の始まりのようだ。



まずは育てる茶が豊作になるよう願う願掛けに1万本。

願掛けが稔って願満となれば茶願すましをする。

そのときも1万本。

合わせて2万本の竹切子を作って一万度の願掛け、願すましをする。

この日は区長も応援に駆け付けた。

真竹を電動鋸で輪切りする。

切断するのは節目と節目の間の綺麗な竹。

ぽろっと落ちた輪切りの竹をオトナの席に運ぶ。



受け取るオトナは木材を台にしたところに竹を立ててナタで割っていく。

竹片の幅は精密なものでなくざっくりと割る。

手に馴染むくらいの幅にナタで割る。

ブルーシート内にそれぞれが座って作業をする。

ナタを竹の上部に充てながら手でぽんと台に向けて打ちつけたらパカっと割れる。

そうせずにナタで一打ち、見事、真っ二つにする長老もいる。



断面をみればわかるようにおよそ正方形である。

一握り分の竹切子を藁で束ねる。

ざっと数えてみれば20数本。

だいたいであるが21本から24本くらいのようだ。



切子になった竹を集めているのは小使いさん。

十人がそれぞれ切子を作っていくから、作業はとめどなくある。

節目のない竹を割るのは一老以下の十老まで。

その下に就く十一老、十二老は節目があっても構わないという。

要は高齢の人は割りやすい節目のない竹を。

若い衆は力が余っているから節目があっても構わない。

つまりは長老に優しい心配りである。

今ではそうしているが、昔は節目のある竹を長老に渡したらえらく怒らはったと笑って話してくれる。



オトナ入りしてから、長年に亘ってずっと竹を割ってきた一老のNさんは昭和3年生まれ。

御年、90歳であるが、今年も竹を割っていた。

作業をする席順は年齢順。

つまりは上座に一老、二老・・・下座に十一老、十二老である。

およそ120束もの数を揃えた。

一束が21本から24本。

120束であれば最大2880本。



8時から始めて9時半までの期間にそれだけの量を作った。

願すましもあるから2倍も作ると聞いていたが、願掛けに投げた切子は回収して2回目の願すましに再利用するらしい。

今年はこれぐらいの量で終えて午後に行われる一万度の斎場を調える。

作業場に敷いていたブルーシートを片づける。

溜まった竹屑はシートを持ち上げて綺麗にする。

予め結っていた注連縄は両端に2本の竹に括る。

それを伸ばして幣を取り付ける。

窓を開放していた会所の中央辺りに据えて固定する。



境内側の竹にサカキを立てる。

もう一方の会所側の竹にもサカキを立てる。

幣をきちんと整えてできあがり。

これより休憩に移る。

長さを確保した注連縄は一旦外して除けておくが、中心部は動かさない。



休憩のおやつは冷やしたスイカ。

半折りしたブルーシートに座り込んで慰労のスイカをほうばっていた。

(H29. 8. 6 EOS40D撮影)

