荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ヴィム・ヴェンダース写真集『Places, strange and quiet』

2011-10-31 00:01:00 | アート
 ヴィム・ヴェンダースの新しい写真集『Places, strange and quiet』(独Hatje Cantz社刊)が出ている。これは、今年の4月から5月にかけてロンドンのウェストエンドにあるアートギャラリー「ホーンチ・オブ・ヴェニソン」で同名の写真展が開催されたのと同時に出版されたもの。ただし、2006年に表参道ヒルズで開催された『尾道への旅』など、先行する作品集から再選されたカットもある。

 カリフォルニア、モンタナ、尾道、ハイリゲンダム、ブリスベーン、パレルモ(!)、アルメニア、東京、直島、シチリア島、ベルリン、モスクワ、ヴッパータール、サンパウロ…。ヴェンダースのトレードマークとなったパノラマ写真の横長画面が、世界の片隅で見つけたさまざまな風景をとらえる。人物の姿はあまり見られない。いたとしても、たいがいは後ろ姿、もしくはまばらな点景のみであり、人物の個性や心理状態は完全に捨象されている。また、以前の作品集のタイトルにあったように、画面はつねに「かつて…」とつぶやいている。「かつてそこにあった」あるいは「かつてあの人がいた」。
 これはいわば、〈誰が袖〉というものではないだろうか。〈誰が袖(たがそで)〉とは、安土・桃山時代に人気を博した日本画のジャンル名で、高貴な身分の女性が脱ぎ捨てたばかりの着物が無造作に衣紋かけにかけてあったり、はずした装身具が置きっぱなしになっていたりする室内の〈無人ショット〉の形式を指す。それは単なる無味乾燥な〈空(から)舞台〉ではなくて、ついさっきまで持ち主がフレーム内に収まっていた、という残り香を濃厚に漂わせるものでなければならない。いま、その人はフレームからわずか数メートルずれた蚊帳の中で、恋人に抱かれているのかもしれない。あるいは、お付の者の手を借りて湯浴みの最中なのかもしれない。そういう、遊び感覚にあふれた空洞の現前が〈誰が袖〉なのである。
 小津安二郎『秋刀魚の味』(1962)のラスト近く、主人公(笠智衆)の娘(岩下志麻)が嫁いで、夜のとばりが降りたころ、薄暗い2階の部屋に取り残された鏡台や窓、机などを写した〈無人ショット〉、あれらこそ〈誰が袖〉であろう。また、あの〈誰が袖〉があったからこそ、その後に続く中村伸郎の「娘が嫁に行っちゃった晩なんて、嫌なもんだからな」と、先に帰宅した笠智衆のことを思いやりつつ、北竜二に対してポツリとこぼすセリフが、無残な凄みを宿しつつ、夜の闇深くに響きわたることになったのだ。

 ヴェンダースはこの〈誰が袖〉と、いつまでもいつまでも戯れ続ける。それは、まず〈被写体〉が消失し、次に〈場所〉が消失し、最後におのれ自身が消失するまで終わらない、あまりにもシリアスな戯れである。

『僕は11歳』 王小帥

2011-10-28 00:59:21 | 映画
 今年に入って、現代中国映画を代表する3人の映画作家によるそれぞれの文化大革命の総括を、比較しながら見ることができた。張藝謀(チャン・イーモウ)は『サンザシの樹の下で』で、山田洋次的ノスタルジアを復活させるための舞台装置として文革をおそらく意図的に矮小化させてみせたし、ドキュメンタリー作家の王兵(ワン・ピン)は自身初の長編劇映画となった『無言歌』で、強制収容所生活の描写を勅使河原宏のごとき即物的な不条理劇にまで昇華させてみせた。
 『僕は11歳』の王小帥(ワン・シャオシュアイ)は、思春期を迎える前の男の子の生態を、運動感あふれる手持ちカメラで追い続ける。作家たちは個々のモチベーションで作品を単に撮りあげているのであって、たまたま文革という共通点をあげつらって比較されるのは迷惑な話だろうが、観客としてのこちら側は勝手なものである。
 1975年。ロケ地は中国西南部、鬱蒼と切り立つ亜熱帯の高原に囲まれた貴州省。ここで疑似体験しうる子どもたちのありように対しては、ジャン・ヴィゴ、清水宏、稲垣浩、フランソワ・トリュフォーを思い出すのはやや評価しすぎかもしれないが、最近のものでは塩田明彦の『どこまでもいこう』(1999)も思い出される。と同時に、『僕は11歳』の悲痛さにはどこか他人行儀な面があって、その点がいい。
 1975年という文革末期の状況が重く頭をもたげてはいても、脳天気な遊びの映画であった前半が終わると、後半の川遊びのシーンから突如として暗い影が差しはじめ、あたりを冷気が漂いはじめる。主人公がひそかに慕う5才年上の少女を陵辱した革命委員会の局長が少女の兄に殺されるといった事件、放火事件が、主人公の知らぬところですでに起こっている。
 終盤のシーンで、主人公は父親と共に森へ写生に出かけた帰りに夕立に遭い、少女の家で雨宿りすることになる。少女は濡れた服の着替えを手伝ってくれ、居間では、右派の烙印を押されパージされた父親同士が悲嘆に暮れた会話を交わしている、という三極の中央に少年は立たされる。振り向くなという少女の言葉にもかかわらず、おそるおそる背後に目を投じると、彼女もまた濡れた衣服を脱ぎはじめているのが見え、少年は場を和らげる言葉を少女の背中に向かって口に出す勇気はなく、かといって居間でしゃべる父親たちの絶望を共有することもできない。少年はただ、黙ったまま立ち往生するしかない。緊張感にみちた数秒間である。


