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雨宮処凛がゆく!第468回:2018年「#Metoo」案件の数々。の巻

2018年12月15日 | 社会・経済

マガジン9 https://maga9.jp/181212-3/ より

  2018年12月12日

   国会会期末、改正入管法や改正水道法など、この国の行く末を左右するような重要法案が次々と成立した。しかも、議論が深まったなどと、まったく言えないまま。そんなものに、どこか麻痺してしまっている自分がいる。「またか」と諦めそうになっている自分がいる。第二次安倍政権が始まって、6年。この6年の間に、何度も何度も強行採決を見せつけられてきたことが、「黙らない」と決めたはずの私の中で、無力感として大きくなっている。危険とわかりつつも、恐ろしいことに無力感を完全に振りきる方法を私は知らない。

  そんな年の瀬に、今年一年を振り返りたい。

 まず自分のこととしては、今年は『「女子」という呪い』、『非正規・単身・アラフォー女性』の2冊を出版した。

 前著は私が初めてジェンダー問題と向き合い、女子にかけられている呪いの数々について綴った一冊。後著はタイトル通り、非正規で単身のアラフォー女性たちに仕事や結婚、将来の不安などについて取材した一冊だ。フリーランス単身アラフォー女性である私自身の悩みや不安についても存分に書いた。

 どちらも、この国で女性が生きることに付随する困難さを描いたという点では共通している。このように正面からジェンダーを取り上げた本を出版したのは初めてのことで、そんな2018年は「#Metoo」の一年でもあった。

 ざっと振り返っても、セクハラ絡みの話題には枚挙に暇がない。これまで蓋をしてきたものが一斉に溢れ出したかのような印象だ。

 思いつくままに綴ってみても、財務省事務次官のセクハラ、TOKIO山口達也メンバーの強制わいせつ事件、早稲田大学教授のセクハラ、アラーキーのモデルだった女性や、ブロガー・はあちゅう氏、モデルの水原希子氏などによる告発、新潟県知事が「援助交際」で辞任、文科大臣が公用車で「セクシー個室ヨガ」通い、群馬県みなかみ町長や東京都狛江市長のセクハラなどなどが思い出される。

 セクハラが注目されることによって、セクハラへの無理解が露呈した一年でもあった。

 例えば財務省は、セクハラ被害を受けた女性に「名乗り出る」ことを呼びかけるなどして最悪の地雷を踏み、自民党・長尾敬議員はセクハラに抗議する女性議員たちについて「私にとって、セクハラとは縁遠い方々です」などと発言して批判を浴びる。また、麻生財務大臣に至っては、セクハラについて「はめられた可能性」「セクハラ罪という罪はない」などと開き直る始末。

 そんな中、8月には東京医大の不正受験の問題が発覚。「女だから」という理由で女子受験者は一律減点されていることがわかり、他の医大でも同様の不正が行われていることが明らかとなった。

   一方、世界に目を向けると、年明けそうそうのゴールデングローブ賞の授賞式では、多くの女性たちがセクハラに抗議する黒のドレスを着用して登場。また、5月にはノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーが今年の選考見送りを発表。理由は、アカデミーのメンバーの夫による性的暴行疑惑などだった。18名の女性が、暴行を受けたと現地メディアに告発したのだった。

 10月には、#Metooムーブメントをさらに後押しするようなことが起きる。性暴力に対して声を上げてきた女性と、性暴力被害者に寄り添ってきた男性がノーベル平和賞を受賞したのだ。

 女性は、イラクの少数派・ヤジディ教徒のナディア・ムラドさん。IS(イスラム国)に拉致され、「性奴隷」として人身売買された経験を持つ彼女は、自らの被害を実名で証言してきた。

 男性受賞者は、婦人科医のデニ・ムクウェゲさん。紛争が続くコンゴ民主共和国で、5万人以上の性暴力被害者の治療にあたってきた人だ。

 性暴力と、文字通り命がけで闘ってきた二人のノーベル平和賞受賞は、多くの女性たちに勇気を与えるものだった。

 一方で、この国では女性議員が、性暴力被害者の伊藤詩織さんを貶めるような発言をするなど残念すぎる事実もある。

 そうして「平成最後」である今年、流行語大賞のトップテンには「#Metoo」が入った。ちなみに平成元年(89年)の流行語大賞・新語大賞を受賞したのは「セクハラ」だ。

 セクハラが「新語」として認知され、「#Metoo」として被害者が声を上げられるようになるまで、実に30年。今も嘲笑や声を封じる力はあるけれど、やっとやっと、スタートラインになんとかつくまで30年。その間、私たちは世界中で声を上げた女性たちがどのように貶められ、バカにされ、晒し者にされるかということを嫌というほど目にしてきた。だけどやっと今、「セクハラされてるうちが華だよ」とか「うまくかわすのが大人の女だよ」とか、そんな言葉に曖昧に笑わなくてよくなったのだ。

 「こんなことで傷つくなんて社会人失格?」「私って自意識過剰?」とか思わずに、まずは自分で自分に「被害を被害と認識していい」と、自分を大切にしてもいいのだと、そう思えるようになったのだ。

 会期末の国会を見ながら無力感にばかり苛まれていたけれど、この一年、少しは前進したこともあった。来年は、もっともっと前進しますように。そう祈っている。


 しばらくPCや回線の不具合で記事をアップできなかったのでたまってしまいました。

さて、江部乙では繁茂しすぎた木やツルを伐採したり剪定したりと、たくさんの木の幹、枝が出ます。薪ストーブにくべる燃料になっています。そしてこんなものもあるんです。ミズキです。子どものころ、まゆ玉にして部屋に飾ったものですが、最近ではあまり飾る人も少なくなってきました。ただ燃やしてしまうのももったいなくて「売り」に出しました。ほとんど人の通らない家の前で。一枝100円。他、もってけ!

他に、フジのツル、のぶどうのつる、ツルウメモドキ、松ぼっくり、等。

 追記

またPCが・・・


雨宮処凛 がゆく!467回 「自己責任」とか言う人に、これからは「江戸時代の村人と同じだね☆」と言い返そうと思います。

2018年12月14日 | 社会・経済

貧しくて年貢を収められない世帯があれば村が救済にあたる。しかし、そこには社会的制裁も…。

 

マガジン9 https://maga9.jp/181205-3/より

雨宮処凛  がゆく!467回  2018年12月06日

 

 たった一人の女性閣僚として入閣した片山さつき氏に、さまざまな疑惑が浮上している。

 毎週のように新ネタが出るような状態なのですべてを追いきれていないが、私にとって片山さつき氏と言えば、「ザ・自己責任」の人。小泉純一郎が言い出しっぺなら、片山氏は、その言葉を全国に流通させ、弱者の口を封じた人である。

 2012年、お笑い芸人の母親が生活保護を受給していることが報道された際にはそのことを政治の場で大々的に取り上げ、メディアでは「生活保護を受けることを恥と思わないことが問題だ」などと繰り返し発言。生活保護バッシングの火付け役となり、また自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」の一員として、「生活保護費削減」を主張 (のちに第二次安倍政権で実現されてしまう)。メディアも巻き込んだ激烈な生活保護バッシングは当事者を追い詰め、そんな中、自ら命を絶ってしまった人もいる。

 15年、「子どもの貧困」をテーマとしたNHKの番組に出演した女子高校生にネット上でバッシングが起これば、すぐさま加担。テレビにアニメグッズが写り込んでいたとか、本人のSNSを見たら外食や舞台鑑賞をしていたとか、まるで「本当に貧困というなら一切の娯楽を諦めろ」という言いがかりのような炎上だったのだが、片山氏は「NHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます!」と、未成年へのネットいじめをさらに煽るようなコメントをTwitterに投稿したのだった。

 東大卒で財務省に入り、今は内閣府特命担当大臣という勝ち組中の勝ち組、エリート中のエリートである彼女には、教育が受けられなかったとか失業したとか、そんな人の状況に想像が及ばないのだろう。すべて本人の努力不足で、怠けているからそうなっているのだと思っているように見える。 

