マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

和爾町・雨の日の田の水抜き

2018年06月22日 09時33分56秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
カルパー粒剤衣付け作業を終えた翌日から毎日は圃場の水抜き状態を確認する。

24日、25日は播種をするからと云っていたが、25日は大雨状態になった。

和爾町営農組合長の決断に朝一番の中止命令が下った。

指定された時間に間に合うように車を走らせていたが、もうすぐというところで電話が鳴った。

本日は播種作業ができる状態ではないということで中止の連絡だった。

中止であっても敢えて向かう圃場である。

待っていてくれたのはカルガモくんだった。

この日の雨はざんざか降り。

車から降りて状態を撮るが、ちょっとした時間であってもびしょ濡れになる。

直播き枚数は圃場全体のおよそ半分。

67枚中の30枚に水を張っていた。

播種は24日から28日までの毎日作業の予定であったが、一日遅れで終わることになる。

昨日は数枚で終えたが、予定していた水抜きどころではない。



田から水を抜く溝に降った雨が吸い込まれていく。

隣の田には抜けた雨水が勢いよく流れ落ちる。



昨日に播種をした田から籾種が流れていくのか、それとも沈殿したままなのか、観察のしようがない雨天日である。

和爾町の営農組合は自前のライスセンターを設けている。

そこよりほど近い処には立派な建物がある。



農小屋の表現が似合わないぐらいの立派な建物横に苗代があった。

前々から気になっていた場所である。

車を横付けして窓越しに覗いてみた苗代田に茶色いものが見える。

枯れた松葉である。

ここにもあった和爾坐赤坂比古神社の御田植祭でたばった松苗。

組合員でもない人かもしれないが、ここで苗代を作って松苗を立てていたことを知るのである。



その場からの反対側は幌をかけない苗代田だった。

水口は手前であるから探してみるが、松苗は見られなかった。

(H29. 5.25 EOS40D撮影)

和爾町営農組合の籾種カルパーコーティング作業

2018年06月21日 08時14分16秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
天理市和爾町に3月行事がある。

