マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

その後の右肩のでんぼの状態

2021年04月30日 10時53分13秒 | むびょうそくさい
※ 私ごとの病いの記録に公開する映像は刺激があります。見たくない方は、この項をパスしてください


9日、でんぼの芯が取れたが、当てているガーゼに膿がじっとり付着する。

ときおりであるが、ピリッと感じる痛みもある。

10日の入浴。



食後にガーゼの取り換えに気がついたかーさん。

でっかい穴があるという。

血や膿を拭き取ったら大きく奇麗な穴がある、鏡で背面患部を見たら、でっかいクレーターのような穴だった。

11日は診察日。



午前11時患者さん満員状態に1時間待ちと云われた。

なんせびっくりである。

開院からずっと通院してきた小野クリニック皮膚科が満員。

これまでと違う賑やか状態に受付も看護士さんもびっくり状態。

明日から初のお盆の休診。

痛みは今日のうちに、とやって来られたのだろう。

40分待ちの診察に終わってからもまだまだ多い待ち状態に、つい数日前の閑散状態から一変した患者数に喜んでいいのやら・・。



さて、診察治療は、芯が抜けた穴の膿除去と消毒治療である。

レボフロキサシン錠500mg「DSEP」服用は停止通告と相成った。



お盆休診明けにも診てもらおうと思っていたが、激痛に腰痛が重なる痛みに、それどころじゃなくなった。

(R1. 8. 9~14 SB805SH撮影)

高樋町・高樋町思会栽培のカボチャが美味い

2021年04月29日 09時20分36秒 | もらいもの・おくりもの
久しぶりにむちゃ美味い南京カボチャをいただきました。

甘くて美味いと、家人がいうから間違いなし・・。

南京カボチャは、栗かぼちゃと呼んでいた奈良市高樋町のOさん。

数年前から活動しだした高樋町思会が今夏に開店したハウス野菜売り。

その大多数は、旬の駅ならやまに出品したが、なかなか買おうてくれないというOさん。

FBで活動ぶりをアップしていたから表敬訪問した。

車を停めたときに戻ってきたOさんと会うのは久しぶり。

休みの曜日は何人かが集まってくるが、日々のほとんどは会長でもあるOさんが忙しく動いている。

華奢(きゃしゃ)なハウスは業者に頼んで作ってもらったが、費用は50万円もした。

よく見れば、何本か隙間があったり、支柱の固定もしていない不良工事だった、という。



このままでは大型台風がきたらひとたまりもない、と話すOさんが、1玉250円で売っているカボチャをくださった。

高樋町思会が栽培する畑の作物はカボチャ以外にマコモダケも作ったそうだが、実にならず。



その理由は雌だから・・・。

もらって5日後。

食卓にあがったカボチャ煮。

とても甘くて、柔らかい。



旨味もあるカボチャに家人とともに、ありがたさも味わった。

(R1. 8. 5 SB805SH撮影)
(R1. 8.10 SB805SH撮影)

夏のごちそうフェア初日トラブルにやっさもさするかっぱ寿司南津守店

2021年04月28日 08時54分01秒 | 食事が主な周辺をお散歩
翌日に出かけて美味しい回転寿司を食べる。

おふくろの通院に合わせた昼食処はかっぱ寿司南津守店。

通院帰りに立ち寄るかっぱ寿司ルートは何回も繰り返しているうちにパターン化された。

いつも美味しくいただく寿司ネタ。

明日はどんな寿司ネタをいただけるのか、楽しみしていた。

と、いうのも翌日の8月9日からは夏のごちそうフェア

事前に見ていたかっぱ寿司のHP。

大トロ鮪に雲丹盛り。

大トロ鮪が一品のもあるが、どでーんと威圧するような映像で迫る大トロ鮪に雲丹盛り。

セットでいくら乗せ盛りもある。

大トロに雲丹も食べられるから楽しみにしていたかっぱ寿司。

予定よりも早く終わったやまね耳鼻咽喉科診療。

車を走らせて着いた時間帯は丁度の昼どき正午。

かっぱ寿司南津守店に立ててあった大トロ鮪にバフン雲丹の幟。

HPで伝えていたのは間違いじゃなかったんだ。

先に座っていたおふくろとかーさん。

品定めにタブレット型タッチパネルを触れていた。

私は新作、期間限定の夏のごちそうフェアも気になるが、真っ赤かに表示する“シビ辛ソース”に視線を落としていた。

先月の7月22日

抜群に旨かった“シビ辛ソース”に惚れ込んでしまった。

この日のごちそうフェアを食べるものなら、2日前に陣痛ならぬ激痛のお腹をまた復活させて恐れもあって“シビ辛ソース”は諦める。

ではでは、とタッチパネルで探す夏のごちそうフェア

鮪が大好きなおふくろに食べさせてあげたいと思って頁をめくるが・・・。

一向に現れてくれない。

見間違い、見過ごしかなと思って3回もめくった全メニューにない。

こりゃももう店員さんを呼ぶしかない。

ただ、お腹を空かせているおふくろに1品注文。

寿司ではなくいつも美味しくいただいている平日限定料金対応のかけうどんである。

注文をかけてから呼び出した店員さん。

状況がおかしいと感じた店員さん。

ただ、他の席で食べてはるお客さんには同じ事象は出ていないという。

美味しそうになん皿も食べてはるお客さん、だという。

おかしいと判断した店員さんは、少々お待ちくださいとタブレット型タッチパネルを持って事務所に向かわれたようだ。

待ち時間はままある。

長いということは、たぶんにシステムエラー。

夏のごちそうフェア初日に新作データがタッチパネルに移送されていないのでは、と思った。

調理は当然ながら準備を整えているが、システムが伴ってなければ、新作メニューの注文は不可である。

しばらくして戻ってきた店員さん。

座った56番のタッチパネルに不備があったそうで、52番に移ってくださいと伝えられた。

その際に云われた1点。

会計を〆て清算支払いする際は56番、52番の2枚を会計レジにお願いします、であった。

席についた52番のタッチパネルを操作して注文したかーさん。

“注文”をタッチしてすぐさまテーブルに置いた。

しばらく、というかすぐにである。

いつもの表示画面でなく、何らかの「エラー」を感知したメッセージである。

初めて見るメッセージに、指をなぞっても動かない。

ニッチもサッチもいかないタッチパネルを持って走った。

先ほど指示していた店員さんに・・・。

そこに居たのは男性の店員さんも。

伝えた「エラー」表示に察知した男性店員もまたタッチパネルを持って事務所に駆け込んだ。

たぶんに男性店員は店長さんだろう。

またまた待たせるエラー対応。

まちがいなく、システム移行に不備があったのだろう。

元情報処理会社に属していた私はピンとくるシステム移行時のトラブルである。

おふくろはかけうどんを食べたが、かーさんも私もまだ何にも口にしてない。

入店してから30分間も経っていた。

お腹はもうペコペコ状態。

堪忍袋が切れかかっていた。

そこに登場したベテラン女性店員。

これまで何度も来ている南津守店で、注文に会計などで話した女性。

まことにもうしわけございません、と平身低頭の身でタッチパネルを手渡して伝えたことは、現時点でパネル表示されるメニューからしか選ぶことはできない、ということだが、表示されるメニューが新作か、どうかの一切はわからない。

