荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『有名になる方法教えます』 ジョージ・キューカー

2014-10-29 17:48:09 | 映画
 すでに国内盤ソフトがリリースされているものの、今回の《MoMA ニューヨーク近代美術館 映画コレクション》で『有名になる方法教えます』(1954)の初見と相なった。折しも新作を携えて来日中のピーター・ボグダノヴィッチ監督による前説付きであった。「ふだんは知的でソフィスティケートされた読書家だが、いったん怒り出すと漁師のごとく口汚くなる人だった」とボグダノヴィッチ氏が述懐するジョージ・キューカーという名匠の振幅の激しさを、この夜の観客は思い存分に堪能することとなった。
 主演は同じくジョージ・キューカー監督『ボーン・イエスタデイ』でアカデミー主演女優賞を受賞しているジュディ・ホリデイ。キューカーとしては『スタア誕生』と同じ年の発表作となる。ハリウッド社会の栄光と悲惨を大河ドラマ的に扱った『スタア誕生』と打って変わり、後期スクリューボール・コメディのひねくれた笑いに包まれる。ヒロインの下着モデル(J・ホリデイ)が夢をあきらめて田舎に帰る前、ダメ元で有り金をはたいてマンハッタンの広告板に自分の名前を出す。彼女には目的も何もない。女優としてとか歌手としてとか、そういう中味のある目的はなく、ただ「有名になりたい」という変人的な欲望だけが一人歩きしている。
 筆者と同じ回に同作を見た廣瀬純は、「ここには現代映画の萌芽が見える」と言う。たしかに、冒頭のヒロインとジャック・レモンの出会いの場となるセントラル・パークの生々しい写実性はもはや、ジョン・カサヴェテスの隣人であるように思える。記号としての名前の際限なき流通ぶりを前にして、酸いも甘いも心得たはずのニューヨーカーたちがこぞって思考不能に陥っていくさまには、ひょっとしたらなにがしか深遠な意味が込められているのであろうか? いや、意味など何ひとつ込められておらず、ただ記号流通の無償性と増殖性のみが問題になっているのか? ブラックリストのページ数を分厚くするために、ハリウッドの映画人たちが「名指しすること(Naming names)」を強要され始めて数年しか経過していないこの段階(赤狩りの時代)で、ヒロインの血迷った欲望機械としての振る舞いに、不気味な何かを積極的に感知すべきなのだろうか?


《MoMA ニューヨーク近代美術館 映画コレクション》が東京国立近代美術館フィルムセンター(東京・京橋)で開催中
http://www.momat.go.jp/

映画作家 荻野茂二について

2014-10-26 11:31:46 | 映画
 東京・京橋のフィルムセンター(以下NFC)では現在、《MoMA ニューヨーク近代美術館 映画コレクション》が始まっているが、その前の《発掘された映画たち2014》にも触れておきたい。個人映画作家・荻野茂二の作品集が上映されたからである。
 荻野茂二(余談:筆者と同じ苗字なので親戚について語るような親近感を覚える)は、なんと1920年代から80年代までの長期間にわたり個人映画の先駆者として活動した。しかし、これだけの長期間に膨大な作品を自費で製作し続けるというのは、いったいどれほど暇な(失敬!)資産家だったのだろうか。NFCのチラシには「これまで1930年代の実験的な作風が評価されてきた荻野だが、自身は記録としての映画の重要性を強調していた。その意識は、東京オリンピックを契機に開発が進んだ東京を描く2作品に顕著に表れている」とある。
 今回上映された6本のうち『智慧の登山』(1931)と『SCREEN GRAPH オール・ニッポン』(1937)はサイレント映画、『時計』(1963)はマテリアリスティックな実験映画、『日本橋』(1964)、『都電60年の生涯』(1967)、『スト決行中』(1970)の3作は東京という巨大都市をめぐる写生である。
 殊に強烈な印象をもたらすのは、東京という都市のターニングポイントとなった日本橋川の上の首都高速道路建設工事のプロセスを記録した『日本橋』だろう。かつて「東洋のベニス」にも喩えられるほどの豊かな水景を有した江戸・東京の相貌が喪失したその象徴が、日本橋の上を醜悪なる首都高がまたいだ瞬間である。建築評論家の五十嵐太郎はその著書のなかでこれを否定し、むしろ首都高の建築美を強調したことがあったが、それはじつにうがった逆説で、お話にならないように思う。嘘だと思ったら、実際に日本橋の上に立ち、陰々滅々たる首都高を見上げてみてほしい。麒麟像がまるでスカート覗きの犯人のように扱われたその光景に対して醜悪さと卑猥さを感じずに、機能美を感じるのだとしたら、私はその人の美感──あるいは倫理観と言ってもいい──を単に疑うのみである。
 荻野茂二はそれを、事前と事後にわたり記録している。そこには批判的な言辞を挿入することはない。強烈な印象をもたらすカットが時系列に並んでいるだけである。日本橋の上を首都高が通るという計画を知った瞬間に、荻野は「これは映画になる。それも苛烈な非情さをたたえたものになるだろう」という直感がはたらいたのだと推測することは容易である。これは映画による辛辣な文明批評であり、また、映画そのものの力を示してもいる。