 そんなことを考えていたところ、朝日新聞で興味深い記事を見つけた。それは11月20日の耕論「冷たい自己責任論」。3人の識者による、テーマに沿った談話が載っていたのだが、奈良大学教授の木下光生氏の話がダントツに面白かった。読んだ人も多いと思うのだが、「救済には制裁 江戸期から」と題された談話で木下氏は、「自己責任」と言われる社会が今に始まったことではないことを指摘する。

 木下氏によると、相互扶助の社会だったと見られている江戸時代も、自己責任をよしとする社会だったそうだ。貧しくて年貢を収められない世帯があれば村が救済にあたるものの、そこには社会的制裁も伴ったという。また、その人の素行を見て「救済するかどうか」を決めた形跡も見えたという。自己責任社会の伝統には、300〜400年の蓄積があるというのだ。

 「昔はよかった」「昔の人はもっと助け合った」「昔はもっと優しい社会だった」

 多くの人が口にする言葉ではないだろうか。が、よくよく考えてみるとその言葉にはなんの根拠もない。ただなんとなく「日本昔話」みたいなイメージの中の「昔」があるだけで、そこに都合のいい幻想を投影しているだけの話である。そう思って「昔」を描いた作品などを思い出すと、明治生まれの女を描いた「おしん」は悲惨すぎる話だし、最近読んだ『農家女性の戦後史』という本には、明治生まれの舅や姑の意地悪率が異常なほど高く、嫁いびりの凄まじさに「核家族万歳」と叫びたくなるほどだ。「昔はよかった」なんて言葉が裸足で逃げ出すほどに、多くの場合、昔はひどい。そもそも女や貧乏人に人権などない。

 さて、木下氏の指摘に興味を持った私は、さっそく氏の書いた『貧困と自己責任の近世日本史』を購入。3800円もしたが買い求めた。

 そうして一気に読み終えたのだが、「いやー、昔はひどかった」と今、声を大にして言いたい。日本人が冷たいのって今に始まったことじゃなくて、ずーっと前から自己責任社会だったんだ、ということがよくわかる。それだけではない。「自己責任バッシング」のディテールが、今のネットでのバッシングとほとんど変わらないのだ。江戸時代の村人、藤右衛門とマツが田んぼのあぜ道とか神社の裏とかでコソコソ言ってたことが、今、ネットに書かれているだけの話なのである。

 例えば大和国平群郡法隆寺村(現奈良県斑鳩町)ほか10カ村では、1837年(天保8年)、村から公的に「施し」を受けた者に対しての申し合わせが取り交わされている。

 その内容は、村からタダで米を施された以上、受給者は衣服や履物、髪飾りといった「見た目」でも、常日頃から行動を慎むべき、というような内容で、成人男性に対しても「羽織、雪踏」という正装を禁じている。期間は「一代限り」となっており、子や孫に受け継がれることはないようだが、一代と言えば「長ければおよそ20〜30年にもおよぶ行動規制」である。しかもこの時期は、飢饉によって社会全体が苦境に立たされていたそうだが、そんなことはおかまいなしに「村に迷惑をかけた者」は厳しい制裁の対象になっていたのである。リーマンショックが起きた年の末に開催された年越し派遣村に、「自己責任」と言った人がいたのと同じ構図だ。

 それだけではない。

 「実際に施行米をうけた世帯の構成員全員(子どもも含む)から署名と捺印をとりつけることで、誰が辱めをうけるべきなのか、村の公文書上でもはっきりとさせようとするものなのであった」

 この大和国平群郡法隆寺村以上に「踏み込んだ制裁」を発動させたのが、1867年の河内国丹北部若林村(現大阪府松原市)である。この時期は物価の高騰により、困窮に陥る人が多く出たようである。そんな人々に村は「温情」を与えるが、この温情が、厳しい制裁を伴っていたのである。

 まず、困窮するのは「日頃から自助努力を怠ってきたせい」であるとし、施行を受けるかわりに、いろいろと決まりごとを作ってそれを5年間守るように通達した。その内容は、「日笠をさすな」「雪踏を履くな」「絹織物を着るな」といった「小姑」を思わせるみみっちい服装禁制や、大酒を飲んだり物見遊山を禁じるものだった。それだけでない。

 「施行受給者の名を、住民が日常的に集う村の髪結床、そして受給者各戸の軒先にわざわざ張り出して、誰が村に迷惑をかけたのかを白日の下に晒そうとした。さらに受給者は、施行米の原資を提供した『施主人』(「高持一同」)の屋敷へうかがう際、門の手前から履き物を脱ぎ、極めて低姿勢で敷地内に「這い入る」ことが求められた」

 なんかもう、これを考えついた人の底意地の悪さに脱帽である。でも、昔話にはこういう意地悪なことばっか思いつく天才ってつきものだ。なんか「一休さん」とかにいなかったっけ、こういう人。ていうか一休さんて何時代?

 しかし、これだけ屈辱的、差別的な扱いを受ける人々の姿は、「施しを受ける」ことをためらわせるには十分だったろう。よって、どれほど生活に困窮していても「タダで助けてもらうなんていたたまれない」「申し訳ない」という思いから、一家総出で夜逃げするケースなどもあったという。施しを受けた人への制裁が、人々の自己責任論をより強化する。

  ここまで読んで、現代とのあまりの符合に驚いた人も多いのではないだろうか。

 生活保護受給者はそれらしくボロを着ていろ、無駄遣いをするな、酒を飲むな、パチンコをするな、ギャンブルをするな等々の声は、21世紀の日本にも溢れかえっている。生活保護受給者がパチンコなどをしていたら通報するようにと呼びかける自治体もあるし、監視を勧めるような条例がある自治体だってある。天保8年とかからもう200年近く経とうというのに、この国の価値観は「江戸時代の村人」から、ちっとも進化していないのだ。

 著者はこのことについて、以下のように書く。

 「『不実/我侭』な村人の救済度合いを低く見積もった1800年の大和国山之坊村の姿勢と、水際作戦で生活保護申請を認めず、結果として40代の姉妹二人を餓死させた2010〜12年の札幌市白石区福祉事務所の態度とは、異質なものではなく、同じ土俵上にある同質の問題だといえよう」

 普段私は、男尊女卑的なことをおぬかしになる人などがいると「もう21世紀なんだし、いい加減昭和の忘れ物みたいな発想やめてよ」とか言ってるわけだが、自己責任に関しては、この国の人々の発想は江戸時代から進化していないのである。なんか新自由主義でグローバル化のもと、先進的な自分をアピールするために「それって自己責任じゃん?」とカッコつけてる人とかいるけど、お前のスタンス、そのまんま江戸時代の村人だよ? キビと大根作ることに人生捧げた天保の時代の藤右衛門と同じだよ? 別に藤右衛門は悪くないけど、せっかく教育受けた意味なくない?

 ちなみにこの本を読んでいると、江戸時代の村人の世帯収支などが詳しく詳しく出てくるので、なんかドキドキしてくる。

 例えば1808年の惣八の世帯は、惣八(45)、妻ゆき(45)、女子くら(21)、女子ミな(17)、男子惣次郎(13)、男子吉三郎(11)、男子留松(8)、男子宇吉(3)、母くま(71)で形成されていて、お母さん71歳ってご長寿、とびっくりするし、母が「くま」って名前なのもなんかシビれるし、だけど他の世帯の資料を見ていくと70代超えは結構普通に登場するし、女の子の「ミな」って名前はなんでカタカナと漢字なんだろう? 当時流行ってたのかな? 今でいうキラキラネームみたいな感じ? と気になるし、息子らしき人の「惣次郎」って名前は、お父さんの「惣八」から一文字もらったのかな? こういうのっていつからあるんだろう? と気になるし。

 で、そんな村人が芋や米やときひ(とうきび=とうもろこし)をどれくらい作ったか、エンゲル係数はどれくらいかも本書ではすべて割り出されているのだからすごい執念である。

 そんなものたちを見ながら、200年後、今「自己責任」とか言い合ってるこの国の人たちは、未来の人にどう分析されるのだろうと思いを馳せた。それだけではない。200年後、片山さつき氏は政治家としてどういう評価を後世の人に受けるのだろう。

 もうとっくに死んだ江戸時代の村人たちは、資料だけ見ていると「百姓」として働き、必死に生きたように思える。だけど、周りからはワガママと思われたり怠惰だと思われたりして意地悪されて、恨みを残しながら死んでいった人も多くいるだろう。

