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学生が「教員の残業代未払い」訴訟を支援する理由

2021年10月16日 | 教育・学校

前屋毅  フリージャーナリスト

YAHOO!ニュース(個人)10/15(金) 

 教員の残業(超過勤務)に残業代が支払われていないのは違法だとして、埼玉県内の市立小学校教員・田中まさおさん(仮名、62)が埼玉県に約242万円の未払い賃金の支払いを求めて起こしたのが、いわゆる「埼玉教員超勤訴訟」である。この訴訟でさいたま地方裁判所(地裁)は10月1日、原告側の請求を棄却した。この訴訟を原告側事務局として支えていたのが、大学生たちだった。教員とは立場が違うはずの学生が、なぜ教員支援に乗り出したのか。

■理不尽でしかない判決

「棄却という主文を傍聴席で聞いて、『なんて理不尽な』という思いだけが頭に浮かび、何も考えられないでボーッとしてしまった状態でした」と言うのは、東京大学大学院教育学研究科で学ぶ佐野良介さん。さらに続ける。

「しばらくして我に返ったときには怒りがこみあげてきました。それでも判決のなかから次につながるものを探さなければと思い、がんばって読み上げられる判決文に集中しました」

 佐野さんをはじめとして学生が「田中まさお支援事務局」(以下、支援事務局)を発足させたのは、昨年(2020年)10月のことだった。呼びかけたのは、東京学芸大学の学生で現在は休学中の石原悠太さん。

「あるイベントで田中先生の訴訟を知って、第2回目の公判から傍聴しています。傍聴してみて『すごい裁判だな』と思ったんですが、そのわりには世の中の関心が低すぎるとも感じました。もっと多くの人たちに関心をもってもらえるように自分たちができることがあるのではないか、と考えたのがきっかけでした」

 教員を目指す仲間も多い石原さんにとって、田中さんが「おかしい」と訴える教員の働き方は他人事でもないのだ。自分や仲間たちが強いられることになりかねない労働環境でもある。そして、石原さんは3人の学生に声をかけ、4人で支援事務局を起ち上げる。もっと多くの学生を集めることも可能だったのでは、という疑問もわく。それを質問すると、石原さんからは「あくまで私たちは支援する側なので、田中先生の思いを無視するようなことになってはいけないと考え、私がかなり信用している人だけに声をかけたので少人数になりました」との答が戻ってきた。

■問題なのに知られていなかった給特法

 SNSでの投稿をはじめ、クラウドファンディング、ネット上での署名運動などなど、学生ならではの感性が目立つ活動を支援事務局として展開していく。それによって、世の中の関心を高めたいという石原さんの思いは実現されてきているのだろうか。

「今回の裁判でも焦点になっている給特法について、以前、学芸大でアンケートをとったことがありましたが、75%の学生が給特法を知りませんでした。いまは、内容まで詳しくは知らなくても、ほとんどの学生が給特法の名前くらいは知っている状況になってきています。急激に認知度は高まってきていると感じています。田中先生による訴訟の影響が大きいのですが、私たちのやったクラウドファンディングなどがメディアに取り上げられたことも影響していると思っています。クラウドファンディングは裁判費用を集める目的もありますが、それ以上に、関心をもってもらう手段としてやったことだったので、効果はあったと思っています」と、石原さん。

 給特法は正式名称を「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」といい、1971年5月に公布、翌年の72年1月に施行されている。基本給の4%にあたる「教職調整額」が一律に支給される代わりに残業代が支払われない、という法律である。

 4%の根拠は1966年度に行われた全国的な教員の勤務状況調査で、このときの教員の平均残業時間が「8時間」だったことによる。8時間の残業代に相当するのが基本給の4%、というわけである。

 しかし2016年度に行われた勤務実態調査では、厚労省が過労死ラインとしている月80時間の残業時間を超えて残業している教員が小学校で6割近く、中学校では7割を超えている。残業時間が10倍にもなっているにもかかわらず、支払われる残業代は4%の教職調整額だけだ。「月の残業時間が200時間だった、と教員をしている先輩から聞きました」と佐野さんも言う。それでも相当の残業代は支払われず、教職調整額だけなのだ。

 さらに給特法では、「超勤4項目」と呼ばれる①生徒の実習②学校行事③職員会議④災害などの緊急事態を除いては、管理職は「原則として時間外勤務を命じない」ことになっている。そのため超勤4項目以外の残業は「教員が自主的にやっている」とみなされ、「自主的にやっているのだから止めさせることはできない」という都合のいい理屈の根拠にされてしまっている。そんな勝手な理屈とはほど遠く、やらざるを得ない状況に追い込まれてやむなくやっているのが教員の残業の実態でしかない。

 定額の教職調整額だけで教員が自主的にやっている、というのが給特法から導きだされる教員の残業である。働かせる側からすればこんなに都合のいい制度はなく、残業代の支払いが増える心配はないので、どんどん仕事は増やしていく。それも「命じない」のが建前だから、自主的にやるようにプレッシャーをかけて追い詰めていくことになり、陰湿このうえない。

 こうして教員の残業は、「定額働かせ放題」になってしまっている。おかしな働き方でしかない。その根拠になっているのが、給特法なのだ。

■裁判所も認めた「おかしな教員の労働環境」

 田中まさおさんが起こした埼玉教員超勤訴訟は、このおかしな働き方の改善につなげることを目標にしている。その訴えを、さいたま地裁は棄却した。

「教員になったけれども残業時間が多すぎて体調を崩し、休職している友人が何人もいます。そうした友人のことを考えると現状の働き方は一刻も早く変えなければならないし、それを考えると棄却の判決はショックでした」と、石原さんは言う。さらに続ける。

「もっと辛かったのは、この判決のあとのSNSで『教員を辞めたくなりました』などネガティブな内容の書き込みがあったことでした」

 休職に追い込まれるような働き方を強要されているにもかかわらず、現場の教員たちが表立って異議を唱えることは意外なくらい少ない。不満がないからではなく、声を上げられない環境になってしまっていることが大きい。さらには、あきらめてしまっている教員が多いためでもある。その「あきらめ」が拡大することは、この訴訟を支援している石原さんたちの思いと逆行することでしかない。

「今回の判決は棄却でしたが、まだ裁判は続きます。そして、今回の判決にも前進につながるような画期的な内容も含まれています」と、石原さんは言う。

 そのひとつが、判決文の最後に「付言」として盛り込まれた部分である。そこには、次のように書かれている。

「現在のわが国における教育現場の実情としては、多くの教員職員が、学校長の職務命令などから一定の時間外勤務に従事せざるを得ない状況にあり、給料月額4パーセントの割合による教職調整額の支給を定めた給特法は、もはや教育現場の実情に適合していないのではないかとの思いを抱かざるを得ず、原告が本件訴訟を通じて、この問題を社会に提議したことは意義があるものと考える」

 原告の訴えを棄却した裁判所も、現在の「定額働かせ放題」は「おかしい」という考えを示したのだ。石原さんたち学生が「おかしい」と思ったのと同じことを、裁判所も感じたということになる。

 にもかかわらず、当事者である教員が「あきらめ」ていていいのだろうか。保護者も「他人事」のように知らぬ顔でいていいのだろうか。「あきらめ」や「他人事」では、何も変わらない。そこから脱して、一歩を踏みだした学生たちがいる。教員も保護者も、そして世の中の人ぜんぶが、一歩を踏みだすときかもしれない。

前屋毅  フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)


 まさに「働き方改革」ではなく「働かせ方改革」です。「事務職」ではなく、子どもたちとの時間を増やせる環境にしてこそいじめや自殺などに対応できる「教育者」になれるはずです。子どもたちの発達、それ以前の命を守ることが基本です。

深まる秋(園地の模様)

まだ青々してる。
蔦(つた)でしょうか?

多肉の花が咲き始めました。

トンボがイトトンボを捕食。


シッポをちぎられ食べられてしまいましたが、頭の方はまだ生きています。


内田樹の研究室-コロナ後の世界 

2021年10月15日 | 社会・経済

長い文章です。ブログの長い文章はわたしも嫌いなので、3回位に分割しようかとも考えましたが、お忙しい方は何回かに分けてお読みください。内容はとても参考になるものです。

2021-10-15 vendredi

ある集まりで「コロナ後の世界」という演題で1時間ほど講演をした。その文字起こしが届いた。一般の人の目につかない媒体なので、ここに再録する。

はじめに
 
 せっかくですから、今日はなるべくあまり他の人が言わないようなことを言ってみたいと思います。タイトルは「コロナ後の世界」です。この「コロナ後の世界」というタイトルはニュートラルなものに思われますが、実は幾分は論争的なものです。
 コロナが流行し始めてから1年半が経ちましたが、世の中には「コロナ後の世界」という枠組みでものごとを語ることを拒絶している人たちがずいぶんたくさんいます。「コロナはただの風邪だ。罹かる人は罹る。死ぬ人は死ぬ。それによって世界は変わるわけではないし変わるべきでもない」と言う人たちです。僕はこういう人たちのことを「コロナ・マッチョの人」と呼んでいます。彼らは「コロナ後の世界」は「コロナ前の世界」と基本的には同じものであるし、同じものでなければならないと考えています。ですから、「コロナ後の世界」というトピックでものを考えることを受け入れません。僕があえて「コロナ後の世界」という演題を掲げるというのは、その人たちとは見通しが違うということを意味しています。このパンデミックによって、世界はいくつかの点で、不可逆的な変化をこうむった。そして、それはこの感染症が終息した後も、もう元には戻らない。僕はそう考えています。
 僕は武道家ですので、「驚かされること」が嫌いです。「驚かされない」ためには、どうしたらよいのか。何が起きても全く反応しないで鈍感になっているということはあり得ません。逆です。「驚かされない」ためのコツは、「こまめに驚いておくこと」です。
「驚かされる」というのは受動態です。「驚く」は能動態です。自分から進んで、わずかな変化を感知するように努める。「風の音にぞ驚かれぬる」です。「目にはさやかに見えねども」「人こそ見えね」の段階で、他の人が気付かないような微細な変化の兆候に気づく。そうやってこまめに驚いていると、地殻変動的な変化を見逃すことはありません。だから、いつも驚いていると、驚かされるということがない。
 そういう心がけで、去年の夏前から「コロナによって世界はどう変わるのか?」という問題意識を持って出来事を眺めてきてました。わずかな変化も見落とさないようにしようと思ってきました。変化に過敏でしたから、「コロナ後の世界はこう変わる」という僕の予測は全体に変化を過大評価する傾向があると思います。そのことはあらかじめお断りしておきます。しばらく経ってから「内田はいくらなんでも取り越し苦労で騒ぎすぎだったよ。実際にはコロナで大した変化はなかったじゃないか」と総括されるリスクもあります。それでも、僕としては「大きな変化を見落とす」リスクを避けるために、思いつく限りの変化の兆候を列挙しておきたいと思います。

 コロナ後の世界では色々な領域で変化が起きます。国際政治、経済、医療、教育、軍事などなど様々なレベルで大きな変化がある。
 まずこれからの議論の前提として、一つだけ全体で共有しておきたいことがあります。それは、今後も世界的なパンデミックが間欠的に繰り返すということです。
 野生獣の体内にいるウイルスが人間に感染して、変異して、それがパンデミックを引き起こすということは、これからも短い間隔を置いて繰り返されます。新型コロナの感染が終息したら、それで「おしまい」というわけではありません。
 人獣共通感染症は21世紀に入って新型コロナで4回目です。SARS、新型インフルエンザ、MERS、そして新型コロナ。5年に1回のペースで、新しいウイルスによる人獣共通感染症が世界的なパンデミックを引き起こしている。SARSでは日本の感染者は出ませんでしたが、東アジアではたくさんの感染者・死者を出しました。
 ウイルスを媒介する野生獣は鳥、コウモリ、豚、ラクダとさまざまですが、本来は人間と接触する機会の少ない野生獣と人間が接触して、野生獣のウイルスが人間に感染して体内で変異することでパンデミックがもたらされるというパターンは同じです。そして、人類が自然破壊を続け、野生獣の生息地がどんどん狭くなり、人間と野生獣の接触機会が増える限り、人獣共通感染症はこれから先も繰り返し発生する。それは専門家が警告しています。アフリカ、南米、アジアがこれからも感染症の発生地になると思われます。
 人獣共通感染症の原因は人間による自然破壊ですが、もう一つ、自然による文明破壊が起きる場合でも、野生獣と人間の接触機会は増えます。野生の自然と都市文明の「緩衝帯」がやせ細れば、そうなります。日本でこれから懸念されるのは、このタイプの「人獣接触」です。

野生から文明を守る戦い

 野生の自然が「人間の領域」を侵略するというケースは、今のところはまだ日本のメディアでは大きく取り上げられていませんが、僕はこれから先、非常にシリアスな問題になるだろうと思っています。急激な人口減を迎えている地方では、これまで「文明のエリア」と「野生のエリア」の間にあって、緩衝帯として機能していた里山が無くなりつつあり、里山に無住の集落が発生してきています。無住の集落は短期間に廃村となり、山に飲み込まれます。
 21世紀の終わりの日本の人口は厚労省の中位推計で4850万人です。今の人口が1億2600万ですから、80年間に7000万人以上減る勘定です。年間90万人というペースです。日本政府はこの人口減少に対して、国としての基本方針を示しておりませんシナリオは「資源を地方に分散する」か「都市に集中するか」の二つしかありません。
 本来なら、政府はこの二つのシナリオを国民の前に提示して、それぞれのメリット、デメリットを列挙した上で、合意形成をはかるべきなのですが、それをしていない。国策についての国民的議論を回避したまま、「都市一極集中」というシナリオを無言で実践している。これは民主国家においてあってはならないことだと思います。国民の同意を取り付けないままに、「地方切り捨て」を黙って続けて、ある時点でもう地方再生が不可能というポイント・オブ・ノーリターンを過ぎてから、「やはり都市集中しかない」となし崩しに持って行く。政官財はそういう計画でいます。しかし、黙って政策を実行しているので、地方が切り捨てられた場合に「何が起こるか?」ということは議論のテーブルに上がってこない。その話はしない約束になっている。そして、「人口の少ないところに暮している国民は、都市に暮している国民と同等の行政サービスを受ける資格がない」という主張だけが、一部の政治家やメディアを通じて、拡散されています。すでに、JRは赤字路線を次々と廃線にしています。その時のロジックは、「人口の少ないところに住んでいる人たちは、そこに住むことを自己決定しているわけだから、自己責任で不便に耐えなければならない」というものです。自分の好きで過疎地に住んでいる人間が「便利な暮らし」を求めて、税金の支出を求めるのはフェアではない、と。
 実際に、そのようなロジックに基づいて、公共交通機関は廃止されています。行政機関も統廃合されている。そして、過疎地では、医療機関もない、学校もない、警察も消防もないという状態になりつつある。そういう不便なところに住むことを自己決定している人間は、その不便に耐えるべきだという意見はもう既に日本国民のマジョリティを占めていると思います。
 しかし、この言い分に一度頷いてしまうと、後もどりが効きません。この後、人々が里山を捨てて、地方の中核都市に移動したとしても、遠からずそこも「過疎の都市」になります。そうしたら、同じロジックで、「不便なところに自分の意思で住んでいる人間は、その不便を甘受すべきで、税金を投じて都市と同じサービスを享受する権利はない」と切り捨てられる。そんなことが二、三回続けば、日本国内に文明的な生活が出来る圏域は太平洋ベルト地帯の都市部だけになります。
 現在の日本政府はそういうシナリオを描いていると思います。それを国民に開示して、議論したり、同意を求めたりということをしないのは、「地方を捨てます」と宣言した途端に地方の選挙区で自民党が惨敗して、政権から転落することが確実だからです。だから、人口急減という危機的局面を迎えながら、それについては「何も言わない」という任務放棄が公然と行われている。
 しかし、すでに過疎地での「野生の侵略」はかなりのスピードで進行しています。僕の友人の話ですが、先祖のお墓が西日本の過疎地にあります。お墓の管理はいとこがしてくれている。祖父母のお墓参りに行こうと思って、そのいとこに連絡したところ、「もう無理」という返事があったそうです。お墓のある集落が無人になり、「山に呑まれて」しまったというのです。集落へ行く道も藪に覆われて、通れない。獣も出るし、蛇もいるので、怖くて、かつて祖父母のいた集落にはもう入ることができないと言われたそうです。これに類したことは、急激な人口減を迎えている日本中の土地で今同時多発的に起きていると思います。
 日本はいま世界で最も早く人口減超フェーズを迎えています。ですから、「野生の侵略」によって文明圏が狭められているという経験は、今のところ日本だけで見られる現象だと思います。
 先日、千葉でもシカやイノシシの獣害が増えているというニュースを先日読みました。つい先日は、芦屋の城山というところでもハイカーがクマと遭遇しました。芦屋ではこれまでもイノシシとはよく出会いましたが、さすがに住宅地でクマが出たという話ははじめて聞きました。
 今のところはイノシシもシカも、農作物への被害にとどまっていて人的被害はごく稀にしか報告されていませんが、これからは無人化した里山で野生獣が繁殖した場合に、人的被害のリスクが高まります。ふつうであれば出会うことがない野生獣と人間が接触する機会が増せば、そこから新しい人獣共通感染症が発生するリスクもあります。
 日本に続いて、次は中国が急激な人口減と高齢化を迎えます。その場合、中国の人たちがどういうシナリオを採用するかは分かりません。経済成長を続けようとするならば、人口を都市部に集中させて、過疎地を捨てるという選択肢を採る可能性は高いと思います。北京、上海、広州など沿海部に人間が集まり、貧しい内陸部は放棄されて、無人化・無住地化する。そういう政策を日本とは比較にならないスケールで実施する可能性があります。その場合政策的に野生に戻された内陸部の生態系がどうなるのか、僕にはうまく想像がつきません。
 東アジアで忘れてはならないリスクファクターは破綻国家になったミャンマーです。ミャンマーは広い熱帯雨林を抱えていますが、そこは野生獣の宝庫です。これまでもミャンマーは野生獣の密猟と密輸がアンダーグラウンドのビジネスでしたが、統治機構が機能不全に陥ってしまったために、野生獣の密輸がこれまで以上の規模で行われているそうです。
 ダスティン・ホフマンが主演した『アウトブレイク』という映画は、密輸された一匹のサルがウイルスのスプレッダーとなり、サルの唾液の飛沫を浴びた密輸ビジネスの船員をはじめ、サルに接触した人たちが次々感染して、ついに都市封鎖に至るという話でした。サル1匹で都市封鎖ですから、密輸ビジネスが野放しになった場合に、何が起こるか予測がつきません。
 有史以来、日本列島の住民たちは列島の自然を破壊しながら生息地を拡大してきました。ですから、自然破壊と自然保護についてはそれなりのノウハウを持っていますが、野生の自然に侵略されて、じりじりと後退しながら文明を守るというタイプの戦いはかつてしたことがありません。でも、どうやら今後はそうした戦いをしなければならなそうです。
 こんな後退戦を経験するのは日本が世界で初めてです。ですから、先行する成功事例がありません。日本人が自分の頭で考えて、自分で対策を手作りしなければならない。でも、そういう「パイオニアの緊張感」を今の政官財メディアからは全く感じることができません。この点については、日本のエスタブリッシュメントは総じて想像力の行使を怠っています。ですから、いずれ日本各地が「山に呑み込まれる」という事態に遭遇して、驚かされることになると思います。

