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乃木神社参拝に「逆ギレ」反論。立憲・泉健太代表では岸田政権と戦えないワケ

2023年01月18日 | 社会・経済

まぐまぐニュース!2023.01.18

   by 高野孟『高野孟のTHE JOURNAL』

 

    大きな物議を醸した、立憲民主党の泉健太代表による乃木神社への初詣。「近所の神社で祈ることが『軍人を神と崇める行為』とされるとは」と反論し、火に油を注ぎました。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』でジャーナリストの高野孟さんは、乃木神社参拝問題について泉氏の無知と非常識をいま一度振り返り、現下の情勢を考えれば致命的な政治音痴だと厳しく批判。立憲民主党は古臭い左右対立の構図ではなく、リベラル派が泉氏ら保守補完派と決別しなければ軍拡路線の岸田政権とは戦えないと訴えています。

 

高野孟(たかの・はじめ)

1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

 

「立憲民主党」はリベラル派と保守補完派に分裂した方がいい/そうでないと「岸田大軍拡」と戦えないでしょうに

    1月14日付「読売新聞」は「立民『現実路線』、左派系の壁」と題した大きな記事を掲げた。立憲民主党の泉健太代表や岡田克也幹事長ら同党主流は、岸田政権が推進する「反撃能力(という名の敵基地先制攻撃能力)」の保有を(条件付きで?)容認し、あるいは自民党が仕掛ける改憲論議に積極的に応じるため党としての改憲方針を取りまとめるなど「現実路線に転換」しようとしているが、党内の「左派系の壁」に阻まれている。

その状況で泉の「乃木神社参拝」問題が炎上、泉が「何だか息苦しい。近所の神社で祈ることが『軍人を神と崇める行為』とされるとは」と反論するなど、左派との対立が次第に抜き差しならなくなっていることを指摘している。

    私の結論。ここまで来たら立民左派は、泉代表を叩き出すか、自分らが席を蹴って同党から分かれて新党を立てるか、どちらかしかないのではないか。

乃木大将の人物評価を巡る冷泉の指摘

    泉は批判者からの「軍人を神と崇める行為」「軍国主義に追随」といった指摘に対し、「『乃木神社に参拝したら軍国主義に追従すると批判されても仕方ない』とか、もう酷いもんだ。そうした考えの方がよっぽど危険。私は過去の歴史に学ぶし、教訓にもする。乃木神社創建の経緯もある程度は知っている。でも当然だが、軍国主義者ではない。本当に失礼な話」と反論している。

しかし「過去の歴史に学ぶ」「乃木神社創建の経緯もある程度は知っている」というのは本当か。米国在住作家の冷泉彰彦は「まぐまぐ!」を通じて発行するメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』の1月10日号で、「乃木神社を『近所の氏神様』扱いで大炎上。立憲・泉代表の無知と無関心」とバッサリ斬り捨てている。

    冷泉は、乃木本人の評価をめぐって、明治9年に山口県萩で起きた士族反乱への曖昧な姿勢、同10年の西南戦争で政府軍として戦い西郷側に軍旗を奪われるという酷い不祥事、それらの心の傷を癒すためなのかその後の「放蕩」、そして日露戦争での司令官ぶりなど色々疑問がありながら、明治天皇に殉死したことから一気に神格化され、「『戦争における自己犠牲』という思想がどんどん美化され……行き着いた果ては、東條政権による『捕虜として捕縛されることの禁止』と『自決の強制』」に他ならなかったと指摘している。

そして冷泉は、このように「乃木神社というのは、かなり、問題のある神社」なので、「仮に乃木という人物への畏敬の念を表したいのであれば、青山墓地にある夫妻の墓に詣でるのが良い」し、「漠然とした理由で神社に参詣したいのであれば、軍神を祀ったものではなく、もっと古来からの由緒のある神社にお参りするのが普通ではないか」と、泉の常識のなさを嘆いている。

