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「法治」揺るがす「人治」

2017年07月26日 | 社会・経済

加計学園問題 首相は便宜を図った? 
  「法治」揺るがす「人治」

   毎日新聞2017年7月26日 東京夕刊

 集団的自衛権行使、解釈改憲に続く疑問

  足らざる点があった--。24、25日の衆参両院の予算委員会で、安倍晋三首相は学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設計画について、自らの説明不足をこう認めた。しかし、低姿勢な言葉とは対照的に、答弁からは民主主義の大原則である「法の支配」の軽視がうかがわれる。「足らざる点」は説明だけなのか。【小林祥晃、吉井理記】

 「時代のニーズに合わせて規制を改革していくことは、ゆがんだ行政をただすことであろうと思う」。24日に開かれた衆院予算委員会の閉会中審査で、安倍首相はこう訴えた。

  「腹心の友」である加計孝太郎氏が理事長を務める「加計学園」の獣医学部新設に便宜を図ったのではないか--。この疑念が追及される度に、首相ら政府側は「議論の本質は52年間、獣医学部新設を妨げてきた規制の是非だ」「岩盤規制にドリルで穴を開けることが必要だ」などと政策の正当性を強調してきた。

  これに対し、参考人として閉会中審査に出席した前川喜平・前文部科学事務次官は、決定過程で「内閣府からの圧力があった」と主張し、これまでと同様の対決姿勢を見せた。ただし、前川氏が問題視するのは、規制改革の是非ではない。今月10日の閉会中審査では「問題は、獣医学部新設という結論に至るまでのプロセス。どの主体に事業を行わせるかという決定に至る過程だ」と述べた。規制に穴を開けるかどうかではなく、穴の開け方が不公平、不透明と訴えているのだ。

  政策の正しさを力説する首相の姿勢を批判するのは、自民党の憲法改正草案に反対する「明日の自由を守る若手弁護士の会」メンバーの武井由起子弁護士だ。

 「結論の正しさと手続きの正しさは、法治国家にとって車の両輪です。『政策が正しければ手続きはどうでもいい』という姿勢では、『法の支配』の根本が揺らいでしまいます」

  「法の支配」は「三権分立」などと同じく、近代社会を支える基本原則の一つ。個人の自由や権利が保障されるためには、法に基づいて政治が行われなければならず、権力者も法に従わなければならないという考え方だ。憲法の下で政治が行われなければならないとする「立憲主義」の考えにも通底している。

  正しい手続きが重要な理由について、武井さんは「民主的な手続きを経た政策決定でなければ、私たちの声が政策に反映されたことにはならないからです。きちんとした手続き、プロセスを踏むことが、法治国家の大前提なのです」と説明する。

  政治は、結果がよければ全てよし--というわけにはいかないのだ。

  安倍首相ら関係者が「結論に至るプロセス」に触れていないわけではない。これまでも「決定のプロセスには一点の曇りもない」「(特区選定を議論する国家戦略特区諮問会議などは)議事録を全て公開している」と繰り返してきた。

  だが、行政学の専門家は納得していない。千葉大名誉教授の新藤宗幸さんは「曇りがあるから、これだけ疑念が広がっている」と一蹴し、こう疑問を投げ掛ける。「議事録を公開していると言いますが、諮問会議に諮られる前段階は密室の議論です。だからこそ『言った』『言わない』が問題になっているのではないでしょうか」

  閉会中審査でも、焦点の「首相の関与」について、首相自身や官邸の意向を文科省側に伝えたとされる和泉洋人首相補佐官らの答弁で疑惑が払拭(ふっしょく)されたとは言い難い。

  それどころか「2015年4月に愛媛県今治市の特区担当課長が首相官邸を訪問した際、誰と会ったのか」や「開学時期が18年4月に決まった経緯」も解明されていない。「既存の獣医師養成でない構想であること」「(教育内容が)既存の大学・学部では対応困難なこと」といった獣医学部新設の4条件を満たしているかどうかに至っては「満たしている」と言うだけで、十分な説明はされなかった。

  「あれでは大半の人が納得しないでしょう」と閉会中審査の感想を語る新藤さんは、特区制度にも疑問を向ける。

  「国家戦略特区は首相指導、政権主導の色彩が極めて強く、事業者と政権の癒着の温床になりやすいのです」。どこを特区認定するかは、首相指名の民間人らでつくる諮問会議の議論を経て首相が決める。認定された事業者には手厚い金融支援や減税措置がある。

  小泉純一郎政権も似た名前の「構造改革特区」を制度化した。しかし、自治体の提案を受けて地域と事業を認定する制度で、酒税法の規制を緩和した「どぶろく特区」や、道路運送法を改正し、過疎地域で特別な免許がなくても高齢者を移送できる事業を認めるなど、町おこしを主眼とするものが多かった。

  新藤さんは語る。「安倍政権は省庁の幹部人事を掌握する内閣人事局を設置したり、政権に忠実な官僚を一本釣りして『側用人(そばようにん)』のように官邸や内閣府に配置したりして、官邸主導を強めてきた。政治主導を全て否定するわけではありませんが、政治と官僚機構に緊張関係がなければ『独善的な政治主導』に陥る。政権主導の国家戦略特区は法の支配や社会的公正を危うくする恐れがあるのです」

  これも「法の支配」の問題になるが、安倍政権は14年、多くの憲法学者が反対する中、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を行い、翌年に安全保障関連法を成立させた。この時、思想家の内田樹さんはブログで「法や憲法に従う『法治』を旨としてきたこの国の統治原理は、人が法律や憲法を自由に判断できる『人治』に移行している」と警鐘を鳴らした。

  政策決定のプロセスが明らかにされず、権力者のやりたいように物事を進める--。このような動きが垣間見える安倍政権では、まさに「人治」が一層濃くなっていないか。

  今、内田さんはどう思っているのか。「人治どころか、法治国家が歴史を逆戻りしているかのようです。権力者に近いか遠いかの関係で資源分配や権力分配が決まってくるとしたら、それは中世の社会です」と、強い口調で語り始めた。

  近代と中世の違いは「公」と「私」が区別されているかどうかだと言う。政治主導、官邸主導の名の下で、首相に権力が集中し、政策決定にも大きな影響力を持つようになる。その力を「私」のために使う。このような政治の果てにあるこの国の形とは。「強者や権力者による総取り社会に逆戻りです。私たちは長い歴史の中で、人権や公共の福祉をどうやって獲得してきたか、どのように近代市民社会に移行してきたか、歴史に学ぶべきです」

  弁護士になる前、商社員として中国に駐在した経験がある武井さんはこう話す。「中国の憲法では、国家権力が党の指導を受けるとされている。それが『中国は人治国家』と評されるゆえんです。中国ビジネスでは、困った時に中国共産党とのパイプを頼ることがありました。当時は『ビジネスで困ったら政権党を頼るなんて、日本では考えられない』と思っていましたが、日本もそんな人治国家になりつつあるのではないか」

  「加計学園」問題は「日本は法治国家であり続けられるのか」という重い問い掛けを突き付けているのかもしれない。