和爾坐赤坂比古神社で行われた御田植祭に集まる高齢者集団の二十人衆。

うち十五人衆のKさんがひとこと伝えられた言葉である。

5月半ばころに直播きをするというのだ。

県内事例に直播きを見ることはまずない。

かつては苗代にモミダネ(籾種)を蒔いて苗を育てたという人もいたが、高齢者だった。

何人かが話してくれた直播きはずいぶん前に途絶えた。

山間部に住む男性たちはかつてしていた農法を話してくれたこともあるが、実際はどのような方法でしていたかは想像するしかない。

何年か前に拝見した直播きは天理市南六条に住むご夫婦だった。

FBやブログでその在り方を紹介したが、営農組合の方法では、まったく違うらしい。

取材させていただけないかとお願いしていたら5月8日に電話があった。

直播き工法は和爾町の営農組合が主導的にしているという。

蒔く籾種はカルパーという方法で籾にコーティングをする。

金平糖を作るようなぐるぐる回転する機械でコーテイングする手法は平成15年から始めたという。

同時並行的に営農組合ライスセンター付近の圃場で代掻きをする。

数日経ってから背負った機械にコーテイングした籾種を水田に蒔く。

そんなんでえーんやったら見に来られますか、ということだった。

現代の直播き工法をみることはまずない。

機会お与えてくださった十五老のKさんに感謝する。

教えてもらっていたこの日に営農組合ライスセンターを訪れた。

営農組合の組合員は60人ほど。

12~13人が集まって毎日の作業をしている。

金平糖を作るような、イメージしていた通りの機械が回転するが、どちらかといえば、昔しによく見たセメントコネコネのセメントミキサー車の構造を思い出した。

JAから直買いした籾種1袋をカルパー粒剤でコーテイングする。

水道水の水をバケツで汲み上げる。

自動的に水分量を計測してくれるコーテイング機械。

籾種の一粒、一粒を綺麗にコーテイングする。

かつてはハンドルを手で回す手動式だった。

つい最近まではそうしてきたが、今は平成22年に導入した電動式自動回転式粉衣装置(ヤンマー自動コーテイングマシンYCT20)でコーテイングする。

消毒薬も注入して、カルパー粒剤と同時に籾種を消毒する。

保土谷化学工業製造のカルパー粒剤(※登録商標)は籾を蒔いた水田の土壌中で徐々に分解されて酸素を発生させるようだ。

蒔いた籾種は軽くて浮いてはなんにもならん。

逆に重すぎてもいかんらしい。

重さが重要なポイントである。

あるメーカーでは鉄分を付与することで加減しているらしい。

らしい、らしい、としか言いようのない始めて聞く農法に興味津々であるが、化学的な理解はまったくわからないが、粒剤メーカーの謳い文句に「本剤を種籾に粉衣して播種すると、土壌中で徐々に酸素を放出し、発芽中の種子に酸素を供給することにより直播水稲の発芽率を向上させ、苗立歩合の安定化に有効である」と書いてあった。

