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北原みのり おんなの話はありがたい Colabo仁藤夢乃さんの「キモイ」は女性を守るセンサー 少しでもマシな世界になりますように

2023年01月22日 | 社会・経済

AERAdot 2023/01/11 

 若年女性支援団体Colaboに対する攻撃が続いている。ネット上で始まった攻撃は、シェルターや代表の住所を明かすような加害にも広がっている。今後、刑事告訴などもしていくとのことだが、Colaboが受けた被害は計り知れない。

 先日、Colaboを批判する中心に立ってきた男性が東京都に対して出した住民監査請求に対する結果が公表された。結論をいえば、21年の事業費について請求人の訴えが認められたものはほとんどなく、妥当性が疑われる内容については2月までに再調査を東京都に勧告し、内容によってはColaboに返金を求めるというものだった。とはいえ、女性たちを「タコ部屋」に押し込めている、生活保護のお金を取り上げているといったデマの影響はいまだに尾を引き、監査請求の結果が出た後でも、Colaboが税金を使った不正があったかのような声はSNS上に根深い。

 若年女性支援に関わる福祉団体が、ここまで激しい批判にさらされたことは前代未聞だろう。私自身、女性支援団体に取材したり、また実際に関わったりすることもあるが、現場は誰もがみな人生を削るように仕事をしている。凄絶な暴力の末に命からがら逃げてくるような女性たちを、文字通り命がけで守る現場に、「彼女たちは地獄を見ている」と思うこともある。そういう現場で働くソーシャルワーカーたちの声は、ほとんど聞かれることはない。プライバシー保護の観点もあるが、そもそも「声をあげる」余力すらないのが実態だろう。そういうなかでColaboという被害当事者が中心となってつくられた団体は、支援者の声を通した当事者の声ではなく、当事者そのものの声を社会に伝える重要な役割を担っている。

 6年前に代表の仁藤夢乃さんを長期にわたって取材したことがある。当時の取材ノートを振り返り、改めてColaboの存在意義の重さを感じている。

 仁藤さんのそもそもの原点は、東日本大震災後のボランティア活動だ。大学生だった仁藤さんは、宮城県石巻市の避難所で長期滞在し、避難所で出会った高校生たちの声を聞いてきた。高校生たちの「何かしたい」という思いを支援しようと、地元の製菓会社にかけあい、女川高校の生徒たちと「たまげ大福だっちゃ」という和菓子のプロデュースに奔走した。「たまげ大福だっちゃ」は、2011年の9月に発売されたが、被災地の高校生が自ら復興支援にたちあがったこの活動を、多くのメディアが希望として報道したものだった。Colaboは、このプロジェクトをきっかけにつくられた。

 仁藤さん自身が、街をサバイブしてきた女の子だった。「15歳でも働けるよ」と街で男に誘われ、はやり始めていたメイドカフェでアルバイトをしたこともある。「ずっと、身を守ることばかり考えていました」と取材中に話してくれたことが、私の心には残っている。そういう仁藤さんの人生を変えたのが、フィリピン旅行をしたときに見た日本人の買春男性たちだった。彼らは、かつて渋谷で女子高校生だった自分に声をかけてきた男たちと同じ顔をしていたという。なぜ渋谷で起きていることと、フィリピンで起きていることが同じなのだろう。社会の仕組みを知りたい。そういう思いで必死に学び、大学卒業間際の3ケ月間で書き上げたのが『難民高校生』(英治出版)だ。手にした印税75万円を頼りに、大学卒業後も就職ではなくColaboの活動を続けてきたのだ。

 仁藤さんが大学を卒業した翌年、2014年にアメリカ国務省は、日本のJKビジネスが人身取引の温床になっているとの調査報告を発表している。当時、秋葉原を中心にJKを売りにした散歩や、添い寝、マッサージなどの店が次々にオープンしていた。「観光の仕事」というアルバイトかと思って応募したら、男性客に「性器触ったらいくら?」「キスはいくら?」などと聞かれる、男たちが交渉できる店だったりすることは、よくある話、だった。そういうなか、仁藤さんは夜の街に出かけては、「帰るとこある?」「ご飯食べてる?」と女の子たちに声をかけ始めた。時には自宅に泊め、食事を作り話を聞き、必要な支援につなげることもあった。警察に保護された女の子を迎えに行ったことは数え切れない。

 私が仁藤さんの名前を知ったのは、2016年に女性たち自らが企画した、「私たちは『買われた』展」だ。女性たちが自らの体験を文章にし、思いを写真にして展示したもので、今も各地で行われている。ブランドものほしさ、遊ぶ金ほしさに「売っている」と考えられていた女性たちが必死に出した声。「売った」のではなく「買われた」と言いかえることで見えてきたことはあまりに大きかった。

「買う男の人は率直にキモイです。あの人たちは女の人を下に見ているから」

 仁藤さんを通して、そんな話をしてくれる女性たちに会ってきた。「ご飯をごちそうする」と言われコンビニでおにぎりを1個もらい、そのまま男の家に連れて行かれた女の子の話は強烈だった。中学生にしか見えない彼女の手をにぎり、堂々と交番の前を歩いたという。そういう男たちのずるさ、傲慢さ、暴力性を「キモイ」と力強く表現することが、彼女たちの唯一の抵抗でもあった。

 仁藤さんに話を聞くなかで、彼女が差別的なものを感じると瞬時に、「キモイ」と言ってスッと心を閉ざす瞬間を何度か見てきた。それはまるでサバイブするための本能のように、仁藤さんのなかにあるセンサーなのだと思う。そのセンサーがあるからこそ、仁藤さんは女性たちを守れ、そして女性自身にあるそのセンサーを、鈍らせなくていいんだよ、と言い続けているのだ。女の子が「キモイ」と感じられる感性は、自分を守るための大切な直感だから。もう身を守るために緊張しなくていい、ご飯を食べて、話をして、安心してぐっすり眠れる場。食い物にする大人ではなく、対等に話せる優しい関係があるのだと信じられる場をつくってきたのが、Colaboだ。そういう仁藤さんが、政治問題に率直に発信し、買春する男性をまっすぐに批判するのは当然だろう。

 Colaboへの攻撃は、それだけColaboの活動が世に影響を与えてきたことの証しでもあろう。もの言う女性への攻撃、フェミニズムへのバックラッシュはくり返され続けているが、それでも、Colaboの活動を支援する声も決して小さくはない。仁藤さんへの攻撃に対し、桐野夏生さんら文化人をはじめ、多くの人が支援の声をあげ始めてもいる。

 2023年が始まった。Colaboをはじめ、若年女性支援団体関係者にとってはつらい年明けになってしまったが、このことによって現場が萎縮しないことを望みたい。それにしても、このバックラッシュの正体については、丁寧に考えていきたいと思う。いわゆる“ネトウヨ”と呼ばれる人々を増産し、ヘイトスピーチを助長するような空気をつくってきた安倍さんという“大きなリーダー”が亡くなったことと、今のこの空気はどのようにつながっているのかなど、安倍さん不在後のネットの世界、女性をめぐるリアリティーについても、考察すべきことなのかもしれない。

 少しでもマシな世界になりますように。祈るようなそんな気持ちだ。


 わたしもそう思う。誰がこのようなことをしてくれるだろうか?頭が下がる思いで支援してきたし、これからも支援してゆく。

 よく寝た。今日は昼まで寝ていた。昼を食べて再度布団に潜り込んだが眠れない。治ったか?
 外を見ると雪が積もり吹雪とまではいかないが、かなり視界がきかないほどに降っている。まだ外に出る勇気はない。