本日のフェアを示すペーパーが、ないと・・と伝えたら事務所に戻られて探してきた・・・が、ない、ということだ。

それすらも本日初日の夏のごちそうフェアに間にあっていなかった。

残念なことであるが、その店員さんがこうしてください、と云われた対応。

席に貼ってあった新作の180円の本鮪大トロ。

例えば、そのメニューを食べたい場合は、提供はできるので、まったく違う、例えば同額の180円炭火焼ローストビーフを注文して、私、店員を呼んでください、という。

その対応がすごい。

まさにヒューマン的対応に、そんなありがたいことをしてくれたら、貴方に負担をかけてしまうから、それは逆に申しわけない。

そのことも伝えた女性店員さん、食べたいものは提供、私がそうさせていただきます、に感服した。

お言葉に甘えて注文した本鮪大トロ。

色が見本より白っぽくて、こんなんいやや、という。

脂がのっているからこういう色やと説得して食べたおふくろ。

これ美味しいやんと目を細めていた。

頼んでよかった目玉の本鮪大トロ。

2回、3回も申し付けるのは、よぅしやんけど、今度はかーさんが280円の二貫バフンうに軍艦を食べたい、と・・・。

順当に注文できる定番メニュー。

かーさんはいつもの鮮極生えび、ほたて、あかいか塩レモン、赤貝、えび天にぎり、つぶ貝を調子よく食べている。

おふくろは希望する中とろ、いなり、えび天にぎり。

二人そろって食べる一皿の鶏の唐揚げ。



〆のお腹に絶品は我が家の人気者だ。

先ほどと同じようにするが、等価対等のメニューは280円なら何でもいいのになぜか迷う。

結局は同額の牛タン炙りを発注して、店員さんをコールした。

女性店員さんはすぐさま席に来られて、注文のバフンうに軍艦、わかりました、と云って走っていった。

待ち時間は、待ったと思わせないくらいに早かった。

ぱくぱく食べたかーさんも嬉しい顔をしている。

さて、ようやく口にする私の注文は、今回初の一幻監修えび塩ラーメン。

とにかくお腹が減ってたまらんからガツガツ、ズルズル食べたい390円のラーメンにした。

基本的に私は選ばない海老ラーメン。



一幻監修であっても海老臭さが鼻につくから食べないのに、この日のトラブルにどうかしてるぜ・・。

配膳されてからしまったと気づく遅さ。

前回に食べた“シビ辛ソース”の味わい。

おふくろが食べたかけうどんに一杯の“シビ辛ソース”をたらして食べようとしていたが、頭がぐっちゃぐっちゃぐちゃになって、すっかり失念してしまったことに悔やむ。

一口、二口、三口が海老臭に悩ませる。

ところが、移行は臭みが消えた。

消えたラーメンの味は美味しい。

スープは抜群の旨さ。

ここに“シビ辛ソース”を絡ませたらもっと旨くなるだろう。

それにしても真っ赤に浮いたオイルは何だろうか・・・。

続いて発注した280円の豪華!軍艦三昧。



これが美味いんだなぁ。

お腹が減っているせいでもない。

じわーっと味がわかる3品。

まぐろのタタキにバフン雲丹のせ、北海道産いくらのせ軍艦は、どれを食べても美味い。

海の味は感じなかったが、美味さは抜群だ。

もう一品もまた軍艦。



海鮮うま辛和えはいつになく美味い。

極上の味がある本日の海鮮うま辛和えのネタはなんだろうか。

いろんな漬けの魚介類が味を極上にしたのであるが、見慣れない色がある。

これは、アボカドやん。

甘味に関与したようだ。

〆に選んだ3品。

甘海老軍艦に天吸い。

山葵たっぷりのせて食べた甘海老軍艦はにぎりの場合よりも旨い。

天吸いは前回も美味しかったので注文したが、吸いが冷めていた。



なぜに冷めていたか・・。

口にしたえび天にイカ天があかん。

前回は熱々の揚げたて。

だから吸いに浸かっていてもサクサク感があった。

今回は揚げたてでもない。

冷めた天吸いは旨味を出せなかったようだ。

口直しに選んだラストの一品は揚げ茄子シビ辛ソース添え。

今まで定番にあったメニューなのか記憶にないが、こいつぁ美味い。

揚げたて熱々に旨さがジュワー。

そこに落としたシビ辛が味を引き立てる。

どうせならもっと多めに、と言いたいところだが、そこは“シビ辛ソース”の助け舟が役目をこなす。

おふくろが食べたいのは“シビ辛”のない揚げ茄子。

残念なことにメニューにはない。

あってもいいんじゃないの、と言いたい追加したいメニューである。

ならば、これが食べたいといって指さしたトウモロコシ。

とうもろこし焦がし醤油にぎりを食べたいと珍しいことをいう。

初めて注文したとうもろこし焦がし醤油にぎり。

意外と美味しかったそうだ。

実は、揚げ茄子シビ辛ソースもとうもろこし焦がし醤油にぎりも人気の期間限定商品。

この夏場だけなんだろうか。

(R1. 8. 9 SB805SH撮影)