グローバル経済から国民経済へ

 コロナ後の世界でも、パンデミックが間歇的に起きるということを前提にした上で、何が起きるかについて予測をしてみたいと思います。第一は皆さんがすでに見通している通り、グローバル経済の停滞です。
 グローバル資本主義の時代では、ヒト・商品・資本・情報が国民国家の国境線とかかわりなく、クロスボーダーに超高速で行き来するということが自明のこととされていました。しかし、コロナを経験したことによって、国民国家の国境線は思いの外ハードなものであることが再確認されました。
 去年の1月に最初に医療崩壊を経験したイタリアでは、マスクとか防護服とか人工呼吸器といった基礎的な感染症対策の医療資源の備蓄がありませんでした。イタリアはすぐにフランスとドイツに緊急輸出を要請しましたが、両国ともこれを拒否しました。自国民の生命を優先的に配慮するので、他国には送れないということでした。そのせいで、イタリアは医療崩壊に陥り、多くの国民が死にました。EUでは国境線は有名無実であるとされていましたが、実際には国民国家の国境線は堅牢な「疫学上の壁」として排他的に機能しました
「必要なものは、必要な時に、必要な量だけ、マーケットから調達できる」ということがグローバル資本主義の前提条件でしたが、この条件が覆されました。必要なものが、必要な時にマーケットでは調達できないことがある。考えれば当たり前のことですが、それが明らかになった。国民国家が、自国民の生命と健康を守ろうとするなら、必要なものは自国内で調達できる仕組みを整備すべきであって、「要る時になったら、金を出して買えばいい」というわけには行かない。そのことを世界は学習したのです。
 でも、国民国家の排他性の強化という傾向は実はコロナの前から始まっていました。トランプは移民を入れないために、メキシコとの間に壁を作ろうとしました。イギリスはEUから抜けて、「英国ファースト」のブレグジットを選択しました。国民国家というのは17世紀のウェストファリア条約によって人為的に作られた政治的擬制ですから、歴史的条件が変われば、変質し、必然性を失えば消えてゆく。そういうものだと思われていました。しかし、われわれは「国民国家は意外にしぶとい」ということを学んだ。
 資本主義の本家であるアメリカは、必要なものはそのつど市場で調達し、在庫は持たないという経営が評価される風土でしたから、感染症の医療資源についても、ほとんど在庫がありませんでした。医療資源は別に国産である必要はない。一番製造コストの安い途上国にアウトソースすればいい。経営者たちはそういう考えでした。ですから、感染初期にマスクや防護服といった最もベーシックでシンプルな医療品(つまり、製造コストの安い途上国にアウトソースできる商品)の戦略的備蓄がほとんどありませんでした。その結果、多数の感染者・死者を出した。別に高度医療が足りなかったのではなく、最低の製造コストで製造すればよいと思っていたものが手元になくて、たくさんの人が死んだのです。
 感染症対策のためにはば医療資源に「スラック(余力、遊び)」が必要です。でも、感染症のための医療資源を大量に在庫として抱えておくと、感染症が流行しなければ、それはすべて「不良在庫」として扱われます。感染症はいつ来るか分からない。もしかしたら、この新型コロナがだってある日いきなり終息して、それから何年も「次のパンデミック」が来ないかも知れない。その間は、感染症のための病棟も医療器具も薬剤も、感染症専門の医師や看護師も「不良在庫」扱いされることになります。専門家に伺うと、感染症という診療科は大学病院でも「不要不急の診療科」という扱いを受けるんだそうです。病院経営者が「病床稼働率100パーセント」を目標に掲げ、「不良在庫一掃」を指示するような病院では感染症のための戦略的備蓄の余地がありません。
 事実、日本ではこれまで保健所を減らしたり、病床数を減らしたり、ということをずっとやってきました。医療費をなんとか削減しなければならないということが国家的課題として掲げられていたからです。だから、医療機関を統廃合して、「スラックのない医療」をめざしてきた。だから、パンデミックに対応できずに医療崩壊を起こした。
 アメリカは「スラックの戦略的必要性」ということをすぐに学習して、すでにトランプ在任中から、主要な医薬品と医療資源に関しては外国にアウトソースせず、国産に切り替えるという方向を示しました。もちろん製造コストははるかに高くなるわけですけれども、「金より命が大事」だという基本的なことは学習した。これから先は、米中の経済的な「デカップリング」もあって、サプライチェーンを他国に依存しないという動きが出てくると思います。でも、エネルギー、食料、医療などを国産に切り替えるというのはグローバル資本主義から逆行する方向です。
 グローバル資本主義では、企業はどこかの国民国家に安定的に帰属するということはありません。最も賃金が低く、製造コストが安いところに工場を建て、公害規制の緩い国で廃棄物を棄て、政治が腐敗していて役人が簡単に買収できる国で法律の網の目をくぐり、租税回避地に本社を移して、税金を払わない、というのがグローバル企業の常識です。
 だから、グローバル企業は21世紀に入ってから国民国家の国境線が強化されるというようなことは想像だにしていなかったと思います。でも、パンデミックのせいで今起きているのは、いかなる企業も、国民国家の国家内部的存在であって、その国に対して帰属感を抱き、同胞たる国民のために雇用を創出し、国庫に多額の税金を納める「べき」だという国民経済への回帰の心理です。まさか、21世紀になって「国民経済への回帰」起きるとは思ってもいませんでしたが、もしかすると、これは不可逆的なプロセスであるかも知れません。
 気象変動で分かる通り、グローバル資本主義はいかなる国民国家に対しても帰属意識も忠誠心も持たないばかりか、地球に対しても愛着がなく、人類に対して同胞意識を抱かない存在です。国連が始めたSDGsもそうですけれど、この十年ほどは「グローバル資本主義を抑制して、国民国家単位で、自国民の利益を優先するように行動する」という動きを各国政府がするようになりました。グローバル企業が大儲けすれば、「トリクルダウン」があって、国民は恩沢に浴するのだから、政府は企業が経済活動しやすいように支援していればよくて、国民への公的支援は要らないというタイプの、バケツの底の抜けたような「新自由主義」政策はもう命脈尽きたということです。

ノマドからセダンテールへ

 もう一つパンデミックが終わらせたと思われるのが「遊牧的生活」です。
 フランス語に「ノマド(nomade)」と「セダンテール(sédentaire)」という単語があります。「ノマド」は遊牧民、「セダンテール」は定住民のことです。グローバル資本主義におけるビジネスプレイヤーはノマドであることが基本でした。企業もそうですし、ビジネスマンも、株主も、みんなノマドです。ビジネスチャンスを求めて遊牧的に動く。定住しないし、いかなる「ホームランド」にも帰属しないし、いかなる国民国家に対しても忠誠心を抱かない。それがデフォルトでした。
 日本でも、この30年、エリートであることの条件は「日本列島内に居着かない」ということでした。海外で学位を取り、海外に拠点を持ち、複数の外国語を操り、海外のビジネスパートナーたちとコラボレーションして、グローバルなネットワークを足場に活動する。日本には家もないし、日本に帰属感もないし、日本文化に愛着もない、という人たちが日本はいかにあるべきかについての政策決定権を握っていた。まことに奇妙な話です。日本に別段の愛着もない人たち、日本の未来に責任を感じない人たちが、日本はどうあるべきかを決定してきたのです。そういう人が「一番えらい」ということになっていたからです。
 グローバル企業の採用条件は「辞令が出たら明日にでも海外に赴任して、そのまま一生日本に戻らなくても平気な人」ということでした。「日本以外のところで暮らせる人間しか採用しない」と豪語した経営者さえいました。「日本国内にいなくても平気な人、日本語で話せなくても平気な人、日本の食文化や伝統文化にアクセスできなくても平気な人」が日本国内のドメスティックな格付けにおいて一番高い評価を受けた。ですから、ある時点からエリートたちは自分たちが「いかに日本が嫌いか」、「日本はいかにダメか」を広言するようになりました。そうすると喝采を浴びた。これはいくらなんでも倒錯していると思います。
 でも、パンデミックで、「ノマド的な生き方」をする人を最も高く評価するというこれまでの人事考課にはブレーキがかかるだろうと思います。
 それよりも、政策の優先課題は、日本列島から出られない人たちをどうやって食わせるか、この人たちの雇用をどう確保するか。どうやってこの人たちに健康で文化的な生活を保障するか、ということになります。これは池田内閣の時に大蔵官僚だった下村治の言葉です。日本列島から出られない、日本語しか話せない、日本食しか食べられない、日本の宗教文化や生活文化の中にいないと「生きた心地がしない」という定住民が何千万といます。まずこの人たちの生活を保障する。完全雇用を実現する。それが国民経済という考え方です。
 これまでは定住民たちは二級国民という扱いを受けてきました。日本にとどまって、遊牧的な生活を回避したのは自己決定された生き方である。そのせいで社会的な評価が下がっているのであるから、その低評価は自己責任である。だから定住民は公的支援の対象にならないというのが新自由主義イデオロギーにおける支配的な言説でした。でも、それはそろそろ賞味期限が切れて、説得力を失ってきた。パンデミックはある地域に住むすべての住民が等しく良質の医療を受けられる体制を整備しない限り、収束しませんし、国境線を越えて活発に移動する「ノマド」は、疫学的には「スプレッダー」というネガティヴな存在とみなされるようになったからです。

教育システムの再国産化

 教育システムもコロナ後の世界では変化をこうむる可能性があると僕は考えています。この30年近く、日本の学校教育は「グローバル化」をめざして再編されてきました。しかし、日本のいまの学術的発信力の低下は目を覆わんばかりです。さまざまな指標が日本の学校教育が失敗していることを示していますが、それは「日本の学校はレベルが低くても別に構わない」という考え方をする人が、実際には教育の制度設計に強い発言力を持っているからではないかと僕は考えています。学校教育を通じて、「世界に通じる日本人」を育成しようとしているという大義名分を掲げながら、「世界に通じる日本人」の育成を海外の教育機関にアウトソースしようとしているように僕には見えるのです。
 実際に良質な学校教育を受けたかったら、アメリカやヨーロッパに行けばいいということを平然と言う人がいます。日本の大学を世界レベルのものにするために手間をかけたり、予算をつけたりする必要はない。そんなところに無駄なリソースを使うよりは、すでに世界的な人材を輩出しているレベルの高い学校に送り込めば済む。ほんとうに良質な教育を受けたかったら、ハーバードに行け、ケンブリッジに行け、北京大学に行けばいい。そういうところに行くだけの資金力や学力の足りない人間は日本の大学で我慢しろというようなことを平然と言い放つ人がいます。
 現に、今の日本のエスタブリッシュメントでは、子どもたちを中等教育の段階から海外の学校に送り込むことがステータスの証になっています。「教育のアウトソーシング」です。 でも、必要な教育は自前で整備する必要はない、金がある者は金で教育を買えばいいという発想をすれば、日本の学校教育は空洞化して当然です。
 1年間の海外留学を保障するという大学はいま受験生には非常に人気があります。志願者も大学もともにこれを喜んでいる。大学にしてみたら25%の教育コストをカットできるわけですからありがたい話です。教職員の人件費も、光熱費も、トイレットペーパーの消費量まで4分の1減らせる。授業料は満額もらっておいて、留学生受け入れ先の海外の学校に払った後は「中抜き」ができる。教育を何もしないでお金が入って来る。でも、これは大学の存在理由を掘り崩しかねない制度だという危機感が感じられません。
 そのうち、誰かが留学期間を1年間ではなく2年間にしたらどうだと言い出すでしょう。そうすれば教育コストは50%カットできる。教職員も半分に減らせる。校舎校地も半分で済む。そのうち「いっそ4年間海外留学させたらどうか」と誰かが言い出す。そうしたらもうキャンパスも要らないし、教職員も要らない。サーバーが一個あれば済む。もう大学そのものが要らなくなる。教育をアウトソースするということはそういうことなんです。学生の「ニーズ」にお応えして、教育コストをカットすることを優先していると、最終的な結論は「じゃあ、大学なんか要らないじゃないか」ということになる。今の日本で起きているのは、そういうことです。
 近代学制は明治時代に制度設計されましたけれど、それは「日本人教員が、日本語で、世界水準の教育を行える環境を創り上げる」ことを目指していました。最初は外国人の「お雇い教員」が英語やフランス語やドイツ語で授業を行いましたが、わずか一世代後には日本人教員が日本語で同程度の授業をできる体制を作り出した。「教育の国産化」を果たしたのです。もし、明治初期に「自前で世界レベルの高等教育機関を作るのはコストがかかるから、中等教育までは国内でやるにしても、高等教育は欧米に留学させればいい。アウトソースできるものはアウトソースするのが合理的だ」と言い立てる人たちが政策決定をしていたら、日本はそのあとも先進国の仲間入りすることはできていなかったでしょう。
 明治人は世界レベルの高等教育を日本国内で行える環境を整えるためにたいへんな努力をしました。当時の人たちが今の日本の高等教育を見たら愕然とすると思います。国内の大学で育てるのは「普通のサラリーマン」だけでいい。いずれ日本の指導層を形成するエリートは海外の一流の高等教育機関で育ててもらえばいいということを考えている人たちが日本の指導層を形成しているんですから。
 パンデミックのせいで、この1年半の間、留学生たちが行き来できなくなりました。そして、「教育のアウトソーシング」というのはいつでも好きな時にできるわけではないという当たり前のことを日本人は学習しました。金さえ出せば、どこにでも好きなところに移動できるという前提そのものがいかに危ういものであるかが分かった。もし「日本には高等教育機関は要らない。要る人は海外に出て行けばいい」という考えに基づいて教育制度が設計されていたら、国境線が「疫学的な壁」になってしまった時に、日本人は高等教育へのアクセス機会を失うことになります。それが長期的に日本の国力をどれほど損なうことになるのか。そのリスクをまったく勘定に入れてこないで教育を論じてきたことを彼らはもう少し恥じてもいいと思います。
 医療も教育も、エネルギーも食料も、国が存続するために不可欠のものは、一定程度の戦略的備蓄は必要です。「アウトソースした方がコストが安い」という人たちは「アウトソースできない時がある」ということを考えていないのです。国境線が「疫学的な壁」になってクロスボーダーな行き来が一定期間止まってしまった場合でも、自前で何とかできるように備えるのが「リスクヘッジ」ということです。そのことのたいせつさをパンデミックは教えてくれたと僕は思います。

軍事の変容

 あともう一つ、これは僕が知る限り、指摘している人があまりいないトピックですが、パンデミックと軍事の関係です。
 去年の3月にアメリカの空母セオドア・ルーズベルト号の艦内でコロナ患者が発生したために、感染者を下船させるために、作戦行動を中断して港に戻ったことがありました。その前にはダイヤモンド・プリンセス号での集団感染がありました。
 その時に、船舶というものが非常に感染症に弱いということが分かった。たくさんの人が狭い空間に閉じ込められていて、斉一的な行動をとらされるわけですから当然です。同時に軍隊が感染症に対して脆弱な組織だということも明らかになった。軍隊もたくさんの人を狭い空間に閉じ込めて、斉一的な行動をとらせます。同じ時間に起きて、同じ時間に寝て、同じ場所で、同じものを食べる。感染症防止には最悪の条件です。
 感染拡大を防ぐ効果的な予防方法は「ニッチをずらす」ということです。同一環境内にいる生物が、生息地をずらし、食性をずらし、行動パターンをずらすことで、リスクを分散する。軍隊はそれができません。軍隊は、特定の狭いニッチの中に大量の人々をまとめることで成立する組織です。
 だから、パンデミックが始まってから後、世界では大規模な軍事行動は行われていません。「起きてもよかったのだが、起きなかったこと」は気がつきにくいものですが、そうなんです。この1年半に起きた大規模な戦闘と言えば、アゼルバイジャンとアルメニアの間の領土紛争と、アフガニスタンのタリバンと政府軍の戦闘だけです。アフガニスタンでは米軍も政府軍もほとんど戦闘をしないまま撤兵しました。それは通常兵器による長期的な戦闘ができにくくなっているからだと僕は思います。
 ふつうは紛争地近くの海域にまで空母を送り、そこから爆撃機やヘリコプターを出動させる、潜水艦からミサイルを発射するという作戦行動をとるわけですけれども、艦船は感染症に弱いことが分かった。特に潜水艦は、狭い空間に兵員を詰め込んで、同じ空気を吸うわけですから、感染症にきわめて脆弱です。だから、パンデミックによって軍事的なフリーハンドは大幅な制約を受けることになりました。
 それは同時に軍のAI化を推進させる理由ともなりました。もちろん、パンデミック以前から軍備のAI化は進行していましたが、パンデミックのせいで、ドローンやAIが制御するロボットに戦争を任せるという方向への切り替えが加速することになりました。機械はウイルスに感染しませんから。
 AI軍拡はアメリカと中国が突出しています。アメリカの外交専門誌を読む限りでは、アメリカの方が軍拡競争に若干出遅れているようです。アメリカの軍人たちは「いま中国と戦争をしたら勝てない」ということを言っていますが、これはあまりそのまま真に受けるわけにはゆきません。軍人は「もっと国防予算を増やさないと、このままではたいへんなことになる」と言い立てるのが仕事ですから、彼らの危機論はたしょう割り引いて聴かなければならない。ただ、軍関係者はほぼ一様に「中国の方が軍のAI化ではアドバンテージがある」ということは認めています。決定的な差ではないでしょうけれど、いまのところは中国に分がある。
 アメリカは技術的には進んでいますが、AI化の阻害要素があります。軍産複合体と彼らに操作されている議員たちです。軍需産業は巨大な在庫を抱えています。空母や戦闘機やミサイルの大量在庫があります。これが全部「はける」まで、次世代テクノロジーへの切り替えはできない。国防上の理由ではなく、企業の利益のためです。
 今回アフガニスタンで、米軍は大量の兵器を惜しげもなく捨ててゆきましたが、あれはある意味で「不良在庫の一掃」という意味があったのだと思います。あの兵器が貴重な資源だったら、全部回収したはずです。兵器の無駄遣いを求めるのは軍需産業としては当然のことです。兵器をたいせつに使って長持ちさせられては利益が出ませんから。
 安倍政権の時に、日本は一機100億円のF35戦闘機を大量に購入しましたけれど、軍事のAI化に予算を集中したいアメリカには、もう空母や戦闘機は要らないのです。あれは日本に「在庫処理」を押し付けたのだと僕は思っています。
 中国のアドバンテージは、軍需産業の都合を配慮する必要がないということです。軍拡に市場の理論が入り込む余地がない。党中央が「軍備をAI化しろ」と命令したら、軍も、兵器産業も、学者も、技術者も、一斉にAI化に集中する。
 ただ、中国も実は軍事上のシリアスな問題を抱えています。
 
中国のリスクファクター

一つは人口動態です。中国の国防費の総額は年々増えています。しかし、そのすべてが兵器の開発や充実に用いられているわけではありません。世界のどこの国でも国防費の相当部分は人件費です。中国の国防費に占める人件費の割合は予測ですが、おそらく30%から40%だと思われます。現役の軍人の給料であれば、それは軍事費としてカウントできますが、人件費には退役軍人の年金も含まれています。これは国防上には積極的な意味はありません。そして、この年金支出が国防費に占める割合が年々高まっている。
 中国の人口は2027年にピークアウトして、それから急激な高齢化と人口減局面を迎えて、以後一年に500万人のペースで人口が減ります。特に生産年齢人口の減少が顕著で、2040年までに30%の減が見込まれています。一方高齢者は激増して、2040年には65歳以上が3億5000万人以上になります。それに、「一人っ子政策」が1979年から2015年まで採用されていたせいで、この世代には男性が女性よりずっと多い。ですから、男性たち、それも低学歴・低収入の男性が生涯未婚で老後を迎えます。彼らは親が死んでしまうと、兄弟姉妹も配偶者も子どももいない天涯孤独の身になります。中国では経済リスクを抱えた個人の救済のためには親族ネットワークがありましたが、親族がいない人にはこのセーフティネットがありません。中国はこの何千万もの高齢者を支える社会保障システムをいまは持っていません。これから構築しなければならない。
 ですから、中国としてはもう大型固定基地とか、巨大空母とか、巨大な軍隊を持つより、早くAI軍拡へ舵を切りたいのだと思います。初期経費はかかりますが、長期的な管理コストはAIの方が圧倒的に安いからです。ドローンやロボットには給料を払う必要もないし、年金受給も要求しませんから。ですから、中国の人口動態はAI化推進へのインセンティブになると思います。
 中国にはもう一つの懸念材料があります。それは治安維持コストの高騰です。すでにだいぶ前から治安維持コストは国防費を越えています。つまり、中国政府は予算配分上は「海外からの軍事的侵略リスク」よりも「国内における内乱リスク」の方を高く見積もっているということです。膨大な予算を投じて国民を監視している。顔認証、虹彩認証、声紋認証など、中国の国民監視テクノロジーは世界一です。この監視テクノロジーはシンガポールやアフリカの独裁国家へと輸出されています。
 香港や新疆ウイグルの統治問題もありますから、これから先、中国の国家予算に占める国民監視コストは増大することはあっても、減少することはないと思います。これも先行きは中国政府のフリーハンドをかなり制約する要因になるでしょう。