 著者がこの本を書いたのは、自己責任社会への怒りからだという。路上ではなく、自宅で餓死者が出るような現代社会の異様な冷たさから、近世日本への分析が始まったのだ。

 江戸時代から、今の日本を俯瞰できる一冊。ぜひ、多くの人に手にとってほしい。

 


 さてさて、ようやく記事を貼れる状態になった。NTTから派遣された人が昼一番できてくれた。状況を確認後、ルーターを新品に取り換えてみたがこれではなさそう。外の電信柱までは正常に来ているらしい。その間にある「怪しいもの」(雷などの電流が一気に来た時に遮断する器具)を取り換えてみた。うむ、これか!?
今のところ順調に接続されている。
でも、まだ安心できないのだ。
月曜の朝一に確認の電話をいただけるようお願いした。
何せ、TVのない生活をしているのでネットがつながらなければ情報難民になってしまうのだ。

読者の皆様には大変なご迷惑をおかけしました。
また、このようなことが起きないよう願うばかりです。


一時的につながった・・・

2018年12月14日 | なんだかんだ。

 昨日の朝より全然つながらず。昨日は旭川までいかなければならない用事もあり対処できず。今朝NTTに電話して調査、修理を依頼。何時になるかわからないという。待つしかない。

まだ修理には来ていないのですが一時的(?)につながりました。向こうのほうで調整してくれたのかもしれません。これも、たぶん一時的でしょうからしっかりと見てもらうつもりです。


性差別社会と親子でどう向き合うか?

2018年12月12日 | 社会・経済

  時事オピニオン imidas  2018/12/07

    身近にあふれるセクシズム、ジェンダーギャップ。わが子を性差別や性暴力の加害者にしないために

 

太田啓子  (弁護士)

 (構成・文/仲藤里美)

 

 露骨な性差別、セクハラ事件が頻繁に起こる昨今。それでも、そういった事実を頑迷に認めたくないという人たちがいる。財務省セクハラ騒動の際にも、中高年幹部を集めてセクハラについて研修をした様子が報道されたが、あれは本当に効果があったのだろうか? 大人になってから、それは人権侵害だと教えたところで、差別的な態度は直らないのではないか? と疑問に思う。

 ジェンダー差別について発言を続ける太田啓子弁護士に、これから社会に出ていく子どもたちにどのようにこの現状を教えていったらいいのか、性差別の社会と親子でどう向き合うか、お話をうかがった。

    今回のテーマは、〈わが子を性差別や性暴力の加害者にしないために〉ですが、これは私が、二人の息子を育てる中で日々、考えていることでもあります。息子たちは今、小学校4年生と1年生。彼らが成長したときに、平気で性差別的なことを口にするような男性になってしまったらどうしよう──。日常の中で、しばしばそう感じることがあるのです。

 

「偏差値エリート」大学生たちの性暴力事件

 

 そんな不安を抱いてしまうのは、息子たちが日々接している今の日本社会に大きな問題を感じるからです。学校での性教育は不十分で、性についてのきちんとした知識を身に付ける機会がほとんどない。さらには、そもそも社会全体に人権についての理解が乏しく、非常に性差別的な性暴力表現があふれている。これほど性差別に寛容な、それどころか無自覚に性差別を助長するような社会の中で育っていったら、性的なこと、ジェンダー的なことに対するとらえ方がゆがんでしまっても全くおかしくない、とさえ思います。

  2016年には、いわゆる「エリート」大学生による性暴力事件が相次ぎました。東大生が集団で女子大生に強制わいせつ行為をして逮捕、起訴され有罪判決。さらに、千葉大の医学部生と研修医が酩酊した女性に準強制わいせつ行為をしたとして逮捕、起訴され、これも有罪判決。さらに、不起訴処分となりましたが慶応大学でも集団強姦事件があったと報道されました。こうした一連の事件を見ていると、どれだけ「勉強」ができて偏差値が高い大学に通っていても、そのことと人権意識の有無、とりわけ性差別への感覚の鋭さには関係がないのだとつくづく感じさせられます。

   女性を一方的にモノのように扱うこのような性暴力は、女性を見下す発想がなければ行い得ないものです。東大生の事件では、法廷で被告人らが犯行に至った自らの心情について「大学に入って他大学の女性と会うことが多くなると、彼女らは『自分より頭が悪い』と考えるようになり、相手の気持ちが考えられなくなった」などと述べたと報じられました。性暴力は相手を自分より「下」であると見下げる意識、要するに差別意識に根差すものだということを、明白に示す供述だと感じます。この被告人らについては東大生だという自負も相手を「下」に見る意識を強めたのかもしれませんが、それだけではなく、あらゆる性暴力の根底には女性を「下」に見る、「下」に置きたいという性差別意識があるのではないでしょうか。

   全体から見れば一部とはいえ、若い男性の間にここまで強い性差別的価値観が広がっていることは衝撃です。日本国内では「高度」なほうの教育を受けてきたはずの彼らに、そうした価値観が育っていたのは一体なぜなのだろうと考えずにいられません。やはり、学校での性教育が全く不十分なこと、性差別はいけないということを社会全体で教育していこうという発想が乏しすぎることが背景にあるのではないかと思います。

 

性差別と性暴力表現にあふれた日本社会

 

 たとえば、テレビのバラエティ番組などを見ていても、女性を貶めたり、同性愛者を嘲笑したりするような表現や、性暴力を娯楽のネタにしているような表現に気になることがあります。

  2017年の話になりますが、フジテレビの番組で「保毛尾田保毛男(ほもおだ ほもお)」という、同性愛者を揶揄したキャラクターにタレントが扮してのコントが放映されました。差別表現だと批判を集め、フジテレビは後に謝罪しましたが、いまだにこんなことが許されると考えていたのかと驚きました。

   また、18年の夏に放映されていた日本テレビの「24時間テレビ」でも、びっくりするような企画がありました。女性のモデルや芸人が、上はTシャツ、下は水着のビキニパンツという格好で「お尻相撲」をして、その様子を見ながら、スタジオの男性タレントらが「あのお尻の形がいい」などと品評するのです。ちょっと信じがたいような時代錯誤ぶりで、暗澹たる気持ちになりました。

   こういうことを指摘すると「お笑いなんだから」「ジョークがわからない」「表現の自由だろう」と批判されがちです。でも、差別の対象に直接的に「死ね」「消えろ」などと言うことはしなくても、特定の属性をゆがめてデフォルメしてからかうことで貶めたり、女性を一方的に性的対象として配置するというのは、ある意味差別の「王道」ともいえるやり方なのではないでしょうか。十分な性教育を受けず、性差別はなくさなくてはいけないという基本的価値観を身に付けることもないまま成長していけば、このような表現の問題を指摘されても根本的な意味がわからないのではないかと感じることがしばしばあります。

   女性の写真や動画、イラストを使用した企業や官公庁のCMやポスターでも、近年何度も「炎上」騒動がありました。女性タレントによる性的な表現が批判を集めた宮城県の観光PR動画や、性的比喩を多用したサントリーのアルコール飲料CM、女性の容貌を揶揄するようなルミネのCMなどが記憶に新しいところです。

   このような「性差別を巡って問題になる表現」は大きく二つに分けられます。一つは女性の身体を性的に強調するなど、女性を一方的に性的対象として描くもの。もう一つは、男女の性別役割を固定的に描くというジェンダー差別です。

   前者に関しては、女性の胸やお尻など性的なパーツを極端に強調したようなグラビアやイラストが、コンビニや電車、駅の売店など、誰もが出入りする公共空間にあふれていて、子どもの目にも容易に触れるような状況であることをずっと懸念しています。もちろん、私的空間で私的にそのような表現物を楽しむことは問題ありませんが、それと公共空間にそのような表現物を置くこととは全く別です。子どもが性差別に親和的な価値観を持たないよう、間違った性的知識を持つことのないよう、公共空間のあり方について大人が責任を持って真剣に考えるのが成熟した社会だと思うのですが、今の日本はそれにはほど遠い状況だと感じます。