第24回東京国際映画祭《アジアの風・中東パノラマ》部門で上映
http://2011.tiff-jp.net/

リチャード・セラ @ビルバオ・グッゲンハイム美術館

2011-10-25 04:01:54 | アート
 プラド美術館にあるゴヤの『着衣のマハ』(1805)がまもなく来日するのはもちろん大ニュースだけれども、「そこ」に行かなければ見られないものがある。巨大なオブジェやインスタレーション、建築作品などがそうしたものであり、たとえば、リチャード・セラの大型作品を見ることは、ビルバオのグッゲンハイム美術館を訪ねるための重大な動機となり得る。なるほど、この施設の最大の呼び物はフランク・O・ゲーリーの設計になる、鈍く光るチタニウムを魚の鱗のようにたくさんはめ込んだ美術館の著名な建物そのものであって、その圧倒的な印象の前に「肝心の展示作品の影が薄い」とも評されている(右の写真 =筆者写す)。
 しかし、リチャード・セラの巨大な作品の、錆びた金属が幾重にも重なり、「廃墟の膨張」とでも呼びたくなる荒々しさを目の当たりにしたいなら、ここだろう。現在ここでは、「剛」のリチャード・セラ(1938- )と「柔」のコンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)をパラレルに並べた特集を組んでいる。
 最初、セラの作品は鑑賞者の拒否反応を引き起こす。私も最初、嫌悪感のようなものを感じた。『Circuit-Bilbao』(1972)は、「よその都市を表現するのにこれはないだろう」とさえ思えるほどの殺伐とした酸化金属の抑圧的な断片でしかないのである。ニューヨークの工場で不要になったゴムをもらい受けて制作した初期作品『Belts』(1966-67)もしかり。
 ところが数多く見るうちに、最初に感じられた拒否感と嫌悪感は徐々に稀薄化し、物質そのものの圧力に呑み込まれるような体験を「おもしろい」と感じられるようになる。そのクライマックスが、おそらくその作品を収容するためにだけ設けられた巨大展示室に延々と置かれ続ける超大作『The Matter of Time』(1994-2005)だろう。この物質性の圧倒的な現前に驚かない鑑賞者はいないかと思われる。


Museo Guggenheim Bilbao, "Brancusi | Serra"
http://www.guggenheim-bilbao.es/microsites/brancusi_serra/

『The Beaver』 ジョディ・フォスター

2011-10-22 05:24:12 | 映画
 いまのところ日本では未公開に終わりそうなジョディ・フォスターの監督最新作『The Beaver』(2011)の問題はいくつかある。『リトルマン・テイト』(1991)、『ホーム・フォー・ザ・ホリデイ』(1995)、そして今作と、徐々に演出に覇気がなくなっているのだ。
 題材の選択はたしかに斬新である。うつ症状を長期に患った主人公が、モーテルのくずかごからビーバーのパペット人形を拾い、ビーバーの第1人称でおのれを代理的に語ることによってセルフ・レスキューを果たしていく、という物語である。主演のメル・ギブソンはやっぱりすばらしい。この人は監督作もいいが、演技もいい。本作はギブソンの反ユダヤ主義発言とドメスティック・バイオレンス疑惑というダブル・スキャンダルのあおりを食って、なかなか公開にこぎ着けられなかったという曰くつきの作品だが、そうした代償を補ってあまりある果実をギブソンから得てもいる。
 もともとこの役はジム・キャリーが演ることになっていたはずが、何かの理由によってメル・ギブソンになったらしい。キャリーが演った場合、あまりにも「はまり」過ぎる恐れがあっただろう。いま大いなるストレスの中に生きる俳優がこの役を演じたことは、よかったと思う。アイデンティティ・クライシス・コメディにジム・キャリー以外のオプションができた恰好だ。
 問題は、彼女自身による彼女への演出が拙いということ。そこがたとえばクリント・イーストウッドとは違うのだ。女優としてのフォスターは多分に、他の監督によって容赦なく演出された方が魅力的である。本作がLAタイムズやボストン・ヘラルドから「嘘っぽく感傷的」と罵られたのは、サイコ的に暴走する夫をたしなめる細君という人物がひどく遠慮がちで不徹底であるためだろう。イーストウッドにはドン・シーゲルという師がいたが、ジョディ・フォスターにはせいぜいマーティン・スコセッシとジョナサン・デミしかいなかった。このふたりもじゅうぶんにすぐれた手本ではあるが、ドン・シーゲルに学ぶのとは「桁」がちがう。
 とはいえ失敗を次回作で挽回するという芸当が依然として不可能ではないというところが、ハリウッドの奥深さではないだろうか? フォスターは、次回作にロマン・ポラニスキの新作『カーネッジ(原題) / Carnage』への主演が控えている。どうやら本作『The Beaver』は、出来ばえとキャスティングの問題によって日本では残念ながらお蔵入りとなるかもしれないが、ポラニスキとのコンビネーションは必見のものとなるだろう。

