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雨宮処凛がゆく! 第536回:『日没』と日本学術会議~「不当に恵まれている誰か」を敵と名指され叩いてきた十数年~の巻

2020年10月15日 | 社会・経済

マガジン9  2020年10月14日

 https://maga9.jp/201014-2/

 日本学術会議の任命拒否問題が注目される中、恐ろしい小説を読んだ。

 それは9月に出版された桐野夏生氏の『日没』。

 帯には、「ポリコレ、ネット中傷、出版不況、国家の圧力。海崖に聳える収容所を舞台に『表現の不自由』の近未来を描く、戦慄の警世小説」とある。

 主人公は作家のマッツ夢井。彼女のもとに「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」から「召喚状」が届くところから物語は始まる。

 召喚状では、「出頭」が要請され、日時、場所が指定されている。

 「当地では、若干の講習などが予定されています。宿泊の準備等、お願いします」。病気などで出頭できない場合は医師の診断書が必要など、有無を言わせない迫力を漂わせている。

 出頭日は明後日で、場所は千葉県の海辺の町。

 そうして「文化文芸倫理向上委員会」の職員に案内されたのは、刑務所か秘密基地のような「療養所」。ネット環境もないのでスマホも通じず充電もできず、制服に着替えさせられ、粗末な個室と粗末な食事を与えられる。家に帰りたいと言っても帰れない。そして連れてこられた理由は「更生」のためと知らされる。

 「こちらで、ご自分の作品の問題点をしっかり見据えて認識し、訓練によって直されてからなら、お帰りになることができます」と職員は言い、続ける。

 「私たちは、あなた方作家さんたちに、社会に適応した作品を書いて頂きたいと願っているのですよ」

 適応した作品とは、「正しいことが書いてある作品」。

 この「収容」の根拠となるのは一年半前に成立した「ヘイトスピーチ法」。それを機に、「あらゆる表現の中に表れる性差別、人種差別なども規制していこうということになった」と職員は言う。ヘイトスピーチは表現ではなく扇動、差別そのもので自分の作品がそれと一緒くたにされるのは間違っているといくら言っても「文化文芸倫理向上委員会」の職員は「文句は政府に言ってください」と聞く耳を持たない。

 マッツ夢井の作品が問題とされたのは、「読者からの告発」。レイプや暴力、犯罪をあたかも肯定するかのように書いているという内容の告発だった。

 マッツ夢井の小説を読んだという職員も、彼女の作品を異常だと断じ、「先生、一度精神鑑定とかを受けてみたらどうですか?」と恐ろしいことをさらりと言う。

 時が経つにつれ、さらに彼らの本音が見えてくる。

 「先生方が無責任に書くから、世の中が乱れるということがわかっていない。猥褻、不倫、暴力、差別、中傷、体制批判。これらはもう、どのジャンルでも許されていないのですよ。昨日は言いませんでしたが、先生は文芸誌の対談で、政権批判もされてますよね。いえ、否定しても証拠がありますから。私たちは、ああいうことはやめて頂きたいんです。ええ、心の底から。作家先生たちには、政治なんかに口を出さずに、心洗われる物語とか、傑作をものして頂きたいんですよ」

 主人公は怒り、混乱し、怯える。

 「愚昧な人間たちが、小説作品を精査して偏向もしくは異常だと断定し、小説を書いた人間の性格を糺そうとしている。これほど恐ろしいことはなかった。療養所。そして、精神鑑定。その先には何があるのだろう」

 しかし、逆らえば「減点」され、減点1で入院期間が一週間延びる。そんな「作家収容所」には、多くの作家が収容されているが会話は禁止。話したのがバレると共謀罪を適用される。

 生活は常に欠乏と隣り合わせだ。

 「腹が減る。トイレットペーパーがなくなる。電話ができない。メールもLINEもできない。ネットが使えない。監視されている。仲間と話せない。出て行きたいのに出て行けない。こうして、すべての自由を奪われたことを認識すると、人は従順になるのだろうか」

 療養所に来る前に耳にした、「最近、作家がよく自殺する」という噂。演劇界や映画界でもこのところ多い訃報。マッツの前にこの個室を使っていたのだろう作家の遺書には、小説の前後の文脈を無視してその箇所だけを切り取られ、「人種差別作家」というレッテルを貼られたという嘆きが綴られている――。

 「嫌な人間を書かせたら世界一」の桐野夏生が、とっておきの嫌なシチュエーションで嫌な奴ばかり登場させるのだから面白くないわけがない。夢中になって読みながら、何度も「これ、今の日本で起きてることとどう違う?」とスッと背筋が寒くなった。物書きとして20年生きてきた私にも思い当たるようなエピソードがところどころにちりばめられ、ざわついた気持ちになること数知れず。特にSNSが普及してからの「悪意ある切り取り」や、炎上、密告を恐れて萎縮するような、誰も信用できないような、なんとも言えない嫌な空気感が終始まとわりついてくる。

 そんな中、職員がマッツ夢井だけでなく、療養所に来る作家全般に悪意を抱いていることも強調される。

 「自分の薄汚い妄想を書き連ねるだけで金が貰えるなんて、そんな世の中、大いに間違っていると思いますよ」

 「作家先生」は好き勝手なことして金稼いで偉そうにして、という鬱屈した思いは、職員たちの多くの言動から垣間見える。実際に口にする者もいる。

 さて、そんな『日没』のシーンを彷彿とさせるようなものを今、あちこちで目にする。日本学術会議の任命拒否問題が報じられる一方で、学者たちがいかに「恵まれているか」を伝えるメディア。年金の情報など正確でないものを打ち出していかに「既得権益」であるかを主張する人。橋下徹氏もツイッターで「税金もらって自分の好きなことができる時間を与えてもらって勉強させてもらっていることについての謙虚さが微塵もない」などと書いている。それに対して、気が遠くなるほど多くの人が賛意を示している。

 なんだか、あの小説の世界が現実にふっと漏れ出したような気がした。「税金でよくわからない学問をする学者先生」に対する漠然とした反発。誰かが「不当な特権」を持ち、「不当に恩恵に浴している既得権益」であるかのように名指して非難するやり方。

 が、このようなバッシングは、もう見飽きてきた光景だ。

 公務員バッシングに始まり、生活保護利用者までが「特権」とバッシングされてきたこの十数年。そうして現在は、障害者など公的ケアの対象となる人々までが「不当に特権を享受している」とバッシングされる始末だ。障害者ヘイト、子連れヘイトという言葉まである。そうしてこの手のバッシングを遡れば、郵政民営化に辿り着く。どこかに「既得権益」があると言われ、それをブッ潰せばこちらに何か「得」があるかのように思い込まされ、常に何かを叩いてきた十数年。

 さて、その果てに、あなたのもとに恩恵はもたらされただろうか? おそらくまったくないはずだ。なぜなら、それはガス抜きのために準備されたものだからだ。「こいつが悪い」と敵を名指され、叩いているうちは充実感もあるし正義感も満たされるし「これで自分の生活は少し良くなる」という希望も持てるだろう。しかし、そんなことを繰り返しているうちに、1997年をピークとして子育て世帯の年収は100万円近く下がり、非正規雇用率は4割近くに達した。コロナ不況では非正規層をはじめとして多くの人があっというまに職を失ったわけだが、その怒りは政治には向かわず、誰かが名指した「敵」に向かう。そして今、「こいつらが既得権益だ!」と名指されているのが日本学術会議というわけだ。

 『日没』の世界が描く、最悪の「近未来」までのカウントダウン。それは、すでに始まっている。


当初、0℃とかの予報も出ていましたが3℃位に訂正されたようです。

今日も予報には☂マークはなかったのに昼前から降り出し、今も降っています。
手稲山に初雪が降ったそうです。暑寒連峰の方を見ると雲ではっきりとは見えませんが白くなっているようです。こちらも、今降っている雨が雪になる可能性、あるか?


きのこ
 先日紹介したものですが、なめこ?傘はネバネバ、でも色が鮮やかすぎ。わからないのでスルーしておきます。




エゾサンショウオ


なぜ日本の女性は怒らない?安倍前首相「女性活躍詐欺」の動かぬ証拠

2020年10月14日 | 社会・経済

 by 高野孟『高野孟のTHE JOURNAL』2020.10.13

    何もかも出任せの言いっ放しという安倍政権の無責任――例えば、「女性の活躍」はどうなったのか?

    安倍晋三前首相は何によらず、大袈裟な口ぶりでその場限りの出任せを言って最初のうちだけやってるフリをして、半年か1年もするともうすっかり忘れたかのように、全然別のことを言い出して「やってるフリ」を更新するという風で、検証も総括もせずに放ったらかしにしてしまう。どうせ国民はバカだから、いちいち覚えていないよと思ってそういうことを繰り返してきたのだろうが、そうは問屋が卸さない。安倍前首相の挙動のいちいちをこれからも粘っこく追及して責任をとらせなければならない。それは単に過去を振り返るためだけでなく、安倍前首相の共犯者でありながらそっくりそのまま政権を引き継いだ菅義偉首相の未来を占うためでもある。

「成長戦略の中核」が何だったか覚えていますか?

    例えば「女性の活躍」である。多分誰も覚えていないかもしれないが、安倍政権の最初の国民向けのメッセージはこれだった。

    第2次安倍政権が発足して3カ月、日銀総裁の首を黒田東彦に挿げ替えて鳴り物入りで「アベノミクス」を発動させた安倍前首相は、4月19日に日本記者クラブで乾坤一擲とも言えるテンションの高い「成長戦略スピーチ」をブチ上げ、その中でこう述べた。

人材資源も、活性化させねばなりません。優秀な人材には、どんどん活躍してもらう社会をつくる。そのことが、社会全体の生産性を押し上げます。

    現在、最も生かしきれていない人材とは何か。それは、女性です。女性の活躍は、しばしば、社会政策の文脈で語られがちです。しかし、私は、違います。成長戦略の中核をなすものであると考えています。

    女性の中に眠る高い能力を、十二分に開花させていただくことが、閉塞感の漂う日本を、再び成長軌道に乗せる原動力だ、と確信しています。

    「社会のあらゆる分野で2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上とする」という〔03年に小泉内閣の男女共同参画推進本部が掲げた〕大きな目標があります。

    先ほど、経済三団体に、全上場企業において、積極的に役員・管理職に女性を登用していただきたい。まずは、役員に、一人は女性を登用していただきたい」と要請しました。

唯々諾々と付き従った経済界トップの腑抜け

    この演説の直前に、米倉弘昌経団連会長、岡村正日本商工会議所会頭、長谷川閑史経済同友会代表幹事を官邸に呼びつけて、首相自ら、民間企業の役員・管理職に女性を増やせ、まず役員の1人は女性にしろと迫るという、念の入った演出まで繰り広げた。

    首相から直接言われたのでは仕方がないということで、経団連は7月に企業行動委員会の下に「女性の活躍推進部会」を設置、翌14年4月には「女性活躍アクション・プラン」を公表した。それをバックアップすべく15年8月には「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」も成立し、従業員301人以上の大企業や、国・地方自治体の採用者や管理職に占める女性の割合を各自が数値目標を立てて公表することを義務付けた。

    数値目標を公表はするがそれを達成できなくても罰則・罰金がある訳ではないから、これはつまり経済界も政府と一緒になって「やってるフリ」に付き合えという法律にすぎなかった。なので、このようなひと騒ぎの後ではほとんど話題に上がることもなかった。

7年後に女性はどれだけ輝いたか?

    ピョ~ンと飛んで7年後に「女性の活躍」はどこまで進んだかの数値を示そう。

    第1に、大企業の役員における女性の割合だが、内閣府男女共同参画局HPが掲げている「上場企業の役員に占める女性の割合」のグラフ(図1)では、13年に1.8%であったものが18年には4.1%と2.3倍ほどに増えてはいるものの、30%という大目標には到底及ばない。

 

    それどころか、安倍前首相が経済3団体代表に求めた「まずは役員の1人だけでも女性を」という控えめな目標さえ達成には程遠い。東京商工リサーチの20年8月11日の発表によると近年むしろ後退さえしている(図2)。「ゆっくりと女性の役員登用は進んでいるが、20年3月期決算の上場企業では女性役員比率は6.0%(前年同期4.9%)、まだ5割(1,152社)の上場企業で女性役員はゼロ」である。

    第2に、管理職の範囲を「課長級から役員まで」に広げて統計を探すと、19年7月厚労省発表「平成30年度雇用均等基本調査」に「役職別女性管理職割合の推移」があり(図3)、その中の「課長相当職以上(役員を含む)」(但しこれは企業規模10人以上のほぼ全企業が対象)を見ると、13年度の9.1%から18年度の11.8%に微増はしているけれども、30%の大目標からすればほぼ横這いである。

公務員の中でも増やさないと

    第3に、民間をその気にさせるためにも、まずは国家・地方公務員が率先、女性比率を増やさなければならない。そこで13年6月に官邸が「各省庁の重要ポストに女性を積極的に登用せよ」と指示。それを具体化して、直ちに厚労省内の事情を飛び越える形で事務次官に村木厚子社会・援護局長を充てることにした。その後、経産省の山田真貴子官房審議官を首相補佐官に、人事院の一宮なほみ人事官を人事院総裁にするなどの派手な演出を連発した。

 

しかし、それでどうなったかは定かならず、内閣府のHPには「女性の政策・方針決定過程への参画状況の推移」というなかなか面白い図があって(図4)、国家公務員として採用される人の中で女性の割合はわずかながらでも増えて、19年には35.4%と3分の1を超えるところまで来たけれども、この年の本省の課長・室長での女性割合は何と5.3%であるという過酷な現実が浮き彫りにされている。

地方公務員でも、このように女性が幹部になりにくい状況はほぼ同じである。

政治の女性化は必須であるはずなのに

    安倍前首相がもし責任ある政治家として、民間企業や国家・地方公務員に女性割合を上げることを求めるのであれば、率先して自らのフィールドである政治の世界におけるそれを実現して範を垂れるのでなければおかしい。

    列国議会同盟(IPU)のしばしば引用される統計「政治の中の女性」2020年版を見ると、国会議員(2院制の場合は衆議院)の中で女性が占める割合で日本は9.9%で全189カ国中で165位の最低ランク・グループに属する(図5)。図には165位近辺だけを切り取っているが、日本の前後は途上国ばかりで、その中には普通の人が「こんな国、あったっけ」というようなところもある。アジア地域平均の20.5%にも遠く及ばない。

 

men 

 

● Women in Politics: 2020

    また同じく閣僚級ポストに女性が占める割合では15.8%で全182カ国中で113位(図6)。もっと詳しく、第2次安倍内閣の女性閣僚を見ると次のようになる(IPUとは統計の取り方の違いからか必ずしも一致しない)。

 

 

 

  内閣名     発足日  閣僚数 内女性 比率

 

・第2次安倍内閣  12-12-26   19   2   11%

・ 〃 (改造)   14-09-03   23   6   26

・第3次安倍内閣  14-12-24   21   4   19

・ 〃(1次改造) 15-10-07   21   3   14

・ 〃(2次改造) 16-08-03   22   3   14

・ 〃(3次改造) 17-08-03   20   2   10

・第4次安倍内閣  17-11-01   21   2   10

・ 〃(1次改造) 18-10-02   21   1   5

・ 〃(2次改造) 19-09-11   22   3   14

    2013年春に言い出して、それから最初の14年9月の改造ではさすがに26%にまで膨れ上がるが、この内閣で小渕優子と松島みどりはたちまち辞任に追い込まれており、それで熱が覚めたのか、以後は比率が下がるばかり。18年10月の改造では5%にまで後退した。ここにも、やってるフリも1年がせいぜいで、そのあとはフリすらも忘れて放ったらかしというのが安倍流儀がはっきりと表れている。

ちなみに、この間に登用されたのは13人(回数は安倍政権下での入閣回数)。

3回以上:高市早苗(6)、上川陽子(4)、山谷えり子(3)

2回:有村治子、丸川珠代、稲田朋美、野田聖子、森まさこの5人

1回:小渕優子、松島みどり、島尻安伊子、片山さつき、橋下聖子の5人

菅義偉政権は上川陽子と橋本聖子の2人である。

どうして日本の全女性は怒らないのか?