「乃木神社」をこの時期に参拝する政治センス

    私が思うに、乃木自身の人物評価とは別に、まず大前提として、薩長藩閥政府が国民に天皇を一神教的な「現人神」と思い込ませて戦争に向かって総動員していくために作り上げた招魂社=靖国神社、楠正成の「七生報国」思想を広めるための湊川神社、後の乃木や東郷平八郎を「軍神」として祀った各社など、国家神道の人工的な装置としての神社に公人として参拝することと、「近所の神社で祈ること」とを同じことだと思う泉の知能程度が問題である。

    私は、古来からの本来の神道とそこに育まれてきたアミニズム的自然信仰に共感し、それこそ「近所の神社」にお参りもし祭祀にも参加するが、それと国家神道の道具として作られた“戦犯神社”とはもちろん峻別する。そんなことも分からないのでは「過去の歴史に学ぶ」「乃木神社創建の経緯もある程度は知っている」というのは嘘であると告白しているようなものである。

    しかもこのタイミングは、タモリが年末のテレビで新年について「新しい戦前になるんじゃないですかね」と言い放ち、岸田政権の防衛費倍増、敵基地先制攻撃能力の保有という剣呑な軍拡路線に不安を抱く多くの人々が「そうだよね」と共感を抱いている時である。その時に軍拡を条件付きで容認するかの態度をとっている野党第一党の党首が乃木神社に参拝することが、一体どういうハレーションを引き起こすのかが読めないというのは、致命的な政治音痴である。

旧民社党のような「是々非々中道政党」は不要

    ところで、泉や岡田は、党内の「左派の壁」を跳ね返して、「もう少し真ん中に軸を移さなければならない」「左に偏った姿勢のままでは、有権者から政権交代の受け皿と見てもらえない」と考え(上記の読売記事)、そのためには岸田の「敵基地先制攻撃能力」論を容認し、改憲論議促進にも応じ、「物分かりの良さ」を示そうとしているのだろう。これは、それこそ歴史に学ぶなら、1960年の安保動乱の最中に米CIAの秘密資金提供によって結成された民社党の「是々非々の中道」という名の自民党補完路線と何ら変わりはない。

    確かに、立憲民主党がそのように旧民社党化すれば、維新や国民民主党と組みやすくなるだろうが、それを人々は「政権交代の受け皿」とは認めまい。むしろ、公明党の神通力が地に落ちつつある中で、それに代わって「自立維国」連立政権が出来て、自民党政治をさらに延命させる役割を果たすだけだと見え透いている。

    しかも、60年前には政治の基本軸は右vs左で、その対立が激化する中で「中道」を掲げる意味はなくもなかった。しかし今では左右対立ではなく、保守vsリベラルが軸で、そこでは両者は背中を向け合うよりもむしろ歴史の同じ方向を向きながら知恵、政策、手法、速度等々を競い合うことになるので、そもそも「中道」という観念が成り立たない。そのことに気づかない人々が、まだ「中道」などという戯言を口にしている。

    さあて、立憲内の本当の立憲民主勢力は、泉・岡田執行部の中道フラフラ迷い込みの馬鹿げた路線にどこまで付き合っていくつもりなのか。キッパリと決別してリベラルの党を立て、社民、れいわ、沖縄の風、共産などとの反軍拡戦線を築くべき時ではないか。

(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2023年1月16日号より一部抜粋・文中敬称略)


 昨日は札幌へ行って、帰りが遅くなってしまい、更新も出来ませんでした。
久しぶりに娘と高校1年の孫と回転寿司へ。息子は急に発熱で参加できず、食料など差し入れてきました。昼は星野珈琲で・・・

半分程食べてから氣が付きました。
珈琲は彦星ブレンド(程よい苦味を味わいたい方への重厚なブレンド。
珈琲豆の産地 ブラジル・コロンビア・グァテマラ)美味しいコーヒーでした。