右肩のでんぼ状態は

2021年04月27日 09時02分03秒 | むびょうそくさい
※ 私ごとの病いの記録に公開する映像は刺激があります。見たくない方は、この項をパスしてください


泌尿器科診察に続いて受診する皮膚科クリニック。

先月より行きだした地元に開院した小野クリニック皮膚科に向かう。

開院したばかりの医院に患者さんは多くないからすぐに診てくださる。

右肩でんぼ、痛みはほとんどないようになってきたが、膿や血は止まる気配もない。

8月3日の状態は、痛みは和らいだからずいぶんとマシになったが、なんもせんのに出血やら、膿が自然に出てくる。

鏡を使わなきゃ見えない部位にあるデンボの先っちょに噴火するような勢いで黄色い膿が噴き出す。

入浴を済ませたら軟膏を塗ってガーゼで施す。



絆創膏を貼って疵口から溢れ出す血や膿で布団を汚さないようにして就寝した。

4日は診察日。

膿や血が勝手に湧き出るがごとく出てくるし、硬さもとれて、柔らかくなったというかーさんの見立てで診察してもらう。

前回と同様に細い針で突いて膿を出す。

何回、何回もして、だいぶと出したが、まだ芯はある。

痛みもあることだから、感染抑えに5日間適用する処方箋(レボフロキサシン錠500mg「ニプロ」)の適用。

ただ、食後に服用すると、気分が悪くなるとか、ぼんやり、それどころか、意識がなくなるなどの症状が現れることもあるので車運転は注意とあった。

5日の状態は、ずいぶんと和らいだ痛みである。

ただ、就寝していた布団シーツに付着血痕があった。

昨夜にしていたガーゼにべったり付着した膿に血が沁み込んだようだ。

6日もよう似た状況。

外したガーゼでわかる膿の出具合。

右脇方や右背中に痛みが走る。



腕を後方に廻したら、特に痛くてズキズキする。

7日は、でんぼどころでない腰の激しい痛みに苦しんでいた。

外したガーゼでわかる膿の出具合にほぼほぼ痛みなし。



8日は、治療日。

痛みほとんどないが、膿や血が止まらないので絞り出し治療をお願いした。

針孔差しがとても痛い。

痛い、痛いの連発に看護師さんがガンバッてと震える身体を支えてくれる。

その温かみが嬉しい。

長時間になった治療にようやく芯がでそうだと声がかかる。

ガンバッてや、と云われつつ長時間絞り出しの結果、芯が出た。出たことは出たが、でんぼの根があるもよう。

念のため、盆休み前の8月11日の午前中に来診予定とした。

(R1. 8. 6~8 SB805SH撮影)

特に注意すべきことのない前立腺肥大症診察

2021年04月26日 09時52分33秒 | むびょうそくさい
今回で7度目の診察日。

検尿の結果に異常もなく、特に注意すべきこともない。

白血球は3-5/F。

PHは6/Fの結果に問題なし。

次回の予約は2カ月後の10月3日。

今度こそ試験して数値を取りたい尿流量測定に残尿測定(エコー)検査。



ちょろちょろとか、前回のようにまったくもよおしのないとかを避けて医院に来てすぐにでも測定できる自信のある時間帯は午前11時ころ。

尿溜めに今度こそ間違いなく、そうしますと伝えて医院を出た。

(R1. 8. 8 SB805SH撮影)

激しい腹痛に救急車が向かった先は通院医院のER(緊急救命)

