荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

さらば、広尾よ (3)無人の部屋 篇

2010-03-31 03:27:39 | 身辺雑記
 私がふだん出入りする映像製作プロダクション移転につき、東京・広尾のスペースを引き払って引っ越しをする前夜、作業の合間にエレベーターで上がり、ビル最上階にある会長室を訪れた。グループの総務課からの連絡によれば、安田匡裕の一周忌に際して、一週間ほど会長室隣の役員応接室に祭壇を設けた、というのである。
 午前0時を回っていたから、部屋はもう開いていないかと思ったが、さすがは製作プロダクションだけに、こういう時刻の訪問も想定されているのであろう。役員応接室で、さまざまなトロフィーやら賞状やらアルバムが飾られた遺影に、手を合わせた。遺影の正面の壁には、『ディア・ドクター』と『空気人形』のポスターが貼られている。安田の2本の遺作である。

 そして隣の、ドアが半開となったまま、電灯が消されて真っ暗な会長室に入ってみた。1人で来たため、なにやら不法侵入しているような気分となったが、最期まで訪ねることのなかった安田さんの部屋を見ておこう、という心情である。安田さんという人は、用のある人物のところへ自分からフラリと近づいてくるタイプの人で、まったくと言っていいほど他人を自分の部屋に呼びつけるような人ではなかった。
 暗闇の中、安田さんのデスクや書棚はそのままで、安田さんの霊が今ここにいるな、と思った。もちろん恐怖など感じることはない。大きな窓から有栖川宮方面を眺めると、広尾明治屋、広尾タワーズレジデンス、六本木ヒルズ、さらにその奥には東京タワーの電飾が見える。私たちが働いていた階下にくらべると、ずいぶんと見晴らしがいい。それら電飾の明滅が、しずかに、発酵するように、異常なまでにはっきりと見えている。暗闇の部屋から眺める夜景というものは、いつも黄泉(=夜見)の側から眺める現世のように、はっきりし過ぎた輪郭を持っていると思う。ちなみに、左写真の正面の暗闇が、会長室である。
 私は一礼して、暗闇の部屋を立ち去った。広尾よ、さらば。

チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』

2010-03-28 01:57:18 | 演劇
 STスポットおよび横浜美術館レクチャーホールの横浜市内2会場で上演されたチェルフィッチュの新作『わたしたちは無傷な別人であるのか?』(作・演出 岡田利規)が、岡田の過去の戯曲と異なるのは、語尾がせり上がるいわゆる「若者ことば」が今回はついに用いられなくなり、したがって、渋谷などにたむろする若者のトリビアルな生態からは、大きく離反している点である。今作の登場人物たちは、無色透明な標準語(といってもそれは、関東弁という一方言にすぎないのだが)を、淡々と発声するのみ。ただし、『三月の5日間』『フリータイム』で見られた、発話内容と身体所作を不自然的に剥離させる演出は、今回も引き続き試行されている。一見、単なる貧乏ゆすりにしか見えない岡田演出であるが、実際には長い時間をかけてリハーサルで完成させていくのだ、と以前NHKのインタビューで岡田が述べていた。

 郊外のマンション街に立ち尽くす男1人。「この男性は、幸せな人なのだそうです。」と他の登場人物たちから無責任に認定されてしまう、愚劣なる一現代人の断層である。ゴダールが団地街の主婦売春にアプローチした『彼女について私が知っている二、三の事柄』のグロテスクさを思い出させる。ただし、たとえばAという登場人物がもし男性ならば、あらゆる男優がこのAを演じてもよく、事実、何人もの人間が代わるがわる舞台に登場して、このAの役を引き受け、ナレーションでたがいにその人物を重層的に解説してみせる。しかし、説明が重層化すればするほど、その輪郭はあいまいなものとなる。
 男の会社の後輩女性が、休日に男とその妻が住むマンションに、ワイン2本を輸入食料品店で購入してから訪ねようとしている、というだけのシチュエーションが、異常なまでに多角的にとらえられ、執拗に引き延ばされつつ語られる。「若者ことば」の禁止(?)ゆえにだと思うが、舞台全体が抽象性を増し、オーソドックスな不条理劇に先祖帰りしているようにも思えるのが興味深い。


P.S.
 会場ロビーで、知る人ぞ知る8mm映画の古典的作品『宵醒飛行』の作者・鷲見剛一と再会した。彼の渡英以来である。思いがけず、珍しい人に会えたものだ。おしゃべりしながら、みなとみらい線で一緒に帰京した。

木村威夫 逝去

2010-03-25 17:19:50 | 映画
 映画美術界の偉大なる至宝、木村威夫が、21日午前5時46分、間質性肺炎のため、東京都内の病院で死去した(きょうのasahi.comより)。91歳だった。

 虚実が光と影のごとく戯れる木村美術の凄み。今はただ、それらの豊饒なイメージが、わが狭小なる脳内を猛スピードで駆け抜けていくばかりである。また、私自身の人生において重要な局面で登場され、しばらくご一緒する日々も持てた。今となってみると今生の別れとなってしまった、あの、1994年夏の日活撮影所食堂での会話は、濃密な記憶として、私自身の青春の最期の時間として、生涯消えぬことであろう。

