荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『風にそよぐ草』 アラン・レネ

2010-02-27 06:02:25 | 映画
 試写にて、アラン・レネの新作『風にそよぐ草』を見たのだが、これがあっけにとられずにはいられない傑作(奇作)であった。
 冒頭のアスファルトからはみ出るぺんぺん草をとらえた移動ショットから、いきなり形容しがたいムードが垂れ込めて、女性歯科医のショッピング、バッグ引ったくり、熟年男の腕時計の電池交換など、じつにどうでもいい事柄の数々が、嘘のようななめらかさで連綿と接合されていく。しかもこのどうでもいい事柄が、あたかも人類の生存にとって重要な一擲であるかのような、過剰なるサスペンス性を帯びてくるのである。引ったくりに遭ったバッグが宙を舞うスローモーションがリフレインされる。わざわざ反復しなくても、とも思うのだが、何か厳格なる理由がありそうなので、笑ってはいけない…
 ストーカー行為まで発展していくあたりから、物語がようやく形を取り始めるが、このなつかしいような、見たこともないような感触は、いったい何なのだろうか。私が最初に見たレネ映画『去年マリエンバートで』(1961)に感じた最初の、あの奇妙に鋭い感覚を思い出した。
 皆様、見てのお楽しみであります。かなりたまげますぞ。


本作は、フランス映画祭2010関連企画《アラン・レネ全作上映》の枠内で上映予定(一般公開は未定)
東京日仏学院(市谷船河原町) http://www.institut.jp
ユーロスペース(渋谷円山町) http://www.eurospace.co.jp

立ち読み、春の味覚 その1(丸の内、人形町)

2010-02-23 00:30:47 | 味覚
 久しぶりに夕方早くに仕事を終えることのできた私は、丸の内の某チョコレート屋に寄ったり、オアゾ丸善へ立ち読みをしに行ったり、すっかりリラックスしたわけであるが、立ち読みというのは、いい年をしていまだに人生の最大の楽しみのひとつであり続けており、私はこの丸善で何時間でも快適に過ごすことができる。「松丸本舗」なる店舗内店舗にて、青山真治の新著『シネマ21』(朝日新聞出版刊)を購入。「松丸本舗」は意外と使える空間で、演出過剰の気配なきにしもあらずだが、1980年代セゾン全盛期の「ぽえむぱろうる」「ぽるとぱろうる」を彷彿とさせる。

 日本橋人形町に帰り、ブラッスリー「B」にて、白アスパラガスとホタルイカのソテー、それからイベリコ豚と緑オリーヴの腸詰めを食べたところ、じつに旨い。特に後者には、FCバルセロナの本拠地カム・ノウから歩いて7~8分ほどの場所にあるレストランで食べた、やはりイベリコ豚の血入り黒腸詰め「ブティファラ (Botifarra negret)」を思い出したのだった。
 そういえば、カタルーニャ地方の今の旬は、なんといっても「カルソッツ (Calçots al foc)」で、これは毎春食したいところである。言ってみれば単なる長ネギの丸焼きであるが、黒こげの皮を手で剥いで(手は真っ黒となる)中身を独特のソースに浸して食べる。たいへん野趣にあふれる食べ物である。右写真はただの焚き火にしか見えないが、レストランのれっきとした呼び物メニューでもある。

 50年前のカイエのトップテンを見直したりしつつ、溝口の『雨月物語』を脳内で反芻していたので、『シネマ21』の目次からつい最初に「『雨月物語』への挑戦」が目についた。飲まされた苦汁をユーモアという甘味料でコーティングしてから、読者に提供された壮烈なる文である。並の物書きとは、やはり格がぜんぜん違う。

50年前のトップテン

2010-02-21 09:49:59 | 映画
 今からちょうど50年前に発表された、フランスの映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」誌の年間トップテンを、たわむれに転載してみよう。つまり、1959年にフランス国内で公開された作品から投票・選出されたものである。

■Les dix meilleurs films 1959
1- 雨月物語(溝口健二)
2- ヒロシマモナムール(アラン・レネ)
3- イワン雷帝(セルゲイ・エイゼンシュテイン)
4- スリ(ロベール・ブレッソン)
5- 大人は判ってくれない(フランソワ・トリュフォー)
6- リオ・ブラボー(ハワード・ホークス)
7- 野いちご(イングマル・ベルイマン)
8- めまい(アルフレッド・ヒッチコック)
9- 楊貴妃(溝口健二)
10- 大いなる神秘 王城の掟(フリッツ・ラング)