2021年04月25日 08時39分38秒 | むびょうそくさい
朝6時の起床。

いつもの毎日に体重測定に血圧および心拍数の計測。

お茶に豆乳を飲んで1時間もかけて朝刊を読む。

それが毎朝の日課。

それはそれでいいのだが、いつもと違う腹具合。

チクチクからヅキヅキ。

とはいっても疼くような痛みでもない。

お腹が飛び出しそうな激痛が押し寄せてくる。

新聞を読んでいるうちに痛みは激しくなる。

かーさんが起きてきた。

お腹が痛くて、なんかおかしい、と伝えてから排便にトイレ行き。

一昨日までは快便状態。

力を込めなくともするっと。

いや、ずずっと排便したときが気持ちよく、お腹もすっきり、身体が浮くような軽さを感じるときがイチバン。

出なきゃ、ずつないその日を送るが、昼間にもよおして、どばっという場合もある。

そうなればいいと思うのだが・・。

少しは出たかなと思う30分間の籠り時間。

トイレから出ても腹の痛みは強さを増すばかり。

横になっても座っても痛くて我慢できない。

立つことさえ無理な身体状況に、医者行き・・・に運転はできない。

自力不能にどうすればいいのか。

これこそ救急車に頼るしかないと決断してとにかく身づくろい。

重たい服装は身に付けたくもない。

軽い状態にしたい。

そのうち冷や汗というか、汗が滲みだした。

痛みの汗なのか、それとも身体が抑制しようとしているせいなのか・・。

これまで診療したリスト情報に毎朝の体重に朝、昼、晩食後の血圧、心拍数計測値。

排尿の回数に排便状態もあればその日一時的に服用したワソラン錠などなどを記している健康手帳を袋に詰めた。

たぶんに入院、緊急措置が行われるだろう、と思うとりあえずの情報提供の持ち込みしか頭になかった。

そしてコールした救急車。

できるなら昨年の5月に開院した奈良県立総合医療センターに・・。

今後の通院のことを考えれば、歩いて6分で着く医院の方が緊急の場合に供えられるから・・の思いはあるが・・。

以前、通院している天理のよろづ相談室病院の主治医に申し入れたことがある。

主治医の回答は、何事もない現況の通院状態の診療では紹介状は書けない。

症状が極めての場合になれば、それも状態によるが、紹介状は難しいとの回答だった。

朝の腹痛は私にとっては異常な状態。

だったら救急隊員に思いを伝えることは可能だ。

ピーポーピーポーの音が止まった。

お家の前に停車したように思えるが、起き上がれない。

そこへ入室した救急隊員。

早速の作業に入る。

酸素吸入はないが、心電図計測に酸素量を計測する指サックを装着。

症状を確認されて、どこへ行くか。状況を伝えた奈良県立総合医療センターの回答は天理よろづ相談所病院の紹介状がなければ一切受け入れられないという。

念のために連絡し天理よろづ相談所病院も紹介状は発行できない。

万事休す、ではなく至急措置を受け入れたのは天理よろづ相談所病院だった。

患者コードを伝えて走った奈良県広域消防組合大和郡山消防隊の救急車。

地道の平地走行なら30分以上もかかる。

毎回の通院にマイカー利用は信号待ち状態もあるが40分弱。

その間の振動もあるが、少しでも早く着いて、緊急措置を願いたい。

激痛に冷や汗でなく脂汗がにじみでる。

出発したときの喉はカラカラ状態。

冷たいお茶でも飲んでいたら少しでもマシになるかな、と救急隊に要求するが、胃のことだと考えられるので給水は不可。

脂汗、カラカラ喉に唇もカラカラ。

声も出しにくいカラカラ状態に、あとどれくらいで病院に着きますか、の回答は、もうすぐだった。

後でわかった救急車。走ったルートは大和中央道を真っすぐ南に。

西名阪高速道路と交差する大和まほろばスマートインターから高速道。

丁度、降りたばかりの場所。

見たことのあるガソリンスタンドの看板にダンロップが・・。

さぁ、着きましたと云われた処置処は内科型ER救急救命室。

直ちに測定する心電図機器に栄養補給のアセリオ静注液・テルモ生食点滴と痛み止め屯服。

異様な波形に徐脈心拍に医師、看護師は低い・・・。

そう、普段の私の心拍数は45拍~50拍辺り。

イチバン落ち着く徐脈状態。

これが57拍以上、特に60拍を越えた途端にワソラン錠の服用。

循環器内科の主治医の指示のもと、緊急措置を要する場合は自己判断で一時的服用している。

ERに入れ替わり立ち代わりに診る医師、看護師に同じ答えを伝える。

ここには救急救命士もおられる。

救急を呼んでほっとする部屋でもらした、その判断。

「それでいいのです、お年寄りは特に我慢してしまって手遅れになる場合もあるから、直ちに救急車をコールして正解」という。

おふくろの圧迫骨折による症状に初めてコールした救急車。

体験があるから、今回もそうした。

ストレッチャーに乗せられた状態を見るご近所さん。

手を振って、行ってくるわ、と声も出したいが、それすらままならない状態に、不安そうな顔で見送ってくれた。

ER室に横たわった時間は何時だったのだろうか。

9時、それとも9時半。

時間経過がさっぱりわからない。

医師が手配したCTスキャン検査。息はできるから大丈夫。

3年前に発症した僧帽弁破壊のときは肺にたまった水で呼吸困難だった。

そのときよりもまだラクだが、痛みは激痛だ。

検査結果が出るまでの時間が長い。

どれくらい経過したのかわからないが、戻ってきた医師がいうには異常を示す映像はみられなかった、という。

痛みの箇所はみぞおちそのものでなく、丁度その真下くらいの位置である。

胃袋に穴が開いている場合は相当な痛みになるらしいが、穴は開いていなかった。

この辺、どうですか、と痛みの部分を探し出す医師の手。

そこそこ、と伝える痛みの箇所は正面。

胆のうであれば、そこより少し外れた右になる。

その部分を押しても痛くない。

ただ、胆のうは膨らんでいるという。

食事はいつ摂られましたか、に答える昨夜の晩食が最後。

朝は6時に痛みだしたから、かーさんが用意してくれた朝食には一切、手も口もつけていない。

なんせ食べる気がまったくしない食欲不振。

ここ数カ月の晩飯。

食べきってしまったその夜の胃袋はパンパンに膨れ上がっていた。

苦しくて仕方のないパンパン状態も朝になれば消化できたのかすっきりしている。

それが徐々に変化する消化能力。

残さずにおられない晩食に、これもあれも残して明日の朝に廻す。

無理はもう効かない身体だから、晩食の分量を減らしてくれと嘆願していたが、これまで通りの感覚で料理してしまうかーさん。

そのかーさんも小食に移っていた。

残りは私が食べきる。

子どもが小さいときなんか、いつもそうしていた。

家族が食べ残した食事はもったいないからと胃袋に入れた壮年期時代も、なんともなかった。

小食になったのは僧帽弁形成手術にアブレーション治療をしてからである。

心不全の診断を下された3年前から小食に移っていた。

65歳はまだ高齢でない、と思ってきたが、身体、いや胃袋が如実に答えを出す。

尤も、いつも小食になったわけでもなく、たっぷり食べきってしまうこともある。

それが受付けられなくなってきたここ数カ月。

なんとなく感じる消化能力の遅速化である。

朝食のご飯量はもっと早くに対応してきた。

ご飯山盛りなんてとんでもない。

擦り切れであっても食べきれなくなったのは何年も前。

少しずつ減らしていって昨今は小さな、小さなおにぎりの量でないとあかん状態に変化していた。

ご飯を食べる外食は除いて普段なら朝食だけ。

晩食にご飯を食べなくなったのは結婚してからすぐのこと。

大方、40年前に遡る。

朝ご飯の量が減れば、炊飯器に残る量が増える。

2合炊き炊飯器にしても残る量が増えていく。

もったいないから何とかして食べる。

