荻野洋一 映画等覚書ブログ

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宮沢章夫さんへのお礼

2013-05-30 01:25:31 | 演劇
 拙ブログの吉沢京夫についての過去記事を、なんと劇作家・演出家の宮沢章夫さんがツイッターで言及して下さいました。誠に光栄です。

 氏曰く、「宮沢章夫 ‏@aki_u_ench 5月28日  文藝別冊「大島渚」を読む。冒頭あたり、大島本人が1960年に書いた文章に「吉沢京夫」さんが出てくるので、あらためて吉沢さんについて知ろうと検索したら、こんなページがあった。 http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi/e/5a382d60680229ed36e2658f9d764dff …」
写真は、左=吉沢京夫 右=小山明子(大島渚『日本の夜と霧』より)


ブログ内の過去ログ
吉沢京夫について
吉沢京夫について(2)、または『映画が生まれる瞬間』

原節子のすべて(『新潮45』特別号)

2013-05-29 00:40:30 | 
 『新潮45』は、一昨年3月号で《デビュー75周年記念 伝説の美女「原節子」を探して》という特集を組んだ。内田吐夢の幻の作品『生命(いのち)の冠』(1936)のDVDを付録に付けつつ、たったの\890という太っ腹ぶりを見せ、これがどうやら当たったのか、二匹目ばかりか三匹目のどじょうがいる。昨秋にまたまた出た『新潮45』の特別号《原節子のすべて》。今回は、原節子が泣きじゃくったり、自殺を図ったりするという春原政久監督『七色の花』(1950)のDVDが付録に付いている。
 それにしてもどうしてこう何十年間も、原節子ばかりが話題になるのか? その美貌もさることながら、やはりこの人自体に「変態的」と言っていいほどの面白さがあるからだろう。スクリーンの中でいつもどこか居心地の悪そうな、あいまいなアルカイック・スマイルで煙に巻いてしまう彼女。そういう彼女を世間はいかようにもいじくり回し、それでも神話はビクともしない。この世から静かに退場する日を待っているのだろうか。
 本誌は、この伝説の女優に対し、可能なかぎりサディスティックに振る舞おうとしている。義兄で映画監督の熊谷久虎との怪しい関係。戦争末期、原節子と熊谷久虎は、夫人である姉とその子どもたちを九州へ疎開させ、いわば他人同士の男女だというのに都内の家屋で一つ屋根の下で暮らしたという。熊谷久虎は『阿部一族』(1938)などで世の映画マニアのあいだではある一定の評価を持つ監督だが、戦中の極右団体「スメラ学塾」の幹部をつとめるなど、曰く付きの人物である(彼女がナチス・ドイツへ『新しき土』のプロモーションのために旅行した際も、川喜多長政・かしこ夫妻とともに義兄の熊谷が同行している)。
 あるいは、戦後、下北沢の喫茶店「マコト」2階における東宝プロデューサー藤本真澄との度重なる逢い引き。こういうスキャンダラスな挿話、噂をあたう限りかき集めた誌面である。
 片岡義男、半藤一利、上條昌史、横尾忠則、高橋惠子、茂木健一郎、長部日出雄、草笛光子、アラーキー。豪華執筆陣がいずれも面白い文を寄せているが、もっとも秀逸なのはやはり、巻頭におかれた石井妙子によるノンフィクション「評伝原節子 「永遠の処女」の悲しき真実」の呵責なさだろう。最後の一文「その女優は、今、この墓石の下で眠っている。」には、なんとも知れぬ途方もない読後感に見舞われた。
 『七色の花』のDVDは未見。映画会社もフィルムセンターも持っていない貴重なプリントが、大阪のコレクターから借り受けられて復活したDVDとのことだが、評価はけっこう高い作品で、後日またゆっくりと楽しませていただこう。

平松洋子 著『ステーキを下町で』

2013-05-25 01:32:52 | 
 去る3月12日に急逝した梅本洋一が「nobody 2012 Best」の中で書籍部門のベストに挙げていた『野蛮な読書』。その著者・平松洋子の新刊『ステーキを下町で』(文藝春秋 刊)を手に取った。北海道・帯広へ飛び、元祖の「豚丼」を頬ばる。鹿児島県立伊佐農林高校を訪ね、同校自慢の黒豚のブーブーという健康でうまそうな鳴き声を聞く。下北半島の北の突端であんこう尽くし。東京でも、京成立石「宇ち多゛」でガツとレバーに昂ぶり、東向島「カタヤマ」で510gのステーキと格闘する。
 本書のクライマックスは、2回あるように思う。1つは、上野不忍池の「二東マッコリ」で噛みしめるホンオフェだ。ホンオフェというのは、エイの刺身を発酵させたもので、韓国南部・全羅道の名物である。私もソウル・東大門市場(トンデーモンシジャン)の店で挑んだことがあるが、一噛み毎に襲ってくる強烈なアンモニア臭、ビリビリと舌を痺れさせる電気のような刺激、噛み心地の悪いゴリゴリとした食感(いつ飲みこんでいいのか分からない)など、あれほど手ごわい食べ物はない。本書の登場人物たちもこれにはだいぶ参っていたし、運んでくる韓国人女性の店員が「私、ホンオ、ぜったい食べられません」などと正直なことを言ってくれるので、読者たるこちらの面目も少しは立ったようである。
 クライマックスのもう1つは、東北の三陸鉄道・北リアス線でごく少数だけ販売される伝説の駅弁「うに丼」のフィーチャーだろう。この「うに丼」は、今話題のクドカン脚本の朝ドラ『あまちゃん』のモデルとなったもの。ドラマを見て興味を持った方には、ぜひ本書をお手に取っていただきたい。
 梅本洋一は、平松洋子の「侠気溢れた文章が好きだ」と書いた。私はといえば、自分はさんざん食べ物や飲み物について手前勝手に書いておきながら何であるが、どうもこの人のわいわい突き上げてくるようなうまさの描写は若干、肌に合わない感じがある。
 ──と、そんなことを、第三京浜を走るプジョーの中で議論し合ったりすることも、もうできないのである。この無性のさびしさは、日々こたえている。