 うちの門人に台湾の方がいます。日本企業の社員で、いま上海に出向しています。先日彼が一時帰国した時に挨拶に来てくれたので、最近の上海の様子を伺いました。ショックだったのは、彼が会社で中国人の同僚と会話しているときに、彼が台湾出身だと知りながら、「台湾への軍事侵攻」の話題が日常会話で出てきたという話でした。「もうすぐ台湾は中国に併合されるだろう」というようなことを中国の一般市民が日常会話で平然と口にしている。
 中国政府が台湾侵攻の計画をほんとうに練っているのかどうかは分かりませんが、国民に対して、「いつでも台湾を軍事侵攻する用意がある」というアナウンスをしていて、いざそういうことが起きた時にも批判的な世論が出てこないように世論操作を始めていることはたしかです。
 中国の台湾への軍事侵攻は果たしてあるのでしょうか。『フォーリン・アフェアーズ・レポート』の6月号にショッキングな論文が出ていました。それはもし中国軍が台湾に侵攻しても、アメリカ軍は出動すべきではないと主張したものです。その場合には、気の毒だが台湾を見捨てよう。台湾を守るために出動すれば米中の全面戦争になってしまう。それは回避すべきだというのです。
 台湾への軍事侵攻を座視していた場合の最大のリスクは、韓国と日本がアメリカに対する信頼を失って、同盟関係に傷がつくことだけれど、これについては心配する必要がない。アメリカが台湾を見捨てた場合、日本と韓国はアメリカに対して不信感を抱くよりはむしろ中国に対する恐怖心をつのらせ、一層アメリカとの同盟関係を強固なものにしようとするだろうという予測でした。
 中国国内では台湾を侵攻するかもしれないという世論形成がなされ、アメリカ国内では台湾がもし中国に攻められたら、見捨てようということを公然と言う人が出てきている。そういうことを日本のメディアはほとんど報道しませんし、冷静な分析記事を読むこともありません。
でも、いまパンデミックをきっかけに世界の軍事状況が変化しつつあることは間違いありません。AI化が進行すれば、これから大型固定基地は不要になります。広いエリアに大量の武器弾薬を備蓄して、何万人も兵隊たちを住まわせておくというタイプの大型固定基地は時代遅れのものになる。
 そうなった時に米軍は日本国内の米軍基地を返還するでしょうか。僕はかりに米政府が在外基地の撤収を検討し始めても、日本の場合は米軍が強硬に反対するだろうと思います。大型固定基地と、そこに付属している諸設備を米軍は「既得権」であり、「私有財産」だと思っています。ですから、軍略上の必要性がなくなったあとも、手離さないだろうと思います。
 アメリカはキューバのグァンタナモ基地を返還していません。100年以上前の米西戦争の時に租借して、いまも年額4,000$で借り上げています。当然、キューバ政府は以前から返還を要求し続けていますが、米軍は返す気がありません。
 グァンタナモ基地にはアメリカ国内法もキューバの法律も適用されません。ですから、米軍はその基地内では米軍のレギュレーションだけに従って、好きなことができる。一種の治外法権空間です。キューバは返還をつよく要求しているのにアメリカは返還しない。日本は返還要求さえしていないのですから、返還されるわけがない。地政学的環境や軍備のありようがこの先大きく変わった場合でも、おそらく日本国内の米軍基地は未来永劫「米軍の資産」として残されるでしょう。

野蛮なトライバリズムから健全なナショナリズムへ

 パンデミックでグローバル資本主義が停滞して、国民国家の再強化が始まりました。グローバル経済から国民経済へのシフトが始まる。これまでアウトソースしていたもののうち、集団の存続に必須のものは国産化されるようになる。SDGsや気象変動に対するトランスナショナルな行動は、グローバル資本主義の暴走を止めて、政治単位としての国民国家の力を強めようとする動きですから、これも平仄が合っています。「グローバルからナショナルへ」という流れはこのあとしばらく続くでしょう。
 問題は国民国家の再強化がどのような形のナショナリズムを生み出すかということです。パンデミックで露呈したのは、どの国も、結局一番大事なのは自国民を守ることだったということです。
 菅政権が短命に終わったのは、「国民国家の最重要の任務は自国民の健康と生命を守ることだ」という世界の常識を過少評価したことです。安倍―菅政権は、「すべての国民の利害を代表する」のではなく、身内や縁故者や支持者の利益を優先的に配慮しました。反対者を含めて全国民の利益を代表する気がありませんでした。国民を分断して、一部の身内の利益を配慮する方が、国民を統合して、全体の利益を配慮するよりも政権維持には有利だということを学習した。
 でも、その成功体験がかえって感染症対策の足をひっぱっることになりました。感染症は国民の政治的立場にもその他の属性にもかかわらず、国内の全住民に等しく良質な医療機会を提供することなしには抑制できません。でも、「その政治的立場にかかわらず、全国民の利益を配慮する」ということを政権は過去9年間本気で取り組んだことがなかった。だから、やり方がわからなかった。それが感染症対策の失敗の原因だと思います。
 国境線の外側に関しては国境線の壁を守って、かなり排他的ではあるけれども、国内については、その属性にかかわりなく、全住民の権利を等しく配慮するというタイプの為政者がこれから世界では「あるべき政治家」となることでしょう。少なくともそれが「疫学的に望ましい統治者」です。
 そのような趨勢が「健全なナショナリズム」の形成に結びつけばよいのですが、排外主義イデオロギーに転化するリスクが高い。ですから、ナショナリズムが過激化することなく、国民国家の同胞たち、「有縁の人たち」をまず配慮するけれども、過度に排外主義的にならないような「穏やかなナショナリズム」がこれからめざすべきイデオロギー的な着地点だと思います。
 しかし、いまの日本で「ナショナリズム」と呼ばれているものは、その語の本来の意味での「ナショナリズム」ではありません。国民を敵味方に分断して、味方の利害だけを配慮するというのは「ナショナリズム(nationalism)」ではありません。それは「トライバリズム(traibalism)」、部族主義です。
 ナショナリズムというのは、その属性にかかわらず、性別や信教や出自や政治的立場にかかわらず、「日本人であればみな同胞」として温かく包摂することです。国民を政治的立場で色分けして、反対者には権利を認めず、資源の分配から遠ざけるというような政治家は「ナショナリスト」とは呼ばれません。それはただの「トライバリスト」です。彼は「自分の部族」を代表しているのであって、「国民」を代表しているわけではない。
 このトライバリストたちによる政治がこの10年間日本をこれだけ衰微させてきたのです。トライバリストは国民を分断することによって長期政権を保つことには成功しましたけれど、敵や反対者の活動を封殺し、公的セクターから排除したために、国力は著しく低下しました。当然のことです。国民の一部しか国家的な事業に参加する資格を認められないのなら、国力は衰微します。多くの場合、イノベーションは学術的なものも、ビジネスモデルでも、メインストリームの外側にいる人たちが起こすものです。でも、トライバリストたちは自分たちの「部族」に属している人間にしか公的支援を行わないできた。日本学術会議の会員任命拒否が典型的ですけれども、政府は「政権に反対する学者には公的支援を行わない」という姿勢を明らかにしました。「部族」外のイノベーターには機会を与えないということを10年間続ければ、経済力も、文化的発信力も、国際社会におけるプレゼンスも劇的に低下して当然です。
 かつて帝国主義国家が植民地を支配するときに活用した「分断統治(divide and rule)」によってたしかに政権基盤は安定しましたけれど、国力は失われた。植民地の場合はそれでもよかったのです。植民地は宗主国にとっての収奪の対象であって、むさぼるだけむさぼって、収奪する資源が尽きたら棄てればいいからです。でも、独立国が自国の統治に「植民地主義」を適用するということはあり得ないことです。その「あり得ないこと」を過去10年間安倍ー菅政権は行ってきた。この致命的な失策をどこかで補正しなければなりません。どこかで、トライバリズムを棄てて「ふつうのナショナリズム」に立ち戻る必要があります。その道筋はまだ見えていませんが、それ以外に日本再生のチャンスはありません。


不登校・自殺過去最悪、なぜ改善できないか?政府調査・体制の問題点

2021年10月14日 | 教育・学校

YAHOO!ニュース(個人)10/14(木)

 末冨 芳(日本大学教授・内閣府子供の貧困対策に関する有識者会議構成員)

つらいニュースが飛び込んできました。

小中高生の不登校・自殺者数が昨年度(2020年度)、過去最悪になったのです(文部科学省「令和2年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果概要」)。

1.ついに不登校約20万人に

「新型コロナウイルスの感染回避」による長期欠席3万人超

中高生の自殺者も過去最悪

文科省「令和2年度・問題行動・不登校調査」によって、日本の子ども若者が大変な状況に置かれていることがあきらかとなりました。

とくに衝撃的だったのは以下の3点です。

・小中学生の不登校がとうとう約20万人に(196,127人)

・自主登校は小中高校生で3万人超(30,287人)

・小中高校生の自殺者数は415人、統計開始以来最悪

2.なぜ小中高校生の不登校・自殺は改善できないか?政府調査の問題

厚労省・警察庁・文科省調査で見過ごされる教員ハラスメントと家庭の社会経済階層(SES)

なぜ小中高校生の不登校・自殺は改善できないのでしょうか?

主な原因は、そもそも文科省「問題行動・不登校調査」や厚生労働省・警察統計などにおいて、子ども若者の不登校・自殺の原因分析や予防・改善に必要なデータが十分に取られていないことにあります。

具体的には、子ども若者の不登校・自殺対策のために、収集されるべきデータが調査項目から外されているのです。

そもそも文科省の「問題行動・不登校調査」は、学校の教員が認知した小中高校生の状況が集計されているにすぎません。

したがって教員による性暴力・虐待・ハラスメントが原因となった不登校・自殺は隠蔽されていてもおかしくありません。

自殺リスクの高い児童生徒の自殺未遂の調査もないのです。

教員からのわいせつ行為で自殺未遂になりいまも意識不明になっている生徒がいますが、この生徒の自殺未遂は自殺者の統計に含まれていないはずです(読売新聞「元担任と親密な関係、やがて苦しんだ女子生徒は自殺図る[心の傷]<上>」(2021年4月22日))。

こうした実態を考えると、学校経由の調査だけでは不足であり、当事者の児童生徒や保護者への調査も必要となることがご理解いただけるでしょう。

また既存の政府調査には次のような問題があります。

まず不登校に関する調査の問題点は次の通りです。

問題行動・不登校調査の場合には、以下の表のように「親子の関わり方」に問題があると学校が把握したケースが最多となっています。

文部科学省「令和2年度問題行動・不登校調査結果概要」より

問題は、その親子の生活困窮度、虐待の有無、所得、ひとり親等、家庭の困難度が調査されていないことなのです。

不登校の中には、生活困難や保護者の疾患などにより、子どもだけで生活習慣を整えられない家庭などの、「脱落型不登校」と呼ばれるケースが一定数あることが研究者によって指摘されてきました。

※酒井朗・川畑俊一,2011,「不登校問題の批判的検討--脱落型不登校の顕在化と支援体制の変化に基づいて」『大妻女子大学家政系研究紀要』第47号, pp.47-58.

子ども若者の貧困支援を行っている団体も、生活困難な家庭に不登校児童生徒が多く発生していることを把握しています。

しかし政府調査で不登校・自殺の背景に潜む家庭の困難度の検証ができないのです。

多くの研究者・専門家が長年この調査の改善を訴えてきましたが、現在まで文科省の対応はされていません。

問題行動調査をはじめとする文科省調査で、保護者の社会経済階層(SES)等の家庭のバックグラウンドデータを収集し、分析する必要性については、私も教育政策分野の研究者として、今年(2021年)7月15日の中央教育審議会・教育課程部会で指摘しています。

また自殺については、警察庁の「自殺の状況」、警察庁自殺原票データに基づいて、厚生労働省が集計を行う「自殺統計に基づく自殺者数」、学校からの報告にもとづく文部科学省の「問題行動・不登校調査」の3種類の統計が存在しています。

しかし下図のように警察庁調査と文科省調査の自殺者数が一致しないなど、大きな問題があります。

文部科学省「令和2年度問題行動・不登校調査」

また警察庁が自殺の原因を詳しく捜査しても、子ども・若者の自殺予防のためにその情報が活用できないというもどかしい現状があります。

この3省庁の連携のうまくいかなさが、子ども若者の自殺対策の障壁でもあるのです。

3.子ども若者の自殺予防体制は、警察庁・厚労省・文科省の間で「パス回し」

誰も子どもの命を守らない?

子ども若者の命を守る子ども基本法成立、そしてこども庁、子ども予算が必要

コロナ禍直前に、子ども若者支援団体と連携して、私も改善しようとしていたのが、子ども若者の自殺予防の体制でした。

しかし子ども若者の自殺予防こそ、警察庁・厚労省・文科省の間で「パス回し」(責任逃れ)に終始しています。

なぜならどの省庁もその設置法に、子どもの命を守ることに責任を持つとは書いていないからです。

その前提として子ども若者の生命や尊厳、人権を守る子どもの権利基本法(子ども基本法)が我が国には存在しないことが課題としてあげられます。

子ども若者の命を「パス回し」せず守るためには以下の法・政策・予算が急務です。

・子どもの生命、尊厳と人権を守る子ども基本法の成立

・子ども基本法にもとづき、子どもの命を守る業務を設置法に明記したこども庁の創設

・子ども若者の自殺予防に有効な対策への政府予算拡充

(家庭の生活困難の解消、スクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカー常勤化・増員による子ども若者の相談体制の整備、政府調査の抜本的改善等)

また不登校についても、政府調査の改善により要因を特定し、貧困・虐待等が要因となっているケースについては、省庁の施策に横串を通し、効果的な政策・予算を構築することが急務です。

おわりに:子どもの命を守る法・政策・予算は自公連立政権に課せられたノルマである

全国一斉休校を強行した安倍晋三総理大臣(当時)は「生じる課題に政府として責任をもつ」と明言

子ども若者の命も学びも脅かされる日本にあって、子どもの命を守る法・政策・予算は自公連立政権に課せられたノルマであるともいえます。

2020(令和2)年度に、子ども若者の不登校・自殺者数が最悪となるだろうことは、昨年2月27日の一斉休校宣言当時から、支援者・専門家・研究者が懸念していた事態でした。

その最悪の事態を私たちは、目の当たりにしているのです。

全国一斉休校を強行した安倍晋三総理大臣(当時)は「生じる課題に政府として責任をもつ」と明言されました(NHK「臨時休校『生じる課題に政府として責任をもつ』首相(2020年2月28日))。

だとすれば、子どもの命を守る法・政策・予算は自公連立政権に課せられたノルマだと言えます。

法・政策・予算もいずれも充実させなければ、子どもたちの命も再び守れず、学校に行くことのできない小中高生は来年度も増加するリスクも高いと考えています。

政府調査により一斉休校と不登校・自殺との関連性もより明確にする必要があります。

自民党・公明党も子ども若者の命や学びは「パス回し」して責任逃れするのでしょうか?

それとも、子ども基本法、こども庁、そして抜本的な予算増で、子ども若者の命を守るというゴールを決められる政治になるのか。

衆議院選挙での各党とくに与党自民党・公明党の公約・主張を見守り、選挙後の取り組みでこそ、子ども基本法・こども庁・子ども若者予算増が実現されるかどうか、私も注視しつづけます。

末冨 芳(すえとみ かおり) 日本大学教授・内閣府子供の貧困対策に関する有識者会議構成員。専門は教育行政学、教育財政学。子どもの貧困対策は「すべての子ども・若者のウェルビーイング(幸せ)」がゴール、という理論的立場のもと、2014年より内閣府・子どもの貧困対策に有識者として参画。教育費問題を研究。家計教育費負担に依存しつづけ成熟期を通り過ぎた日本の教育政策を、格差・貧困の改善という視点から分析し共に改善するというアクティビスト型の研究活動も展開。多様な教育機会や教育のイノベーション、学校内居場所カフェも研究対象とする。主著に『教育費の政治経済学』(勁草書房)、『子どもの貧困対策と教育支援』(明石書店,編著)など。


 少子化の中で、なぜこのように子どもたちの命が蔑ろにされ続けているのか理解し難い。システムが変わらないとだめなのだろう。


赤木雅子さんの“総理への手紙”が生んだ奇跡 森友問題が衆院選で最も重視するテーマ1位に

2021年10月13日 | 社会・経済

AERAdot 2021/10/13

 1通の手紙が今、話題を呼んでいる。便せんに1枚と少々。短いけれど手書きで丁寧に思いをつづっている。

「内閣総理大臣 岸田文雄様 私の話を聞いてください。」

こういう書き出しで始まる文面は、すぐに深刻な内容に変わる。

「私の夫は三年半前に自宅で首を吊り亡くなりました。亡くなる一年前、公文書の改ざんをした時から体調を崩し、身体も心も壊れ、最後は自ら命を絶ってしまいました。」

 当時、安倍政権を揺るがせた財務省の公文書改ざん事件。森友学園への国有地巨額値引きが不透明だと国会で追及される中、取引に関連する決裁文書を改ざん。安倍晋三総理(当時)の妻、昭恵さんの名前が書かれていたのをすべて消した。これを現場の近畿財務局で実行させられた職員、赤木俊夫さん(享年54)が、1年間苦しみぬいた末、改ざんを告発する文書を残し、命を絶った。ところが…

「財務省の調査は行われましたが、夫が改ざんを苦に亡くなったことは(調査報告書に)書かれていません。なぜ書いてないのですか?」

「夫は改ざんや書き換えをやるべきではないと本省に訴えています。それにどのように返事があったのか、まだわかっていません。夫が正しいことをしたこと、それに対して財務省がどのような対応をしたのか調査してください。」

 最後に改めて総理に訴えかける。

「正しいことが正しいと言えない社会はおかしいと思います。岸田総理大臣ならわかってくださると思います。第三者による再調査で真相をあきらかにしてください。赤木雅子」

 手紙の送り主、赤木雅子さん(50)は、改ざん事件で犠牲になった近畿財務局職員、赤木俊夫さんの妻だ。夫を死に追い詰めた改ざん事件の真相解明をめざし、国と、改ざんを指示した佐川宣寿元財務省理財局長を相手に、裁判で闘っている。

◆総理への手紙を出した後の赤木雅子さんの1週間

 今なぜ“総理への手紙”を出したのか? それから1週間の怒涛の展開とともにお伝えする。

始まりは、立憲民主党副代表の辻元清美議員から、人づてに寄せられた申し出だった。

「国会の代表質問で森友事件の再調査を取り上げます。赤木雅子さんの言葉を直接岸田総理に伝えたいと思いました。もしも総理に訴えたいことがありましたら、私から伝えさせていただけませんか?」

