荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『十三人の刺客』 三池崇史

2010-09-29 00:25:55 | 映画
 「三池崇史に、もっと本格的な時代劇を撮らせてやりたい。そしてそれは、藤沢周平でも山本周五郎でもあるまい。三池なら、『七人の侍』にも拮抗しうるだろうが、黒澤明のリメイクは森田芳光と樋口真嗣に先を越されたし、だいいち黒澤のあの如何ともしがたい人道臭は、どうにも三池の極道流とは相容れないものがある。
 だから、工藤栄一である。『七人の侍』ではなく、『十三人の刺客』(1963)の泥だらけのアナーキーな血のりを、〈現代の時代劇〉というぬくぬくとした遊園地に塗りたくってやろう。とにかく三池を大いに盛りたてて、世界の映画シーンにおいて “張藝謀や呉宇森に負けた” と言われないような剣劇アクションを、思いきり撮らせてやろうじゃないか。」

 以上のような、この映画の製作者たちが熱く語り合っただろう思いの丈を、ひしひしと感受できる作品である。工藤版では御大・片岡千恵蔵が演った暗殺団の首領・島田新左衛門役に、今回は役所広司が当たり、ひょうひょうとした中にそこはかとなく狂気を宿すという、彼得意のパターンでこれを演じきった。
 人間が描けていないなどと、三池のような確信犯に野暮を言っても始まるまい。とはいえ、武士道のなんたるかが登場人物たちのあいだでさかんに論議され、また実際にサムライどもの波乱に富んだ死にざまが、これでもかというほどしつこく撮影されている。しかし、どれほど大げさに目を剥いて昇天してみせたところで、死は所詮、退屈なまでに単なる死である。病死であろうが、立派に本懐を遂げようが、どっちでも同じではないか。派手にアクション演出が施されても、私は勝手に死というものの無情さ、徒労感のほうに吸い寄せられていってしまう。それとも、こういう感触が、三池の三池たる所以であったであろうか。私という観客と、作り手たる三池崇史の距離は、果てしなく遠い。
 いずれにせよ、近年の三池映画は、予算の増大に反比例して衰えを隠しきれずにいたが、また少しずつ調子を取り戻してきているようにも見える(最近のものでは、『神様のパズル』は好きな作品である)。


TOHOシネマズ日劇など、全国で上映中
http://13assassins.jp/

小林桂樹の死を悼む

2010-09-25 05:02:20 | 映画
 テレビ放映にて森谷司郎の『首』(1968)。これは12、3年ぶりに見る形となったが、作品の良し悪し云々よりも、やはり先日亡くなった小林桂樹(1923-2010)の追悼という気分が強い。それは先日DVD-Rで再見した『幕末』(1970)の西郷吉之助役、それからこれは初見となったが『社長外遊記』『続社長外遊記』(1963)も同様であった。
 あの苦虫つぶしたようなふくれっ面がもの凄く大好きだというわけではないのだが、作品の中での十全な機能ぶりで魅せていく俳優、ということになるだろうか。とにかく、1950~60年代の東宝を中心に、数多くの素晴らしい作品に出演している。
 名高い『社長』シリーズのなかの四羽烏は、専務の加東大介、宴会係の三木のり平、昨秋逝った社長の森繁久彌、そして秘書課長の小林桂樹と、これでついに全員鬼籍に入ってしまった。冥福を祈る。祈るけれども、いつでも会えるという感じでもある。これからもいつも作品の中で。

auoneブログの旧記事、復刻のお知らせ

2010-09-23 08:45:22 | 記録・連絡・消息
 今回の〈〈auoneブログ旧記事・復刻プロジェクト〉。きょうは、2007年11月分を復刻させました。お時間ある時にでも、ご一読いただければ幸いです。

 この月に登場する人名は、直枝政広、フェルナンド・フェルナン・ゴメス、ポール・グリーングラス、パスカル・フェラン、たむらまさき、青山真治、矢崎仁司、ウディ・アレン、周作人、安宅英一、福田和也、青山杉雨、廣木隆一…といった人々です。

