荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

『ユキとニナ』 諏訪敦彦+イポリット・ジラルド

2010-01-31 00:01:34 | 映画
 『ユキとニナ』は、自主映画時代をのぞけば諏訪敦彦作品史上もっとも開放的な作品で、これは、『2/デュオ』(1997)以来のあの独特なこわばりが孕む何かが、断念されてしまった結果なのではないかと、思わず心配になってしまうほどだ。
 物語は、相米慎二の『お引越し』(1993)とそっくりで、幼い少女の両親が、離婚を前提に別居を決意する。少女は両親の仲を取り持とうとするも、ことごとく失敗に終わり、やがて彼女自身のなかの孤独な魂が彷徨をはじめる、といった展開である。
 諏訪敦彦とフランスの俳優イポリット・ジラルドの共同監督作品ということで、複数の目線が、重ね折に導入され、作品全体の風通しが非常によい。パリ市内のアパルトマン、舗道、そして薄暮の森へと、小さな世界だけにカメラは向けられているが、それを映し出そうとする2人の監督の心の広がりは、時空間をまたぐスケールを持っている。だから、不幸な物語であるかも知れないのに、それを見つめる私たち観客の心は、どんどん澄み渡っていく。ただし、フランス・ロケ部分の充実にくらべて、日本ロケ部分の力がやや弱い。

 ジャック・リヴェットの常連スタッフだったマニュ・ド・ショヴィニが、美術を担当している。あの可愛らしいちゃぶ台も、ド・ショヴィニの見立てなのだろうか。


恵比寿ガーデンシネマ他にて、全国順次公開
http://www.bitters.co.jp/yukinina/

「引き潮」をカセットに録音して…

2010-01-28 00:01:34 | 音楽・音響
 今夜は、少し長くなりますが、思い出をひとつ──

 私は小学校高学年から中学時代にかけて、今は亡き関光夫氏がパーソナリティをつとめるFM放送の映画音楽番組を毎回愛聴していました。私にとって、音楽との出会いは、まず最初に映画音楽だったのです。
 この番組で、フランク・チャックスフィールド&ヒズ・オーケストラが演奏する『渇いた太陽』(下の記事を参照)のきわめて美しい主題曲「引き潮」をカセットにエアチェックして、感動に身を震わせつつ何度も聴いたものです(今にして思えば、単なるイージーリスニングなのですが)。ダウンタウン・ブギウギ・バンドが演奏する『白昼の死角』の主題曲や、ウィリアム・フリードキン監督『ブリンクス』で再使用されたグレン・ミラー「イン・ザ・ムード」「チャタヌガ・チューチュー」あたりが、大のお気に入りというところ。

 また、ゴダールと出会ったのも、この番組の中でです。私はまだなんと小学生だったわけですが、ある晩、関光夫氏が公開当時にパリで買い求めた秘蔵の『勝手にしやがれ』のシングル盤をAB両面かけてくれたんです。たしか4曲だったと思います。現在こそ『勝手にしやがれ』のサウンドトラックなんて、コンピレーションが何度かリリースされたようですから、入手容易となっているでしょうが、当時は、これを録音したカセットテープは、少年期の私にとって自慢のアイテムでした(だれに自慢してよいのかもわかりませんでしたし、また当の映画そのものを実際に見ることができたのは、それから5、6年後なのですが)。
 ルキノ・ヴィスコンティ『イノセント』のイメージソングなど、今でも歌えるほどの印象的なメロディだったし、セルゲイ・ボンダルチュクから始まるソ連映画愛も、関光夫氏が共産圏においても丹念にサントラ盤を収集し、番組で流しまくってくれたおかげです。

『渇いた太陽』 リチャード・ブルックス

2010-01-27 09:36:01 | 映画
 フィッツジェラルド『雨の朝巴里に死す』、テネシー・ウィリアムズ『熱いトタン屋根の猫』『渇いた太陽(原題:青春の甘い小鳥)』、コンラッド『ロード・ジム』、カポーティ『冷血』……と、自作のリストをとめどなく文芸作品で染め上げてしまった男、それがリチャード・ブルックス(1912-1992)であり、その慎みを欠いた作品歴は、日本ではさしずめ豊田四郎がこれにあたるだろう。文芸映画というものはえてして、映画通の間では評判の悪い分野であると相場が決まっているとはいえ、あいにく、ブルックスも豊田も決して悪い監督ではない。

 ポール・ニューマン追悼のおかげで先ごろテレビ放映された『渇いた太陽』(1962)は、私にとって『ロード・ジム』と共にもっとも愛着のあるブルックス映画であったが、かつて「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」誌上にブルックス論を執筆した際にこの人の監督作品と脚本作品をまとめて見て以来の、じつに久しぶりの再見となった。
 ポール・ニューマンとジェラルディン・ペイジが演じる行きずりの男女が、たがいに化かし合いの末、スイートルームの出口でついに別れを告げる時の、“2人ともそれぞれ行く地獄があるのさ” と万感の思いを呑み込んで微笑を交わすあたりは、やはり好きなシーンである。それと、ブルックス映画全般に言えることだが、近づいた2人の人間をフレームに収めた、やや仰角気味のミディアムショットは、つねに強がりと悲哀がないまぜとなったいいショットになっている。