始めたころの直播(ちょくはん)農法は鉄で絡めていた。

ところが重さで埋まりすぎて芽が出なかった。

7年間も試行錯誤していた直販農法。

ようやく定着したのは今から7年前。

代掻きと並行する作業に、明日の夕方には田圃の水を抜くと話す。

十五老のKさんが補足される直播農法にドタ(泥田)の種撒きがあるという。

なんでも福岡式と云われるドロダンゴ投入方式。

山間では田圃の形が一定でなく、田も小さい。

畦から捕植する落下傘式だと話されるがリアルな像が浮かばない。

そのような話しをしてくださったKさんが東の方にある山を指さした。

その山は小山であるが、山の名は天神山。

今年も御田植祭をした和爾坐赤坂比古神社が鎮座していた旧社地になるという。

戦後間もない昭和23年。

戦争を終えた村の人らが外地から戻ってほどないころの時代である。

そのころまでしていた雨乞い。

天神山下にある池堤に村の人が集まっていた。

神職に頼んで雨乞い祈願をしていたという情景は、昭和13年生まれの78歳になったKさんが子どものころの記憶である。

また、営農組合は土地改良区・営農課組織から発展して今に至るという。

計画的に前もって作業日程を構築しておくと、組合長が話す。

5月初めの草刈りから始まった直播き農法は7日から3日間は畦塗り。

中旬には肥料配布に耕起して水入れ。

荒マンガを経てまたもや水入れ。

それから数日経ったころにカルパー粒剤作業である。

1袋が3kgのヒノヒカリ籾種に対して1袋が3kgのカルパー粒剤が2袋。

カルパー粒剤をコーテイングしたら実質は2.2kgになるという。

撒きすぎては籾種が密集してしまうので難しいところでもある。

その量で10反分を賄う。

籾種と粒剤の分量決めは、圃場の田一枚、一枚の面積を計算されて、それに見合う籾種量を決める。

つまりは一枚の水田に蒔く籾種量である。

歩合計算はロスなどこれまでの実績を加味して決められる。

一枚分の量が決まれば、それに見合うカルパー粒剤の量が決まる。

なんでも計算した上で作業量も決まるのだ。

その後の作業日程も計画されている。

代掻きに水抜き。

代掻きに播種。

代掻きに水抜き。

播種に代掻きに水抜き。

24日から始める直播きは28日までの毎日である。

そうしておけば6月のはじめぐらいには芽が出る。

また、奈良県の特産品を紹介してもらって栽培しているマコモダケもある。

マコモダケの生産はここ天理市と奈良市の阪原だけのようだ。

マコモダケは6月に苗を植えて、10月には収穫できるという。



ぐるぐる回転する処理状況はドアを閉めて行われる。

粒剤を混ぜる作業には注意事項がある。



粒剤は混ぜるときに粉となって飛び散る。

粉末は目に対して刺激性がある。

動作中は蓋をするのは当然であるが、直接的に作業する人は保護メガネやマスク着用を要する。

実は1回目のカルパー粒剤作業に誤りがあった。

粒剤の量に合わせて水の量も決めなければならない。

原因は水の量ではなく、投入したカルパー粒剤の量に軽量誤りがあった。

どうも、水分量を操作するレバー値がずれていたようだが、この状態であっても十分に使える。



そのために水分を多く含んでしまった籾種を乾かすために筵に広げた。



日が当たるうちに乾いていく。



干してから40分後には黒から白色に色具合が変化しはじめた。

この日はカルパー粒剤の作業と並行的に代掻きもする。



あっちの圃場、こっちの圃場と動き回って代掻きをする。



代掻きはこの日だけでなく、明日も、明後日も・・・。



こういった作業は6人の組合員でしている。

尤も和爾町営農組合は60人も所属しているが、実際に作業できる人は限られている。

うち二人は代掻き名人。

この日含めて6日間の毎日に出動する。



一回あたりのカルパー粒剤の衣付け作業はだいたいが30分程度。

一回ずつの回転はおよそ20分。



前後に投入や排出。

そして袋詰め。



午後も引き続きしているというが、午前中までしかお付き合いできない。

まだまだある準備済の袋を見てこの日は何袋するのだろうか。



午後いっぱいまでかかりそうだと話していた。

営農組合ライスセンター内に機械がある。



播種の前に行うべき作業が溝掘り。

車高が高い大きな車輪のある機械の後方に取り付けるアタッチメントが溝掘り道具。



水掻きというか、鋤簾の小型判に動力散布機もある。

明日の作業の出番待ち。

ところで、この日の作業におられた組合員が私に声をかけた。

その男性は、大和郡山市の矢田山ある場所でしていた水質調査の池にニッポンパラタナゴがいたと、話す。

そこから話題が広がって大和郡山市の少年自然の家の主催事業に観察指導員をしていたとも。

お名前を聞けば、Mさん。

なんと云十年ぶりの再会に驚きだった。

専門の水質関係の動植物観察なら任せてくださいと伝えられたが、観察・調査はボランテイア活動をされていないように感じた。

(H29. 5.22 EOS40D撮影)

和爾町営農組合ライスセンターの直播き

2018年06月05日 08時40分09秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
モミマキは籾のカルパー処理から始まる。

カルパー処理する機械は100万円。

籾に酸素供給する手法で蒔いた籾の発芽を促進する手法である。

機械は金平糖を作るものと同じようでぐるぐると回転する機械に杓かどうかわからないが、そのような道具でカルパー液を籾に塗す。

籾をカルパーコーテイングする作業である。

この籾を利用しているのは町内の7、8軒の農家さん。

圃場整備した農地に直播きする。

四国で自然農法を開発した福岡先生は亡くなられたが、その農法ではカルパー処理でなく泥団子だった。

カルパーそのものが泥。団子状に籾をこねたのだろうか。

カルパー処理と並行して圃場の代掻き。

マンガの呼び名で通っている。

その作業時間はけっこーかかるからカルパーコーテイング行程と同時進行のようだ。

今年のカルパー処理は5月22日。

代掻きはしてもすぐには撒かない。

5、6時間の代掻きでこねてから苗代田の水をほかす。

ほかすとは水を逃がしてやや乾いた泥田にするようだ。

その時間から想定して3日間のモミマキ。

一日1回の直播き作業は2時間ずつ。

肩背負いの動力型散粒機直播きをする。

今年は5月24日から26日を設定した。

実際の作業を拝見したく両日とも訪れることにした。

(H29. 5. 9 記)

白河・里山山間部の田植作業

2016年12月01日 07時39分37秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
ウエゾメにオカシラ付の魚を供えると云っていたSさん。