診察結果は高齢男子病の前立腺肥大症

2018年09月23日 09時01分06秒 | むびょうそくさい
前月の7月22日の診察結果は感染症による膀胱炎。

三日間服用した「レボフロキサシン500mg」のおかげで痛みはすっかり消えて排尿はとてもスムーズになった。

このときの診察の際に医師が云った言葉。

「再び、何かおかしな下の病と思ったら、専門家の泌尿器科の門を叩いてください」と云われていた。

気がかりだったのは高齢男子であれば、誰にでも発症する下の病気である。

大腸炎、膀胱炎、服用した薬剤などでネットをぐぐっていたら、必ずでてくる前立腺肥大症の疑い、である。

66歳の私はいずれ経験するだろうと思っていた成人疾病。

旭化成ファーマのデータによれば50歳で3割。

60歳で6割、70歳で8割、80歳で9割の発症である。

高齢になるにつれて膀胱直下にある前立腺が大きくなり、中を通る尿道を圧迫し、尿の排出を悪くするのである。

前回の痛みほどではないか違和感がある。

それを感じたのは前々日の8月3日。

なんとなく「出」が悪くなったという感じだ。

出始めはやや痛。

排尿が始まれば痛みはない。

ところが残尿感があってスッキリしない。

スッキリしないのにまったく出ないのでトイレから離れる。

しばらくすれば尿意をもよおすという具合だ。

前回の膀胱炎にはなかった残尿感に、もしやと思ったわけだ。

次の日の8月4日はより頻繁にもよおす。

トイレに座ってもなかなか出ない。

出るときにはやや痛み。

辛くはないが、違和感が高まる一方。

排尿量は少なく残尿感。

その繰り返しに嫌になるが。我慢できないわけではない。

明日になれば治るであろうと期待した翌日。

まったく同じだ。

これはもう医者に行くしかない。

朝一番でなくてもいい。

朝の作業を済ませてでかけた病院は2年ぶりの田北病院。

平成27年7月10日に発症したうっ血性心不全に緊急入院した病院だ。

原因は心臓の僧帽弁逸脱による弁膜異常である。

手術は転院した病院で処置したが、お世話になった病院である。

その後は通院もしていないから診察カードを挿入しても弾かれる。

総合受付に申し出たが受付却下。

というのは、膀胱炎は泌尿器科。

本日は診察日でないから泌尿器科の医師はいない。

先月、診察してもらったかきざきクリニックの処方箋を提示して、そのときの医師からはおかしくなったら専門の泌尿器科を勧められたからここへ来たと伝えるが・・・。

前日の金曜日であれば泌尿器科の医師に診てもらうことは可能であった。

土曜日では診察科目もないことは予め調べて存じていたが、クリニックの医師は内科医師であったが、細菌を退治してくれる抗生剤を処方してくれた。

田北病院も内科医師はおられる。

尿検査をしてちょちょいと処方箋。

それで良いと思っていた。

受付していた事務員さん。

先輩らに相談しながら受付してくださった答えは専門病院の紹介である。

住まいする大和郡山にある泌尿器科専門のH泌尿器科クリニックだ。

ここなら午前中であれば診てくださると紹介してくださっていたそのときだ。

受付していた職員さんに院内電話がかかった。

実は、本日同曜日であるが、入院患者さんを診るために出勤していたというのだ。

専門の医師から直接連絡があって診てあげましょうということになった。

ありがたいことである。

早速、手渡された尿検査紙カップと問診票。

とにかく急ぎたい排尿である。

毎日のことであるが、残尿感はあったとしても服用している利尿剤の関係で尿意をもよおしてきた。

先に急ぐトイレで収集。

排尿は少しで十分。

と、いっても本日はごく少量しか出ない。

尿検査受付ボックスに提出してから問診リストにこれまでの経緯や、病歴、入院処置歴などを記入する。

診察受付に提出したら看護師さんが「腰は痛いですか」と問われる。

腰痛はまったくない。

尿道の痛さだけである。

腰痛があれば、何か違う別の病名がつくのだろうと思った。

待ち時間に体温を測る。

結果は36.7度。

平熱である。

血圧、脈拍数値である。

血圧は128-71。

心拍数は45拍。

私にとっては普段の血圧に心拍数。

起床時、食後に測ったときとほとんど変わらない。

診察まで時間がかかりますよと云われていた。

ところが予想に反して早くも呼び出される。

その部屋には器械設備がある。

診てくださる泌尿器科医師はM医師。

腰に痛みはありますかと再度尋ねられるが、今度もありませんとはっきり答える。

症状を伝えて検査が始まった。

その前に言われたのが尿検査の結果である。

なんと、血が混じっているという。

7月に診てもらったKクリニックは菌があると云われていたが、血の混じりはなかった。

