『猿の惑星』の記念すべき第1作(1968)のラスト、砂浜に埋もれた自由の女神像のシーンはあまりにも有名である。それにしても、人類が滅んだのはいいとして、ではなぜ猿の文明が勃興したのか? そのあたりは謎のままであった。今回のシリーズがとり組んでいるのは、そこの部分である。人類になり代わって、なんでまた猿が文明の担い手に浮上したのかという事情の説明である。企画として理にかなっている。
シリーズ物というのは、かつては第1作の後日譚を語るものというのが常識だったが、『スター・ウォーズ』のエピソード1/2/3以来、映画業者たちは、前日譚によってもシリーズを延命させることができるということを発明した。延命と引き換えに、シリーズは物語構造とエコシステムの奴隷となることを甘受したのである。エピソード1/2/3が抱え込んだきまじめさ、閉塞感はあれだけパイが大きければ、致し方ないのかもしれない。
いっぽう『X-MEN』のチームはよくやっている。『ウルヴァリン』などのスピンオフからはジェームズ・マンゴールドのような落第者も輩出しているとはいえ、登場人物たちの前日譚を語る『ファースト・ジェネレーション』(2011)、およびその続編『フューチャー&パスト』(2014)のシナリオは、かなり高度なアクロバットだろう。
この伝で言うなら、今回の『猿の惑星』の新シリーズ『創世記(ジェネシス)』(2011)、『新世紀(ライジング)』(2014)は共につまらなくはないのだけれども、どうにもきまじめさを免れていない。予想どおりの展開、予想どおりの描写なのである。ラストのサンフランシスコの高層ビルを舞台とする猿どうしの内紛シーンにしても、バベルの塔のアレゴリーなのだろうが、まったくはじけない。シーザー(主人公の猿)の決めぜりふは悪くないが。
ティム・バートン版(2001)の評判は決して芳しくはないけれど、今回版にはない瞬発力、映画的爆発力はあった。カプセルからマーク・ウォルバーグのペットのチンパンジーが降りてくるあたりのおかしみ。ああいう遊びがもっと欲しい、というのは無い物ねだりではあるまい。
ただし、今回版で素晴らしいと思うのは、人間の登場人物については、一話完結でリセットしてしまう点である。前作『創世記(ジェネシス)』から10年しか経っていない設定なのに、前作のメインキャストはだれも再登場しない。たぶんみな死んでしまったのだろう。おそらく次回作には、今回のメインキャストは登場しないのではないか。人間側の主人公ジェイソン・クラークがシーザーと別れの抱擁をすませたあと、人知れず(猿知れず)後退して、ビルロビー奥の闇へと溶け込んでいくショット、さらにはシーザーがしばらくして振り返ったあとの無人ショットは、この映画の最良のショットだと言えまいか。
また、発電所の復旧工事が終わった瞬間、ガソリンスタンドの電力が復活し、突然ザ・バンドの『The Weight』の演奏が鳴ってしまうシーンのほのぼの感も捨てがたし(ようするにアメリカ映画だなと)。
TOHOシネマズ日劇(東京・有楽町マリオン)他、全国で上映
http://www.foxmovies-jp.com/saruwaku-r/
シリーズ物というのは、かつては第1作の後日譚を語るものというのが常識だったが、『スター・ウォーズ』のエピソード1/2/3以来、映画業者たちは、前日譚によってもシリーズを延命させることができるということを発明した。延命と引き換えに、シリーズは物語構造とエコシステムの奴隷となることを甘受したのである。エピソード1/2/3が抱え込んだきまじめさ、閉塞感はあれだけパイが大きければ、致し方ないのかもしれない。
いっぽう『X-MEN』のチームはよくやっている。『ウルヴァリン』などのスピンオフからはジェームズ・マンゴールドのような落第者も輩出しているとはいえ、登場人物たちの前日譚を語る『ファースト・ジェネレーション』(2011)、およびその続編『フューチャー&パスト』(2014)のシナリオは、かなり高度なアクロバットだろう。
この伝で言うなら、今回の『猿の惑星』の新シリーズ『創世記(ジェネシス)』(2011)、『新世紀(ライジング)』(2014)は共につまらなくはないのだけれども、どうにもきまじめさを免れていない。予想どおりの展開、予想どおりの描写なのである。ラストのサンフランシスコの高層ビルを舞台とする猿どうしの内紛シーンにしても、バベルの塔のアレゴリーなのだろうが、まったくはじけない。シーザー(主人公の猿)の決めぜりふは悪くないが。
ティム・バートン版(2001)の評判は決して芳しくはないけれど、今回版にはない瞬発力、映画的爆発力はあった。カプセルからマーク・ウォルバーグのペットのチンパンジーが降りてくるあたりのおかしみ。ああいう遊びがもっと欲しい、というのは無い物ねだりではあるまい。
ただし、今回版で素晴らしいと思うのは、人間の登場人物については、一話完結でリセットしてしまう点である。前作『創世記(ジェネシス)』から10年しか経っていない設定なのに、前作のメインキャストはだれも再登場しない。たぶんみな死んでしまったのだろう。おそらく次回作には、今回のメインキャストは登場しないのではないか。人間側の主人公ジェイソン・クラークがシーザーと別れの抱擁をすませたあと、人知れず(猿知れず)後退して、ビルロビー奥の闇へと溶け込んでいくショット、さらにはシーザーがしばらくして振り返ったあとの無人ショットは、この映画の最良のショットだと言えまいか。
また、発電所の復旧工事が終わった瞬間、ガソリンスタンドの電力が復活し、突然ザ・バンドの『The Weight』の演奏が鳴ってしまうシーンのほのぼの感も捨てがたし(ようするにアメリカ映画だなと)。
TOHOシネマズ日劇(東京・有楽町マリオン)他、全国で上映
http://www.foxmovies-jp.com/saruwaku-r/