開催中の東京国際映画祭にて、カンヌ映画祭グランプリ(審査員特別賞に相当)受賞作『神々と男たち』(2010)を見る。
北アフリカ、アルジェリアの人里離れた荒地に建つキリスト教修道院は、イスラム教過激派のいつ来るとも知れぬ攻撃に対して、まったく無防備である。安全地帯への避難も、軍による警護も拒んでしまい、修行と布教を愚直に継続することを選んだフランス人修道士たちがいだく日々の不安と自問自答が、静謐に、だが力み勇んで語られてゆく。「晩課(夕刻のお務め)」で彼らが朗々と歌う聖歌は毎日レパートリーを異にするが、選曲がそのつど、僻地で孤立した修道士たちの心情そのものをすくい取っていて、的確すぎるほど的確である。
そして、まるで「最後の晩餐」のような夜。少し陽気な修道士(村の無料診療所を営む医師でもある)がワインのボトルを持ってきて、カセットデッキでチャイコフスキー『「白鳥の湖」より 情景』を大音量で流す。
撮影のキャロリーヌ・シャンプティエは、十字を切ってから着席する修道士一同とおごそかに息を合わせつつ、カメラ位置をミニクレーンを用いてわずかに下降させてみせる。この下降のワンカットが、非常に利いている。そして、チャイコフスキーのいくぶん通俗的で大仰な旋律が、厳格ひとすじの一同を、しばし祝祭のような微笑へと誘いこむ。その微笑は、過激派活動地帯への残留という愚直なる決断を下した自分たちへの自嘲であると同時に、みずからの危険をかえりみなかった主イエスの道のりをなぞっているという、崇高なる誇らしさの笑みでもあっただろう。ワイン好きの人なら、こんな状況下で飲むワインという飲み物が、いかに美味で官能的か想像に難くないはずである。
だが、祝祭は永く続かない。食事がさして進まぬうちに、微笑の饗宴は早くも、焦燥の表情に取って代わられてゆく。このあたりのカットバックとパンニングを組み合わせた一連のシークエンスは、グザヴィエ・ボーヴォワの面目躍如である(じつは私はここで何度目かの落涙)。愛、情熱、妄執……サイレント期から映画は、殉教に対して最大の熱狂を示してきたのではなかったか。俳優でもある彼の監督作品は、90年代中盤にぴあフィルムフェスティバルで『忘るるなかれ、汝いつかは死にゆくを』(1995)を見ただけだが、キアラ・マストロヤンニの美しさ、ジョン・ケイルの音楽も相まって、強い印象を受けた作品だった。
どこまでも無垢で無防備なこの修道院は、現代世界における私たち人類の脆弱なる存在そのものの、露骨なアレゴリーである。聞けば、マジックアワー配給で国内公開が決定したとのこと。ロードショー上映の際は、ぜひとも広く見られるべき傑作であろう。落涙必至である。
東京国際映画祭の《WORLD CINEMA》部門で上映
http://www.tiff-jp.net/
北アフリカ、アルジェリアの人里離れた荒地に建つキリスト教修道院は、イスラム教過激派のいつ来るとも知れぬ攻撃に対して、まったく無防備である。安全地帯への避難も、軍による警護も拒んでしまい、修行と布教を愚直に継続することを選んだフランス人修道士たちがいだく日々の不安と自問自答が、静謐に、だが力み勇んで語られてゆく。「晩課(夕刻のお務め)」で彼らが朗々と歌う聖歌は毎日レパートリーを異にするが、選曲がそのつど、僻地で孤立した修道士たちの心情そのものをすくい取っていて、的確すぎるほど的確である。
そして、まるで「最後の晩餐」のような夜。少し陽気な修道士(村の無料診療所を営む医師でもある)がワインのボトルを持ってきて、カセットデッキでチャイコフスキー『「白鳥の湖」より 情景』を大音量で流す。
撮影のキャロリーヌ・シャンプティエは、十字を切ってから着席する修道士一同とおごそかに息を合わせつつ、カメラ位置をミニクレーンを用いてわずかに下降させてみせる。この下降のワンカットが、非常に利いている。そして、チャイコフスキーのいくぶん通俗的で大仰な旋律が、厳格ひとすじの一同を、しばし祝祭のような微笑へと誘いこむ。その微笑は、過激派活動地帯への残留という愚直なる決断を下した自分たちへの自嘲であると同時に、みずからの危険をかえりみなかった主イエスの道のりをなぞっているという、崇高なる誇らしさの笑みでもあっただろう。ワイン好きの人なら、こんな状況下で飲むワインという飲み物が、いかに美味で官能的か想像に難くないはずである。
だが、祝祭は永く続かない。食事がさして進まぬうちに、微笑の饗宴は早くも、焦燥の表情に取って代わられてゆく。このあたりのカットバックとパンニングを組み合わせた一連のシークエンスは、グザヴィエ・ボーヴォワの面目躍如である(じつは私はここで何度目かの落涙)。愛、情熱、妄執……サイレント期から映画は、殉教に対して最大の熱狂を示してきたのではなかったか。俳優でもある彼の監督作品は、90年代中盤にぴあフィルムフェスティバルで『忘るるなかれ、汝いつかは死にゆくを』(1995)を見ただけだが、キアラ・マストロヤンニの美しさ、ジョン・ケイルの音楽も相まって、強い印象を受けた作品だった。
どこまでも無垢で無防備なこの修道院は、現代世界における私たち人類の脆弱なる存在そのものの、露骨なアレゴリーである。聞けば、マジックアワー配給で国内公開が決定したとのこと。ロードショー上映の際は、ぜひとも広く見られるべき傑作であろう。落涙必至である。
東京国際映画祭の《WORLD CINEMA》部門で上映
http://www.tiff-jp.net/