    こうして、世界的に見ても日本の状況は恥ずべき状態であることが分かる。安倍前首相の「女性の活躍」は何の成果も上げなかったどころか、自分が首相として選任する閣僚においてすら何の進展もなく、また衆議院議員の各党別の女性比率を見ても、自分が総裁を務める自民党の方が格段に低い(20年9月時点、比率が大きい順)。

共産党      25.0%

立憲・国民・社民 14.3

公明党      13.8

維新の会      9.0

自民党       7.4

    人様に向かっては「女性の活躍は成長戦略の中核」などと吹きまくるが、自分では何もしないというこの甚だしい無責任ぶりに、全女性は決起して糾弾し、自分の言葉に責任を持つとはどういうことかを思い知らせてやるべきである。これほどまでにバカにされて誰も怒らないという、男だけでなく女の従順さが「安倍一強」の虚構を支えてきたのである。それを菅政権にまで引き継がせてはならない。

    あ、1人だけ本気で怒っている女性を見つけた。村上由美子=経済協力開発機構(OECD)東京センター所長が6日付「東京新聞」夕刊に「新政権に問う/指導層の『女性不在』にメスを」と書いていた。

(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2020年10月12日号より一部抜粋)


 今日非正規待遇格差裁判の高裁判決が出た。不当判決と言わざるを得ない。闘った主体は女性たち、非正規の女性たちであった。日本の女性も怒っている。それを受け止めないのが「国家」だ。口先で言ってみただけ!?

(東京新聞社説より抜粋)

待遇格差判決 非正規差別を正さねば

2020年10月14日 

 賞与や退職金…正社員と非正規労働者との間にある待遇差を高裁が「不合理」としたのに、最高裁は覆す判断をした。「同一労働同一賃金」の制度下では、もっと非正規への差別が正されるべきだ。

 「私たち非正規を見捨てた判決だ」と原告の女性は言った。


自民党が門前払い、杉田水脈氏に怒りの署名13万6千筆 民の声は聞かないのか?

2020年10月13日 | 社会・経済

連載「おんなの話はありがたい」

  AERAdot  北原みのり2020.10.13

 

    作家・北原みのり氏の連載「おんなの話はありがたい」。今回は、杉田水脈議員をめぐる対応について。短期間で膨大な数の署名が集まったが、自民党に受け取りを拒否されたという。

*    *  *

 オフィスで仕事をしていたときのこと。荷物を届けに来た郵便局員の男性が「あそこで仕事してるのは、北原さんですか?」とスタッフに聞いてきたという。意図が分からずスタッフが曖昧な顔で曖昧にうなずくと男性は「杉田水脈氏のこと、妻も私も本当に怒っています。それを伝えて下さい」と言った。その声は私にも聞こえた。ふだんは寡黙な郵便局員の真剣な声が耳に残った。

 また別の日のこと。ふだんは会釈する程度のご近所の人が、「杉田水脈氏のこと、本当に許せない。あんな人が議員なんて本当に恥ずかしい」と声をかけてきてくれた。「署名したいけど、ネットでやり方がわからない」と言われたのでその場で一緒にやってみた。こんなふうに、ふだん話さない人から「私も怒ってます」と声をかけられるのは、初めてのことだ。

 杉田水脈議員の「女性はいくらでも嘘をつける」発言の謝罪と辞職を求める署名が13万6千筆を超えている。杉田議員が発言を認め「謝罪」したブログを投稿した以降も署名は増え続け、全国の性暴力被害者支援団体の賛同も止まらない。謝罪の形式は取っているが、本当には謝っておらず、むしろ性暴力被害者支援団体をおとしめる内容になっているからだ。10月11日には全国34カ所で、花を持って性暴力に抗議するフラワーデモがおきた。杉田議員の発言の残酷さ、暴力性をもうこれ以上許したくないという思いが多くの人を動かしているのだと思う。

 それにしても残念なのは自民党の対応だ。署名活動を始めて3日で8万筆が集まった時点(9月28日)で、野田聖子幹事長代行の事務所に署名を受け取っていただきたいと連絡をした。フラワーデモの呼びかけ人の松尾亜紀子さんが自民党に電話し趣旨を伝えると「杉田議員に直接渡してほしい」と言われたのだけれど、こういう人を公認し、そして差別・暴力発言を黙認してきた自民党に、私たちの声を届けたかった。野田聖子議員が、幹事長代行の立場にいて本当によかったと思ったのだ。ジェンダー問題が分からない、性暴力問題に関心のない議員に手渡すよりずっと声の重みを受け取ってもらえるのではないかと思ったからだ。

ところが野田聖子議員からは日程調整ができないことを理由に受け取りの辞退の連絡がきた。「日程調整してほしい」と再度お願いしたところ、10月9日に正式に「党として受け取れない」という連絡がきた。野田議員としては、杉田議員の発言は看過できるものではなく、事実確認を行い下村政調会長に相談をして聞き取りをお願いした、その後に杉田議員は謝罪している、辞職は議員本人が判断すべきこと、だから野田議員が署名を受け取ることはできない、党としてもできないという内容だった。また署名は受け取らないが面談の日程調整は考えると記されていた。

 野田議員はあらためてメディアに向かって「“辞職”と書かれている以上、受け取れない」と言っているが、だったら最初からそう言えばいい。10日以上「署名受け取りの日程調整します」と言い続け、こんな結果はあるだろうか。

 「戦争しないとどうしようもない」「女を買いたい」といった発言が問題になった丸山穂高議員がいまだに国会議員でいられるように、どんな暴言をはいても、公文書を隠蔽しても、国会議員は周りが辞めさせられるものではないという。とはいえこのような暴言を許してきた党としての責任、こういう議員を立候補させる党の責任を考えてほしい。なにより日を追うごとに「あの発言で死ねと、国に言われたような気持ちになりました」という被害当事者の声が届く。ワンストップセンターに助けられた実体験をつづるメールが届く。事件後、長いトラウマに苦しみ、そのために就学も就職もままならず、治療に膨大な時間とお金がかかる人生。そういう人生を強いられた被害者たちの苦痛が、抗議には込められているのだ。

 10月13日、10時30分に自民党本部に署名を届けに行った。13万6400人の署名を朝早く起きて印刷をしたところ 2770枚、高さ約30cm、両腕にずしりとくる重さは10キロ以上だ。人の声を届けるという仕事、まさにこれは本当の重荷、重責、という気持ちで生まれて初めて自民党本部に向かった。

 結論を言うと、自民党には署名を受け取ってもらえなかった。というか門前払いだった。自民党職員でビルの管理の担当をしている男性が出てきて「アポがないと受け取れない」を繰り返すのみ。そもそもアポを取ってもらえないから渡しに来たというのに。署名、ここに置いていっていいですか? と聞くと「落とし物として警察に渡します」という。そこで、人権侵害発言を繰り返す杉田氏を今後は候補者にしないなどの措置をとってほしいと記した要望書を、その職員に渡した。

 風呂敷に包まれた署名はひとまず私の事務所に戻った。汗だくで風呂敷抱えてもどってきた私に、一緒に印刷を手伝ってくれたスタッフが本当に驚いた顔で「そんなことってありますか?!」「民の声を聞かないのか!?」と叫んだ。文字通り突き返された声の束を前に、呆然とする思いだ。

 女性をたたくことで自民党内での地位を確立してきた杉田水脈議員と、そんな杉田議員を苦々しく思いながらも党を守るために必死の野田議員。そしてそんな自民党の女性議員たちの姿に苦しむ私たち。登場人物はなぜか全員女性で、本当の責任者の顔がいつもみえない。

■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表


 昨夜から今朝にかけて結構な雨となるようで、栗の実を皿から出して板の上に14個(うち1個虫食い)置いておいた。案の定、虫食いだけが残されていた。

秋がどんどん深まっています。

のぶどうの実も多様な色になりつつあります。
きのこ

沼に鴨が来て湖面びっしりにあった青藻をほぼ食べつくしてしまいまい、湖面はきれいになりました。

桐の葉

 


内田樹-『日本習合論』ちょっと立ち読み & 雪虫

2020年10月12日 | 社会・経済

2020-10-09 vendredi

内田樹の研究室

『日本習合論』の販促のために、第一章の一部、共感主義について書いたところを再録しました。ちょっと立ち読みしていってください。

 世を覆っている共感主義の基本にあるのは先ほど来僕が指摘している「多数派は正しい」という信憑です。多数派に属していないということは「変なこと」を考えたり、しているからであって、それは多数派に合わせて矯正しなければならない。そういうふうに考える人がたくさんいる。若い人にも多く見かけます。でもね、そういうのを「事大主義」と言うのです。
 あるインタビューで「じだいしゅぎ」と言ったら文字起こし原稿には「時代主義」と書かれていました。なるほど、「時代の趨勢(すうせい)に逆らわない」から「時代主義」なのか。インタビュアーは若い人でした。熟語は知らないけれど、造語能力はあるなあと思いました。
でも、「じだい主義」の「じだい」は時代じゃなくて事大です。「大(だい)に事(つか)える」。弱い者が強い者の言いなりになって身の安全を図ることです。「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」と同じ意味です。
 マジョリティというのは「大」「大樹」「長いもの」のことです。多数派の言うことはその正否を問わずにただ従う。それが身の安全である。それが当今の作法ですけれど、もちろん今に始まったことじゃありません。「事大」の出典は『孟子』ですから、それくらい昔からそういう生き方は存在していた。
 そういう生き方もたしかに一種のリアリズムではありますけれども、それにしてもマジョリティであるかマイノリティであるかは、それぞれが主張していることの真偽正否とは関係ありません。
 たしかに、「和を乱さない」ということは集団を安定的に維持するためには必要なことです。でも、ものには程度というものがある。日本の場合は、その度が過ぎます。
 僕が「和」をあまり好まないのは、「和」を過剰に求める人は、集団の他のメンバーに向かって「そこを動くな」「変わるな」と命ずるようになるからです。自由に運動しようとするもの、昨日までとは違うふるまいをしようとする人間が出てくると、たしかに集団は管理しにくくなります。だから「和を尊ぶ」人たちは、基礎的なマナーとして「身の程を知れ」「おのれの分際をわきまえろ」「身の丈に合った生き方を知ろ」という定型句をうるさく口にするようになる。
 こういう言葉は僕の子どもの頃まではよく使われました(僕もよくそう言って叱られました)。でも、ある時期から言われなくなった。1960年代からあとはほとんど耳にすることがなかった。むしろ「身の程を知らず」「分をわきまえず」「身の丈を超える」生き方こそが奨励された。
 高度成長期というのはまさにそういう時代でした。人々は「身のほどを知らない欲望」に駆動されて、「おのれの分際をわきまえず」に枠を踏み外し、「身の丈に合わない」大きな仕事を引き受けた。国に勢いがある時というのはそういうものです。「早めに自分のキャラを設定して、自分のタコツボを見つけてそこに一度まり込んだら、そこから出るな」というようなことを僕は若い時には誰からも言われたことがありません。たまにそれに類することを言う人がいても、鼻先でせせら笑って済ませることができた。だって、こちらは現に「身の程を知らないふるまい」をしていて、それでちゃんと飯を食っていたわけですから。
 その定型句がなぜか二十一世紀に入ってから、また復活してきた。気がつけば、頻繁にそう言われるようになった。それは単純に日本人が貧乏になったからだと僕は思います。
 少し前に僕の友人の若手の研究者が同世代の学者たちと歓談した時に、談たまたま僕のことに及んだことがあったそうです。するとたいへん僕は評判が悪かった。どこがダメなのと僕の友人が興味にかられて訊いてみたら「専門以外のことについて口を出すから」だというお答えだったそうです。学者は自分がきちんとアカデミックな訓練を受けた守備範囲から出るべきではない。フランス文学者ならそれだけをやっていればいい。それ以外のことについては素人なんだから、口を噤んで専門家に任せるべきだ、と。
 なるほどと思いました。時代は変わったなあ、と。
 でも、そんなこと言われも困るんですよ。僕は「専門以外のことについて口を出す」ことで飯を食ってきたわけですから。フランスの哲学や文学についてはいくつか論文も書きましたけれど、興味はそこにはとどまらない。ついあちこちに食指が動く。武道論も、教育論も、映画論も、身体論も、マンガ論も、能楽論も、自分の興味の赴くままに、書きました。でも、どれも専門領域というわけではありません。
 武道は四十五年修業していて、自分の道場を持って、数百人の門人を育ててきましたけれど、武道の専門家と名乗るのは今でも恥ずかしい。教育は三十五年それを職業にしてきましたけれど、教育学や教育方法の専門家ではありません。「教壇に立ったことがある」というだけです。映画は若い頃から年間二〇〇本くらいのペースで見てますし、映画についての本も何冊か書きましたけれど、昔から映画の筋も俳優名も観たら忘れてしまう。能楽はそろそろ稽古を始めて二十五年になりますけれど、ただの旦那芸です。
 どの領域でも僕は「専門家」とは言えません。でも、半可通の半ちく野郎ですが、何も知らないわけじゃない。ちょっとは齧(かじ)ったことがあるので、その領域がどういうものか、「本物」がどれくらい凄いかは骨身に沁みて知っています。自分にはとてもできないということはわかる。
 僕の学問だって、こう言ってよければ「旦那芸」です。でも、どの分野についても、その道の「玄人」がどれくらい凄いのか、それを見て足が震えるくらいのことはできます。そこがまるっきりと素人とは違います。自分が齧ってみたことがあるだけに、それぞれの専門家がどれくらい立派な仕事をしているのか、それを達成するためにどれくらいの時間と手間をかけたのかがわかる。そういう半素人です。
 でも、そういう半素人にも存在理由はあると思うのですす。専門家と素人を「つなぐ」という役割です。僕の仕事は『私家版・ユダヤ文化論』も『寝ながら学べる構造主義』も『レヴィナスと愛の現象学』も『若者よマルクスを読もう』(これは石川康宏さんとの共著)も『能楽は楽しい』(これは観世流宗家との共著)も、どれも専門家と素人をつなぐための仕事です。
どの分野においても、僕は専門家ではないけれど、専門家の仕事を読者に噛み砕いてお伝えすることはできる。そうやって底辺を広げることはできる。底辺が広がらないと高度は得られないと思うからです。でも、そういう仕事は「専門家のもの」としては認知されない。そして、たまに「専門領域でもないことについて中途半端に口出しをするな」と叱られる。
 でも、それが僕には納得できないんです。僕のような半素人が一知半解の言説を述べたとしても、そこにいくばくかの掬(きく)すべき知見が含まれていることもある(かも知れない)。それがおもしろいと思う人は読めばいいし、読むに値しないと思う人は読まなければいい。それでいいじゃないですか。「掬すべき知見が含まれているかどうか」は先方が判断することであって、僕が決めることじゃない。ましてや、僕に向かって「決められた場所から出るな」と言われてもおいそれと肯(うべな)うわけには参りません。繰り返し言うように、僕は決められた場所から出て、好きなところをふらふら歩き回ることで食ってきたわけで、「やめろ」というのなら休業補償して欲しい。

