荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『サッド ヴァケイション』、映芸にてベスト1を獲得

2007-12-31 20:59:00 | 映画
 新宿二丁目「B」であった『映画芸術』誌の忘年会に呼ばれた。

 宴の始めに、新春号に掲載されるらしいベスト10&ワースト10の集計速報が発表される。2007年ベスト1を受賞したのは『サッド ヴァケイション』。しばらくしてのち、どこで飲んできたのか早くも酩酊気味の青山真治登場。心此処に在らずといった体のユーモラスな受賞スピーチを述べ、席に戻ってきた彼にお祝いを言った。『サッド ヴァケイション』が『映芸』でベスト1というのは少し意外な気もするし、内心忸怩たる思いの向きもあるのかどうかその辺りはよく知らないが、この紛うことなき傑作は素直に讃えられるべきだということだ。

 青山氏はすぐに去ってしまい(たしか大勢の宴席には今後顔を出さないようにする旨書いていたのを思い出した)、『僕は妹に恋をする』が残念ながらワースト10内にランクインしてしまった監督・安藤尋(大学同級)と、互いの近況を歓談。映画評論家・松田政男とは、キェシロフスキ『ある党員の履歴書』(1975)のラスト、主人公が査問の結果申し渡しを待つ党本部廊下、窓辺の椅子に腰かける薄ら寒さについて、および大島渚『日本の夜と霧』(1960)前後の政治状況について、さらに同映画で中山役を演じた吉沢京夫について歓談。
 また、『国道20号線』でデビューしたばかりの富田克也監督、『赤い文化住宅の初子』でヒロインの兄役を熱演した塩谷瞬とは初めて歓談。

 あとは朝まで中原昌也と、タランティーノ、ヴェンダース、ポール・バーテル、成瀬巳喜男、清水宏、ペドロ・コスタなどといった映画作家について、林光、ペーア・ラーベンなどといった映画音楽家についてなど、思う存分飲み、思う存分歓談。中原氏からはこの夜、ラリー・コーエンを真面目に見るべきこと、ポール・T・アンダーソンの新作が傑作であることなどいろいろ教わった。氏のお陰、愉しき酒席となりにけり。

 最後は荒井晴彦と、氏の脚本作『母娘監禁 牝』(1987)に主演した加藤善博の自死についてしばし立ち話。朝、安藤尋と拉麺を啜ってタクシーにて帰宅。皆様、よいお年を。



P.S.
『サッド ヴァケイション』よ、おめでとう。青山映画の2008年の展開も楽しみにしてます。ちなみにワースト1には、松本人志『大日本人』が選出されたそうです。

エドゥアルド・ダ・シウヴァ

2007-12-31 20:36:00 | サッカー
 いまNHK-BS1にて、エヴァートンvsアーセナル(リピート放送)を観戦中。
 エドゥアルド・ダ・シウヴァの、最終ラインからの縦一本に対する美しい胸トラップからのゴール。簡便で、重量感からほど遠い、相手サポーターさえ狐につままれたように静まりかえるこういうゴールが大好きだ。かつてバイエルン・ミュンヘンに在籍したエウベルを思い出させるフォーム。そして2点目もきれいな切り返しから。

 最近は世界的に見てもアルゼンチンFW(メッシ、アグエロ、ミリート、テベスなど)に後塵を拝した観のあったブラジル勢だが、やはりブラジル人ストライカーを見るのはこれだから楽しい。

木村威夫のこと

2007-12-29 05:02:00 | 映画
 「TITLe」(文藝春秋)の最新号には、2つの面白い対談が掲載されている。ひとつは、『人のセックスを笑うな』の監督・井口奈己と、映画美術の巨匠・木村威夫の年齢差50歳対談(採録構成・大寺眞輔)、そしてもうひとつは、『ミスター・ロンリー』の監督ハーモニー・コリンと中原昌也の対談である。井口監督の話の中で、「芯のない風景はだめだ」と木村威夫からたしなめられたロケハン中のエピソードが出てくるが、これは多くの監督たちにとって耳の痛い話であろう。『人のセックスを笑うな』『ミスター・ロンリー』共に来年そうそう公開らしい。必見だろう。