   さらには、地方自治体など公的な機関までもが、ポスターや宣伝物で性差別に無頓着な表現をしばしば利用しているのも、非常に問題だと思っています。おそらくは広告代理店などに丸投げか、「こういうのが若い人に人気だから」という程度の軽い発想でつくられたものなのでしょう。でも、私的な主体ではなく公的機関の表現物を公共空間に出す場合には、いっそう明確に「性差別的な目線がない」表現であることが求められると思います。これについては、たとえば埼玉県の「男女共同参画の視点から考える表現ガイド」などが参考になります。

「女性が嫌がっている」様子に欲情することを肯定的に描写することの問題

   さらに、私が気になっているのは、女性を性的対象として描く表現物に、女性が性的接触を明らかに嫌がっているように描かれているものが少なくないことです。AVにも、「レイプもの」「痴漢もの」など、明白な性暴力を娯楽対象として描くものがありますね。その中には、レイプだったけれど途中から女性が性的に快感を得て興奮し始めるというような描写もあります。

  そういうものをおよそ作ってはいけない、見てはいけない、というわけではありません。性的嗜好も内心に留まる限り自由です。制作、流通、観賞のどの過程でも他者の人権を侵害せず、TPOをわきまえている限りは、批判対象にはならないと思います。

   でも、そうした表現物を、性的知識が不十分で、性暴力とはどういうものかもわかっていない子どもの目に触れさせないという社会全体での配慮は必要です。その重要性が社会全体できちんと共有されているとは言いがたいのが現状だと感じています。さすがにAVは一般的にはゾーニングされている(子どもの目に触れないよう、置く場所等に一定の配慮がされている)とは思いますが、肌を多く露出した女性が恥ずかしがったり嫌がったりしているようなイラストや、顔は幼いのに胸やお尻が極端に大きく描かれた女性の身体のイラストは、子ども含む全年齢対象の漫画などでもよくあります。

 「相手が性的接触を嫌がっていること」を性的に興奮する対象として描く表現がなぜ気になるのか。それは、性暴力を軽視する価値観形成に影響しないだろうかと思うからです。

   性教育が徹底され、性暴力がどれだけ被害者に深刻な影響を及ぼすかが常識となっている社会であれば、このような表現物の氾濫も、そこまで気にならないのかもしれません。でも、実際には今の日本社会では、性教育はあまりに貧弱です。まともな性教育を受けないままで、性暴力の描写を娯楽として楽しむような表現物に何度も触れていたら、性暴力の何が悪いのかも十分わからず、性差別を空気のように吸いこんで内面化していってしまうこともあるのではないでしょうか。

   どんなものに性的に興奮するかというのは、個人差もありますが、ある程度社会で、文化的につくられている面もあるでしょう。そう考えると、全年齢対象で子どもも見るようなイラストや漫画で、あるいはゾーニングされていない空間で、「相手が嫌がっている様子は『エロい』『性的な興奮をかきたてるものだ』」というメッセージを無頓着に送り続けることには、やはり問題があると思うのです。

   これは、「性差別的な表現物や、性暴力を娯楽として描く表現物を見た人は即、性犯罪を犯すに違いない」といった短絡的なことを言っているわけではありません。

   ただ、私が実際に被害者代理人を担当したある集団強姦事件で見たことですが、加害者らは「強姦目的で拉致した女性の体を触っても全く反応がなく、性的興奮を示さないので拍子抜けしてしらけた」と供述していました。彼らは、強姦でも相手は性的に興奮すると思いこんでいたのですね。彼らの思いこみが何に影響されて形成されたものなのかの証明は難しいですが、どこかでそのような表現物に接することで、そうした刷り込みを受けたということもあり得るのではないでしょうか。

   そうはいっても、もちろん、表現物に影響されて実際に性暴力加害に及ぶ人はごく少数でしょう。でも、性暴力が蔓延する現状を踏まえれば、ただ性暴力を実際に行わなければいいというものではありません。

   たとえば、性差別の現状をきちんと理解し、性暴力被害者の声を真摯に聞こうという態度が取れる人──性暴力被害の告発の重要性をちゃんと理解していて、間違っても「男性と夜に二人で飲みにいったらホテルにいくのが当たり前だろう」というような「二次加害」をしない。痴漢被害がどれだけひどいかという話題が出たときに「でも痴漢冤罪もひどいよね」と何の根拠もなく口をはさんだりしない。女性差別の深刻さが論じられているときに、ただその議論を妨げたいためだけに「男性差別もある」と決まり文句のように割り込んできたりしない。現実社会でもインターネット上でも、誰かに性的嫌がらせをしている人を見かけたら介入して助け、加害者に怒りを感じる。そういう人が社会の多数を占める状況なのであれば、私自身もこんなに性差別的表現について懸念しないのではないかと思います。けれど、残念ながら今の日本社会がそうではない以上、性差別的価値観を維持・形成し、性暴力を軽視させることにつながる可能性のある表現物は、問題があるとして批判せざるを得ません。

 

性加害の場面を「男の子のやんちゃでほほえましい悪戯」扱いしないでほしい

 

 要するに、子どもにまともな性教育が行われていない社会では、子どもが接する性的情報が一種の「教科書」になってしまうところがあると思うのです。

   たとえば子どもたちに人気のアニメ『ドラえもん』でも、気になることは時々あります。のび太くんが、しずかちゃんの入浴シーンやスカートの中を偶然見たり、見ることができそうになったりして「ラッキー」と言う場面は、今でもしばしば登場するようです。こういうシーンが、ストーリー上の必然性もなく、単なる「ちょっと笑えるエピソード」という位置づけなのがすごく問題だと思っています。

   現実には、たとえ相手の「うっかり」であっても、下着や入浴中の姿を見られてしまったというのは女性にとって相当不快な記憶で、深い心の傷になることもある。そんな深刻なシチュエーションを「笑えるエピソード」という位置づけで描くというのは、性被害を軽視させる危険性をはらむと思います。

   こういう話をすると、まるで私が「『ドラえもん』を見たために、女の子のお風呂を覗いてもいいんだと思って実際に覗く男の子がたくさん生まれる」と主張しているかのように批判する人がいるのですが、そんなことを言っているわけではありません。ただ、こういう表現が性被害を軽視していることは事実で、そのことが受け手の価値観にある程度影響を及ぼす可能性はあるだろうということです。

  こうした「ラッキー」な場面の後、しずかちゃんはのび太くんをひっぱたいて「大嫌い!」「のび太さんのエッチ!」などと言うけれど、それでおしまい。またすぐ一緒に遊んでいる場面が出てきたりします。「漫画だから」と言ってしまえばそれまでですが、やっぱり「スカートの中を覗かれる/覗かれかける」という、確実に相手にとっては性被害にあたる行為を矮小化して、「わざとじゃなかったからいいんだ」「男の子のやんちゃな悪戯でほほえましい」と免責してしまっている部分がある。少なくとも、そういう描き方になっているということを、作り手は認識する必要があると思います。これは、表現者の社会的責任意識を問うということです。

  先に触れた、男女の性別役割を固定的に描く「ジェンダー差別」についても、気になることはたくさんあります。たとえば、ニュースやバラエティ番組で、男性が「ものをよく知っている」解説役、それを感心して聞いて相槌を打つのは若い女性……という組み合わせがいまだに目立つこと。こんな時代錯誤な構図がいまだに多くの番組でまかり通っていることにも驚かされるし、制作側も恥ずかしくないのだろうかと思ってしまいますね。こういうことのジェンダーバランスは、意識的にとっていかないといけないはずです。

 

性差別的な価値観を持たせないための教育を、小さいうちから

 

 こうした「性差別社会」をどうしたら変えていけるのかと考えると、大人になってからの教育だけでは遅いと思うのです。もちろん、最近企業や役所で広がってきたように、セクハラをした人に研修を義務づける、セクハラ言動をする人は人事上マイナスに評価して絶対要職に就けない、といったことは大切です。ただ、それで「こうした行為や発言がなぜ許されないのか」という根本的なことを、本当に内心まで浸透させられるか、納得させられるかというと、やはり非常に時間がかかるし、限界もあるのではないかと思います。