『Midnight in Paris』 ウディ・アレン

2011-10-20 00:00:10 | 映画
 けさ、海外ロケから帰国した。
 渡航中はまったく映画を見ることができなかったが、ひとつ面白かったのは素材検索のために立ち寄ったサン・セバスティアンの「フィルモテカ・バスカ」(バスク州政府のフィルム保管所)。膨大なフィルム・アーカイヴ、ビデオ・アーカイヴがガラス張りの向こう側にバアっとひろがっている。ゲルニカ空爆、内戦、フランコ独裁などのフィルム所蔵量はすごいものがある。まさに、歴史記憶の収蔵庫=グリオとしての映像である。
 受付の脇にフリオ・メデム作品(タイトル失念)のポスターが張ってあったので、受付の女性としばしメデム作品についておしゃべりした。私は『アナとオットー』と『バカス』の2本しか見ていないが、ここでは地元バスク出身の有名監督なのである。ちなみにビクトル・エリセもバスク人だと言い添えておこう。
 受付の女性はたいへん話しやすい人で、ついついいろいろとしゃべってしまった。彼女は日本の文化が好きだと言っていたが、先月下旬にこの街で開催された映画祭で脚本賞を受賞した是枝裕和の『奇跡』は見落としたそうである。中国から出品の王小帥『11 Flowers』が、すばらしい出来ばえだったそうだ(この作品は現在開催中の東京国際映画祭にて『僕は11歳』という邦題で上映される)。

 ルフトハンザ機中では、5本ほど見ることができた。日本未公開作としては、ウディ・アレンの新作『Midnight in Paris』、トーマス・ベズーチャのラブコメ『Monte Carlo』、ジョディ・フォスター監督の問題作『The Beaver』の3本。さらに、公開時に見落としていたケネス・ブラナー『マイティ・ソー』、ピクサー・アニメ『カーズ2』も拾っておいた。

 中でも圧倒的にいいのは、アレンの『ミッドナイト・イン・パリス(Midnight in Paris)』。主演のオーウェン・ウィルソンは完全にアレンの分身であり、神経症的な身ぶり、どもり気味のしゃべり方などはパロディにも見える。この主人公が高慢な妻とのパリでの婚前旅行に飽き足らなくなり、ひとり夜な夜な徘徊しながらタイムスリップし、彼にとって理想の時代である1920年のパリの芸術家たちと知り合っていく。コール・ポーター、フィッツジェラルド、ガートルード・スタイン、ヘミングウェイ、ダリ、ブニュエル、パブロ・ピカソ…。みんな亡命者ばかりだ。主人公が悪戯心を起こして、『皆殺しの天使』のアイディアをブニュエルに吹き込み、ブニュエルが「なんでみんな、部屋から出られないんだ?」と納得できない様子であるのが微笑ましい。そしてキャシー・ベイツのガートルード・スタインなどは、相当いい線を行っていると思う。
 彼が恋に落ちる、1920年代の女性(マリオン・コティヤール)が魅力的。しかし、彼女は「自分は生まれるのが遅すぎた。19世紀末こそ黄金時代」と言って譲らない。自分の時代を肯定できない孤独な男と女による納得ずくの別れに、私は旅情という名のスパイスも手伝って、感涙を禁じ得なかった。
 映画ファンの中には、私自身もそうなのだが、「1950~60年代のパリでヌーヴェルヴァーグの一員として映画発見の冒険を、思うぞんぶんやってのけられたらどんなにエキサイティングだっただろう」と若いころに夢想したことのある人がいるのではないか? まあゴダールやトリュフォーにはなれなくても、ピエール・カストかドニオル=ヴァルクローズくらいのポジションを演じられたら、かなり愉しいはずだ。アレンは、そんな手の届かない素朴なロマンティシズムのそばに寄り添いつつ、シニシズムから遠ざかることによって、観客をあざやかに包み込んでみせている。
 『Midnight in Paris』はもう一度ちゃんとしたスクリーンで再見したい作品だが、日本公開が未定であるのが心配である。米ソニー・ピクチャーズの発表によれば、本作はアレン最大のヒット作『ハンナとその姉妹』を抜き去り、キャリア最大のヒットとなる模様だというのに…。