荻野洋一 映画等覚書ブログ

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あけましておめでとうございます

2018-01-01 04:38:22 | ラジオ・テレビ
新年あけましておめでとうございます。

 さっそくですが、新年の番組告知です。1/8(月)13:00から日本映画専門チャンネルで、『カツライス劇場新春スペシャル カツシン最期の舞台「夫婦善哉 東男京女(めおとぜんさい あずまおとこにきょうおんな)」』が放送されます。勝新太郎が1996年に下咽頭癌で入院する前月まで上演した舞台『夫婦善哉 東男京女』の収録テープが倉庫で発見されました。この収録テープが初めてテレビで放送されるにあたり、冒頭18分ほどのガイド番組を製作しました。私はこの番組の構成および、妻で同舞台の共演者である中村玉緒さんへのインタビューを担当しております。
 勝新太郎、真の遺作にして最後の傑作舞台。演劇ファンのみならず、映画ファンにとっても必見だと思います。ぜひご覧いただきたいと思います。

 本年もよろしくお願い致します。    荻野洋一


日本映画専門チャンネル「カツライス劇場」HP
https://www.nihon-eiga.com/osusume/katsuraisu2017/

『贖罪の奏鳴曲(ソナタ)』 青山真治

2015-02-24 02:00:32 | ラジオ・テレビ
 ドラマ『贖罪の奏鳴曲(ソナタ)』が、原作となったミステリー小説にどの程度忠実に作られたものなのかはわからない。しかしオリジナル脚本と見まごうほど、演出を担当した青山真治的記号が横溢している。
 ドラマ初回の冒頭いきなり主人公の弁護士(三上博史)が死体を遺棄するシーンから始まるが、それはどしゃ降りの夜のできごとである。『サッド ヴァケイション』『共喰い』といった作品を、嵐という気象がどれほど映画的に活気づけたかを思い出してみるとき、「死体に触れたのは、これが2度目だ」という主人公のモノローグが、青山映画に課された原罪に触れていることに気づかざるを得ない。青山映画の原罪とは何かというと、その多くが父殺しか、それに準ずる殺人だ。殺人によって生じた喪失、あるいは入獄は、青山映画がほとんどつねに、知られざる古代神話のリメイクであるという現実に根ざしているのではないか。青山の出身地である北九州という土地がそうした神話性を召喚してやまないのか、それとも中上健次的な妄執の再燃なのか、おそらくその混淆であろう。ここでの三上博史もまた原罪の人であり、彼は中学生の時に5歳幼女を日本刀で斬殺し、取り調べの席で「誰でも良かったんです。とにかく人殺しをやってみたかった」とうそぶき、精神異常と診断されて医療少年院に収監された過去をもつ。刃物での斬殺という血なまぐささは、青山映画にふさわしい。
 「人殺しの前科をもつ弁護士」などという突拍子もない設定は秀逸だが、かといって見る側が期待するジョン・ガーフィールド的な悪徳弁護士の社会派作品というわけではない。むしろ三上博史はフィリップ・マーロウのような探偵として振る舞う。保険金目当ての殺人なのか、それとも生命維持装置の誤作動なのかといったソープオペラまがいのサスペンスを愚直に跡づけながら(三上博史がマーロウのように聞き込み調査を反復しながら)、後に起きた殺人が前に起きた殺人のリメイクになっているという連鎖的構造──殺人者、被害者、殺人者の母といった人間関係の二重性、三重性──が、古代神話の反復性のごとく浮かび上がる。この多重性を増幅する装置として、留置所の面会室がまたしてもメイン舞台となる。ガラスなり鉄格子なりを隔てたこの面会室という舞台で「母と息子」が対峙する。これほど青山的な構図はない。
 登場人物たちははっきりとした性格付けをなされている一方で、どこか茫洋としてとらえどころがない。三上博史は、殺人という自分の罪を償おうとしつつも、自分を見捨てた母親を許せないという感情に苛まれつづける。彼は母親という存在を内面的に肥大化させ、フィルム・ノワールのファム・ファタールに見立てて「女は男を裏切る」という宿命論とともに生きているのではないか。「お前さんは憐れな奴だ」とリリー・フランキーの刑事が三上博史をつめたく罵倒するとき、真行寺君枝、薬師丸ひろ子、石田えり、田中裕子 etc.といった母親たち──時に主人公をファム・ファタールのように裏切り、時に肥大化しつつ母系一族の祖として再-君臨してみせる母親たち──をいっこうに対象化できない幼児性への憐憫として聞こえる。
 ただひとりだけ、ファム・ファタールでも卑弥呼でもない、ゼロ記号のような女が登場する。それは少年院時代の仲間であり、彼女はいまではピアニストになっている。ベートーヴェンのピアノソナタ〈熱情〉の暗く沈潜していく短調の旋律が、主人公と彼女を取り結ぶ。女ピアニストは贖罪の記号として、この曲を弾く直前に必ず燭台のろうそくに火を灯す。この小さな炎が主人公の希望となり、苦悶の源ともなる。コンサート会場でろうそくの炎とピアノソナタの演奏にしたたか打ちのめされ、ホール外へと退散する三上博史の苦悶はすばらしく、私たちがこれまでサイレント期から現代まで見てきた数多くの映画のなかの罪人たちのごとく怯え、顔を歪ませ、危なげな歩みで、孤独で、と同時に狂気の影を残し、つまりは非常に感動的な演技だった。そしてコンサート会場の外は、不穏な光が闇のなかで明滅している。
 しかも、この炎は何にも還元されないのである。私はこのろうそくの炎が最終回で何かを語りかけ、贖罪の同志としてのピアニストと主人公を再び結びつけていくものと期待した。しかし、ふたりの贖罪の道程はしょせん交わらざる2本の道なのである。生涯をかけた贖罪という宿命を義務づけられた男女に、カットバックというメロドラマ性は赦されない。この女ピアニストは少年院時代こそ美少女によって演じられていたが、いまとなってはもはや人称性さえはぎ取られ、贖罪の伴奏者としてのみ現れる。そもそもどんな女優が演じているのかさえはっきり示さないという、異常なアングルが選択されている。しかしその代償として、主人公は彼の贖罪を、少なからぬ人々に見守られているという実感を得ることで、物語の決着を図ってもらえるわけである。これがはたして決着と言えるのかどうか、それは受け手によってさまざまだと思う。
 少年院で主人公の指導教官役をつとめた中原丈雄が、今回のドラマ全体をみごとに引き締めた。事あるごとに中原丈雄が主人公にむかって静かに心臓をトン、トンと叩き、「生きろよ、生きて、一生償うんだぞ」と諭す。そのトントンはこの指導教官の一生をも規定していることだろう。『ユリイカ』のなかで役所広司と宮崎あおいが、寝静まった夜のバスで、コツ、コツと壁を叩いて反応しあい続ける。あの渇いた小さい打音が、肥大化した母性、原罪で血塗られた神話性の反復という苦悶から、ただひとつ救ってくれる、わずかな希望なのかもしれない。