それよりも、可能な限り若い──むしろ幼いうちから、性差別的な価値観を持たせないための教育をすることに、もっと力を注ぐべきなのではないでしょうか。今の世の中は本当にひどい性差別社会だという前提に立った上で、特に男の子には差別する人にならないように、加害者にならないように意識しながら育てていく必要があると思っています。

   私も今、息子たちと一緒にテレビを見ているときなどに、何かひっかかる表現があれば「こういうことは失礼だから言っちゃダメ」「これは女性に嫌な思いをさせることだからやらないでね」と、一つひとつ指摘するようにしています。口うるさく聞こえるだろうけれど、やっぱり言わなくてはならない、と思って。まだ小学生ですから、「なぜよくないのか」まではわかっていないかもしれませんが、少なくとも息子たちにとって一番身近な女性である私が、こういうことを見て・聞いて嫌な気持ちになるんだということだけは伝えたいと思っています。

  また、駅などで「痴漢はダメ」というポスターを見て、息子が「痴漢って何?」と聞いてきたことがあります。「こっちは触られたくないのに触られることだよ。女の子の被害が多いけど、男の子の被害もあるよ。本当に怖くて嫌な思いをするものなんだよ」と説明しました。

  性教育の漫画や絵本なども、かなり小さいときから息子たちには読ませています。「特に、水着で隠れるところ」は、その人だけの大事な場所だから、相手が誰でも、触らせてはいけないし、相手がいいと言わなかったらあなたも触ってはいけないんだよ、というようなことは繰り返し伝えています。

   東京医科大学で、入試の際の不正が明らかになったときも、性差別についてのわかりやすい題材だと思っていろいろ話をしました。「同じテストで男の子も女の子も100点取ったのに、女の子だけ80点だったということにされていたら、どう思う?」と。そこから、「女の人は昔、選挙権もなかったんだよ」とか、「今も女性の政治家はすごく少ない」「会社に勤めてもお給料が男性より安いとか、子育てなどが始まると長く働き続けづらいとか、いろいろな不利益が今もあるんだよ」という話もしました。どこまで理解しているかは全くわかりませんが、女性が不利な立場になりやすい、こういう社会構造があるんだということは、早め早めに教えたほうがいいと思っています。

   特に男の子の場合、自分で望んでそう生まれてきたわけではないけれど、この社会では構造的に有利な面の多い特性を持って生まれてきたのだという認識は持てるように育てたほうがいいのではないでしょうか。もちろん、子どもたち自身に責任があるわけではありませんから、男の子を責めるというのではなく、社会を構成する大人に成長していく中で、そういう社会は変えなくちゃいけないねという意識を育てていってほしいと願っています。

 

女の子に伝えたいこと

 

 私には娘がいないので、女の子に直接話す機会というのはなかなかないのですが、娘がいたら、やはり性差別構造のことは早い時期から教えると思います。そして、私も引き続き他の仲間と一緒にこの構造を変えるためになんとか闘い続けると伝えて、あなたは性差別に屈しなくていい、私たちが可能な限り大人として守るから、あなたもいずれ一緒に闘う大人の一人になってくれたら嬉しいというようなことを言うかもしれません。

   私自身が10代の頃を思い出すと、いろいろな葛藤が本当に強い時期でした。男の子にモテたいという思いはあって、しかし「モテる」タイプではなかったので、「モテる」タイプに擬態しようとしてみたり、それが上手くいっても葛藤し、いかなくても落ち込み、ということを繰り返していたような気がします。若い女性向けの女性誌で「愛されメイク」とか「モテ力」などの言葉が並んでいるのを見ると、あの頃の自分の葛藤を思い出して複雑な思いになります。

   娘がいたら、モテたいと思っても(思わなくても)もちろんいいけど、「男の子に好かれるためにバカなふりをするのはやめておけ」という一言は結構繰り返し伝えたい気がします。エマ・ワトソンの国連でのスピーチなども読ませたいです。視野を広く持って、世代の上下、また、違う国に、自分を自分らしく表現して素敵に生きている女性がたくさんいるということを知る機会をなるべくつくってあげたいです。 

女性が性被害に遭いやすいということは、私自身も何度も被害を経験していますし、そんなことを娘に伝えるのは本当に胸痛むことですが、やはり伝えるでしょうね。そして、なるべく被害に遭わないように工夫するように、もし被害に遭っても絶対被害者は悪くない、悪いのは加害者だ、と繰り返し教えます。若年層の「デートDV」にも深刻なものがありますので、どんなに好きな男性からでも、嫌なことをされたら嫌だと言えるようにもエンパワーしたいです。

 

差別的な男性を減らしていく──次の世代への「レガシー」として

 

 もちろん、家庭だけで「性差別や性暴力の加害者に/被害者にしない」ことが実現できるかといえば、そうではありません。どんなに親が頑張っても、周囲の人に引きずられる部分もあるだろうし、メディアの影響も大きい。社会全体の「差別しない」レベルを上げていかなくてはどうしようもないと思います。

   そのためには、やっぱり一人ひとりが「おかしい」と思うことに対して声を上げていくことです。地道なことですが、それが実を結んでいくことは確実にあると信じています。

  統計があるわけではありませんが、知人から見聞きする話などでは、今20代とか30代前半くらいの若い世代の男性は、自分の父親世代より、家事や育児を柔軟に分担する傾向があるように感じます。

   また、かつて、「スカートめくり」は私の通っていた幼稚園や学校でも見かけたし、多分アニメや漫画などにもそういうシーンが登場していました。でも今では、現実でも漫画でもあまり聞かないですよね。私の体感に過ぎませんが、明らかに激減しています。これはやっぱり、名もない市民が「スカートめくりはやっちゃいけないことだ、性暴力だ」ということをいろんな場で口にして、その積み重ねによって「やっぱりよくないよね」という意識が社会全体で醸成された結果ではないかと思います。社会内の自浄作用が働いて、性暴力の一形態が絶滅に近くなったということでしょう。そんなふうに、意見交換を重ねながら、だんだん性差別的ではない「新しい常識」をつくっていくことは、私たちにもこれからももっとできるのではないでしょうか。

   それは、次の世代の若い女性たちのためにも、私たちの世代がやらなくてはならないことです。かつて、先人たちは長い闘いの末に女性参政権を勝ち取って、私たちに手渡してくれました。では、次に私たちができること、次の世代にレガシー(遺産)として残せるものは何だろうと考えたら、特に男の子を育てている者としては、「差別的な男性を減らすこと」「性差別構造と一緒に闘う男性をもっと増やすこと」なのではないかと。そんなことを今、考えています。

 


今年を表す漢字が発表された。「災」
「自然」災害が多かったからだろう。
災いがいつまでも災いとして人のこれからを左右してしまう。
すべてが自己責任として受け入れなければならない。
なんとか、元の生活に戻してあげることはできないものだろうか?
私も65歳の時に暴風の被害を受け、ビニールハウスを全滅にしてしまった。
災い転じて・・・
転じれる人がどれだけいよう。

PC,どうやら直ったようです。回線の不具合まで重なってしまい「災い」でしょうね。
PCのほうは自分でいろいろ試したのですが結局はダメ。専門家に来てもらいました。最終的にはPC内のごみ・ほこりが誤作動を起こしていたようです。きれいに掃除をしてもらいました。
蓋は簡単に開けられますので年に1度くらいは開けて掃除をお勧めいたします。私も肝に銘じて・・・


つながらない!PCのせい?

2018年12月10日 | なんだかんだ。
朝から消してしまったアプリを再インストールしたり、バージョンに互換性がなかったりで作り直しなどひどい目にあっているのだが、さらに夕方からブログにつながらない。ようやくつながってもスムーズに読者訪問ができなかったりで、私のPCが悪いのか、他の要因なのかわからず・・・ この記事を書くスペースも5×2㎝ほどしかなく、原因は gooのほうにありそうだ。 こんなところに画像を張れるのだろうか?