それもできなくなった消化能力の落ち込み。

お腹が痛いのはそのせいだろうと思った。

医師が触診してもわかる胆のうの膨らみ具合。

胆のうは食事を摂れば機能を発揮するが、食べてなければ膨らみ状態。

食べたときに収縮するから、このタイミングの膨らみ具合は食べていないからである。

CTスキャン検査では原因を掴めなかった。

可能性として考えられる胆のう。

より詳しく調べるためにCT超音波エコー検査を・・。

懐かしい通路を車椅子で運んでくれる看護師さん。

入院病棟でしていた検査は、このフロアにある。

周りの景色に変わりはない。

超音波エコー検査はたいがいが20分程度。

仰向けに横向けの身体に機器を当てて検出する。

検査士は終わったことを伝えるが、結果は医師の口から。

戻ってきたER室。

何人かが救急で運ばれた。

一人は入院、一人はそのまま帰宅。

他にもおられたそうだが、状況は見えない。

そのころゲップが出だした。

ゲップはガスの排出を身体が促がしている証拠。

普段ではないが、毎日でもない。

たいがいが晩飯どきに発症するガス溜りに胃が痛くなる事象である。

きゅ―っ、と締め付けられるような痛さに無理やり仕掛けるガスの排出。

それが人工的に行うゲップの吐き出しによって解放される。

胃のガス溜りは、おならと違ってそうするしかないが、すっからかんに吐き出したら実に気持ちは良くなる。

とにかく中途半端な状態は極力避けないと・・、と思っているが・・。

この日は空腹に無理やりゲップ。

何も食べていないから胆汁が出る始末。

そんな状態であってもなんとか気力でガスを吐き出していた。

医師が来られて伝えたことは、胆のうそのものに異常はなく、欠片のようなものが認められたということだ。

それが“悪さ”をしたのかは現段階では不明である。

その不明な点について検査を明日にしたいという。

そういえば、明日の私はひらたクリニックで前立腺肥大症診療の予約を入れている。

その時間帯は午前中。

診察を終えて車を走らせても午前11時までに総合受付は難しい。

その件を伝えたら、本日、これより消化器内科の診察を受けてください、と指示がでた。

診察状態によったら胃カメラや大腸内視鏡検査になるだろう。

午後3時に受け付けてくれた消化器内科は、いつも診察してもらっている循環器内科の向かい側。

ここもまた患者さんは多い。

午後3時までなにも口にしていないが、お腹はまったく食欲不振。

つい30分前までは痛みがあった腹部。

今ではすっかり消えていた。

消化能力が復活したのかどうかわからないが、痛みもない上に溜まった感もない。

パンパン状態だった腹部も柔らかさがみられる。

これはいけそうな感じだ、と思った。

さて、消化器内科診療である。

診てくださった医師はT消化器内科医師。

胆のうそのものには異常はないが、1mm程度の胆石が画像に認められるので、その欠片が何らかの動きをしてお腹の管を一時的に詰まらせた可能性がある。

それが腹痛の原因、とも考えられる、だった。

念のための検査は三つ。

盆明け後に数日かけて行われる胃カメラ・大腸内視鏡・MR検査の手配。

診察をしている段階では、痛みもなにも、すっかりない状態。

横たわって触感で探る腹部状態。

硬さもなく、柔らかい状態であれほどパンパンだった張り具合は消えた。

年齢とともに落ちた消化能力。

これまで通りの摂取量を食べていけば、消化不良に、あるものが胃に残ってしまい、ガスを発生させる。

そのガスが激痛を生み出した可能性もある。

消化器内科の事務職員が伝える絶食に別途特別な3食生活がある。

特別なレトルト検査食は予め、売店購入。

本日は午後5時を過ぎていたので購入は後日診療日である。

注意ポイントを列挙すれば次の通りである。

15日、晩食を21時まで済ませて以降は絶食。

16日、検査までは絶食を続け、飲用は水若しくはスポーツドリンク。

11時より院内にて胃カメラ検査。

18日、朝、昼、晩の食事摂取内容が要注意。繊維が多いものや種のあるものは避ける。

19日、朝、昼、晩は医院指定のレトルト検査食の摂取。

20日、朝食は不摂取。飲用は水若しくはスポーツドリンク。

11時より自宅にて2時間半もかけて対応するモビプレップ下剤(2000ml)・洗腸剤の服用。

14時半より院内にて大腸内視鏡検査。

モビプレップ下剤は内服袋に2000mlの水を投入して混ぜる薬剤。

会計後の薬受け渡し時に薬剤師より特別な取り扱い説明を受けると指示があった。

21日、8時半より院内にてMR検査・心臓超音波エコー検査・心電図・胸部レントゲン検査。

11時より1年ぶりになる心臓血管外科診察。

28日、12時、院内にて消化器内科診察、とする、

すべての予定が決まった。

会計のほとんどが画像診断量料。

支払いを済ませて薬剤部手渡しに、希望した浣腸薬と痛み止めのカロナール錠500mg。

もう一つがモビプレップ下剤であるが、見本を手にして説明を受ける。



説明しているうちに思い出した液体溶剤。

2リッターの溶剤は時間を服用して、何度も何度もトイレに籠ったことを・・。

初めての体験は20年以上も前。

大阪・高槻にある大阪医大付属病院。

肝膿瘍の病にカテーテル処置をする際にした検査は大腸内視鏡検査。

その際に服用する薬剤の名称は覚えていないが、苦労したことは今でも記憶に残っている。

大きなカップに入っている薬剤を飲んでトイレで排便。

水洗に流さず、便器に溜まった状態。

排便の都度に呼び出す看護師さんが便の状態を目で見て確認する。

便があれば流して、次のカップを続けて飲む。

そして排便。便の検査・・。

これを繰り返して1ミリの便もなく透明な水だけになったときにOKが出る。

お腹は痛いというか、トイレから病室に戻った途端にもよおし。

尻穴を手で抑えながら入院棟の廊下を歩く。

トイレに入ったとたんに流れるシャーーーー。

たしか6回くらい繰り返して、もうそろそろです、と。

何度も、何度も繰り返す排便の辛さは今でも記憶に残る大腸内視鏡検査の事前準備。

2回目は内痔核を取り除く処置をしたときだ。

およそ10年前になるだろうか。

2度目は慣れがあるから心の内は余裕もち。

ただ、どちらも入院棟での処置。

これを自宅でするのは初体験。

さてさて、どうなるやろか。

それよりも気になるのは下剤の効き目がどれほど残るか、である。

自宅で大腸内を、すっからかんの奇麗な状態にするのは構わないが、検査時間に間に合うように車を走らせなければならない。

走行中に下剤が効いて漏らしたら、どうしよう。

自宅から早く着いても30分間。

信号待ちにイライラしそう。

これが心配のタネであるが・・・。

さて、本日の救急診療を終えて自宅に戻ろうとした際に気づく足もと。

そう、救急車で運ばれたものだから下履きがない。

慌てていたから忘れていたことに気づく。

院内移動はERの表示があるスリッパを借りていた。

そのスリッパで帰るわけにはいかない。

さりとてわざわざ下履き靴を買うこともない。

実は、消化器内科診察待ちに売店で買っていた。

入院棟で掃くような上履きである。

尤も、その上履きでバス、電車はみっともない。

いや、そんなことよりバス、電車の乗り換えは自信がない。

こういうときはやむを得ない。

と、いうわけで外来棟前に待機していたタクシーの利用。

医院から自宅まで走ったタクシー会社は長柄タクシー。

5800円のタクシー代をクレジットカード払いで支払った。

自宅に戻ったのは午後6時。

何事もなく戻ってきたがクタクタ。

晩食はいつもより思いっきり量を減らしていただいた。

その晩の腹具合。

特になにも起らなかった。

(R1. 8. 7 SB805SH撮影)