《桃まつり presents うそ》

2010-01-25 00:01:00 | 映画
 若手女性映画作家の新作ショーケースとして近年注目されている《桃まつり》は、横浜のイベント《未来の巨匠たち》の一環として1月26日(火)に《桃まつり 黄金町の宴》と題し、過去2大会分から抜粋したリバイバル上映が組まれているが、本拠地といえる東京・渋谷円山町のユーロスペースにおいても、3月13日(土)から新作展《桃まつり presents うそ》が開催される。これをさっそく試写で見た。すべての作品が独自の光彩を放ちつつ、オムニバスというよりは、各短編がたがいの個性をがちがちと競い合っているように思える。

 今回、私がとりわけ感銘を受けたのは、竹本直美の『迷い家(まよいが)』という作品である。山奥の屋敷で、年上の女から傷の手当てを受けた少年が、ひとり部屋に残されるとすぐに睡魔に襲われる。まどろみの中で、のけぞるような姿勢でゆっくりと背中から倒れ込む少年をとらえた緩慢なワンカットの、なんと官能的なことであろうか。この種の官能を、現代の日本映画は喪失して久しい。
 船曳真珠『テクニカラー』では、サパークラブのような空間で時代錯誤のアトラクションが毎日催されるが、『ツインピークス』から飛び出してきたかのようなマメ山田が、奇術師の母娘ペアに妖しく近づいていくのが可笑しい。母を演じた洞口依子は、だんだんビュル・オジエのようになってきた。
 関西から参加の安川有果『カノジョは大丈夫』は、他者と正面から関係を切り結ぶことのできない愚かな女のポートレートを、荒削りながら懸命にデッサンしている。この女は過剰な社交性に溺れたまま流されてゆくが、おのれの惨めさに気づいていないのである。
 他にも、孤独な女たちの背後に西日の差した大川端の水景をせつなくとらえた小品がある一方で、メジャー顔負けの風格さえ漂わせたスリラーや風刺コメディまであり、非常にバラエティに富んだプログラムとなっている。


《桃まつり presents うそ》は、3月13日(土)よりユーロスペースでレイトショー
http://www.momomatsuri.com/

吉行和子ラストステージ『アプサンス ある不在』

2010-01-22 01:23:58 | 演劇
“ これじゃあ、まるであたしがここにいなかったみたいじゃない。
 まるであたしが存在していないみたいじゃない。”

 東京・新宿三丁目の紀伊國屋ホールで、吉行和子ラストステージ『アプサンス ある不在』が上演されている。ジャン=クロード・ブリアリが芸術監督をつとめていたテアトル・デ・ブッフ=パリジャンで1988年に初演されたこの小さな作品は、ジャン=ルイ・バロー、ピーター・ブルック、ジャン・ルノワールなど錚々たる演出家の薫陶を受けつつ、ジャン・ジュネ、ポール・クローデルの作品を演じてきた女優のロレー・ベロン(1925-1999)が、手ずから書きおろした戯曲。演出は、イヨネスコ『授業』の大間知靖子。

 パリ郊外に建つ館を改造したらしき石造りの古い病院。一時的錯乱で緊急入院してきたジェルメーヌ・ムニエ女史を、吉行和子が縦横無尽に演じ尽くしている。ある時は正気に帰って、悪態をつく孤独で強情な老婆に戻ったかと思うと、次の日には混濁した意識の中で、見舞客や看護スタッフを相手に、幼女時代の思い出や、女教師時代の生徒とのやりとりが再現される。孤独な意識は、どこまでも空想を拡大させてゆくだろう。数週間後、彼女は快復して退院するが、また認知症を再発させない保証はない。しかしラストシーンで、入院中のパジャマから帰宅用の洋服に着替えた吉行和子の、なんと可憐な姿であっただろうか。

 劇団民藝で初舞台を踏んでから約半世紀。今はなき東横ホール(東急東横店の中にあった劇場だが、パルコ劇場の攻勢に敗れ、私が大学1年の時につぶれた)で1961年に上演された、久保栄・作、村山知義・演出の革新的な舞台『火山灰地』における吉行和子の朴訥とした少女のような姿を、以前にNHKの中継録画で見たことがある。少女はやがて可愛い老婆となり、舞台に立つ彼女の姿は、これが見納めとなる。


紀伊國屋ホールで1月24日(日)まで上演後(当日券あり)、兵庫・西宮、鎌倉と巡回
http://www.kinokuniya.co.jp/