ミカンの健康機能性

2018年12月04日 | 食・レシピ

 

ミカンに多いβ-クリプトキサンチンと健康機能性

朝日新聞DIGITAL

 みかんといえばビタミンCだけじゃない注目の栄養素

 私はこれまで食品の健康機能性について20年間以上研究を続け、果物の健康維持や生活習慣病に対する予防改善効果の研究を重ねてきました。みかんは昔からビタミンCが豊富で風邪予防に良いと言われてきましたが、皆さんにもぜひ知っていただきたいのが、みかんに特徴的に多く含まれているβ-クリプトキサンチンというカロテノイド色素です。

 みかんをたくさん食べると手が黄色くなりますが、これはこのβ-クリプトキサンチンが皮下脂肪にたまるためです。実はこの色素には様々な健康維持効果があることがわかってきました。

 みかん産地である静岡県の三ヶ日町の住民約千人を対象にした10年間にも及ぶ栄養疫学調査を行った結果、β-クリプトキサンチンを一定以上含むみかんを食べることで、骨粗しょう症リスクが軽減されることが判明しました。閉経後の女性ではβ-クリプトキサンチンを多く摂取している方ほど骨粗しょう症の発症リスクが低下することがわかったのです。

 β-クリプトキサンチンの食べ貯めで健康維持

 そのほかにもβ-クリプトキサンチンは肝機能改善、動脈硬化予防、メタボリックシンドローム予防などに関しても効果が期待できる研究結果も得られつつあります。またβ-クリプトキサンチンは吸収性が良く体内に蓄積しやすいことから、みかんシーズンに食べ貯めができるお得な栄養素でもあります。1日あたりの摂取は3mgが目安ですが、これはみかん約3個分=270g。実はこの色素、研究のために試薬として買おうとすると非常に高価なのですが、生のみかんであればとても手軽に摂取できます。ぜひ今が旬の美味しいみかんをたくさん味わって、皆さんの健康維持に役立ててみてください。


 

ただし、残留農薬にはご注意を!

みかん、大人4個、子ども1個 2016年10月23日 | 健康・病気

 

今年もミニトマトのジュースづくり。

 ハウスがつぶれる前は2.3回作っていたのですが、今は1回だけになってしまいました。そんなわけで今年も新たなお客さんにはお届けできないのが残念です。

冷凍保存しておいたミニトマト。

加熱しながらつぶしていく。

分離機を通って出てきたもの。

アクを取ります。

加熱消毒した空き瓶に詰めていきます。

出来上がり。
シールを張って、少し熟成させてから出荷です。


メキシコ国境編3 迫るマラス、揺れる移民の心

2018年12月03日 | 社会・経済

工藤律子 (ジャーナリスト)

   Imidas連載コラム 2018/12/03

   貧困とギャング団「マラス」の暴力から逃れようと、ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラから、大勢の移民が米国を目指し、メキシコへ来ている。その中には、幼い頃から家庭や地域社会で虐げられ、性暴力に苦しみ、果てはマラスに脅され、祖国を飛び出した少女たちもいる。彼女たちの一部は、幸運にもメキシコに居場所を得て、新たな人生を築こうとしている。だが、そのメキシコにも、マラスの魔の手が伸びつつある。

北上するマラス

   「入国管理局の勾留センター内にも、マラスのメンバーが入り込んでいるよ」

メキシコ南東部のグアテマラ国境に近い町、タパチューラに拠点を置く人権団体「フライ・マティーアス・デ・コルドバ」のサルバは、勾留されている移民からそういう話を聞くと語る。

 「“偵察係”として入り込んだマラスのメンバーは、マラスから逃れた人間の中で、誰がメキシコに来ているのか、誰が強制送還になるのか、あるいはメキシコに残るのかをチェックして、外の仲間に報告しているそうだ」

 祖国での危険を回避し、メキシコにたどり着いても、一度マラスに目を付けられた者は、簡単にはその手から逃れられないということだ。しかも、そうした「偵察係」の存在を、入国管理局の役人は黙認していると見られる。

 「タパチューラの町の中央広場でも、時々、明らかにマラスメンバーだと分かる連中を見かける。腕や首筋にタトゥーをした男が、ベンチなどに座って、辺りの様子をうかがっているんだ」

2014、15年に取材したホンジュラスの首都テグシガルパやサン・ペドロ・スーラのスラムは、地域ごとに、マラ・サルバトゥルーチャ(MS-13)とバリオ・ディエシオチョ(M-18)といった二大マラスに仕切られていた。この町ではまだそのようなことはないが、それらマラスのメンバーがかなりいることは確かだ、とサルバは話す。

  ベルギーのブリュッセルに本部を置くシンクタンク「インターナショナル・クライシス・グループ」によると、メキシコ南部地域は現在、麻薬犯罪組織の縄張り争いが激しくなっており、それに乗じてマラスの進出が加速しているという。かつては、凶悪なことで知られるメキシコの麻薬カルテル「ロス・セタス」と「カルテル・デ・シナロア(大ボスの「エル・チャポ」ことホアキン・グスマンが米国で裁判にかけられている)が、この辺りの中米からの麻薬密輸ルートを支配していた。ところが、それらが分裂し、抗争を繰り返すうちに、「カルテル・デ・シナロア」から分かれた「カルテル・デ・ハリスコ・ヌエバ・へネラシオン」と、MS-13などの中米のマラスも勢力を伸ばしてきた。これにはホンジュラスやエルサルバドル、グアテマラにおいて、政府による武力を使ったマラス殲滅(せんめつ)作戦が進行していることも影響していると考えられる。

 メキシコ国家人権委員会によると、メキシコにおけるマラスの存在は、20年以上前から知られていた。最初は、各地に小さなグループが点在しているだけで、二大マラスが抗争を展開しているわけではなかった。ところが近年、MS-13とM-18が本格的な縄張り争いを始めており、それはタパチューラがあるチアパス州において最も顕著だとされている。グアテマラと隣接するチアパス州では、2016年に13人のマラスメンバーが逮捕されたが、今年(18年)2月までにその数は計161人になったと、チアパス州市民安全保護局は報告している。逮捕されたメンバーは、刑務所の中から外の仲間に命令を出していると言われる。

 彼らは、縄張りで麻薬密売に携わるだけでなく、住民を恐喝し「税」を集めることに力を注ぐ。また、縄張りを通過する移民たちから金品を奪ったり、彼らを誘拐して家族に身代金を要求したり、少女や若い女性を性産業に売り飛ばしたり、といった犯罪行為を働いている。仲間を増やすために、メキシコ人の若者をリクルートするのはもちろん、逃げてきた移民青年たちにも、マラスに入るよう、あるいは戻るよう、脅しをかける。そのために、勾留センターや町の広場で「獲物」を探しているわけだ。

 タパチューラでは、彼らが移民のための一時滞在施設周辺にまで現れ、犯罪や暴力事件を起こしている。それは移民だけでなく、その地域の住民までもが身の危険を感じる状況だ。

 支援と偏見のはざまで

「移民の家『ベレン』に行ってみるといい。

  サルバのアドバイスに従い、国境視察の翌日、私たちはタパチューラ市内にある移民の家「ベレン」を訪ねた。車で施設に近付いていくと、施設の正面に、着の身着のままで旅をしてきたと分かる男女十数人が、疲れた表情で座り込んでいるのが見えた。車を降りて、彼らに挨拶をしながら施設に入る。入り口では、この日の宿泊を希望する人たちが、職員に名前や出身地などを告げていた。左手に事務所があり、私たちに気付いた所長の男性(60)が用件を聞きに出てくる。移民の状況を取材しているので、どんな人たちがどのような支援を受けているのか知りたいと伝えると、所長は少し考えてから、「移民の皆さんの話は、外で自由に聞いてください。施設内は、私が案内しましょう」と、応じてくれた。

この施設は、朝6時半から夜8時半まで扉を開いており、テクン・ウマンにある「移民の家」と同様に、原則2、3日の滞在を条件に受け入れている。難民申請をした人は、数週間いることも可能だが、滞在希望者は次々と現れるため、あまり長くはいられない。収容可能人数は100人前後だ。滞在中は、ベッドと1日2回の食事、医療支援、子どもには保育・学習支援サービスが提供され、すぐ隣の建物では3年前から、町にしばらく定住する人たちのために、電子機器修理と冷蔵・冷房器具修理、パティシエの職業訓練校を運営している。

 「今は、移民の皆さんが早く普通に働ける機会を得られるよう支えることに、力を注いでいます」

と、所長が言う。だから、職業訓練校ではただ技術を教えるのではなく、大学との提携によって、試験に合格すれば就職時に有効な大学名入りの修了証書も発行している。滞在許可を得て定職に就くことができれば、支援を離れて生活できるというわけだ。

