荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『さまよう刃』 益子昌一

2009-10-30 02:08:08 | 映画
 『さまよう刃』という実に美しいタイトルをもつこの作品は、凶悪犯罪におよんだ不良どもを、被害者の遺族が、警察の目を盗んで成敗しようとする物語である。その点で、今年前半のヒット作『重力ピエロ』にも相通じる世界であり、法によらない私的な仇討ち、つまり〈私刑〉というものに対する驚くほどの寛容さを見せている。
 たった1人の愛娘が、変わり果てた姿で白布を被せられ、警察署の霊安室に横たわっている。犯人は未成年。現行の少年法では、この凶悪な性的異常者にも極刑は望めない。
「だから法に代わって、父である私が命をかけて極刑を下すのだ。」
 市民の同情を得やすいこの仇討ち動議によって、主人公(寺尾聰)が連続殺人鬼の汚名からあらかじめ赦免されている事態は、決して好ましいものではない。「何をグズグズしているか。寺尾聰よ、早いところ、あの虫けらどもを始末してしまえ」という短気な観客の声が劇場内にこだまするかのようである。
 『さまよう刃』の画面は、神秘的なゲームの一種として〈私刑〉と戯れてみせた『重力ピエロ』のようには、ポップな浮遊感覚に身を任せることもなく、かといって復讐のカタルシスに酔うこともない。Ch・ブロンソンの “デス・ウィッシュ” シリーズのごとき通俗アクションを撮ることは、苛酷な現代世界ではもはや、時代錯誤の振舞いでしかないことを自覚しなければならない。この物語を映画化した製作者たちは、そのことを自らに言い聞かせながら、フィルムを回しているように思えた。


丸の内TOEI 2他、全国で上映中
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『パリ・オペラ座のすべて』 フレデリック・ワイズマン

2009-10-28 03:13:26 | 映画
 フレデリック・ワイズマンの最新作は、近年のコメディ・フランセーズ、アメリカン・バレエ・シアターに続き、三たび舞台芸術のバックステージものだ。
 彼のやり方は、はじめから最後まで変わらない。インタビュー、ナレーションのたぐいは皆無。ひたすらダンサーたちの練習風景、リハーサル風景が映し出され、劇場を統括する芸術監督ブリジット・ルフェーヴルと事務局スタッフたちは、政府が打ち出した年金改革についてダンサーたちに入念に説明したり、アメリカの大口援助者(2万5000ドル以上の寄付者)のツアー旅行をどのように歓待すべきかをあわただしく議論している。リーマン・ブラザースが後援してくれるはずだ、などという会話内容が出てくるが、これは現在ではおそらくご破算になっただろう。

 そして、掃除夫は掃除をし、お針子は衣裳を縫い、染織家は衣裳や舞台装飾用の布を染める。屋上ではなぜか、蜂飼いがハチミツを採取している。これもパリ国立オペラの一事業らしい(フォションで購入可能とのこと)。とにかくみんな、非常に忙しそうだ。エトワールたちの素顔だの、知られざる私生活だのには、いっさいカメラは向けられない。それどころか、公演時の拍手喝采すらカットされている。ダンスも、運営も、すべてが集中を要する労働として受け止められている。

 だから生半可な主観は、徹底的に排除される。ルフェーヴルが振付師との打合せの席で、故モーリス・ベジャールの言葉を引き合いに出す。「バレエ・ダンサーは修道女であり、ボクサーでもある」と。心身共にタフなハードワーカーであることが求められ、強靱な自覚が求められる比喩である。
 そんな中、時折ほんの短く申し訳程度に挿入される、パレ・ガルニエとオペラ・バスティーユの両劇場の偉容、夕闇せまるセーヌ右岸の街景、地下下水道の怪しい汚水のきらめき、さらには運営スタッフの裏口での喫煙風景などが、160分のあいだ絶えず張りつめた画面の緊張をほぐしてくれる。


Bunkamuraル・シネマ他、全国で順次公開
http://www.paris-opera.jp/

『ショックプルーフ』 ダグラス・サーク

2009-10-24 05:02:24 | 映画
 WOWOWで放送されたダグラス・サーク監督、サミュエル・フラー脚本の未見作品『ショックプルーフ』(1949)を見終えたばかりだが、善と悪の心理が危うく交錯する、フィルム・ノワールとはまさにこれだ、と言わんばかりの作品。当然素晴らしい。
 WOWOWでは他にも、オーソン・ウェルズ『上海から来た女』、ジャック・ターナー『夕暮れのとき』、ジョゼフ・H・ルイス『秘密調査員』、アルドリッチ『キッスで殺せ』、ラング『飾窓の女』、ロージー『大いなる夜』と、1940~50年代フィルム・ノワールがばんばん放送されている。私にとっては、7本中4本も未見作品が含まれている。ついこの前もハワード・ホークスの1930年代ものが連続放送されたばかりで、自宅がアテネ・フランセになったかのような錯覚を覚える。
 さらにCSで録画しておいたジャン・ルノワールのアメリカ亡命時代の『この土地はわれらのもの』(1943)も久しぶりに再見。以前に見た時には、ルノワールらしい自由な感覚に乏しく、教条的なヒューマニズムの押しつけが好きになれなかったのに、すっかり私も年齢を重ねて気が弱くなったのか、チャールズ・ロートンの誇り高い演技に、つい涙々であった。

