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極限状態に置かれた自衛隊員ー「国民に真実を」

2018年04月23日 | 社会・経済

 

宿営地近くで銃撃戦 巻き込まれる恐れ 「部隊全滅」死を覚悟 南スーダン証言、政府説明と落差 「国民に真実知ってほしい」

 道新04/23

  政府が「武力紛争ではない」と説明していた南スーダンでの大規模戦闘時、国連平和維持活動(PKO)に参加していた陸上自衛隊は、武器携行命令が出るほど危険な状況に陥っていたことが判明した。公表された当時の日報は大半が黒塗り。死も覚悟したという極限状態に置かれた派遣隊員は「国民に真実を知ってほしい」と話した。

  南スーダンの独立5年を翌日に控えた2016年7月8日。日が沈んだころ、首都ジュバの宿営地で小銃の発射音が断続的に聞こえるようになった。普段よりも音の間隔が短い。銃声は日常的だが「いつもと違う」。その予感が的中する。

  発射音は政府軍と反政府勢力の戦闘によるものだった。その後、宿営地があるPKO施設に避難民が次々となだれ込んできた。攻撃ヘリコプターや戦車も目撃され警備レベルは一気に上がった。

  宿営地外での活動は中止になり、隊員はみな居住用建物に待機。各部屋には内線電話やトランシーバーが配備されていたが、部隊内での情報共有はできておらず「何が起きているのか分からず、本当に怖かった」。

  10日には宿営地近くのビルで激しい銃撃戦が始まる。「全隊員、武器を携行せよ」。隊長の指示で武器庫の扉が開く。隊員も防弾チョッキとヘルメットを身に着け、実弾を込めた小銃を握りしめた。「死ぬかもしれない」。銃声が響くと床に伏せ、手で頭を覆う。

  わずかな隙を見て、宿営地内の退避用のコンテナに身を寄せた。「ドーン」という音とともに砲弾が付近に落ちると、衝撃で体が宙に浮く。宿営地がある施設内には他国軍もいる。それでも「政府軍や反政府勢力が宿営地内に入ってくれば(巻き込まれて)部隊は全滅する」と覚悟した。

  政府は7月7~12日の日報を昨年2月に公表したが、読み取れるのは「ビル一帯で戦車を含む銃撃戦が生起。日没まで戦闘継続」「ビル付近に砲弾落下」といった簡単な事実関係のみ。部隊の警備態勢や対応が記載されているとみられる部分は黒く塗りつぶされた。

  現地での戦闘が収まり始めた12日、東京・市谷の防衛省で中谷元・防衛相(当時)が記者と向き合っていた。「現在のところ隊員は安全」「武力紛争が発生したとは考えていない」。メモを繰り返し読み上げた。

  しかし、派遣隊員の証言から浮かび上がるのは正反対の「真実」。PKO参加5原則は崩壊していたのではないか―。隊員は「そこは考えないようにしている。それを考えだすと何もできなくなる」と複雑な胸の内を明かした。

  宿営地で何が起きて、自分たちが何を思ったのか国民に全く伝わっていないと考えている。「自衛隊は国民や、その代表である政治家が決めたことを信じてやるだけの組織。そのためにも、国民には本当のことを知ってほしい」。言葉を選びながら、そう訴えた。

 

 <ことば PKO参加5原則>日本が国連平和維持活動(PKO)に参加する際の要件。1992年に成立したPKO協力法に明記された。《1》紛争当事者間の停戦合意《2》紛争当事者による日本の参加同意《3》中立的立場の厳守《4》以上のいずれかが満たされなくなった場合の即時撤退《5》武器使用は要員の生命保護など必要最小限が基本―の5項目。南スーダンでは、2013年12月と16年7月に首都ジュバで戦闘が起きたが、日本政府はいずれもPKO法上の「武力紛争」に当たらないとして、陸上自衛隊部隊の活動を継続させた。


 今日も天気よく、半袖のTシャツで作業です。
ハウスを建てるため、地面にドリルで穴をあけ、パイプを組み15本ほど立てたところで時間切れ(相方が勤務のため)。その後、隣地へ倒れた倒木処理や雪で折れた枝処理など。
 夕方にはヒンヤリとしてきます。昨夜も氷点下まで下がりました。今晩もそのようです。積雪10㎝。