前月の21日に立ち寄ったときにそう話してくれた家の農耕行事。

さまざま地域でウエゾメの作法を取材したことはあるが、白河で話す婦人の供え方は初めて知る作法。

たぶんに珍しい。

もしかとすれば、S家独自の作法であるかも知れない。

果たしてウエゾメする日はいつなのか。

昨年は5月15日の日曜にしたと話していた。

日曜日だけに固定の日ではなさそうだ。

いつごろにされるのか電話で尋ねるよりは在宅に出向く方がいいと思って車を走らせる。

田んぼはどこにあるか、だいたいの位置は聞いていた。

急坂を登っていけば秉田神社に着く。

その辺りだと聞いている。

通りがかれば人がいる。

今まさに田植えをしている姿はS婦人だ。

大慌てで田植え作業をしていたSさん夫婦に頭を下げる。

仕事が早く終わったから予定していた日より急遽することにしたと話すS家の田植え。

ばたばたと作業が始まったのでお供えの準備はできていなかった。

本来であれば田植え前にするウエゾメ(植え初め)作法は、オカシラ付のサバ(若しくはアジ)御供と2把に括ったナエサン(苗)をお盆に盛って田植えを最初にする場所に供える。

これをウエゾメ(植え初め)と呼ぶ。

ウエゾメにはカヤ挿しもある。

何本か聞いていないが、ウエゾメの場の田んぼにカヤを挿す。

ウエジマイにもカヤを挿すと聞いていたが、一日では終わらない。

ウエゾメの御供がなければウエジマイもしないようだ。

これらの作法は翌年以降の取材廻し。

作法は諦めてS家の田植え作業を観察させていただく。

作業が始まった時間は判らないが、この場の日陰に弁当を広げて食事をしていたようだ。

着いた時間は午後2時。



一枚、二枚の田は田植えを終えて奥さんはサシナエをしていた。



上の田では旦那さんが田植え機に乗って運転していた。

行ったり、戻ったりの機械植え。



どこの田はどの場からはじめていくか。

無駄な空間をださないように計画的に進める田植え機の操作。



育苗した苗は田植え機の進むところに予め置いておく。

作業手順に沿って補充する量を算定する。

上手く運べるように頭に中に描いた図面に沿って計算する。

昨年に背景した萱森のNさんはペーパ上に図面を起こしていたことを思いだす。

平坦であれば田んぼの区画割は真四角。

長方形などの四方形。

山間では曲がりくねった田んぼ。

どうしても隙間というか、空間ができる。

それを埋める作業はいわゆる設計と同じである。

こうした苦労を知らずに山間田園に織りなす農作業の景観を撮る人は多い。

田植え作業の邪魔にならないように立ち位置を移動してS家の姿を撮らせてもらう。

光がさし込む田んぼ。

そこを作業するご夫婦。

旦那は機械。

奥さんは人力作業のサシナエ。

美しい田園を取り込みながら何枚も撮っていく。

場合によっては鹿除けの柵も入れてみる。

その辺りで撮っていたら野の鳥がいた。

黄色い嘴が特徴の見慣れた野鳥はカモガモ。

雑草を食べてくれるカモガモを田んぼに放鳥。

稲が育っていく空間を動き回るカモガモを見ることもある。

そこは飼っているカモガモ。

そういう農法もあるが、白河にいたカモガモはどうやら番い。

雌はじっと座っていた。

向こうを見ているのは雄。

何を狙っているのか聞いても答えてくれないカルガモ。



そっと近寄ってシャッターを押す。

何度も何度も押しながら近づいていく。

奥さんがサシナエされている情景を見ていたカルガモ。

田んぼにいる虫を狙っているのだろうか。

一歩、一歩・・・バサバサと羽根を羽ばたかせて飛んでいった。

方向転換する田植え機の動き。

なだらかな坂ではなく、ある程度の角度をもった場で方向転換する巧みな運転。

田んぼは狭いがある程度までの幅があれば四条植え機械の2往復で済む。

とはいってもキッチリとした幅ではない。

あるところでは膨らみがあるが、狭いところではそれがない。

膨らみのある部分では何度も行ったり来たりの機械操作。

四条植え機械の動きを見ていると機械そのものに目があるように思ってしまう。

機械装置の関係でどうしても端っこに空白ができてしまうところがある。

機械が入る、出る位置のところはどうしても大きな空白ができてしまう。