 「そうでないと、この外の道端に座っている人たちのように、建設現場の日雇い仕事をくれる業者を待っては日銭を稼ぐといった、不安定な暮らしを続けることになりますから」

  異国でひもじく先の見えない日々が続けば、犯罪に手を染める人間も出てくる。生き延びるために、メキシコで再びマラスに入る元ギャングもいる。そうなると、移民全体が地元民から白い目で見られることにもなる。現に最近、「『ベレン』周辺は、外国人が押し寄せているせいで治安が悪化している」と、住民が警察に苦情を出したことがあるという。

その一方で、一部のメキシコ人が移民を食い物にすることもある。路上で夜を明かす移民に石を投げる者、水をかける者、「不法移民」の弱みに付け込み彼らを「見逃す」ことに対して見返りを要求する警察官、強盗を働く者……。

 「私たちは、スチアテ川を筏(いかだ)で渡ってメキシコに入った途端に、道端で両替商を装う男3人に取り囲まれ、ナイフで脅されて、合わせて9000ペソ分(約5万円)のお金とスマートフォンを奪われました」

  施設の外にいたグアテマラ北部ペテン県から来た男性(43)は、そう証言する。

 「でも、それを目撃した親切な人が、300ペソくれました。おかげで、何とかここまでたどり着けたんです」

 彼は、故郷で食堂を経営していたが、ペテン県を支配する麻薬カルテルに毎月500ケツァル(約7000円)のみかじめ料を要求され、払えなくなった途端、食堂に放火された。生活の糧全てを焼かれて「殺される前に逃げよう」と、妻(32)と娘(16)と息子(9)の家族全員で、メキシコを目指した。既に難民申請をしており、滞在許可証が手に入ったら、姉が住むメキシコシティへ移るつもりだと話す。

 施設前の道端にしゃがみ込んでいる男性グループの一人(42)も、「難民申請をして、生活を立て直したい」と語る。ホンジュラス南部エル・パライソ県で靴修理工房を開いていた彼は、

 「四六時中マラスに恐喝されて、おちおち仕事もできない状態だった」

と、うつむく。その後顔を上げて、こう言った。

 「メキシコにだって麻薬カルテルなどの問題はあるけれど、少なくとも私は親切な人たちに助けられた。私の国よりずっといい」

国のエゴと移民

 彼と一緒に座っていたホンジュラス人の青年二人は、まもなくメキシコを縦断する貨物列車の屋根に乗って、米国まで旅を続ける決意だと述べる。米国の壁は高いのではないかと問う私に、一人(26)が熱っぽくこう答える。

 「そこにしか希望がないんだから、仕方がないじゃないか。そもそも中米の状況は、その米国の都合で作り出されているんだし。政治もそうだ。ホンジュラスの大統領選挙だって、米国は左派政権になると困るから、あんな結果を認めたのさ」

 昨年、選挙不正に抗議し、やり直しを訴える国民や、「選挙結果は信頼性に乏しい」と発表した米州機構選挙監視団を無視して、米国は保守派与党のフアン・オルランドエルナンデス大統領の再選を認めた。その裏には、エルナンデス政権が米国の移民政策や新自由主義経済政策はもちろん、ドナルド・トランプ大統領の「エルサレムはイスラエルの首都だ」という主張まで支持してきた事実がある。つまりその青年は、米国自身が、中米の民主主義と自由をねじ曲げてきた結果が、この移民危機だと言いたいのだ。だとすれば、米国は自らの首を絞めているということになる。

 メキシコでは、10月半ばに始まった「中米からの移民キャラバン騒動」が、1カ月以上過ぎた11月現在も続いている。エルサルバドル人を中心とする第5陣までがメキシコに入り、最初のキャラバンの2000人以上は、11月半ばに米墨国境の町、ティファナに到着した。この町に集まる中米移民の数は、さらに増え1万人規模になるだろう。彼ら共通の望みは、難民として合法的に米国移住を認められることだが、トランプ政権がそれを叶える確率は低い。

 米国により、移民への対応を押し付けられた形のメキシコは、メキシコシティやティファナといった移民の集合地点となっている都市で、公共施設を開放し、食事や入浴、医療などのサービスを提供している。既存の支援施設だけではスペースも物資も十分には供給できないからだ。メキシコのペニャ・ニエト政権はまた、強制送還中心だった「キャラバン以前」の政策を一変して、「難民申請をして国内南東部(主にチアパス州)に留まるならば、一時労働許可証や医療と教育へのアクセスを保証する」と発表。移民キャラバンの2600人以上が、このオファーを受け入れた。

 わずか数日間に何千人もの移民を迎えることになったティファナでは、施設に入らず野宿する移民の姿に不安を感じる市民もおり、抗議行動も起きている。同市市長は、「この異常事態に対応する策を講じて欲しい」と、メディアを通して連邦政府や国際連合に訴えた。経験のない社会的ストレスは、人々から寛容さを奪いはじめている。 それでもなお、多くの市民は、旅を続けるキャラバンに食事を提供したり、ヒッチハイクに協力したりと、様々な形で手を差しのべている。現地調査会社Gii360によると、メキシコ国民の半数以上が、移民を助けるべきだと考えているという。自らも歴史的に米国へ移民を送り出してきたメキシコ人は、祖国での貧困と暴力、そして米国の移民政策に翻弄される者の苦難を知るからこそ、「移民危機」にできる限り人道的な対応をしようとしている。

 メキシコでも中米でも、移民の大半は、決して好き好んで祖国を離れるのではない。自分の力ではどうしようもない現実を前に、旅を決意するのだ。たとえ、その先にある世界で新たな苦難に出会っても後戻りはできないが故に、悔しさと苦しみ、悲しみを抱えながらも、わずかな光の見える方へと進んでゆく。

 移民の問題を考える時、私たちはまず、「移民」という行為の背後にある問題と自分自身のつながりを考え、理解する努力をしなければならない。そして、共に問題解決に取り組み、支え合うことを第一としなければならない。現代世界における移民の大半は、貧困や暴力などにより生きることが困難な状況にある国の出身だ。彼らの国がそうした状況に追い込まれたのは、「資本主義先進国」の私たちが築いてきた経済システムがもたらす格差と矛盾に因るところが大きい。「私が移民とならないのは、移民する彼らが私の今を支えているからだ」と考えるべきだろう。その自覚なしに、移民の問題を他人事とするのは、無知以外のなにものでもない。


 今日は一日を通してプラス気温。こんな日は珍しい。明日も、さらに気温は上がる見込みで雨になる予報。


実習生は逃げた

2018年12月02日 | 社会・経済

「中絶か強制帰国、どちらか選べ」妊娠の実習生は逃げた

朝日新聞デジタル 平山亜理 2018年12月1日

 外国人の技能実習生が妊娠し、強制帰国や中絶を迫られる例が相次いでいる。受け入れ機関側から「恋愛禁止」や「妊娠したら罰金」と宣告されるケースもあり、専門家は「人権上問題だ」と指摘している。

 「妊娠2カ月なんです」。首都圏の人権団体のシェルターに保護された技能実習生のベトナム人女性(22)は静かに語り始めた。西日本の製紙工場で実習するために来日し、1カ月の事前研修を終えた矢先に妊娠が分かった。

 「中絶するか、ベトナムに強制帰国かのどちらかを選べ」。研修施設の担当者に迫られ、中絶の薬を与えるとも言われた。

   「子供を産みたい。でも日本で働き借金を返したい」と思いつめ、逃げ出した。ベトナム北部の貧しい地域の出身。日本に来たのは「病気の母の治療費で多額の借金があったから」。渡航費の約100万円は祖母が親戚らから借りた。

  来日前に関係を持ったベトナム人男性との子だったが、相手は「自分の子ではない」と否定。女性はカトリック川口教会のベトナム出身のシスター、マリア・レ・ティ・ランさん(55)を頼った。SNSで相談すると、逃げる手はずを全統一労働組合(東京都台東区)と整えてくれた。