2015年1月~2月にかけてWOWOW〈連続ドラマW〉枠で放映
http://www.wowow.co.jp/dramaw/sonata/

『Forbidden Kyoto 禁断の京都』

2013-09-12 01:07:39 | ラジオ・テレビ
 すこし前のことになるが、NHKアーカイブスで放送された『Forbidden Kyoto 禁断の京都』の《芸妓誕生》は、NHKインターナショナル製作の外国向けドキュメンタリーで、耳にピアスをつけた英国人フォトグラファーが完全に一見さんの身でありながら、コネクションに助けられて京都の花街の内奥に迫っていくという劇構造である。乱暴に言えば、『ラスト・エンペラー』におけるピーター・オトゥール、『ラスト・サムライ』におけるトム・クルーズのような英米系の探検家がエキゾチズムの水先案内人をつとめる必要があったわけだ。
 ここに、一見さんお断りの花街に潜入するためのキーパーソンが召喚される。シャーリー某という着物デザイナーの女性である。まるでシャーリー山口(李香蘭)のようではないか。フラー『東京暗黒街 竹の家』(1955)のロバート・スタックがシャーリー山口を必要としたのを思い出させる。
 京都五花街の中でロケに選ばれたのは祇園や上七軒ではなく、宮川町だ。宮川町というと、新藤兼人脚本、吉村公三郎監督の『偽れる盛装』(1951)なんかも思い出されるけれども、ここは撮影などに対して門戸が広い伝統でもあるのだろうか? 京都市内の各撮影所の人々と花街の関係性を考えれば当然のことであるが。
 本ドキュメンタリーで取材対象に抜擢された宮川町の舞妓「ふく雛」さんが5年あまりの舞妓生活を終え、襟替え、断髪式などさまざまな儀式をへながら一人前の芸妓に脱皮していく数日間。その数日のできごとを、英国人フォトグラファーは撮影することに成功する。この英国人の人の好さそうな破顔がいい。見ているこちらももらい泣きするような瞬間もある。私たち視聴者はこの「ふく雛」という舞妓を、異性として見る気に到底なれない。かといって親兄弟の立場も違う。ポッドキャストで誰かが能年玲奈に対する視線の性質について自己分析していた「ヒロインの守護霊になった気分」、そんなものに近いように思えた。

NHKラジオ『まいにちフランス語』10月号

2012-09-21 03:57:13 | ラジオ・テレビ
 NHKラジオ第2放送のテキスト『まいにちフランス語』10月号が発売された。フランス語という言語に興味があってもなくても、あるいは第二外国語でいやいや履修した薄れゆく記憶しか呼び覚まさないとしても、これは購入すべきテキストだ。