田んぼが狭いところは田植え機を交替する。



出番は二条植え手押し式田植え機に譲った。

機種はヤンマー製のAP200。

四条植えは萱森で使われていた同型のヤンマー製のPeS-1。

緑と白色のデザインが水田に映える。



AP200は乗用でなく手押し式。

赤色のフロートが目立つ。

操作するご主人の足跡と田植え機の車輪跡は規則正しい。

水田の模様はこうしてみると面白い様相をみせる。

水田は泥田。一歩、一歩を手押しする二条植えに足は沈む。

沈むから足は負担になって速度は落ちる。

そう思うが、見ている限りはそんなこともない。

田植え機の速度は思った以上に早いのである。

一定速度で動く二条植えに足がついていく、というような感じ。

操作する人の体力によっては負担を感じる人もいるだろう。



機械のことはわからないが、無段でなくとも変速がついていたら、操作する人の体力に応じた速度で負担をかけないのでは、と思った。

後半というか、小川に近い田んぼに移った二条植え。

畦にレンゲの花が咲いていた。



その姿も撮っていた白河もそろそろ離れる時間を迎えた。

ありがとうと伝えて帰路につく。

(H28. 5.13 EOS40D撮影)

御所鳥井戸の燻炭焼き

2016年07月30日 08時01分19秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
大宇陀本郷、吉野町、大淀町、下市町(新住丸尾・栃原)、五條市(津越・城戸)を巡って帰路につく。

五條市から御所市に繋がる峠越え。

稲刈りを終えた田園景観が広がる。

昨年もほぼ同じ時期を走っていた見慣れた風景の中に煙が上がっていた。

畑の中に黒いエントツがあった。

通り過ぎたが気になってUターン。

間違いもない燻炭焼きである。

通ったときにはその場に鍬を手にした男性が居られた。

話しを聞ける。

そう思って膨れた場に停車する。

数百メートルも歩けば燻炭焼きの場につくが、心臓がバクバク唸る。

厳禁の早歩きは負担がかかる。

逸る気持ちを抑えて歩くスピードをスローダウンして到着する。

せっかくの機会を逃してはなるまいと思って、その場に居られた男性にお願いして撮らせてもらった。



燻炭焼きは常に遭遇するものではない。

場所、時間帯、焼き状況が私の行動と一致しなければ見られない作業なのだ。

煙が昇っていても田主が居ない場合がほとんど。

風景写真であればその様相を撮るだけで良いが、私の場合は暮らしのなかの風景。

つまり、風景写真に民俗要素を入れ込むということだ。

特に重要視しているのは田主の言葉だ。

生活、手法などなど不知な私を醸成してくれる生の声。

教わりがイチバンの栄養素。

私を成長させてくれる宝の声に教えを乞う。

巡りあえた田主さんは元建築業。

定年後の10年間は稲作など畑仕事をしていると云う。

燻炭焼きのエントツは近くのDIY店で購入したもの。



ブリキ板で作られたエントツは何カ所かを月型に開けた穴がある。

それが空気穴だ。

エントツの下部はこれの倍以上の膨らみがあると云って焼けた籾に鍬を入れて崩してくれる。

内部から出現した袴型の部品も月型空気抜き穴がある。

内部にある籾が焼ける。

周りの空気を取り込み、エントツを通して煙が立ち昇る。

ウスヒキした籾は焼けてしまえば真っ白な灰になる。

灰になれば燻炭ではなく、籾が燃え尽きるだけだ。

これを防止するには山高く積まれた籾を混ぜ合わせなければならない。

火を点けたら一時間に一度は混ぜ合わせ。

この作業を繰り返すことでデキの良い燻炭ができあがる。



今日もそうしていたと云う。

一段高い畑にマメを干していた。

この時期ともなれば畑の周囲に植えたアゼマメを引っこ抜いてハザに架けて干す。



カラカラに乾いたら棒で莢を叩いてマメを取り出す。

この場でするのではなく自宅に持ち帰って作業をする。

マメは二種類ある。

シロマメとクロマメだ。

お節料理などに欠かせないシロマメにクロマメ。



どういうものか持って帰りと云われて数本を分けてくれた男性は自宅へ戻っていった。

ちなみに男性は吉野水分神社と大いに関係あるらしい。

あらためて伺いたいと思った。

(H27.11. 7 EOS40D撮影)