 マリアさんの元にはベトナム人女性からひっきりなしに同様の相談の電話やメールがある。先日も「自殺したい」と32歳の実習生の女性から連絡があった。妊娠し、やはり実習先から帰国を迫られ逃げたという。

 西日本のある研修施設の規則には「異性との恋愛行為は一切禁止」「外出は2人以上の行動とし、単独行動はこれを一切禁止する」とあり、実習生に署名させている。「男性と女性はお互いの部屋を行き来しないこと」とも書かれている。研修施設での順守事項だが「企業実習に於(お)いてもほぼ同様の規則となるので今から三年間は気を緩めず厳守すること」とある。

 施設の元担当者は「会社は実習生を効率よく働かせたい。妊娠したら生産能力が落ちる。実習生に産休をとらせる会社など聞いたことがない」と理由を話す。

 ログイン前の続きまた、研修の教職員に配られた「トラブル集&対応策テキスト」には、妊娠した場合①出産希望:強制帰国+ペナルティーを科す②日本での研修を継続希望:一時帰国し処置をした後再入国――とされ、チケット代は自弁で罰金も科す、とあった。元担当者によると、出国前も「意識改革」と題した研修などで妊娠は禁止と指導しているという。

 日本で亡くなったベトナム人実習生や留学生らを弔っている東京都港区の寺院「日新窟」には、2012年~今年7月末で101件分の死亡記録があるが、24件分は中絶や死産による赤ちゃんのものだ。尼僧ティック・タム・チーさん(40)は「悩んだ末に中絶して、精神的に病んでしまう女性も多い」と話す。

 政府「帰国強制は違法」

 「妊娠、出産、結婚を理由に監理団体や実習実施機関が技能実習生の意思に反し、帰国を強制する行為は違法で、認められるものではない」。実習生の問題が議論された2016年11月の参院法務委員会で、政府はこう答弁している。雇用機会均等法も、事業主は女性労働者に、妊娠や出産を理由に解雇などをしてはいけないと定めている。

 13年には、中国人技能実習生が妊娠を理由に強制帰国させられそうになり流産したとして富山市の会社側を訴えた裁判で、女性側勝訴の判決が出た。

 だが、妊娠を理由とした技能実習生の強制帰国や中絶例は後を絶たない。

 実習生の実情に詳しい指宿昭一弁護士は「恋愛や妊娠を禁止することは明らかな人権侵害で許されない」と話す。現在参院で審議中の出入国管理法改正案でも、外国人の新たな在留資格「特定技能1号」は技能実習生と同様、家族帯同が認められていない。指宿氏は「労働者をモノとしか見ていないからだ」と指摘している。(平山亜理)


過剰な「抗菌剤」使用

2018年12月01日 | 食・レシピ
豚肉への抗菌剤使用1位の日本 “クスリ漬け”の西友・サミット・ライフ、牛豚鶏で不使用品を揃えるイオン
大手スーパーで買える唯一の抗菌剤不使用豚肉。イオンの「ナチュラルポーク」
 人や家畜への過剰な「抗菌剤」使用により、抗菌剤が効かない病原菌が発生してしまう、薬物耐性菌問題。日本では、病院内での感染が発生した時くらいしか報道されないが、アメリカでは国の調査で毎年200万人以上が罹患、2万3千人以上が死亡、と報告された。イギリスの報告では、このまま対策を取らないと、2050年には耐性菌の感染症による死亡者数が年間1千万人に達し、ガンの死亡数(820万人)を超えると予想する。都内大手スーパーの牛肉・豚肉・鶏肉のそれぞれにおいて、抗菌剤不使用のものが入手可能かの調査を行なったところ、牛・豚・鶏肉のすべてで抗菌剤不使用の肉を扱っていたのはイオンだけだった。鶏肉のみ扱っていたのはダイエー、ヨークマート、丸正。全く対応ナシは、西友、サミット、ライフだった。

【Digest】
◇2050年には耐性菌感染症死亡者数はがん死亡者数を超える
◇日本の豚への抗菌剤使用量は先進国中1位
◇豚の大腸菌の55%が耐性菌
◇抗菌剤不使用の鶏肉はイオン、ダイエー、ヨークマート、丸正で
◇抗菌剤不使用の豚肉・牛肉はイオンだけ

◇2050年には耐性菌感染症死亡者数はがん死亡者数を超える
 世界保健機関(WHO)は、世界の公衆衛生の最大の脅威として、2015年に世界行動計画を採択し、家畜への抗菌剤使用削減目標を打ち出した。だが日本は削減計画を作らず放置しており、豚については、アメリカを超えて使用量1位だ。家畜の中で最も抗菌剤使用量が多いのが豚で、豚の大腸菌での耐性菌出現率も、55%と高い。家畜への抗菌剤削減のためには、抗菌剤不使用の肉を、消費者が買い支える必要がある。

 薬剤耐性菌が問題になるのは、主に病院内で発生した場合だ。病気や治療で抵抗力の弱った患者にとっては、健康な人ならば問題にならない細菌にも感染症を引き起こしてしまう可能性がある。

 その時、感染症治療に有効なのが抗生物質などの抗菌剤なのだが、近年あらゆる抗菌剤が効かない耐性菌(多剤耐性菌)が発生し、院内感染が深刻な問題となってきた。

 だったら新しい抗菌剤を開発すればよさそうなものだが、今や製薬会社は、高血圧、高脂血症、糖尿病などの生活習慣病の治療薬に向いている。感染症の抗菌薬は、これらの治療薬に比べ投与期間が短いため、製薬会社の利益につながらないからだ。

 新しい抗菌薬が増えない状況で、使えない抗菌剤が増えていき、最終的にはどの抗菌剤も効かない病原菌が発生したら、治療できなくなってしまう。

抗菌剤と抗生物質の違い
 細菌の増殖を抑制したり、殺すために使われるのが抗菌剤である。抗菌剤の中で細菌や真菌といった生物から作られるものを抗生物質と呼び、化学的に合成されて作られる物を合成抗菌剤と呼ぶ。

 多剤耐性菌が発生する原因は、抗菌剤の乱用にある。そもそも風邪の原因はウイルスで、抗菌剤は効かないのに処方されるなど、医薬品としての抗菌剤も濫用されている。

 日本の「薬剤耐性対策アクションプラン」では、人の抗菌薬の使用量を2020年までに33%削減するという目標を立てている。

 人間の医薬品としての耐性菌対策については国立国際医療研究センター病院が分かりやすい動画をアップしている。

 その中で指摘されているのが、このまま対策を取らないと、2050年には耐性菌の感染症による死亡者数が年間1000万人に達し、ガンによる死亡者数(820万人)を超える、という予測だ。

◇日本の豚への抗菌剤使用量は先進国中1位

日本全体および国別の抗菌剤の使用量 出典:厚労省

 ただ、日本全体の抗菌剤の使用量のうち、人間の治療用の医薬品に使われるのは3割程度に過ぎない。家畜に使用される方が6割と、ずっと多い(残り1割は農薬として使用)。

 家畜への抗菌剤の使用では、家畜が病気になった場合の治療用だけでなく、慢性的に、エサに抗菌剤を混ぜることで、成長促進や、過密な環境での病気を予防する目的から投与することも行われている。

 家畜に抗菌剤を与えた場合、家畜の腸内では、普通の細菌は死滅し、その抗菌剤に耐性をもった細菌だけが生き残って、増殖する。

 そして、家畜の糞などに付着して環境中に出たり、食用肉に付着したものから、人が感染することになる。

 現在、国の「薬剤耐性対策アクションプラン」では、人用の医薬品と違って、動物用の抗菌剤を減らす目標が、立てられていない。

 ではいったい、日本での家畜用の抗菌剤の使用量は、外国と比べてどのくらいなのか。

 私たちが食べる牛・豚・鶏の飼育中に使われる抗菌剤の問題については、これまでもマクドナルドによる中国産病気鶏肉騒動などで記事にしてきた。

 上の図を見てもわかるように、家畜への抗菌剤使用が圧倒的に多いのは.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。



豚・鶏・牛肉1㎏当たりの抗菌剤使用量の国別比較。各データをもとに筆者作成
抗菌剤不使用の牛・豚・鶏肉に関する都内の主なスーパーの店頭調査結果