辻元議員はそれまで雅子さんとのやり取りはなかった。うかつに政治に巻き込んではいけないと、連絡を控えていたそうだ。でも今回、総理大臣が岸田氏に代わり、「人の話を聞くのが得意」と述べたことから、雅子さんの言葉を何とか総理に伝えたいと考えたという。

 総理大臣に直接言葉を伝えてもらえるとは、ありがたいことだ。しかも代表質問はNHKのテレビで全国に生中継される。またとないチャンスだけれども、雅子さんには不安の方が強かった。辻元さんは国会でもネットでもよく誹謗中傷のような攻撃を受けている。総理への訴えを託したら雅子さんも攻撃されるかもしれない。申し訳ないと思いつつ、丁重にお断わりした。

 でも、これを機会に雅子さんは真剣に考えた。総理大臣に直接、思いを伝えるというアイディアはすごくいい。人に任せず自分で出せばいいのでは?…いや、それでも「総理に直接手紙なんか出して」と批判されるかもしれない。夫を亡くし独り暮らしになった雅子さんは、常に不安と孤独の中にいる。怖い気持ちと、かすかな希望。どうしよう…数日間、迷いに迷った末、朝の目覚めの後、神戸市内の自宅でコーヒーを味わいながら決めた。

「やっぱりやってみよう。手紙を送るだけなら、すぐできる」

 いったん決断すると、雅子さんの行動は早い。その日の午前中、予約していた歯の治療を受けながら頭の中で文案を練った。治療が終わるとすぐに手元のスマホで入力。自宅に帰って便せんに丁寧に書き始めた。やはり手書きの方が思いがこもるから。でも2回書き損じた。3回目でようやく書き上げると、記録用に写真とコピーをとった。再び自宅を出て郵便局へ。間違いなく届いたことを確認するには、郵便局で配達証明付きで送るのがいい。森友学園の小学校の名誉校長を務めていた安倍昭恵さんにお手紙を出す時にもそうした。

 朝、決めて、夕方には手紙を出す。即断即決即実行。10月6日、水曜日のことだった。この日から、雅子さんが思いもよらぬ勢いで事態が進展してゆく。

 速達で出したから着くのは早い。翌7日午前10時23分に総理大臣官邸に届いたことが配達証明で確認できた。約1時間後の午前11時半、雅子さんは大阪で弁護士と記者会見。岸田総理宛に手紙を送ったことを明らかにした。手紙のコピーを掲げて文面を読み上げた。「岸田さんならわかってくれる」という言葉にどういう思いを込めたのか、質問が出た。よくぞ聞いてくれました、という表情で答える雅子さん。

「総裁選の時、岸田さんは最初、再調査をするような発言をしていました。でもすぐに変わりました。誰かから何か言われたんでしょうか? 本当は再調査すべきだと思っているから最初そう言ったんだと思います。正しいことが正しいと言えない社会はおかしい。それが誰よりわかるはずだから、こう書きました」

 会見の後、雅子さんは弱気なつぶやきをもらした。

「みんな、どれだけ記事にしてくれるかなあ?」

 そんな心配は皆無だった。早くもお昼のニュースで“総理への手紙”がオンエア。テレビも新聞も各社次々に記事を出し、ネットにも流れた。一時はヤフーのトップニュースにあがるほどの勢いだった。

◆予想外に大きかった総理への手紙の反響

 この日、岸田総理大臣は参院補選の応援で静岡にいた。手紙について記者団に問われた総理は…「お手紙まだちょっと手元に届いておりません。受け取った上で対応を考えたい」

 次の日、8日は国会で岸田総理大臣の所信表明演説が行われる日。雅子さんは初めて傍聴に訪れた。衆議院の本会議場、一段高い所にある傍聴席で、総理の演説にじっと耳を傾けた。

 演説中、自民党議員の席から盛んな拍手が、野党議員の席からはヤジがとばされる。その時、雅子さんの耳にこんな言葉が飛び込んできた。

「再調査はどうした!」

 はっとして野党席を見つめた。今、誰かが「再調査」と言った。「人の話を聞く力がある」と自認する岸田総理にとって、もっとも聞きたくないヤジの一つだろう。その言葉が国会の議場に響いたことが純粋にうれしかった。演説中、再調査に関するヤジは少なくとも3回聞こえた。

その日、手紙の記事を見た辻元議員から連絡があった。公開された赤木雅子さんの手紙を、代表質問で全文読み上げてもいいだろうかという打診だった。総理に回答を迫るという。“総理への訴え”を託すのを断ったのに、そこまでしてくれるなんて…雅子さんは再び即断した。

「辻元さんにお礼を伝えに行きます」

 誹謗中傷への怖さより、大切なことがある。帰りの新幹線から見えたきれいな夕焼け雲も、励ましてくれるようだった。

◆大阪で初めて対面した辻元議員の素顔

 翌9日、午後6時半、大阪府高槻市。雅子さんは辻元議員の地元事務所を初めて訪れた。ここ数日、初めてのことだらけだ。辻元議員は総選挙を前に大阪府豊中市で応援演説をしていて、少し遅れるという。豊中といえば因縁の場所。森友学園に8億円値引きして売却されたあの国有地があるところだ。

 しばらくすると、「すみませ~ん、お待たせしちゃって」とお詫びしながら部屋に入ってきた辻元議員。室内の雰囲気がさっと明るくなったように雅子さんは感じた。

「こちらこそ、お忙しい所にいきなりお時間をとっていただいて」

 向かい合ってあいさつするやいなや、辻元議員が雅子さんの口元を指して笑顔を見せた。

「あ~っ、同じや!」

「そうですね」

 二人とも同じピンクの不織布マスクをつけていたのだ。

「どこで買うたん?ネットやろ?」

「いくらやった?〇〇円ちゃう?」

 ポンポン飛び出る、いかにも大阪人らしい言葉に、初対面の固さが一気にうちとけた。辻元議員はバリバリの大阪弁で笑かしてくれるが、ご本人はとてもスマートだ。雅子さんは見とれてしまった。手元を見ると、スマホのカバーもピンク、その他の身の回りの品もピンク。

「男が中心の政界で頑張っているけど、本当は可愛い人なんだな」

 なんだかほっとした。そこでふと気がついた。

「私は辻元さんのように攻撃されるのが怖かったけど、辻元さん自身は怖くない。怖いのは攻撃してくる人たちなんだ」

 やがて辻元議員が雅子さんの目をじっと見ながら心配するように語り掛けた。

「一人で暮らしてるの?」

 その言葉に雅子さんは、お互い一人で闘う女性としての心遣いを感じた。辻元さんも攻撃されれば傷つくし怖いこともあるだろう。雅子さんも同じだ。政界も裁判も財務省も、周りは男だらけ。男性たちに囲まれる圧迫感、攻撃される恐ろしさ。女性同士だからわかりあえる。

「私の裁判人生に、やっと女性が現れた…」

 そう思うと気持ちが落ち着いた。…帰りに、辻元議員おススメの地元中華料理店の餃子をいただくのも忘れなかった。

週明けの10月11日。赤木雅子さんは朝早くから新幹線で東京へ向かっていた。この日、衆議院本会議で行われる代表質問を傍聴するためだ。報道各社には事前に、立憲民主党の辻元清美議員が代表質問で雅子さんの“総理への手紙”を読み上げること、それを傍聴した後、取材に応じることを伝えていた。

◆冷やかだった麻生前財務大臣の反応

 でも、どのくらい取材に来てくれるだろう? 麻生前財務大臣は先月の記者会見で再調査について「読者の関心があるのかねえ?」と冷ややかに語った。世間の関心があるのか、雅子さんにも自信がなかった。

 ところが報道各社から次々に問い合わせの電話が入る。議場に着くと取材席のテレビカメラが傍聴席の雅子さんを狙っている。かなり関心がありそうだ。

 午後3時過ぎ、辻元議員は代表質問で、赤木雅子さんと初めて面会したことを明かした。その時に受け取った“総理への手紙”のコピーを取り出し、全文を読み上げて紹介した。傍聴席の雅子さんは身じろぎもせず、じっと手元のハンカチを握りしめたまま聞いていた。

 辻元議員の質問には普段、自民党議員のヤジが激しく飛ぶが、手紙の朗読中、議場は静まり返り、誰一人ヤジを飛ばす議員はいなかった。手紙を読み終えると辻元議員は岸田総理に向き直った。

「どんな思いでお手紙を出したのですか?と(雅子さんに)お聞きすると、『岸田総理は人の話を聞くのが得意とおっしゃっていたから、私の話も聞いてくれるかと思い、お手紙を出しました』とおっしゃっていました。総理はこのお手紙、どのように受け止められましたか? 総理、お手紙で求めていらっしゃる『第三者による再調査』、実行されますか?」

 岸田総理は答えた。

「御指摘の手紙は拝読いたしました。その内容につきましては、しっかりと受けとめさせていただきたいと思います」

 手紙を読んだことを認めたが、対応については…。

「今現在、民事訴訟で法的プロセスに委ねられていて、返事などは慎重に対応したいと思っています」

「財務省で事実を徹底的に調査し、自らの非を認めた調査報告書を取りまとめています。検察の捜査も行われ、結論が出ています」

「本件については、これまでも国会などにおいて、さまざまなお尋ねに対して説明を行ってきたところであると承知をしており、今後も必要に応じてしっかり説明をしてまいります」

 要するに、安倍政権、菅政権と同じ。「調査は尽くした。問題はない」を繰り返し、最後は「裁判中なので」と逃げる。再調査を行う気がかけらもないことはよくわかった。ところが雅子さんの感想は少し違った。

「岸田さんの答弁は言葉が丁寧ですね。そこが安倍さんや麻生さんとは違います。内容はゼロ回答なんだけど、何だか今後に期待できるような気がしてしまいます」

 だから、代表質問が終わった後の報道各社の取材でもこう答えている。

「再調査にむけて前向きな返答を頂けなかったことは、本当に残念です。だけど(岸田総理の)考えが変わる時がくるんじゃないかと思うので、期待してまだ待っていようと思いました」

 雅子さんの手紙は議場の議員たちの心も揺さぶったようだ。内容に「胸を打たれた」という声が、与野党双方の議員から辻元議員に寄せられている。手紙のことは報道で知っていても内容まで詳しく知らない議員がほとんどで、「全文を読み上げてもらってよかった」とも言われたという。

◆赤木雅子さんと会い、うつむく財務省職員

 偶然ってあるものだ。取材対応が終わると、赤木雅子さんはとある用事で都内のある建物のエレベーターに乗った。乗り合わせた5人の男性の首から身分証が下がっている。それを見て雅子さんは気づいた。

「この人たち、財務省の人たちだ」

 そこで雅子さん、彼らに向き直るといきなり「すみません、皆さん財務省の方ですか?」と問いかけた。戸惑いながらも「ええ」と答える男性たち。すると雅子さんが笑顔で踏み込んだ。

「私の夫も財務省に勤めていたんですよ」

 筆者は横で見ていて「ここで寸止めするんだろうな」と思った。だがそれは甘かった。最後にとどめの一撃が。

「夫は亡くなったんですけどね。3年半前に」

 これで彼らも、目の前にいる女性が誰か、はっきりわかっただろう。返事もなく、うつむきながら、先にエレベーターから降りていった。

 翌12日、雅子さんの代理人弁護士のもとに、財務省近畿財務局から文書が届いた。8月に雅子さんが提出した情報開示請求に対する回答だ。裁判の資料とするため、財務省が改ざんの調査報告書をまとめる際に使ったすべての文書と、事件の捜査で検察庁に提出したすべての文書を開示するよう求めていた。

しかし回答は、すべて「不開示」。まさにゼロ回答。岸田総理の答弁と同じだ。これより先、岸田総理は「裁判の中で、財務省として丁寧に対応するよう、私からも財務省に指示を出した」とも発言している。そこにこの回答、雅子さんもあきれた。

「丁寧に出した答えがこれです。何度も聞かされてきたフレーズです」

◆衆院選挙で最も重視するテーマ1位に森友問題

 ところが話はこれで終わらない。ヤフーニュースの中の「みんなの意見」というコーナーで現在、「衆院選、あなたが最も重視するテーマは?」というアンケート調査が行われている。12日の時点で12万人余が投票(締め切りは31日)。その結果を見ると…

1位…「森友問題の再調査」 3万2000人余 27.2%

2位…「外交・安全保障」 2万4000人余 20.5%

3位…「経済・成長戦略」 1万5000人余 12.4%

4位…「コロナ経済・補償対策」 1万人余 8.7%

5位…「憲法改正」 8000人余 6.8%

 https://news.yahoo.co.jp/polls/domestic/42663/result

 森友再調査がダントツのトップ。普段なら選挙の最重要テーマになりそうな項目をはるかに上回っての1位だから、何か原因がないとありえない。

 この調査が始まったのは10月5日だ。その後、事態を大きく動かしうる出来事と言えば…6日に出した赤木雅子さんの“総理への手紙”しかないだろう。

 勇気を出して手紙を書いた。それがマスコミで大きく報じられた。国会の代表質問で全文が読み上げられ、その様子がNHKのテレビ中継で全国に流れた。代表質問2日目の12日、共産党の志位委員長も“総理への手紙”を取り上げた。共同通信の世論調査では「再調査すべき」という回答が6割以上を占めた。流れは今も続いている。

◆わずか1週間で”亡霊”を呼び覚ます

 国有地の巨額値引きと、取引を記した公文書の改ざん。森友事件は4年前に発覚し、3年前にまじめな公務員の命を奪った。

 その後、忘れられかけていた事件が今、“亡霊”のように蘇っている。それは犠牲者の妻、赤木雅子さんが出した“総理への手紙”がきっかけだ。わずか1週間で“亡霊”を呼び覚まし、日本中に共感が広がっている。奇跡の1週間だ。

 奇跡による“亡霊”の復活を怖れているのは、事件を“なかったこと”にしたい人たち。その筆頭が、安倍晋三元総理ではないか。

 手紙を出して1週間となるきょう13日、赤木雅子さんは大阪地裁で国と佐川氏を相手の裁判に臨む。翌14日に衆議院が解散。日本は総選挙に突入していく。多数の人々が支持する「森友再調査」が実際に選挙の最重要争点になれば、本当に“奇跡”が起きるかもしれない。

(相澤冬樹)

あいざわ・ふゆき NHKで31年、記者。現在は無所属で週刊文春、ヤフーニュースなど各種メディアに執筆。各地で取材・講演中。


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2021年09月29日 | 社会・経済

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「いじめ防止法、教育現場で守られていない」保護者や学識者らの団体で調査、政策提言

2021年10月12日 | 教育・学校

「東京新聞」2021年10月9日 20時19分

 深刻ないじめ問題が後を絶たない中、被害生徒の保護者らでつくる団体が8日、文部科学省で記者会見し、いじめ防止対策推進法の改正案などの「政策提言」を発表した。学校や教育委員会の対応が不適切だと感じた場合に、子どもや保護者が相談できる窓口の設置などを求めている。

 会見したのは、埼玉県川口市の被害生徒の保護者、森田志歩さんを中心に学識経験者、弁護士らで結成した団体「いじめ当事者・関係者の声に基づく法改正プロジェクト」。

 同法は2013年に制定されたが、会見したメンバーの1人、藤川大祐千葉大教授は「教育現場では守られていない」と指摘。

 今年1~2月、重大事態と認定されるなど深刻ないじめに遭った子どもや保護者を対象に同団体がウェブアンケートを行ったところ、98人から有効回答が得られ、うち9割が、学校や教委が法で定められた対応をしないなどの問題に直面したと回答したという。

 政策提言では、教委などに対する文科省の指導権限を強めることなども提案している。

 森田さんは「法律は子どもの尊厳や命を守るために作られたのに、守られなければ意味がない。学校の対応によっては救えた命がいくつもあったと思う」と訴えた。

 衆院選後に法改正を議論している与野党国会議員の勉強会に提出し、早期の改正につなげたいとしている。(柏崎智子)


最低気温更新。

霜が降りても不思議ではない。今朝は霜注意報が出ていた。
明日朝も出ているがどうか?

江部乙の裏玄関前にツグミ?が2羽倒れていた。1羽はすでに絶命、もう1羽は立てないし、飛べない。2Fの窓ガラスに激突したものと思われる。


食糧とガソリンが同時に高騰中、低所得者に厳しいスタグフレーションの脅威

2021年10月10日 | 生活

小菅努マーケットエッジ株式会社代表取締役/商品アナリスト

YAHOO!ニュース(個人)10/8(金) 

 国連食糧農業機関(FAO)が10月7日に発表した世界食糧価格指数(2014~16年=100)は、8月の128.5から130.0まで上昇し、2011年9月以来の高水準に達した。前月比で1.2%高、前年同月比で32.8%高であり、食糧価格の急ピッチな上昇が続いていることが確認できる。

 その2011年には、中東・北アフリカで大規模な抗議・デモ活動が広がりをみせた「アラブの春」が発生している。「アラブの春」は、その一因として小麦価格の高騰などを受けて貧困層の困窮が深刻化した影響が指摘されているが、現在の食糧価格はこうした大規模騒乱を引き起こす原因になりかねないレベルの高さになっている。

 品目別だと、前年同月比で肉が26.2%高、乳製品が15.2%高、穀物が27.4%高、植物油が61.2%高、砂糖が53.4%高となっている。一部の品目のみが高騰しているのではなく、食料価格全体が高騰している。

 今年の食糧生産は全般的に安定しており、FAOは2021/22年度の穀物生産は前年度比で1.1%の増産になるとの見通しを示している。しかし、昨年にラニーニャ現象の影響で在庫の取り崩しが加速していたことに加えて、パンデミックによって停止していた飲食店の営業が世界的に再開される中、需要を満たす供給量を確保することが難しくなっている。世界的なサプライチェーンの混乱もあって必要な場所に必要な量の食糧を確保することが難しくなっており、歴史的とも言える高騰局面を迎えている。

 日本でも、10月には小麦粉、パスタ、食用油、コーヒー、マーガリンなどの価格引き上げに踏み切ったメーカーが多く、既に家計の食卓を値上げ圧力が直撃している。しかし、こうした値上げは過去の食糧価格高騰の転嫁であり、足元で食糧価格指数が上昇を続けていることは、今後も各種食糧価格の値上げが更に続く可能性が高いことを示唆している。

■ガソリン価格も高騰している

 一方、資源エネルギー庁が10月6日に発表した4日時点のレギュラーガソリン価格は、全国平均で1リットル=160.0円となった。前週から1.3円上昇して、5週連続の値上がりになっている。こちらは2018年10月以来となる、約3年ぶりの高値圏だ。

 パンデミックからの世界経済の回復が急ピッチに進んでいることで、世界的に輸送用エネルギーの需要が急激に回復している。しかも、8月末にはメキシコ湾の原油生産地帯を大規模なハリケーンが直撃したことで、不測の供給障害が発生したことも、原油需給を引き締めている。10月4日には石油輸出国機構(OPEC)プラスの閣僚級会合が開催されたが、米国などの増産要請にもかかわらず、従来の合意内容に沿う緩やかな増産を確認するのに留め、積極的な政策対応を講じることを見送ったことも、原油高を加速させている。

 従来だと、原油価格が上昇すればいずれかの産油国が増産する傾向にあったが、近年の脱炭素、脱石油の大ブームで石油会社は新たな投資に消極的であり、原油高でも増産を促すことが難しい状況になっている。OPEC加盟国でさえも、アンゴラやナイジェリアなどが投資とメンテナンス作業の欠如を受けて、OPECが割り当てた産油量さえも満たす事が難しくなり始めている。

 欧州では、冬の暖房用エネルギー需要を確保できるのか緊張感が高まっており、原油のみならず天然ガスや石炭価格さえ高騰している。仮にこの状況で寒波が厳しい冬になると、エネルギー不足やエネルギー価格の高騰で暖房を使うことができずに、大量の死者が発生する可能性さえも想定しておく必要性が浮上している。