 このあまりにも豪華な10本のベスト・フィルムの中にあって、1位に『雨月物語』が、9位に『楊貴妃』がランクインしており、「カイエ」がミゾグチを「発見」したばかりの興奮が伝わってくるかのようだ。なお、翌年のトップテンでも『山椒大夫』が1位を獲得しており、ミゾグチは連覇である。今ならさしずめ、サッカー選手が2シーズン連続で「バロン・ドール」を獲るくらいの快挙だろう。世界映画史には確実に〈ミゾグチ時代〉というものがあったのだと、まざまざと確信させる。当の本人がその最中に逝ってしまったのが無念である。

『クリスマス・ストーリー』 アルノー・デプレシャン

2010-02-19 03:29:25 | 映画
 アルノー・デプレシャンの最新作『クリスマス・ストーリー』を試写で見る。
 来月のフランス映画祭で上映されたあと、秋にはロードショーが控えているわけであるが、これが当然のごとくすばらしい。まじめなレビューはいずれどこかに書くとして、なんとも薫り高い豊かな映画だったとだけ報告したい。2時間半を見終えても、まだ見終わった感じがしないし、席を立ったあとも、まだ休憩ののちにこの続きが映写されるのを待ってしまうような──人生はかんたんには終わらないのだから──錯覚に囚われる。映画を見終えて、地下鉄に乗ってもまだ映画が続いている。

 デビュー以来デプレシャンが描いてきた、若者たちが一堂に会すこと、人が病院の中で時間を過ごすこと、肉親といがみ合うこと、放蕩息子として生きること、などといった事象が、束ねられたファイルとして再生される。だが、そこには綻び、ファイルの紛失、更新された書き込みがごちゃごちゃとあって、非常に騒がしく、開け放つのがやっかいな束なのだ。


3月に「フランス映画祭2010」にて上映後、秋に恵比寿ガーデンシネマにて公開予定
http://unifrance.jp/festival/

『おとうと』 山田洋次

2010-02-16 01:30:57 | 映画
 『男はつらいよ』シリーズ終焉後の山田洋次作品は全部見ているが、ちっともいいと思えないでいた。ついこの1月、山田は新派のために、小津安二郎の『麦秋』(1951)の舞台化を手がけたばかりだ(日本橋・三越劇場)。一応これも観に行こうかと思ったが、山田がインタビューで「新派の独特のムードと間が、小津安二郎ではないかと思ったんです。小津さんの映画を素材にすれば舞台ができる」などと述べているのを読んで、いっきに観る気が失せた。小津をはきちがえているし、新派をも理解していない、あまりにも浅薄でアホらしい発言だと思ったのである。当の新派側が、「山田先生が新派の世界を評価してくださったことが、とてもうれしく、ありがたい」などと応答しているが、それはまた別の話だろう。

 山田の前作『母べえ』(2008)は、ネット上で「赤の映画」であると激しく攻撃されたようだが、戦中の思想犯を描いているからといって、それがすぐさま「赤の映画」となるのは、ネット上の連中もあまりに認識が甘い。実際には、リベラルなインテリとその一家の苦境をあつかった、出来の悪いメロドラマにすぎない。
 騒ぐなら、今回の『おとうと』のほうがはるかに左翼的だと思うが、なぜか今度はそういう非難は出てこないのである。笑福亭鶴瓶が演じる酒乱の男が落ちぶれ、最後は不治の病を得て、大阪・西成区の貧窮者用のホスピス施設〈みどりのいえ〉に流れ着く。この施設はあきらかに、かつての「セツルメント」の流れにあるだろう。「セツルメント」とは、貧しい階層に医療を施す、戦前から1960年代くらいまでさかんに実践された医学界における左翼運動形態で、イギリスの発祥である。戦後まもなくの日本映画で、「セツルメント」運動にのめり込むエリート医師の物語が、いくつか製作されている。
 モスクワのコミンテルンにあって、国外からリモート・コントロールで日本共産党の結党(1922)を指導した片山潜(1859-1933)の最初の主舞台が、まさに「セツルメント」であったことを思い起こすならば、『おとうと』前半は、姉役の吉永小百合を中心とする、きわめてドグマティックな人情譚にすぎないのに対し、小日向文世、石田ゆり子を中心とする〈みどりのいえ〉の物語へと傾斜していく映画後半は、山田洋次積年の本領がようやく発揮された数十分間であっただろう。
 反ブルジョワ、反インテリの小市民喜劇という、じつに教条的で浅薄なジャンル性に40年間以上も囚われた山田洋次映画の、遅まきながらの新展開であったが、これはあまりにも遅いとしか言いようがない。


丸の内ピカデリー2他、全国で上映中
http://www.ototo-movie.jp/