 でも、この「おのれの分際をわきまえろ」「身の程を知れ」という恫喝は最近ほんとうによく聞くようになりました。
 小田嶋隆さんが前にツイッターで財務大臣について批判的に言及したら、「そういうことは自分が財務大臣になってから言え」という驚嘆すべきリプライがついていたことがありました。でも、こういう言い方は、たしかに近頃ほんとうによく目にします。
 僕が政治的なことについて発言した時にも「それならあなた自身が国会議員になればいいじゃないか」と絡まれたことがあります。僕の知り合いが、ある有名ユ―チューバーについて批判的なコメントをしたら、「そういうことは再生回数が同じになってから言え」と言われた。ある若手経営者について批判したら「そういうことは同じくらい稼いでから言え」と言われた。
 全部パターンが同じなんです。批判したければ、批判される対象と同じレベルにまで行け、と。だから、「権力者を批判したければ、まず自分が権力者になれ」ということになる。それはいくらなんでも没論理的ではないですか。
「現状に不満」というようなことは現状を変えることができるくらいの力がある人間にしか言う資格がない。無力な人間には、そもそも「現状に不満である」と言う権利がない。こんな言明にうっかり頷いてしまったら、もう「現状を変える」ことは永遠に不可能になります。だって、今あるシステムの内部で偉くなろうとしたら、まずシステムを受け入れ、そのルールに従い、他の人たちとの出世競争に参加して、そこで勝ち残らなければならないからです。勝ち残ることができなくて、途中で脱落すればもちろん現状は変えられない。勝ち残ってしまったら、「自分を出世させてくれたシステム」を変える必然性がなくなる。グルーチョ・マルクスのように「自分を入会させるようなクラブには入会したくない」ということが言えるのはごく例外的な人だけです。ふつうの人は「自分が偉くなれる仕組みはよい仕組みである」と考える。
「現状に不満があったら、まず現状を変えられるくらい偉くなれ」という言明は人を現状に釘付けにするためのものです。人を今いる場所に釘付けにして、身動きさせないための「必殺のウェポン」として論争で愛用されている。実に多く人たちが喜々としてその定型句を口にしている。
 こういうのは時代の「空気」を映し出しているんです。どういう「空気」かというと、「自分に割り振られたポジションにいて、そこから出るな」という圧力です。その圧力が大気圧のように日常化している。日常化しているので、圧力がかかっているということ自体が実感されない。
 共感主義者たちは「和」をうるさく言い立てます。異論を許さず、逸脱を許さない。みんな思いを一つにしないといけない、われわれは「絆」で結ばれている「ワンチーム」なんだ、と。でも、この時に彼らがめざしている「和」なるものは、多様なものがにぎやかに混在して、自由に動き回っているうちに自然に形成される動的な「和」ではありません。そうではなくて、均質的なものが、割り当てられた設計図通りに、決められたポジションから動かず、割り振られたルーティンをこなすだけの、生命力も繁殖力も失った、死んだような「和」です。
「調和すること」と「静止すること」はまったく別のことです。でも、共感主義者たちには、その違いを意図的に混同させています。今の日本社会では「動的な調和」ということは求められていません。求められているのは「割り当てられた場所から身動きしない」ことです。その「檻」を形成しているのが、粘ついた共感です。自他の粘ついた共感による癒着が、人が自由に動くことを妨げている。
 共感なんか、なくてもいいじゃないですか。そんなものばかり求めていると、身動きできなくなりますよ。きちんと条件を定めて、ルールを決めておけば、共感できない人、理解できない人とでも、共生し、協働することはできる。何らかの「よきもの」をこの世に送り出すことはできる。その方が粘ついた共感の檻に閉じ込められて、身動きできずいいることよりも、ずっと愉快だし、有意義だと僕は思います。でも、そのことをアナウンスする人が少ない。


 朝、雪虫が飛んでいるのを見た。もう雪が舞う季節になったのだ。週間天気予報によると15日には最低気温が0℃とか1度になっていた。ひょっとしたらその日が初雪になるのかもしれない。
  

 毎朝、少しづつ数が減っている。そこで昨日数を数えておいた。そして今朝確認すると7個減っていた。これは虫の入っていない実。虫が入ってるのは持ち帰らないのだろうか?入っていれば保存中になくなってしまうから?


「杉田官房副長官、和泉補佐官に政権批判した学者を外せと言われた」学術会議問題を前川喜平氏語る

2020年10月11日 | 社会・経済

 

 

 

  吉崎洋夫2020.10.4 12:42週刊朝日

 菅義偉首相が日本学術会議の推薦した委員の任命を拒否したことを受けて、学術界に激震が走った。政府からの独立を維持してきた学術界をも、菅政権は官僚と同様に支配しようと踏み込んできたからだ。いったい何が起こっているのか。元文部科学省事務次官の前川喜平氏が本誌インタビューで問題点を語った。

*  *  *

 今回の問題は菅政権で起こるべくして起こったという感じですが、手を出してはいけないところに手を出してしまいました。

 安倍政権は人事権によって官僚や審議会を支配してきました。その中心にいたのが菅さんです。気に入らない人間は飛ばす、気に入れば重用する。これは彼らの常とう手段なんです。

 私が事務次官だったとき、文化審議会の文化功労者選考分科会の委員の候補者リストを官邸の杉田和博官房副長官のところにもっていきました。

 候補者は文化人や芸術家、学者などで、政治的な意見は関係なしに彼らの実績や専門性に着目して選びます。それにもかかわらず杉田さんは「安倍政権を批判したから」として、二人の候補者を変えろと言ってきました。これは異例の事態でした。

 他にも菅さんの分身とも言われる和泉洋人首相補佐官が文化審議会の委員から西村幸夫さんを外せ、と言ってきたこともありました。西村さんは日本イコモス委員長です。安倍首相の肝入りで「明治日本の産業革命遺産」が推薦され、15年に世界遺産に登録されましたが、この産業革命遺産の推薦を巡り難色を示していたのが、西村さんでした。任期が来たときに、文科省の原案では西村さんを留任させるつもりでしたが、和泉さんが「外せ」といい、外されました。

 官僚についても同じようなことを繰り返してきましたよね。本来、内閣から独立している人事院を掌握し、「憲法の番人」と言われた内閣法制局も人事で思い通りにした。成功体験を積み重ねてきた。それで検察の人事にも手を出したが、これは失敗。でも、まだ諦めていないでしょうね。そしてその支配の手を学問の自由にも及ぼそうとしている。

今回も官僚や審議会の人事に手をつっこむような感じでやってやろうと思ったんでしょうね。しかし、致命的なのは、日本学術会議が科学者の独立した機関だという理解がなかった点です。

 憲法では「学問の自由」「思想の自由」が保障されている。国家権力が学問や思想を侵害してはならないとなっている。だから、日本学術会議の独立性は強いんです。

 しかし、今回の任命の問題は、日本学術会議の独立性を脅かすことになる。日本にいる約87万人の科学者を敵に回したといっても過言ではありません。安倍さんも菅さんも法学部出身なのに、憲法を理解していないんでしょうかね。授業中、寝ていたのでしょうか。任命しないというのであれば、その理由をはっきりと説明するべきです。

 日本学術会議法には「会員は(日本学術会議の)推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあります。「推薦に基づいて、任命する」というのは、原則的に、「推薦通りに任命する」ということを意味します。

 総理大臣の任命についても、憲法に「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」とありますが、天皇陛下は拒否することはできません。「推薦に基づいて~」というのは、推薦通りに任命するのが原則なんです。

 1983年の国会答弁を見ても、「推薦をされたように任命する」ということを政府が認めています。ただ、100歩譲って、任命しないというのであれば、日本学術会議が推薦した以上の理由をもって、説明しないといけない。彼らは学術的な実績を理由に推薦を受けています。その実績に「論文を盗用していた」などの明らかな問題があれば、拒否する理由になるでしょう。

 日本学術会議は内閣総理大臣の所轄です。菅さんには推薦を拒否する理由を説明する責任がありますが、「自分たちの意に沿わないから」という以上の理由を説明できないでしょうね。

 政権にとって都合の悪い人間を排除していけば、学術会議が御用機関となります。それでは彼らの狙いは何か。それは、軍事研究でしょう。

政府は日本の軍事力強化に力を入れてきています。防衛省では15年に「安全保障技術研究推進制度」を導入しました。防衛省が提示するテーマに従って研究開発するものに、お金を提供する制度です。導入当初は3億円だった予算規模は、今では100億円にもなっています。

 他方で、日本学術会議では、1950年と67年に「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」と、「軍事目的のための科学研究を行なわない声明」の二つの声明を出している。戦争に協力した反省からです。2017年にはこの二つの声明を継承することを表明しています。

 このときの日本学術会議会長の大西隆さんは「自衛目的に限定するなら、軍事研究を容認していい」という考えでしたが、他の委員から反対があり、「認めるべきではない」となった。

 菅政権にとっては学術会議のこういった人たちが目の上のたんこぶなんですね。最終的には日本の大学で軍事研究を進め、独自の軍事技術を持って、兵器をつくっていきたい、ひいては戦争に強い日本をつくりたいのでしょう。

 学者の方々は官僚のように“大人しい羊の群れ”ではないので、一筋縄ではいかないと思います。今回任命されなかった方々は憲法学者や刑法学者、行政法学者など日本のトップクラスの人たちです。

 しかし、今回の任命拒否は非常に怖いものでもある。1930年代に起こった滝川事件や天皇機関説事件といった学問の弾圧を思い起こさせる。大学や学術の世界を国の意向に沿ったものにしようとしている。

 安倍政権では集団的自衛権や検事長の定年延長について、憲法や法の解釈を都合よく変更してきました。定年延長では法を変えようとまでした。今度は日本学術会議法まで変えようとするかもしれません。

 今回の問題は、これまでの人事とは異次元の問題と見るべきだと思います。

(構成・本誌 吉崎洋夫)

※週刊朝日オンライン限定記事


 


「呪いの言葉」に支配されず、政治参加に向けた私たちの言葉を持とう

2020年10月10日 | 社会・経済

上西充子(法政大学キャリアデザイン学部教授)

Imidas オピニオン 2020/10/08

 このところ考えている。私たちは、「政治には関わらない方がよい」という感覚へと、無意識のうちに誘導されているのではないか、と。

政治をめぐる「呪いの言葉」

 私たちは、政治的な発言をすると面倒なことになると思わされている。政治的なことには関わらない方が無難だと思わされている。自分が何を言っても、何をしても、誰に投票しても、どうせ社会は変わらないと思わされている。

 あえて「思わされている」と書いた。「思っている」ではなく。なぜなら、政治をめぐる「呪いの言葉」があふれているからだ。

「呪いの言葉」とは、人の思考の枠組みを縛ってしまう言葉を指す。「親に言われ続けたあの言葉に、自分はずっと苦しめられてきた」――例えばそういう時に、「呪いの言葉」という表現が使われる。若い人にとってはなじみのある表現だ。

 私は『呪いの言葉の解きかた』(晶文社、2019年)において、「嫌なら辞めればいい」のような「労働をめぐる呪いの言葉」や、「母親なんだからしっかり」のような「ジェンダーをめぐる呪いの言葉」、そして「デモに行ったら就職できなくなるよ」のような「政治をめぐる呪いの言葉」を取り上げ、そういった「呪いの言葉」の呪縛からどうみずからを解き放つことができるかを漫画やドラマ、事例を手がかりに考えた。

 「呪いの言葉」は本当の問題を巧妙に隠し、「それはお前の問題だ」と枠づけて、相手を心理的な葛藤の中に陥れる。その罠にかからず、相手が勝手に設定した土俵にうっかり乗ってしまわずに、「これはあなたの問題だ」と、相手に返していくことが重要だ。

 例えば「嫌なら辞めればいい」と言われたら、「辞めるわけにはいかないんです」のように自分の問題としては答えず、「あなたが部長のパワハラをやめさせれば済む話ですよね?」とか、「あなたがもうひとり雇えば済むのでは?」などと、相手が答えなければならない形での切り返し方を考えてみよう。すると、隠されていた本当の問題が可視化されてくる。

 実際にそのような切り返しの言葉を口にするのは危険な場合もあるので注意が必要だが、そういう切り返し方を頭の中で考えてみることを繰り返していくと、「呪いの言葉」の目的が相手を黙らせること、孤立させること、葛藤させること、本当の問題から目を逸らさせることにあることが、次第に見えてくる。

 そういう頭の切り替えはひとりではなかなか難しいので、できれば誰かと一緒にワークショップ的にやってみるとよい。オンラインでのワークショップを飯田和敏(立命館大学教授)と企画して9名で行ってみた様子がYouTubeに「呪いの言葉の解きかたゲーム」としてあげられているので、参考にしていただきたい。

野党を貶(おとし)める呪いの言葉

 政治をめぐる「呪いの言葉」を、その目的に応じて大きく2つに分けて見直してみよう。1つ目は、「野党を貶める呪いの言葉」だ。

「野党は反対ばかり」「野党はパフォーマンスばかり」「反対するなら対案を出せ」「いつまでモリカケ桜やってんだ?」「野党はだらしない」「野党は18連休」、等々。

 これらは一見したところ、「野党はちゃんと仕事しろ」と言っているように聞こえる。けれども、そう聞いてはいけない。そのように捉えてしまうと、相手の土俵にうっかり乗ってしまう。

「野党は反対ばかり」と言うが、そう言う人は、与野党対決となっている審議中の法案について、自分の賛否を示すわけではない。「この法案になぜ反対するのか、おかしいだろう」とも言わない。「野党は反対ばかり」と言うのは、野党に対して、漠然とネガティブなイメージを広げることをねらった言葉だ。

 具体的に考えてみよう。例えば野党は、残業代ゼロの長時間労働を促進する危険がある高度プロフェッショナル制度の創設を含む働き方改革関連法案に反対した。官邸の恣意的な人事によって司法がゆがめられる恐れがある検察庁法改正案に反対した。しかし、「野党は反対ばかり」と言う人たちは、そういう一つ一つの与野党対決法案について、「賛成しろ」と言うわけではない。「反対するのはおかしい」とも言わない。

 そして、実際には野党が賛成している法案の方が多いにもかかわらず、「野党は反対ばかり」と、事実と異なるイメージを流布させる。結局のところ、「野党は反対ばかり」とは、「野党には存在意義がない」と思わせるための言葉に過ぎない。

 だから「野党は反対ばかり」と言われたら、相手の土俵に乗って「賛成している法案の方が多いんですよ」と返すのではなく、「こんな法案に、あなたは賛成なのですか?」と問うてみるといい。「いつまでモリカケ桜やってんだ?」と言われたら、「コロナもやっています」ではなく、「公文書の改竄(かいざん)や隠蔽(いんぺい)を、あなたは問題ないと考えるのですか?」と問うてみるといい。相手の土俵に乗らずに、相手が隠そうとしている問題、見えなくさせている問題を、可視化させることが大切だ。