 右の写真は、けさ撮りました。数日前から、ベランダのハーブに可憐なすみれ色の花が咲いていたのですが、きょう、いい感じで曇天となり、少しくすんだ光で撮影するのもいいかなと思い、カメラを向けてみました(単なる小型のデジカメですが)。さっき東京都心部は、パラリと雨が降りました。もう止んでいます。良き秋分の日をお過ごし下さいませ。

『大いなる路』 孫瑜

2010-09-21 12:54:55 | 映画
 上海映画きってのアメリカ通、孫瑜(スン・ユイ)監督のサウンド版映画『大いなる路』(1935)で私がもっとも心を動かされたのは、音楽とユーモラスな効果音、そして日本の扱いである。

 ストーリーの面からいえば、都会の若者たちが集団で地方に下って、道路建設の労務に従事し、地元の反動地主階級(敵軍と癒着している)と対立して、捕り物となるといった案配で、それなりの内容である。しかし、若者たちの労働、飲食、休日の川遊び、地元の飯場の女給仕たちとのあいだに芽生える恋といった事柄が、じつに快活に撮られている。作り手側の気持ちも、おそらく私たちと同じであろう。
 道路建設作業をしながら金焔(チン・イェン)中心に歌われる労働歌『大路歌』『開路先鋒隊』、可憐な女給仕の黎莉莉(リー・リーリー)中心に歌われる飯場でのタイトル不明の宴歌(YouTubeで視聴可能)が、本作を永遠のものとしている。
 作は、袁牧之監督『桃李劫(若者の不運)』(1934)などの音楽も手がけ、中国作曲界の天才と謳われた聶耳(ニェ・アル)だが、この人は『大いなる路』直後の1935年7月17日午後、友人と遊泳中の神奈川・鵠沼海岸で水死した。享年23。また、聶耳が客死の地となった日本(母国での逮捕を恐れ、亡命のための来日だったという噂もある)で書いて母国に送った『義勇軍行進曲』(抗日映画『風雲児女』の主題歌)は、のちに中華人民共和国の国歌となった。山口文象がデザインした藤沢市民有志による記念碑は、「耳」の形をかたどっている。名前のなかに耳が4つもあるのだから、当然だ。それにしても、ときには映画音楽が国歌になることもあるのである。

 映画の終盤で地元の反動地主階級を打倒し、いよいよ道路完成に邁進して大団円を迎えようという一行に、突如として爆撃機が一機飛来して、主人公たちを皆殺しにしてしまう。生き残ったのは、飯場の親爺とその娘のみ。唖然とさせられるラストだが、最後まで主人公たちの敵が日本軍なのか、軍閥なのか、国共合作を裏切った国民党軍なのか明示されない。ラストの爆撃機を見れば、それが日本軍であることは明白なのだが、敵の名は名指しされないのだ。しかし途中、挿入歌の歌詞の中に、「清朝、軍閥と争い続け、今ではチビ男たちと戦っている」みたいな一節があり、検閲をかいくぐりながらもぎりぎり抗日を叫んでいるのだろう。


東京・京橋のフィルムセンターで上映(終了)
http://www.momat.go.jp/FC/

《知られざるアメリカ映画傑作選》

2010-09-19 10:05:25 | 映画
 東京をはじめとする日本の各都市で、秋の映画祭シーズンが本格化しようとしているが、来月のWOWOWで、なかなか渋いプログラムが組まれているようなので、書き留めておきたい。

《知られざるアメリカ映画傑作選》
10/5(火)8:30 a.m. 『ジャン・ルノワールの小間使いの日記』(1946)監督/ジャン・ルノワール
10/6(水)8:30 a.m. 『バシュフル盆地のブロンド美人』(1949)監督/プレストン・スタージェス
10/7(木)8:30 a.m. 『あのアーミン毛皮の貴婦人』(1948)監督/エルンスト・ルビッチ
10/8(金)8:30 a.m. 『バスビー・バークリーの集まれ!仲間たち』(1943)監督/バスビー・バークリー