 原油価格の高騰は、ガソリンや軽油、灯油といった石油製品価格の値上げを促すことはもちろん、電力料金価格、ハウス栽培の野菜価格、輸送コストなど生活に直結した幅広いモノやサービスの値上げ圧力に直結することになる。

■低所得層を直撃する「スタグフレーション」の脅威

 食糧価格とガソリン価格が同時に高騰していることは、特に所得水準が低い家計に対して、大きなダメージをもたらすことになる。パンデミックによる経済的ダメージからの立ち直りが遅れている低所得層では、仮に賃金水準が変わらない状態でも、食糧やガソリンに対する支出増大が、家計の負担感を高めることになる。

 景気停滞と物価上昇が同時に進行する「スタグフレーション」化が始まっている可能性も高まっている。パンデミックからの経済活動、日常生活の復興が期待される一方で、大きくかつ深刻な経済リスクが徐々に顕在化している。

小菅努

マーケットエッジ株式会社代表取締役/商品アナリスト

1976年千葉県生まれ。筑波大学社会学類卒。商品先物会社の営業本部、ニューヨーク事務所駐在、調査部門責任者を経て、2016年にマーケットエッジ株式会社を設立、代表に就任。金融機関、商社、事業法人、メディア向けのレポート配信、講演、執筆などを行う。商品アナリスト・東京商品取引所認定(貴金属、石油、ゴム、農産物)。コモディティレポートの配信、寄稿、講演等のお問合せは、下記Official Siteより。


 北海道ではすでに朝晩はストーブのお世話になっているところが多いと思う。
わたしのところでももう数日前から利用している。ガソリンも天井知らずにあがり続けている。冬は燃費も悪い。困ったものだ。


若者が「左傾化」日本でもありえる? 世界各地では年齢が分断の要素に

2021年10月09日 | 社会・経済

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

 衆議院選挙が迫る中、岸田首相が「新しい資本主義」を目指すことを表明した。与党に限らず、「行き過ぎた格差」は今回の選挙の重大な焦点となっている。実は、世界では「資本主義を見直す」という政治的トレンドを、「Z世代」(1990年代後半以降に生まれた世代)がけん引している。

 若い世代の意識や行動の変化が、各国の選挙や政策動向にも巨大な影響を与えているのだ。アメリカで民主党の大統領候補指名を目指したバーニー・サンダースが巻き起こした旋風は記憶に新しい。

 「民主社会主義者」を自称し、大学の授業料無償化、学費ローンの免除といった政策を掲げるサンダースを支えたのは、大学生を中心とする若者世代であった。「99%対1%」のスローガンを掲げ、富裕層と対決し、富を配分することを主張するサンダースの姿勢が若者たちに圧倒的に支持されたのだ。こうした若い世代の声は、現在のバイデン政権の政策にも影響を与えている。

 イギリスでは、反緊縮や格差是正を訴えたジェレミー・コービンが、生活苦に直面する若年層の支持を集め、2015年に労働党の党首に選出され、スペインのボデモス、ギリシャのシリザのような、社会運動と結びついた新しいタイプの政党の台頭も見られた。ここでも、若者たちが運動における中心的な役割を果たしていた。

 さらに、格差を是正させる政治運動に加え、未来のための金曜日、ブラック・ライブズ・マター、#MeToo運動をはじめ、世界では、Z世代が主役となり、様々な新しい社会運動が台頭している。

 このように、世界の若者の間で「左傾化」が進んでいる。彼らは一つ上のミレニアル世代と合わせて、「ジェネレーション・レフト」(左翼世代)と呼ばれている。

 こうした変化はなぜ生まれたのだろうか? 本稿では、2019年にイギリスで刊行されたキア・ミルバーン『ジェネレーション・レフト』(2021年、堀之内出版)をもとに、若い世代の変化について考察していきたい。

変化の要因1 世界経済の長期停滞

 ミルバーンによれば、今日の世界では「年齢」が政治における「分断の決定的な要素」になっているという。そして、政治家たちは、若者の動きに極めて敏感にならざるをえなくなっている。それは、これまで考えられなかったような事態が、近年起こっているからだ。

それは年齢が政治における分断の決定的な要素として現れてきたということだ。若者たちは左派に投票し、左翼的な考えを持つ傾向がますます強くなる一方で、年配の世代は右派に投票し、保守的な社会観を持ち、政治的にもますます保守的になる傾向が強くなっている。(中略)ここまでの分断は前例がなく、世間の注目を集めつつあるが、その政治的重要性は見過ごされたままだ。〔22頁〕

 アメリカで行われた2018年の調査では、18歳から29歳のアメリカ人のうち、51パーセントは社会主義を肯定的にとらえており資本主義に対する賛同(45パーセント)よりもその支持は高かった。2010年には同じ年齢層の68パーセントが資本主義を肯定的に捉えていたことを踏まえると、若者を襲う格差や貧困といった現実の矛盾の原因を資本主義に求めていることがわかる。

参考:Democrats More Positive About Socialism Than Capitalism

 イギリスでも、2019年の総選挙では、18歳から24歳の62パーセントが、25歳から34歳の51パーセントが労働党に投票しており、2015年にはそれぞれ40パーセント強から30パーセント半ばだったことを踏まえると、ますます若者は左派に投票する傾向が強まっている。

 このように、「世代が政治的に分裂したのは、人々の物質的利害が分裂したからである」とミルバーンは説明する。年金を金融資産として保有し、持ち家を所有している年配の世代と、持ち家を持たず、賃金に依存して生活せざるを得ない若者との間で経済上の利害が対立しているのだ。

 確かに、経済危機の影響は各世代に偏りなく及んでいるわけではない。リーマン・ショックから10年以上経過した今でも、世界経済は長期停滞から抜け出せずにいる。新自由主義政策が進んだ結果、先進国では、中間層が没落し、経済格差が深刻化している。その負の影響を最も被っているのが若い世代だ。

 長期にわたり経済が低迷するなかで、社会には閉塞感が漂い、若者たちは豊かになる展望を描けずにいる。高騰する教育費の負担を求められ、巨額の学生ローンを抱えて大学を卒業しても、安定した仕事を見つけられるとは限らない。家賃の高騰も相まってぎりぎりの生活を強いられ、住宅を購入することも結婚をすることも困難になってきている。

「第三の道」の失敗

 2000年代には、イギリスのブレア首相を中心に、行き過ぎた新自由主義の弊害を是正し、市場経済における政府の役割を再構築するとした「第三の道」が登場し、左派(労働党)政権が与党に返り咲いた。

 硬直した福祉国家路線が否定される一方で、新自由主義のサッチャー政権が生まれた経緯を踏まえ、資本主義の活性化と行き過ぎた新自由主義の抑制を合わせ、新たな道を提示しようとしたのが「第三の道」だ。

 「第三の道」においては、自由市場経済をベースにしながらも、これを洗練させ、環境対策や女性やマイノリティーの権利擁護など、多くの人々の社会的包摂が図られていった。世界的にも「第三の道」は、自由主義と福祉国家の対立を乗り越える、資本主義の希望の光のように見えていた。

参考:アンソニー・ギデンズ『第三の道―効率と公正の新たな同盟』

参考:田端博邦『グローバリゼーションと労働世界の変容 労使関係の国際比較』

 ところが、ミルバーンによれば、この「第三の道」は危機を根本的に解決するものでないことが近年明白になっているという。

 イギリスのミレニアル世代(1980年から1985年生まれ)が歴史上初めて、自身の二つ上の世代よりも生涯年収が低くなり、2007年以降、16歳から34歳の保有する富は10パーセントも減少した。

 大学の学費を負担するためには借金漬けになるしかなく、卒業してもまともな仕事を見つけられない。彼らが30歳になるまでに得られる平均収入は、ひとつ上の世代の人が30歳になるまでに得られる平均収入よりも8000ポンド(約120万円)も少ない。

 さらに、グローバル資本主義がもたらす気候変動や環境危機の深刻さが知れ渡るようになり、資本主義に代わるオルタナティブをつくろうという動きが若い世代を中心に広がったのだ。

変化の要因2 二つの世代的な「出来事」

 若い世代が左傾化した要因はそれだけではない。ある歴史的な「出来事」がジェネレーション・レフトの台頭をもたらした。

 ミルバーンによれば、「出来事」とは「社会のコモン・センス(常識)を打ち破るような変化が突如として起こる瞬間」のことである。いくつかの「出来事」が、世界で「世代」による分断を急激に形成していったという。

出来事が世代を作り出す。より正確に言えば、出来事はこれまでとは区別される、新たな政治的世代が誕生する可能性の諸条件を作り出すのである。 〔58頁〕

 この点について、『人新世の「資本論」』の著者で『ジェネレーション・レフト』の監訳者でもる斎藤幸平氏は、「日本語版への解説」のなかで、「ジェネレーション・レフト」の台頭には二つの「出来事」が決定的だったと説明している。

参考:『POSSE vol.48 特集 ジェネレーション・レフトの衝撃』

 一つ目は、2008年のリーマン・ショックである。金融危機によって多くの人々が貧困に陥り、新自由主義によって削減された社会保障制度のもとで苦しい生活を迫られるようになった。この「経済的」出来事が「世代が生まれる素地」を生み出した。

 もう一つの「政治的」出来事が、2011年のウォール街占拠運動やスペインの15M運動といった世界的な抗議運動である。「アラブの春」からはじまり、エジブト、チュニジア、欧州、アメリカ、トルコなどに国境を越えて広がった国際的な抵抗運動の波は、相互に増幅し合う関係となり、世代的な「出来事」となった。

 2008年の出来事が世代状態を生み出す「受動的に捉えられた」ものだとすれば、2011年の出来事は国際的なジェネレーション・レフトを誕生させる能動的な契機となった。

 リーマン・ショックは「世代が生まれる素地」を生み出したものの、それは「受動的出来事」にすぎないというのは、私たちの実感にも合致するだろう。この時点では日本も含め、若者たちは「犠牲者」というニュアンスが強かったように思う。

 今日のジェネレーション・レフトが誕生するためには、「既存の社会的および政治的可能性を超越するような集団的行動の瞬間によって生み出される亀裂」が必要だったということだ。実際に、このころから、私たちも、海外の行動する若者たちを、ニュースを通じて目にするようになった。

 斎藤氏は次のように述べる。

この運動に参加した若者たちは、この第二の「出来事」を能動的・積極的なものとして経験したという事実が重要である。(中略)この共通経験を通じて、これまでとは異なる集団的主体が形成され、自分たちの力で新たな社会を生み出せるという確信が得られたといってもよい。

 このように、国際的な抗議運動への参加という共通経験を能動的に築き上げたことによって、ジェネレーション・レフトが形成されたのだ。

日本社会にジェネレーション・レフトは誕生するのか

 翻って、日本の状況はどうだろうか。

 日本でも、かつての日本型雇用システムは縮小し、非正規雇用が増加するとともに、新自由主義政策が進められた結果、社会保障は削減され、貧困が拡大している。

 しかしながら、現状、日本では、欧米のような若い世代の社会運動が台頭し、政治に影響を与えているとはいえない状況にあるように思う。むしろ、日本の現状に適応し、そのなかで上昇を図ろうとする流れの方が強いのではないだろうか。

 典型的なのが、転職によるキャリアアップを促す言説の浸透だ。インターネットやSNSを含め、若者の生活空間には、自己投資を通じてスキルを磨き、流動化した労働市場に適応せよというメッセージが氾濫している。

 「就活」でも、海外とは違い、「やる気」や「コミュニケーション力」など、海外では見られない「人格評価」の採用基準のもと、「自己分析」を通じて自分の内面を否定し続けることを要求され、企業にどうしたら受け入れてもらえるのかを考え続けなければならない。

 採用後も、日本の企業では、ような配置転換(あらゆる業務への転換)や、全国転勤命令に応じなければならない。これほど柔軟な「適応」は、海外では求められることはない。

 このように、日本の若者の生活や価値観は、非常に強く企業に支配されている。それが海外とは違うところだろう。

増加する若者の異議申し立て

 しかしながら、こうした適応が困難であることを理解し、それに抗おうとする動きもないわけではない。2010年代に広がった「ブラック企業」に対する告発はその現れであった。

 また、朝日新聞の「論壇時評」で取り上げられた、POSSE事務局長の渡辺寛人の論考によれば、特に、若い女性たちが、社会問題を解決するための活動に積極的に参加している。

 コロナ禍で若者は就職活動などから相対的に自由な時間を獲得することができたことに加えて、苛烈なセクシズムによって社会的マイノリティに置かれた女性が自己責任論を相対化し、外国人や難民の困窮状態を「おかしい」と考えて、マイノリティー支援のボランティアとして関わる女性が増えているのだ。

参考:渡辺寛人「日本における「ジェネレーション・レフト」の可能性を探る 新自由主義に対抗するための変革ビジョンとオーガナイズを」『POSSE vol.48』2021年、堀之内出版)

 最近では、日本でも気候変動や環境危機に関心を持ち、行動を始める若者も多くなってきた。外国人差別に対しても声を上げているのは若者たちだ。また、今年3月、送還を拒否する難民に刑事罰を課す入管法改正案が国会に提出された際には、多くの若者が「難民を犯罪者にするな」と声をあげ署名活動などを始めた。

POSSEと総合サポートユニオンのデモ行進の様子。参加者の多くがZ世代だった。
POSSEと総合サポートユニオンのデモ行進の様子。参加者の多くがZ世代だった。

 さらに、コロナ・パンデミックのなかで、学費の減免を求める学生の声が広がったことも、この流れを強めている。感染症の影響によって生じた労働・貧困問題が報道によって可視化されるなか、社会問題を「自分事」としてとらえ、社会運動に関心を寄せる若い世代も増えているようだ。

 今後もZ世代の社会運動が広がるカギは何だろうか。それはおそらく、ミルバーンが欧米の若者を観察して注目した「能動的出来事」、すなわち、自分たちの力で新しい社会を生み出せることを実感できるような実践を積み重ねていくことになるだろう。

おわりに 衆議院選挙に向けて

 今月、日本でも衆議院選挙が行われる。日本の若者も世界の若者と同じように、将来の見えない不安の中に置かれ、また、世界的な気候変動によって、将来が脅威にさらされている。

 日本では若者世代の動きはまだまだ見えにくいが、ぜひこれから存在感を発揮してほしいと思う。

※情報提供募集

自分の状況を社会に発信していきたい、政治に対して自分の意見を届けたいといったZ世代(95年以降に生まれた世代)の声を募集しています。関心がある方は下記へご連絡ください。

info@npoposse.jp

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間3000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。著書に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。2013年に「ブラック企業」で流行語大賞トップ10、大佛次郎論壇賞などを受賞。共同通信社・「現論」連載中。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。POSSEは若者の労働問題に加え、外国人やLGBT等の人権擁護に取り組んでいる。無料労働相談受付:soudan@npoposse.jp。


 日本でも「システムを変えよう」と呼びかけるチームに関心を持っている。「気候変動」へ取り組むFFFの運動。さらに注目は若い女性たちのMeToo運動から性暴力 に抗議する フラワーデモ へと発展し、司法までも動かしてきた運動はまさに「システム」の変動への発端であり、極めて重要な運動になりつつある。 

赤くなったタカノツメ。

強烈な香り立つバジル。


連合新会長 弱者に寄り添う組織に

2021年10月08日 | 社会・経済

「東京新聞」<社説>2021年10月8日 

 連合の新会長に副会長だった芳野友子氏が昇格した。初の女性会長でジェンダー平等や女性の待遇改善に期待がかかる。同時に非正規労働者を中心とした弱い立場の人々にも配慮する労働運動の新たな波を起こしてほしい。

 芳野氏は高校卒業後、大手ミシンメーカーの「JUKI」に就職。社内の労働組合委員長を経て主に中小企業労組が参加する産業別労組(産別)の「JAM」で活躍した。

 JAMは機械や金属メーカーの労組で組織され、参加組合の約六割はメンバーが百人以下という中小零細の集合体だ。活動の拠点をJAMに置いていた芳野氏は小さな企業の労働者が向き合う課題や苦しみを知り抜いているはずだ。

 芳野氏には、大企業の産別中心という印象が強かった連合が、中小も含めた「働く人々全員のための組織」に変わるよう大きく舵(かじ)を切ってほしい。

 芳野氏は就任直後、「働く仲間の雇用を守る」と宣言した。コロナ倒産が増える中で雇用不安へ向き合う姿勢を真っ先に示したことは評価できる。今後は不当な解雇や理不尽な賃金カットに目をより光らせ、事が起きた場合には即応できる体制を再構築すべきだ。

 とりわけ雇用の調整弁として解雇や雇い止めの標的にされる非正規労働者を守る意識を、これまで以上に強める必要がある。

 連合の存在感の低下は否定できない。安倍政権時代には、首相自らが大企業に賃上げを要求するなどお株を奪われた感があった。

 ただ労組に加入している人が雇用者に占める割合を示す組織率は昨年六月時点で十一年ぶりに上昇に転じた。17・1%と水準は低いが前年から0・4ポイント上がった。これはコロナ禍で暮らしへの不安が増大する過程で労組への期待が再び高まっているからではないか。

 総選挙を控え連合内には、支持政党との距離感をめぐる意見の違いもくすぶる。芳野新会長はバレエダンサーを目指していたという。強い軸足に支えられたしなやかさで組織の融和を図り、働く人々全体を守る「頼れる連合」づくりに向け心血を注いでほしい。 


春のいちごより甘い。(自家ジャム用)

帰宅して裏山へ。(落葉きのこ)

いいのがたくさん採れました。




岸田首相に真鍋さんノーベル賞を祝う資格はあるのか―問われる危うい認識

2021年10月07日 | 自然・農業・環境問題

志葉玲フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)

 米国プリンストン大学の気象学者、真鍋淑郎さんが今年度のノーベル物理学賞を受賞した。世界でも最も早いうちから地球温暖化とCO2(二酸化炭素)との関係に着目、地球温暖化予測のための気候モデルをつくりあげたことが評価されたのだ。真鍋さんの受賞に各界から祝福の声が上がる中、先日就任したばかりの岸田文雄首相も「日本国民として誇りに思う」とコメント*。一方で、岸田首相は、総裁選でのアンケート回答から、温暖化(=気候危機)への認識がおかしいとも指摘されおり、真鍋さんが長年訴え続けてきた、温暖化が人間活動によるものであることを、あらためて認識する必要がありそうだ。

*真鍋さんはその研究のほとんどを米国で行い、米国籍を取得している。

○後世で「人類を救った」と評されるだろう偉業

 真鍋さんの研究は、一言で言えば「人類を救った研究」と後に語り継がれるかもしれない、大変な偉業だ。1960年代には、温暖化予測の気候モデルの基礎を築いていた真鍋さんの研究は、その後のIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)による温暖化の予測にも強い影響を与えた。温暖化の予測ができたからこそ、その対策が世界的な合意につながったのであり、温暖化の進行を止めなければ、比喩ではなく本当に人類の存亡すらも左右される事態へと発展し得るのだ。既にこれまで「数十年に一度」とされてきた酷暑や豪雨、干ばつなどの異常気象が頻発、温暖化の猛威は現実のものとなっているとして、この8月に発表されたIPCCの最新報告書は激しく警鐘を鳴らした。

真鍋淑郎さん
真鍋淑郎さん写真:ロイター/アフロ

 ただ、希望もまだ残されており、今後、人類がCO2などの温室効果ガス排出削減に取り組み、脱炭素社会を実現すれば、危機は大幅に緩和される。対策は時間との戦いでもあり、破局的な影響を防ぐため、世界気温の上昇を1.5度程度に抑え込むには、少なくとも2030年には世界の温室効果ガスを半減させなくてはならない。もし、真鍋さんの研究が無ければ、その猶予すらなかったかもしれないのだ。

○岸田首相の危うい認識

 一方、真鍋さんの大偉業を称賛した岸田首相ではあるが、彼の温暖化に関する認識は危ういものがあるようだ。環境やSDGsについての専門誌「オルタナ」が自民総裁選候補者らに送ったアンケートでの「気候変動(温暖化)は、人間の経済活動によるものと考えているか」との質問に、岸田氏は「科学的検証が前提だが、そうした部分もあると考えている」と回答しているのである。

 この岸田氏の認識に、温暖化に明るい環境団体関係者や記者などからは当惑する声が相次いだ。何故なら、この期に及んで温暖化について「科学的な検証」が必要というフレーズは、国際社会からは、トランプ前米国大統領のような、いわゆる温暖化否定論者とみなされるものだからだ。「温暖化は進行しているかもしれないが、それが人間の活動によるものかは、まだわからない」「だから、温暖化対策を急ぐ必要はない」というロジックを、温暖化懐疑論者は好んで使うのである。

 今年夏に発表されたIPCCの最新報告書は「人間の活動による影響が大気や海洋、陸地を温暖化させたのは疑いの余地がない」と断言している。これは、一部の科学者の見解などではなく、「世界66カ国200人以上の専門家が1万4000本の論文を引用し、7万8000のレビューコメントに全て対応し、そのやり取りを公開している」(国立環境研究所・江守正多氏)という、国際的な気候危機研究のエキスパート達の総意なのだ。つまり、既に徹底的な検証は行なわれているのである。

 国内での検証においても、2009年に東京大学サステイナビリティ学連携研究機構がまとめた「地球温暖化懐疑論批判」で、ほぼ決着はついていた。岸田氏は、何をもって、今さら「科学的検証が前提」だと言うのか。米国や欧州を中心に世界は急激に脱炭素社会の実現にむけて動いており、中国すらも温暖化対策では、同調している中で、岸田氏の認識は、首相としての資質すら問われるものなのである。

○岸田首相に真鍋さんの受賞を祝う資格があるのか?