 10月から来年の3月まで番組のホスト講師を梅本洋一がつとめる。これはただのフランス語講座ではない。フランソワ・トリュフォーの「声」を毎週木曜と金曜に聴くという僥倖に恵まれるのである。1982年4月、渋谷のパルコ・パート3(だったと思う)で開催されたぴあフィルムフェスティバルのフランソワ・トリュフォー全作品上映のために来日したトリュフォーに、若き日の梅本洋一がインタビューした。その貴重な「声」の記録が30年の時をへて目を覚ます。
 「まだ20代で駆け出しの映画批評家だったぼくは、フランスから帰国直後で、傲慢な自信だけは持っている、恥ずかしい未熟者でした。」
 と、本テキストの「講師あいさつ」で書く梅本洋一だが、私は彼がすばらしいインタビューアであることを肌で知っている。ティエリー・ジュスがおこなった北野武へのインタビュー、シャルル・テッソンがおこなった大島渚へのインタビュー…そうした場における通訳者としての、まるでスタジオシステム時代のショット切り返しを見ているかのような小気味いい言葉の刻み。
 あるいは、バスティーユの新オペラ座の裏の路地(忘れもせぬブール・ブランシュ路地……)にあったころの仏「カイエ・デュ・シネマ」社屋でセルジュ・トゥビアナ(当時の社長兼編集長)およびその弁護士と日本版刊行に関する商法的な交渉を終えて、やれやれといった表情で軽口を叩く氏の「声」。それらのひとつひとつを、私はすぐそばで聴いていたからだ。
 したがって私個人にとってこの番組を聴くことは、生前のトリュフォーの貴重な「声」に耳を傾ける体験であると同時に、「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」時代以来長らくご無沙汰だった梅本洋一のじつに小気味のいいフランス語による映画作家との会話を追憶する体験ともなるだろう。

 10月号には、元カイエ共同編集長で現レ・ザンキュップティーブル編集長のジャン=マルク・ラランヌがゲスト・コメンテータとしてトリュフォーについて語るほか、梅本氏本人からちらっと聞いた予告では、今後、セルジュ・トゥビアナも登場するらしい。
 若き日の2人のセルジュ(ダネーとトゥビアナ)が1970年代半ばにポンコツ寸前の「カイエ」を引き継ぎ、ナルボニ、コモリの毛沢東主義時代にすっかり退潮し縮小した「カイエ」を再建するために、まずは(五月革命のあと「カイエ」とは絶交状態となっていた)トリュフォーに会ってみようと決心する。「レ・フィルム・デュ・キャロッス」の事務所を2人の青年が緊張しながら訪問し、その結果、雑誌の大先輩であるトリュフォーからどういうことを言われたか、そうした20世紀フランス映画のきわめて重要な裏面史がトゥビアナの「声」によって披瀝される予定だという。また、トリュフォーゆかりの女優も登場するらしい。
 「しょせん語学番組だし、ファーストランは朝早いし、気が向いたらポッドキャストで聴いてくれればいいよ。ただし、音楽についてはトリュフォーゆかりのいい選曲ができていると思う。JASRACで許可が下りない曲が多くて困るけど」と梅本氏は照れ隠しに言うが、この番組は、ヌーヴェルヴァーグの真髄にリタッチするための絶好の機会となるだろう。

NHK出版

NHK-BS『黒い十人の黒木瞳。』

2012-09-12 02:56:44 | ラジオ・テレビ
 個人的な趣味を外聞はばからずに披瀝させていただくなら、黒木瞳はわが興味の外にある。この世代(1960年前後生まれ)の女優なら樋口可南子をひいきにしている。理由は……いや、わが興味の理由などどうでもよい。どうでもよいのだが、この黒木瞳の女優としての魅力をいかに誰も有効活用していないかというのは、黒木の惨憺たるフィルモグラフィをネットで調べればたちどころにわかる。ようするに、まともな演出を施されたことがないのである。施されたことがないというのは言い過ぎとしても、優れた人材との出会いもまた、その人の才能に属する問題であるとすれば、反論できない。
 NHK-BSプレミアムで放送されたショートドラマの十話オムニバス『黒い十人の黒木瞳。』(演出=タカハタ秀太)には、面白く可笑しく90分を過ごさせてもらったが、出会いの欠如に対する省察になっているように思えたのは気のせいか。NHKに冠番組が誕生することじたい並大抵のことではないが、そもそもなぜ、黒木の前には誰も現れないのか。この自問を彼女は十人の女を器用に演じ分けながら、声にならぬ声を出しているのではないか。タイトルから察するに、彼女は市川崑を求めているのだろうか。
 強情な女、蓮っ葉な女、可愛い女、可愛げのない女、愚かな女、悪魔のような女…。黒木瞳はなんの苦もなくあらゆる女像を演じ分けてみせ、「誰か若くて才能のある監督、私はこんなこともできますけど」などという安易な露骨さではないにしろ、次から次へと繰り出すさまは可笑しくもやや哀しいのである。