NFC《発掘された映画たち2014》は 2014年9月27日から10月12日まで開催された
http://www.momat.go.jp/FC/fc.html

『広場の孤独』 佐分利信

2014-10-23 04:22:29 | 映画
 1950年から59年までの9年間に14本ほど撮られた佐分利信の監督作品のうち、9本も含まれた今回のシネマヴェーラ渋谷のイベントで、『心に花の咲く日まで』(1955)をのぞく8本の上映が済んだいま、「サブリ・シン」という、不気味きわまりない映画作家の名を記載し直すのは、映画史の喫緊の課題となった。佐分利信という映画人が、小津映画で余裕しゃくしゃくのセクハラ親父を演じる役者に甘んじた存在ではないことが、まざまざと白日の下にさらされたのである。
 それにしても、堀田善衛の芥川賞受賞作を映画化した『広場の孤独』(1953)のドス黒さは、いったい何なのだろう。ひと言で言って、この作品はヤバすぎる。こんな身近なところに、キム・ギヨンを凌駕するヤバい映画作家がいたとは。『広場の孤独』は『玄界灘は知っている』よりヤバいし、『慟哭』は『下女』よりヤバい。ようするに緊急事態なのである。

 東京・有楽町の新聞社を舞台に、朝鮮戦争の戦況、およびスターリンの死亡説で色めきだつ国際面の記者たちの狂騒的な日常を描く。そこに、朝鮮帰りのアメリカ人ジャーナリストの情けないバースデー・パーティがあったり、ティルピッツ男爵なる謎のオーストリア貴族が極秘裏に来日して、神奈川県大磯の吉田茂首相の近所に邸宅をかまえ、バラの品種改良を隠れミノに謀略に励んでみせたり(この神出鬼没にして日本語堪能なオーストリア貴族は、右翼団体にも労働組合にも資金を提供しつつ、ダンスホールに非合法のカジノを設けるなど、日本社会をいいように手玉に取るのだ)、これは従来の日本映画スケールを軽く凌駕している。作品中、銃声は一発しか聞こえないが、これはれっきとしたフィルム・ノワールであって、いや、これほど率直な政治的フィルム・ノワールはアメリカにおいてさえないのではないか? エイブラハム・ポロンスキーの『悪の力』も、ジョセフ・ロージー『緑色の髪の少年』、ロバート・アルドリッチ『ガーメント・ジャングル』も、率直さでは『広場の孤独』に道を譲らざるを得ない。
 ラスト、アメリカ人ジャーナリストが博多空港のタラップで吐く「朝鮮半島は板門店で手打ちになったから、もう興味がないよ。お次はホー・チ・ミンの仏印さ。“朝鮮、仏印の次は日本” なんてことにならないように、君たち、気をつけてな」なんていうセリフは、製作当時の1953年の段階では生々しすぎる。
 そして、社の方針と自身の正義感のあいだで揺れる新聞記者(佐分利信)の妻を演じた高杉早苗の妖艶にして、怒りに満ちた美しさもまた、これは日本映画の閾ではない。ウォン・カーウァイも真っ青のメランコリー、デカダンスが支配する。高杉早苗(香川照之の祖母にあたる)ってこんなにすごい女優だったのか、と思わざるを得ない。この人は戦前が全盛期だが、戦後もこういうものがあるとは。上海育ちの女で、コスモポリタンといったら聞こえはいいが、とにかく日本嫌いで、南米移住を夢見て、オーストリア貴族の金づるの罠にズブズブとはまっていく。新聞社ではキレ者でならす佐分利信も、家では指をくわえてデカダンな妻の暴走をただ見守るしかない。佐分利信のマゾヒズムここに極まれり。政治的陰謀劇、フィルム・ノワール、ファミリー・メロドラマが渾然一体となり、大小のスケール感がすさまじい差異をうみだして、見る者にめまいを起こさせるのである。


《日本のオジサマII 佐分利信の世界》はシネマヴェーラ渋谷(東京・渋谷円山町)にて10/31(金)まで
http://www.cinemavera.com/

『花荻先生と三太』 鈴木英夫

2014-10-18 04:27:19 | 映画
 劇団民藝が映画の自主製作に積極的に乗り出していた時代がある。近代映協などの協力を得ながら、1950年代初頭からずいぶん作っている。50年代終わりごろには日活への団員貸し出しが多忙となり、自主製作のほうは途絶えてしまう。
 なかんずく、神保町シアターで開催中の《生誕100年記念 宇野重吉と民藝の名優たち》で上映された鈴木英夫監督の『花荻先生と三太』(1952)は初期に作られたもので、これは隠れた逸品であった。田舎に赴任した女教師と生徒たちの愉しい日々を綴るという点で、のちの中川信夫『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(1955)、清水宏『しいのみ学園』(1955)、田坂具隆『はだかっ子』(1961)を予告した内容だ。しかも『はだかっ子』以外のすべてに宇野重吉は出演していて、いずれも校長や園長、村長といった役どころである。今回の場合、田舎といっても神奈川の相模湖なのだが、1950年代初頭の相模地区は完全に地方の村落である。
 映画評論家の大黒 “えんま帳” 東洋士がシナリオを書いているのが興味深い。また、撮影を渡辺公夫が担当していて、アップ&ダウンの激しいロケーションのなかで子どもたちの運動感を出していく画面が、じつにすばらしい。私は市川崑『日本橋』、衣笠貞之助『白鷺』、三島由紀夫『憂国』など渡辺公夫の撮影が大好きで、これほど白黒とカラーの双方に長けたカメラマンは、なかなかいまい。そんな渡辺の初期作品である今作を見て、あらためてこの人の才能を確認した次第だ。