 真鍋さんが第一人者として切り開いてきた、スーパーコンピューターを活用した温暖化予測は、「所詮、シミュレーションにすぎない」との温暖化懐疑論者からの揶揄にされ続けてきた。だが、温暖化は、ほぼ予測通りに進行してしまっていることを、この間の観測結果が証明している。そして、「温暖化が進行していることに疑う余地はない」ということは、何年も前から真鍋さんが訴えてきたことだった。

 その真鍋さんのノーベル物理学賞の受賞を祝う資格が、果たして岸田首相にあるのか。まず岸田首相は自身の不見識を認め、今や「気候危機」とも言われている地球温暖化の現実に向き合い、具体的な対応策を行うべきなのだ。

フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)

パレスチナやイラクなどの紛争地での現地取材、脱原発・自然エネルギー取材の他、入管による在日外国人への人権侵害、米軍基地問題や貧困・格差etcも取材、幅広く活動するジャーナリスト。週刊誌や新聞、通信社などに寄稿、テレビ局に映像を提供。著書に『13歳からの環境問題』(かもがわ出版)、『たたかう!ジャーナリスト宣言』(社会批評社)、共編著に『原発依存国家』(扶桑社新書)、『イラク戦争を検証するための20の論点』(合同ブックレット)など。イラク戦争の検証を求めるネットワークの事務局長。


最低気温更新。
ハウス内で

栽培のヒラタケ。

不明。


真鍋淑郎さん,ノーベル物理学賞受賞おめでとうございます。

2021年10月06日 | 自然・農業・環境問題

真鍋氏物理学賞 未来探る研究支えたい

「東京新聞」<社説>2021年10月6日 

 日本生まれの気象学者、真鍋淑郎さんがノーベル物理学賞に輝いた。地球環境問題の深刻化に伴い、一九六〇年代の業績が見直された。後進の研究者を育て、地球の未来を探る研究を後押ししたい。

 天気予報の精度向上をめざして始まった真鍋さんの研究は、二酸化炭素の重要性に気付いたことから、地球全体の気候システムの変動予測に発展していった。

 気候変動とコンピューターモデルという仕事は、これまでノーベル物理学賞の対象となってきた素粒子や宇宙の研究とは毛色が異なっている。伝統的な学問の垣根を越えて選ばれたのは、それだけ研究業績の現代的な意義が高く評価されたからだ。

 地球温暖化対策を何よりも重視する欧州の風潮も追い風となった。気候モデルの精緻化は今も進行中である。今後も重要な研究分野であり続けるだろう。

 ひるがえって、現在の日本の研究環境をみると、気になることもある。

 真鍋さんは、五八年に博士号を日本で取得してから米国に渡った。「就職先が国内になかったから」と述べている。当時の経済、社会の状態を考えれば、やむを得ない選択だった。

 その後、日本は経済成長で豊かになり、研究費が潤沢な時代もあった。そして下り坂の今、六十数年前と似た状況にもどってきたようだ。

 奨学金などは拡充されているが、大学の運営経費は削減されてしまった。若手に与えられるポストは任期制で安定しないことが多く、生活費を工面しながら、将来の不安にさいなまれる。博士を雇用する国内の民間企業は限られている。一方、ごく一部の研究者は、大きな賞をもらったり、ベンチャー企業を上場させて大成功を収めている。

 そんな姿をみて、学部生や大学院生はどう考えるだろうか。リスクの高さに恐れをなし、大学院修士課程から博士課程への進学者は低下傾向だ。博士課程は留学生が目立ち、どうすれば日本人学生を確保できるか、各大学は頭を痛めている。

 若手研究者に、雇用や所得が安定した環境を用意しなくてはならない。そうした施策は、すぐに成果が出なくても、将来の日本の力を保ち、全人類的な貢献にもつながるだろう。


 やはり日本では優秀な研究者が育たないということであろう。
研究環境、国家予算、封建的権威主義等、色々と克服しなければならない課題が山積みだ。


いじめ加害者の出席停止ゼロ件

2021年10月04日 | 教育・学校

 教師の半数「出席停止にすべき」

内田良名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授

 2019年度のいじめ統計を詳細に調べてみると、中学校におけるいじめ加害者の出席停止が一年間をとおしてゼロ件であることがわかる。加害者は学校に通いつづけ、被害者は学校を離れていく。一方、私が8月にウェブ調査にて全国の教師の考えを調べたところ、まったく逆に、出席停止を支持している現実が見えてきた。最新の調査データから、「いじめ加害者の出席停止ゼロ件」を問う。

■「加害生徒にも未来がある」

 今年3月に旭川市の公園で中学2年の廣瀬爽彩さんが凍死した事案について、いじめ被害を訴える肉声が、一昨日公開された(北海道放送、2021年10月2日)。「学校側もいじめを隠蔽しようとしていて」との語りにもあるように、学校側は廣瀬さんの訴えに耳を傾けてこなかったとされる。

また廣瀬さんの母親からの相談に対しても、教頭は「わいせつ画像の拡散は、校内で起きたことではない」「加害生徒にも未来がある」と答えたとされ、廣瀬さんは市内の別の中学校に転校することとなったという(文春オンライン特集班『娘の遺体は凍っていた:旭川女子中学生イジメ凍死事件』文藝春秋、2021年9月刊)。

いじめの被害者は、学校を離れていく。

■出席停止の件数 過去最少

 いじめなどさまざまな教育課題について、文部科学省は毎年「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(以下、問題行動調査)を実施している。例年、いじめや不登校の件数が報じられる一方で、同調査ではじつは、「出席停止」の事案も集計されている。

 出席停止とは言っても、コロナ禍においてしばしば話題にあがった、感染症による出席停止とは意味が異なる。

 本記事でいう出席停止とは、生徒間の暴力やいじめ、教師への暴力、器物損壊、授業妨害などへの対応であり、学校教育法の第35条第1項に定められた取り扱いを指す(条文は記事下部に掲載)。その目的は、「懲戒行為ではなく、学校の秩序を維持し、他の児童生徒の教育を受ける権利を保障するため」(文科省「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」)である。

 

公立中学校における「出席停止」の件数の推移 ※問題行動調査より筆者が作図
公立中学校における「出席停止」の件数の推移 ※問題行動調査より筆者が作図

 公立中学校の教育課題に関わる出席停止全体の件数は、最新の2019(令和元)年度の調査結果を確認すると、わずか2件にとどまっている。過去最少であった2017・2018年度の7件を、さらに下回る結果となった。20年前の1999年度が84件、10年前の2009年度が43件であったことをふまえると、出席停止の件数は劇的に減少してきたといえる。

■いじめ加害者の出席停止は「ゼロ件」

 先述のとおり、出席停止全体には教師への暴力や器物損壊などを理由とするものも含まれるため、減少の背景については、各事項について別途丁寧な検証が必要である。ただ全体の傾向について少なくとも言えるのは、もはや教育現場では、「出席停止」は廃れきった指導方法と化している。

 さて、問題行動調査では出席停止に至った理由も調べている。2019年度の2件は、対教師暴力であった。教師に暴力をくわえた場合のみが、出席停止の対象となったようである。

 そして、生徒のいじめ加害を理由とした出席停止の件数は、もはや減りようがない水準の「ゼロ件」にまで落ちている。ただし、いじめ加害者の出席停止については近いところでは2011・2017年度がそうであるように、これまでにも何度かゼロ件が記録されている。どれだけ悲しい事件、凄惨な事件が起きようとも、出席停止は基本的に発動されていない。

■中学校教師の約半数「出席停止にすべき」

 学校という組織は、いじめ加害者の出席停止にきわめて後ろ向きである。この出席停止のあり方を、教師はどのように考えているのか。

 私は共同研究のプロジェクトとして、いじめに関する意識調査を、全国のウェブモニターを対象に、8月13日~17日にアンケート方式で実施した(調査概要は記事下部に記載)。その研究成果の一部を速報として、ここに初公開する。

アンケート調査では、いじめについて「加害者を出席停止にすべきだ」という意見への賛否を、「とてもそう思う/どちらかといえばそう思う/どちらかといえばそう思わない/まったくそう思わない」の4段階でたずねた。以下では、前二者を「はい」、後二者を「いいえ」と整理する。

いじめの「加害者を出席停止にすべき」への回答(中学校教員) ※筆者自身が実施したアンケート調査の分析結果より作図
いじめの「加害者を出席停止にすべき」への回答(中学校教員) ※筆者自身が実施したアンケート調査の分析結果より作図

中学校教師の回答は、驚くべきことに半数近くの45.8%が「はい」であった。

 2019年度には、いじめ加害者の出席停止はゼロ件を記録し、出席停止全体も過去最少件数となり、出席停止はもはや廃れたかに見えていた。その出席停止を、じつに半数に迫る教師が望んでいるのだ。

■個人の思いと組織の結論

アンケート調査では、小学校教師にも同じ質問を投げかけている。

 小学生を出席停止にするという感覚はあまりピンとこないかもしれないが、小学校教師においても33.7%が「はい」と回答している。中学校教師よりは「はい」の割合は小さいものの、それでも3割強が、出席停止という厳しい措置に賛同を示していることは、驚きに値する。

いじめの「加害者を出席停止にすべき」への回答(小学校教員/中学校教員) ※筆者自身が実施したアンケート調査の分析結果より作図
いじめの「加害者を出席停止にすべき」への回答(小学校教員/中学校教員) ※筆者自身が実施したアンケート調査の分析結果より作図

 公立小学校の児童が、いじめ加害を理由に出席停止となった事案は、統計が確認できる1997年度から2019年度までの23年間で3件のみ(2016年度に2件、2017年度に1件)である。その小学校においてじつに教師の3割強が、いじめ加害者への出席停止を是としているのだ。

 以上の知見は、次のように整理できる。第一に、小学校・中学校いずれにおいても、学校という「組織」としては「いじめ加害者の出席停止は回避する」という判断を下している。一方で第二に、学校内で児童生徒の前に立つ教師「個人」としては、「いじめ加害者の出席停止が必要だ」と感じている者が少なくない。

いじめ加害者の処遇に関して、現場にいる教師「個人」の思いと、最終的な学校「組織」の結論は、完全に乖離している。

■加害者は学校に通い、被害者は学校を去る

 文科省の問題行動調査の資料は膨大(令和元年度版は130ページ)で、出席停止やいじめ以外にも、不登校の件数も集計されている。

 そこに「不登校の要因」(「いじめ」や「学業の不振」、「学校のきまり等をめぐる問題」「親子の関わり方」など計14個の選択肢があり、一部複数回答可)別の件数が示されている。あくまで、本人の回答ではなく学校側がそう判断したという前提ではあるが、いじめ被害によって学校に通えなくなった件数が見えてくる。

 2019年度に公立中学校で「いじめ」が原因で不登校となった事案は、526件が確認できる。公立中学校の不登校が122,519件であるから、不登校事案の0.4%にいじめ被害が関係していることになる。

 全体の0.4%とは少なすぎると感じるかもしれないが、ここで確認したいのは、いじめ加害者の出席停止との差である。

公立中学校のいじめにおける出席停止と不登校の件数(2015~2019年度平均) ※問題行動調査をもとに筆者が算出・作図
公立中学校のいじめにおける出席停止と不登校の件数(2015~2019年度平均) ※問題行動調査をもとに筆者が算出・作図

 不登校の要因の集計項目が大きく変更された2015年度以降で比較してみると、公立中学校におけるいじめ加害者の出席停止は年平均1.2件である。一方、いじめ被害者の不登校は年平均483.6件にのぼる。じつに大きな差が確認できる。いじめの加害者は学校に通いつづけ、被害者が学校から去っている。

■出席停止の日数 約半数が6日以内

参考までに、いじめに限定した数値はわからないものの、公立中学校の出席停止全体について、出席が停止された期間(1~3日/4~6日/7~13日/14~20日/21日以上)にも言及しておきたい。

公立中学校における出席停止の日数(2015~2019年度平均) ※問題行動調査をもとに筆者が算出・作図
公立中学校における出席停止の日数(2015~2019年度平均) ※問題行動調査をもとに筆者が算出・作図

 2015年度以降でもっとも多いのは、1~3日で29.5%を占めている。4~6日の18.2%と合わせると、おおよそ半数は6日以内に出席停止が解除されていることになる。不登校についていうと、不登校の定義は、年間30日以上の欠席が要件である。学校に通えない日数は、出席停止とは比較にならない。

 つまり、加害者の出席停止はそもそも命令されることはないし、命令されたとしても数日間が限度である。他方で被害者の不登校は多くの事案が確認でき、さらにその期間も長い。

■なぜ出席停止が実行されないのか

ここまで、いじめの被害と加害をめぐるいくつかのデータを確認した。

 加害者が学校に通い、被害者が学校を去るのは、あまりに理不尽だ。ただ、「いじめ加害者の出席停止」がゼロ件とは裏腹に、個々の教師は半数が「いじめ加害者の出席停止」を積極的に望んでもいる。そうだとすれば、改めてなぜ、学校という「組織」は出席停止の制度を活用できないのか。3つの視点から考えたい。

第一の理由は、出席停止は法的に重大な措置だからである。

「出席停止措置は、親の就学義務=子どもを学校に行かせる義務(学校教育法第17条1項)を一時的に解除」(結城忠「児童・生徒に対する出席停止」『週刊教育資料』2013年3月11日号)するもので、「就学義務の履行にかかわる重大な措置」(国立教育政策研究所「規範意識をはぐくむ生徒指導体制」)である。

それゆえ「出席停止を命ずる場合には、あらかじめ保護者の意見を聴取するとともに、理由及び期間を記載した文書を交付しなければならない」(学校教育法第35条2項)など、出席停止には法的な手続きが定められている。教育委員会や校長が一言で、「あなたは出席停止」というわけにはいかない。

旭川市の「出席停止命令書」 ※旭川市のウェブサイトより引用
旭川市の「出席停止命令書」 ※旭川市のウェブサイトより引用

■タブー視される出席停止

第二の理由は、第一の理由に関連して、いじめに関してはそもそも事案の把握が容易ではない。被害者と加害者の言い分が異なったり、明確な証拠がなかったりすると、法的に重大な措置に踏み切れなくなる。

第三の理由は、教育学の領域でもっともよく議論される内容だ。第一の理由を子供の立場から説明するもので、出席停止は子供の「学ぶ権利の侵害」と評されうる。「一歩間違えば、出席停止で子どもの学ぶ権利を奪ったと非難されかねない」(菱村幸彦「“出席停止”をためらわない」)との危惧が、教育現場を覆っている。学校は子供に等しく教育を提供するという理念を土台に成り立っているだけに、生徒を意図的に排除する出席停止の実行はタブー視されてきた。

「学ぶ権利」がかつて、出席停止の議論を紛糾させたことがある。

 第一次安倍内閣時代の2006年10月に、教育再生への取り組みとして「教育再生会議」(座長:野依良治)が設置された。教育再生会議が「いじめ問題への緊急提言」(2006年11月29日)を作成する過程で、「出席停止」の文言を入れるかどうか意見が割れ、結果的に「出席停止」の文言は見送られることになった。

 当時の報道を確認すると、座長代理が「記者会見で、子どもの教育を受ける権利を強調」(毎日新聞、2006年12月10日)、「学ぶ権利を尊重し、教育するのが学校責任との主張などで出席停止は外れた」(京都新聞、2006年12月1日)と、見送りの理由が説明されている。

 その後に、2007年1月の「第一次報告」の作成過程において「出席停止」論争は再燃し、「いじめた側に厳格に対応することが必要と判断」(中国新聞、2007年1月12日)されて、最終的には「出席停止」が盛り込まれることになった。

■倒錯した「学ぶ権利」

ここでもう一度、出席停止制度とは何のためであったか、確認したい。

 冒頭で述べたとおり、そもそも出席停止は「学校の秩序を維持し、他の児童生徒の教育を受ける権利を保障するため」に設けられている。

これは、2013年6月に成立した「いじめ防止対策推進法」にも明記されている。

(出席停止制度の適切な運用等)

第二十六条 市町村の教育委員会は、いじめを行った児童等の保護者に対して学校教育法第三十五条第一項(同法第四十九条において準用する場合を含む。)の規定に基づき当該児童等の出席停止を命ずる等、いじめを受けた児童等その他の児童等が安心して教育を受けられるようにするために必要な措置を速やかに講ずるものとする。

いじめを受けた子供こそが、学校という場で安心して学べるよう、学習環境が整備されなければならない。

 なお先に紹介した、私が8月に実施したアンケート調査では、「加害者を出席停止にすべきだ」という意見への賛否を、中学生にもたずねている。その結果、「はい」との回答は、中学生では中学校教員よりもさらに多く、過半数の52.7%に達している。中学生こそがもっとも切実に、安心して学べる環境を求めている。

いじめの「加害者を出席停止にすべき」への回答(中学校教員/中学生) ※筆者自身が実施したアンケート調査の分析結果より作図
いじめの「加害者を出席停止にすべき」への回答(中学校教員/中学生) ※筆者自身が実施したアンケート調査の分析結果より作図

 いじめ加害者に対する出席停止をめぐって最優先で議論され尊重されるべきは、いじめ被害者の学ぶ権利である。ところが、いじめの加害者の学ぶ権利が幅をきかせるという倒錯した状況が、これまでたびたび生じてきた。

■学校でどうにかできるものなのか

 出席停止の制度は整備されている。いじめ防止対策推進法や文科省の通知においても、出席停止は、いじめ対応の一つの方法に位置づけられている。出席停止の命令を前向きに評価する教師も多い。

 ただ、加害者の出席停止は法的に重大な措置であるだけに、発動には十分な根拠を要し、また加害者である子供自身の学ぶ権利の保障を要する。これが、教育組織として出席停止の命令を困難にしている。

