荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ウンベルト・エーコ著『ヌメロ・ゼロ』

2017-08-10 03:58:36 | 
 ウンベルト・エーコの最後の小説『ヌメロ・ゼロ』(河出書房新社)がイタリア本国で刊行されたのは、2015年1月。翌2016年2月にエーコは永眠している。ミラノで「ドマーニ」(明日)なる新聞が創刊準備を始める。しかしこれは、政財界に脅しをかけるための陰謀的な「商材」にすぎない。創刊準備号、つまりヌメロ・ゼロ(零号)の製作のために数人の経験者が雇われる。「ドマーニ」が永遠に創刊されることはないことを、彼らは知らない。
 「ドマーニ」は腐敗したジャーナリズムを地で行く。毎日ヘドが出るような編集会議が催され、編集者たちは3流出版物の作業で養った3流の経験をもとに創刊準備号を構想していく。構想の中で、ある男がしつこく調査していたムッソリーニ戦後生存説が、「ドマーニ」関係者の運命を暗転させていく。

 陰謀、陰謀また陰謀。低予算のフィルムノワールのような簡潔さで陰謀が語られ、エーコ作品としてはめずらしく、たった200ページで終わってしまう。一昨年に邦訳が出た前作『プラハの墓地』(原著は2010)の補遺のように思える。『プラハの墓地』はトリノ〜パリへと主人公を追いかけながら、近現代ヨーロッパの暗部を丸ごとつかみ取っていく大作業だった。『ヌメロ・ゼロ』の舞台はトリノではなくミラノだが、『プラハの墓地』はユダヤ人虐殺の理論的根拠の捏造をあつかい、『ヌメロ・ゼロ』はムッソリーニの保護生存をあつかう。ファシズムの擁護機能を取り出してみせた点で共通点が多い。また今回は、ミラノの古い街並み、犯罪通りが活写される。古くて物騒なミラノ旧市街について語るエーコがじつに楽しげだ。

 現代日本にこそ、ウンベルト・エーコの再来を願わずにおれない。史上最低の政権、安倍政権の支持率がついに低下し、どうやら終焉に近づいているようだ。ただし支持を失ったのは1強ゆえのおごり、ゆるみのためであり、〝お友だち〟優遇による歪み、腐敗のためだとの論調が支配的となっている。この政権がなぜ最低なのか。それは腐敗のためではない。日本的ファシズムの再生装置としての安倍政権のあり方そのものを根底から検証すべき段階にきているところを、単におごり、腐敗の名において批判することは、むしろ擁護にすら近い。エーコがえぐり取った陰謀とは、この無意識のことである。
 最近になって安倍を批判するようになった層は、容易に安倍擁護に転じる予備軍、第2の安倍誕生プログラムに寄与する予備軍だろう。ファシズムの温存になにかと寄与してはばからない巨大な塊を、エーコは鋭い筆致と博物誌的な情報量で描いた。小説などというジャンルは一部をのぞいてほぼ無視を決めこむ私が、エーコのそれは読むようにしている理由がそれである。イタリア同様にファシズムが潜在的に根付いている日本でこそ、ウンベルトEが復活する必要がある。