 「反対するなら対案を出せ」という言葉も検討しておこう。野党は、実際には対案を出している場合もある。しかし、その対案は与党が多数派を占める国会では、そもそも審議にかけられない場合が多い。そういう事情を知らずに、あるいは知っていても知らせずに、「反対するなら対案を出せ」と言い募ることは、これもまた、「野党には存在意義がない」と思わせる意図があると理解できる。「反対するなら対案を出せ」と言う人は、実際に野党が出している対案を見て、「この対案はここがダメだ」とか「この対案は良いものだから与党はまじめに検討せよ」などとは言わない。

 それに、本来ならば、「変えるな」というのも立派な対案だ。変えるべきでないことは変えない。慎重な検討が尽くされていないものは、性急に変えるべきではない。それだって本当は立派な対案であるのに、「反対するなら対案を出せ」という言い方につられると、そういった見方ができなくなってしまう。

変えるべきでないものが数の力で変えられようとするとき、野党は審議拒否という手段に出ることがある。野党が取ることができる、数少ない抵抗手段だ。「野党は18連休」という言い方は、ただ野党がさぼっているかのように見せる言い方だが、審議拒否という戦術は、機を見て慎重に選択され、その中で野党は力関係を変え、状況を動かそうとする。辻元清美衆議院議員の著書『国対委員長』(集英社新書、2020年)に、その様子が具体的に書かれてある。「野党はだらしない」という曖昧な言葉も、ネガティブなイメージを広げる。野党にしっかりしてほしいと願う人であれば、「野党はしっかりまとまれ」とか、「野党はしっかりビジョンを示せ」とか、より具体的に指摘すべきだ。
 メディアが多用する「野党は反発」という表現も考え直してほしい。まるで正当な理由もなく感情的に騒いでいるだけのように見える。「抗議」「反対」「反論」「批判」など、同じ字数で他により適切な言い換えはできる。

「煙幕」となる「呪いの言葉」の向こうにある事実に目を向ける

 上記のような「野党を貶める呪いの言葉」が氾濫すると、野党に存在意義はなく、野党議員に投票することには意味がないように、あるいは恥ずかしいことのように、思わされてしまう。国会を見ることにも意味がないように思わされてしまう。
 けれども、実際の国会質疑を見れば、野党は過労死から労働者を守るためであったり、官邸による行政の私物化を防ぐためであったり、新型コロナウイルス感染症の影響により休業を余儀なくされた事業者や労働者の生活を守るためであったり、大事な論点で質疑を行い、政府に対応を求めている。そしてその論点に私たちが注目し、意見表明を行うことによって、世論が動き、事態が変わることもある。働き方改革関連法案から裁量労働制の対象拡大が削除されたことや、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の中で、収入が減少した世帯への30万円の給付案が特別定額給付金10万円の支給へと変更されたこと、検察庁法改正案が廃案となったことなどはその例だ。
 私は働き方改革関連法案が国会で審議されていた際に、広く市民に質疑を見て問題を考えてもらいたくて、そして論点をずらして問題に向き合わない政府側の不誠実な答弁を見てもらいたくて、街頭で国会質疑を解説つきでスクリーン上映する「国会パブリックビューイング」の取り組みを始めた。2018年6月のことだ。その後も入管法改正案や毎月勤労統計不正問題、桜を見る会問題などを街頭上映で取り上げてきた。その様子はYouTubeのチャンネル(国会パブリックビューイング)にあげている。『国会をみよう 国会パブリックビューイングの試み』(集英社クリエイティブ、2020年)にもその活動とそこで取り上げた国会審議の実情を紹介した。


 その私からすれば、「野党は反対ばかり」のような「呪いの言葉」は、国会で何が行われているかに目を向けさせないための「煙幕」に思えてならない。大切なのは、隠そうとしているものを可視化させることだ。その煙幕の向こうにある実際の国会審議に私たちが目を向け、野党が、そして政府・与党が、実際に何をしているのか、大事な論点がどのように扱われているのかを、みずから確認することだ。そしてみずから考えることだ。

市民の政治参加を萎縮させ、あきらめを誘う呪いの言葉

 政治をめぐる「呪いの言葉」の2つ目は、「市民の政治参加を萎縮させ、あきらめを誘う呪いの言葉」だ。「デモに行くより働け」「デモで世の中は変わらない」「デモに行くと就職できなくなるよ」「デモは迷惑」「売名行為だ」「左翼」「反日」「〇〇も知らないくせに」「応援していたのに残念です」「選挙で勝ってから言え」「だったらお前が国会議員になってみろ」等々、私たちが政治に関わる行動を取ったり発言を行ったりすると、それを否定しにかかる「呪いの言葉」がSNS上で見知らぬ人から投げつけられる。そういう言葉を投げつけられることが予想されるため、行動や発言を控える人も多いだろう。
 しかし、投票に行くことだけが容認され、その他の政治的な行動や発言は叩かれるというのは、考えてみれば異常なことだ。私たちには言論の自由も集会の自由も憲法によって保障されているし、日頃から政治について考える機会があった方が投票行動も適切に行えるだろう。なのに、権力者の意に沿わない行動や発言が、目障りなものとして、誰だかわからない匿名の人たちによって、寄ってたかって口汚く非難される。なぜか。
 権力を獲得した側からすれば、選挙とはみずからの権力が脅かされる可能性がある節目だ。自分たちに投票してくれる人たち以外には実際のところ、投票には行ってほしくないだろう。そのため、日頃から市民には、自分たちと対抗する勢力への投票につながりそうな形での政治的な問題意識は、持ってほしくないだろう。
 そのような権力者の意向と、声を上げることを萎縮させるような「呪いの言葉」の氾濫に、直接的な関係があるかどうかは不明だ。しかし、「おかしい」と声を上げる者はおびえを乗り越えて発言しなければならないのに対し、「うるさい」と批判する側はおびえとは無縁だ。そこには明らかに非対称的な関係がある。
 2000年夏の第42回衆議院議員総選挙の際、森喜朗首相(当時)は投票日5日前の講演で有権者の投票態度について、「まだ決めていない人が四〇%ぐらいある。そのまま(選挙に)関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいいんですけれども、そうはいかない」と発言した(朝日新聞2000年6月21日朝刊)。この発言は問題となり、自民党はこの選挙で大きく議席を減らしたのだが、日頃は口に出さないだけで、それは政権与党の本音だろうと思われる。
 そして、自民党が民主党から政権を奪還し、第二次安倍政権を生み出すこととなった2012年の第46回衆議院議員総選挙以降、下記の総務省のグラフに見る通り、投票率は低迷傾向を強めており、与党のねらい通りとなっているように見える。特に若い世代の投票率が低い。それは「政治に関わらない方がいい」と思わせる「呪いの言葉」がネット上にあふれていることと、無関係ではないと私は思う。

政治参加に向けた「私たちの言葉」を

 こういう状況は変えていく必要がある。誰が発しているのかも判然としないような定型の「呪いの言葉」に思考を誘導されたり萎縮させられたりしている状況は、健全ではない。私たちは主権者として、みずから社会を変えていく力を持っており、社会をよりよい方向へと変えていく責任がある。
 しかし、政治をめぐる「呪いの言葉」があふれている一方で、「私たちが政治に関わることが大切だ」と思わせるような言葉は、今の日本においては、とても少ない。
 言葉は認識を形づくる。「政治には関わらない方がよい」と思わせる言葉が意図的に流布され、そのような言葉によって私たちが政治から遠ざけられている現状を、私たちが「おかしい」と認識でき、自分たちが政治を変えていく主体であると認識できる言葉が、私たちには必要だ。
 ラッパーのECDは、2012年2月20日に「経産省別館原子力保安院前抗議行動」で、「言うこと聞かせる番だ俺たちが」とラップを披露した。

「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」は関係を断とうとする言葉。「言うこと聞かせる番だ俺たちが」は関係を持とうとする言葉。

と、彼は2012年12月20日にツイートしている。
 2018年4月に財務省セクハラ問題で麻生太郎大臣が「はめられた可能性がある」と二次加害につながる発言を平然と行ったときには、新宿駅東口・アルタ前で「#私は黙らない0428」と題した集会が若者たちの手によって開催された。その中でフェミニストの福田和香子は、

私は、私が誰であるのかを他の者に決めさせない。

と語り、

あなたの考えは、あなたの言葉は、あなたの行動には、常にパワーがある。何かを変えるだけのパワーが、いつも備わっている。必ず覚えておいてほしい。

と訴えた。(福田和香子ブログ:fem Tokyo「#MeToo #私は黙らない0428」より)


 次にあげるのは政治をめぐる文脈の中で語られたものではないのだが、政治参加を支え、促すことにもつながりうる2つの言葉を、ここに加えておきたい。私が『呪いの言葉の解きかた』の中で紹介した言葉だ。
 1つは、やまだ紫が1981年から1984年にかけて発表したコミック『しんきらり』(再録として、やまだ紫選集『しんきらり』小学館クリエイティブ、2009年など)の最後の言葉だ。
 「妻」「嫁」「家」「親」……そんな言葉に縛られることへの違和感を抱え続けた専業主婦のちはる。パートに出て、後にその職を失う、そういう経験のあとで彼女は、穏やかな表情で夫に向きあって、こう語る。

仕事をしてみるようになって 気が付いた……
わたしは自由だったんだ

 押し付けられた役割の呪縛に苦しんできたちはるだが、実はみずからその呪縛の中にはまっていたことに、気づいたのだと私は思う。
 もう1つは、海野つなみのコミック『逃げるは恥だが役に立つ』第9巻(講談社、2017年)の土屋百合の言葉だ。アラフィフの百合が親子ほども年が離れた男性の思いを受け入れて、「あなたが好きなの」と口にすることを決意するときに、彼女は心の中で、こうみずからに語りかける。

周りに遠慮せず 自分の判断で自由に生きて
失敗したらそれも ちゃんと受け止める
それが大人ってもんでしょ

あたしがなりたかったのは
そういう大人でしょう

 こういう言葉を前にすると、政治をめぐる数々の「呪いの言葉」が、一挙にその効力を失う。そして、そんな呪いの言葉で思考を誘導したり萎縮をねらったりすることの卑劣さが、浮かび上がってくる。
  私たちを、無意識のおびえから解放する言葉。私たちが、みずからの声を取り戻すことにつながる言葉。私たちに、見えていなかった別の未来を展望させる言葉。そういう言葉を、私たちはさらに、意識的に豊かにしていく必要がある。一人ひとりが、これは私の言葉だと思えるような、そんな言葉が私たちには必要だ。


今朝のハウス内最低気温2.9℃でした。霜は降りていませんでした。


 雨宮処凛がゆく!  第535回:任命拒否という「見せしめ」〜日本学術会議の問題が投げかける菅政権のメッセージ〜の巻

2020年10月09日 | 野菜・花・植物
 
マガジン9  
  https://maga9.jp/201007-1/
 

 菅政権が始まったばかりだというのに、「末期症状」と言いたくなるようなことが続いている。

 例えば9月末の自民党議員・杉田水脈氏の「女性はいくらでも嘘をつけますから」という発言。その後、杉田議員はブログで謝罪したものの、これまでも多くの失言が見られた杉田議員に対して、自民党は口頭注意をしただけだ。

 そんな騒動と同時進行で起きたのが、日本学術会議の任命拒否問題。

 拒否された6人は、それぞれ政府の方針に異を唱えた経緯があったことが注目されている。翌日のワイドショーなどでは、「こういうことをしたから拒否されたのでは」などの憶測が飛び交っていたが、それを見ながら、私は静かに戦慄していた。こんなことがまかり通ってしまうのであれば、「政府を批判した」事実そのものがゆくゆくは「前科」のような扱いになっていくのでは、と。

 安倍政権の後半くらいから、常々思っていたことがある。それは、近い将来、政府批判をする人たちは「反社会性〇〇障害」みたいな形で「病気」「精神疾患」というレッテルを貼られていくのではないかということだ。そういう形にすれば言論は無効化され、場合によっては予防拘禁さえ可能になるかもしれない。そのようなことを漠然と考えていた身にとって、見せしめ的な排除がこれほど露骨に始まったことに戦慄したのだ。

 その矢先、今度は菅総理が記者たちとともにパンケーキ朝食会。ああ、ここまで来たか……と遠い目になった。

 この8年間、安倍政権は「敵」を名指し続けてきた。「日教組、日教組!」というヤジや選挙での「こんな人たち」発言。それだけではない。私たちはこの8年間、テレビから安倍批判をする人々が消えるのを見てきた。

 例えばネット上で多くの人から執拗な攻撃を受けている香山リカ氏は、『創』10月号の連載で以下のように書いている。

 「ここ十数年、とりわけこの5〜6年、私はネットを中心に多くの批判を浴びてきた。本を書いたり新聞でコラムを連載したりしているので批判は当然とは思いながらも、あまりの量、質に『なぜここまで』と少しは痛手を受けることもあった。たとえば、ある放送局の番組に出たところ、その制作部署とはまったく関係ない政治部からトップの人間が飛んできて、私の出演に関して周囲にも聞こえるような声で嫌みを言った、と担当ディレクターが教えてくれたことがある。そんなことがあると、当然、その部署のスタッフは『この人をキャスティングすると厄介なことになるんだ』と思い、控えるようになるだろう」

 それだけではない。自治体などが主催する講演が、妨害予告を受けて中止になったことも一度や二度ではないという。

 香山氏は、第二次安倍政権発足時、安倍元首相にSNSで「論外」と名指しで批判されている。

 メディア出演の場、講演の場を奪われることは、口を塞がれるのと同様に収入を失うことでもある。その点、香山氏は精神科医であり大学教員でもあるから収入面の心配はなさそうだ。しかし、もしこれがメディア出演が収入の多くを占める言論人だった場合、どうなっただろう? 仕事を失うことを恐れ、積極的に「政権寄り」の発言をするようになるかもしれない。実際、メディアには、この8年間でそのような人が目に見えて増えた。「批判が許されない空気/批判したら干されるかもしれない空気」は、菅政権で強化されることはあってもなくなることは決してないだろう。

 となると、今後、多くの人が「寝返って」いくかもしれないという「最悪の予想」もしている。多くの言論人は、香山氏のように医師ではない。大学教員は多いが、そうでない言論人は自然と口をつぐむようになってしまうかもしれない。私はこのような空気が、率直に、非常に怖い。それぞれが牽制し合い、時に密告するような空気が「勝手に」作られていったら。それはほぼ地獄である。

 もう一人、政権側の「見せしめ」として思い浮かぶのは前川喜平氏だ。前川氏と言えば、文部科学事務次官だった2017年、加計学園問題の「総理のご意向」文書の記者会見を開いたら「出会い系バー通い」が新聞や週刊誌で報復のように報じられた人である。前川氏はバー通いを女性の貧困調査と主張し、実際、のちにバーで前川氏に話を聞かれていた女性もメディアに登場して前川氏の潔白を訴えたわけだが、「バー通い」が報じられた際の菅氏の「冷笑」を、私は今も覚えている。

 「貧困問題のために出会い系バーに出入りし、かつ女性に小遣いを渡したということでありますが、さすがに強い違和感を覚えましたし、多くの方もそうだったんじゃないでしょうか。常識的に、教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りし、小遣いを渡すようなことは到底考えられない」

 一人の人間の社会的生命を奪うには十分すぎる、侮蔑に満ちた表情だった。普段、滅多に顔に感情を出さない菅氏だったからこそ、この時の意地悪な笑いは非常に強く印象に残っている。

 ちなみにこの騒動からだいぶ経った後も、記者が前川氏について質問した際、菅氏が心からバカにしたように「あの人は、だってああいう人ですから」というようなことを薄笑いを浮かべて言うのを見たことがある。その顔を見て、ある一人の人間の発言や力を「無効化する」って、こういうやり方でやれてしまうんだ、と心底怖くなったことを覚えている。

 そんな表情は、官房長官時代、特定の記者に対してもなされてきた。東京新聞の望月衣塑子記者だ。彼女の質問に対して、「あなたに答える必要はありません」などと発言してきた菅氏。それだけでなく、気に入らない質問をする人に対してわざと黙る、その人がトンチンカンな質問をしているかのような空気をあえて作り出す、という手法は嫌というほど目にしてきた。そんなものを見るたび、なぜ、これほどの嫌がらせが公然と行われていることに誰も異議を唱えないのだろう、と心底不思議に思ってきた。

 当たり前だが、安倍元総理も菅総理も、その立場ゆえ、莫大な影響力を持っている。

 そんなふうに力を持つ者は、その権力を決して個人攻撃に使ってはいけないと私は思う。しかし、その大前提すらこの8年で崩れ、今、さらにタガが外れているように思えて仕方ない。

 この8年の流れから日本学術会議の問題を見ると、任命拒否は「これからさらに激しく個人攻撃を始めるからせいぜい気をつけろ」という政権のメッセージにすら思えてくるのだ。第二次安倍政権は、発足早々「生活保護基準引き下げ」を発表することで「弱者は見捨てるぞ」というメッセージを打ち出し、実際、そのような政治が行われてきた。が、菅政権のメッセージはさらに悪質ではないだろうか。

 今、とても不安だ。どうか「最悪の予想」が当たりませんように。祈るように思っている。


 昨日、栗の実をこのように盛り付けて道路脇に置いておいたのですが今朝見たら半分ほどなくなっています。人間様だったら全部持っていきますよね? ではだれが?
エゾリスでしょうか?