 自宅のモニター前で悦に入っていても仕方がないぞと叱られそうだが、それは確かにそうかもしれない。しかし、シネマヴェーラ渋谷をはじめ、京橋フィルムセンター、ラピュタ阿佐ヶ谷、神保町シアター……と東京の日本映画環境は充実の一途を辿っているのに、外国映画を見る機会はすっかり失われてしまった。先日、原稿執筆のためにウィリアム・ディターレの『ジェニーの肖像』を再見したかったのだが、渋谷のTSUTAYAでさえ置いていない。あんな傑作が置かれていないなんて。現在そういうものを担っているのは、テレビなのだろうか。

ラングドック、ピレネー、香港、ソフィア、そして名古屋

2009-10-22 01:20:57 | 映画
 東京国際映画祭では、フランスからジャック・リヴェット『小さな山のまわりで』とアラン・ギロディ『キング・オブ・エスケープ』、香港からアン・ホイ『夜と霧』といった有名監督の新作を、続けざまに見ることができた。ブルガリアの新人カメン・カレフの『イースタン・プレイ』なども思わぬ拾いものだった。
 ドグマ形式の手持ちカメラで首都ソフィアの油断ならぬ現実を鋭くとらえた『イースタン・プレイ』では、主人公の画家はアルコール依存症に悩み、その弟はネオナチ愚連隊にかかわり、トルコ人はその愚連隊に襲われて大怪我をする。事件をきっかけに、主人公とトルコ人家庭の美しい娘が恋仲となる。そして、ネオナチどもは相変わらずソフィア・ダービー(CSKAソフィア対レフスキ・ソフィア。つまりサッカー・ブルガリアリーグ、首都の名門対決)で暴動を扇動したりして、右翼議員からサラリーをもらっている。
 物語の大部分は野卑、粗暴であるが、ラスト近く、不眠に悩んだ主人公が夜通しソフィアの街を彷徨するシーンは秀逸。そして薄明のなか、見知らぬ老人に誘われるままに、老人の自宅でうたた寝をしてしまう場面の詩情は、なかなかに感動的だ。

 しかしとにかく強烈だったのは、旧作ではあるのだが、韓国映画の怪物・金綺泳(キム・ギヨン 1919-98)幻の問題作『玄界灘は知っている』(1961)なのである。太平洋戦争末期、学徒出陣で名古屋駐屯地に配属された朝鮮人兵士たちの苦渋に満ちた毎日をマゾヒスティックにえぐった本作は、抗日映画というよりむしろ恨み節なのだが、すさまじいエネルギーが全カットから放射されている。
 青山真治監督がシネマートのロビーで「これ見ると、体調悪くなるよ」と耳打ちしてくれたが、確かにこのえぐみは強烈である。

『怪奇猿男』『麻瘋女』 馬徐維邦

2009-10-20 01:04:25 | 映画
 東京国際映画祭で、馬徐維邦(マーシュイ・ウェイバン)監督の『怪奇猿男』(1930)と『麻瘋女』(1939)の2本立て。馬徐維邦という人は、「『深夜の歌声』などの怪奇幻想映画で1930年代上海映画をリードした」あと、日本軍占領後は、妻子を上海に残したまま香港で製作を続け、徐々に不遇となり、1961年に交通事故死している。今回、彼の初期作品を2本見たが、とにかくこれは撮影所システム最盛期の映画というものだろう。『麻瘋女』におけるヒロインの実家の素晴らしい美術セットや、ラストのどしゃぶりの叩くようなけたたましい音響効果などが、それを物語る。
 民国20年代(西暦ではほぼ1930年代)の上海映画というのは、中国映画史の黄金時代とよく言われるが、竹橋時代のフィルムセンターで開催された〈孫瑜監督と上海映画の仲間たち〉の充実したプログラムを愚かにも当時スルーしてしまったことが、20年近く経った今もなお悔やまれてならない。

 余談だが、「馬徐維邦」という4文字の名前は、中国人としてはどうも変な名前だと思っていた。清末生まれの人でもあることだし、漢民族ではなく、東夷・北狄のたぐいだろうか、と推測していたのだが、今夜その疑問が氷解。ゲスト解説にきた中国人研究者の人が、壇上で説明してくれたのだ。彼の名前はもともと「徐維邦」だったが、逆玉の輿に乗って、裕福な馬氏の婿に入り、「馬」姓を名乗ることになった。だが、跡継ぎのない「徐」姓も捨てること能わず、ドッキングされた二姓となったようである。
 欧米では、2つ以上の姓を並列させるケースは少なくなく、たとえばジョン・オノ・レノンという例があり、スペイン語圏やポルトガル語圏では、子どもたちは必ず父母双方の姓を名乗ることになっている。たとえばアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの場合、ゴンサレスは父親の姓、イニャリトゥは母親の姓である。しかしながら中国では、こういう事態はやはり変なことらしい。どうも馬徐維邦という人自体が、何か変なもの、数奇なものと深く関わってしまっているように思える。