都祁白石・ショッピングセンターたけよしの刺し鯖

2021年04月24日 08時58分08秒 | 民俗あれこれ(売る編)
やや腰痛ぎみだった身体。

気分転換に出かけた行先は、奈良市都祁白石町。

どうしても食べたくなった塩っ辛いサシサバ買い。

お盆の真っ盛りの15日の午後では売り切れも仕方ない。

気になれば、なるほどにうずうずしてくる気持ちを抑えきれなくて・・。

以前も買ったことがある食品売り場は、奈良テレビ放送で繰り返すショッピングセンターたけよしのコマーシャルソング

「♪・・みつけっちゃたねェ~ ゆめ~いっぱい なんでもそろぅ うっ! たけよし~・・♪♪」。

午前9時から夜の8時までが営業時間。

運よく、見つかった「たけよし」の刺しさば。

1パックに1尾売りの480円。

6枚も残っていた和歌山産の刺しさばに歓喜する。

賞味期限は9月13日。

そもそも刺しさばは、保存食なんですわ。

入手した時間帯は、午後5時45分だった。

売り場の棚にあった紛らわしいPOP。



「脂がのった昆布だし塩鯖。北海道産の昆布だしにじっくり漬け込み、まろやかな味に仕上げました」。

その横にあった手書きPOPが「サンマヒラキ」。

益々紛らわしくなるPOP文字。

鯖なの、それとも秋刀魚なの・・。

魚肌の文様でわかる鯖そのもの。

魚形から見ても秋刀魚の開きではない。

これこそ刺しさばである。

自宅に戻ったその夜。

すぐには食べない貴重な逸品。

食べたいと思うときに食卓に・・。

そうは思っていても思い通りにならない家庭の食卓。

口にするのは、私一人だけだ。

袋から取り出した刺しさばを皿に盛る。

我が家ではでかい方になる皿に、丸々一尾の刺しさばを置いた。



記録撮影のために、まずは開いた背中を撮る。

カラカラに乾いた背の部分の文様は、真鯖。

身は厚かったと思える面構えである。

わざわざ買ってきた刺しさば。その理由は、内面の干し具合を観たかったからだ。

15日に取材させていただいた山添村勝原の民家のあり方。

撮らせてもらった刺しさばの映像は、背であった。

背を裏返して身の部分を・・の思いはあっても、そこは遠慮。

なぜなら、同家では供えたその晩にいただく馳走であるから、遠慮した。

私が買って、私が食べる。

実写に、味見をしたい和歌山県産の刺しさば。

まずは、焼きを入れる。

我が家の炊事場コンロは、ガスコンロ。

魚を焼くコンロに入ればいいのだが・・・。

なんとか入れて、火を点ける。

焼きはどれくらいの時間をかけていいのやら。

えいや、っと思う時間で終えた焼き具合。



ぷくぷく焦げの状態。

火を止めた時間が丁度いい。

そして、遠慮なく、裏返した刺しさば。

コンロ焼きに裏返しはどうなのだろうか。

その焼きを見ることなく、箸が勝手に動き出した。

カチコチだと思っていた刺しさば。



柔らかくもないが、ほどほどに箸が入る。

ちょっと掻い出しては口に入れた一口目の味は、想定通り。

思わず口に出る「しょっからーーい!」。



日本酒がすすむ塩辛い味。

塩鯖のレベルではない。

とにかく、しょっーーかっ、らーーい。

塩辛いから、また日本酒を喉に押し込む。

一気に食べるには、勿体ない。

骨と皮は無用。

箸で食べられる身を剥がす。

この作業は、嫌いでもない。

むしろ大好きな作業。

どのような魚であっても、箸を用いて、身を削ぐ。

吉野の杉箸は使いやすい。

竹製の箸も使いやすい。

そのなかでも一番使いやすかったのは、生駒・高山に住まいする職人が作る竹製の割りばしである。

中でも廃材のススダケが一番だった。

二度と手に入らないススダケの箸・・・。

売っていても高いだろうな。

話しを刺しさばに戻そう。

大皿一枚の大きさだった刺しさばも、皮と骨を取り除いたら、身はちょっとに・・。

大半は私の口にちょびちょびいただいたが、ほんの少しだけを残した。

食べさせてあげたい友人たちと出会う日は、9月に入ってからだ。

毎年に訪れる十津川村の滝川。

その上流に広地がある。

そこでいただく昼めしにちょい喰いしてもらい、刺しさば味わってもらおうと魂胆したわけだ。

9月8日、メイン食の準備中に出した一皿。

見たとおり、ほんのちょっとだけの刺しさば。



箸で摘まんで口に入れる。

その味、しょっぱぁーーイ!。

強烈なしょっぱさに、参加者全員が、一様に口走った。

塩っけが強いから夏場に相応しい味。

皿にもったほんのちょびっとが、すっかり消えた。

ちなみに全日本さば連合会会員のSさんが、FBにコメントしてくださった「刺し鯖って、はじめて知りました😂ググッたら、食べたくなりました!」に、今さらであるが、”刺し鯖“をキーに、ネットをぐぐってみたら、あるある・・。

一つは、江戸の地にも「刺鯖」があったそうだ。

江戸文化歴史検定試験にも出題される「刺鯖」と「鯖代献上」。

天保九年(1838)刊の『東都歳時記』に、7月15日の盆に「中元御祝儀。荷飯(はすめし)・刺鯖(さしさば)を時食とす(刺鯖は、その色、青紫のものを上とす。能登産を上品とし、越中これに亜(つ)ぐ)、良賤生身魂(いきみたま)の祝ひ(七月の盆に、亡者の霊魂来るよしを言ひてまつるより移りて、現存の父母兄弟などの生御たまをいわう意なりとぞ)」。

まさに探し求めていた生身魂(いきみたま)・刺し鯖の歴史譚である。

ブロガーの「気ままに江戸♪」さんが、アップしていた記事に救われる江戸文化歴史検定図書の『江戸の祭礼と歳事』の「刺鯖」と「鯖代献上」。

「7月15日、祖霊を敬う行事であるとともに、生きている両親の長寿を祝う“生身魂(いきみたま)”行事もしていた」というのは、奈良県内東部山間地に、今なお継承しているお盆に生きている両親の長寿を祝う「刺し鯖」御供である。

ちなみに、「気ままに江戸♪」さんが続いて書いていた産地情報。

「東都歳事記によれば、能登産が最上に、次いで越中産だった」そうだ。

私の知る範囲では、当記事でもわかるように和歌山県産。

以前、山添村・桐山の大矢商店店主から聞いた話では、サシサバの仕入れ先は奈良県中央卸売市場であるが、作っている人は和歌山・新宮だったと・・。

また、後年になって天理商店街に商売するお店で知った仕入れ先は、北陸の福井県。

また、宝暦調書からわかった石川県羽咋郡・西海産もある。

江戸期とは違って、現代は産地文化に用をたす県民に、多様な流通経路も絡んでいるだけに、時代を遡り、調査するには限界を感じる。

また、「奈良の食文化研究会」によれば、同じく奈良県中央卸売市場の塩乾物卸売業者の奈良塩乾物㈱の仕込み。福井県丹生郡越前町の江戸時代の文書に「・・二尾一組の刺し鯖を供物・・」とあるから、『江戸の祭礼と歳事』の記載と同じだ。