 教師からの要望がありながらも出席停止に踏み込めない状況をふまえると、学校には打つ手がないように見える。教員の長時間労働が問題視されるなかにあっては、出席停止あるいは加害者への対応を学校にまかせること自体に、無理があるようにも感じられる。

ただ、学校が身動きをとれない間にも、いじめの加害者は学校に通い、被害者は学校を去っていく。学校内外の大人の力不足の結果を、いじめ被害者の子供が背負っているように見えてならない。

====注記====

【2つの出席停止と関連法規】

▼感染症にともなう出席停止

学校保健安全法の第19条に次のとおり定められている。

第19条 校長は、感染症にかかつており、かかつている疑いがあり、又はかかるおそれのある児童生徒等があるときは、政令で定めるところにより、出席を停止させることができる。

▼教育課題にともなう出席停止

学校教育法の第35条に、次のとおり定められている。

第三十五条 市町村の教育委員会は、次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う等性行不良であつて他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる。

一 他の児童に傷害、心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為

二 職員に傷害又は心身の苦痛を与える行為

三 施設又は設備を損壊する行為

四 授業その他の教育活動の実施を妨げる行為

※第19条は小学校の取り扱いであり、これが第49条によって中学校にも準用される。

【「学校生活に関する調査」の概要】

  • 目的:いじめなどの教育課題について、子供・教員・保護者の三者間における意識の共通点や相違点を、全国を対象にしたアンケート調査により明らかにする。
  • 実施期間:2021年8月13日~17日。
  • 方法:ウェブ調査(インターネットによるアンケート調査。株式会社マクロミルのウェブモニターを利用。)
  • 対象:①小学校の教員、②小学校の保護者、③中学校の教員、④中学校の保護者、⑤中学校の生徒
  • サンプルサイズ:①~⑤それぞれを約400名(合計で約2000名)。
  • 割付条件: 中学生および保護者は男女同数にて割付し、教員は学校基本調査から算出された男女比に合わせて割付した。
  • 研究組織:内田良(名古屋大学大学院・准教授)・澤田涼(名古屋大学大学院・大学院生)・古殿真大(名古屋大学大学院・大学院生)・藤川寛之(名古屋大学大学院・大学院生)・島袋海理(名古屋大学大学院・大学院生)の5名。
  • 付記1:本記事のデータは速報値である。
  • 付記2:今日、学術研究においてもウェブ調査の活用可能性が積極的に検討されている。たとえば、日本学術会議「Web調査の有効な学術的活用を目指して」や、Tourangeau, Roger, Frederick Conrad & Mick Couper, 2013, The Science of Web Surveys, Oxford; New York: Oxford University Press. (大隅昇・鳰真紀子・井田潤治・小野裕亮訳、2019、『ウェブ調査の科学:調査計画から分析まで』朝倉書店。)などを参照されたい。また本研究組織も9月11日にウェブ調査の活用可能性について「教育問題におけるWeb調査の可能性」と題する学会報告(日本教育社会学会第73回大会)をおこなっている。
  • 付記3:本記事は、「一般社団法人いじめ構造変革プラットフォーム」(代表理事:谷山大三郎・竹之下倫志)の寄附金による研究成果の一部である。

内田良 名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授

学校リスク(校則、スポーツ傷害、組み体操事故、体罰、自殺、2分の1成人式、教員の部活動負担・長時間労働など)の事例やデータを収集し、隠れた実態を明らかにすべく、研究をおこなっています。また啓発活動として、教員研修等の場において直接に情報を提供しています。専門は教育社会学。博士(教育学)。ヤフーオーサーアワード2015受賞。消費者庁消費者安全調査委員会専門委員。著書に『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『教育という病』(光文社新書)、『学校ハラスメント』(朝日新聞出版)など。■依頼等のご連絡はこちら:dada(at)dadala.net


昨日の記事 「総理の挨拶文」が問うメディアの見識

重大な内容を多々含んでいる。総理は「確信的」に読み飛ばしたのだ。それは「平和」や「平和運動」への敵視である。それを軽々しく「事務方」のミスとしたことに第二の「赤木」氏を想いうかべた。
 「科学」を蔑ろにし、自らの「感情」をむき出しに貫き通す。「学術会議」任命拒否もこの線上にある。新総裁岸田氏には再任を求めるよう働きかけが必要だろう。


「総理の挨拶文」が問うメディアの見識

2021年10月03日 | 社会・経済

立岩陽一郎InFact編集長

YAHOO!ニュース〈個人〉10/3(日) 

 

「のりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていたため」と「政府関係者」が説明した菅総理の広島での被爆者慰霊の式典での挨拶読み飛ばし。しかし、その説明は虚偽だった疑いが強まっている。それを暴いたのは広島で子育てをする1人のフリージャーナリストだった。

ジャーナリスト宮崎園子の「総理の挨拶文」

10月1日の朝早く、私が編集長を務めるInFactの記事がネット上を駆け巡った。タイトルは「総理の挨拶文」。サブタイトルは「のり付着の痕跡は無かった」。朝6時半に「上」が出て、それから間もなくして「下」が出た。アクセスを競うこともない弱小オンラインメディアの記事は瞬く間に拡散した。これがその記事だ。

取材・執筆は宮崎園子さん。この7月まで出生地の広島で朝日新聞記者として取材をしていた。東京への転勤を打診されたのを機会に退社し、以後、子育てをしながら被爆地・広島にこだわってフリーランスとして取材を続けている。

私との付き合いは10年以上になる。互いに大阪で司法記者クラブに在籍していた時からだ。宮崎さんは単に優秀な記者という説明では語れない。どんな偉い取材先にもおもねることなく是々非々で取材する姿と、誰もが気づかない話を掘り下げる取材力が印象に残っている。

その宮崎さんが「ご相談したいのですが、お話しできないでしょうか」とメッセージを送ってきたのは9月22日。それがこの記事の内容だった。直ぐにやり取りが始まった。その記事の詳細はInFactで確認して欲しいが、広島の被爆者慰霊式典で菅総理が挨拶の一部を読み飛ばした点を掘り下げていた。宮崎さんは実際に、その挨拶文の現物を確認したという。その写真を何枚も送ってきた。

「挨拶文、美しいの一言でした。『いい仕事』、実に丁寧な仕事でした」

そして言った。

「のりが付着している痕跡は有りませんでした」

「え?」と思って頭の記憶を8月6日に戻した。菅総理が挨拶を読み飛ばしたことは直ぐに問題となり、菅総理は謝罪。ところが、その日のうちに、読み飛ばしの原因は挨拶文に付着したのりだったと報じられた。共同通信は「首相の原稿、のりでめくれず 広島式典の読み飛ばし」との記事を配信している。

読み飛ばしの原因を「のり」としたメディアの報道

記事では、「政府関係者」なる主語を使って、「原稿を貼り合わせる際に使ったのりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていたためだと明らかにした」と報じていた。そして、「『完全に事務方のミスだ』と釈明した」とも。

また、こうも報じている。

「つなぎ目にはのりを使用しており、蛇腹にして持ち運ぶ際に一部がくっついたとみられ、めくることができない状態になっていたという」

これが事実ではないことを宮崎さんは自分の目で確認した。何枚も写真を撮っており、その緻密な説明に疑問を挟む余地は無かった。

目だけではない。宮崎さんは実際に挨拶文にも直に触っている。その結果、のりの付着した痕跡の無いことを確認している。「めくることができない状態」ではなく、はがした痕跡も無かった。

それだけではない。宮崎さんはその日の総理の日程を確認し、広島市に更に取材している。そして「政府関係者」を含めて誰からも挨拶文の状態を確認する問い合わせの無かったことも明らかにした。

では、この「政府関係者」は何を根拠に「のり」だの「事務方のミス」だのと口にしたのか?虚偽の情報をリークしたと考えるのが自然だろう。

ここで1つ明確にしたい。この記事を出した私たちは、「読み飛ばし」を問題にしているのではない。間違いは誰にでも有る。その原因を「のり」とし「事務方のミス」としたその姿勢を問うているものだ。虚偽の説明による責任転換など、国のリーダーでなくても許される話ではない。

問われる「政府関係者」報道

当然、そうした情報をリークした「政府関係者」にも問題はあるが、寧ろ問題なのは、情報を鵜呑みにして報じたメディアにある。確認をしたのだろうか?宮崎さんの取材に対して、広島市は政府からもメディアからも挨拶文の状態について問い合わせが無かったことを証言している。

つまりメディアは「政府関係者」が言ったことをその真偽を確認せずに報じた可能性が極めて高い。付言すれば、菅総理を擁護する虚偽の情報を政府に言われるままに流した可能性が高いということだ。

思えば、日本のメディアの報道には「政府関係者」「政府高官」「党幹部」などといった根拠不明な主語が散見される。そして政府与党を擁護する情報が発信される。その真偽が問われることはない。今回も仮に宮崎さんが取材をしなければ、「読み飛ばし」の原因は「のり」であり「事務方のミス」として終わっていたはずだ。

この匿名情報源は、世界のメディアの常識では、実名にすることで情報源に極めて大きな不利益が生じる時に利用が認められているというものだ。アメリカでは、必ずその理由の説明が求められる。では、この「のり」だの「事務方のミス」だのが実名で報じられて、この情報源にどのような不利益が生じるのか?それも不明だ。

しかしメディアはまだ挽回できる。この問題に向き合い「総理の挨拶文」の実態を報じるべきだ。勿論、宮崎さんに書いてもらうのも手だろう。絶対にしてはいけない日本のメディアのお家芸がある。それは黙殺だ。事実を闇に葬ってはいけない。政府が仮にそうしようとしても、メディアがそれに加担してはいけない。

立岩陽一郎 InFact編集長

アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「NHK記者がNHKを取材した」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。


今日はわたしの誕生日。
1949ですから・・・
十分に生きてきた、思い残すこともありません。
つらいこともたくさんありました。
でも、それを乗り越え生き、成長してきたのだと思います。
「生」を受けたことへの感謝です。
これからの人生、楽しく過ごしていきたいと思います。
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。



日本の中高大学生が求める「システムチェンジ」と「公正な社会の実現」

2021年10月02日 | 自然・農業・環境問題

3年目の世界気候アクション 

 
グローバル気候ストライキは世界90カ国以上で実施された。写真は国内で
 
「Fridays For Future(未来のための金曜日)」の運動を行う高校生や大学生

グレタ・トゥーンベリさんが2018年に気候危機対策の強化を求めて始めた学校ストライキが世界に波及し、2019年から毎年9月に世界一斉に開催されている「グローバル気候ストライキ(日本では、グローバル気候アクション)」が24日、国内でも行われた。世界の学生らが各国で主導する運動「Fridays For Future(以下、FFF)」を日本で展開するFFF Japanは、これに合わせて国内各地で107の企画を実施した。今回、FFFが世界的に掲げる最大の焦点はMAPA(Most Affected People and Areas)と呼ばれる「既存の政治・経済システム(制度)によって最も影響を被っている人や地域」だ。気候変動の要因にもなり、社会で最も脆弱な人々が最も被害を受ける現行のシステムを根底から変革する「システムチェンジ」を強く訴える。日本では、気候危機やそれにより深刻化する地域や世代、性別間の不平等をなくすために「企業に求める10か条」「政府に求める9か条」も発表された。学生たちに話を聞いた。(小松遥香)

2019年に初めて日本で行われたグローバル気候ストライキは、国内23都道府県で実施され、5079人が参加した。世界では150カ国で展開された。東京で行われた「グローバル気候マーチ」には、大学生を中心に学生、気候変動対策に先進的な企業、長く環境問題に取り組む団体、ビジネスパーソン、官僚などさまざまな背景を持つ約2800人が集まり、「気候正義を」と声を上げながら青山から渋谷までを練り歩いた。昨年9月は新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、東京では規模を縮小した形で国会議事堂前に約100人が集まり、全国的には32都道府県75カ所で関連するアクションが行われた。FFF Japanは毎年9月のグローバル気候ストライキの時期以外にも「学生気候危機サミット」や企業・政府に対するアクションを実施している。

国内20以上の地域に広がる、デジタルネイティブ世代がつくるアクション

グローバル気候ストライキが3年目を迎え、FFF Japanの活動は現在、札幌や仙台、東京、京都、大阪、神戸、福岡など全国に広がっている。大学生を中心に高校生、中学生の300人ほどがオーガナイザーとして所属するという。このうち30人ほどがアクションなどの運営を中心的に行っているが、受験や就職で人が入れ替わり、メンバーは固定化されておらず、代表してスピーチする人たちも毎年異なっているのが特徴だ。

 

9月24日夜、FFF Japanが主催しZoomを使って行われた「グローバル気候マーチ」には幅広い年齢層の約500人が参加し、同時配信したYouTubeの動画は現在(9月30日)までに1500回以上再生されている。『人新世の「資本論」』(集英社新書)で知られる経済・社会思想家の斎藤幸平さん、米国の消費者の変化をいち早く紹介した『ヒップな生活革命』(朝日出版)や『Weの市民革命』(同)を書いた佐久間裕美子さんらも登場し、女優の二階堂ふみさんも動画でメッセージを寄せた。

Uproot the Systemがキーワードに

今年、世界で展開されているグローバル気候ストライキの狙いは、気候危機やその他のあらゆる危機をもたらしている既存のシステムを根底から覆すこと。それを意味する「Uproot the System」が世界共通のキーワードとして使われ、SNSで拡散された。

既存の社会システムによって世界の数十億の人々にさまざまな影響を及ぼしている喫緊の社会的課題や固定化した格差は、気候危機によりさらに深刻化してしまう。気候危機によって最も影響を受ける国は、新型コロナウイルスの影響を最も受けている国でもあるのだとFFFは指摘する。

オーガナイザーの一人、時任晴央さんは「社会問題は横断的であり、MAPAが苦しんでいる背景には先進国が気候危機を助長してきたことがあります。MAPAを考えて行動し、誰も取り残さない未来のために闘い、いろいろな背景を持つ多分野・多世代の若者たちと団結していきます」と主旨を説明した。

欧州発のFFFは、この先進国による気候危機の助長とMAPAへの負の影響の要因について、より明確な言葉で「グローバルノース(北半球)の先進国が植民地主義、帝国主義、システム的な不正義、無慈悲な強欲によって、MAPAの暮らしや住処を破壊してきたことにある」と批判している。

団結することで目指すのは、気候危機の解決、気候正義の実現、そして人と地球を優先する社会を構築していくことだ。学生らは気候変動対策の強化だけでなく、こうした事態を生み、格差を広げる根本的な社会システムの変革を求めている。当然のことながら、世界の遠くにいる弱者が直面する不公正を肯定したり、無関心でいる経済・政治システム、国家や企業のモラルは、国外だけでなく国内の弱者にも適用される。FFFが訴えるのは、大人たちが不満を抱きながらも変えられずにいる硬直した現代社会のシステムの変化でもあり、彼ら彼女らは時代や社会の代弁者でもあるのだ。

気候危機にはリミットがある 見て見ぬふりはもうできない

仙台でのアクションの様子

24日にあわせて、国内各地で独自の気候アクションが行われた。仙台を拠点とするFFF Sendaiは、北米などからバイオマス 燃料を輸入するにあたり森林破壊を行っているとして住友商事東北・仙台本店に申し入れを行い、同本店の入る建物前でプラカードを掲げてのスタンディングを実施した。FFF Osakaは国立環境研究所の江守正多氏をゲストに迎えてシステムチェンジについて議論する動画をYouTubeで配信、FFF Yokosukaは 横須賀石炭火力建設地前と京急久里浜駅前で「石炭火力 見て見ぬふりはもうできない」の言葉を掲げフォトアクションを展開した。FFF Tokyoは「利権優先ではない未来を優先するエネルギー政策を」など各省に対する若者のメッセージを集めインスタグラムに投稿し、総裁選候補者や官邸、各省、大臣のアカウントにダグ付けする形で「若者も頑張るから全部の省も頑張ってねアクション」を実施した。

このほか、twitterでは議論を重ねて決めたというハッシュタグ「#気候危機見て見ぬふりはもうできない」を一斉投稿するツイートストリームを実施し、7956ツイートを記録し、トレンド入りも果たした。

FFF Tokyoの廣瀬みのりさんは、「きっと誰かがどうにかしてくれる。そうやって見て見ぬふりをするのはもうやめないといけません。18歳以上の方は直接的に声を届ける機会があります。選挙です。そろそろ衆議院議員総選挙があります。18歳未満の子どもたちとこれから生まれてくる将来世代の分も気候危機対策をしっかりと考えている候補者に投票してください」と呼びかけた。

メンタルケアしながら取り組む社会変革

インタビューに応じてくれた原さん

FFFに集まる学生はどのような人たちかーー。現在、FFF Tokyoのオーガナイザーを務める中学3年生のTさんと、FFF Yokosukaのオーガナイザーで高校2年生の原有穂さんに話を聞いた。

――今回、企業に求める10か条、政府に求める9か条 を発表しました。これは日本独自のものでしょうか。どのように決めましたか。

原さん:日本独自のものです。議論を何度も重ね、ときには深夜になることもありましたが、中高大学生20人ほどが集まって決めたものです。

Tさん:専門家の方たちにもヒアリングしながら考えました。

――実際に日々の中で企業や政府にどのような疑問を抱きますか。

原さん:今、世界中で企業や政府が気候変動対策を進めていることはとても重要で良い流れだと思います。でも懸念するのはSDGsウォッシュやグリーンウォッシュ です。本気で気候変動を止めないといけない状況になってきているときに、表面的な活動やこれまでの企業の取り組みを少し変えて「エコなことをやっています」というものを、私たちはきちんと見ています。「これはSDGsウォッシュ、グリーンウォッシュだね」という話をよくします。やはり、消費者に過度にサステナブルだと信じさせる表示は気になります。

T さん:政府に対して思うのは、今の2030年度までの温室効果ガス削減目標では間に合わないし、先進国としての義務を果たせないということです。世界からも遅れています。

私たちは本気の気候変動対策を求めていて、もっと野心的で実行力を持って政策を決定してほしいです。4月にNDC(国別削減目標)が46%に決まりましたが、科学に則り1.5度目標を達成するには62%(クライメート・アクション・トラッカーの分析に基づく)まで引き上げる必要があります。

私たちが求めているのは「おぼろげな(「おぼろげながら浮かんできたんです。46という数字が」という小泉進次郎大臣の発言)」大人たちの感覚ではありません。政府には選挙権のない人たちの未来を守れるような政治や社会をつくっていく義務があり、先進国として責任を果たせるような目標や数値を求めています。

――今回のアクションを含めて、FFFの活動を広げ、人にメッセージを伝え、力を合わせて活動をしていく上で、オーガナイザーとして大事にしていることはありますか。

T さん:私たちには話し合いをする上で大切にしているルールがあります。例えば、意見交換を活発にする、発言にはアクティブに反応するといったこと、そしてメンタルケアです。

私たちの活動の成果がすぐに出るわけではありません。政府の決定もあまり納得できなかったり、色々なところから批判を浴びたりします。長い期間続けていると、精神的に萎えてきてしまうということもあります。私自身も弱い人を犠牲にして生活していると思うと嫌気がさすこともあります。

ですので、私たちは活動する上でメンタルケアがとても大事だと考えます。今回のアクションを企画する上でも、それを考慮し「ムーブメントに参加していること自体に誇りを持ちましょう」ということを共通認識として取り組んできました。

原さん: FFFでは、世間に訴えかける手段として学校ストライキやスタンディングなどの手段を使うことが多いのですが、今回はコロナ禍で感染防止という点からも外での大規模なアクションは難しく、また社会正義という観点からも、ワクチンが打てない国や人がいる中で、ワクチンを打てる私たちが外に出てアクションをすることはどうなのかという思いもあり、さまざまな点に気を配りながらアクションを考えました。