庭にこんなものがありました。なんでしょう? 草丈は1mくらいです。


コロナ禍の自殺 30代以下の女性が7割も増加した4つの事情

2020年10月08日 | 社会・経済

人生100年時代の歩き方

日刊ゲンダイDIGITAL 2020/10/08 

 先月、女優の竹内結子さん(享年40)と芦名星さん(同36)が急逝した。いずれも自死とみられている。最新の発表でも、子育て中や働き盛りの女性の自殺が増えているが、なぜなのか――。

■派遣雇い止めが経済を直撃

 警察庁によると8月に自殺した人は全国1854人で、昨年同月比16%増加した。とくに女性が急増し、男性は同6%増だったが、女性は40%増。さらに30代以下の女性に限れば、107人から189人へと76%も増えた。

 厚労省は、新型コロナウイルス感染拡大に関連した解雇や雇い止めが、6万439人(9月23日時点)になったと発表。8月には5万人を超え、急速な増加を続けている。

 2019年の女性の就業者数は2992万人。うち、非正規雇用者の割合は56・4%に上り、1687万人は契約・派遣社員ということになる。男性の非正規雇用者は22・3%だから、派遣の雇い止めは女性に大きな影響を与えたといえる。

「もともと男性の自殺者が多いのは、仕事の人間関係や責任、家計を支えるための経済問題を理由にしているケースが大きかったからです。しかし、30代の独身女性や共働きが中心世帯になっており、生活の責任を負うことにプレッシャーを感じる女性が増えています。ここにきての派遣切りは精神的なダメージが大きい。通常時に比べてコロナ禍で再就職先の見通しを立てられなくなったわけですから……」(精神科医の和田秀樹氏)

また、派遣社員は派遣会社とのつながりは薄く、派遣先とも契約を切られてしまえば、会社員のように仕事の悩みを上司や同僚に伝えることも難しい。不安だけが残り、孤立する。そして、自分自身を追い詰めてしまうという。

■自粛生活で会話ができないストレス

 リモートワークを推進する企業が増えて、自宅にこもる時間が長くなった。仕事のやりとりも友人とのコミュニケーションも、ZoomやLINEが中心となった。

「表情を読み取れる距離でのコミュニケーションができなくなりました。『つらい』と言っても、相手には深刻な様子を察するのが難しい。とくに女性は男性よりも、会話によって心理的不安を緩和させる特徴が強く、気軽な雑談ができないのもストレスになります。

 さらに30代女性の独身の割合も増えました。彼女らは中堅社員として仕事のストレスもあり、結婚など将来の不安も募る上、自宅にいる時間が増えて話し相手がいないことで、社会的孤立を感じやすくなっているといえます。

 また心理学的に、自殺するときは、その瞬間まで『誰かが止めてくれるのではないか』という意識がよぎっていると考えられています。日常であれば周囲が駆け付けたり、異変を察知して飲みに誘ったり、救うことができる場合でも、コロナ自粛で機会は激減しました。コロナによって、『誰も助けてくれない』とネガティブに陥りやすい環境になってしまったのです」(明大講師の関修氏=心理学)

「いのちの電話」も第三者に悩みを話すことで“気休め”にはなるが、とりわけ女性には、根本的な解決にはならないと指摘する。

「男性は、知り合いに悩みを知られたくないと考える傾向が強い。そのため、パブリック空間の相談も解決につながりやすいですが、女性は身近な人に個人的に心配されることで、不安感を取り除くことができるケースが多いと考えられています」(前出の関修氏)

 そもそも、本気で自殺を決意している人はパブリックな相談窓口に電話すらかけられない状態にある。女性には身近な声掛けが大事だという。

史上最多の猛暑日による「季節性うつ」

 気候変動と自殺には相関関係がある。米スタンフォード大学のマーシャル・バーク博士らの研究チームによる論文(2018年)では、〈月間平均気温が上昇すると自殺率が増加する〉という。米国とメキシコで採取したデータを分析し、月間平均気温が1度上昇すると自殺率は米国で0・7%、メキシコでは2・1%増加することが分かった。

 また、カリフォルニア大学バークリー校の研究者タマ・カールトン氏の論文(17年)は〈インドの過去30年の6万人の自殺者に気候変動が影響した〉と結論付けている。20度を超える気温では、1日の気温が1度上昇すると平均70件の自殺が増えるという。

 日本でも今年は全国的に猛暑日が長引き、東京都心で35度以上の日数は観測史上最多を更新した。

「気圧の変化によってうつ病を引き起こす『季節性うつ』が自殺率を上昇させることは多くの文献で証明されています。生理学的に女性ホルモンに作用し、女性の方が太陽の光や温度による影響を繊細に受けやすいことも分かっています」(前出の関修氏)

 季節性うつには「夏季うつ」と「冬季うつ」があり、前者は女性が男性の3倍、後者も1・5倍の患者がいるというデータもある。この夏の猛暑によって心身の不調に悩まされた女性が増えた可能性はある。

外出ができず病院敬遠

 厚労省の「自殺対策白書」によると、19年の自殺者数は、男性が1万4826人、女性は6495人だったが、自殺者の自殺未遂歴の有無でみると男性が14・5%に対し、女性は29・6%と2倍の多さだ。

女性はホルモンバランスの乱れで、気分の落ち込みや衝動的な気持ちの変化が起きやすい。ただし、男性よりもSOSを出しやすいので周囲のサポートや病院で薬を処方してもらうなど処置も受けた分、最悪の事態にならないケースが多かったというが……。

「政府のコロナ対策にも問題があると思います。“感染しないことだけ”を意識した対策で、外に出ないことや外食などは避けて他人となるべく話さないことを要請してきました。これらはメンタルには悪いことですが、女性の方がリスク管理が高く、周囲(近所)の目も意識しがちなので、自粛に厳格に従っている人が多かったと考えられます。自殺未遂(希死念慮)の患者さんは女性が圧倒的に多いですが、この自粛下で感染予防のために精神科の病院にかかることができなかったのです。

たとえば、竹内結子さんは出産後8カ月のお子さんがいて、産後の不安も原因ではないかという報道がありました。実際、うつはセロトニンの低下が原因ですので、ホルモンバランスを整える薬を処方します。薬でかなり症状が治まるので、病院に来ることをすすめていますが、現状では外出を我慢してつらい思いを抱えて過ごしている女性は多いでしょう」(前出の和田秀樹氏)

妻の異変に気付くには「食欲の低下」「睡眠不足(夜中に何度も起きているなど眠りが浅い)」「涙目のときが多い」などの症状がないかを気を付けてみること。また、遠方の一人暮らしの娘には、こまめに連絡を取って声を聞くことが大事だという。

【相談窓口】

■日本いのちの電話連盟

ナビダイヤル 0570・783・556

  午前10:00~午後10:00

フリーダイヤル 0120・783・556

  毎日:午後4:00~午後9:00

  毎月10日:午前8:00~翌日午前8:00


雨宮処凛-生きづらい女子たちへ 「沈没家族」が教えてくれること〜カオスの中の共同保育

2020年10月07日 | 社会・経済

Imidas連載コラム 2020/10/06

「沈没家族」を知っているだろうか。

 1990年代のサブカルチャーや中央線カルチャーに詳しい人、また「だめ連」界隈をよく知るという人たちにとっては「懐かしい!!」と悶絶したくなるキーワードではないだろうか。

 沈没家族。それは90年代の東京・東中野に現れた謎の子育てコミュニティー。シングルマザーの加納穂子さんが、「あなたも、一緒に子育てしませんか?」とチラシを撒いたことが始まりだ。それを見て集ってきた当時の若者たちは、ゆるい感じで生後8カ月の男の子の子育てに関わり始める。

 当然、子育て経験など皆無という若者たちがシフトを組み、穂子さんが働きに行く間や夜間の専門学校に通う間にやってくる。そこでお酒を飲んだりみんなと喋ったり。交流の場であり、シェルターのような機能も果たし、「タダ飯にありつける」貴重な場としての沈没家族に、多くの人が関わった。

「沈没家族」という秀逸な名前の由来は、ある政治家の言葉。

    「いまの日本は家族の絆が薄くなっている。離婚する家庭も増えている。男は外に働きに出て、女は家を守るという伝統的な価値観がなくなれば日本は沈没していく」

 こんな価値観を笑い飛ばした彼ら彼女らは「沈没家族」と名乗るようになる。この試みは90年代末、多くのメディアで取り上げられた。もちろん、当時から私も知っていた。

 ちなみに90年代後半、私は東中野の隣駅・中野でフリーターをしていた。当時、愛読していたサブカル系雑誌に、沈没家族はよく登場した。そんな沈没家族には、だめ連界隈の人々も集っているらしかった。「だめ連」とは、就職や結婚からいち早く「降りた」ことを宣言していた若者たちのゆるいつながり。当時、やはり多くのメディアで彼らの存在は「新しい生き方」として注目されていた。そんな人たちが次の遊びとして選んだのが「共同保育」のようにも見えた。

 たった一駅隣で、自分と同世代の人たちによって、何かすごく実験的なことが行われている。時給1000円程度でレジ打ちなどをしていた当時の私はものすごく興味を駆り立てられていた。だけど、参加する勇気はなかった。参加するには、何か特別な、中央線文化に詳しい言葉や背景を持っていないといけないのだと思っていた。

 北海道出身の高卒フリーターの私にはそんなものは微塵もなくて、メディアで騒がれる、貧しくとも楽しそうな彼ら彼女らに、うっすらとした嫉妬心をかきたてられていた。そうして気がつけば、「沈没家族」という言葉を耳にすることはなくなって、その存在自体、忘れていた。

 あれから、約20年。

「その人」に会ったのは、数年前の年末、だめ連界隈の忘年会でのことだった。高円寺の汚い雑居ビルの一室にブルーシートを敷き、馬鹿デカいアルミの鍋に肉も魚も野菜もぶち込んで食べるような、そんな忘年会だった。参加者は2、30人。私と同世代の40代が多く、多くが定職がないか無職で、平均月収はおそらく10万円以下という、「だめ連の20年後」みたいな人々ばかりが集まった会だった。そんなだめ連界隈の人々と、この十数年で私はすっかり仲良くなっていた。

 その忘年会の一角に、若者がいた。誰かが、そのガタイのいい若者を私に紹介してくれた時、耳を疑った。なんとその彼は、沈没家族で0歳から8歳まで共同保育をされた子どもだというではないか。若者は、「加納土です」と名乗った。当時のメディアを通して、赤ちゃんや幼児の姿しか知らなかった「土くん」は、約20年後、立派な青年となり、全身から「好青年オーラ」を醸し出していた。しかも現在は大学生だという。私はただ、震えるほどに感動していた。

 約20年前、東中野で若者たちのノリや悪ふざけが多分に含まれる感じの沈没家族で育ったあの子が、今、これほどに「普通」に育っているなんて。

 それからしばらくして、土さん は『沈没家族』というドキュメンタリー映画を撮り、2019年に劇場公開された(『沈没家族 劇場版』ノンデライコ配給)。映画の中、土さんは自分を育てた大人たちと「再会」していく。なぜ、今の自分とそう年の変わらない若者たちが共同保育なんて無謀な試みに足を突っ込んだのか。映画のチラシには「知らないオトナに育てられ、結果、ボクはスクスク育った」というコピーがあった。

 そうして20年8月、土さんは『沈没家族 子育て、無限大。』(筑摩書房)という書籍を出版した。

 これを読んで、私は改めて土さんのお母さん・穂子さんが自分の3歳年上で、わずか22歳で土さんを産んだと知った。そして彼女の母親は女性史の研究者として有名な加納美紀代さんだということも。本を読んで、私は、1990年代からずーっと言語化できなかった、妊娠や出産にまつわるあれこれに、自然と向かい合っていた。

 今年出した『ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」』(あけび書房)という本で、私は社会学者の貴戸理恵さんと対談している。

 対談のきっかけは、同世代の彼女がある雑誌に書いた以下の言葉に触れたからだ。

〈いちばん働きたかったとき、働くことから遠ざけられた。いちばん結婚したかったとき、異性とつがうことに向けて一歩を踏み出すにはあまりにも傷つき疲れていた。いちばん子どもを産むことに適していたとき、妊娠したら生活が破綻すると怯えた〉

 ロスジェネの一人である私は今、45歳。独り身で、子どもはいない。そして周りの同世代を見渡しても、男女問わず独身、子なしのほうが圧倒的に多い。それは東京に住んでいることも関係すると思う。

 社会に出る時期がバブル崩壊後の大不況と重なった私たちは、非正規第一世代でもある。30代前半ではリーマンショックが起き、その後、アベノミクスで新卒の就職が改善したと言っても無関係。周りには40代になっても年収200万円以下というワーキングプアが当たり前にいる。当然、未婚率は高く、家庭を持つ人も少ない。

 そんなロスジェネ女性たちと、40代になる頃、「もう子ども産めないんだね」としみじみ話したことがある。生まれる年が少し違っていたら、社会に出る年があと少し早かったり遅かったりしたら、結婚して母親になったかもしれない自分の人生。友人の中には、彼氏も自分も派遣だったから結婚を考えられず別れたという人もいれば、彼氏との子どもを妊娠したものの、職が不安定な2人ゆえ、「生活が破綻する」と中絶した人もいる。