民俗行事に登場する刺しさばもある。

事例は、お盆行事でなく、形態も違う島根県『津和野町史』にある鶴舞神事に頭屋儀式に添える刺鯖だが、これまで揚げていた生身魂(いきみたま)とはまったく異なる事例もある

また、刺鯖(さしさば) 初秋 – 季語と歳時記 - きごさい歳時記によれば、刺し鯖は、季語にもなるようだ。

※やっと登場した私が取材した刺し鯖ブログ記事に忘れていた「刺し鯖」は、冷たい茶粥で食べると云ったのは辻村商店の店主だった。

(H30. 8.15、19 SB932SH撮影)
(H30. 9. 8 SB932SH撮影)

ふり返る令和元年7月の介護まとめ

2021年04月23日 09時23分53秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

22日は、畠中医院に、松島眼科。

その途中に遭遇した事件。

信号右折の際に、トラブルに巻き込まれた。

この日のおふくろは、畠中医院の診察もあるし、松嶋眼科にお願いして目薬を処方してもらう手配がある。

ところが、昨年の11月に受診をしてから半年間も過ぎているので、先生に相談します、と‥‥その結果、本来なら5月が受診日なのでお渡ししますが、極力早く来診して再診受けてください、と回答を得た。

畠中医院の診察が、丁度、正午の12時前に終わったのでまだ間に合うと判断し、急行した曲がり角でそれが起こった。

御崎4丁目信号に、あわや、自転車と衝突事故を起こしそうになった。

長居公園通りの本道から信号を右折。

前方から走ってくる車の動きに注意しながら、ハンドルを右に切った。

小道に抜けようとした、そのときだ。

前方は、ともかく右手に見えた自転車。

東西を敷設する歩道を走ってきた自転車はブレーキをかけることもなく突っ込んできた。

思わず急停車した、真横に・・・。

ぶつかりはせなんだが、停車した私の車に近寄り、何やら吠えたてている。

これはやばい。

窓を閉め、ドアをロックする。

同乗にかーさんとおふくろが乗っている。

大声で喚きたてる。

その行動は、まさに脅し、だと思った。

若者の姿は、一般的な服装の若者でなく、一目でわかるチンピラ風の服装に、頭は茶髪だ。

その若者に絡まれた。

衝突は回避されたが、茶髪の若者は怒り心頭だ。

突っ込んできた自転車から降りた若者の行動。

ドアを開けようとする。ノブに手をかけてドンドンと叩く。

声を荒げる若者から逃れたい。

そう思った恐怖の時間が始まった。

私も悪いが、貴方も悪い、と対話が成り立たない若者行動。

こんな場合は、ひたすら頭を下げて、両手を合わせ、祈るように、大きな声で聞こえるように「すみません、ごめんなさい」を繰り返す。

誤って済ませる相手ではないが、そうするしかない。

だが、私ら家族を開放する気はまったくない。

乗ってきた自転車を車前方に、立てよった。

こうすりゃ、車は前に動かせない。

バックギアを入れて逃げる手も無理な状態。

にっちもさっちも、どうにもこうにもの状態に、自転車をもって封じ込めた若者。

フロントガラスの前で電話をしだした。

どこにかけてるのか、さっぱりわからない。

ふと、思ったのは警察コール。

チンピラ風の服装に、頭は茶髪の若者に、それはあり得ない。

スマホ電話に出た人と話してる様相。

会話の一部からわかる、平常な具合でない、汚い言葉遣い。

その間も、ずっと「すみません、ごめんなさい」を繰り返すが、この場を離れない事態に恐怖感が走る。

家族に危害を加えないだろうか。

停車した場は、信号、横断歩道内。

行き交う車の運転者は、みななにごとかいな、というような表情で通り抜ける。

歩行者も居たが、誰一人、声もかけずに通り過ぎるだけ。

このトラブルに解決の道はあるのか。

不安、恐怖しかない。

スマホ電話が終ってからも、怒鳴りつける若者。

長い時間を待っていたのでもない。

しばらくしたときに現れたもう一人の若者。

やってきたのは、クリクリ坊主頭。

中学生に見えるその子は野球部員のような爽やかな男児。

威嚇する茶髪の若者に対して、「もう、お前もうやめとけ」と諌めて、制止させる行動をとっていた。

前方塞ぎに置いた自転車を歩道側に退けた若者。

運動部員と思われる若者の行動に光明がさしてきた。

そして、私に「早く行け」、と笑顔で目配り。

「ありがとうございます」と、頭を下げて場から去ったものの、ここは御崎。

中学生であれば、この校区に一番近いところに大阪市立住之江中学校がある。

我が母校であれば、今は閉校になった大阪市立南陵中学校。

3年間に亘って学んだ中学校は、ここ信号北西角にあった。

ガラの悪い生徒もいたが、当時、私を救ってくれた番長もおった。

チンピラみたいな生徒もいたが、番長が一喝したら、シュンとした。

そんな記憶が蘇ってきた。

またすぐにでも遭遇するわけにもいかず、一旦は周辺地域から離れて、あるところに車を停めて時間稼ぎ。

その時間は10分ほど。

コトは覚めたと判断し、近くにある松嶋眼科へ向かう。

そこでまた遭遇でも、と思ってしまう恐怖に脅えながらおふくろを医院に降ろした。

処方してもらった目薬を、手に、恐怖から解き放たれて、ほっとした次の行き先は北島薬局。

処方箋に医師の分包をお願いして眼科診察。

逆さまつ毛4本の除去処置に、コロコロ不快感が消えて喜ぶおふくろ。

眼科診察を終えたおふくろをのせて、いざかっぱ寿司へ。

食後はスーパーサンディで買い物。

ちゃちゃっと済ませて、帰り道にある北島薬局に、立ち寄って分包し終わった処方箋の受け取り。

その次は、すぐ近くにある郵便局に立ち寄り。

おふくろの口座つくりも済ませて、やっと戻ってきた住まいに腰を据える。

乱雑気味に収納していた書類整理に区分け。

クリヤーファイルを用いて、バラバラにならんよう、また取り出しやすいように工夫してファイル化。

カード類も整理用ファイル化。

意外と時間のかかる整理作業だった。

玄関の電球が切れたと聞いていたので、前もって購入してきた60w電球の球替えに、なんと、うち一つが球切れの不良品だった。

風呂場の電球は、特殊球。

型番を調べて、後日来るときに対応することにした。

(R1. 7.22 SB805SH撮影)