畑屋のマメホシと農小屋

2016年07月14日 08時51分04秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
大淀町の上比曽で行われている新婚家祝いに村中を廻る亥の子行事。

新婚の家がなければしない。

あればするということだ。

今年はどうであるのか、突然のごとく、というか思いだし、心臓リハビリに最適かと思って出かけた夕方近い時間帯。

適当な時間を見計らって訪ねたが、誰一人現れなかった。

平成19年のときに訪れたH家辺りから見る田園は稲刈りもすっかり終わっていた。

ふらりと立ち寄った同家に女将さんが畑に出ておられた。

当時、亥の子取材させていただいた女将さんは今でも差し上げた写真や著書本どころか私のことも覚えておられた。

結論から云えば、この年は新婚さんがおられないということだ。

思わず呟いた「新婚さん、いらっしゃぁーぃ」、「来年も待っています」である。

上比曽を諦めて帰路につく。

帰りの道中に必ず通る村がある。

畑屋である。

なにかがあるかもしれないと思って上流を目指す。

入村した辺りは田園が広がる地。

12月半ばになれば、ここ小字カンジョの地で正月行事の勧請掛けが行われる。

川切り以上に張る勧請縄はさらに新道を跨って架ける。

道切りとも思える勧請掛けはとても長いのである。

ここら辺りも稲刈りはとうに過ぎていた。

ハザカケがあったかどうか判らないが、木の棒を収納している小屋や稲藁を積んでいる小屋もあった。

後方に杉木立。



日が暮れるころの時間帯も美しい。

そう思って立ち止った。

さらに畑屋川を遡って上流を目指す。

どん突き辺りは集落民家がある。



畑作をしているようだ。

ネットを張った処はナス栽培だろうか。

山の方にはシシまたはシカ避けと思われる柵がある。



すぐ近くの民家下には刈り取り前のアゼマメが見られた。

その奥の稲を刈り取ったあとの畑場にハサガケがある。

ぶら下げていたのは干して乾いたアゼマメだ。



隣の民家では川に降りる階段手摺に干していた。

アゼマメはすべてが根付き。



紐で括って干している。

カラカラに乾いて皮が黒くなれば棒か何かで叩いてマメを取り出すであろう。

(H27.11. 1 EOS40D撮影)

農家にとっての野焼き

2016年06月25日 09時40分39秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
広がる田畑の向こうに煙が見える。

狼煙ではなく野焼きの煙が立ちあがっていた。

造営直前の田畑はすっかり黄金色が消えていた。

明日の造営までに済ましておきたかったのだと思った。

市町村によっては野焼きを法律「廃棄物の処理および清掃に関する法律」に基づいて禁止している処がある。

在住の地の広報誌にもそれを書いているが、基本的なことは廃棄物の野焼き禁止である。

ただし、だ。

農業を営むためにやむを得ないものとして焼却(焼き畑、稲わら、もみ殻、あぜ草等の焼却など)や風俗習慣、宗教上の行事のために必要な焼却(どんと焼き、塔婆の供養焼却など)は例外規定になっている。

が、ここでもただし書きがある。

野焼き禁止の例外規定とされた行為であっても、周囲に迷惑がかからないように煙や臭い、灰の飛散などに対して注意が必要で、できるだけ最小限にとどめるよう、お願いする、とあった。