 だが、最もすばらしいのは、女教師役の津村悠子の清新な美しさである。上写真の「毎日グラフ」はグラフ雑誌のくせに、ちっともこの女優の良さを撮れていないようである。当初、生徒たちは新任の先公をいじめて追い出してやれなどと打ち合わせしていたのだが、赴任初日に、津村悠子がスカートを太ももあたりまでズルッとめくってみせるバックショットが飛び出し、あれで男子生徒も女子生徒もノックアウトと相成る。ノックアウトを喰らったのは生徒だけでなく、われわれ観客も同様である。
 民藝の新人として大抜擢の主演となったが、Googleで検索したら、津村悠子のその後の映画出演は数えるほど。民藝の上演記録を辿ってみると、コンスタントに役が付いているので、活動はもっぱら舞台となった模様。ところが、1955年3月~4月にTOMさん(村山知義)が演出したシラー『ヴィルヘルム・テル』を最後に民藝のリストからも名前が見られなくなる。念のため、1961年上演の『火山灰地』を録画したDVDをざっと見直してみたが、少なくともメインキャストに彼女の顔は見えなかった。そうなるとNHKのアーカイヴにも、彼女の舞台映像は残っていないものと思われる。


神保町シアター(東京・神田)で《生誕100年記念 宇野重吉と民藝の名優たち》開催中
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/

『人生劇場 第一部 青春愛欲篇/第二部 残侠風雲篇』 佐分利信

2014-10-16 01:57:48 | 映画
 「やくざ映画」の源流──たとえば番場の忠太郎──から時代劇の括弧を取り払うには、もう少し時間が必要のようである。純度を考慮に入れた場合、尾崎士郎の原作『人生劇場』の映画化事業ががぜん視界に浮上する。戦後の沢島忠、内田吐夢、加藤泰らが『人生劇場』の映画化をおこなっているが、戦前すでに内田吐夢や千葉泰樹が映画化している。
 スター俳優の佐分利信がどういうわけか、この『人生劇場』を前後編にわたって大いに張りきって監督している(1951/1953)わけであるが、いまとなっては若干ヘンテコな取り合わせのように思える。第一、これはやくざ映画と言えるのか? 東急電鉄のきもいりで発足してまもない東横映画が「東映」に改組したのが1951年であり、まさにその年にマキノ光雄によってプロデュースされた本連作の前編こそ、10余年後にはじまる東映任侠映画の源流だと言っても過言ではない。そしてその監督が、松竹でメロドラマのニヒルな二枚目としてならした佐分利信であるという事実がおもしろいというのである。
 遠州の侠客一家の跡取り息子・瓢吉を主人公にしているものの、むしろこれは鬱屈に鬱屈を重ねる青春映画、またはダラダラと継ぎ足されてやまぬビルドゥングスロマンと言える。もっともやくざ映画について大島渚はかつて、暴力を介在させてはいるが、ようするにあれは「青春映画である」と喝破していたが。
 何が起きているかというと、佐分利信は、小津の戦前映画によく出てくる早稲田の学生たちがマドンナ女性なんかを間に挟んでくり返すナンセンスな学園喜劇を、鬱屈したマゾヒズム的反復として再-提示したかったのだと思う。主人公・瓢吉(舟橋元 ~のちの加藤泰版における竹脇無我にそっくりである)はもちろん、彼の初恋女性おりん(高峰三枝子)、最初の恋人・お袖(島崎雪子)、郷里から東京に出て落ちぶれていく恩師・黒馬先生(笠智衆 ~のちの『秋刀魚の味』の瓢箪を想起させる)、早大政治学科の同級生で闘争に敗れて共に学校を去る夏村(加東大介)、そしてもちろん吉良常(月形龍之介)、飛車角(片岡千恵蔵)という大スター2人を配置し、めくるめく出会いのロンドを反復し続ける。
 なかんずく、島崎雪子が主人公に岡惚れし、どうしても歓迎されぬその焼けぼっくいを後生大事にしまい込み、「あいまい宿」の女給にまで落ちぶれながら、コケティッシュな美貌はいつまでも失わず、数年単位で姿を現しては、主人公の関係者と図らずも出会ってみせたりする。佐分利信マゾヒズム装置の主犯格は、この連作の場合、島崎雪子だと言えるだろう。


シネマヴェーラ渋谷(東京・渋谷円山町)で《日本のオジサマII 佐分利信の世界》を開催中
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