 貴戸さんの友人の中にも、若い頃に中絶した人がいるという。そんな友人は今、やっと生活が安定し、不妊治療をしているという。

しかし、なかなか子どもを授からない。お金を使い、身体に負担をかけているのにだ。そんなことを思うと、なんて皮肉なんだろうと思う。

 そんな私たちは、上の世代から「なぜ子どもを産まないのか」と聞かれてきた。貧困や不安定雇用を理由にして納得されることもあれば、「それでも、あなたたちの親である団塊世代の方が貧しかった」と言われることもある。右肩上がりか右肩下がりかの違いはあるが、確かに親世代は貧しくても私たちを産んだ。

 では、何が足枷になっているのだろう。そんなことを考えて思い出すのは、フリーターの頃に住んでいたアパートの狭い部屋だ。フリーター時代に付き合った何人かはやはり私と同じフリーターのようなもので、少し生理が遅れたりするたびに、漠然と思った。このまま妊娠して出産してフリーター同士でここで子育てとかしたら、お金がないことで喧嘩して子どもを虐待して逮捕されて、ワイドショーなんかでバッシングされまくるんだろうな、と。

 実際、ニュースでは私たちと似たような若いカップルが赤ちゃんを死なせたりして逮捕されていた。そんなものを見るたびに、「とにかく妊娠だけはしないようにしなければ」と、崖っぷちのような気分で思った。自分なんかが妊娠や出産をしてしまったら、もう立ち直れないくらいに世間から罵倒されるのだと思っていた。

「お前らそんなに貧乏なのに、フリーターのくせに子どもなんか産んで動物かよ」とか言われるんだろうという確信。絶対に傷つけられて、怒られて責められる。もちろん、親にも激怒され、親戚も世間も呆れ果て、なじられるに決まってる。命の誕生さえ、絶対に、誰も祝ってくれないのだ。

 妊娠などしていなくても、当時の私は、ただ生きてるだけで責められ、怒られすぎていた。フリーターとして、誰かがしなきゃいけない仕事を低賃金に耐えてやっているのに「いつまでそんな仕事してるんだ」となじられていた。そんなことばかりで、とにかくこれ以上怒られたら生きていけないと思っていた。

 そんなふうに20代前半を過ごした。それほどに妊娠は禁忌だったのに、ある時期から、「第3次ベビーブーム」の担い手として、今度は妊娠・出産しないことをなじられるようになった。そうして今になって、首相は不妊治療に保険適用を、なんて言っている。

 そんなもやもやを抱える私にとって、20代で90年代の東中野で共同保育をやってのけてた加納穂子さんの姿は、あまりにも、眩しい。「すかっとしたいから」という理由で坊主頭だった彼女の言葉は当時から惑いがないように思えて、だけどこの本で、私は初めて、当時の穂子さんが追い詰められていたことを知った。生後8カ月の子どもを抱いて、お金もなく、子の父親と別れ実家からも離れて生きていくと決めた彼女。ある保育人は、彼女の第一印象をこう述べている。

〈最初、土を抱いてきたときは、おれからみると穂子ちゃんは本当に疲れているようにみえたよ。このままだと土を死なせてしまうという危機感みたいなものがすごい伝わってきたな〉(『沈没家族 子育て、無限大。』)

 当時の私に「大きく」見えた人は、何も持たない20代の女性だったのだ。

 そうして始まった沈没家族は、集まった一人ひとりにとってかけがえのない場になっていく。ある人の書いた「保育ノート」にはこんな記述がある。

〈沈没ハウスに来る。意中の女性と保育デートができる。土を連れてその人と外へ公園行く。土が大きくなったら、俺をダシにしやがってと殴られないか不安だ〉

 そんな大人もいれば、子どもは子どもでしたたかだ。沈没家族は土くん一人の共同保育を経て、シングルマザーとその子どもと大人の住人が住む一軒家の「沈没ハウス」になるのだが、大人と子どもが複数いる場は子どもにとってはカオスでもあり楽園でもある。なぜなら、親に怒られたとしても他の大人が慰め、甘やかしてくれるからだ。核家族ではあり得ない逃げ場が、沈没ハウスには無数にあった。

    沈没家族は、大人たちにも様々な作用をもたらした。土くんの子育てに関わったことが唯一の子育て体験だった人もいれば、それがいい「練習」になったという人もいる。

〈沈没ハウスで、子育てするのめちゃ大変だなと知ることができた。(中略)でも同時に、子育てって手を抜いていいんだなということも知れた」と語り、今、子育てに奮闘する人もいる〉

 土さんは、同書『沈没家族 子育て、無限大。』で以下のように書く。

〈経済的に厳しいシングルマザーの穂子さんと、その前で横たわる赤子を救ってくれたのは、まぎれもなくそこに来た人たちだった。義務でも契約でもない。来たいひとたちが来るという、ゆるゆるとしたつながり。オムツを替え、ごはんを食べさせてくれて、遊び相手になってくれた〉

〈一番長い時間をともにした穂子さんには、場を作ってくれてありがとうという想いがある。子どもは親がいちばん愛情を持って接しなくてはならないという規範があるとしたら、穂子さんはそこから外れているように見えるのかもしれない。でも、彼女は自分ひとりでは育てられないということを認めたうえで、ひとに助けを求めた。「できない」というところからスタートして、チラシをまいた結果、たくさんのひとが穂子さんに巻き込まれていった〉

 助けて、と誰かが言っていたら、それを聞いた人は放っておけない。子どもがいたらなおさらだろう。沈没家族は、その当たり前が成立したギリギリ最後の時代の奇跡だったようにも思える。今だったら、子どもの保育に関わる人間は「安全かどうか」ばかりが問われ、「今日暇だから」子どもの世話をするようなやり方が受け入れられる余地はない。もちろん、安全は重要だが、90年代の東京には、長屋で子育てするような感覚が、おそらく遊びや実験の一つとして一部若者たちに共有されていた。

 ちなみに穂子さんは現在、八丈島で「うれP家」という、お年寄りや障害者や猫やいろんな人や動物が集まってごちゃまぜで飲んだり食べたり交流するような活動をしている。映画に映し出されるその光景は沈没家族とよく似ていて、なんだかとても嬉しくなった。

 どこにいようとも、金がなくとも、交流があれば生きていける。コロナ禍でなかなか人と会えない現在、沈没家族の試みは、たくさんのヒントを与えてくれるのだった。


江部乙

ラズベリーが今頃?

銀杏の木は4本あるが、どれも実(銀杏)をつけないものと思っていたら1本だけ。

まだ数は少ない。

店じまい。

 


首相出身大総長、日本学術会議の任命問題で声明 「学問の自由に違反する極めて大きな問題」

2020年10月06日 | 社会・経済

「研究内容によって学問の自由を侵害する公正を欠く行為があったとしたら断じて許してはならない」

(朝日新聞デジタル 2020年10月06日 01時46分)
朝日新聞社
田中優子・法政大総長

「任命拒否、学問の自由に違反」 首相出身大総長が声明

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 日本学術会議の会員が任命されなかった問題で、法政大の田中優子総長は5日、「任命拒否は憲法が保障する学問の自由に違反する極めて大きな問題」とする「総長メッセージ」を発表した。

 田中総長は「『学会から推薦いただいたものは拒否しない』との国会答弁を一方的にほごにするもので、説明責任を果たしていない」と指摘。「研究内容によって学問の自由を侵害する公正を欠く行為があったとしたら断じて許してはならない」と述べている。

 教育史学会、日本社会学会、日本映像学会、社会政策学会、日本社会福祉学会、社会事業史学会、歴史学研究会、日本科学者会議、日本パグウォッシュ会議などの研究者団体、全国の大学の教職員組合なども抗議声明を発表した。歴史学者らが「菅首相に日本学術会議会員任命拒否の撤回を求めます」と題して3日に始めた署名運動は、賛同署名が10万人を超えた。(編集委員・北野隆一)

(朝日新聞デジタル 2020年10月06日 01時46分)


 3日誕生日だった。娘から体力が落ちているのなら毎朝ラジオ体操をしなさいと言われた。今朝で3回目、これからも続けていきたいと思う。万歩計も1万歩を目標にしている。ただ歩くだけではなく、ランニングや横向きに走ったり、スキップしたり、色々と工夫している。何もしていないと確実に体力がなくなっていく。


菅政権 メディア支配さっそく 批判を封じ政権を維持

2020年10月05日 | 社会・経済

「しんぶん赤旗」2020年10月5日

 日本学術会議会員の任命拒否が批判を浴びる中、記者会見は開かず番記者とオフレコ懇談会、通信社の前論説副委員長をいきなり首相補佐官に起用―。菅義偉首相が就任早々、メディア支配に乗り出しています。「安倍政権の継承」を掲げ自民党総裁選で圧勝した菅氏は官房長官として7年8カ月、政権のメディア支配の中心的役割を担ってきました。あるメディア幹部はその手法を「懐柔と脅し強権」と評します。浮かび上がるのは民主主義社会の根幹である「国民の知る権利」を顧みない強権的な素顔です。(内藤真己子)

■懐柔と強権

 菅氏は9月の自民党総裁選でもメディアを最大限に利用しました。官房長官会見で菅氏と対峙(たいじ)してきた望月衣塑子東京新聞記者は語ります。「安倍氏が8月17日に2度目の入院をすると、21日にはテレビ朝日『報道ステーション』に生出演し、『ポスト安倍有力候補』を強く印象づける質問をされるなどして『菅本命』の流れが加速した。メディアを使いうまく情報操作している」

 「安倍氏が辞意表明するとメディアがパーッと安倍政権を持ち上げた。それは『菅忖度(そんたく)』。安倍政権の支持率が上がるなか総裁選で菅氏が『安倍政権の継承』を打ち出して圧勝の構造がつくられた」。こう指摘するのは元経産官僚の古賀茂明氏です。同氏は「安倍政権のレガシー(遺産)は官僚支配、マスコミ支配、戦争できる体制の三つ。菅氏はその中心的役割を担ってきた。菅内閣誕生は、菅氏が総理になる前からレガシーを100%引き継ぎ行使した結果だ」と強調。警告を発します。

 とくにテレビメディアは、立憲主義破壊の安保法制、2度にわたる消費税増税、民意に背く米軍沖縄新基地建設の強行、森友・加計、桜を見る会で露呈した国政私物化の検証をしませんでした。古賀氏は「安倍政権批判は菅氏に盾突くことになる。政治記者にとり政権交代は一大イベント。次の最高権力者からいかに情報を引き出せるかで社内の発言力が決まる」。

 望月さんも語ります。「菅氏には安倍さんのような思想性はない。あらゆるメディアの政治記者の中から、これはという人を見つけて押さえ、その人たちを使って報道に圧をかけてくる。巧みにやってきた」

 あるメディア関係者は明かします。「菅氏は連日行っている朝と夜2回、1日3回の会食でメディアと頻繁に会っている。各社の経営幹部をはじめデスクや記者、テレビに出ているほとんどのコメンテーター、番組関係者と、きめ細かさは安倍さんどころじゃない。じゅうたん爆撃の仕方が丁寧だ。こまめに会って情報もとるし徹底して懐柔、批判されないような関係をつくる。そういう体制を整えておき何かあれば権力を使って重層的に脅す。強権に見えない強権です」

■番組に圧力

古賀氏降板

 安倍政権の官房長官だった菅氏によるメディア支配。元経産官僚の古賀茂明氏は、その圧力にさらされた一人です。2015年3月、テレビ朝日「報道ステーション」のコメンテーターを降板した裏に「菅氏の介入があった」と証言します。

 「日本人は『I am not ABE』というカードを掲げる必要がある」。同年1月、古賀氏は番組でこう述べました。日本人ジャーナリストらが過激組織ISに拘束されているのを知りながら中東歴訪中の安倍首相(当時)が「ISIL(=IS)とたたかう周辺各国に2億ドル支援する」と表明したことへの抗議でした。

 「(ISに対する)宣戦布告と同じですよ。でも日本には平和憲法があり戦後ずっと戦争していない。安倍さんとは違う。それを世界に向け発信しようと言ったのです」と古賀氏。

 同氏によると発言後、番組放送中に菅官房長官(当時)秘書官からテレビ朝日側にクレームのメールが入り、報道局幹部が対応に追われました。「秘書官は菅さんに指示されたか、あるいは『言っておきました』と報告したと考えるのが普通です」。元キャリア官僚として、高級官僚である秘書官と官房長官との関係を知る古賀氏は語ります。

 菅氏自身も直接介入に乗り出してきたと言います。2月末の定例会見後のオフレコ取材で「本当に頭にきた。俺だったら放送法に違反しているって、言ってやる」と語ったというのです。古賀氏は「オフレコ取材メモはメディア各社に報告されます。菅氏はメモがテレ朝幹部の手に渡ることを百も承知で圧力をかけてきた」と言います。

 テレ朝が古賀氏の降板を決定。3月27日の最後の出演で古賀氏は「菅官房長官はじめ官邸からバッシングを受けてきた」と発言。今度は言葉だけでなく「I am not ABE」のフリップを掲げました。これに対し菅氏は30日の記者会見で「(古賀氏の発言は)事実に反する。極めて不適切。放送法という法律がある。テレビ局の対応を見守りたい」と、また放送法を持ち出したのです。

■放送法たて

 「放送法をたてに菅氏が圧力をかけたことは明らかです。伏線は第1次安倍政権のときにあった」。こう語るのは元テレ朝報道局員で『放送レポート』編集長の岩崎貞明氏です。

 菅氏は、第1次政権で放送局の放送免許を所管する総務相でした。菅氏の在任中、総務省は番組内容にかかわり「厳重注意」など8件の「行政指導」を行っています。

 岩崎氏は、1985年11月から2009年6月までに確認された31件の行政指導のうち8件が菅総務相のもとで行われており、異例の多さだと指摘。「日本の放送は政府の直接免許制で、局は5年ごとに一から書類を出して免許の再交付を受ける。再交付がなければ電波は出せません。申請書類に行政指導を受けたことも書くので、放送局には『再免許に影響したら』と非常に脅威です。菅氏はそれを熟知し、放送法を持ち出し脅している」と語ります。

 14年7月、NHK「クローズアップ現代」で、官房長官だった菅氏に集団的自衛権行使容認の閣議決定への疑問を投げかけた国谷裕子キャスターが、官邸側からの「抗議」にさらされたと報じられました。その後、国谷氏は降板します。

 あるテレビ局関係者は語ります。「メディアにたいし圧力をかけるのは憲法21条の言論・表現の自由にかかわることだから、それは控えるという雰囲気がこれまでの自民党幹部には暗黙にあった。でも菅さんにはまったくない」「経済成長が望めないなか自民党は政権から転がり落ちることだってある。だからメディアを支配し、徹底的に批判を許さないようにしている」

 古賀氏はこう語ります。「国民は、選挙で国民のために働かない政治家は落とすことができるというのが民主主義です。その前提として『報道の自由』が保障され、メディアがきちんと政権を監視する報道がないと国民は正しい判断ができない、すなわち民主主義は機能しない」

■記者を排除

望月氏敵視

 懐柔と強権でメディア支配を構築してきた菅首相。その強権姿勢がむき出しになったのが、東京新聞の望月衣塑子記者への執拗(しつよう)な質問妨害と記者クラブへの排除要請です。

 望月氏は17年6月から菅官房長官(当時)会見に出席し同氏に加計疑惑などで質問。加計学園獣医学部新設をめぐる文部科学省の「総理のご意向」文書を「怪文書」と言い放った菅氏ですが、望月氏の追及で、再調査せざるをえなくなり、省内から文書が見つかりました。