大黒の濃厚カレーラーメン大盛り

2021年04月22日 09時52分38秒 | あれこれインスタント
痛みで食欲のないこの日の昼めし。

3カ所の買い物を済ませて帰路についた。

かーさんは大阪・心斎橋行き。

おふくろの用件で関係者に手配する大阪・大丸行き。

昼めしは買い置きしているインスタントラーメンの中から何を選ぶか。

暑いときには熱いラーメン。

心頭滅却すれば火もまた涼しになるかどうかわからないが、とにかくラーメン。

手に取ったのは大黒食品工業の大黒濃厚カレーラーメン大盛り

いつ買ったか覚えてないが、たぶんにラ・ムースーパー。

とろとろ風味のカレーラーメンはときたま食べたくなる。

そのときのための買い置き一品。

具材入り粉末カレースープの素を先に入れて、お湯入れ5分待ち。



上手くかき混ぜないと、底にたっぷり残ってしまう湯に融けない粉末スープ。

できるだけ、と思って底に突っ込んだ箸でかき混ぜる。

何度も何度もかき混ぜるが、どうしても底面に残ってしまうのが難点のカレーラーメン。



熱いラーメンは息を吹きかけてふーふーしないと、口の中が火傷する。

ずるずるっと口に入れたカレー麺。

辛みたっぷりのスパイスが熱さにともなってふーふー。

何口も、何口も食べているうちに汗がである。

汗は顔、額でなく、右腕の脇にでる。

暑さ厳しいこの日にクーラーはがんがん効かせて、扇風機の風もあるのに室内食に汗がでる。

心頭滅却できたかどうか、わからないが物足りない。

味にコクを感じたのは底になってから。

この点、いつもなんとかならんのかい、と思ってしまうが、また食べたくなるのは、どうして・・。

(R1. 7.31 SB805SH撮影)

デンボ・おでき・腫物治療は皮膚科クリニック

2021年04月21日 08時57分46秒 | むびょうそくさい
※ 私ごとの病いの記録に公開する映像は刺激があります。見たくない方は、この項をパスしてください

前夜のことである。

痒みがあるから自然と手がそこへいく。

カイカイした途端に、ビビビ・・・。

痛みにこりゃなんだ。

その患部は右肩の背中。

目が届かない位置にある。

かーさんが見てくれた患部は、赤く腫れていた。

鏡に映して症状、状態がわかったが、痛み止めはするとしても切開は無理だろうな。

患部は、2年前から出現していた塊である。

手の触感で、わかる塊。

やがて萎むか、成長するか・・。

いつから意識しだしたか、まったく覚えのない無症状の塊。

気になりだしたのは、2年前だったと思う。

右肩を下にして寝るころができない。

痛みの患部が抑えられて余計に痛くなるから、反転して左肩を下に寝たが、どうもぐっすり寝られなかった。

寝ている最中に右肩を動かすことがある。

その都度の痛みに目が覚める。

その繰り返しに難儀していた朝。

かーさんが奨める最近できたばかりの皮膚科クリニック。

定期的に治療してもらっている歯医者で本歯差替え。

終わってすぐに急行する初めての皮膚科クリニック。

ご近所というか、自宅からは離れているが、最寄りの駅が近鉄九条駅前西ロ―タリーに建った新設医院の小野クリニック。

泌尿器科に皮膚科、内科診療のクリニック。

建設当時に見ていたその建物。

玄関に上がるゆったりスロープ。

室内は車イスでも難なく動けるユニットゾーン。

介護施設がまたできた、と思っていたが・・・。

保険証を提示して問診票に記入する症状に現在治療中の有無、アレルギー関係などを書き込む。

さて、診察である。

症状を判断した医師。

まさに、関西特有の語彙である「でんぼ」である。

腫物は「おでき」と呼ぶ地域も多い。

秀樹をおできというタレント名称も多い。

それはともかく、腫物はまだまだ未熟であるから切開処置は不可。

仮にできたとしてもワーファリン錠を服用している関係で、これもまた無理。

絞り出せる膿状態になれば処置もしたいが・・。

以前にロキソニン錠の加減で浮腫み膨満になったことがある。

ロキソニン錠の加減で浮腫みに膨満になったことがある。

かかりつけの医師に伝えて、ロキソニン錠の停止。

効果はすぐに現れた。

そういうわけがあって、抗生剤の服用もできない。

腫れに痛みは、傷に菌が侵入したことによる。

痛みを抑える軟膏剤の適用一本に絞られた。

軟膏剤はゲンタマイシン硫酸塩軟膏0.1%「タイヨ」塗布剤を、1日に2回、状態によって3回の塗布剤。

症状いかんに問わず、その後の状態をまた診たいと言われた医師。

後日診療の日はいつに・・。



翌日の8月1日の状態はピッとした膿の点。



翌日の2日は点数も増えてピッ、ピッ、ピッ・・の6点に進展していた。

ここまで来たら絞り出し。

自分勝手なことをしたらばい菌に侵される。

それが心配だから医師の手に任せようと思って車を走らせた。

まだ硬さはあるが、医師は少しでも膿をだそう、と針で穴を開けて絞り出す。

その痛さは厳しい。

何度も、何度も数か所に亘って(※見えないからそう思うだけだが・・)針孔を開けて絞り出す。

もっと柔らかくなったらデンボの芯も出ようが、本日の治療はここまで。

今夜の入浴は可能であるが、清潔さを保てるからガーゼを貼ったままの入浴を、ということだ。

2、3日の経過を見るということで治療を終えたが、患部はピリピリと痛む。



右肩を揚げるなど何をしても痛みがキツい。

左肩に痒みを感じたら、右手の指で掻きむしりたい。

ところが右腕を揚げて右手を痒み部分にもっていこうなら、筋肉につられて余計に痛みが強くなる。

痒くても掻けない難儀な場所に発症したデンボである。

座っていた位置から立ち上がろうとする。

その際に右手・右腕で身体を支えて立ち上がろうとしたら痛みが走る。

これもまた難儀なことであるが、入浴、食事を経て、飲酒するころ、少しはマシになったようで右肩が軽くあがるようになってきた。

(R1. 7.31 SB805SH撮影)
(R1. 8. 1~3 SB805SH撮影)