 実は私には、偉大なる木村威夫と深き縁がある。結果的には縁に達しなかった縁であるかも知れず、木村威夫の方は憶えているかどうかさえ定かではないためおこがましい表現ではあるが、私からすれば、それはやはり、一世一代の深き縁であった。
 ずっと昔、沈没する運命にあった船に乗るか乗らないかで、やり取りがあった。「君だってあの船のおそろしい運命に気づいているんだろう?」「よかったら一緒に別の船を探して、いろんな航海を愉しまないか?」

『アディクトの優劣感』 藍河兼一

2007-12-26 07:13:00 | 映画
 『アディクトの優劣感』は、高画質のデジカメで連続撮影したスチール写真をアニメーション加工した「デジタルフォトメーション」なる手法で作られた作品だが、83分の上映時間を、この単調な手法でよくもたせていて感心した。ドラッグ、セックス、シンクロニシティなどいろいろな事象を騒がしく頽廃的に語ってはいても、物語の根幹は昨今の純愛ものから遠く離れたものではなく、またそれがある程度奏功してもいる。
 池尻大橋駅、裏原宿、等々力、築地市場…などとはっきり東京の地名をテロップとモノローグで出しているのに、実際は映っている看板などに見慣れない漢字の羅列が見える。台北でロケされた画像をそれとなく大量にミックスしているようだ。特に目新しい発想というわけではないだろうが、台北=東京の代置作業の中に、作者たちのこの2都市への愛情が感じられ、これも好感した。

 スタッフ・クレジットを見て、まったく誰一人として知る名前がない。私の不勉強のせいなのか、若い才能が前触れなく登場する地殻変動が日本の映像業界に起きているのか、どちらなのかはわからない。とにかく、クラブ常連同士みたいな気の合ったアニメーターやアーティスト仲間で商業映画まで作ってしまうフットワーク、友情ネットワークは、単純に羨ましい。本作の評判がどうであれ、がんがん活動を続けていってほしいものだ。


P.S.
 製作者サイドが謳う「新感覚の映像未体験ゾーン」という惹句には、誰もが疑問を抱くことだろう。そう、もちろん「デジタルフォトメーション」なる手法が、45年も前にクリス・マルケルによって「フォトロマン」という名で試みられた方法(『ラ・ジュテ』1962)そのものであることは、少しでも映画を好きな人なら誰でも知っている事実だからである。『アディクト~』は高精細画像とクラブVJ風のモンタージュを売り物としているが、白黒のボワボワとした写真だけでできている『ラ・ジュテ』よりも新しいことは何もない。また、そのことは別段、『アディクト~』の欠点でもないのである。


渋谷円山町・Q-AXシネマで上映中
http://www.addicts-movie.com/

『椿三十郎』 森田芳光

2007-12-23 10:59:00 | 映画
 私の黒澤明観というものはなぜか、少年期より常に曖昧模糊としたままなのであるが、変わらないことが1つだけある。それは、黒澤明その人はすごいと思うのだが、黒澤ファンを自認する人のことがどうしても好きになれない、ということだ。

 『椿三十郎』は言わずと知れた黒澤明1962年の名作で、名画座なんかで見ると拍手喝采が起きたりもする痛快作である。そして今回のリメイクは、オリジナル版の非常に優れたシナリオをあまり改竄していないおかげで、かなり面白く見ることができる。
 だが、この面白さがくせ者なのである。この新版の面白さは演出でも俳優でも撮影でもなく、あくまでシナリオの面白さであって、その点では黒澤映画の紛うことなき面白さを改めて再確認できるであろう。とはいえ、森田芳光監督以下作り手側としては、「他人のふんどし」呼ばわりされるのは、あらかじめ織り込み済みのことであるだろうし、それ自体は特にこれといった感想はない。

 だが私が最も嫌うのは、「それ見たことか、良い映画は良いシナリオから生まれるのだ」といった論調が以前にも増して勢いを得ることだ。いくら分からず屋の私でも、良い作品を撮るために良いシナリオが望ましいことくらいは理解できるし、それに反対するほど馬鹿ではないと思っている。
 警戒すべきは、シナリオ中心主義、絵コンテ至上主義が、黒澤明の威光を借りて無反省に蔓延することだ。今回の新版『椿三十郎』は、そうした傾向に拍車をかける駆動装置の役割を果たす可能性がある。


全国で一斉公開中
http://www.tsubaki-sanjuro.jp/