 その後の経過を望月氏が振り返ります。「やがて、手をあげていても菅氏が指名せず打ち切られ、質問中に会見進行役の官邸報道室長が『質問は簡潔に』と繰り返す妨害が始まりました」

 18年12月には官邸が同報道室長名で、官邸記者クラブ(内閣記者会)に事実上、望月氏の排除を求める文書を出します。

 望月氏が沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設に向けた埋め立て工事の土砂投入について質問した内容に「事実誤認」とレッテルを貼り、質問を「度重なる問題行為」として内閣記者会に「問題意識の共有」を求めたのです。

 翌年2月、「文書」の存在をネットニュースが報じると衝撃が走りました。新聞労連は「国民の『知る権利』を狭めるもので容認できない」と抗議。国会でも野党議員が「取材を封ずるのは取材の自由、国民の知る権利を封じるものだ」(国民民主・奥野総一郎衆院議員)と批判しました。

 これに対し答弁に立った菅氏は「取材じゃない。決めうちだ」と強弁。さらに安倍内閣は、質問制限や妨害行為を正当化する政府答弁書を閣議決定し、菅氏は同26日の会見で望月氏に「あなたに答える必要はありません」と切り捨てました。

 望月氏は菅氏の姿勢をこう評します。「私個人への攻撃というよりも、政府を追及して質問する記者はこういう仕打ちにあうと見せしめの意図を感じています。政権批判を許さない。メディアの牙を抜いちゃって権力監視の役割を弱めようとしている」

■連帯し対抗

 メディア労働者と市民が立ち上がります。3月、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が首相官邸前行動を主催。複数の現役記者がマイクを握り「知る権利守ろう!」「真実のためにたたかおう」と訴えました。

 このとき「デモの情報がSNSで拡散されるなかで質問妨害が止まった」。望月氏はこう振り返ります。「会社の垣根を越えて記者がつながり市民も参加したのが力になった。デモは必要だと思いました」

 岩崎氏は、政権のメディア支配について「批判を許さないのは民主主義的チェックが働かなくなってくるということで非常に危険だ」と指摘。「対決するために、分断を乗り越えたメディア同士の連帯、市民とメディアの連帯を作り直すことが重要だ」と語ります。

 「(菅氏は)脅せば何とかなると思っている。安倍政権の陰の部分をずっとやっていた人が表に出てきた」(政治部記者)。すでに多くの言論人から菅政権の危険性が告発されています。菅政権によるメディア支配のさらなる強化を許さないたたかいが始まっています。


 依然として70%を超える支持率。危ない、危ない。日本学術会議会員の任命拒否もその理由を明らかにせず、「忖度」を一層拡大させている。

 雨はそれほどでもないが、風が強い。

はじけそうなイガグリ。
 風に揺すられボタボタと実がこぼれ落ちてくる。これは虫にも喰われていない、いい栗の実だ。イガをつけたまま落ちてくる実はほとんどが虫食いだ。

栗拾いをしているとキノコのナラタケ(ボリボリ)が目につく。


きのこの効用

2020年10月04日 | 野菜・花・植物

「きのこ―健康とのかかわりを科学する」よりhttps://www.nittokusin.jp/kinoko/contents/cooking/cooking.html

きのこの栄養と調理

きのこの成分と栄養

  きのこ類の一般成分は野菜類に似ていますが、食物繊維、ビタミンB類、ビタミンD2、ミネラルなどの栄養素を豊富に含んだ低カロリー食品といえます。日本食品成分表によると、乾シイタケの食物繊維の含有率は40%強で、乾燥重量当たりに換算しても大根やネギよりもはるかに多いです。したがって、きのこ類を食べることで便通が良くなることが確認され、成人病の予防効果もあると考えられます。また、きのこにはミネラルのカリウムが多いため、塩分の過剰摂取を抑制することが期待できます。この他、たんぱく質や脂質が比較的多いのもきのこの特徴といえます。

  シイタケはビタミンD2の宝庫として知られていますが、食用きのこ類の多くはビタミンD2の元になる物質エルゴステロールを含みます。日光をあてるとエルゴステロールはビタミンD2に変わります。たとえば、乾シイタケのD2含量は通常100g当たり20μg(マイクログラム)以下ですが、日光に2時間程度あてるだけで数十倍に跳ね上がります。一度増えたビタミンD2はなかなか分解せず、乾シイタケを冷蔵庫内で保存すれば半年たっても含量はほぼ同じです。

きのこのおいしさと上手な調理法

  きのこの味を左右するのは、旨味や香り成分の種類と量、及び肉質(歯触り)です。シイタケなど多くのきのこ類はグアニル酸を含み、グアニル酸は昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸と並ぶ三大旨味成分の一つです。

  グアニル酸はグルタミン酸と混ざると数十倍に旨味が強くなることが知られており、シイタケと昆布でダシを取ると非常においしい理由はここにあります。

  グアニル酸の量は、グアニル酸の元であるリボ核酸、リボ核酸を分解してグアニル酸を生成する酵素、及びグアニル酸を分解する酵素とのバランスによって決まります。グアニル酸生成に関与する酵素は比較的熱に安定で60~70℃で活性が高く、一方、グアニル酸を分解する酵素は60℃では大部分が壊れます。したがって、グアニル酸の量を増やすためには調理時に60~70℃の温度を与えてやることが大切です。また、乾シイタケの水戻しでは、旨味成分の元であるリボ核酸を減少させないように冷蔵庫のなかで必要最小限行うのが基本です。この他、遊離アミノ酸も水戻し時にたんぱく質が分解されて増加しますが、比較的温度が高い条件で長時間水戻しをすると苦みのある疎水性アミノ酸の割合が増える傾向があり、注意する必要があります。加熱調理時はアミノ酸の量はほとんど変化しません。

  香りが強いきのこの王様はマツタケで、香り成分は1-オクテン-3-オールや桂皮酸メチルです。乾シイタケも香りが強く、その成分はレンチオニンです。レンチオニンは生シイタケを乾燥するときの加温や乾シイタケの水戻し時に、2種類の酵素が関与して生成されます。なお、調理時には20分程度の煮沸によってレンチオニンの大部分は消失しますので、香りを残すためには煮沸時間を短くします。

  シイタケの食感に関する調査では、傘肉が厚いものの方が薄いものよりもおいしく感じる人が多いようです。

 

 

「キッコーマン ホームクッキング」より

https://www.kikkoman.co.jp/homecook/doctor/appare/07.html

注目の「菌食」の最たるもの

最近注目されている「菌食(菌類質食品)」は、きのこのような菌類そのものや、菌類の発酵作用を利用したものを食べることをいいます。日本の伝統食でいうと、しょうゆ・みそ・漬物・納豆・かつおぶしなどです。また、パン・チーズ・ヨーグルトなども菌食にあたります。

これらの菌が身体の免疫力を高めるともいわれ、中でもきのこは、自然が育てた有効成分を含む菌そのものを食べることができる、菌食の王様といえるのです。

生活習慣病予防にもなる「きのこ」

きのこは主に腸内の調整・保護、免疫力増強、ガン・生活習慣病・感染症などの予防に効果的といわれています(表参照)。食用きのこ類の多くはビタミンD2を多く含み、とくにしいたけはビタミンD2の宝庫として知られています。

食用きのこの主な効用

しいたけ              骨の発育促進作用、コレステロール・血圧の降下作用、抗酸化作用、肝障害抑制作用、抗インフルエンザ作用など

えのきたけ           免疫賦活作用、抗腫瘍作用

まいたけ              免疫賦活作用、抗腫瘍作用

ぶなしめじ           抗酸化作用、抗アレルギー作用、抗菌・抗ウイルス作用など

きくらげ              血糖値降下作用、抗がん剤副作用軽減作用、抗炎症作用など

マッシュルーム    抗酸化作用、コレステロール除去作用など

(日本特用林産振興会ホームページより抜粋)

きのこの「だし」は、なぜおいしいか?

しいたけなど、多くのきのこ類はグアニル酸を含み、グアニル酸は昆布のグルタミン酸、かつお節のイノシン酸と並ぶ三大うまみ成分の一つです。グアニル酸はグルタミン酸と混ざると数十倍に旨味が強くなることが知られており、干ししいたけと昆布でとっただしがおいしい理由はここにあります。

そのまま料理しても、また、だしとしても貴重な味わいを持つきのこ。食卓を豊かにヘルシーにするきのこを活用して、健康な食生活を目指しましょう。

 

 「きのこ百科」日本きのこセンター

https://www.kinokonet.com/kinoko/cat1/

きのこの栄養・健康成分

★しいたけの健康パワーのひみつ(栄養・健康成分)

昔から日本人が大好きなしいたけは、おいしいだけじゃなく健康で丈夫なからだをつくる健康成分をたくさん含んでいるんだよ。しいたけがもっている4つの健康パワーのひみつをみてみよう!

血液さらさらパワーのひみつ

シイタケに含まれるレンチオニンとグアニル酸には、血液に含まれる成分の一つである血小板の凝集(血小板どうしが集まって塊になること)を抑える作用があり、血液をサラサラにする効果が期待されるんだ。

健康で丈夫な骨作りパワーのひみつ

シイタケは、ビタミンD2をたくさん含む食材として知られているんだ。ビタミンDはカルシウムやリンの吸収を促進し、新しく丈夫で健康な骨を作るんだよ。

メタボ対策パワーのひみつ

不飽和脂肪酸や食物繊維を多く含むきのこ類などを摂取することによって血中コレステロール値を抑えることができると言われているんだ。

免疫力向上&抗ガンパワーのひみつ

食用きのこ類にはβ-グルカンと呼ばれる多糖類が含まれているんだ。 β-グルカンは食物繊維の一種ですが、免疫力を高め、アレルギーの予防や改善効果また、抗腫瘍効果があると考えられているんだよ。

その他にも食用きのこ類には健康成分がたくさん

食物繊維、ビタミンB類、ビタミンB1、ビタミンB2、ナイアシン、抗酸化性成分など、きのこ類にはたくさんの健康成分が含まれているんだ。

【抗酸化性成分】

多くのきのこ類には、天然の抗酸化物質であるエルゴチオネインが含まれているんだ。

皮膚の老化防止作用に関する報告があるんだよ。


きのこのシーズン真っ盛り。
スーパーで買ってくるきのこでも、意識的に食べるといいですね。
今日はまた裏から落葉キノコを採ってきましたので、それを食べることにしましょう。



ポストコロナ時代、地方と都市の関係性はどう再構築されていくのか

2020年10月03日 | 社会・経済

「サステナブル・ブランド ジャパン」SB.com(Sustainable Life Media, Inc.)2020.10.02

 

2011年の東日本大震災以降、日本では地方暮らしに注目が集まっていた。生き方に選択肢があるのだと気づいた人々は、「これからは、自分らしい生き方をしよう」、「どうせなら地元に貢献したい」など、さまざまな理由で便利な都市を離れ、自然豊かな地方で生きていくことを選んだ。では、2020年に起こった新型コロナの流行は、人々の「生き方、生きる場所への意識」をどう変えたのだろうか。「これからの地域とのつながり方」をテーマとする雑誌『TURNS』を企画・創刊し、現在はプロデューサーとして地域の魅力を発信している堀口正裕・第一プログレス常務取締役に、ポストコロナにおける地方と都市の関係性と、今後の変化について聞いた。(笠井美春)

“個”と“企業”と“地方”
その関わり方は、多様化の時代へ

 
 
 
 
 

「東日本大震災以降、日本人は都市の脆さに気づき、“人間らしく生きるとはどういうことなんだろう”と考えるようになりました。そして、今回の新型コロナ感染症の流行を経て、社会の構造ががらりと変わる体験をし、多くの人が必然的に“これから、どう動くか”を考え、動き出しているように感じます」

堀口氏の言葉どおり、移住支援を展開している認定NPO法人ふるさと回帰支援センター(東京・千代田)への問い合わせ件数を見てみると、2012年から2019年でその件数は約7.6倍にも膨れ上がっている(2012年6445回→2019年4万9401回)。『TURNS』は、そういった地方移住希望者と各地の架け橋として、地域の魅力だけでなく、移住者の受け入れ制度や支援策、住宅情報など、その土地で生きていくためのノウハウを、2012年創刊から一貫して提供してきたのだ。

 

「移住希望者は新型コロナの流行によってさらに増加していくかもしれません。しかし、移住の形は大きく変化すると感じています。というのも、これまでの“生活のすべてを地方に移す”という完全移住型ではなく、さまざまな形の“地方との関わり方”が広がってきたからです」

コロナ禍において、特に都心部では仕事のリモート化が進み、人々の働き方が大きく変化した。その中で、東京の会社に勤務しながらも住居は地方に構え、完全リモートで仕事をする人、地方暮らしをしつつ都市や地方の企業と関わるパラレルワークを展開する人などが増えようとしている。それにくわえ、企業が都市にオフィスを構えることの意味に疑問を持ち、地方への移転をするという事例も増えてきた。これにより、人々は“居住地に暮らしのすべてを置く”という生き方から解放されたのだ。

また、この変化の中で堀口氏は、これまで多かった“個のみ”で地方と関わるスタイルではなく、“個も企業も”さまざまな形で、地方との関わりを積極的に持つようになってきたことに注目しているという。

「今後は、これまで“地方移住をする個人”を対象に施策を打ち出してきた自治体も、体制を見直し、企業のニーズを満たすような環境を用意したり、スピーディーな判断を可能にするなどの変化が必要になります。企業と地方、双方のニーズを満たす場所をつくることができるかどうか、そしてそれをしっかりとPRしていけるかどうか。そこが各地域の腕の見せ所であり、選ばれる地域とそうでない地域の格差を生むポイントになるでしょう」

各地域は、流動的な人の流れの中で、それぞれの技術を幅広く活用する工夫を

堀口氏は今後、「地方へ移住し、そこを終の棲家にする」というような意識も、薄れていくのではないかと考えている。

「これからは働き方の多様化にともない、土地に縛られない生き方を選ぶ人が増えるでしょう。その中で、流動創生という言葉を使う方もいらっしゃるのですが、そこにずっと住むのではなく、ライフステージのどこかで地方で暮らす時期を持つというスタイルも、今後多くなっていくはずです」

 
 

確かに、ライフステージによって「どう生きたいか」は変化する。若いうちは都会でたくさんの人から刺激を受けて生きていきたい。子どもを持ったら自然に囲まれた環境で、地域の人たちと共に子育てをしていきたい。土地ならではの自然、文化や習わしを子どもに学ばせておきたい。そういった希望を持つ人も少なくないはずだ。

地方自治体は、こうしたニーズを捉えるべく、“土地ならではの魅力”を発信しなくてはならない。そして、離れ行く人も移り住む人も流動する中で、新たなエネルギーを生み出していく。そういったスタイルがこれからの地方には必要だと堀口氏は語った。さらに、外部人材のスキルを活用し、課題解決をする土壌を作ることも大切だと言う。

「各地域が、魅力とともにSOSを発信することも重要ですね。こんな課題を解決してほしいというメッセージで、共感者を募り、地域外に住む最適な人材と出会うことができます」

すでに広島県福山市や北海道余市町では、地域課題解決のために、副業、兼業の戦略推進マネージャーを公募。積極的に自らの地域外から人材を取り入れ、プロフェッショナルのスキルを生かしたまちづくりが進んでいるという。

