荻野洋一 映画等覚書ブログ

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芍薬

2020-05-29 22:57:39 | 身辺雑記
このあいだ生けたグロリオサがしおれてしまったので、芍薬に替えました。壁掛けの花入は備前焼。京都の裏千家系出版社、淡交社の東京支社の1階が茶道具および茶室しつらえ用の美術品の売店になっていて、そこで気に入ったのでおととしぐらいに買い求めたものです。隣にちらりと見えるのは、写真家・中村早さんの新シリーズ「BARKS」の一枚。白樺の樹皮のクロースアップです。去年に馬喰町のギャラリーで中村さんと涙ガラス制作所さんの二人展があったときに魅了され、購入しました。

黄砂

2020-05-13 05:04:00 | 身辺雑記
 昨夜からきょうの昼過ぎまで黄砂が来ているとのこと。コロナ防疫のためだけじゃなく、いっそう外出を控えることとする。循環器に問題を抱えるあなたは注意した方がいいと親切な連絡をくれた方がいて、とても助かった。黄砂は呼吸器ばかりでなく循環器にも悪影響を及ぼすらしい。窓から見る早朝の風景は青空が爽やかに広がる様相なるも、油断してはならない。朝から窓を閉め切って、空気清浄機をフル稼働させる。「パワフル粉じん強」に設定された白い筐体が、ゴーッという大きな唸り声を上げる。なんか、とてつもなく怒っているみたい。わたし、何かしましたかと問いただしたくなる。
 怒った白い機械のすぐ隣で、買ったばかりのカフカ『ミレナへの手紙』を少し読む。訳は、わが私淑せし池内紀。コロナ禍となる直前のキネマ旬報で「映画本大賞」というものの選考員を初めて務めさせてもらい、その選評文の末尾で池内紀とジャン・ドゥーシェの死を悼むことができた。些事かもしれないが、自分としてはこの上なく有難い機会となった。

エリザベス・テイラーのウインク

2020-05-03 01:00:40 | 映画
 蟄居(ちっきょ)が続くなか、キャストが派手に着飾った映画を見てみたくなった。

  映画史を紐解けばいろいろあるだろうが、その選別に頓着したくないという屈託もあって、手近な棚からベルトラン・ボネロ監督の『サンローラン』のDVD-Rを出してきた(冷蔵庫のとなりにDVDの棚があるから、冷えた白ワインと共に)。ところが、主人公のイヴ・サンローランの、なにやら息苦しそうな幽閉感を眺めていると、そこに写っているもののすべては私たちの現況それじたいに過ぎないように思えてきて、大好きな作品ではあったはずなのだが、30分ほどで見るのを中止してしまった。

 その代わりにデッキの中に入れてみたのがジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督の『クレオパトラ』ではあったのだが、これはよく知られているように「映画史上最大の失敗作」ということになっている。20世紀フォックスの社運を傾けさせた『クレオパトラ』の汚名は、なぜか『スパルタカス』とか、『天国の門』とか、どうやら史劇スペクタクルが着せられがちなものだ。そしてその3作を、私はいずれも溺愛している。監督本人の考えとはちがって、キューブリックで最もよい作品は『スパルタカス』だとも思っている。そんな機会はあるわけもないが、私も「映画史上最大の失敗作」と毒づかれる史劇スペクタクルとやらの作り手になって憤死してみたい。
 カエサルとのあいだにできた子カエサリオンをローマ市民にお披露目するためにエジプトから上陸してのパレードシーン、このバカげた絢爛豪華さを私は愛する。そして、その代償として忍びよってくる悲運も。溝口健二の『新平家物語』も、この『クレオパトラ』くらい呪われていたらもっと良かったのに、とよこしまなことを思う。呪われているからこそ、パレードの終わりにカエサルと相対したクレオパトラ──エリザベス・テイラーがクレオパトラを手なずけているのが見ていて頼もしいのだが──のあのウインクが、この上もなくかけがえなきものとして映るのだろう。古代の人間だって、ウインクくらいしたはずだ。むしろ現在の私たちのほうがウインクをしない生き方になった。