ラファエロについて

2013-05-23 00:49:45 | アート
 ラファエロの絵を見て感銘を受けるのは、絵の中の人物たちの可憐さである。フィレンツェ・パラティーナ美術館からきた『大公の聖母』の可憐さ、パリ・ルーヴル美術館『友人のいる自画像』の親密さ、そしてウルビーノ・マルケ州立美術館の『ラ・ムータ(無口な女)』の短所肯定。これらは作者の温和な人柄を雄弁に物語っている。「鬼才でない天才」という、いわば真の才能、生来の品性を保持しえた稀な人だったにちがいない。
 今回、展覧会場の上野で特に印象を強く受けたのは、(1)ラファエロとはラファエロ個人の孤独な産物ではなく、50人もの弟子たちと組んだチーム・ラファエロとも言うべき党派の産物であるという点、(2)そして、彼が異常なほどの古代ギリシャ、ローマのマニアであるという点、(3)そして、版画のセールス拡大による全ヨーロッパでの名声確立という点、である。
 つまり、個人プレーではなくチームワーク。忘れられた過去の規範へのオマージュ(つまり「ルネサンス」である)。複製技術時代の芸術。……この3つのファクターからあぶり出されるのは何か? ──映画である。ラファエロ・サンツィという人が、映画作家としての資質に恵まれた人だったことはまちがいないだろう。マキノ雅弘、メリエス、ゴダール、ファスビンダーといった、チームワークから創造していくタイプの芸術家だったのだろう。そして、ラファエロが古代ギリシャを愛したようにゴダールはニコラス・レイを愛し、ファスビンダーはダグラス・サークを愛したのだ。


国立西洋美術館(東京・上野公園)で6/2(日)まで開催(開館時間延長あり)  http://www.nmwa.go.jp/

P.S.
 ところで国立西洋美術館といえば、私の偏愛する絵が、このル・コルビュジェの建物の常設展示室の出口近くにある。アンドレ・ドラン筆『ジャン・ルノワール夫人(カトリーヌ・ヘスリング)』(1923頃)。カトリーヌ・ヘスリングつまりカトリーヌ・エスラン、『女優ナナ』(1926)でヒロインのナナを演じた彼女の肖像である。すばらしい肖像画で、ぜひラファエロ展にお出かけの際は、常設展示もお見逃しなく。

『モンスター』 大九明子

2013-05-19 10:39:23 | 映画
 友人Hからもらったメールで「野村芳太郎の作品のような雰囲気の女性映画。高岡早紀の座長公演のような作品」と書いて寄こしていて、見ると本当に座長公演の趣きで、ラストの数カット以外はほぼ全カット高岡早紀が写っている。深作欣二『忠臣蔵外伝 四谷怪談』以来のフルヌードということで、秋本鉄次が「国宝級」と書いていたこともそのメールで教えてくれたのだが、じっさい高岡は40歳なのに、まだ熟女ヌードの範疇に達していないのである。
 本作が原作にどの程度忠実なのかは知らないが、女の抱く妄執と粘着質な観念を、女性監督らしからぬ、男性の変態監督のごとき筆致で撮りあげている。ジョゼフ・ロージーというかクロード・シャブロルというか野村芳太郎というか。監督の大九明子が一番参考にしたのは、おそらく山本富士子ではないか(高岡とは見た目は似ていないが)。『婦系図 湯島の白梅』『夜の河』『千姫御殿』『猟銃』『如何なる星の下に』『憂愁平野』などあまたの作品群で見せた山本富士子の、みずからの身体を犠牲にしての相手男性への物言わぬ叱責、サディズム。本作の高岡早紀はその罪ある美貌も相まって、山本富士子のような観念性をまとっている。
 あまりの醜さゆえに「ブルドッグ」なる仇名をもらっていた少女(高岡早紀が特殊メイクで演じる)が、大金をつぎ込んで整形手術を重ね、徐々に高岡早紀本人へとメタモルフォーズをはたす。だが、彼女のもうひとつの仇名「モンスター」は、彼女が「ブルドッグ」時代の自分を捨て、街一番の美女に上りつめた後もついて回る。そして青春期の屈辱を、罪深い美貌で清算しようとする。これが「モンスター」たる所以である。


丸の内TOEI2(東京・銀座)ほかで5/24(金)まで その後各地で順次公開
http://monster-movie.jp