 美術監督としての偉大さは言うに及ばず、最近の木村は監督業にも精を出しており、昨年暮れに公開されたばかりの『黄金花 秘すれば花、死すれば蝶』が、残念ながら遺作ということになってしまった。これは、もっと予算が付けばと悔やまれるのは確かであるものの、それでも私は素晴らしい作品であると思う。雑誌「映画芸術」最新号のベストテンで、孤独に2位に推挙してみたが、本作に投票している選者は他に岩本光弘さん(9位)のみという、はなはだ淋しい結果に終わってしまった。
 『黄金花』は、牧野富太郎へのオマージュであると同時に、木村自身の壮絶にしてたおやかなる遺言であり、映画の色彩と美そのものへの讃歌である。

新宿の中の下町 抜弁天

2010-03-24 02:09:45 | 身辺雑記
 ばたばたと落ち着かぬ仕事の合間を縫って、彼岸の墓参りをした。以前にも書いたかもしれないが、「荻野家之墓」は新宿・抜弁天きわの某寺境内にある。
 ゴールデン街や歌舞伎町からも至近距離にあり、地下水脈には美醜混交となったアルコール養分がちゃんぽんに染み出て、死後佇むにもってこいの地所である。その点では、灰色に終始している生前に対して、薔薇色の死後が待ち遠しくて仕方がない。5年前にこの墓に入った亡父も、さぞかし快適に眠っていることだろう。

 たまさか先日、川本三郎の『きのふの東京、けふの東京』(平凡社)なる新刊に目を通していたら、一章を割いて抜弁天界隈(新宿六丁目、七丁目)について触れてくれている。まあ、余丁町の荷風の実家がほど近く、新宿文化センターあたりが『日和下駄』にも出てくるのだから、これは当然か。戦災であまり焼けなかったせいで、この辺はいまだにまったく新宿らしくない下町風の古びた町並なのだが、意外にも私がヴェンダースの映画と出会ったのは、新宿文化センターの視聴覚室で見た『さすらい』が最初であった。
 両親がマイホームを買い求めた埼玉県内の閑静な住宅街で平和に育ったものの、祖父母の家があったり、幼いころに火炎瓶による交番焼き討ちの美しい炎を見学したりと、東新宿こそやはり、わが心のふるさとと言っても過言ではない。中学時代は、佐藤重臣が水炊き屋「玄海」の裏手でやっていた「黙壺子フィルムアーカイヴ」でジャン・エプスタンやルネ・クレールの映画、フレッド・フリスのフィルムライヴなどを見た。高校も大久保ロッテ工場の裏手にある私立男子校に通い、さらに大学も少し北上した早稲田に通った。しかし不思議と大学を出てからは、墓参か法事くらいしかこの界隈とは縁がなくなってしまう。あとは「小野ライト」や「東洋照明」に照明機材を借りに行くか、「福島音響」でアフレコ&ダビングをするかしたくらいであろう。

 抜弁天から女子医大方面に少し行った、都営大江戸線の若松河田駅前に「小笠原伯爵邸」という、旧華族の洋館をリフォームしたミシュラン1つ星のスペイン料理店があり、その真ん前に「ぎゃらりい松」という、唐津焼のわりにいい物が出ている店があった。東京に唐津の専門店は皆無に等しいため、以前はよく墓参帰りに寄ってウィンドウを眺めたものである。
 ここの女主人が、私好みの鉄絵、刷毛目のいいのを見つくろってくれると請け合っていたが、しばらく訪ねぬうちに店じまいしてしまった。はたして廃業前においても、鉄絵、刷毛目の出物は仕入れておいてくれたのであろうか? 数年前のこの不義理が依然として、心に刺さった小骨となっている。

『ハート・ロッカー』 キャスリン・ビグロー

2010-03-20 05:35:03 | 映画
 『ハート・ロッカー』という作品を、どのように見たらよいのだろうか。
 従軍ジャーナリストの手になるシナリオは、戦場の苛酷さ、非人間性の細部にむかうと同時に、アメリカ軍によるイラク駐留、治安維持の必要性を最終的に説いているように見える(「いろいろと馬鹿をしでかしちまう俺たちだが、あいつらもいつかは、そんな俺たちが引き受けた苦労の重大さを、判ってくれるだろう…」というようなイメージ)。つまりこの映画は、ブッシュ政権期の忘れ形見なのだろうか。
 だとすれば、宇宙SFに姿を借りつつも、軍産複合体への痛烈な批判であることが明らかな『アバター』が、本作との賞レースであっさり惨敗したことは、政治的に何を意味しているのだろう、という疑問が、本作の出来ばえ以上に気になってしまうのである。作品そのものより賞レースの結果の方が気になるなどというのは、あまり生産的でないことはわかっているのだが。

 ロバート・アルドリッチが、その苦悩に満ちたヨーロッパ滞在時代に、英ハマー・プロの製作協力のもと、ベルリンでロケした『地獄へ秒読み』(1959)は、爆発物処理の恐怖とサスペンスを主題としている点で、『ハート・ロッカー』と完全に共通している。戦中はナチスに反抗的だったため、爆発物処理班という危険な部署に左遷されていたドイツの帰還兵が戦後、高賃金に誘われるまま、命を懸けてベルリン市内のいたるところに眠る不発弾の雷管を抜きまくる。
 ここでアルドリッチの伝説的作品を引き合いに出すのは、あまり品のある行為とは言えない。しかし少なくとも今はもう、駐留する側を主人公に据えることではなく、駐留される側の言語を主言語に据えることからしか、アルドリッチの精神性に倣うことはできない、ということは言えるのではないか。もしそれが無茶だというなら、私たちがとんでもなく不幸な時代を生きていることの証明になる。


TOHOシネマズスカラ座他、全国で公開中
http://hurtlocker.jp/