基本的には学生だけでプレスリリースを書き、会見の準備などもしていますが、思いを持った学生が集まっているので議論が白熱し、時に意見が対立することもあり、大人のコミュニティ・オーガナイザーの方が中に入ってくれることもあります。

――おふたりがFFFに入ったきっかけは何でしょうか。

原さん:私は今年6月に加わりました。もともと、アフリカや東南アジア、南米の貧困問題に関心があり、高校1年生の頃から世界の社会問題について勉強し始めました。その過程で、フリーランス国際協力師の原貫太さんのYouTubeを見て、私たちが着ている服が生産されても大量廃棄され、食べているお肉には大量の水や穀物が使われていることを知りました。紛争鉱物もそうですが、私がずっと助けたいと思っていた人たちを、私たちが搾取していて、そこで働く人たちが抜け出せないようなシステムになっているということに衝撃を受けました。

私ができることからしなきゃ、そう感じました。服を買わないようにしよう、なるべく牛肉を避けようと決めました。罪悪感が大きな要因でした。一人でそういう活動をしている中で、たまたまFFFの友達に誘われて、ムーブメントに参加するということは考えていなかったのですが、同じ思いをしている人がいて、色々なことを勉強できるかもしれないと考え参加を決めました。

T さん:私は去年の8月に入りました。中学1年生の時に『グレタ たったひとりのストライキ』(海と月社)を読み、気候変動がいかに深刻な状況かということを知ってすごく衝撃を受け、自分が動かないといけないと思ったからです。

ーー友達や同級生も気候変動やFFFに関心がありますか。

原さん:いえ、私は今もまだ、環境問題に取り組んでいると周りの人に伝えることで、誹謗中傷を受けるのが怖いという思いがあります。偏見を持たれる可能性もあり、あまり人に伝えられていません。でも、無理に教えたりすることはないですが、SNSを使って少しずつ気候危機やジェンダー問題そのほかの社会問題について発信していると、友達が関心を持ってくれるようになってきて、小さなことですが良かったなと思っています。

T さん:私もこの活動を始めた時は、周りの人に言うのが怖かったです。社会問題について友達に話すことで人間関係が壊れてしまうのではないかと心配したこともありましたが、そうも言っていられないなと思い、今では話せるようになりました。私が話をしたら、関心を持って聞いてくれます。

――「服を買わないようにしよう」と思ったとおっしゃっていましたが、他に消費や生活の中で行動が変わったことはありますか。

原さん:服を買う頻度はかなり減りました。ただ今は、服をつくる企業が変われば 多くの人が不便さを感じず、環境に負荷をかけない行動ができるようになると考えています。また、服を買うのを我慢するのではなく古着を買うということもできます。環境活動家だから、何かを我慢しなければならないというのはあってはならないと思っています。

T さん:私はペスカタリアン(肉を食べない菜食主義者)になりました。肉は食べませんが、魚介類や乳製品、卵は食べられます。気候危機について調べる中で、工業的畜産について知ったことが理由です。映像で実態を見ると、やはり心が痛みます。私以外の家族は肉を食べ、両親は動物性のたんぱく質も必要じゃないかと考えているようですが、食卓に並ぶ料理は以前よりも魚の方が多くなりました。

消費については、服だけでなく身の回りのもの全てですが、エシカル消費をするというよりも、本当に必要か、今あるもので足りるのではないかをよくよく考えて、本当に何日も何日も考えてから、一番いいと思う、環境に配慮したブランドのものを買うようにしています。やはり大量生産・大量消費の社会システムの上に私たちの生活は成り立っていて、それを変えるのは難しいので、本当に必要かを考えるようにしています。

――これからどんな社会や時代に生きていきたいと思いますか。

原さん:私が物心がついた2011年からの10年間で大きく社会は変化しました。そうした変化を見て、私が未来を考える時に思うのは、それはさすがに変えられないだろうというものでも一度変えてしまえば慣れますし、不便も楽しむこともできます。私たちの生活はあまり変わっていないけれど、地球への負荷は大きく軽減できる未来、世界を変えたら自分が被害を受けるのではなく、今の生活を維持することもできるし、新しい楽しみが増えるというという風に考えていける未来になったら良いなと思います。

T さん:今、若者として危機感を抱いて活動をしているということもあるし、未来の状況を変えられる一人の人間として活動している中で思うのは「なぜ自分が未来のことを考えないといけないのか」ということです。将来の世代に自分と同じ思いをして欲しくないと思います。将来に不安を抱いたり、前の世代がまわしたツケを背負わなければいけない世代や社会になって欲しくないと思って動いています。自分よりも年下の世代が安心して生活できる時代になってほしいと思います。未来の世代から、私が大人になった時に怒られないように頑張っていきたいです。

3年目の取材を終えて

「なぜ自分が未来のことを考えないといけないのか」――。中学3年生のTさんが発信する問いは心に響く。今年のグローバル気候アクションでの学生たちの言葉で印象的だったのは、彼ら彼女らにとっての「将来世代」への言及だった。そうした世代の未来を、私たち大人や、政治家はどこまで見据えて実際に社会をつくっているのだろうか。この取材を定点観測として続けてきた理由は、FFF Japanに参加する学生たちが、どこにでもいる、私の教室にもいたかもしれないような学生でありながら、貴重な時間を使い、この地球環境の非常事態をなんとかしようと勇気を持って立ち上がっている姿が時代の写し鏡だと考えるからだ。ストレスケアをしながら、他人から非難されることを怖いと思いながらも、自ら、そしてその次の世代の未来を見据えて声を上げる学生たちの声に、為政者も経営者も都合のいい時だけではなく、耳を傾け続けなければならない。


 なるべく服を買わない。なるべくプラスチックを使わない。
個人でできることはたくさんあります。でもほんの小さなことばかりです。
それよりも「戦争」というものに目を向けてほしいと思います。世界各国にある「国防軍」は地球攻撃隊そのものでしょう。「国を守る」ためにミサイルや戦闘機・戦艦・軍車両が動き回っています。これは「国家」の仕事です。「人類」が平和について考えなければなりません。「戦争」は暴力行使です。人類に対し、地球に対して。もうやめましょう「戦争」なんて!
 
園池


アオウキクサはカモさんに食べられたようで、きれいに無くなっています。マツモも食べてくれたらいいのですが。
椎茸。

早速今日のお昼にストーブで焼いて食べました。

「こども庁」創設は必要か──内閣府の肥大化と教育への政治的介入の危険性を考える 寺脇研さん&前川喜平さん講演レポート

2021年10月01日 | 教育・学校

By マガジン9編集部

 
 
    文部科学省、厚生労働省など複数の省にまたがる「こども政策」を一元化するとして、政府が創設を目指す「こども庁」。衆院選の公約にも入るのでは? と言われていますが、報道などを見ていても、その必要性がいまひとつ明確に見えてきません。そしてまた新たに組織を創設することで生まれてくる問題などはないのでしょうか? ともに元文科省官僚である寺脇研さん、前川喜平さんによるオンライン勉強会の内容をお伝えします。 

※2021年7月30日に行われたオンライン勉強会〈「子ども庁」創設案を考える 前川喜平さん×寺脇研さん/主催:FILA’s(全国自治体議員立憲ネットワーク・無所属議員の会)〉の内容の一部をマガジン9編集部でまとめました(この勉強会に関するお問い合わせ、録画の配信を希望される方は FILA’sまでご連絡ください)。

寺脇研(てらわき・けん)…1952年福岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、1975年に文部省(当時)入省。広島県教育長、政策課長、大臣官房審議官、文化庁文化部長などを歴任し2006年退官。07年より京都造形芸術大学教授。映画・落語の評論家としても活躍。
前川喜平(まえかわ・きへい)…1955年奈良県生まれ。東京大学法学部卒業後、1979年に文部省(当時)入省。官房長、初等中等教育局長、文部科学審議官などを経て、2016年文部科学事務次官に就任し、17年1月に退官。今年9月に寺脇さんとの共著『官僚崩壊 どう立て直すのか』(扶桑社)が発売された。

20年前の「改革」の失敗を、繰り返してはならない

 最初に発言されたのは、2006年まで文科省に勤務していた寺脇研さん。こども庁が必要な理由として常に持ち出される「行政改革」について、ご自身の経験もまじえながらお話しくださいました。
 日本で最初に「行政改革」の必要性が叫ばれたのは、今から40年ほど前のこと。1981年、鈴木善幸内閣のときに、「明治以来膨らみ続けてきた日本の行政規模、行政予算をどこかで抑えなくてはならない」として、経団連会長などを務めた土光敏夫氏を会長とする「第二次臨時行政調査会」(土光臨調)が設置されました。ここで出された提言は、国鉄、電電公社、専売公社の三公社民営化などが中心でしたが、自身も2年間にわたって臨調に出向していたという寺脇さんは「おおむね必要な改革だったと思う」と振り返ります。
 「機構改革の必要性も指摘されましたが、求められたのは省庁統合のような組織再編ではなく、それぞれの省庁がそれぞれに機構改革をし、自分たちで政策を考えられる『政策官庁』になることでした。そして、そのように自分たちで政策を立案していこうとすると、自分の所属する省庁のことだけを考えていればいいわけではないことが見えてくる。結果として、この提言に基づく機構改革が行われた後は、各省の間の垣根はずいぶん低くなり、連携を進めるための体制が整えられていきました」
 その後、80年代後半から90年代にかけての霞ヶ関は、縦割り行政の弊害がどんどん除去され、非常にいい状態になっていたと話す寺脇さん。生涯学習政策の立案を担当した際にも、厚生省、労働省など他の官庁と密接に連携を取りながら進めていったといいます。
 しかし、そうした状況に再び変化をもたらしたのが、90年代末の橋本龍太郎内閣における行政改革でした。縦割り行政の排除や行政のスリム化を掲げた「改革」の中心になったのは、省庁の再編。文部省は科学技術庁とともに文科省へ、厚生省と労働省は厚生労働省へ、自治省と総務省(旧行政管理庁)と郵政省は総務省へと再編されました。寺脇さんはこれを「まったく必要のない改革だった」と強く批判します。
 「あの改革は、省の数を減らせば合理化できる、公務員の数を減らせるという考え方に基づいていました。しかし、省があるから公務員がいるのではなく、国民のためにやる仕事をこなすのに公務員が必要なのです。公務員を減らすというのはつまり、国民のための仕事を減らすということ。それなのに『予算が浮く』からと公務員を削減し、何もかもを民間に丸投げして中抜きさせるという、現代にまで続く流れをつくってしまったわけです」
 こども庁の創設は、このときの失敗をまた繰り返すことになりかねない、と寺脇さんは言います。
 「子どものための政策を進めるためにはこども庁が必要だというのは、生涯学習を推進するために生涯学習庁をつくれというようなものです。今の形でできないことがあるとすれば、それは役人の政策立案を政治がつぶしていくような、誤った形の政治主導がまかり通っているからではないでしょうか。こども庁という新しい役所をつくらないとできないことなんて、私は一つもないと思っています」

子どもの幸せのために必要なのは、こども庁ではない

 文科省での寺脇さんの後輩にあたる前川さんも、「こども庁は不要だということについては、寺脇さんとまったく同じ意見」だと明言。「自民党内で総選挙をにらんで『何か目新しい政策を』というので出てきただけの案で、中身はすかすか」だと批判しました。
 こども庁創設の前提としてよく言われるように、現状、子どもに関わる国の政策は、いくつもの行政機関にまたがって進められています。中心となるのは、児童福祉や保育などを担う厚生労働省ですが、教育や文化、スポーツなどの側面を担うのは文科省。また、法務省は少年法を通じて子ども政策に関わり、警察にも少年課という部署があります。
 こうした状況が「縦割り」といわれ、政策が効率的に進められない原因として批判されてきました。しかし、「きちんとその間の連携がされていれば、何の問題もないのではないでしょうか」と前川さんは指摘します。
 「縦割りそのものがダメだというのなら、全部一つの省にしてしまえという話にもなるし、仮にそうしたとしても、その中にまた局や課ができる。結局仕事は分けてしないといけないのですから、どう連携を深めていくかということのほうが大事です。そして現状でも、厚労省と文科省、警察などの間の人事交流は頻繁に行われていますし、連携はある程度うまくいっていると考えています」
 こども庁が必要だという主張の際に、よく取り上げられるのが、幼稚園と保育所を一元化するという「幼保一元化」ですが、これについてもすでに一定の成果は出ている、と前川さんは言います。「幼稚園を管轄する文科省、保育所を管轄する厚労省では、かなり前から人事交流などの連携を取ってきており、今はその間に内閣府を入れた「三府省体制」での連携が進められているのです。
 「それでも、どうしても完全に一元化するべきだというのなら、文科省か厚労省、どちらかに幼保双方の機能を持ってくることはできるでしょう。私は、OECDの幼児教育に関する会議に何度か参加したことがあるのですが、どこの国でも幼児教育というのは福祉系と教育系の役所に分かれていて、それを一元化しようという機運も多くの国で出てきている。国によって考え方は違いますが、大きな流れとしては教育系のほうに一元化するケースが多いようです」

 日本でも、厚労省の業務増大による肥大化が指摘されていることを踏まえ、幼保の政策を文科省に一元化するという選択肢はあるかもしれない、と前川さんは言います。具体的には、厚労省で児童福祉などを担当する内部部局「子ども家庭局」の部分を文科省に移し、保育所なども文科省の管轄とすることになりますが、「それも、どうしてもやらなくてはいけないというのではない。今のままでそれほど支障があるわけではないと思います」。
 一方、日本の子ども政策全体を見てみると、あまりにも貧困であると言わざるを得ない、とも前川さんは指摘します。
 「児童手当を増額する、保育所や幼稚園における職員の配置基準を見直す、保育士や幼稚園教諭の待遇を向上させる、35人学級を小学校だけではなく中学校や高校でも実現する……子どもにとってもっといい環境をつくるために、お金や人をつぎ込むべきところは、教育の分野にも児童福祉の分野にもたくさんあります。こども庁なんてものをつくらなくても、そうした必要な政策をちゃんと実行すれば日本の子どもはもっと幸せになる。そして、政治家がその気にさえなれば、今すぐにでも政策実現はできる。私はそう考えています」

「こども庁」創設で進む、内閣府の肥大化と教育の民営化

 参加者との質疑応答の中では、こども庁創設によるさまざまな問題点についても指摘がありました。
 一つは「民間への丸投げ」。こども庁の創設を機に、教育や保育分野での民営化が急速に進められるのではないか、という懸念です。
 「かねてから教育や保育を『官製市場』と呼び、公が独占せずに営利事業に開放すべきだという声があります。水道民営化などと同じで、市場に任せたほうが効率化されてよりよいサービスが提供されるはずだと思い込んでいる人たちがいるんですね。実際には『株式会社立高校』などの例からも明らかなように、『安かろう悪かろう』に終わる危険性のほうが高いのですが……。そうした新自由主義的な考えを持つ人たちが、こども庁創設を機に、自由競争的な政策を教育や保育の世界に持ち込もうとする可能性はあると思います」(前川さん)
 もう一つ、お2人がそろって懸念を示したのが「内閣府の肥大化」です。本来、各省の仕事の調整役であるべき内閣府の権限が近年どんどん拡大しており、こども庁の創設はそれを加速させるのではないかというのです。
 こども庁がどの省のもとに創設されるのかはまだ明らかではありませんが、創設に向けた「準備室」はすでに今年7月に内閣官房に設置されており、「おそらく内閣府の庁という形になるのでしょう」と寺脇さんは言います。「文科省や厚労省からも、どんどん人材が内閣府に移されているようです」。
 他の省にはトップとなる担当大臣がいますが、内閣府には全体に責任を持つ大臣がいません。結果として、内閣府の下のこども庁には、総理大臣が直接指示を出せることになり、すべてが官邸主導で進められるようなことにもなりかねないというのが、寺脇さんの指摘です。
 そしてもう一つ、内閣府の問題点として寺脇さんが挙げたのは「チェック機能がないこと」。これも他の省と異なり、内閣府には専属の記者クラブがありません。「もちろん、記者クラブ制度そのものの是非はあるにせよ、文科省なら文科省記者クラブの記者たちが、しょっちゅう役所の中をうろついている。役所側が何か隠そうとしてもなかなかできないという効果はあると思います。内閣府にはそれがないんですよ」。
 記者会見に関しても、他の省の大臣の場合は、大臣が質問に答えなければある程度記者は食い下がるし、大臣のほうにも「答えなくてはならない」という意識がある。仮に「質問はここまでです」と会見を打ち切られたとしても、後から「さっきのはどういうことですか」と聞きに行く記者がいるはずだ、と寺脇さん。しかし、内閣府の記者会見では、官邸記者クラブの記者たちが出席してはいるものの、総理大臣や官房長官に凄まれるとあっさり引き下がってしまい、それ以上質問を重ねようとしない姿が目立つのだといいます。
 「だから、前川さんがおっしゃるような、民営化やそれによる『中抜き』の問題があったとしても、なかなかチェックできない状況になってしまう。その危険性を、はっきり認識しておく必要があります」

学校教育への、政治的介入が強まる

 さらに前川さんは、こども庁に与えられる権限によっては、学校教育の内容が政治的にゆがめられてしまう可能性にも言及しました。
 「たとえば今文科省が担当している、小中学校の学習指導要領作成などの機能がこども庁に移されるとしたら、かなり危ないことになると考えるべきでしょう。教科書検定などもそうですね。今は文科省に権限があってさえいろいろと政治的な介入がある。それがより政府からの影響を受けやすい部署の管轄になるとすると、さらに政治による不当な介入の危険性が大きくなるのではないかと思います」
 参加者からは、「そうした動きに現場の役人が抵抗する動きはないのでしょうか?」との質問もありましたが、前川さんの回答は「抵抗はできないですね」。抵抗どころか、ちょっと意見を言っただけでも閑職に飛ばされてしまうのが霞ヶ関の現状。どの省も、抵抗しない、意見を言わない幹部ばかりになってしまっているので、教育への政治的介入が強まったとしても、現場の抵抗はないままに進んでいってしまうかもしれない、といいます。
 さらに最後に、寺脇さんが「内閣府の肥大は、地方自治をやめて中央集権化を進めようとするようなもの」と話してくれました。
 「内閣府が肥大すればするほど、国の権力構造が中央集権的になり、責任の所在がわからなくなる。すべてが国民から見えないところで決められていって、何か問題が起こったときにも、その責任を追及することもできなくなります」
 オリンピックがそのいい例だ、と寺脇さんは言います。官邸が「やる」と決めただけで、スポーツ庁や厚労省の意見が問われることもなく、開催に向かって進んでいってしまった。専門家が「オリンピックの影響で感染拡大している」と指摘しても、総理が「私はそう思わない」と言えば、何の科学的根拠もなしにそれが通ってしまう。そんな恐ろしい状況が、すでに始まっているのです。
 「こども庁をつくるというのは、その内閣府の肥大化をさらに推し進めること。これは、絶対に阻止しなくてはならないと思います」。

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 9月16日には、こども庁創設に向けた政府の有識者会議が初開催されるなど、すでに創設に向けた動きは加速しつつあります。「こども政策の強化」「子どもを産み育てやすい環境の整備」といった、聞こえのいい言葉に流されることなく、そこで何が起ころうとしているのかを見ていく必要がある。改めてそう感じました。(西村リユ)


収穫の秋です。
植菌して1年半、先日1日プールにおいたら即出てきました。(しいたけ)

こちらは何でしょう?

一番上のは舞茸かと思ったのですが、ヒラタケでしょうか?(946さん、教えて)

栗ひろい。

イガごと落ちているのはたいてい虫が入っています。樹上ではじき出された実は早いとこ拾えば虫はいません。

そしていちご。(自家用です)