こりゃぁ、もうほんまもんの病気。

血の混じりは内痔核からなのか膀胱からなのか。

それとも腎臓か尿道結石・・・。

そのベッドに横たわって背中をみせてくださいという。

背中そのものを診るのではなくエコー検査である。

冷たいジュレ・・ではなく主成分が水分のゼリー状剤を塗って受け取る超音波をきちんと採取できるようにする方法である。

今から始める検査は腎臓の状態である。

一通りされたら特に問題はない、という。

さて、問題は表側だ。

上向きに向きをかえて、今度はお腹の部分のエコー。

つまりは膀胱辺りの検査である。

画像を見るなり、結石の疑いは見られないが、前立腺が一般的な大きさでなく大きいという。

部屋を替えて診察室へ移動する。

先ほどエコー検査をプリントした結果映像をもって説明される。

腎臓については綺麗なものですが、前立腺が40gもあるという。

映像だけでグラム数が云えるなんてすごいなぁ、と感心している場合ではない。

特に問題を起こしていない一般的な男性の前立腺は平べったい形だそうだ。

それが結果映像をみれば丸い形。

はっきりとわかる球体のようなものだ。

問題のない場合の前立腺は10g~15gの範囲内だそうだ。

それと比較したら2~3倍の大きさ。

大きくなるにつれて尿道を圧迫するのである。

仮に前立腺が100gになれば外科手術処置を要する。

また、39度以上の高発熱の場合は緊急処置に入院加療する点滴処置になるという。

現状は常々でもなく、腰痛もないことから薬剤投の処置で経過を診ましょうということになった。

ちなみに私の場合は低心拍処置に毎日服用する利尿剤と一日に飲用する水分量との関係がある。

水分は一日に1リットル。

塩分は6g。

それがインプットの制限条件である。

先月に受診したKクリニックでも云われた水分補給。

利尿剤を服用しているので、それは無理と返したが、本日、診察してくださった医師は云う。

それなら増量水分量は200ミリリットルだけでもしてください、という。

それなら大丈夫と判断して増量するが、その件については念のため通院している循環器内科医師にも報告しておきますと話した。

来週の8日は3カ月ぶりの通院日。

丁度いい具合である。

診察を終えて会計処理の受付。

そこで待っていたら診察していたときの看護師さんがやってきた。

実は尿検査したときの尿量が少なくて、深い検査をしておきたいのでもう一度お願いしますと云われた。

そうそうたやすく出ない私の尿量であるが、トイレに入ったとたんに尿意をもよおした。

会計を済ませて調剤薬局へ行く。

薬をもらうのは何年ぶりになるんだろうか。

調剤薬局は昔も今も変わらないが名前が違うように思える。

薬局看板もそうなっていたがJibun(自分)薬局になっていた。

ここでも問われるお薬手帳はお持ちですか、に対して、「ありません」である。

お薬手帳はなくとも、心臓病の「おくすり説明書」や前回に処方してもらったクリニックの「おくすり説明書」も持ってきている。

これで十分であると思っている。

薬局受付に医師の処方した指示書を提出すれば、ジェネリック医薬品でよろしいでしょうかと問われる。

それで十分ですと答えたら「レボフロキサシン錠500mg(DSEP)」に「タムスロシン塩酸塩OD錠0.2mg(サワイ)」を適用された。

レボフロキサシン錠は細菌の増殖を抑えて感染症を治療する抗生剤。

タムスロシン塩酸塩OD錠は前立腺の緊張を緩めて尿を出しやすくする薬である。

そういう薬の説明をしてくれた薬剤師さんの顔ははっきりと覚えている。

年数が経ったのかどこでお会いして何を喋っていたのか記憶がどこかに飛んでいる。

その薬剤師さんも私の顔を覚えているという。

どちらも特徴のある顔なんだろうか。

名札を見れば記憶にないお名前だ。たしかHさんではないでしょうか、と言えば、そうですという。

記憶は合っていた。

ここの薬局でも応対してくださった薬剤師さんは6年前まで勤務していた市の施設の市民交流館で話したことがある人だった。

尤も受付・管理していた貸会議室のお申込みの際の立ち話だったと思う。

それから子供も生まれたということも聞いた覚えがある。

そう、前回にお会いしたときは身重だった。

結婚されたことはその姿でわかっておめでとうございますと伝えたことを覚えている。

その子供も今はお二人になったそうだ。

処方してもらった薬はそれから毎日の服用。

9日の朝は傷みもなくジョンジョロリン放出される排尿に歓びを感じた。

ちなみに田北病院もjibun(自分)薬局もクレジットカードで支払いが可能であることを付記しておく。

(H29. 8. 5 SCAN)