こうした広報記事は毎年のように発行されている。

ある年度の記事には生活環境上、支障を与え、近隣住民からの苦情通報がある場合は各種の行政指導の対象になる、とある。

法律というのは廃棄物処理法。

正式には昭和45年に発布されている「廃棄物の処理および清掃に関する法律」になるようだが、野焼きそのものの名称・事案もなく、規定がこれなのかどうか判らない。

ある地方自治体の議会報告にあった答弁によれば、平成13年4月に野焼きを禁止が施行されたとある。

さらには平成16年5月の改正で罰則規定が設けられたとか・・・。

例外規定は何であるのか。

これも調べてみた。

どうやら野外焼却を禁止した政令「焼却禁止適用除外規定」のようである。

実は法律条文に直接的な「野焼き」という文言は一切みられない。

敢えていうなら「廃棄物の処理及び清掃に関する法律及び産業廃棄物の処理に係る特定施設の整備の促進に関する法律の一部を改正する法律の施行について」における「(焼却禁止)」である。

「法律 第十六条の二 何人も、次に掲げる方法による場合を除き、廃棄物を焼却してはならない」条文中の「三 公益上若しくは社会の慣習上やむを得ない廃棄物の焼却又は周辺地域の生活環境に与える影響が軽微である廃棄物の焼却として政令で定めるもの」。

次に「(焼却禁止の例外となる廃棄物の焼却)」条文中にある「三 風俗慣習上又は宗教上の行事を行うために必要な廃棄物の償却」、「四 農業、林業又は漁業を営むためにやむを得ないものとして行われる廃棄物の焼却」、「たき火その他日常生活を営む上で通常行われる廃棄物の焼却であって軽微なもの」である。

そう、広報誌が伝える法律とはこのことであった。

なお、そもそも本来の「野焼き」とは。草木がまだ新芽も出ない春先の時期に野山の枯草を燃やす、山焼きとも呼ばれる行為であると書いてある。

(H27.10.10 EOS40D撮影)

高樋の実成―稲刈り―

2016年06月21日 08時45分50秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
春日神社のマツリ準備に余念がない氏子たち。

作業する日も忙しく働いているのも氏子。



稲刈りバインダーを運転操作する男性は日焼けで顔が真っ黒だ。

稲刈り作業の逞しい後ろ姿を追いかけた。



春日神社の月並祭に古代米を奉納、供えられた。

稲刈りしていた男性とは違う田主のようだ。



今年は豊作になった古代米は5品種。

紫、黄、緑・・・。



稲刈りをしていた男性がいうにはマツリは是非とも記録してほしいと願う。

この年、祈年祭のフリアゲや摂社の舎人神社行事も撮らせてもらった。

特にフリアゲの際に掛図の内容を話したことが印象に残っているそうだ。

ありがたいことである。

(H27.10. 9 EOS40D撮影)

南六条町南方の水田

2016年04月18日 10時12分31秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
田に水を張ってシロカキ。

泥田は安定した数日後の天理市南六条町。

ここも度々訪れる南方。

水田に向かおうとしたら田植え機が通っていった。

水田に向かうと思われた田植え機は集落に消えていった。



しばらくすれば再び登場した田植え機は苗箱を積んでいた。

一連の様相は水田景観と集落の佇まいも相まってシャッターを切っていた。



この場より東南の位置。

共同の苗代田のところに麦わら帽子が見えた。

案山子なのだろうかと思って近寄った。

木の棒に掛けていた麦わら帽子。



単に棒に引っかけたものでなくマネキン人形の顔部分を棒に差し込んで立てていた。

顔なのだから帽子を掛けた。



そういう感じだが、景観が面白いので何枚も撮っていた。

向こう側には家族が育った苗箱を運んでいた。

田植えした箱は水路で綺麗に洗っていた。

苗は多い。

昼からの作業も続けられる男性。



「行事も来ていたけど、田んぼも見にくるんやな」と笑っていた。

(H27. 6.13 EOS40D撮影)

南六条町南方の直播田

2016年04月18日 10時01分11秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
田に水が張られたら育った苗はどのような状態になるのか知りたくなった。

そう思ってやってきた天理市南六条・南方の水田。

いつ、田に水を張ったのか聞いていない。

根株はほぼ水没。育った苗はさらに成長して分けつ。

数十本にも増えていた。

水没した根株はやがて腐って消える。



隣近所の農家さんが話す。

「あそこの家は手がかからんようにうまいことしてはる」と云ってた。

(H27. 6.13 EOS40D撮影)