地方と都市、双方の良さを生かしあう関係性の構築を

「都会でのキャリアを捨てて、地方で第2の人生を送る、というスタイルはもはや過去のものになりつつあります。定住でも交流でもなく、地域の人々と多様に関わる『関係人口』が今後は急増していくでしょう。そして、各地でこういった動きが活発になれば、地方の課題の解決はますます進んでいくはずです」

例えば『TURNS』が業務提携している、定額で日本各地に住むことができる「ADDress(アドレス)」も、地方の関係人口を増やすサービスだといえる。月額4万円で、全国各地にある家に自由に住むことができるというこのサービスは、日本各地の空き家などをリノベーションして、企業や個人に貸し出す。空き家問題を解決しつつ、多拠点生活という新しいライフスタイルを提唱する新しい時代のビジネスなのだ。

「これまでは“都市VS.地方”という構図が少なからずありましたが、地方にいても、東京の機能、情報や人口の集中によるメリットや、技術を生かすことはできます。だからこそ、地方は都市の良さを再認識したうえで、うまく生かしあう関係性を再構築できればいいのでは、と私自身は思っています」

ポストコロナ時代、働き方や生き方の多様化によって、地方と都市の境界線があいまいになった。その中で「生かしあう関係性」を新たに築いていくことが重要なのだ。

都市を介さず、地域から世界へ

LOCAL to LOCAL の可能性

「地方と都市がそれぞれの魅力を生かしあう関係性の先に何があるのか」を、堀口氏に問うと、「生かしあう文化が、地方と都市だけでなく、地域と企業、企業と企業、地域と地域に広がり、日本全体での広域連携が可能になるのでは」との答えが返ってきた。

「例えば、織物文化のある地域同士、発酵文化に強い地域同士、コスメ原料の生産地同士など、さまざまな交流によって新たな商品を開発したり、ビジネスをスタートしたりできるのではないでしょうか。そこに行政も絡み、官民連携で動いていけばよりダイナミックに、面白いことができるはずです」

すでに大阪府八尾市では、これに先駆けた取り組みがあるという。八尾市は、ブラシや文具、ゴム製品やアルミなどさまざまな工場が数多くある、ものづくりのまち。それらの企業が協働した「みせるばやお」という事業では、ワークショップなどを通して、人々にものづくりの魅力発信し、さらに技術を魅せ合い、共有することで大きなイノベーションを生もうとしているのだ。

「地元企業35社ほどでスタートしたこの事業ですが、今では120社ほどが参加するように。そこには地域外の企業も参加していて、八尾市から大きな波を作ることに成功しています。こういった動きは、地域から地域へどんどん広がっていくのではないでしょうか」

また、この「みせるばやお」のように “地域資源をうまく生かしている事例”を、地方から海外に向けて発信することも堀口氏は考えている。これは、人口減少や少子高齢化という課題先進国の日本から、「地域産業活性化のソリューションモデル」を世界に提示することにつながる。

 
RENEWの工房公開、ワークショップ風景。2020年開催は10月9-11日
 
 

「福井県鯖江市、越前市、越前町で開催される漆器、和紙、メガネなどの工房一斉開放イベントRENEWは、まだスタートして5年ですが、来場者4万人を集めるだけの力を持つようになりました。その中で、新たな事業が生まれたり、移住者も増えたりしています。これは、地元にある資源を上手に使って、収益を生み、新たな雇用の創出や事業継承も可能にする事例。こういった事例を集め、それを世界に発信したいと考えています。それが世界各地で先進課題を解決する糸口になったり、産業の魅力そのものが伝わって新たなビジネスが生まれたり、そういった動きにつながるといいですよね」

LOCAL to LOCALから、世界へ。その動きは今後加速し、地方と都市の距離が縮まったように、世界との距離もますます縮まっていくのかもしれない。

「生かしあう」ことをエネルギーに
ここから、また次の時代へ

気軽に世界を飛び回ることのできないポストコロナ時代、まずはここにある物を見つめ、その価値を知ろう。そして、価値あるものの魅力を、人々の交流によって高め合おう。世界中、どこにいてもその魅力を発信することはできるのだ。インタビューの中で、堀口氏はそう語った。

確かに、コロナ禍で社会の構造は大きく変容した。特に都市部の暮らしは大きな変化を余儀なくされた。しかしこれにより、地方と都市の境界線は融和し、実際に現地に行くことは難しくても、さまざまな交流が可能になったといえる。

地域創生、教育格差、地方と都市が抱える課題は多い。しかし、堀口氏の語るように、この交流や新たな連携はそれらを解決に導き、次の時代の力になるはずなのだ。

先ほど紹介した、福井県の工房一斉開放イベント「RENEW」は、2020年の開催では、その名前を「Re:RENEW」としている。コロナ禍により先の見えない未来においても、「さらにまたここから“更新”を続けていこう」という決意がそこには込められていた。

さらにまた、ここから。地方と都市の関係も「生かしあうことで」、また、ここから再構築されていくのだ。

堀口 正裕

株式会社第一プログレス常務取締役/TURNS プロデューサー
1971年、北海道生まれ。早稲田大学卒業。(株)第一プログレス常務取締役。国土交通省、農林水産省等での地方創生に関連する各委員、全国各自治体の移住施策に関わる。ラジオ、テレビ出演他、地域活性事例に関する講演多数。
東日本大震災後、これからの地方との繋がりかたと、自分らしい生き方、働き方、暮らし方の選択肢を多くの若者に知って欲しいとの思いから、2012年6月「TURNS」を企画、創刊。「TURNSカフェ」や「TURNSツアー」、「TURNSのがっこう」といった、地域と都市の若者をつなぐ各種イベントを展開。地方の魅力は勿論、地方で働く、暮らす、関わり続ける為のヒントを発信している。

第一プログレス
〒100-0006 東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館ビル9F
https://ichipro.co.jp/

TURNS 
“Uターン、Iターン、Jターンのターン”、“暮らしや社会を見つめ直す、折り返し地点としてのターン”、“そして、次に行動を起こすのはあなたの番(your TURN)”。3つの意味が込められた、地域と地域や移住に関心のある人々をつなぐ雑誌。偶数月20日ころ発行。
https://turns.jp/

笠井美春(かさい・みはる)

愛媛県今治市出身。早稲田大学第一文学部にて文芸を専修。卒業後、株式会社博展において秘書、採用、人材育成、広報に携わったのち、2011年からフリーライターへ。企業誌や雑誌で幅広く取材、インタビュー原稿に携わり、2019年からは中学道徳教科書において創作文も執筆中。


桜、すっかり葉も落ちて。


洋ナシ、そろそろか?

キノコ
ナラタケ(ボリボリ)

 

 


日本学術会議、首相6人任命せず。

2020年10月02日 | 社会・経済

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-10-02(文化放送)

NEWS
2020年10月02日 16時05分 JST | 更新 44分前

「日本学術会議」 任命されなかった6人の学者はどんな人?

任命除外される異例の事態。「政府に反対した学者」が含まれており波紋が広がっている。

 
HuffPost Japan

 日本学術会議は、科学に関する重要事項を審議したり、研究の連絡をすることを目的にした科学者の組織だ。政府に対して提言をするのが役割の一つ。210人の会員は非常勤特別職の国家公務員。この210人の半数の105人が3年ごとに入れ替わる。

    会議は、内閣総理大臣が管轄するが、政府から独立して職務を行う「特別の機関」だ。国費で運営される。原子力三原則など国の大型プロジェクトの元になる「マスタープラン」を策定したり、素粒子実験施設の誘致についてや地球温暖化、生殖医療などについて提言や声明を発表したりする。人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約87万人の科学者を代表し「科学者の国会」とも言われる。

    菅首相は10月1日、会議が推薦した会員候補105人のうち6人を除外して任命した。推薦された人を任命しなかったのは、会議が推薦する方式になった2004年度以来初めてのことだ。この除外された6人はどんな学者なのか。

    安全保障法制や「共謀罪」法に反対を表明した学者らが含まれている。#日本学術会議への人事介入に抗議する というハッシュタグができるなど波紋を呼んでる。

    除外された6人に含まれる加藤陽子教授は、10月1日付の毎日新聞にコメントを寄せた。「なぜ、この1カ月もの間、(学術会議会員の人事を)たなざらしにしたのか。その理由が知りたい。そのうえで、官邸が従来通りに、推薦された会員をそのまま承認しようとしていたにもかかわらず、もし仮に、最終盤の確認段階で止めた政治的な主体がいるのだとすれば、それは『任命』に関しての裁量権の範囲を超えた対応である。念のため、付言しておく」としている。

    加藤教授は公文書管理について政権に意見を届けてきた。公文書管理について、小泉純一郎政権で政府の有識者懇談会に参加し、2010年設置の「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員を務めている。

【任命されなかった6人】  (共同通信によると)
■芦名定道(京都大教授 ・キリスト教学)
 「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。

■宇野重規(東京大社会科学研究所教授・政治思想史)
 憲法学者らで作る「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人。 2013年12月に成立した特定秘密保護法について「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判していた。

■岡田正則(早稲田大大学院法務研究科教授・行政法)
 「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡って2018年、政府対応に抗議する声明を発表。

■小沢隆一(東京慈恵会医科大教授・憲法学)
 「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者。安保関連法案について、2015年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席、廃案を求めた。

■加藤陽子(東京大大学院人文社会系研究科教授・日本近現代史)
 「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人。改憲や特定秘密保護法などに反対。「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員。

■松宮孝明(立命館大大学院法務研究科教授・刑事法)
 犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」法案について、2017年6月、参院法務委員会の参考人質疑で「戦後最悪の治安立法となる」などと批判。京都新聞に対し「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と思ったとインタビューに答えている。

 


雨宮処凛がゆく! 第534回:「役所用語」のバリアフリー化を! 各種制度の説明文、日本語おかしくないですか? の巻

2020年10月01日 | 社会・経済

マガジン9 2020年9月30日

 あと少しで、東京に緊急事態宣言が出された4月7日からちょうど半年となる。

 「新型コロナ災害緊急アクション」には、今も連日のように緊急度の高いSOSが寄せられている。

 それもそのはずで、コロナ解雇は6万人。また、7月の労働力調査によると、非正規で働く人は前年同月と比較して131万人の減少。

 一方、この夏は「給付金が尽きた」という声をあちこちで耳にした。持続化給付金や特別定額給付金でひと息つけたものの、それが尽きた人たちからの悲鳴が絶えないのだ。

 また、今になって「なんとか貯金を切り崩しつつやってきたけれど、それも尽きた」という声も届いている。そもそも、コロナで仕事を失うなどしても全員がすぐ困窮に陥るわけではない。貯金が数百万円あれば当面の心配はないが、数万円の人はすぐに路頭に迷う。このように人によって「時差」があるので、今後、「貯金が尽きた」という声は増えることはあっても減ることはないだろう。

 そうしてこのまま行けば、年明けには、住居確保給付金(収入が減って家賃が払えない人に家賃が支給される制度。上限あり)の支給が切れる人が続出する。その数、3000世帯以上。この制度の支給は最長9ヶ月で、4月から受給を始めた人は1月に期限を迎えてしまうからだ。このままでは、年明け早々に大量ホームレス化が起きてもおかしくない状況だ。

 そんな事態を受け、9月25日、つくろい東京ファンドや住まいの貧困に取り組むネットワークが、厚労省に「住居確保給付金」の延長などを求めて申し入れを行った。

 厚労省にはぜひ対応してほしいと思っているが、同時に求めたいのは、住居確保給付金をはじめとした各種制度の「使い勝手の悪さ」をなんとかしてほしいということだ。

 例えばこの半年間で、多くの人がさまざまな公的制度を使ったり調べたりしたと思う。企業が申請する雇用調整助成金、個人で申請できる休業支援金、また社会福祉協議会の貸付金や中小企業やフリーランスのための持続化給付金などなど。

 が、それらの制度を使ってみて、あるいは使おうとして、「この制度は使いやすかった!」「わかりやすかった!」「申請が簡単だった!」と即答できる人はどれくらいいるだろうか。

 住居確保給付金はリーマンショックを受けて作られたものだが、あまりの使い勝手の悪さに、これまで使う人が滅多にいない制度だった。というより、「支給要件」を満たすことが奇跡に近かった。コロナ以前は「65歳未満」「離職・廃業から2年以内」「ハローワークに登録して求職活動をすること」をすべて満たしていなければならない上に、他にも細かい条件がいくつもあった。「65歳未満」などの要件はコロナで撤廃されたのだが、例えば厚労省のサイトには、「対象要件」として以下のような記述がある。

 

 「主たる生計維持者が離職・廃業後2年以内である場合 もしくは個人の責任・都合によらず給与等を得る機会が、離職・廃業と同程度まで減少している場合」

 「直近の世帯収入合計額が、市町村民税の均等割が非課税となる額の1/12(以下、「基準額」という)と、家賃(但し、上限あり)の合計額を超えていないこと」

 この記述を見て、「あ、自分は対象だな/対象外だな」とピンとくる人などいるだろうか?

 

 住所確保給付金に限らず、このような「役所用語」満載の記述は、コロナ禍で途方に暮れる人々を苦しめている。こういう言葉、私はもう法律で禁止するくらいにしてほしいと常々思っている。なぜなら、難解な説明によって、あえて制度利用から人を遠ざけているようにしか思えないからだ。この記述自体が、思い切り「バリア」として機能してしまっている。各種制度を使おうとしても、この難解な記述を目にした途端、かなりの割合の人が諦めているという確信が私にはある。

 このような「役所用語」は生活保護の領域でも使われていて、例えば自治体によっては「生活保護のしおり」が難解すぎるという問題もある。そんな状況に対して、反貧困運動はこの10年ほど声をあげてきた。生活保護を受ける中には、お年寄りもいれば、教育課程から排除され続けてきたために読み書きできない人もいる。障害がある人も多い。そんな人たちのための「しおり」のはずなのに、ほとんどの人が理解できないような専門用語に満ちているという無神経。

 この「しおり」問題、各自治体に問題点を伝えるなどして改善されてきた歴史がある。だからこそ、その教訓をコロナでも生かしてほしいのだ。でないと、「やっぱり制度を使わせたくないから難解にしてるの?」と思われてしまう。これを機に「すごく探せばいい制度はあるけれど、できるだけ使わせないようにする」という役所の慣習を根底から取り払ってほしいのだ。

 説明だけでなく、制度自体もわかりやすく、手続きも簡単にしてほしい。

 というか、私は、そもそもコロナのために作られたのではない「住居確保給付金」が、制度の微調整を繰り返して半年以上使われていることにも違和感がある。

 なぜ、半年以上経つのに、誰もが使いやすい「住まいを失わない制度」が新たに創設されないのだろう。これでは「制度の迷子になれ」と言っているようなものではないか。

 民間企業であれば、「利用者目線」は基本中の基本だ。が、役所にはその視点がない。だからこそ起きている「役所用語」バリア。この「翻訳」こそが、喫緊の課題だと私は思う。だって、困り果ててやっとのことで「こういう制度がある」とわかって、その制度の名前で検索して、真っ先に出てくる説明が「主たる生計維持者」とか、嫌がらせかよ? って感じではないか。少なくとも私だったらこの時点で心が折れる。

 コロナ禍で様々な立場の人が困っている今、役所言葉の「バリアフリー化」を、切に求めたい。

 これって地味なようで、ものすごーく重要な問題だと私は思う。


キノコ