突然のネット遮断に機内モードの採用

2018年09月22日 09時54分53秒 | つうしん
おかしな症状はいつから出だしたのだろうか。

自宅でパソコン処理をしている最中だ。

それまでなんら不都合のなかったネットが突然に繋がらなくなる。

おともなく突然に、である。

過去にもそれは何度もあった。

発生する度に無線LANの電源オフ/オン。

それでも繋がらない場合はKCNさんに教えてもらった無線LANに初期化リセット対応。

かれこれ10年以上も使っている無線LANがごねているのだろう。

それが頻繁にやってくるようになった。

メモから推定するに、6月21日がはじまりだったように思える。

頻繁に出現するようになったのは7月18日だ。

対応すればしばらくはもつ。

次は7月27日。

その次は7月29日。

定期的でもないが頻繁である。

このときの対応に手が滑ったのかネット接続に見られないマークが出てきた。

飛行機の形をしているマークだ。

調べてみれば機内モード。

WI-FIモードには何故か切り替わらない。

切り替わらなくともネット利用は問題なく稼働する。

それからしばらくは機内モードのまま利用し続けた。

特に問題もなく利用できた日々。

いつまでも機内モードにしておくのが気持ち悪い。

やはりというか、馴染みのある元のWI-FIモードに戻したくなった。

それが本日8月4日。

すんなりとWI-FIモードに設定ができて使用していた。

それが突然に遮断された。

これまで同様にタブレット端末はなんなくネット利用ができる。

パソコンの電源オフ/オンをしてみてもWI-FIモードでは繋がらない。

えーいっ、こうなりゃ安定していた機内モードに設定しちゃえ。

そう設定したら問題は発生しない。

なんだかな。

調べてみれば機内モードはWIN.10からの機能。

利用上の問題はどこにも書いていない。

で、あれば安定する機内モ―ドでいいんじゃないと判断したが、その際にはWI-FIモードもオンにしておく必要がある。

それからの数日間。

何事もなくネット接続ができていたが、8日の朝は接続されない。

機内モードもWI-FIモードもオン、オンの正常表示であるが、中身は接続されない。

こういう場合はパソコン、というかWIN.10が邪魔している可能性がある。

それを確認するにはタブレット端末の接続状態である。

前回の事象であれば、タブレット端末は正常に接続しているはず・・・ではなかった。

どちらも接続不可なら問題は無線LANにある。

これを電源オフ/オンして立ち上げたら正常につながった。

これ以上多発する場合であれば、いい加減、買い換えしなくちゃならんな。

(H29. 8. 4 記)

ミストシャワーのあるならまち界隈のカフエ

2018年09月21日 09時47分36秒 | 奈良市へ
午後は暑い。

所要で訪れたならまち界隈。

どこからか冷たい風が吹いて顔にあたる。

近寄ってみればミストシャワーだった。

長時間おればずぶ濡れになる可能性があるからすぐに離れようとしたが、これは民俗と思って奥に・・。



そこにあった観光用途化した井戸の手動式ポンプ。

鉄棒レバーを上げ下げして使用するらしいが、「飲まないで」と書いてある。

かつてこの場にあった民家が使っていた井戸も観光素材になった一例であろう。

ミストも井戸も「水」。

「水」をテーマに三枚組の写真。

もう一品が欲しいところであるが、この日は見つからなかった。

(H29. 8. 3 SB932SH撮影)